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茂木山城の下知

2009年09月09日 00:05

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 13:30:51 ID:ZRgqCN4y
下野国、茂木を領していた茂木山城と言うものは、佐竹に属していたのだが、
朝鮮征伐で佐竹家が西国に下ると言うとき、この茂木が人数の手配をすることになった。
どうも茂木さん、この仕事に必要以上に張り切ったらしい。
主君からの直々の命令であるのをいいことに、家中の面々に上から指示を出しまくったようだ。

そのようにして、屋敷に集まった佐竹家中の面々に茂木さん

「はい、おのおの方!まず家老の皆さんは縁側に残って、それ以外の者は
縁の下に下りるように!」

ところがこの茂木の言葉を、誰一人承知しない

「茂木殿、そなたは家老で無いのに、何故縁の上にいる?」

「いや?私はそなた達に下知をする立場であって…」

「人に下知するときは、先ず自分から率先すべきであろう!」

こう言われて茂木さん、あわててしたに下りたそうだ。

『人に命令を下すときは、自分を慎まなくてはならない、と言うことだ。』
この逸話は、そのような言葉で締められている。





164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 13:41:19 ID:rEpk25ro
こういう奴は現代でもいるな…
分別とか面子ってもん考えないと駄目だよね

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 13:53:34 ID:pwrSTKXa
上手く使う人は年上の部下とかでも面子潰さないようにやってるもんね

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 16:34:51 ID:zIaikIjd
石田治部「うむ」

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 17:07:39 ID:aKs8mu5z
命令するだけなら子供でもできるからな。
たとえ後輩や部下であろうとも、ちゃんと動くように差配しないと
命令、監督する任務を遂行したとは言えないよな。
・・・と、それが出来ずに他部署に飛ばされた2つ前の
オレのバカ上司に言ってやりたいなwww

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 17:16:48 ID:CHKnariE
軍人は4つに分類される。 (ハンス・フォン・ゼークト)

1: 有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。
  理由は主に二通りあり、1つは、怠け者であるために部下の力を遺憾なく発揮させるため。
  そして、どうすれば自分が、さらには部隊が楽に勝利できるかを考えるためである。

2: 有能な働き者。これは参謀に向いている。
  理由は勤勉であるために自ら考え、また実行しようとするので、
  部下を率いるよりは参謀として司令官を補佐する方が良いからである。
  また、あらゆる下準備を施すためでもある。

3: 無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。
  理由は自ら考え動こうとしないので、参謀や上官の命令どおりに動くためである。

4: 無能な働き者。これは処刑するしかない。
  理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、
  更なる間違いを引き起こすためである。

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 18:03:19 ID:UJF+lhUg
ゼークトはそんなこと言わない

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 19:47:30 ID:lQVD1p8X
>>169
かってにゼークトの名前が使われてるだけらしいね

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 20:17:50 ID:M4pLn4Hs
>>172
そういえば例のメッケルの、「関ヶ原の布陣は西軍必勝」ってのも。
勝手にメッケルの名前が使われているだけだとか。

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 20:56:11 ID:Q8F5mBPs
あの布陣図では戦意とか寝返りとかまでわからんし
そりゃ額面どおり受け取れば西軍の勝ちだと思うだろうて。

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 21:14:28 ID:M4pLn4Hs
>>174
いや、実際にメッケルがそんなことを言ったって記録は一切無いんだと。

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 21:50:26 ID:/1R46H7d
メッケルか誰だか知らんが、明治の頃ドイツから招かれた教官が
関ヶ原の布陣図を見て云々は司馬だけじゃなく海音寺も書いてたし
「実際にメッケルがそんなことを言ったって記録は一切無い」つうのは対抗神話じゃね

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 22:13:47 ID:M4pLn4Hs
>>176
まあその、メッケルなり外国人教官なりが、「西軍必勝」って言ったって証拠も、当時の生徒の証言も、
どこをどう辿っていっても存在しないのだそうで。

おそらくメッケルの後に、陸軍学校の中で形成された話らしい。
多分関ヶ原に関する授業で講師が、自分の授業の権威付けにメッケルの名前を
出したんじゃないかとか。

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 22:16:27 ID:XknSAxd+
アインシュタインの日本人に関する発言とか、
マッカーサーのエダジマに関する発言みたいなもんか。

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 23:55:56 ID:7v0ptK8J
>アインシュタインの日本人に関する発言

あれは別のアインシュタイン博士という
まぎらわしい人間の発言が混同されたらしい。


佐竹義宣、ぶっちゃける(上)(下)

2009年08月31日 00:21

802 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 16:45:18 ID:EkgtkTsQ
佐竹義宣、ぶっちゃける(上)

上杉景勝・伊達政宗そして佐竹義宣が江戸城中で将軍秀忠の饗応を受けた時、
三人に秀忠が聞いた。
「御身らは武の名門として名高いが、半生のうち己の満足の行く戦はあったかな?」

これに政宗が答えた。
「私は天正の郡山合戦こそ、誇るに足る戦と思っております。
私はまだ若く、手勢も少ないものでしたが、佐竹親子・蘆名氏を始め、相馬・石川に
白河結城と、諸族の大軍を相手にして大いに戦いました。縁戚の岩城常隆の調停により、
やっと和睦を結んだものです。」



「心外だ!言い過ぎだ!!
だいたい、あの時に政宗を討つのは簡単だったが、カーチャン(輝宗妹)がオヤジに必死で
頼むから手加減してやったんじゃねーか!
和睦で命拾いしたのは政宗の方だぞ?!それが何でアイツの武勇伝になる!?」

殿中では黙って聞いていた義宣は、自邸に帰るとそう言って激怒したという。

803 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 16:46:02 ID:EkgtkTsQ
佐竹義宣、ぶっちゃける(下)

寛永三年(1626)、将軍家光に従い上洛した佐竹義宣に、京・四条の宿舎で
家老の梅津憲忠が尋ねた。
「幕府の権勢も、今や大したものですなぁ!いやしかし、この幕府を創った家康と
秀吉、そして信長を大将として、対等の軍勢で平地で会戦すれば、誰が勝つでしょう?
いずれも天下を取るほどの人物、その駆け引きたるや、見ものでしょうなぁ!」

これに義宣は冷静に答えた。
「お前はアホか。勝敗なんぞ議論するまでもないわ、秀吉は信長を上回れぬし、家康は
秀吉を上回れんよ。

手が届く所に『天下』があれば、義理や名聞を置いても奪おうってのが人情だ。
信長が生きてるうちに、秀吉が天下を取った時の権勢を持っていれば、謀反を起こしてた
だろう。それだけの力が無かったからこそ、黙ってただけさ。

その証拠に、秀吉は岐阜中納言(織田秀信)を主君とは仰がなかったし、家康は秀頼を
……って、他人の目のある所で変な事聞くな!噂になっちまうだろ!」

で、義宣の危惧通り、御用商人の大嶋宗喜が聞いており、翌日には京洛中で
「まぁ、正論だけどさぁ……」と、噂になっていたとさ。





804 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:12:45 ID:UgFYLiT9
・・・・コント?

805 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:25:16 ID:kE7GZ24K
>>803
IF歴史を根本から否定するような正論(´・ω・`)

806 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:36:50 ID:Kfv+Or5x
おもしれえなあw

807 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:39:18 ID:dnKN7ZfH
義宣はいろいろストレス溜まってそうだな…w

808 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 17:50:13 ID:Z3I3oOhf
逸話を書き残した人って、絶対政宗と義宣のからみを面白いと思ってる節がある

809 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 18:53:44 ID:E+fPW/lf
>>803
その話の出典教えてください。

810 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 19:27:47 ID:EkgtkTsQ
>>809
web版国立国会図書館の「秋藩温古談」。江戸中期までの佐竹家歴代の逸話集。
正直、我流現代訳等アリ。スマソ

811 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 19:44:53 ID:dnKN7ZfH
>>810
>>809じゃないけど読んでみたくなった。サンクス

812 名前:809[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 20:21:24 ID:E+fPW/lf
>>810
ありがとう。
この逸話は鈴木眞哉の「戦国武将 人気のウラ事情」にあったが
鈴木も出典分からないと言ってたので出典知りたかったのよ。

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 21:15:49 ID:EWG63z1k
いつもながらこのスレの住人のレベルはすごいな。感心する。


佐竹義宣家臣、大塚権之助

2009年08月15日 06:46

387 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 19:05:03 ID:phRjGF87
常陸を没収された佐竹義宣主従が、秋田へ向かう道中のこと
山形の手前まで至ったところで、一行に緊張が走った
山形城主の最上義光が、出迎えと称して多勢を引き連れて出張ってきているという
言うまでもなく、義光は生粋の徳川派大名で、今回の戦役の勝ち組である
「まさか家康から指図を受けて、我らを…?」
佐竹一行が疑心暗鬼に陥ったのも無理はなかった
やがて、義光は手勢は後方に待機させ、単騎で待っているという知らせが入る
ようやく一同は安心し、義宣も単騎で赴こうとした

そこで一人、どうしてもお供をと名乗り出た武将がいた
東家佐竹義久の末弟、大塚権之助という男である
義宣は権之助を連れ、義光と対面する
「今回せっかく隣国にお越しになるんですから、今後は気安く相談などしましょう」
義光はいたって丁寧な態度で、互いに挨拶などして別れた

行列に戻ってから、ある者が権之助に供を申し出た理由を尋ねた
彼はこう放言した
「いやいや、義光は信用し切れん。もし何かやらかせば、おれが直ちに討ち取ってやるつもりであったわ」
このように、権之助は不敵で武勇を誇る男だったという

388 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 19:05:46 ID:phRjGF87
と、ここで終われば、義光が信用されなかった悪い話だが、続きがある

秋田に移った後、権之助は領国南部の横手城に配属された
ところが何のトラブルがあったか、舅方が彼に無断で妻を実家に引き取ってしまう
怒った権之助、妻の実家に押し入り、舅らを斬殺した挙句、自宅に立て篭もるという事件を起こした
横手城代の須田美濃がすぐさま出兵し、大塚宅を攻撃、権之助は討ち取られた

久保田でこの報告を受けた義宣は嘆息した
「あやつは側近くにおけば、必ず何か不届きな失態をするだろうと思っていた
いざという時に役立つ男と見込んだからこそ、横手に置いていたのだが…」

性格が限りなく悪い方に出てしまった勇者のお話




389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 19:14:01 ID:/Er+7Lu1
舅が妻を勝手に引き取るってのは一族間で紛争があったっぽいなあ。
その上でメンツ潰されてぶち切れたか。

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/14(金) 20:19:26 ID:rozYoi7H
見方変えると、一人で出迎えた義光の勇気大度に対して、護衛を連れて行った義宣。

主君の外聞をつぶした悪い話にもなるわな。


佐竹義宣家臣、渋江内膳の紛争収拾

2009年07月21日 00:11

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 14:38:21 ID:dBln72To
>>631
ただまあ、こんな話もあるので一概には…

義宣の側近に、梅津半右衛門憲忠という人がいた
特徴的な髭面で、勇猛な性格だった
ある日、憲忠は気晴らしに、久保田に程近い荒屋まで鉄砲撃ちに出かけた
後に佐竹領となるが、この当時、荒屋はまだ天領である
ところが憲忠は無断で狩りを行っており、間もなく地元の百姓らに見つかった
百姓らは憲忠を不審人物と判断し、鉄砲を取り上げようとする
激しい口論となり、憲忠は百姓の一人を斬り、逃げた

久保田へ逃亡した憲忠は、同僚の渋江内膳にこれを告げ、自分は家に篭もった
内膳はすぐさま登城し、義宣に事の顛末を報告した
義宣は碁の最中で、話を聞いてあっさり「切腹」と沙汰する
が、内膳は猛然と反論した
「お家の柱石たる者の命をこうも簡単に決するとは…
 碁遊びなどしながら考えるからです!もっと真剣に考えてください!」

内膳は収拾に奔走する
まず憲忠を領国の南・横手へ赴任させ、さらに家中より髭面の男を集めた
そして、いよいよ荒屋から百姓側の使者がやってくる
彼らもさるもので、狼藉者の容貌から、容疑者が憲忠だということまで突き止めていた
これに内膳はぬけぬけと答えた
「ははあ、確かに家中には半右衛門という男はいます
 ですが彼は所用で横手におりまして、荒屋に行ったとは考えにくいですね
 それに、ほら、家中には髭の者はあのようにたくさんおりまして、髭面というだけでは…
 …いやいや、決してそちらの言い分を疑うわけではありません
 では目撃者を連れてきて、あの髭の者達と対面させましょう
 もし、人違いであれば、言いがかりをつけた百姓は 一 人 も 帰しませんがね」

荒屋の者達は恐怖し、結局うやむやにされてしまった
憲忠は後に、藩第一の重臣に上ることとなる

これ、内膳の機知を伝える逸話とされているのだ…




639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 14:55:56 ID:qstyH93J
酷えwwww
岩明均の漫画でもそういう性格ではあったなそういえば

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 15:20:09 ID:XrVA4Yzd
冤罪や微罪なら機知で有為の人物を救った美談になるんだろうが
理由が理由だけになあ

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 18:46:02 ID:ILXeDe9I
これって日記職人の梅津政景のお兄ちゃん?

646 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/20(月) 21:20:43 ID:TSNuHCMs
>>639
そういえば岩明均の佐竹の話は
単行本になっているのかね?

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 21:30:13 ID:9knQJ1wy
なってるよ
雪の峠・剣の舞
疋田・バッファローマン・文五郎の話とカップリング


佐竹義宣軍中、大塚九郎兵衛と郷田七右衛門「勇とはなにか」

2009年07月20日 00:09

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 00:40:30 ID:QGg9X0W5
勇とはなにか

天下を決する大坂の陣
大坂城を囲む佐竹義宣軍中に、大塚九郎兵衛と郷田七右衛門という二人の武士がいた

七右衛門は常日頃、「鬼七右衛門」と呼ばれていた男だった
気の荒さで知られ、往来で人を斬り、相手を己より弱しと見ればおおいにいたぶった
この戦の前にも、一つ事件を起こしている
九郎兵衛にからんだ七右衛門、あろうことか彼の頭を殴りつけたのだ
武士として、果し合いになっておかしくない暴挙
しかし、九郎兵衛はじっと耐え、臆病者呼ばわりされても沈黙した

やがて、合戦が始まると、九郎兵衛はおおいに奮戦し、武功を上げた
義宣より感状を賜った九郎兵衛、その足で七右衛門のもとへ赴いた
大坂で七右衛門の功は皆無だった
どころか、いつもの粗暴ぶりはどこへやら、まったくものの役に立たなかったのだ
九郎兵衛は言った
「かつてわしが恥を忍んだのは、こういう時にお上に命を捧げるためであったのだ
 そして今、こうして功を立て、感状を拝領することができた
 この感状にあやかるがいい」
九郎兵衛は感状をもって、七右衛門の頭をびしりとはたいた
鬼と呼ばれた七右衛門はうなだれ、頭を垂れて謝罪したという

家中の人々は日頃より、戦があれば七右衛門がまず功を立てるだろうと噂していた
この顛末を聞き、実に意外なことだと話し合ったという




590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 02:17:14 ID:g0HGeE2z
>>587
ああ、二次大戦で召集された兵達の話で
日頃威張り散らしていたやくざ者は戦場じゃ腰が抜けて全く役に立たなかったが
逆に普段目立たない様な大人しい青年が奮戦したっての聞いた事有るけど
それの戦国版か

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 04:31:49 ID:pfCmFPOt
>>587
http://www.youtube.com/watch?v=n5K7U-TFDY0&NR=1
普段威張り散らしていたり、弱い者いじめしているのは実戦で役に立たないよという映像。

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 09:57:28 ID:zR8ganXV
鬼武蔵「普段から謙虚でいられたので、武田攻めで様々な武功を上げられました。」

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 10:12:09 ID:jtErxj1F
>>592
あんたくらい、敵どころか味方の武将から露骨に嫌われていたって記録が残っている武将も
珍しいわw

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 10:34:05 ID:o1cZmqZB
>>590
古今東西、最強の兵士とは「友人思いの律義者」らしいしね。

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 10:35:50 ID:723/uEjn
>>594
昔外国でホモを集めて軍隊を作ったらえらい強かったと聞いたことがある


596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 10:40:22 ID:zyAzI/xI
テーバイの神聖隊か。

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 10:43:17 ID:TZphiPnX
>>595
映画「300」であれだけ強かったスパルタ軍も
史実ではあの後
テーバイのホモ集団「神聖隊」に負けたしな

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 10:59:41 ID:DGGHm5iE
ほもっふ!

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 11:03:30 ID:+smETeYv
打海文三の愚者と愚者シリーズでそういうのあったな
ゲイヒロイズムを掲げる黒の旅団というホモ集団がえらく強いという

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 11:28:56 ID:ua6rx5qG
>>587
カンシンの股くぐりだね

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 13:24:44 ID:ruGSBfw8
>>600
まさしくそうだね
もっとも、韓信ほどビッグにはならなかったみたいだけど…

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 13:34:57 ID:DGGHm5iE
>>587
これ後でわざわざ嫌味を言いに行く所からしていい話って言うより
最初はビビってたけどジャイアンの口だけ番長が露呈して立場逆転したってだけの話なんじゃないか

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 23:34:28 ID:3mZki8vB
>>590
それは、そういう話が珍しくて興味を惹くから語り草になってるだけで
ほとんどの場合、やくざ者は戦場でも荒々しく
大人しい人間は大人しいままが多いらしいぞ
ソースは坂井三郎の大空のサムライ

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 23:41:58 ID:jtErxj1F
>>623
「不良がたまにいい事をすると一気に根はいい奴に見られる」の逆パターンか。

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/19(日) 23:42:16 ID:C1swqCB/
>>623でも富田ヒャッハー長繁は朝倉の越前統治中おとなしい武将だったとか…

627 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/07/20(月) 06:31:37 ID:ScuR+UWe
>富田ヒャッハー長繁

朝っぱらから焼酎噴いた。



佐竹義宣、本当に夢で斬っちゃった話

2009年07月18日 00:09

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 22:01:36 ID:e5EQ/WR6
>>510を見て
本当に夢で斬っちゃった話

ある日、佐竹義宣はいつものように鍵をしっかりかけた寝室で眠っていた
義宣は夢を見た
なにやら化け物が現れ、脇差で斬りつけ、撃退する夢だった

さて、目を覚まし、枕元を見ると、血のりのべったりついた脇差が転がっている
しかし、部屋の中には何もいない
「おい!誰かある!」
義宣の指図で、徹底的に家捜しが行われた
すると、屋根裏で大猫が真っ二つに斬られ、息絶えていた

義宣はこの脇差をいたく気に入った
質素を好んだ義宣の脇差で、これも無銘で何の変哲もない脇差だったが
「御夢切」と名づけて特に守刀として伝えたという




542 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/17(金) 22:12:32 ID:MYo1lAWO
>>541
道灌「猫斬っちゃダメ-!」

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 22:12:35 ID:ujYIs1+O
猫好きの太田道灌さん、あいつやっつけて下さい

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 23:07:48 ID:iKsD+zqm
これは、義宣が寝ぼけて猫を斬ったのを、夢だったと勘違いしただけの話じゃ……

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 23:11:44 ID:RdF5zHav
突然道灌にキャラが立ったなww

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 23:13:15 ID:W9WWTROC
江戸初期までは猫でも犬でも牛でも馬でも(誤解を恐れずに言えば人間も)、日本人にとって
生き物を殺すのはかなり気軽な行為だった。

この意識を大転換させたのが「生類憐みの令」

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 01:01:01 ID:+5yJFJIb
幕末は試し切りするからびっこの犬が多かったとか

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 02:07:28 ID:hNt/C3uu
罪人で我慢しときゃいいのに

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 02:15:31 ID:PtjtOQSU
>>541
直茂「猫は退治しなければならない」

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 02:25:44 ID:HzZs/aiy
>>546
スレチになっちゃうけど、近年それで徳川綱吉の治世が再評価されつつあるね

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 02:36:06 ID:pnDa2wrh
>>551
現代の日本人が、極端な違和感を感じず生活できるのは、綱吉の治世くらいからでしょうね。

555 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/18(土) 03:43:38 ID:iIsbKQxA
>>553
現代人よりも現代の犬っころの方が違和感感じないかもな


佐竹義宣、父に白い鷹を献上した桐沢久右衛門を

2009年06月30日 00:04

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/29(月) 22:21:12 ID:B/99TFaR
佐竹家が秋田に移った後のこと

ご隠居の義重は六郷というところに住んでいた
ある日、その義重が所用で久保田城下に滞在した
義宣から、ご機嫌伺いの使者として、桐沢久右衛門という者が派遣された
近況など話すうちに、久右衛門から、義宣が見事な白鷹を手に入れたという話が出た

「ほう、わしはかつて常陸で百万石にも近い領地を治めたが、白い鷹は見たこともない
義宣は果報者のようだ」
義重は感心したように言った。この親子、相当の鷹狩好きである
それを知る久右衛門は、「では明日お借りして参りましょう」と約束した

そして翌日、久右衛門は鷹を借りると、再び義重を訪ねた
「ほう、これは見事…」
義重は鷹を腕に乗せ、眺めていたが、やがて目からはらはらと涙を流した
思わぬ反応に久右衛門は動揺し、つい「献上いたします」と言って鷹を置いて帰ってしまった

さて、当然ながら義宣は怒った
御前に呼び出された久右衛門がちらと伺うと、義宣の顔は憤激に染まっている
久右衛門、覚悟を決した
申し開きはせず、手討ちを望んで首を差し伸べた
義宣は上座からつくづくとその態度を見つめていたが、その場では何も沙汰せず、奥へと下がった

三日後、久右衛門へ改めて命が下った
久右衛門を勘定奉行に任ずるという、義宣の上意だった




908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/29(月) 22:27:15 ID:QQMmacwE
判らん
粛正してまで集権化を謀った義宣がなぜ久右衛門を許したんだ…

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/29(月) 22:32:17 ID:8iCyRCML
さすがに父に献上したからって手討ちにしたらまずいと気づいたんじゃないか。

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/29(月) 22:33:31 ID:E6IrYXBb
集権化の障害になるような大身じゃなかったんじゃない?
なんとなくただのDQNとは違うイメージがあるし

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/29(月) 22:37:48 ID:QQMmacwE
しかし三日後に勘定奉行にしてるんだぞ
…と思ったけど昇進なのかどうか判らんな

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/29(月) 22:47:29 ID:KCmaKrG7
オチがよくわからんね
正直者だから経理を任せるには適任って話?

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/29(月) 23:01:11 ID:B/99TFaR
こうとしか書いてないので、完全に想像だけど
そもそも義重が落涙したのは、常陸への憧憬と義宣政権への安堵と、
感情がないまぜになったからだろうと思う
すると義宣が怒ったのは、常陸を引きずる親父への苛立ちゆえじゃないかなーと
久右衛門の潔さを見て、義宣は自分の大人気なさを反省したんじゃなかろうか

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/29(月) 23:04:00 ID:pZAbnaCb
命にかかわるような事でも言い訳をしない=財政を預かる財務官を任せてもごまかしをしない、
って事なのでしょうね。

後細かいことを言うと、「勘定奉行」が成立したのは元禄期の幕府においてなので、
この時代は、財務担当官があったとしても呼び方は、「勘定方」でしょうね。
今の大河で兼続のお父さんが、「上杉家の勘定奉行」というありえない役職に付いてて
流石に驚いた覚えがあるw

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 00:06:23 ID:CfdrBoK8
こやつは嘘がつけんなと思ったのかも知れない

916 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/30(火) 00:55:58 ID:hIZX6h/D
>>914
あれは大臥ドラマといって大いに寝るためのドラマに御座いまする。

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 01:21:07 ID:HY2FH7E4
>>916
貴様、誰が上手い事を言えと言った!そこへ直れ!


佐竹義宣の寝方・いい話?

2009年05月24日 00:06

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 21:25:45 ID:zDUUw+63
佐竹義重との布団をめぐるやり取りが残る義宣
彼もまた、普通の寝方ではなかった

まず、眠る時は必ず義宣一人
寝室には内側から掛け金をかけ、朝になるまで側近も入れない
義重と同じく、寝る場所を毎日変えたなんて話もあったりする
しかし、家臣としては夜中でも用事はできるものだ
「殿、火事です!」「殿、早馬です!」
部屋の外で家臣が叫んでも、義宣は慌てて戸を開けたりしない
長刀の刃先で掛け金を外し、戸を引っ掛けてそろそろと開け、
その格好で用件を確認すると、ようやく外へ出てきたという

義宣の手先の器用n…じゃなく、用心のいい話




880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 21:29:39 ID:VgAOAPU2
>>878
単純に動くのがめんどくさかっただけじゃ無いかとも思えるなw

それにしても、そこまで警戒しないといけない生活だったのだねえ。
あれだけ各方面と戦いまくりだと、そうなるんだろうな。

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 21:37:20 ID:Hk6PwGyT
>>878
そーっと覗くと部屋一杯に・・・

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 22:12:43 ID:8AG7iaSg
夜這い対策という可能性も・・・

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 22:25:12 ID:LGvd0yaL
まあ権力確立するために重臣何人も殺してるからな
寝首を掻かれる心当たりはあったんでしょうなあ

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 23:11:07 ID:C/dVI1vW
スターリンも似たような逸話があるな
専制君主のプレッシャーは半端ないんだろう

佐竹義宣、殉死に付いて・いい話

2009年05月09日 03:17

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 20:56:39 ID:Xc0B0vFh
江戸屋敷で病となった佐竹義宣
死期を察し、秋田にいた家老・梅津政景に遺言を送った

「佐竹家は新羅三郎義光公より、義宣まで二十一代を数えるが、
先祖死去のみぎりに殉死などはしてこなかった。
これは当家の手柄だ。
当世は流行のようにして、主人が死ねば追い腹を切って手柄と思っているようだが
佐竹家では恥ずべきことだ。
万が一、自分が死んでも殉死などは無用。
これに背けば、お家の恥辱になると思え」

この頃、政景も病気がちであり、義宣は彼が早まった真似をしないか心配したらしい
義宣は1633年に江戸滞在のまま没した
政景は帰国した義宣の通夜を終えると、後を追うように病死した





407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 21:40:10 ID:dXN3JkOY
秋田出身の俺は佐竹の殿様の話は
涙無しでは読めない

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 21:48:41 ID:H0zhCEnm
秋田出身なら安東氏や小野寺氏にも優しくしてやれよ

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 22:58:02 ID:y+Q5sbCH
戸沢氏や浅利氏や由利十二頭にも涙してやれよ

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 23:01:42 ID:dXN3JkOY
サーセン

411 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/08(金) 23:16:11 ID:BPcbo5+t
佐た毛虫

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/09(土) 01:05:44 ID:w5uRA9fa
しかし江戸時代の佐竹家は人間門松やら金が無いのをぶっちゃけちゃったりやら

佐竹義宣、元和五年に参勤した際の記録、大名稼業も楽じゃ無い

2009年05月04日 00:02

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 18:54:09 ID:Lt8lpMGd
大名達の酒席の多さについては、まとめサイトにあるとおり
さて、彼らはこれ以外に茶会で付き合いをしなくてはならなかった
以下、佐竹義宣が元和五年に参勤した際の記録である

3月8日 数奇屋の料理屋を御成書院風に改築させるよう命令
3月10日 米津勘兵衛の数寄に出かける
3月11日 島田直時の数寄に出かける
3月12日 内藤正重の数寄に出かける
3月13日 今小路親清の数寄に出かける
3月14日 岡孝賀と朝会、ますや道句と昼会
3月16日 森川氏信と朝会、田代養元と昼会
3月18日 猪子一時と朝会、山名禅高と夜会、料理屋改築の入札
3月19日 島田利正に茶を振る舞う
3月20日 堀田若狭と朝会、土方雄重と夜会
3月・・・

とまあ、こんな調子で4月28日までほぼ毎日、どころか日に二度も茶会をやっていた
茶の相手は幕府要人や有力商人だけでなく、
丹羽長重、黒田長政、安藤重信、細川忠興、津軽信枚、相馬利胤ら大名もいて、
数寄は接待に必須の場だったらしい
お付き合いのいい話




229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 18:59:29 ID:LPdeCFYg
あんたも数奇ねえ

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 19:01:21 ID:kxuz9VOv
なんという過密日程

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 19:44:53 ID:kqhXMGFb
大名稼業も楽じゃねえな

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 19:48:05 ID:I84Q6hz/
家臣任せに出来ないし、大名本人の教養も問われるし
大変だな、こりゃ。

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 19:49:49 ID:I84Q6hz/
…と書いた端から思ったけど、茶会と聞いて
「望むところだ!」と張り切っちゃう大名も居たかもしれん。

234 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/03(日) 22:47:11 ID:dY8KohpT
現代社会も茶の湯接待が必要だな
茶道やってたけどあれって会話のきっかけがたくさんあるから楽なんだよな
花とか茶道具とか掛け軸とか
初対面でも会話に花が咲くんだよ

236 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/03(日) 23:02:15 ID:w2KXqfSu
見てるこっちの腹ががばがばになりそうだ。
…厠に閉じこもる大名が多かったのはそのせいか?


237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 23:06:36 ID:w9O7Bhja
>>236
ただ単に当時の食料が今のより消化し辛かっただけだと思うぞ

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 23:37:04 ID:iGzx9N7n
>>234
風流に取り入る術ってのがあったな
むっつりした人でも自分の趣味の話になると、口が軽くなるもんだから
趣味をもつことは重要だと

239 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/04(月) 01:30:40 ID:zw89xRT3
武闘派の武将だと、武士が茶の湯なんかにうつつ抜かしてどうするんだ?みたいな人もいる。
風流を嗜む武士も良いけど、あくまでも武骨な武士も格好いい。

律義者と二代目大御所の話

2009年04月29日 00:09

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 23:17:00 ID:RP0YfCYp
律義者と二代目大御所の話

最初の養子を廃嫡してしまった佐竹義宣
すでに五十七歳、急ぎ甥の岩城義隆を新たな世継ぎに仕立てようとした
頼ったのは、当時大御所となっていた徳川秀忠である

義宣「かくかくしかじか、というわけなんですが」
秀忠「佐竹家は旧家だし、親戚とか家来筋に、義宣がこれはって思う人がいるんじゃないの?」
義宣「いえ、みな非才で…義隆は御前で挨拶してますし、大御所様がご存知なだけでもマシかと…」
秀忠「律儀だねー、まあその辺は義宣の好きにしていいよー」
義宣「ありがとうございます」
秀忠「義宣はまだ若いから、これから子供できちゃうかもしれないけどね(・∀・)ニヤニヤ
   そうなっても、義宣の選んだ人が世継ぎなのは変わらないから」

妙に義宣に優しい秀忠であった





85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 23:20:25 ID:cLzxjDfQ
ってか名門には甘い気がする徳川幕府

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 23:25:07 ID:g1rIpQoV
「名門」って一朝一夕に作れないからね。
変に名門を潰すと、秩序体系そのものに影響を与えかねない。

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 23:30:39 ID:cLzxjDfQ
当時の名門は佐竹、、伊達、上杉、細川、島津辺りかな?
家格は何処が上なんだろ?

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 23:46:18 ID:NiqUqB5s
一番は佐竹では?
伊達、島津は家系が怪しいし

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 23:50:35 ID:cLzxjDfQ
まぁ確かなのは佐竹だけど当時どの程度真偽を疑問視されてたのかによるよな
徳川が源氏と言ってる建前もあるし
新羅三郎義光も源氏ではあるけどどっちかっていうと平家よりだよな

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 11:02:15 ID:Uuks431N
>>87河内源氏の出自なら小笠原、南部なんかもそうだっけ
大江広元の裔って毛利家に意外と甘いあたりも名門旧家マニアが故か?
なんだかんだ桓武平氏や田原藤太流もいたよな


あとは石高低くても高家の人とかね。小弓御所、陪臣だが平島公方あたりは
前の将軍・足利さんの親戚筋

吉良さんちは徳川に家系図を貸したんだっけ、よく覚えてないが新田義貞の末裔

逸話でなくてすまん

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 11:33:13 ID:nqOR1X53
日本史上で一番新しく氏族として認められたのって豊臣氏で当ってるよね?
まさか秀吉も二代で豊臣氏の栄華が終わるとは思わなかっただろうな・・・・
と思ったが五大老への遺書を見ると、豊臣氏の先行きに関してはけして楽観視してはいないな。

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 12:23:22 ID:ofVoG2N1
>>102
秀吉自身幼君を立てて権力を握っていったからな
この先どうなるか嫌っていうほどわかってるだろう

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 20:34:37 ID:2kFRY5vE
そういえば、島津って頼朝の子孫って設定になってんのねw

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 20:46:55 ID:u3/+4KUG
>>104
初代当主の忠久の生母は、頼朝の愛妾の丹後の局、
あの十字の紋も頼朝からもらったことになってる。
まあ、島津家の資料にしかない記載だからあくまで
そういう設定なだけかもしれないけど。

ちなみに丹後の局のお産を狐が助けたという言い伝えもあって
島津家では狐は大事にされたそうな。

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/29(水) 12:03:55 ID:9Wh5GN8d
>>106
そう言えば義久の兜の前立にちっちゃい狐ついてたっけな
島津家伝来の大鎧だったっけ?

狐の嫁入りとも言われる天気雨(狐雨)は島津家にとって吉兆の験だったらしーね
戦場では大いに士気があがったとか

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/29(水) 16:31:29 ID:VmuoeKUA
>>119
>狐の嫁入りとも言われる天気雨(狐雨)は島津家にとって吉兆の験だったらしーね
>戦場では大いに士気があがったとか
そうそう、島津雨って言うらしいです。

佐竹義宣と養子彦次郎義直・悪い話

2009年04月24日 00:18

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 01:55:08 ID:GAdZLziR
佐竹義宣には男子がいなかった
困った義宣は、末弟・申若丸を養子とし、跡継ぎに任じる
申若丸は元服し、彦次郎義直と名乗った
彦次郎は江戸に屋敷を与えられ、徳川秀忠や家光への拝謁もお膳立てされる
この時、彦次郎はいまだ十二歳
周囲によって、次期藩主の立場を着々と固められていった

が、彦次郎十五歳の時、事件は起こる
江戸城本丸にて能が催され、参勤中の諸大名が出席する場があった
江戸にいた義宣も当然、彦次郎を連れて登城した
よほど退屈だったのか、なんとこの能の席で彦次郎、居眠りした
しかもウトウトなんてレベルではなく、かなり見苦しかったらしい
隣に座っていた伊達政宗が見るに見かね、
「おい、アンタんとこの息子、寝てるぞ(,;●Д゚)」
と義宣の膝を揺すって知らせたほどだった

能見物から帰った義宣、ぶちキレた
「もともと物足りないやつだと思ってたが、もう見限ったわ…
彦次郎は秋田に戻れ!勘当じゃー!!」
激怒した義宣によって彦次郎は廃嫡、わずか二日後に江戸屋敷を叩き出される
秋田に到着すると即座に出家させられた

秋田での僧坊生活は針のむしろだったのだろう
二年後、彦次郎は高野山に行きたいので、援助して欲しいと佐竹家に申し込む
だが回答は、高野には行けばいい、だが援助は一切しない、という冷淡なものだった
これ以降、佐竹彦次郎義直の記録は絶える





883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 02:21:21 ID:LwluVos9
オゥ、ノー

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 02:43:00 ID:A/m7aaNG
よだれ垂らしてたのか?

津軽信枚と佐竹義宣・いい話

2009年02月11日 00:10

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 20:15:05 ID:0ZUMpstl
弘前藩を築いた津軽信枚と、久保田藩を築いた佐竹義宣の話

領域のはっきりしないまま秋田へ入った義宣、早速問題にぶち当たった
北で津軽家との国境争いが勃発したのだ
お家が不安定だった新米当主信枚、家中への手前、強気にならざるをえない
佐竹側も納得せず、結局は幕府の裁定に持ち込まれる
この間、津軽では「あの」福島正則が弘前移封と決定しかかったり、
まとめサイトにもあるアッー!騒動が起きたりと信枚には頭の痛い日々が続く
一方の秋田でも、一揆鎮圧やら重臣粛清やらで、義宣は悪戦苦闘していた

結果としては、義宣がほぼ信枚案を丸呑みする形で藩境が決着した
信枚は、祝意を示すべく義宣や重臣らに上等の鷹を進呈する

が、その直後、なんと信枚は義宣に借金の申し入れをした
大々的に弘前城普請をしていたのだが、それで上洛費用が工面できなくなったらしい
プライドを捨てて頼んできた信枚に、義宣はぽんと判金100枚を貸した

苦労人同士、なんか通じ合うところでもあったのかなあという話




546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 20:27:18 ID:GxKT8Htu
>>545
信之おにいにもそんな人が居れば……

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 20:55:09 ID:B1as/xXx
>>544
>真田信幸正室の小松殿(同年22歳)、立花宗茂正室のギン千代(同年26歳)

背後に忠勝と宗茂…

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 23:17:06 ID:E+jcsKNZ
>>545
リア充なのに魔法使い(ハタハタテイマー)と呼ばれた佐竹義宣

七将襲撃で五奉行辞退した(させられた)時の石田三成を佐和山まで送っていったり、
なんだかんだ義理堅くて親切な人だったのかねぇ……

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 00:03:45 ID:gQaF7kgd
>>555
家康のところに送り込んだのも佐竹義宣だったよね。

夜も更けて家康の屋敷に前触れなく訪れた佐竹義宣。

突然で悪いけどこれをお頼み申しますぞ、と言い残しそそくさと去る。
彼が置いて行った女物仕立ての駕籠から、石田三成がひょこりと出てくる、
というお話でしたね。

さすがの家康もびっくりしただろうね。

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 00:39:49 ID:i2ZrLl9v
>>559
まあ、最新の研究では、三成が逃げ込んだのはあくまで伏見の「三成の」屋敷で、
家康の屋敷に逃げ込んだわけではないそうな。

佐竹義宣、近世大名への脱皮・悪い話

2009年01月23日 00:07

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 01:48:22 ID:LwRJpofC
いい話で佐竹義宣が書かれていたので
佐竹義宣の陰の部分を・・・


まだ悪い話に書かれていなかった「川井事件」を
(漫画でも描かれているので有名だと思うが・・・)

関ヶ原の戦いの後、佐竹家は父祖伝来の地”常陸国”(現:茨城県)から
”羽後国”(現:秋田県)へと転封されることとなる。

戦国の世も終わり、武勇に勝る家臣よりも政治家タイプの家臣が求められる
時代へ・・・佐竹家中もそういった空気が漂いはじめていた。

義宣自身、一国も速く近世大名へと脱皮したいという思いと、いつまでも
父・義重を引き合いに出し意見する老臣達を煙たく思っていた。

事実として秋田入部後から渋江政光、梅津憲忠・政景兄弟等文治能力に
長けた家臣団が新領地の行政を取り仕切るようになっていた。
※渋江や梅津は譜代ではなく元は下野国の小山氏・宇都宮氏に仕えていた
 浪人だった。

これを快く思わない重臣・川井忠遠と他譜代家臣。
両者の対立が決定的となったのは家老・和田昭為の隠居
その空いた家老職に渋江政光を昇格させるという話が・・・

これに川井含めた譜代家臣達の不満が爆発。
川井忠遠・小泉籐四郎・野上刑部左衛門・小野玄蕃・大窪長介ら
5名の重臣が先頭に立ち、これに反対した。
彼らは渋江政光襲撃までも計画していたが、梅津達に悟られ
これを擁護した義宣に粛正された。
これが世に言う「川井事件」

この事件後、佐竹義宣政権は渋江・梅津等の若い家臣団で形成されて行き
近世大名へと脱皮することに成功するのであった。


同じ頃に食客(完全に家臣になっていた説もあり)だった梶原政景が
出奔し結城秀康へ仕官する。

梶原自身も若い頃から知勇でならした人間だっただけに近世大名へと
変わり行く佐竹家に自分の居場所がないことを悟り出奔したものと思える。




652 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/22(木) 02:00:49 ID:gMUqRO+Y
関ヶ原以後、徳川体制が安定していく過程で、どこの家でも旧来の有力家臣の
出奔って多くなるんだよね。

軍事体制から平和な統治の時代になって、やはり武士の世界にもものすごい変動があったんだろうな。

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 02:02:19 ID:9ZkNmjlN
梶原さんの動向を見ていると、あっさり北条に通じたり、織田信長の
勢威が関東まで及ぶようになってくると、直接織田と結ぼうとしたりと、
岩槻から追い出されてきたにもかかわらず、けっこういろいろやってるしな。

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 02:43:41 ID:zvl6SXFS
梶原景宗と紛らわしい。

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 18:58:32 ID:2Aqb2lEv
>>651
確か寄生獣描いてた人の漫画だよね。
あれ面白かったな~。

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 19:32:10 ID:+JUoPwmq
重臣の最後は泣けるな
関が原後、平和になってしまって自分の居場所を無くしてしまったから
大阪の陣や天草の乱で死に急ぎ次々殉死していった人が多かったのかもな

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 20:31:40 ID:2Qf56es9
そしてアレだけ切れ者の官僚が
よりにもよって大坂の陣で討ち死にしてしまうと言う皮肉。
そういう死に方したい人は他にいくらでもいたのにねえ。

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 21:02:33 ID:J0hqNgIF
なんで出陣させたんだろそもそも。
他に出たい奴はいくらでもいそうなものだが。

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 21:42:54 ID:4+OJzlVQ
家臣団の再編真っ只中で、義宣身辺しか外征させる余裕がなかったのかもな
川井は南陸奥の最前線・赤館城の城代や、湊城接収を担ったバリバリの武断派重臣
彼と一緒に粛清されたのも、たぶんそういう人達だろう

領地未確定のまま秋田入りした義宣にとって、検地と家臣団再編が最重要課題だった
初の秋田領検地ってのが、川井粛清と同時進行でなされてる
義宣の言葉
「とにかく秋田・仙北の検地をやらないと立ち行かない!
いくら身分が低い者だろうと、検地の才があれば水戸より連れてこなければならん」

川井ら武辺者にとって、居心地の悪い話

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 21:43:50 ID:+JUoPwmq
>>673
いくら武断派は処罰されたからって言ってもまだ不満に思ってる奴もいただろう
そういう奴に納得させるためにも家老として実戦を経験したことがあるという名分が欲しかったのかも試練

佐竹義宣と秋田・いい話

2009年01月22日 00:10

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 03:04:05 ID:yh7TawAE
佐竹義重は見るけど息子の義宣は見ないようなので

いい話?

「国の宝は山であり、山の衰えは国衰である」

佐竹義宣、渋江政光は秋田の山林保護に力を入れたみたい

雪深い秋田では、冬農民の仕事がないため、その雇用対策も兼ね、秋田炭の
生産に力を注いだ。

ここで面白いのは、藩士へは、無料で配っていたのではなく
製炭費に当たるお代を給与天引きしていた。
これによって、市場経済による値段に生活が脅かされることなく、
生活できるように配慮されていたとか

ただ、庶民には決して良い制度ではなく
勝手に炭を焼いたり利用すると死罪だったとか


他に佐竹義宣に関するものとしてこんな話がある。

秋田の名物に「ハタハタ」という魚

この魚はもともとは常陸の大洗沖に棲んでいたそうで関ヶ原の戦いの後,
全国の大名の改易が終わった後に佐竹義宣は常陸から秋田に転封されることになった
このときに「ハタハタ」も佐竹義宣を追って秋田に行ってしまい
以後常陸では獲れなくなったという

また,同様の話で、
佐竹義宣の時代には,多賀郡では良質の金銀が採掘出来た
ところが,義宣がいなくなってからは,金や銀が石灰岩に
変わってしまったという




542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 03:36:17 ID:Q+1l2Qmh
ホント戦国大名って大変だよな。政治経済戦争どれもできないといけないし。大統領より大変かな?

543 名前:530[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 03:38:01 ID:FPO8fAcL
> このときに「ハタハタ」も佐竹義宣を追って秋田に行ってしまい

> ところが,義宣がいなくなってからは,金や銀が石灰岩に
> 変わってしまったという

怪しい魔法使いか何かか義宣はw

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 04:22:31 ID:s6ga80K/
手で触れるとなんでも金に変わる王の話があったな・・

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 04:44:23 ID:iBdeWwDq
ミダス王だっけか…
ロバ耳にされたりと色々お騒がせな王さまだよね

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 10:12:24 ID:6QU3Iu7k
>>541 >>543
もう佐竹義宣がハマちゃん@釣りバカの人か何かに見えてしまうわ   w

義重=“鬼のような”スーさん…あ、あれ?


547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 12:21:06 ID:dL5uGMtY
>>542
よく考えるととんでもない職業のような気がしてきたw
しかもいつ戦死したり暗殺されるかわからないという・・・

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 12:25:56 ID:xdnm4cyk
厳しい環境のほうが優秀な人材が育つということですかね

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 12:30:26 ID:GOzc3Q4t
元就の厳しい教育
隆景の厳しい指導

結果:家臣の妻を側室にするお

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 12:37:28 ID:6QU3Iu7k
>549あ゛ー

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 21:32:31 ID:PxOoOb+x
>>541
美人もぜんぶごっそり持っていったから、常陸はブ*が多くて
秋田が美人だらけになったという話も聞いた。
まあ出羽は美人の名産地ともいうし、日照時間の関係だろうけどな>秋田美人

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 21:46:46 ID:D+Tz9XK4
秋田出身だが佐竹氏の秋田への馴染み方は異常

民謡で歌われている桧山納豆も佐竹氏が伝えたと言われてるし
ハタハタは方言でサタケウオなんて呼ばれてたりもするし(理由は>>541)
現秋田市長も佐竹氏の末裔だし(評判はともかく)
あまりに馴染みすぎているから
関ヶ原後に転封されてやってきたなんて全然知らなかった

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 21:57:25 ID:6QU3Iu7k
>>563
そののち、常陸国水戸では徳川光圀が~大日本史編纂のため~貸した重税で民百姓は悶え苦しんでますた

水戸黄門って、学問は奨励したけど……

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 21:59:30 ID:PxOoOb+x
>>564
水戸の家老は鮭の子孫なんだよな。
ちょっとは先祖の精神をまねて、殿様止めてくれればな…

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 22:17:41 ID:hrobwFUY
他にも雑賀孫一の子孫がいたり、尼子の末裔がいたり、何気に豪華な水戸家臣団
もっとも御三家全般に言えるけどな

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/22(木) 16:27:36 ID:KIUj8GGw
>>541
なんか福の神にしか見えなくなってきたので俺もw

岩手と秋田の境にも「駒ケ岳」ってがあるんだが、駒(馬)型の残雪が
頭を岩手側、お尻を秋田県側に向けてる。

すると、肥しは秋田に落ちるから「秋田の米は美味い」と言い伝えられているそう。

なんて話をバスガイドから聞いて変に納得してきましたw

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 02:37:13 ID:EUCMV51t
>>562
磯山さやかとか白石美帆とかタヌキ顔美人がいるじゃないか 茨城