富田長繁の首

2012年10月08日 20:26

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 15:10:12.61 ID:9XAlQrLh
富田長繁の首


天正2年(1574年)2月18日、越前を混乱の渦に巻き込んだ富田長繁は越前一向一揆と戦う中で味方であったはずの
小林吉隆の裏切りによって背後から射たれ、落馬した所を小林に首を刎ねられ死亡した。

その長繁の首は2月19日に一揆方の大将の一人である杉浦玄当が陣を張る竜沢寺に持ち込まれて首実検が実施されたが、
杉浦は寡兵で大いに自軍を苦しめた大剛の士である長繁の首が怪しげな籠に入れられて持ち込まれた様を
敵ながら哀れに想い、涙を流したという。
(朝倉始末記)





824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 15:24:16.27 ID:ZSg3eexB
泣くほどヒドイ籠ってどんなだよ

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 16:33:33.18 ID:pRn0c3wm
誉れある人物の首を芋かなんかの籠で持ってこられたら、もうちょっと敬意はらってやれよって思うだろ

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 16:51:00.40 ID:HH1ODFgK
そういや首桶に行器が用いられたりもしてたけど今で言えばランチジャーに首入れてる様なのが何とも…

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 20:14:31.71 ID:XVcAgnk2
さしずめスーパーのビニール袋だろ

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 20:40:14.81 ID:8FoPvamC
袋だと潰れるからだろうな

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 21:30:38.99 ID:ew/eeaoK
敵将の首が収穫された南瓜のように籠に入って届いたのなら、
そりゃあ哀れなあまり涙も零れ落ちるて

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 21:36:03.55 ID:9B7fZFeA
敵将の首など野菜同然という武勇のほどを示してるんだよ!

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 21:49:40.24 ID:y4s9Q7IG
北斗の拳に例えるなら、死んだラオウが雑兵に首をヒャッハーされて、100均で売ってるポリバケツか
何かに入れて運ばれる様な物か・・・

うん、想像すると何だか切なくなってきた

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 21:59:02.87 ID:Y6abUE+g
「大将首は丁重に扱いなさい」って三斎様も言ってた!

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 22:58:54.45 ID:oezG5xZ/
吉田東洋の首は那須信吾の褌だぞ

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 23:24:28.81 ID:lnkGfLvg
籠に入れられて本陣まで配達されるのと、馬印みたく槍に刺されるのと
どっちがマシなんだろうか

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/08(月) 23:35:21.48 ID:IiltXzCR
籠といえば、吉良義央の首は途中でとられたらいけないからって、
行進するときは魚籠を首の代わりに掲げてたとかいう話が
魚籠(びく)と首(くび)だけに逆さまに掲げたんだろうな

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/09(火) 17:48:37.50 ID:6GR13FF1
>>833

たぶんそのあたりが龍馬暗殺の真相だろ。
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富田長繁の子孫のお話

2012年03月02日 21:50

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/01(木) 22:33:10.44 ID:Je+vkUy9
天保八年(1837年)、ある山腹に建つ古寺に一人の男が訪ねてきた。
男  「和尚、実は我が先祖が昔この寺であった戦において討ち死にを遂げておる。
    是非とも供養塔を建てたいのだが如何なものか?」
和尚 「そうでしたか。それでは早速、手筈を整える事と致しましょう。」
そうして建てられた石塚にはこのような碑文が掘られていた。

(意訳)富田長秀、享年二十四才、天正二年二月十四日、中道院に死す。法名「盛雄」。

この寺を訪ねてきた男とは某掲示板に於いて狂犬呼ばわりされている男から数えて
丁度、十代後の子孫を名乗る富田延美という人物、その人であった。
朝倉氏滅亡後、府中を有して越前の統治にあたった富田長繁が陣没してから264年後になって
長泉寺山の山腹に建てられた「富田の首塚」といわれるモノである。

だがこの碑文、色々とおかしな点が多い。まず長秀という名前であるが、
現存の古文書には何れも長繁と明記されており、先祖の名前が違うといったようにいきなりの怪しさ全開っぷり。
更に、長繁が亡くなった日は正確には天正二年二月十八日であり、中道院の堂内や境内で亡くなったのではなく、
長泉寺山頂に陣を構えようとして登頂の最中に配下の小林三郎次郎吉隆の手によって射殺されたのである。
それに加えて、事前に在ってしかるべき筈の法名を名付けたのはこの天保の時代の現住職・秀運であるといういい加減さ。

実はこの時代の系譜製作は出自を盛るのは当たり前、その土地のかっての有力者の子孫を自称する者も多く、
この富田延美という男もそういった類の人物ではなかったのではないかと郷土史研究家は見ているようだ。
勇猛果敢であり、若いながらも領民に慈愛を注ぎ、越前一国を手中に収めようとする野心家として
地元では名高い勇将にあやかろうとした男のちょっと悪い(怪しい)話。

PS.実は富田長繁の子孫の話がもう一つある。こちらの方は富田一族の本来の所領地であった越前坂井郡の兵庫村出身で
現在、福井市に於いて富田病院を経営しておられる子孫の方々である。この家に伝わるボロボロの過去帳には

府中龍門寺城主 當家元祖富田彌六朗長繁 龍閣寺殿圓月中正大居士

といった風に一国一城の主たる者に与えられる法名としては相応しいものが明記されているそうである。




218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/01(木) 22:57:56.23 ID:nPAQ7sAB
鬼武蔵「やっぱ医者がいいよな」

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/01(木) 23:16:05.59 ID:8RFg18Pz
子孫僭称が出てくるほどの人物とは
富田さんを見直し…やっぱいいか

220 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/03/01(木) 23:22:54.25 ID:wS4HIYG8
ふむ。

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/01(木) 23:34:40.10 ID:/Hb4Gsdi
ヒャッハーお手々を消毒だぁ~

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/01(木) 23:37:43.09 ID:GheMC7JU
なんでや!子孫はヒャッハーちゃうやろ!

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/01(木) 23:50:08.72 ID:GzdtWAoW
あんなの200年以上がろくに供養されてなかったのは良くないことが有りそう

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/01(木) 23:56:22.92 ID:Je+vkUy9
越前のマッド・ドッグの子孫に相応しいニックネームなら
クレイジー・ドクターかドクター・デスってところだな

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 06:32:47.98 ID:Hg2kjPhG
富田さんの死ぬ前の戦いは窮鼠猫を噛み殺すって感じ。

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 12:52:43.56 ID:TH/q56Sp
>>224 生死観のほうを受け継いでいれば怖いけど、
刀剣の技のほうを受け継いでいれば、「神のメス」とか地元では評判の医者かもしれないよ。

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 12:58:04.24 ID:90UfSsXL
患部の裏まで突き抜けるメスとかか

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 13:57:47.62 ID:qRXfO627
いまも営業してるんだろ?
さすがにそれ以上はやめておこうぜ


229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 15:11:27.96 ID:2mcsdl/m
太く短い人生を送ったえちぜの狂犬さん
一族の生き残りって事は信長の下にいた弟の子孫なのか?

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 15:15:25.64 ID:Ettz4vE6
>>228
この逸話と子孫の話は第二次世界大戦前に書かれた資料から引っ張り出してきたものなので
おそらくもう子孫の方が経営されてた病院はどうやら無くなっている模様(名称が変わっているのかも)
地元民じゃないんだが朝倉・若狭武田氏に興味があって調べていた中で見つけてきた話です


231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 15:39:22.43 ID:Ettz4vE6
>>229
富田家は1970年の信長に対する金ヶ崎追撃戦において
織田追討軍の第三陣に一千騎を率いて(追討軍総数は二万強程)
出陣するぐらいの武将だったみたいなので
越前国内にそれなりに一族はいたのではないかと思う
(朝倉一門を除けば家中第四番目ぐらいの陣容)
富田長繁に関しては朝倉家臣時代の事跡が不明すぎる

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 16:04:31.60 ID:fd6kDmRk
そりゃ若いからな、家督を継ぐ前の事績は残りにくい

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 16:04:35.66 ID:F8VxE6Os
富田は朝倉にとって黒歴史

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 18:31:45.98 ID:H+reGMuY
>>231
1970年って最近過ぎワロタ

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 19:14:31.84 ID:hJ6q94Zt
>>234
ベトナム戦争だったのか

236 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/03/02(金) 20:29:05.42 ID:JFo9OOPD
福井市に富田病院は無い


237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 21:36:24.61 ID:9ZBdD6yC
>>236
今はないみたいだけどこんなの見つけたよ

ttp://kotobank.jp/word/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E5%8D%83%E4%BB%A3

243 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/03/03(土) 06:16:11.30 ID:HXmG+Ion
>>231

へぇ~まだ生まれてないや~

富田長繁「俺はどういうふうに教えられてたんだ?アーン?」・雑談

2009年03月06日 00:23

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 07:31:20 ID:xHKh8TMe

その朝鮮出兵で思い出したけど、以前子供の授業参観に行ったとき、
秀吉は何の罪もない当時の朝鮮、中国に攻め込みたくさんの民衆を殺した
大悪人だと教えてた。自分の子供の頃は農民から関白まで成り上がった
英雄と習ったが時代が変わると認識も変わるんだな。



552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 13:57:28 ID:tyeiPUan
>>538
富田長繁「俺はどういうふうに教えられてたんだ?アーン?」




553 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/05(木) 14:42:09 ID:xoI2hM3t
>>552
ヒャッハー!w


555 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/05(木) 15:00:54 ID:Iw1NqHTK
>>552
安土桃山:狂犬
江戸  :狂犬
明治  :狂犬
大正  :狂犬
昭和  :狂犬
平成  :狂犬

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 15:06:52 ID:ZvcO+v+t
>>552
室町:狂犬
鎌倉:狂犬
平安:狂犬
奈良:狂犬
飛鳥:狂犬
古墳:狂犬
ローマ:狂犬


557 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/05(木) 15:16:49 ID:Iw1NqHTK
火の鳥「長繁よ。お前は死ぬのです。次に生まれ変わるのは狂犬です その次も狂犬に その次も狂犬に。
そしてその次も狂犬に… 絶対に常識人になることは事ありません。」

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 15:29:28 ID:ulSfYFW+
現世の長繁は亀田かな?

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 15:33:58 ID:OGL52My6
>>557
火の鳥すら殺し兼ねないのが長繁と鬼武蔵。

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 16:02:14 ID:Jiq1o78/
>>557
今日の運勢、よし!!!


コリ。コリ。クチャ、クチャ......

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 16:03:55 ID:A1XBdria
>>558
あんなビッグマウスじゃない

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 16:11:44 ID:ZvcO+v+t
喋る暇があったら襲っています。

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 16:40:58 ID:fdDCKIrX

それとお前ら、長繁馬鹿にするけどなあ、一応ちゃんと頑張って、
それなりの地位もぎ取った人なんだぞw

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 16:58:08 ID:Iw1NqHTK
鬼武蔵や、二代目鬼美濃。そして狂犬を殺した種子島の玉は
鉛じゃなくて、銀で出来てるに違いない。じゃなきゃ彼らが死ぬわけがない。

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 17:17:42 ID:JPEEqwTf
ランチェスター大聖堂の銀十字架をとかして作った、13mm爆裂鉄鋼弾ですか?

566 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/05(木) 17:24:58 ID:xoI2hM3t
>>555-557
とある神「俺、そんな漫画書きたくねぇ…orz」


567 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/05(木) 17:43:24 ID:/qtaVgO4
>>565
ランチェスター大聖堂の銀十字架をとかして作った13mm爆裂鉄鋼弾なのに
銀を鉄と火薬に変えられるの?
13mm銀の玉ではないのですか?
そもそも「ランチェスター大聖堂の銀十字架」とは?

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 18:19:00 ID:ulSfYFW+
マジレス禁止

そういえば富田長繁って、森長可との違い・雑談

2009年02月23日 00:27

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 18:04:44 ID:3oQeLn+J
そういえば富田長繁ってえらい既知らしいけど、あんまり話見ないよね。
どこらへんから拾ってこればいいのか

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:09:05 ID:9ojsOmZD
そりゃまあ一瞬の輝きでクローズアップされた人物だから探すの難しいだろうな
と無責任に言ってみる

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:11:50 ID:kQ49DU+M
長繁さんは逸話の一つ一つのインパクトが強すぎるんだよ

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:15:36 ID:nuDFPt3D
20過ぎでちょうど今頃亡くなったんだよな
本人満足だったんだろうか?

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:15:49 ID:UpH7Nnys
長繁さんの逸話に関しての資料は、「越州軍記(朝倉記)」くらいだろうね。


272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:22:56 ID:IaOWAuVg
若くして死んでるのにあれだけ逸話が多い鬼武蔵が異常なんだよw

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:37:49 ID:3oQeLn+J
>>271
ありがとう、探してみる

>>272
長可基準がいけなかったのか……

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:39:04 ID:YQeU/YDb
>>272
そりゃそうだろ
森長可は単独で戦死しただけ
森家としての参加陣営は勝ってるし家臣の大半は生き残ってる
お家が存続してるのも大きい
冨田長繁なんかは勢力として壊滅してるし一揆で資料も消失してる
歴史資料の消失という点においては一向一揆は間違いなく悪だからね
まあ、武勇伝と称して良いか微妙な話を残した森家の感性は素晴らしいwww

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:40:27 ID:TzRga0z/
小牧・長久手で主だった家臣誰も死んでないよな。

みーんな美濃に居残り。

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 19:45:59 ID:F6qZBSPB
東美濃は後方攪乱でちょっかい出される可能性結構ある土地だったからねぇ。

実際遠山家はじめ数人の城主は家康の元に逃げてたわけだし

富田長繁のいい話?

2009年02月12日 01:13

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 01:11:02 ID:U96lKoAB
>>516 
富田のいい逸話ねー
伊達に内通した親父に見せ付けるように奮戦、主君の命をってこれは違う富田だ

そうだなー、義景の命令で軍勢を率いてた時は、全然やる気なかった富田さん!
しかし織田軍に裏切った途端、超ノリノリで浅井朝倉の背後を突いて活躍しまくり、信長公にも褒められたよ!

更に彼の配下には長島戦で四方の敵を撃退しまくり大活躍した毛屋猪介、忠義者の増井甚内などがいたんだよ!
・・・実はそいつらがいない時のほうが強かったりするんだけどね!

えーっと富田がぶち切れたのは前波が、彼の与力の所領を削減するべし、と信長に進言した為という話を聞いたことがあるよ!
やたらめったら上昇志向の強い彼だけど、この話が本当なら意外と自分の部下のことは思いやってたのかもね!
なんか昔のヤンキーみたいな奴だね!
最後はその部下の一人に撃ち殺されるんだけどね!




572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 09:47:49 ID:5rz7oJ50
>>564

ヒャッハー富田様の両腕と頼んだ増井毛屋、富田長秀が呼び込んだ一揆衆に攻め頃されてるんだよな
でも数万に膨れ上がって制御不能な一揆勢に、残る自分の本隊だけ数百人で突撃して蹴散らしたんだっけ
一揆つってもまともな武士や、当たり前に武装し軍役に就いていた当時の民百姓が加わってんだから……


<余談>越前朝倉系には剣人冨田(戸田、外田?)の一族もいるけど、これはヒャッハー富田様とは別の家系

富田長繁の凶暴・悪い話

2009年02月06日 00:15

515 名前:若気の至り 1/2[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 13:51:14 ID:TosdXOMC
富田長繁の逸話はガイシュツだと思うが、断片的だったので改めて紹介。


若気の至り

富田長繁は、朝倉降将では2番目の古参に甘んじた。
1番目は僅か1日前に降伏した前波吉継である。
信長が朝倉氏を滅ぼすや、吉継は越前守護代・長繁は府中城主と大きく水を開け
られた。
先年の長島一揆戦で殿軍として目覚ましい活躍をした長繁は、『最高でも越前守
護、最低でも越前半国守護』の野望を持っていたから、当然に不満を持った。
長繁の野望に気付いた吉継(桂田長俊)は先手を打って、
『長繁の府中支配は信長様に無益です』
と訴訟に及び、両者の対立は時間の問題だった。

そして、長繁は1月20日に一揆を呼び込んで吉継ら前波一族を皆殺しにした。
『汚物は消毒だー』
吉継は奮戦するも、すでに失明しておりいかんともし難かった
勢いの止まらない一揆は、北ノ庄駐在の信長の代官を襲撃するも、朝倉景健らの
仲介でからくも代官を脱出させた。

次いで1月24日、長繁は魚住景固親子を朝食に誘い、魚住一族を皆殺しにした。
『汚物は消毒だー!』
魚住は仁者として有名な武将であり、『非道の限りを尽くした前波を滅ぼすのは
ともかく、ここまでひどいことをするのはあり得ない。魚住と協力すれば越前に
仁政を敷けたのに、長繁はいったい何を考えたんだか。』と批判された。

そんな批判はどこ吹く風と、長繁はかねての野望を実現するため、弟を質に差し
出し、『越前守護の朱印状』を信長に要求した。
長繁は朱印状を得たと吹聴したが、信長の越前支配体制を崩壊させた張本人に朱
印状を出すバカもいないであろう。

一方、長繁の無茶苦茶なやり方に賛同するものはおらず、長繁は越前で次第に孤
立した存在となる。
また、長繁が呼び込んだ一揆はもはや制御不能で、長繁の片腕たる増井・毛屋を
殺し、総勢14万の一揆は雪崩を打って長繁の居城に攻め込んだ。

516 名前:若気の至り 2/2[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 13:54:25 ID:TosdXOMC
長繁は
『敵は大軍だが、このまま一揆をのさばらせるのは無念だ。突撃開始!』と下知し、
僅か700騎で一揆の大軍に突撃し、見事撃退した。一揆は蠅の如く逃げたとある。

勢いに乗った長繁は、何をとち狂ったか友軍の朝倉景胤にも攻撃した。
その戦ぶりは、
『葉武者には目もくれず、まっしぐらに景胤の本陣目掛けて切りかかった。』とある。

2月18日、長繁は「敵」(本当は友軍の景胤勢)いる山上を再度攻撃した際に戦死した。
享年24才。味方の小林吉隆に背後から銃撃されたのである。
『汚物は消毒だー!』
『汚物はお前だろ、JK』
長繁が越前国を支配すること20日目のことであった。

『桂田と 富田二段の あらそいも 果ては鎌首にて 穂首切られぬ』
(桂田と富田という田んぼが支配者の地位を巡り争ったが、結局はよそ者の一揆
を呼び込み、一揆に田んぼの穂(支配者の地位)を刈り取られただけだ)
越前をカオスに巻き込んだ長繁について、このような狂歌が詠まれたという。

また越前の人は長繁をこう評した。
『長繁は古の樊膾のような古今無類の猛将だが、まずは鉾を縮め、武を隠して人の心を
捉えるべきであった。その逆を爆走した長繁は、まあ若気の至りなんだろうけどね。』
(越州軍記)




517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 14:10:01 ID:6nOcBL0q
正にとち狂ったんだなぁ・・・

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 14:34:11 ID:Equ4ipaM
まさかの今樊膾
戦だけしてりゃ普通以上の武将なのに・・・

信長公記だと越前再征に富田が軍を出したようにかかれてるけど、
参加したのは兄の暴走に付き合わされた哀れな弟だったのかもしれん

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 14:48:34 ID:G/2doOL7
>515-516
さすがナチュラルボーン・ヒャッハー富田様だぜ

ここまで理非分別の欠片もない生き様を見せつけられたら「いっそ清々しい」というか……
巻き込まれた越前の国人衆や富田の家臣同僚はたまったモンじゃないけどな(´Д`;)



520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 15:42:18 ID:TosdXOMC
長繁余話

信長は一揆に支配された越前に再度侵攻し、壮絶な虐殺・粛清をした。
また、長繁の暴走のとばっちりを食って落命した国人も多くいた。

そんな中、幸運にも難を逃れ大名(格)に出世した人物がいた。
朝倉在重:景鏡の弟。子が掛川26000石。
溝江長澄:長逸の子。小早川家で10000石。(いい話>>252の人)
山崎長徳:吉家の遠縁。前田家で14000石。

長繁さえ無茶しなきゃ、もっと遺臣は残ったろうに…



521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 16:06:17 ID:rsAtbLX7
景鏡系は生き残ってるんだなあ

>『敵は大軍だが、このまま一揆をのさばらせるのは無念だ。突撃開始!』
ここで死ねばまだ可愛げがあったのに…

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 17:35:14 ID:FDpoixQV
色々と評判の悪い景鏡だけど、
最後は僅か三騎で一揆勢に突っ込んで玉砕してるんだよな

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 18:36:53 ID:uU3HzoIf
まさに越前の狂犬

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 19:02:16 ID:33x2bLgY
ナイフみたいにとがっては触るもの皆傷つけた
あーあーわかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか

って感じだなw

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 19:25:34 ID:WOyhCWMV
>>516
わずか24歳でこれほど台風の目になれるのは相当非凡な人物
本人のベクトルがもう少し違った向きなら、
名将と呼ばれてただろうなと思うのは俺だけかい?

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 19:32:31 ID:uU3HzoIf
頭のネジが外れてたからこそ台風の目になりえたのかもしれんよ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 19:47:45 ID:Equ4ipaM

>>527
猛将ではあったがいかんせん頭が・・・
それでも、忠義の欠片でもあれば全く違ったんだろうな


530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 19:53:40 ID:o+1lSMKp
なんとなくなんだが、富田長繁は越前に領地を与えられるのでなく、
近江あたりで信長直属になっていればもう少しまっとうに生きていけた
のではないだろうか?

上からの手綱がなかったら、森武蔵も似たようなことやらかしてる
だろうと思うのは私だけ?

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 20:03:32 ID:Equ4ipaM
信長はある程度わかってて放置した感もあるからな
ここまで大きな事態を想定していたかはわからんが

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 20:03:42 ID:uU3HzoIf
流石の鬼武蔵も戦の最中に味方の武将の首を取ろうとはしてない。

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 20:07:29 ID:QB1NUDGU
朝倉は駿河大納言忠長付きで五万石改易後に旗本になったのと景鏡近親で徳川の郷士になった景高の系統が残ってたな。
郷士の方は清水か富士あたりの郷土史家の自費出版本が地元(静岡)の図書館にあったが面白かった。
子孫は会社経営が何人かと鈴与の重役がいたような。通字はちゃんとついてた。

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 21:02:43 ID:Bg2kqtaL
加藤智大みたいな奴だったんだろ。

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 21:07:33 ID:dYX7pPZe
むしろ駄目武将に描かれることが多い朝倉義景が富田をどうやって
使いこなしていたかが謎。

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 21:12:18 ID:FDpoixQV
富田がヒャッハー化したのは織田に降伏した後からだとか
周りから大人しいと思われていた人間がとんでもない犯罪を起こす的な

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 21:15:10 ID:uU3HzoIf
ちゃんと長島の戦での報酬を与えてたらその後どうなってたのかは気になる。

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 21:28:57 ID:Equ4ipaM
しかし長繁、下の者にはあまり厳しい人でもなかったらしい
乱暴狼藉禁止したり土民の話もちゃんと聞いたり(まあ支配の為なんだろうけど)

富田長繁と関わると不幸になる・悪い話

2009年02月05日 00:06

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 21:41:25 ID:0H3BXMm2
>>214 
富田長繁と関わると不幸になるみたい

以下例

朝倉義景:裏切られた
林新次郎:一緒に出撃したら死んだ
桂田長俊:一緒に裏切ったのにいつの間にか怨まれてた。殺された
魚住景固:飯食べに行ったら殺された
朝倉景綱:こいつの扇動した一揆に攻め立てられ行方不明になった
土橋信鏡:気付いたら周りの奴らが皆死んでた。自分も一揆に殺された
溝江長逸:追い詰められ一族まるまる自害
専修寺派:手を結んだ直後に死なれた上にそのせいで本願寺に襲撃された
府中町衆:こいつに味方したら周り全部敵になった。本願寺に味方したら織田軍に潰された
樋口直房:こいつの扇動した一揆のせいで失脚
鞍谷御所:府中に近かったせいか一揆に焼かれた



453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 21:47:52 ID:dFfTEDiv
歩くデスノートみたいな奴だなw>富田長繁

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 21:49:39 ID:FxJIM0Vb
東原亜希みたいな奴だな

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 21:53:24 ID:dinGHCZU
直接危害を加えてくるからなお最悪

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 23:15:52 ID:00tdK3tQ
>>452
自分は織田方に下って長島一向一揆征伐でも大活躍したっていうのに、
地元越前に戻った途端に一向一揆派を扇動して元同輩の朝倉家臣を襲わせるんだぜ…

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 23:28:53 ID:GqeoCi0e
>>471
敵の敵は味方だからね。
敵がいなくなったら元の味方も関係なく襲うだろうし・・・

富田長秀の暴走・悪い話

2008年12月27日 00:03

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 20:37:23 ID:F/ouuDU7
暴走

朝倉義景滅亡後、越前では前波吉継が権力を握った。信長より越前守護代に
命じられたのである。彼は名前も桂田長俊と改め、一乗谷を本拠とした。

これに反発したのは、富田長繁である。彼は前波からわずか一日遅れで織田軍に
寝返り、朝倉攻めでも粉骨砕身した。彼もまた、名乗りを富田長秀に改め、府中を
与えられそれなりに遇されていたが、前波との差がとにかく面白くなかった。

まもなく前波改め桂田長俊は眼を病み、瞬く間に失明してしまった。
これを好機と捉えた富田長秀は、越前国内の一揆をそそのかし、桂田の拠る一乗谷に
共同で攻め入った。失明のため満足に指揮も取れず桂田長俊は一族とともに滅亡した。
これが天正2年1月20日のこと。

それから4日後、1月24日。富田長秀はこれも義景滅亡時に織田に降った魚住景固
を朝食に誘った。魚住は次男彦四郎と共に赴いた。食事が終わり、酒を酌み交わした
ところで、今度は義景秘蔵の中村太刀をご覧に入れよう、といって奥へと案内する。
魚住が何の疑念も抱かず太刀を見に行くと、いきなり斬りかかり首を落としてしまった。
驚いた彦四郎が刀を抜きかけたが、これも斬殺。
翌日、鳥羽の魚住館に攻め寄せ、残る長男の彦三郎も滅ぼした。

わずかのうちに、義景の元重臣の家を二つも滅ぼしたのである。

富田長秀は、弟を岐阜へ人質に送り、信長から越前守護の朱印をもらったと吹聴したが、
嘘か真かはわからない。

富田長秀が魚住を殺した頃、一揆も他の旧朝倉家臣を個別に攻撃し始めた。
2月に入ると、一揆と富田長秀の手切れとなり、富田の与力である増井、毛屋の二人が
一揆に攻め殺された。
2月14日、ついに富田長秀と一揆の戦いが始まる。富田は敵陣に突っ込み大軍の一揆
勢を蹴散らしたが、何を思ったのか、近くの山で形勢を観望していた朝倉景健・景胤の
軍勢にも襲い掛かった。(もう誰が誰だかわからなくなったか?)

見る者全てを敵と看做し攻撃する富田に呆れ果てたか、富田陣中にいたこれも朝倉の降将
である小林吉隆がいきなり背後から鉄砲で富田を射殺、首を挙げた。

桂田長俊滅亡からわずか20日余、義景滅亡からおよそ半年。
越前を血に染めて太く短く生きた富田長秀、享年24歳。

鮮やか過ぎて、何かすかっとした感じがする生き様です。




680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 21:20:00 ID:pFD7Tabz
24歳!
しかし何というか戦国時代をよく表した青年だな。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 21:22:18 ID:STgjDXjG
ぜったいヒャッハーて叫びながら人を殺してたよなコイツ

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 21:49:34 ID:EMXcGv3w
実力あるキチガイはマジでタチが悪い…
好きな武将だけどw

小林吉隆は自らの卑怯な振る舞いを恥じてその後隠遁したんだっけ?
従ってるときはさぞや胃が痛かったろうなあ

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 21:59:49 ID:+SArt3TJ
もう少し長生きしたら四天王並みに逸話を残したかも知れんw

しかし義景の治世が続いてたら出世は出来なかったろうな

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/26(金) 22:56:47 ID:3PSCjPh1
主家滅亡直後に同じ主君を戴いた家臣同士で殺し合いか。
恐ろしいな。