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人、夢に春苑、道灌静勝公を見るあり

2021年12月13日 17:32

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/12(日) 22:20:57.19 ID:D27xJOHb
道灌つながりで
万里集九「梅花無尽蔵」から、道灌死後一ヶ月ほど経った文明十八年(1486年)八月の話を
(道灌の死時点は作詩どころではなかったため「梅花無尽蔵」には当時の記載なし)

人、夢に春苑、道灌静勝公を見るあり。
その面壮然として、恰も平素のごとし。
而して唯、扇を求め、略(ほぼ)世故の談に及ぶと。
遂に蓮経を漸書し、便面一枝を副え、公の影堂に寄せんと。
すなわち余、扇面に題していう。
一夢縦途亦有由 風声墓樹漸驚秋
平生白羽慕諸葛 餘習未忘呼扇求

夢の中とはいえ、主家への恨みを気色にも表さない死せる道灌であった。
扇を求めたのが風流のためか、諸葛亮のようにまた軍を率いたいという心かはともかく。
なお万里集九は明応三年(1494年)正月三日に東国での十年間の思い出として、
山は富士山を仰ぎ、人は道灌に会えたことを挙げるほど、
道灌を敬愛していたことで知られている。

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/12(日) 23:02:07.31 ID:D27xJOHb
ついでに永田徳本の医書「梅花無尽蔵」の拾遺を読んだら
「蛇が玉門(女性の隠部)に入った時は枇杷の実を砕き、酒か湯か油で溶かして入れましょう」
とか書かれてた。
130歳まで生きた渡辺幸庵が「女の陰門に蛇が入ったのを3回見たことがある、蛙を突き出したり山椒をかけたりしたら外に出てきた」
とか言ってるのを考えると
118歳まで生きた永田徳本がそういう症例に出くわしてても不思議ではないか



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小網神社御由緒

2020年10月15日 18:21

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/14(水) 21:02:59.89 ID:4443tF/k
小網神社御由緒

小網神社HP
https://www.koamijinja.or.jp/history.html


※管理人注
こちらのHP内の記事と同内容でしたので、ご興味の有る方は上記HPにて
記事をお読み下さい




639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/15(木) 22:30:55.61 ID:PKG5DZ+s
>文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。
>そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、

アマエビでもかかったのかと

ひとりには 塵をもをかじ ひとりをば

2019年08月31日 16:44

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/31(土) 11:08:13.82 ID:rF2nTSPU
太田道灌は文武の将であった。彼には最愛の美童が二人あり、その寵愛に甲乙をつけなかったが、
ある日、両童側に有る時、風が吹いて落ち葉が一人の美童の袖に止まった。道灌は扇でこれを
払ったが、もう一人の美童はこれに、いささか寵を妬む色があった。
これを見て道灌は一首を詠じた

 ひとりには 塵をもをかじ ひとりをば あらき風にもあてじとぞ思ふ

このように詠じたという。おもしろき歌ゆえここに書き留める。

(耳嚢)



露すぼこくて折られないもさ

2019年08月11日 19:18

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/11(日) 05:37:12.29 ID:1/QIaclw
太田持資(道灌)が上京した時に、彼が歌道を好むということで、公卿たちがこれを求めると
「関東の田舎に住んでおりますから、堂上の人々にお目にかけるべき歌など有ろうはずもありません。
これは田舎にて詠んだ歌です。」と奉り

『武蔵野の 折べい草は多けれど 露すぼこくて折られないもさ』
(「折べい」は「折るべき」の、「露すぼくて」は「露に滑って」の、「もさ」は「ものさ」の、それぞれ関東訛り)

こう詠んだところ、人々声高く大笑いした。この時持資は「もう一首、このように詠みました。」と
再び奉った

『露おかぬ かたも有けり夕立の 空よりひろきむさしのゝ原』

これに一同深く感心したという。

(耳嚢)




139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/11(日) 11:43:52.93 ID:JHp/WRi1
>>138
やはり頭いいんだな
最初に受けを狙い、その後で切り返し
暗殺なんて事にならなかったら

熱川温泉は猿が温泉に入っているのを

2017年02月27日 18:28

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/26(日) 23:35:57.60 ID:lnr7vVWg
道灌公と猿
http://i.imgur.com/h8LjG3u.jpg
h8LjG3u.jpg

折檻された例のイタズラ猿かと思ったら、
熱川温泉は猿が温泉に入っているのを道灌公が見つけて開湯されたとの事。



682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/27(月) 09:57:29.60 ID:3PJYeBvg
信長と若き日のラスボスでも通用しそうだな


.....なわけない

江戸御城は、道灌のみに非ず。高虎縄張の事併道灌風流、桜楓の事

2016年12月09日 09:19

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/08(木) 22:25:27.26 ID:J91C5wri
江戸御城は、道灌のみに非ず。高虎縄張の事併道灌風流、桜楓の事

 ある人が語るには、
江戸の御城は、初めは太田道灌が興したというので今は何事も道灌に帰しているようだが、
道灌が築いたのは今の西の丸で、御本丸は藤堂高虎と諮られて御新築されたという。
よって『駿府政事録』には、"新城"とあるのだそうだ。

 また道灌も流石は風流人であって、
今の桜田という辺りには多く桜を、今の紅葉山という地には楓樹を植えて、
春秋の詠を専らとしていたという。
今増上寺の門前に流れている小川を桜川と呼ぶのも、その源泉は桜田から出ているので、
その年からこう言っているのだという。

 この事を林老(述斎)が聞くと
「桜楓のことは同意しない。桜田はもとから村の名で桜を植えたからではない。
御城外の桜田から今の桜田町まで行程はかなりある。
その年にどうして一年間で花木を植えることができようか。
また紅葉山は駿府に有った名を移されたものである。」
と話された。

(甲子夜話続編)

松浦静山の頃には、かなりの誤伝が広まっているのだと思われます



398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/09(金) 22:52:45.81 ID:8ZfVzv1H
>>392
昔から道灌すげーと思われていたんだな

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 00:02:16.10 ID:mqM9v91Y
道灌「この城どうかんならねえか?」
家康「家、やすいなら買おう」
と庶民には思われてた説

401 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/10(土) 00:18:49.26 ID:6eJna+f9
>>400
        シャカ
      [二] シャカ
  ロ=== (´・ω・)
  (::) ( >on o θ
日[二二] と_){三}


        ス...
      [二]
  ロ=== (´・ω・)(
  (::) ( >oy>o )
日[二二] と_)_){三}

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 10:55:42.83 ID:BHAJeKED
世紀末荒野だった戦国の関東平野で
歌詠みまくって風流も競い合ってたってのがまた不思議

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 19:47:48.65 ID:J3N68zoo
北条家も風流なイメージ持ってる

道灌さんは以降和歌をガッツリ勉強して

2015年07月20日 13:25

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/19(日) 21:09:32.42 ID:YllLvnMf
(前略)
上杉宣政が下総に出兵した時、山と海が接した場所を通る必要があったが
宣政は山上から弩を射かけられないだろうか、また満潮であったらどうしようと
大変不安がっていた。
その為夜半であったけれども太田持資は「では私が確認してきましょう」と
海の状態を確認しに行った。
そうして暫くして戻って来た彼は「今は干潮です。」と報告した。
何故それが分かったのかと宣政が問うと、持資は
「『遠くなり近くなる身の浜千鳥鳴く音に潮のみちひをぞしる』という歌が有るでしょう。
千鳥は潮が引くと広がった干潟に沿って移動して遠くに行く習性があり、その鳴き声は遠くに聞こえるようになります。それで今は干潮だと判断したのです。」
と答えた。

またある戦において退却中、夜間で視界が悪い中で利根川を渡る必要が生じた。
この時も持資は
「『そこひなき淵やはさわぐ山川の浅き瀬にこそあだ波はたて』という歌が有るだろう、
その通り水音の騒がしい位置が浅瀬であるから、そういう場所を選んで渡れ。」
と部下達に指示し、無事利根川を渡り退却する事ができた。
(常山紀談)

前略部分は例の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ哀しき」の故事
道灌さんは以降和歌をガッツリ勉強して役立ててました、という後日談。
彼の主君が上杉「宣政」なのは原文ママ。





太田資長が松山城を築いた時の話

2015年06月23日 17:39

222 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/06/23(火) 06:05:52.95 ID:B5AQbp3J
太田資長が松山城を築いた時の話、
資長「この城に何か欠点があって文句がつける者があれば、重賞を与えて感謝する!」
という一書を東門にかけた。

すると一人の旅人が城の周りに植えてある松を見て
旅人「松は終始風を含み、松籟といって颯々たる響きがあるから忍び込むには便利だ、
城の周りに松を植えるべきではない」と言って去って行った。

資長はこれを聞きとても驚きこの旅人の行方を追わせたがついに見つかることは無かった
世にその旅人は神人だと言い伝えられている。

「名将言行録」謎の旅人に新築の城の欠点を見抜かれる話




223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 07:16:02.75 ID:9vUPh6Xn
呂不韋と呂氏春秋の話に似てるな
あっちは城じゃなくて百科事典だが

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 07:48:54.23 ID:5rId61GS
松の代わりに何を植えたのだろう
とすると松山じゃなくなるよな

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 08:46:58.98 ID:JgRv8cn3
城の周りなら松か竹を植えるのが多いんじゃない

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 08:54:02.01 ID:FRsbJcyr
城は敵が隠れないよう見晴らしを良くしないといけないから、みんな切っちゃったんじゃないかね?

そういえば今の城跡の多くは桜が植えられてるけど、桜の根が伸びて石垣を崩し
全国で結構な問題になっているらしい。

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 09:33:54.51 ID:lwcX4nWk
>>226
実用ではなくイメージでやるからそうなるw

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 10:35:25.41 ID:LkICDGu3
実用なら梅かな

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 11:06:33.67 ID:Ip0Rxk1t
桜と城は合うからなあ。

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 11:50:16.14 ID:eztrH43z
成富茂安がこのスレを発見しました

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 12:29:21.48 ID:MT8d1vxG
>>228
如水さんこんなとこで何してますのん

太田道灌と猿

2015年06月22日 18:10

215 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/06/22(月) 15:31:04.52 ID:MTMHuJgH
先ほど悪い話スレに場違いな逸話を投稿してしまったのでお詫びに有名だけどまとめに無かった話を一つ

太田資長(道灌)が京に上がった時、将軍の義政が饗応するといった。
資長は、義政が一匹の猿を飼っていて、その猿は見知らぬ人と言うと、
必ず引っ掻いて傷をつけていると伝え聞いていたので、猿師に銭を与えその猿を借りた。

そして旅宿の庭にその猿をつなぎ出仕の装束で側を通るとその猿は飛びかかってくる
資長は思いっきり鞭でその猿を打ち伏せると猿は首を垂れて怖れ入ってしまった
資長は猿師に厚く感謝をして猿を返した。

そして饗応の日がきた、義政は例のごとく猿を通路につないでおき、資長の様子を見ようと待ち受けていたが、
その猿は資長を見るや否や地にひれ伏してしまった

資長は悠然と衣紋をひき繕い、素知らぬ態で通り過ぎたので、
義政は「尋常な人ではない」と言って大いに驚き入ったという事だ。

「名将言行録」の太田道灌が凶暴な猿を調教した良い(?)話、
政宗にも似たような逸話があったような気が、、、



217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 21:48:39.97 ID:XdcpUGeK
>>215
立花道雪にシバかれた大友宗麟の猿といい、
この時代の猿はよく殴られるなw

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 21:50:31.93 ID:IpAvlnDm
サルのペット化はステータスなのかそれとも何かの暗喩なのか

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 22:23:24.45 ID:bXJSOZYX
猿は魔除けで飼うとかじゃなかったっけ?

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 22:31:19.32 ID:+Le+v5ss
子孫繁栄みたいな意味もあったような気がする

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 22:53:39.45 ID:J0EE1+V0
馬の守り神としてよく厩で飼ってたから
江戸時代以前の武士には馴染み深いペットだったんだろう

ただこの理屈を

2014年12月11日 18:36

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/11(木) 02:13:40.44 ID:oE57dufK
(両上杉が関東諸)国をよく治めていたところに、大事を引き起こす事が一つ起こった。詳細は次のようである。
扇谷(=上杉定正)に中次彦四郎・曽我伝吉という二人の殿方がいた。この二人は仲が良く、互いに相談し、分別もあるので、良く奉公し扇谷殿の心をとらえていた。
後に扇谷へ諫言できるほどまでになったが、彼等は家運を傾ける類の諫臣であった。
二人が言うことは続けて上手くいくので、定正は二人に官位を与え中次主馬助・曽我右衛門佐とし、すっかり扇谷殿は曽我・中次の言いなりとなってしまった。
ある時、二人は談合して、それぞれの所領を沢山取ろうと思い、扇谷殿へ

「財政の収入がなく、物事が不便であるのに、家老衆が江戸・河越の国中に徘徊して遊んでおります。
将来は彼らの子供が扇谷家の子孫に敵対し、ご子孫は今の公方のようになってしまうだろう。
そして家老衆は今の両上杉殿のようになることは少しも違わないだろう。ご分別を。」

と申し上げると、扇谷殿は武州江戸の太田道灌を召し寄せて殺しなさった。
これを聞いて残る上田・見田・荻谷を始めとした道灌の一族、城主共は言うに及ばず、少しでも所領をもつものは、おおかた身構えて、それぞれの屋敷に引き籠もった。
その年のうちに、この事で山内殿と扇谷殿の間に所領争いが起こり、羽入の峰・岩戸の峰・ふく田の郷・奈良梨などと申すところで大きな合戦あった。
味方も敵も見分けがつかず、日頃心懸けをしていない奉公人共は働く術を知らず、行ったり来たりとうろつき回る。
小旗を捨て、或いは槍を切り折り杖として逃げる者は後ろを見ず、
主を捨てて、自分の在所へ逃げてしまうものが扇谷にも、山内にも一合戦に二人三人と出る。
勿論関東・奥州北国にも、たびたび手柄を立てる大剛の者があまたいたが。家運が傾いた徴候だろうか、若武者にも負けてしまう。
しかも十人の中に八人九人は心懸けの無い弱者共に掻き回されて、長年合戦に慣れている者も、自分の身を守るだけで何の手柄にも立てられない。
これらは味方の中の裏切りによるものである。この時節に伊豆の早雲が出てきて、小田原を乗っ取ったのである。明応四年乙卯のことであったと聞いている。
前代のことである。しかも他国の事、人からの雑談によるものを書き記したので、相違なことは多いのは確かだろうが、ただこの理屈を勝頼公の代の参考にしてほしい。
(甲陽軍鑑)




太田道灌、居城の怪異に

2012年08月28日 20:51

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 17:36:51.53 ID:nmVw6k3Q

ある時、太田道灌の居城に一夜にして笠ほどのキノコが生えた。
人々が「物怪だ!」と驚いてこれを道灌に告げたところ、

道灌は「決して物怪ではない。湿気の深い所には大きなキノコが
生えるものだ。逆さまに生えたとしたら不思議なことだがな」と言って

動じなかった。その後、十日ばかり過ぎて、今度は同様のキノコが
逆さに生えた。人々が驚いて道灌に告げると、

道灌は「最初に生えた時は逆さなら不思議だったのだが、
今度は智恵をつけて逆さに生えたか。これは笑えるな」と言った。

すると今度は火炉の鉄輪が踊り歩き始めた。道灌はこれを見ても
「人間は足二本でさえ自由に歩けるのだから、三つ足で歩けたって
珍しくもない。

そのようなことは全て狐狸の仕業だ。狐狸めは人間にたぶらかされて
戸惑っているようだな」と冷笑するだけで自若としていた。

その後は何の怪異も起こらなくなった。

――『名将言行録』

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1185.html
↑の別バージョンか?





202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:20:25.39 ID:CxSchxLm
俺のところに美女が大金を持参して嫁入りに来れば不思議なことだが

203 名前:こうか[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:23:56.15 ID:CxSchxLm
秀吉「わしのところに大勢の美女が嫁入りに来れば不思議なことだが」

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:52:28.56 ID:jjWVqCyv
子孫がリアル化け物だから物の怪ぐらいじゃ驚かないわな

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 22:34:28.10 ID:qrwWJkEU
要求をエスカレートさせて、
どこまでやってくれるか試せば面白かったのに。

川越城水源の事

2011年05月24日 01:11

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 18:29:48.80 ID:QLWEygVY
太田道真・資長(道灌)の父子が川越城を築城するときの事
城の堀へ張る水をどこから引いてこようかと毎日踏査していたのだが、これという水源は見つからず困っていた。

ある朝、道灌が何げなく初雁の杉のあたりを通ると井水に足を浸して洗っている一人の老人に出会った。
見ればそこにはこんこんと湧き出る泉が・・・

これに道灌は大いに喜び、これはまさしく日ごろ信仰している天神の御加護であったかと改めて感謝したのだった。
しばらくしてその老人の所に向かい、この地に城を築く決意を告げ、水源となっている場所を尋ねた。
すると老人は快く承諾し、さっそく道灌を水源へ案内してくれた。
行く行く着いていくとそこは満々と水を湛えた底知れぬ深さの水源地が現れた。

道灌は手を打って喜び、老人の好意に対して心からお礼の言葉を述べ再会を約束して別れたのであった。
こうして謀らずも問題を解決できた道灌はこの地に難攻不落の川越城を完成させたのである。

さて、かの老人とは再会の折もなく時が過ぎ去っていった。
だが、かつて井水で足を洗っていたときの姿が気品にあふれていたので、
あれぞ紛れもない三芳野天神の化身であると納得したのであった。
以来この井水を天神御洗(てんじんみたらし)の井水と名づけて大事にし、神慮に応えたと言う。
そして道灌はますます敬神の念を深くし、有名な川越城内で連歌の会を催して千句を天神に奉詠したのであった。

なお、この水源地は川越城内清水御門のあたりとも、または八幡曲輪とも三芳野天神社付近とも言い伝えられている。




とっさの歌詠みシリーズ。太田道灌編

2010年10月14日 00:00

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 18:23:48 ID:02fx74We
とっさの歌詠みシリーズ。太田道灌

太田道灌が初めて関東より上京した時の話だそうだ。
扇谷上杉家家宰として、さらに軍略家として既に高名であった道灌は
高位の人々の集まりに招かれた。そこで道灌が歌道をたしなむことが話題に出、
是非一首詠んで欲しい、という話になった。

これに道灌
「私は関東の田舎に住むものでして、なかなか京洛の堂上の方々にお目にかけるような歌など
あるはずもありませんが、ひとつ笑って聞いてください。これは田舎で詠んだ歌ですが」

と、こんな歌を詠んだ
『武蔵野の折るべい草は多けれど、露すぼこくて折られないもさ』

これにその場の人々は皆、どっと笑った。

この歌、現代人には少し説明がいるだろう。「折るべい」「すぼこくて」「もさ」
これは関東方言をあらわしたものである。
現代風に訳せば
「武蔵野には露が落ちて折られるべき草はいっぱい有るけんど、露が落ちてもすばしっこく
消えるんで折られやしないだんべ」

とでもなるのであろうか。

とにかくいかにも田舎風の滑稽な歌に皆が大笑いしている中、

「もう一首、こんな歌も詠みました」

と、道灌、次の歌を披露した。

『露おかぬ かたもありけり夕立の 空よりひろき武蔵野の原』
(天を覆った夕立が過ぎてなお、雨に濡れていない場所もある。なんと空より広い
武蔵野の平原ではないだろうか)

一転、この歌にその場の人々、大いに感心したとのことである。





656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 19:21:45 ID:yAj0d7Zr
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3677.html
この話思い出したよ。

今でも上京した地方出身者はなまりを馬鹿にされないように気を使うけど
なまりをギャグにしちゃうのが一番いいのかもねw

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 19:36:22 ID:2GReGcx4
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-181.html
田舎者呼ばわりされるのがいやで引きこもりになった某南部さんもいるしな。

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 00:34:51 ID:qpGVOixJ
訛りが通じないから黙るのが東北人
訛りが通じないから実力で示すのが北陸人
訛りが通じなくても気にせず、それが通常だと笑うのが関東人
訛りが通じない者同士で差別化して喜ぶのが東海人
訛りが通じていないから暗殺するのが中国人
訛りが通じないのに気付いていないのが四国人
訛りが通じていないから南蛮人と親しくなるのが九州人
訛りが通じなくて喜ぶのが薩摩人

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 00:37:05 ID:My/PyKDt
>>663
 江戸時代では薩摩人は訛がが通じないと通報、または殺害だったがはず

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:11:08 ID:jcwc3uoJ
鳥居彦右衛門は島津義弘のなまりが理解できなくていくさになった、なんて話もあるね

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:15:48 ID:wbNC/ue3
もし鳥居元忠が赤備えだったら
島津義弘「赤い鳥居に弓を引いたら、お稲荷様から天罰が下る。わしは引くぞ!」
とでもなったのだろうか

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:29:18 ID:zTvBA4Vb
>>663
大戦中暗号が解読されていることに気付いた日本軍が薩摩弁の訛りが酷い奴に伝令させたって話は有名だなw
>>666
それならそれで劇団島津だしもっと上手いことやってくれそうな気がするがw
そういや鎌倉・室町の方でなんで狐が島津の守り神になったかって逸話が投稿されてたな

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:38:56 ID:wbNC/ue3
>>667
鎌倉・室町スレで島津稲荷ネタが出たから便乗した
そういや赤備えの方も、井伊の赤鬼(初代)は結果的に島津の鉄砲に斃れ、
井伊の赤鬼(幕末)は薩摩藩浪士に首を切られ、因縁があるのか無いのか

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:43:46 ID:VNWaa3Bu
だって井伊家の一番の仮想的は島津家でしょ?

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 07:14:19 ID:fAC7J8ij
>>660
仲悪いなら、有力な他家を乗っ取るための養子に出すことは無いだろうしな

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 08:53:47 ID:ODsOxZhO
訛りが云々のやつで、関西(近畿)はないのか?
>訛りが通じなくても気にせず、それが通常だと笑うのが関東人
これが関西人っぽいな~と思ったんだが~

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 09:08:01 ID:8DCLgm3W
戦国時代、日本の中心は近畿ですから。近畿以外の方言が訛りです

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 09:30:31 ID:ODsOxZhO
そういうことなのか~
なるほど~

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 15:12:29 ID:BZm9fy/X
>>663
うちの爺さん新潟出身なのにほとんど訛りが無かったから
兵学校入学の時、教官に「新潟県出身です」って言っても信じてもらえなかったそうなw

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 16:48:48 ID:VNWaa3Bu
今でも新潟の人って、むしろ関東の人より標準語に近いよね

にゃんこさん、太田道灌を導く

2010年02月26日 00:08

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 13:26:44 ID:inEfsfs/
関東では超メジャー武将の太田道灌。
多数残る逸話からは才能をひけらかし、しかも結果を残してしまう有言実行のヤな奴という印象ですが……


ある時、道灌の娘が疱瘡の病にかかった。
「ね、ねぇ、大丈夫? 苦しくない? パパに何か出来る事ない?」
可愛い娘の為に、わざわざ京都から疱瘡に霊験があるという一口稲荷を勧請して江戸城内に祭った。
現在の太田姫稲荷神社である。


ある時、道灌の妻が男の子を産んだ。
「よぉし! パパ、息子の為に頑張っちゃうぞっ!」
可愛い息子の武運長久を願って八幡神社を建てた。
現在の誕生八幡神社である。


ある時、江古田原で豊島泰経と戦をした。
散々に追い散らされ、道灌は自軍とはぐれて一人、道に迷ってしまった。
と、目を巡らせたその先に……
「にゃ~ん」
「ねこ~~(はぁと)」
もう回りは見えていない。既にココが戦場であるコトすら忘れてしまったようだ。
「ねこさん~~もふもふさせて~~」
猫の方は鎧武者に抱っこなんかされたくない。当然逃げる。目をハートにして追う道灌。
猫が飼われていた寺に逃げ込んだ時、ようやく道灌はココがどこだか気がついた。
自分の位置さえ判れば軍勢と合流するのも簡単だった。
「殿! ご無事でしたかっ」
「う、うむ。そこの寺の猫が道に迷った私を皆の元まで導いてくれたのじゃ。これは仏の導きに間違いない。
この戦、勝ったぞ!(もふもふしたかったのに……)」
「おぉ~~~!!」
士気の上がった太田軍は見事逆転勝利を収め、豊島氏を滅ぼした後、その寺に地蔵堂を寄進した。
現在の自性院の猫地蔵である。


敵にも上司にも厳しかったが、子供と動物には弱かった太田道灌である。





187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 15:41:41 ID:VOkMJT4d
ちょwww
我が子の幸福を願って神社建てまくるのはともかく
仮にも戦場でしかも敗走中なのに
もふもふを追いかけるなんて何と暢気なwww
だが、気持ちはわかる!

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:01:26 ID:u+QR3Z/P
竹を求める数寄者が居るのだから猫を求める好き者が居ても見事だと感心はするが少しもおかしくない。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:29:01 ID:cES4Pvgc
戦場で竹を求めるのも猫を求めるのもどっちもおかしいとは思うが、だがそれがいい。

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:32:06 ID:rV8PAXOF
敵から逃げる中で、猫と追っかけっこをする人間がいてもいい。自由とはそういう事だ。

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 22:08:02 ID:3+qGwjnD
>>191
ロジャー乙

太田道灌、怠ける者に

2009年12月15日 00:11

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 23:06:06 ID:jmjGzSIi
太田道灌は自分の部下を厳しく訓練した。しかしその辛さゆえに怠ける者もいて、
そういう者は罰金を払わされた。

怠け者「どうもすいませんでした。罰金払うんで許してください」
道灌「おう、これからは気をつけな。よし、お前らこの金で飲みにでもいけ」
部下「ヤッタ━━(゚∀゚)━━━!!!!」

道灌は罰金をこのように部下たちに渡した。当の怠け者は同僚たちから仲間はずれ
にされて、罰金を払うのがばかばかしくなった。そういう経験をすると、怠け者は心を
入れ替えて怠けなくなったという。それこそが道灌の狙いであった。




121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:37:20 ID:MfEF4O0O
>>103
あの時代に飲み屋なんて存在したの?

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:53:14 ID:AFfL1kVq
えっ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:55:09 ID:2BcS9+mW
>>121
陣中へ酒を売りにくる人がいた。
冬の陣屏風にも描かれているよ

太田道灌、小机城の包囲にて

2009年09月21日 00:41

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 18:49:09 ID:qAAc0AnZ
文明10年(1478年)4月、太田道灌は武蔵国の小机城(神奈川県横浜市)を包囲した。
小机城は堅城として知られており、兵の中には不安を覚える者もいた。
これに対して道灌は、

「小机は先ず手習いのはじめにて、いろはにほへとちりぢりになる」

という戯れ歌を作って兵たちに歌わせた。
士気を鼓舞された兵たちは数十日の包囲の後、これを攻め落とした。

「太田家記」より。




642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 18:53:35 ID:YAGREETr
>>641
道灌の逸話はどれもこれも、嫌味なまでに学識や才覚をひけらかしている感じなのが面白い。
そりゃあ主君からも嫌われるよ、と思うw

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 18:53:45 ID:8Ipt9JHP
小机城って夜に行くと室町~戦国時代の人間とおぼしき幽霊が出る心霊スポットらしい

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 21:12:12 ID:X2vlmm8N
なんで歌を歌うと士気が上がるのか

645 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/20(日) 21:24:23 ID:AiBXE3/y
①歌に集中することで雑念が取り払われる
②皆で歌う事で連帯する
③声を出す事で生理的に云々

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 21:31:56 ID:u8hjKRpB
>>645
(4)合体したり必殺技が出せる

647 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/20(日) 21:50:31 ID:+bFPSVma
小机城心霊スポット化で思い出したが夏場江頭が八王子城跡に行った際写真にオーブが写ってたんだよな
その後に行ったホ○サウナの方が怖かったらしいが

チラ裏失礼

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 22:47:41 ID:xAt+xSOE
397 おさかなくわえた名無しさん 2008/12/28(日) 16:30:12 ID:iaslKt/j
武者鎧が好きで金貯めて買った。付属品含めて20万也
んで届いた日の夜にすぐ装備。カッコヨスw
装着具合を確かめるために散歩してたら悪ガキ連中がタムロしてるのに出くわした。
周りは元は城の鬱蒼とした森で外灯の下にぽつんと鎧武者一人。
悪ガキ連中ダッシュダッシュ猛ダッシュwww一人など腰砕けて匍匐前進w
雰囲気を出しつつゆっくりと腰砕けに近付くと小便漏らして気絶したw
その後、あの森には落ち武者が出ると噂になったのは言うまでもない
今は反省してる


太田道灌、夢見ヶ崎の由来

2009年07月19日 00:20

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 03:43:16 ID:PtjtOQSU
夢見ヶ崎の由来


夢見ヶ崎という地名の由来にはこんな伝承がある。
多摩川・鶴見川に挟まれ、かつ、鎌倉街道が近くにあり、築城に適した場所であった。
だが太田道灌がこの地に宿営した時「一羽の白い鷲が私の兜を掴んで
南西の地へ持っていってしまった」という夢を見た。
そして築城は断念、兜は南西の地に埋めたという。


ちなみ築城場所は、夢見ヶ崎動物公園の東端である。
猫といい、猿といい、動物絡みの逸話に事をかかさない道灌であった。




556 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/18(土) 03:56:54 ID:zGjCvrl0
>>554
盆踊りの唄になっているやつか 夢見ヶ崎音頭
現状も日吉の丘陵から独立した丘だから
物見にとか連絡用の拠点くらいあったんじゃね?

でも地元じゃ夢見ヶ崎は一般的じゃなくて加瀬山だ

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 06:15:14 ID:hNt/C3uu
>554
千代田の時は舟に魚が飛び込んできたんだっけか

558 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/18(土) 09:17:49 ID:iIsbKQxA
道灌さんは戦国のムツゴロウだな

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 10:23:21 ID:Rw284zyj
>>554のあとに>>557がおきて江戸築城となったらしい

561 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/18(土) 11:41:30 ID:PtjtOQSU
>>558
IDOLM@STERならぬアニマルマスターなんですね


564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 13:38:30 ID:18HQGyJN
>>558
>道灌さんは戦国のムツゴロウだな

そのくせ猿は虐待してるよな

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 13:47:03 ID:+5yJFJIb
エピソードも多くて名将とうたわれて知名度もある割に存在感の薄い道灌は俺の中で謎の人

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 14:03:14 ID:PtjtOQSU
>>564

>そのくせ猿は虐待してるよな

それベッキーじゃね?

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 14:25:11 ID:18HQGyJN
大友宗麟の大猿と立花道雪・いい話
これはベッキーが宗麟を諌めて猿をたたき殺す話で


謙信と大猿・いい話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%B8%AC%BF%AE%A4%C8%C2%E7%B1%EE%A1%A6%A4%A4%A4%A4%CF%C3
こっちが将軍の凶暴な猿を事前にしばいといて
いざ将軍がけしかけようとしたら猿がビビる話

これを秀吉の猿を政宗が事前にryというパターンもある
おそらくネタ元は足利義政の猿と道灌


太田道灌と猫の「玉ちゃん」

2009年07月17日 00:19

488 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/16(木) 15:52:39 ID:rC2bu+yi
太田道灌と猫


ある時道灌は戦に敗れた。
道を誤れば命を失う危険な時だった
そんな時、道灌の前に一匹の猫があらわれる。
猫は逃げ道の案内をし、道灌は無事江戸城まで逃げ切った。
その後道灌は猫を拾い、江戸城にて大変可愛がりその猫が亡くなった後拾った場所へ埋葬をし、
猫地蔵すなわち自性院をその猫のために作ったという。


自性院の伝承であるがその猫の名を「玉ちゃん」といわれている。





489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 15:57:02 ID:oPA+IwF9
俺の猫好き有名人リストに追加だ

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:04:02 ID:7lXbD3tL
動物好きは血か

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:25:27 ID:FHwXVtck
道灌「断然猫!猫かわいいよ猫。犬とかクセェんだよ!」
三楽斎「凛々しくて賢い犬に決まってんだろ!ちっとも懐かねぇ恩知らずなんざいらん!」

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 23:29:08 ID:tx6VVrf7
>>488
三斎「その猫の名は最高だな」

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 23:38:11 ID:BMTZY4ax
道灌を切り殺しかねない名前だよ

513 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/16(木) 23:44:16 ID:DU+zqu8e
>>512
石田三成「まったくだ。」


太田道灌と熱川温泉

2009年07月17日 00:18

492 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/16(木) 16:48:35 ID:rC2bu+yi
もう一つ太田道灌の動物に関わる話を


伊豆熱川の熱川温泉は室町時代まで「濁り川」と呼ばれ、人々に嫌われていた。
ある日巻狩りをしていた道灌は動物達が「濁り川」で傷を癒している所を見つけた。
道灌は動物達といっしょに「濁り川」に入った。
これが熱川温泉の始まりである。
伝説には道灌はここで江戸城の岩を切り出したという。




501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 18:26:27 ID:FHwXVtck
>>492
あれか?道灌は仙人かなんかか?

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:48:56 ID:v6KWETGI
康資「棒だよ棒!犬猫とか振り回しても刀槍に対抗できねぇだろJK!ヒャッハー」

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 20:31:14 ID:MZyQOcK1
>>492
動物といっしょに露天風呂は温泉好きの夢だよ。いいな。
毛だらけになりそうだけど。


太田道灌、簑を借りようとして

2009年07月02日 00:06

839 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/01(水) 01:47:01 ID:IFpwG1xF
太田道灌、簑を借りようとして。

梅雨に入り雨が多くなりましたが、傘がないと辛いねぇ。
ということで、太田道灌のお話。

太田道灌はあるとき埼玉県は越生というところを通っていた。
ところがここで、にわか雨となったが、こう言うときに限って簑を持っていなかった。
そこで、近くの民家に立ち寄って簑を借りようとした。

道灌「ワシは太田道灌という者じゃ、すまぬが雨が降ってきたので簑を借りたい。」
民家の娘「・・・・・・・」

娘つ山吹の花

道灌「・・・・いや、花じゃなくて簑を貸してくれぬか?」
娘「・・・・・」(まだ花を差し出す。)

道灌「・・・・・・・・Can You Understand My Japanese?」
娘「・・・・・・」(まだ花を差し出す。)

道灌「わしは、花などいらん!」

こうして、怒って出ていった道灌であったが、夜になり、この事を家臣に話した。
道灌「まったく持って無礼な話だ。簑が欲しいと言うに山吹の花しか出しはしない。」
家臣「あの~。殿。歌道は習いましたよね。」
道灌「お前こそ何言っている。わしはこれでも建長寺と足利学校を最優秀の成績で卒業しているんだぞ!」

家臣「殿。後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに
  
  【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】
 
   という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのでは
   ないでしょうか。というより、この歌知らなかったんですか?」
道灌「知らなかった・・・・orz」

こうして、思いっきり赤っ恥をかいてしまった太田道灌。
これ以降は歌道をみっちりと学んだとか。




840 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/01(水) 03:11:18 ID:JB9W750W
>>839
これが尾張から来た鬼武蔵ならばっさりやって"身の終わり"だったなw

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 07:58:50 ID:WXpmRQOM
とっさにそういう機転が利いた事をするってことは、その娘ってそれなりの教育を受けていたって事だよな

いくらなんでもその程度の教養が当たり前だったという事はないよな

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 09:43:50 ID:5HO7mOeP
回りくどくて相手を試すような断り方をするあたり、この娘は京の出身だな

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 11:27:07 ID:76VslmR9
もし実際にこういう事があったのだとしたら、

娘(ちょっと育ちのいいところを見せれば囲われて生活ウマーじゃね?)「・・・」
道灌「あんた何やってんの?」
娘「( Д )」

という内実でもないと納得できんなw

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 12:27:33 ID:iZXSrA9a
関東は人外のものがウロチョロしてるからなぁ。
鬼武蔵といえどどうなることか。

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 20:57:46 ID:1YntybIO
万葉集とかを読んでると、歌は現代よりもずっと民衆にとって親しいものだと思うけどね。
労働歌とか、お祭りの時の歌とか。