475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 19:57:44.06 ID:bjO5ydSC
明智光秀の家臣であった天野源右衛門と言えば当時、名の知れた豪傑であった。
彼は本能寺の時、織田信長に槍を付けたとされたが、これにより豊臣秀吉から、
主君の敵であると大いに憎まれ、さしもの武名燦然たる勇者も逼塞の生活を余儀なくされていた。
そんな中関白豊臣秀次が、未だ三好治兵衛と称していた頃であったが、秀吉に許可をもらって
召抱えることとなった。
ある時の事、秀次が殿舎の建設をするとして、天野にも家人を召しだしてこの普請に当たらせよと
命じた。普請役というものである。天野は「承り候」と答えたものの、内心にこう思った
『私は国に大事のあった時、一方の先陣を駆けて敵を挫く事こそを仕事として、この人に仕えたのである。
普請などということをさせられるとは聞いていない!そのような作業は足軽などがするものではないか。」
そして屋敷に帰ると、すぐさま自分の士卒2,300人に弓鉄砲を持たせ、自分は槍を掴み、
その姿で普請場へと押しかけた!
この完全武装の集団を見た秀次は大いに驚き、
「天野は狂乱したのか!?どうしてこんな事をするのか、理由を聞いてこい!」
と、叫ぶと、側衆が出てそのとおりに天野に聞いた。これに天野曰く
「それはですな、私はここに家人を召し連れて来るようにとの御下知を受けました。
これはきっと、謀反人などがあって、それを討てという事があるのだと判断しました。
そのためこのように武装して馳せ参じたのです。」
秀次家臣の田中兵部はそれを聞くと大いに驚き
「そ、その様なことではない!急ぎの普請があるから家人を召し遣わし、この作業の功を励ませとの
仰せであったのだ!」
天野、この言葉にカラカラと大笑した
「私は、普請をするような家人は持ってはおらぬ!私は家人たちにいつも、槍を付き太刀を打つ業こそ
心掛けよと言っておるのだ!」
秀次はこの天野の言葉に激怒した
「このような傍若無人の行為を成すような者、頸を刎ね獄門に懸け。諸人に対する見せしめとせよ!」
そういって天野に対し討手を差し向けようとしているのを見て取った天野は、
「もはやこの様な暗君に仕えていかにするというのか」
と、直ぐ様その場より出奔した。
ちなみにこの天野の出奔がこのあと、
↓この話のように福島正則と立花宗茂を大いに対立させる事になる
福島正則と立花統虎(宗茂)、胃が痛くなりそうな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2654.html
そんな天野源右衛門、秀次家出奔の経緯である。
(陰徳太平記)
476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 21:35:29.70 ID:+5ZV8qHw
誰かと思ったが改名後の安田国継ね
478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 21:11:42.22 ID:xz19Y2AV
>>475
当時の価値観的には専門外の事をさせようとした秀次にも非はあるのかもしれんが
それに対して反論より先にこんな態度取っちゃうのはどうなのこれ
命じられたその場でハッキリ無理って言う方が男らしいと思うんだが
てか他の逸話も見たけどこいつ部下として滅茶苦茶使いづらそうな奴だなw
479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 21:18:41.11 ID:toLLw6L8
鬼武蔵のとこが一番あってた気が
480 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/18(火) 21:22:13.78 ID:wEtAUHrf
足軽がするものだと思うなら足軽を提供すればよかったのでは…
この時代は平時だと雇ってないのかな?
481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 23:32:31.21 ID:juvbnCgD
ていうか、重臣なら知行に応じて普請役を行うのは当たり前だろう。
本当なら所詮は葉武者だったってことだね。
482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 23:37:34.49 ID:Y7wJegr+
普請役って軍役だからなあ・・・
士卒2-300も支配していても気分は一騎駆けの猪武者か
483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 04:02:35.25 ID:0GaEnQMr
最後の寺沢さん以外、仕えた主があんまりいい死に方してないってなんだかなぁ…
484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 18:06:07.20 ID:XGxRcsUX
まあこういう連中も使いこなしてこそ、なんだろうけどね。
それにしても一応主君相手にどうなのそれ、という感じだなあ
485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 18:55:00.88 ID:jswBSx1i
>>481
市松さんちでの可児才蔵みたいに「少禄で構わないから普請免除ヨロ」なら角も立たなかったんだろうけどなあ
486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 21:06:41.65 ID:/8EH4R/P
>>485
しかしそれだと寄騎つけられないから実際少禄になっちゃいそうだなあ
最も戦以外のあらゆる役目を免除されたら意外とそれでも裕福に暮らせるのかもしれん
487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 23:14:55.41 ID:XGxRcsUX
「俺を妬む小人だらけの家中にいられるか!俺は下野させてもらう!」
ってなるだけな気も
488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 10:35:38.54 ID:t8Y1Nqsz
>>487
フラグっぽく感じるのはなぜだろう。
489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 11:02:12.15 ID:SHb5RPY5
三河武士だと家出しても結局戻ってくるイメージが
490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 11:36:01.00 ID:jFNwSsNH
>>487
下野した後、上野へ向かう…と見せかけて平野に改名
491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 11:36:35.24 ID:wUnYQsSP
家康が大大名になって最終的に天下を取ったからだろ。
滅んだり小大名で終わったりしてたら殆ど戻って来なかったと思うぞ。
492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 13:59:32.40 ID:/XjT+PGh
>>491
まぁそういう、勝ち馬に乗ろうとした奴もいただろうけど、一向一揆の時に一揆に参加して
終息後に降伏せずに一旦は出奔した連中とか、結局ほんの数年で帰参した奴も結構いた
当然、当時の家康は、天下どころかなんとか三河一国を平定っていう段階
たぶん、「どうせ降伏しても冷や飯喰わされるんだろ!」と思って出奔したものの、あとで
降伏組が意外に冷遇されてなかったりする様子を聞いて、「なんだ、じゃ帰ろ」ってことに
なったのではないかと
493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 14:37:30.40 ID:uiUVCiFl
>>492
おいおい、三河者の前でそんな事いったら
面倒くさい話になるぜ?
494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 15:16:58.50 ID:ufXKlLDX
>>492
つうか一揆側って次男坊以下や分家とかが多かったって昔の群像かなんかで書かれてるのを読んだ記憶があるんじゃが
明智光秀の家臣であった天野源右衛門と言えば当時、名の知れた豪傑であった。
彼は本能寺の時、織田信長に槍を付けたとされたが、これにより豊臣秀吉から、
主君の敵であると大いに憎まれ、さしもの武名燦然たる勇者も逼塞の生活を余儀なくされていた。
そんな中関白豊臣秀次が、未だ三好治兵衛と称していた頃であったが、秀吉に許可をもらって
召抱えることとなった。
ある時の事、秀次が殿舎の建設をするとして、天野にも家人を召しだしてこの普請に当たらせよと
命じた。普請役というものである。天野は「承り候」と答えたものの、内心にこう思った
『私は国に大事のあった時、一方の先陣を駆けて敵を挫く事こそを仕事として、この人に仕えたのである。
普請などということをさせられるとは聞いていない!そのような作業は足軽などがするものではないか。」
そして屋敷に帰ると、すぐさま自分の士卒2,300人に弓鉄砲を持たせ、自分は槍を掴み、
その姿で普請場へと押しかけた!
この完全武装の集団を見た秀次は大いに驚き、
「天野は狂乱したのか!?どうしてこんな事をするのか、理由を聞いてこい!」
と、叫ぶと、側衆が出てそのとおりに天野に聞いた。これに天野曰く
「それはですな、私はここに家人を召し連れて来るようにとの御下知を受けました。
これはきっと、謀反人などがあって、それを討てという事があるのだと判断しました。
そのためこのように武装して馳せ参じたのです。」
秀次家臣の田中兵部はそれを聞くと大いに驚き
「そ、その様なことではない!急ぎの普請があるから家人を召し遣わし、この作業の功を励ませとの
仰せであったのだ!」
天野、この言葉にカラカラと大笑した
「私は、普請をするような家人は持ってはおらぬ!私は家人たちにいつも、槍を付き太刀を打つ業こそ
心掛けよと言っておるのだ!」
秀次はこの天野の言葉に激怒した
「このような傍若無人の行為を成すような者、頸を刎ね獄門に懸け。諸人に対する見せしめとせよ!」
そういって天野に対し討手を差し向けようとしているのを見て取った天野は、
「もはやこの様な暗君に仕えていかにするというのか」
と、直ぐ様その場より出奔した。
ちなみにこの天野の出奔がこのあと、
↓この話のように福島正則と立花宗茂を大いに対立させる事になる
福島正則と立花統虎(宗茂)、胃が痛くなりそうな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2654.html
そんな天野源右衛門、秀次家出奔の経緯である。
(陰徳太平記)
476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 21:35:29.70 ID:+5ZV8qHw
誰かと思ったが改名後の安田国継ね
478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 21:11:42.22 ID:xz19Y2AV
>>475
当時の価値観的には専門外の事をさせようとした秀次にも非はあるのかもしれんが
それに対して反論より先にこんな態度取っちゃうのはどうなのこれ
命じられたその場でハッキリ無理って言う方が男らしいと思うんだが
てか他の逸話も見たけどこいつ部下として滅茶苦茶使いづらそうな奴だなw
479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 21:18:41.11 ID:toLLw6L8
鬼武蔵のとこが一番あってた気が
480 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/18(火) 21:22:13.78 ID:wEtAUHrf
足軽がするものだと思うなら足軽を提供すればよかったのでは…
この時代は平時だと雇ってないのかな?
481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 23:32:31.21 ID:juvbnCgD
ていうか、重臣なら知行に応じて普請役を行うのは当たり前だろう。
本当なら所詮は葉武者だったってことだね。
482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/18(火) 23:37:34.49 ID:Y7wJegr+
普請役って軍役だからなあ・・・
士卒2-300も支配していても気分は一騎駆けの猪武者か
483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 04:02:35.25 ID:0GaEnQMr
最後の寺沢さん以外、仕えた主があんまりいい死に方してないってなんだかなぁ…
484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 18:06:07.20 ID:XGxRcsUX
まあこういう連中も使いこなしてこそ、なんだろうけどね。
それにしても一応主君相手にどうなのそれ、という感じだなあ
485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 18:55:00.88 ID:jswBSx1i
>>481
市松さんちでの可児才蔵みたいに「少禄で構わないから普請免除ヨロ」なら角も立たなかったんだろうけどなあ
486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 21:06:41.65 ID:/8EH4R/P
>>485
しかしそれだと寄騎つけられないから実際少禄になっちゃいそうだなあ
最も戦以外のあらゆる役目を免除されたら意外とそれでも裕福に暮らせるのかもしれん
487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/19(水) 23:14:55.41 ID:XGxRcsUX
「俺を妬む小人だらけの家中にいられるか!俺は下野させてもらう!」
ってなるだけな気も
488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 10:35:38.54 ID:t8Y1Nqsz
>>487
フラグっぽく感じるのはなぜだろう。
489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 11:02:12.15 ID:SHb5RPY5
三河武士だと家出しても結局戻ってくるイメージが
490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 11:36:01.00 ID:jFNwSsNH
>>487
下野した後、上野へ向かう…と見せかけて平野に改名
491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 11:36:35.24 ID:wUnYQsSP
家康が大大名になって最終的に天下を取ったからだろ。
滅んだり小大名で終わったりしてたら殆ど戻って来なかったと思うぞ。
492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 13:59:32.40 ID:/XjT+PGh
>>491
まぁそういう、勝ち馬に乗ろうとした奴もいただろうけど、一向一揆の時に一揆に参加して
終息後に降伏せずに一旦は出奔した連中とか、結局ほんの数年で帰参した奴も結構いた
当然、当時の家康は、天下どころかなんとか三河一国を平定っていう段階
たぶん、「どうせ降伏しても冷や飯喰わされるんだろ!」と思って出奔したものの、あとで
降伏組が意外に冷遇されてなかったりする様子を聞いて、「なんだ、じゃ帰ろ」ってことに
なったのではないかと
493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 14:37:30.40 ID:uiUVCiFl
>>492
おいおい、三河者の前でそんな事いったら
面倒くさい話になるぜ?
494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/20(木) 15:16:58.50 ID:ufXKlLDX
>>492
つうか一揆側って次男坊以下や分家とかが多かったって昔の群像かなんかで書かれてるのを読んだ記憶があるんじゃが
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