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神流川の戦い一日目

2018年10月11日 13:08

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/11(木) 03:10:10.73 ID:CX/7Sqex
小田原では北条氏政父子が織田殿横死と聞いて大いに喜び、天運時至れりと大軍を催した。大手の大将・
新九郎氏直は富田・石神の方から軍を進め本庄に旗を立てた。御陣は左京大夫氏政3万余騎が松山筋より

武蔵吉見山・冑山辺りを本陣として先手は神奈川(神流川)・烏川辺りに軍を進める。父子は大手・搦手
に向かって総勢5万余騎が6月18日、本庄に着陣す。氏政の弟の武蔵小衾郡鉢形城主・北条安房守氏邦

は血気の若者であった。氏邦は「滝川勢は信長父子が横死して上方騒動の沙汰を聞き将卒とも心は臆して
はかばかしい合戦はできまい。上野・武蔵の輩は余儀なく滝川に一味するといえど真実身命にかえて働く

はずはない。一益は鬼神であるとも頼むところは手勢だけで何程のものか! 今追い討ちして高名せん!」
とその勢5千騎ほどが陣列を離れ馬を馳せたのだった。滝川一益は滝川彦四郎法忠(忠征)に2百余人を

添え厩橋城を守らせ、津田小平次長興・稲田九蔵に8千余兵を添え松枝城を守らせ、自身は1万8千余兵
を連れて武蔵・上野の境の神奈川・烏川の辺り金窪の台に陣を張る。上野衆の小幡・内藤・和田・由良・
安中・深谷・成田・上田・高山・木部・長尾・真田らが所望して先陣に進んだところ、北条方は氏邦が

血気にはやり敵を大いに見侮った。前後を見定めず鬨を揚げ打って掛かるが、上野衆は武田信玄・勝頼に
属して軍旅に老練した者共どもである。少しも騒がず馬の鼻先を魚鱗に並べ敵が来るのを待ち受けた。

半町ほどに軽卒どもを先に立て、矢砲を激しく放って先駆けの北条勢数十人を打ち倒し、馬の足がしどろ
もどろになるのを見澄まして、大風の発するが如く馳せ掛かり突き立てた。頃は天正10年(1582)

6月19日、草木も動かぬ炎天に具足を着て息を揉み馳せ合ったために、流れる汗は目口に入って太刀の
打ち所も定かならず。北条方は石田大学・保坂大炊助を始め屈強の者ども2百余人が討死し、上野衆も

佐伯伊賀守を始め180人ほどが討死し、互いに多くの手負いを出した。北条方はほうほうで八幡山の方
へ引き取ったので、上野衆も烏川の水辺に集まり暑気を凌いで馬の足を冷やしていた。北条方は先手の

敗軍を見て新九郎が大いに怒って命じ、二陣の松田・大道寺を始め雲霞の如く深谷の方から打ち出でた。
一益がこれを見て、「今度は一益が一戦して雌雄を決する! 上野衆は後より続かれよ!」と先に進めば、

滝川儀太夫(益氏)・津田治右衛門・同八郎五郎・同修理・稲生対馬・富田喜太郎・牧野伝蔵(成里)・
谷崎忠右衛門・粟田金右衛門・日置文右衛門・岩田市右衛門・同平蔵・太田五右衛門以下逞兵3千余人が
神奈川を後ろにあてて玉村の方に向かって座備を設け敵を待った。

――『改正三河後風土記(柏崎物語・武徳編年集成)』

神流川の戦い二日目
神流川の戦い、戦後


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名胡桃城について、北条氏直の言い分

2018年10月08日 17:01

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/08(月) 02:48:46.60 ID:bp/PQxUM
名胡桃城について、北条氏直の言い分


天正15年11月に、北条家臣が名胡桃城を占拠する事件が発生した。
以下は同年に、北条氏直が秀吉の検使にあてた書状の意訳。

     条目
一、老父の上洛が延びたことで御立腹され、沼津に下向されるとのこと。
  六日の手紙は思いがけないことでした。そもそも夏に妙音院、一鴎軒(宗虎)が
  下向した際に、截流斎(氏政)の上洛はもちろんさせますが、今年は無理がある。
  でも来年の春夏の間になら出来ますよ。という話を筋道立てて説明したのに
  しきりにそれでは済みませんよと言ってきました。それで公儀の事は了簡に
  及ばないので、今月中に半ばまで行き正月中には京に着く予定にしました。
  先年家康が上洛した際には骨肉を結ばれて(秀吉の妹の朝日と家康の結婚のこと)
  大政所を三河にまで移されたとお聞きしたのに、名胡桃のことで御立腹されて
  いるので、ずっと留め置かれたり国替になるかもと方々から声が上がっています。
  一度(そっちに行ったら)帰国は出来ないんじゃないかと截流斎も申しています。
  (私たち)父子の国のこともお察しして下さい。だから妙音院、一鴎軒を招いて
  たとえこのまま在京になるとしても心中晴れやかに心やすく上洛するでしょうと
  申したのです。他の意味はありません。

一、今度の祝儀で上洛させようとした石巻(康敬)の待遇で、面目を失いましたのに
  更に私に対しての扱いもおかしいのはどういうことなんでしょうか。御両所に
  恨み入ります。四日に妙音院をこちらに招いたのは、石巻の待遇の理由がよく
  分からないので内々に尋ねるためだったのです。そうしたら途中で捕まった
  ことを聞かされたので、それは書付にて申し述べることとします。

一、こんなことになっていますが、疑心を持たずに扱ってくれるなら上洛すると
  截流斎は申しています。御両所の御分別に期待します。

一、名胡桃のことは一切存じません。城主の中山が出してきた書付によると
  既に真田がこちらへ渡していたものなので取り合いにはなっておらず
  越後衆が半ばあたりまでやってきて信州川中島と知行替えと申していると
  沼田から連絡があったので加勢したとのことです。越後のことは昔からの
  敵なのでやってきたら一日たりとも沼田は安泰にならないでしょう。まぁ
  彼が申すことが本当かどうかは知りません。家康にもこれを伝えましたから
  徹底的に調べて、二、三日中には報告することが出来るでしょう。決して表裏
  ではないですよ。名胡桃に下向されたとき、百姓屋敷を見分されたでしょうに。

一、以前給わった吾妻領は真田のせいで百姓が一人もいなくなりました。加えて
  中条という地では、人は以前のところに詰めていて渡ってきません。こういう
  些事は申すことではないので打ち捨てて下さい。なんといっても名胡桃のことで
  対決する上は何事もお任せします。以上。

  十二月七日     氏直
    富田左近将監殿
    津田隼人正殿


――『武家事紀 巻第三十三』



283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/08(月) 09:38:17.76 ID:w62eEAoQ
名胡桃城といえば考古学的調査で名胡桃城事件の頃の遺物はほとんど出土せず、
火災の痕跡も若干のみで、とても戦闘で落城したとは考えられず、平和裏に開城したのではないか、
という話が武井英文先生の『戦国の城の一生』に出てた。

長柄刀のこと

2018年02月06日 19:26

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/06(火) 18:44:11.64 ID:WKKaJAK1
「昔、関東では北条氏直の時代まで、長柄刀といって、刀の柄を長く拵え、腕貫(鍔つばにつける革緒)を
打ち、束にて人を切るほどの形状であった。

当世ではかき鑓と言って、黒金を長く延べ、鑓の柄に十文字に入れ、その先に小しるしを付けて、
柄にて人を突くような威風を成しているが、物好きと言うのもの、時代によって変わるもののようだ。」

このような話があった時、これを聞いた人は

「その昔の長柄刀を、当世に差す人がいれば、柄が長すぎて目鼻の先につかえて見苦しく
可笑しな事になってしまうだろう。」

そう笑いだした。
この時、かつて関東において、若者たちが皆長柄刀を差していた時代を知っている老士が言った

「どうか若き方々、そのように昔を笑わないでほしい。古今の違いがあっても、その志は同じである。
得ることのみ有り失無く、失のみあって得るものが無い、という事は無いと、先賢の書いた
内外の文章にも見えるではないか。人をそしって我が身の失を省みる、これ人を鏡とする云々。
そも鎌槍は昔より用いられ…(以下神功皇后や頼朝の故事など延々と語るが中略)

さて、長柄刀における、長柄の益というものは、太刀では短く、かといって長刀では長すぎるという
場合に、その中間を取った益である。また、太刀と長刀両方の利点を合体させて常に差すという
利点も有る。

関東の長柄刀は、目鼻の先というような近距離での斬り合いには少なからず欠点がある。
だが、合戦において敵を亡ぼし我が命を護ることには、大益があるのだ、」

(北條五代記)



621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/07(水) 14:40:28.85 ID:0VAmVwxs
>>620
>太刀では短く、かといって長刀では長すぎる
そんな時あるかなぁ?

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/08(木) 22:00:40.69 ID:h1pB8ljj
>>621
屋内とか?

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/09(金) 01:08:37.57 ID:VQF9KdDF
そういえば、刀の腰への差し方が逆になったのは
室町以前の太刀式だと屋内でつかえて面倒だからなんだってな

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/09(金) 14:43:51.13 ID:78A2SVdl
>>625
家の中なら刀で十分と思ったけど、昔の屋敷や土間のある作りならたしかにぴったりかも。

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/09(金) 15:42:22.81 ID:8hqIVnpV
薙刀が振り回せない程度の密集した乱戦で使えば太刀より少しリーチがある分有利って事やろ

670 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/02/25(日) 15:16:32.73 ID:7M1bZXLQ
>>621
有るよ
リーチが長いので突きに有利
巌流島でもそうだけど長い方が勝つ場合がある
当時剣術が未発達だったからね
平安鎌倉は薙刀も標準装備だよ

横山光輝の漫画って結構、こういう交渉が優れてなされてるんだよね
今の漫画のように解説で述べるんじゃなくて漫画そのものに説明なく描かれてる

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/25(日) 16:58:03.35 ID:ugAEYEIr
なお横山光輝水滸伝の双鞭・呼延灼
https://i.imgur.com/mue2gnr.jpg
mue2gnr.jpg

庭林坊の事

2015年04月26日 16:08

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/26(日) 03:06:59.59 ID:ier522gz
庭林坊の事

天正元(1573)年北条と里見との間で合戦があった

小田原へ向け里見の水軍が押し寄せているという噂が広まると、誓願寺の庭林坊は唐傘を差して見物に出かけた

すると浜には先客がいて、三本唐傘の旗印を差した高山大膳といった侍が沖の船に向かっていくさ名乗りを上げていた

庭林もこれを見て「拙僧は第二陣、浄土宗誓願寺の法師武者、唐傘の庭林なり」と名乗りを上げた

ところが沖の船はただの釣り船だと判明し、集まった人の間から失笑が漏れた

「高山某と誓願寺の坊主が釣り船に勝負を挑んだwwwwwwwwwww」

この噂は北条氏政の耳に入り、氏政の子の国王丸がその坊主を見たいと御前に召し「昨日のごとく言葉を違えず名乗ってみよ」と命じた

庭林坊はほかならぬ北条の若君の頼みとあって、庭へ下りて唐傘をばっと開き名乗って見せた

国王丸は大笑いし、庭林にたくさんの褒美を下されたという

『北条五代記』

ちなみにこの庭林、後の前田慶次の朋友と言われる




岡部権太夫の指物

2013年03月11日 20:02

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/10(日) 21:36:00.72 ID:ozCl1eoC
天正13年(1585)の秋、北条氏直の軍と佐竹義宣の軍とが、下野国の大和田と藤岡という所にて
対陣をしたが、大合戦にはならず、200騎ばかりでの小競り合いが起こった。

この中に北条方の岡部権太夫と言う者、黒糸縅の鎧に、同じ毛の兜を付け、猪の指物をして一陣に
進み出、あまたの敵と戦ったが、ある敵と引き組んで馬から落ち、上になり下になって
転がったが。終に岡部が上になって敵の首を取り、これを拾って味方の陣に帰ろうとした。

と、その時、彼は自分の指物を落としたことに気がついた。敵にこれを拾われるのも無念の事と
思い、自分の討った首を引っさげて、再び敵陣の方へと向かったのだ。

この岡部権太夫の動きに敵も見方も怪しみ訝しんだ。このよ行動は、心変わりをして
敵に降参するようにしか見えなかったためである。

岡部は敵陣近くまで来ると馬を停め、大音を上げて言った

「ここに在るは下総国の住人、岡部の権太夫と云うものである!
先陣の駆け引きにおいて敵と組み、首をひとつ取ったのであるが、我が指物を落としてしまった!
紋は猪である!

されば、この首は未だ大将の実検に供していない!
我が指物を拾われた御方、どうかこれと取り替えて頂きたい!」

敵はこれを見て、なんとけなげな侍の心ばせだろう。ならば彼に返してやるべきだ、
などと話していた所に、河中喜平次と云うもの、岡部の指物を持って出てきて

「あなたの御心ばせに、やさしくも感じ入りました。これは、お返しいたします。」

と言って差し出した。

これに岡部は
「武士としてその情を深く感じ入っています。出来ればもうひとつご芳志に、指物を指し筒(背中で
指物を固定する筒)に指していただけないでしょうか?」

と言って馬の口を引き返し、後ろ向きになって敵に指物を指してもらい、それから
首を河中喜平次に渡して、味方の陣に静かに帰っていった。

これには敵も味方も、稀代の剛の者かと、岡部を褒めぬ者は居なかったという。
(軍人頓智叢談)




706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/10(日) 22:58:28.39 ID:1vD1W6ZD
猪の紋ってどんなのだろうw

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/10(日) 23:13:51.74 ID:j0aLHUcX
~にしか見えなかった、って・・・
味方の首持って来た奴の降参を受け入れるの?

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/11(月) 07:40:00.46 ID:MN3iRA3L
>>706
真壁氏の旗指物がちょうど猪。
ttp://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/topics/news/photo/h22/07/7-12.html
072302.jpg

珍しい旗指物だとは思うけど佐竹、北条の境界で珍しいかと言われたら
真壁さんが泣いてしまうと思う。

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/11(月) 13:03:44.36 ID:65W20Li6
>>708
おお、乙事主様的かっこよさ


712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/12(火) 20:18:03.83 ID:Xx6Ke432
>>705
既出だな
iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-785.html
当時のランキングで2位になるほどの話(一位は出世の白餅)
iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-821.html
もう4年も前のレスだが

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 07:56:50.81 ID:K8khZqNi
俺はもう四年もスレに張り付いてたのか…(絶句

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 12:31:07.32 ID:e6sbVAIy
>>713
いい話だ


北條ミカン・中国ミカンバージョン

2012年06月24日 21:02

109 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 01:14:49.40 ID:XCF0KyZA
織田信長が本能寺の変で自刃に追い込まれると、その旧領を巡って北条家は徳川家康と争ったが、
上野を北条領、甲斐と信濃を徳川領とする事で和睦した。この和睦の証として、家康の娘である督姫を正室に迎えた氏直は
ある日、家康から中国産のミカンを贈られたのだが、北条家の面々はこれをただのミカンと勘違いし、

「徳川領ではそんなにミカンが珍しいのか。ならば山ほど送って驚かせてやる。」

大箱いっぱいのミカンを送り返した。これを受け取った家康は

「氏直はまだ若いから仕方ないが、老臣たちも一緒になってこんな子供じみた真似をするとは、
 北条家も滅亡の運命にあるな。」

と冷笑したという。




110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:18:04.77 ID:G4W9ko1k
>>109
この話っていろいろなバージョンあるよな



111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:18:46.41 ID:cg09ikiR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6485.html
今月頭にも出た

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:26:45.77 ID:PCMdbXAz
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2892.html
こっちの話だとオレンジだね

統合すると、北条に送られた物候補は、オレンジ、九年母、中国ミカンか

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:53:12.07 ID:lQVuy8FS
滅亡した大名って言われ放題だよな(´・ω・`)

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 02:39:06.80 ID:KNx+oA6x
しかし判官贔屓されない不思議
日本人は判官贔屓大好きなんじゃねーのかよー

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:17:14.57 ID:c3mdYiEV
>>114
最近、判官贔屓に拒絶反応が出るようになって
やっぱり時代を作った人のほうが凄いやって思うようになったな

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:48:00.62 ID:CDjhDghM
その辺りは時勢と関係しそうだね
信長みたいな武将に今の閉塞した空気を作り替えてもらいたい

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 04:36:38.31 ID:L7BEoLx5
三条大橋たもとで梟首の後、石櫃に納めて展示するだけの簡単なお仕事です。

名胡桃城奪取と北条氏直

2012年06月24日 21:01

115 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 02:52:45.06 ID:XCF0KyZA
話がかぶっていたとは失礼しました。 もう一つ北条の逸話を…

1586年、徳川家康が織田信長の後継者として勢力を伸ばしていた豊臣秀吉に臣従し、北条家も服属を迫られる状況となった。
家中では、当主の氏直ら恭順派と、家中に強い影響力を持つ父の氏政ら交戦派に分かれたが、家康の

「こちらの説得を聞き入れない場合は同盟破棄も辞さない。」

という強い説得を受け、秀吉に使者が送られる事になった。その後、北条家と豊臣配下の真田家との間に会った領土問題に秀吉が
裁定を下し、北条家もこれを受け入れて、氏政が上洛し臣従の意を示すことで話がまとまりかけた。所がそこに、北条家家臣、猪俣邦憲が
真田配下の名胡桃城を奪取するという事件が勃発した。これに激怒した秀吉から

「必ず氏直の首を刎ねてやる!」

と宣言されると、氏直は

「北条家は何も知りません。父の氏政は上洛させますが、そのまま抑留されるなどの噂もありますので、
 かつて家康殿の上洛に際して豊臣家から人質を出した様なご配慮お願いします。」

といった弁明書を送り、家康にもとりなしを頼んだものの、聞き入れられる事は無かったという。




116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:05:32.11 ID:G4W9ko1k
>>115
名胡桃城奪取は秀吉の策略だったっていう説もあるよね

秀吉は最初から北条家を潰したかったのかな

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 08:25:15.88 ID:XlXEwLQX
>>116
どういう策略を使ったら北条に真田を攻めさせれるんだ?
その策略が知りたい

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 08:40:01.57 ID:cfWXMFj4
>>120
北条じゃなく猪俣を羽目たんだろ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 09:25:33.31 ID:UaJtz3Jf
攻めるといっても物理的に攻めたわけじゃなく寝返りだからなあ
はめるのは簡単だろう

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 09:52:41.86 ID:F/V7u639
あの時期は北条がどうあがいても豊臣に攻められるのが確実になったから、
猪俣が北条勢の防衛戦のことを考えて名胡桃城を奪取したみたいだよ。
戦術的な判断で、あの城取ると上野の防御の助けになるとか。
また氏康時代から、本城の小田原で侵攻軍を受け止めて、支城で絡め取る戦法が通用してたから、
豊臣勢にも同様に通用すると思ってたらしい。

でも豊臣の攻勢は一拠点で支えられる規模では済まなくて、
四国や九州を攻めたように多方面から大軍を投入してきた上に、補給も完璧だったからご存じのとおり小田原も落ちた。
完全に秀吉の戦略勝ちで、関東の一武将では思いつかないくらいスケールが大きい攻勢だったんだね。

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 11:18:40.76 ID:5M4ODsf0
>>116
ねーよ
小説真に受けんなw

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 11:50:49.76 ID:lQVuy8FS
北条が生き残った場合の豊臣政権ってのも見てみたい

ナンバー2とナンバー3が縁戚でラスボスもあんまり無茶できないだろうな

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:08:26.20 ID:SG+Vq1CY
>>125
実はそうでもなかったりするんだな
豊臣の対北条の饗応役のその後を見るに

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:14:54.83 ID:G4W9ko1k
>>125
小説で出てたのか

何ていう小説?

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:26:35.09 ID:26aRAo2S
秀吉は何かといえば「北條は必ず滅ぼす」「北条攻めの準備をするように」って発言や指令を出すんだよね。
それこそ小牧長久手から小田原合戦までの8年間、ほぼ絶え間なく。
こういう状況があるから北條もうかつに秀吉を信じるわけには行かなかったし、常に警戒を行う必要があった。

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:29:32.06 ID:1Z8Av8D3
よっさん北条に何の恨みがあって…

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:32:25.85 ID:7p6rjKG8
>>126
秀吉的にはそんなめんどくさい状況にしたくないだろうなあ。
ちゅーことはやっぱり北条はどう対応しても潰されたんじゃなかろうか。

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:32:39.69 ID:u4KHU94P
>>128
真田太平記

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:35:07.14 ID:SG+Vq1CY
北条は織田に協力したのも遅かったし、
その上、本能寺の変の直後にすぐさま織田を裏切っていたしなあ

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:40:59.24 ID:cg09ikiR
>>131
家康「北条からミカンが山ほど送られてきた」
秀吉「これほど見事なミカンを産出する国がそばにある。
北条はなんとしても滅ぼさなければならぬ」
加藤清正(大カトー)加藤嘉明(中カトー)加藤光泰(小カトー)
「そうだそうだ」

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:44:09.09 ID:G4W9ko1k
>>132
自分はたぶんほかの小説で見かけたと思う

ちょっと無理があるんじゃないかなあと思ったけどw

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 16:40:53.77 ID:+k+xMmvQ
>>124
名胡桃城と沼田城って利根川を挟んでだいたい3㎞くらいしか離れていないんだよね。
晴れた日なら見えるくらいの距離だから、そこが敵方のままでは沼田城を活かしきれない。

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 17:08:07.40 ID:2bQdFUfL
やるおでやる真田家みてると真田パパンがはめたように思えてくるけどな。

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 20:26:10.69 ID:vC4ERPjY
上杉や北関東の反北条諸氏の取次やってた石田三成が北条の上洛を嫌がってた節がある
「北条の兄弟衆が上洛したら事態は最悪だぞ」って警告する書状が残ってるみたいだし
石田ごときの讒言に左右はされないだろうけど、秀吉が北条滅ぼす気満々だったのはこの辺も関係するのかな?

対して家康はギリギリまで秀吉と北条を取りなそうとしてたし、戦後も氏直赦免に奔走した
三成と家康の対立って結構早い段階から始ってたのかな

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:22:44.68 ID:c3mdYiEV
そりゃ氏直は家康の娘婿だもの

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:10:35.42 ID:F/V7u639
氏直が関ヶ原まで生きてればとは思う

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:28:21.99 ID:26aRAo2S
北条氏直は北条家家督であると同時に、
今川氏真養子として今川の継承権を、
武田信玄娘黄梅院の子として武田の継承権を所持しており、
さらに徳川家康の娘婿という、東国大名のサラブレッドにも程がある存在だったりするw


142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:40:51.06 ID:NR1LLmj6
氏直は北条を名乗ってないって話は本当なのかね?

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 11:05:46.13 ID:nkKcnEi3
>>134
Hojo delenda est 乙

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 13:35:44.01 ID:yIl1GZjS
>>141
ラスボス「女ならともかく、男にはいかなる興味もありません」

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 16:03:10.84 ID:9NNhsfhs
>>141
むしろ絶対生かしておけないだろ
旧三国同盟の遺臣をすべて統合できる人物なんだから天下人にとって不発弾でしかない

信長は実子を養子として送り込んで家と権威を乗っ取るかもしれない
家康は事実、娘を嫁がせて敵対しないよう懐柔した
しかし、秀吉は上記の手段をとれないため潰すしかなかった

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 17:31:53.64 ID:TO9LxSsc
そんな血縁だけで統合できるわきゃねーよw

154 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/25(月) 17:37:23.99 ID:11IoEfL6
貴種の血脈は誰かが統合の象徴として利用するには、価値の高い存在だよ。
足利の代々とか、尼子勝久とか
[ 続きを読む ]

黒田如水、北条軍からお礼の品として

2011年04月22日 00:01

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 21:53:34.81 ID:dw5y7kPz
小田原城開城に尽力した事への感謝のしるしとして、北条氏直から黒田官兵衛へ日光一文字、
東鑑、陣貝(北条の白法螺)などが贈られたのは有名な話だが、官兵衛は開城以前にも城から
あるものを受け取っていた・・・

小田原城が包囲され三ヶ月が経った頃、官兵衛は、降伏を勧めながらも敵である籠城軍を称え、
酒と魚を城に送った。
するとその心使いに感じ入った北条軍からお礼の品として、とんでもない物が送られてきた。

なんとそれは「鉛と火薬」

「これを使って、我が城を攻めろ」というのである。
官兵衛が実際にそれを使って城を攻めたかどうかは確かで無いが、戦国の最後に意地を見せた
坂東武者の「敵に塩を送る」ならぬ「敵に鉛と火薬を送る」という話。




81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 00:32:27.54 ID:jzk1FL+4
>>80
直家「差し入れの美酒をどうぞ」

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 00:57:50.19 ID:SN4Zd5cx
>>81

市松「ハイ!喜んでぇ!」

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 01:17:11.58 ID:wVWktayj
敵に情けをかけられる位ならいっそ城と共に華々しく玉砕するぜ!さあこい!ってことか

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 01:57:52.67 ID:+3cSxaUz
城を枕に討ち死にって実例が結構あるんだよな。天正の陣の金子元宅とか
よく命を大事しないのは逃げだとか、虚しいだけとか言われるがそれだけじゃ割り切れないもんがある
命さえ保つことができれば正しいのか、ってのは市松の末路を見ると考えさせられる

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 02:27:11.92 ID:YKRKIGJ2
市松の場合はもう戦の出来なくなった時代だからもうどうしようもない。
まだあれが大坂の人の前だったら。

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 08:16:05.76 ID:mqMtKR8h
弾正さんは、本当に助かる目は有ったのだろうかね

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 12:29:23.21 ID:V9oXlp3h
弾正さんはあそこで本当に助命されてもその後に佐久間みたいに難癖つけられて追放されそう
命を守って注ぐ機会のない市松は哀れといえば哀れだな
全てを捨てて大阪城入ってもどれだけ徳川方に味方をする奴がいるかはもはやわからん時代だけど

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 16:22:04.33 ID:J5Cp6uJ2
真田信繁が大坂の役に参加しないまま早死にしたら
残った家族はどうなってたんだろう?

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 16:34:41.76 ID:V9oXlp3h
伊達にいった姫と討ち死にした嫡男以外知らんのだが信繁の家中って戦後どうなったん?


96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 16:37:50.50 ID:+3cSxaUz
>>93
そういう山っ気のある奴もいただろうけど信繁は違うと思うよ
囚人暮らしとはいえ宴会開く余裕もあったし、兄貴からの仕送りで食うだけなら困ってなかった
あのまま黙ってたら信幸の運動で小さい領地くらいはもらえる目算はあったし
さすがに投機精神だけじゃ信繁の大阪入場は語れないっしょ

北条氏直と梶原景宗

2010年10月07日 00:01

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 09:32:24 ID:ylzRGq2Q
北条水軍に梶原景宗という将が居た

元は紀伊国出身の海賊と言われるので高尚な血筋でも剣豪の親戚でもない
近年では単なる水軍指揮官ではなく海運流通を取り仕切っていたのではないかとの説もある

秀吉の関東征伐において梶原景宗は九鬼、面倒な本多を中核とした豊臣水軍に敗れた
そりゃあもう、数日の内に伊豆から小田原にかけての水軍の拠点を悉く失うくらいに負けた
一部史書では死んだ事にすらされた

が、どっこい彼は生きていた
小田原の役で敗れ流された北条氏直に従って紀伊高野山に入っていた事が確認できる
譜代の臣下でもない彼が氏直に従った理由は不明
当時の氏直の生活は苦しく年賀の品を揃えるのに借金すらしていた
梶原景宗はそんな主君の年賀に彩りを添えようと走り回った
その成果は氏直近侍の山角直繁のテンションを上げるに充分であった

直繁「殿~!」
氏直「何だ、騒々しい」
直繁「海苔が、海苔が!」
氏直「はぁ?」

江戸時代に養殖技術が確立するまでの海苔とは天然物の生海苔の事
沿岸出身の北条勢にとっては慣れぬ山間部での生活で光る宝石の様に思えたのかも知れない
ちょっと逸れるが海苔は温暖な海域を好む
当時は気象学的に地球全体が寒冷期であり、しかも季節は冬である
本当にどこから入手したのやら
ちなみに目録を読み上げる前に中身をバラしてしまった直繁は氏直に不作法だと怒られた

若葉の生い茂る頃、北条氏直は高野山での謹慎を解かれ大阪の旧織田信雄邸に館を移した
もちろん梶原景宗も主君の近所に移り住んだ
当初は所領を持った訳でもないので氏直や近従も懐は依然寂しいまま
この頃の借用書、返済計画書も現存している
そんな困窮下でも梶原景宗は主君に祝を送った

直繁「殿、梶原殿より転居祝いが」
氏直「ほう。で、何か」
直繁「目録。贈、鯖五十」
氏直「な…んだと…?」
直繁「ですから鯖五十匹」
氏直「この真夏にか?」
直繁「はい」
氏直「冷蔵庫に…」
直繁「殿、左様なオーパーツは。せめて氷室と…」

贈答書状は現存するがこの鯖が如何に食されたかは不明

半年後
僅かながら所領を与えられ妻の督姫も呼び戻し本格的に御家再興が叶わんとする直前に氏直は病に倒れた
死因は疱瘡とされる
鯖にあたった…訳ではなかろうがとにかく養子で叔父氏規の子氏盛が北条宗家を継ぐ事となった
氏盛は氏規死後にその遺領を相続し本格的に大阪狭山藩主として後北条家再興を果たすのである
しかし、狭山に梶原景宗の姿はなかった
彼は出身地の紀伊に帰り、帰農したとされている




527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:01:31 ID:NJCtQKg3
>>523
> 直繁「ですから鯖五十匹」
> 氏直「この真夏にか?」
> 直繁「はい」

わらたw
まあ保存用に干したものなんだろうけどw

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:05:29 ID:YUN4hJqp
大阪なら新鮮なサバでもおかしくない

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:07:30 ID:/sPbZNFN
真夏だぜ?
腐っちゃうよw

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:07:56 ID:tli2yO8o
サバの生き腐れという言葉があってだな

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:14:16 ID:YUN4hJqp
半日程度じゃ腐らないよ

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:25:48 ID:o3TVgZCu
こんにちは私アニー、氏直さんの胃と腸に旅しに来ました

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 11:11:22 ID:LK5owhGY
>>532

つ 炎炎炎

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 11:15:00 ID:Fg0rOEKz
紀伊の人なら、馴れ寿司用の発酵させた鯖じゃないかな

>>532
旅行と称して居座る不法滞在外国人のようだw

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 13:45:18 ID:LzGBAUyf
>>523
>ちなみに目録を読み上げる前に中身をバラしてしまった直繁は氏直に不作法だと怒られた
安心の北条クオリティだなw

伊豆海賊衆と言うと怪力の清水康英さんやいろんな物を禁止するきっかけになってしまう
富永山随さんが思い浮かぶけど、実は梶原さんも相当なポジションだよね。

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 18:49:16 ID:NJCtQKg3
>>535
> 安心の北条クオリティだなw

さすが礼法の伊勢氏らしいよねw

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 22:53:05 ID:UFreW+e3
>>532
氏直のお腹の中で「トゥモロー、トゥモロー♪」って歌い出すのかw

悪代官のお話。

2010年09月23日 00:00

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 15:04:24 ID:8zSTHjst
悪代官のお話。

天正十四年の春頃といえば、北条氏直は沼田近辺の攻略に躍起になっていた時期である。
そんな折、武蔵国品川で百姓の逃散が発生した。
夜逃げの類ではなく、組織的なストライキで、声明文もきちんと発表している。
いわく、

・税金の滞納分は減免しろ
・相談もなく勝手に伝馬役を徴発するな
・年貢の納入に際して、代官が余分な付加米を強要している
・年貢米を計量する時、ムシロにこぼした米を代官が着服している。百姓に返還しろ
・代官が私的に人足徴発をしている

とまあ、絵に描いたような悪代官を告発している。
北条家は「氏直様が帰ってくるまでに田畑に戻ること!でないと死刑だからね!」
と脅しをきかせているが、代官の非法は処分せねばならなかった。

北条家、この手の「代官の非分を訴える!」系の訴訟が結構あるが、
それだけ行政制度が発達していたということか。




212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 18:16:41 ID:hqcohMXd
>>210
北条家は善政を敷いていたみたいだね
記録に残っていないけどこの後入った徳川は苦労しただろう

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 18:19:12 ID:0vJgEmij
>>210
流石に北条領は百姓の発言力が強いな。

でもこれは代官がかわいそうな気がする。

代官がかけた付加米は欠米、口米に当たるものなんだろうし、
この手の付加税は地租改正までは全国で一般的に徴収されているもの。
莚にこぼれた米が役人の取り分になるのは江戸時代でも一般的だった慣習だしなあ。
伝馬役や人夫徴発はよくわからないけど税金減免要求は代官の非によるものじゃないし。

結局、代官はどういう処分されたんだろうか。

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 18:35:21 ID:/HDFxvcV
旅の僧「前来た時より条文が増えてる、北条オワタ」

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 23:07:09 ID:q3fui8mL
>>212
氏康の頃に、身分に関係なく裁判が行える制度を作っている。
それだけ先進的ということ。

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 23:32:22 ID:Qam7hPH4
虎印判のない徴発や租税は厳禁だから訴えろよ
てなお触れがあったような

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 04:28:13 ID:e20CxR05
北条氏は他国に比べて安い税率からわかるように、肥沃な国土と河川・海運を用いた流通で相当豊かだったんでしょうね。
それだけに飢饉の度に謙信や信玄による略奪遠征が開催されるわけですけども

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 08:12:04 ID:SYuyIJCM
絶対「豊か」じゃないと思うぞ。
家康や秀吉との外交で送った贈り物の目録がかなりショボいし、
しかもその程度の贈り物のために領内に臨時増税かけてるしな。

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 08:51:56 ID:xQeGZTHo
北条さんは、結構ギリギリの取分でやってるからキッチリ収めてくれないと困るってなんかで読んだなぁ~


221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 10:19:06 ID:fgjrLBJy
北条さんは税率やら公共料金が他国に比べてとにかく安くて、必然的に異常に効率的な
組織運営を必要とし、それがプレ近世大名と言われるほどの体制を作り出した。

どのくらい安かったかというと、例えば>>216の言ってる司法制度改革の時に
裁判費用も、下手すると他国の100分の1くらいの、超低額に引き下げて、庶民でも普通に
負担できるレベルにまでした。
おかげで北条領民はみんな裁判するので、戦国大名としては異例な
膨大な裁判関係の資料が現代に残されたw

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 11:03:55 ID:QlzegUgz
北条家はある意味戦国自体のアメリカ合衆国(19世紀後半の)だなあ
「戦争はとりあえず数」
「裁判大好き」
「畿内=旧大陸の利権争いに知らん顔」
「当時最大の日本国内フロンティア(未開拓平地)保有大名」
 


223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 12:32:10 ID:zrDA22uz
租税安いと人口も増えるし戦の時も予め士気が高くなるな。

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 16:17:03 ID:obPbjp1l
徳川が統治に苦労した逸話とかある?

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 18:10:58 ID:+Ltvfr9e
>>221-222
そのあたりを包括的に格好良く纏めると、良い本ができそうだ

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 18:29:12 ID:PoGcZU60
>>225
「百姓から見た戦国大名」ってのがあるね。北条家の農政や訴訟制度なんかも触れてたり
[ 続きを読む ]

北条氏直が受けたカルチャーショック

2010年02月11日 00:03

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 20:19:30 ID:zxRfY7qk
1589年、北条氏規が上洛した時の事

氏規「うわっ、なんだあれは!?おいキミ、あれはいったいなんだ!」
*「えっ?なにがですか??」
氏規「だからアレだよアレ!」
*「え?あー、板ぶき屋根の事ですか?小田原にはないのですか?」

そう小田原は草ぶき藁ぶき萱ぶきだったのです。

氏直「なに!板ぶきとな!?」

カルチャーショックを受けた北条氏直は話を聞くやいなや、人通りの多い
表通りの草ぶき屋根を板ぶきに変えるようにキツく命じたとの事です。




416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 20:35:19 ID:6CMB4jL7
板葺きって、木材を薄く平らに、しかも大量に加工する技術が必要だから、案外に難しかったんだよ
って聞いた

417 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/10(水) 22:29:39 ID:/uAm7dR/
>>415
氏邦が肛門と喋ってるのかと思ったw

土の城の模型作ってるんだが、この時代の建築物はいまいちよくわからん
イラストの想像図を見たら大抵板葺きなんだが、実際は茅葺きの方が多かったのか?

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 22:35:30 ID:zp01VXV8
小田原の町はよく燃えたんだろうな~

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 22:40:57 ID:1z+pZgEC
いや、燃えやすいと言う意味では板葺きの方が燃えやすい。
板葺きの利点は茅葺きや瓦葺きに比べて軽いので、細い柱でも大丈夫、
というのがあるらしい。

北条さんちの教育・氏直の場合

2009年07月02日 00:10

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 16:07:32 ID:yvQVbqDq
北条さんちの教育・氏直の場合
小田原戦役後、小田原北条氏五代目当主北条氏直は、
なんとか命だけは許されて家臣・親族300名と共に高野山に登った。
しかし交渉上手の叔父、氏規も同行していたし、
氏直にとって義父にあたる家康の口添えなどもあったろう。
翌年には何とか秀吉に許されて、大名として復帰するメドがつく。
秀吉はつい先日改易した織田信雄の大阪屋敷を氏直に与え、
更に知行地を与える約束、
予定されている秀吉の唐渡りに氏直を同行させる約束をした。

氏直は大いに張り切った。
正式に大名として復帰するだけではなく、まだ挽回の機会さえある、
彼はそう考えたのだ。
しかしそんな彼の気概とは裏腹に、北条家の懐事情は散々だった。
当たり前だが、300名も人がいるのに収入が無いのである。
知行地は貰えるから将来的には収入があるが、今は借金するしかない。

そこで氏直は自ら計算し、書類を作成し、その借金の返済計画を練った。
更に緊縮財政を徹底し、台所から何からきっちり予算を組んだ。
奉行衆を任命し、着々と受領の準備は進む。
後は領地を受け取るだけであった。

まさか、そんな彼が10日ほど後には鬼籍に入るなんて誰が予想しただろうか。





956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 16:53:23 ID:+SagdA4j
まだ若かったのにね。もう少し長生きできれば一国もらえたのに。
関東征伐前に頭下げてれば領国安堵されたかな。

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 16:53:23 ID:yvQVbqDq
明記し忘れたけど
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2304.html
を受けての氏直の教養に関する話でした

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 22:10:47 ID:uvlPN6Ji

>>955
切ないなあ。こういう話よわいわ


北条氏直と督姫と、『高祖の御守』・いい話

2009年05月21日 00:04

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/20(水) 21:59:07 ID:TaMelKRX
後北条家五代目・氏直の妻は家康の娘・督姫であったが、小田原落城にあたって
氏直は高野山に追放となり、離縁させられることになった。
最後の夫婦別離のとき、氏直は胸元からお守りを取り出して督姫に渡し、言った。

「これは『高祖の御守』といって、当家代々の宝だ。
わが先祖・宗瑞様が明応のころ、伊豆から出て相模を手に入れんと大森氏を攻めた時
出陣の習いの勝ち栗を半分だけ食べ、残りは懐に入れて出陣したところ、大勝利となった。
この吉例の栗を錦の袋に納め、氏綱・氏康・氏政と相伝して来たのが、これだ。
私はもはや世を捨てる身、おまえがしかるべき分家の者に渡し、『北条』を継がせてくれ。」

督姫は別れた夫の復帰を信じ、お守りを肌身離さず持ち続け、数々の縁談を断った。
その後、氏直は高野からの下山を認められ、大阪であちこちに働きかけた結果、
天正19年8月、「伯耆一国にてお家再興を許す」というお墨付を秀吉から授かった。

氏直から届いた朗報に喜ぶ督姫のもとに、11月になって再び手紙が届いた。
『 北条氏直 死す 』 享年30。疱瘡であったという。

3年後、秀吉の命により池田輝政と再婚することになった督姫は、あのお守りを持って
氏直の叔父の狭山城主・北条氏規に会った。
「このお守りは氏直様に授かった、北条家嫡流が持つべき物です。今や本来の嫡流は
絶えましたが、小なりと言えど一城の主たるあなた様にこれを託します。
・・・お守りを、『北条』を、お願いします・・・・・・」

そう言い残し、深く涙に沈んで去ったという。


・・・で、こういう女性と7人も子供作った輝政は、すごい包容力があったかイチモツが(ry




770 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/05/20(水) 22:06:59 ID:QlZQiYaJ
>>769
イチモツ言うなー!wwwwwww

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/20(水) 22:13:25 ID:8i19CV8I
北条家の人間はホント夫婦仲いいな。

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/20(水) 22:35:34 ID:o5fuWs/e
つかなんか夫婦仲って遺伝的な意味ではないが
なんだかんだ親の影響に一番左右されんじゃないかと思う
例外はあるが

817 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/22(金) 01:35:13 ID:UHyRQc1G
>>769
輝政嫡男の毒殺疑惑もある御夫人だが、こういう逸話をしるとまた違ったイメージが出てくるなぁ…


戦場の華、物見の活躍・いい話

2009年02月03日 00:10

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 00:23:12 ID:jHcr0HH1
戦国時代の合戦において、最も重要だと考えられていた職種は、物見であった。

武田信玄も「軍において物見が無いと言うのは、石を抱えて淵の中に入るようなものだ」と
語っている。
どこの軍でも物見は敵の様子を探り、味方の軍略の方針を決める重大な情報を収集する
役割であるため、戦場の場数を得た、巧者武勇の者が特別に選抜された。
そのような「戦場の華」、物見の活躍を見てみよう。


北条氏直と佐竹義宣が、下野にて対陣したおりの事である。
氏直は山上三衛門、波賀彦十郎の二人を、佐竹の動静を探るため両軍の境目へと物見に派遣した。

二人がその境目から一町ほど中に入った時、地に臥せっていた敵の軍兵が一斉に立ち上がった。
待ち伏せだ。
二人は敵にたちまち取り囲まれた。

先ず三衛門、彼は逃げ道を塞がれた。そこで逆に、北の方の敵陣に向かって馬を駆けた。
駆けつつ群がる敵を押し倒し弾き飛ばし、ついでに首を一つ獲って山に乗り上げ、
そのまま峰をつたって味方の陣に帰還した。

次に彦十郎、かれは敵に完全に包囲された。だが、敵の本営近くでどうにかこれを突破すると、
かねてから堤伝いに道があるのを知っていたので、そこを南方に駆け抜けた。
だが、敵陣から騎馬の猛者達が出撃、彼に追いすがる。
二間、三間と熾烈な逃走劇が続く。しかしいよいよ敵に追いつかれる、その時である。
彦十郎は堤から河に、馬と共にダイブ!
そのまま泳ぎきり敵の追跡から逃れ、味方の陣に帰還した。
彼はかねてより、馬の水練も怠り無かったのだ。

この両人、武勇類なしと高くたたえられ、氏直より名馬を拝領したと言う。




162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 11:33:55 ID:CBZu3P5m
>>161
織田家中の森さん家では、(物見に出た)家老が高遠城の塀からに転落したのを奇禍として城乗っ取りますた

ぁ、あれ?

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 12:12:26 ID:X1vpBGEe
うっかり鬼各務が奮戦

三の丸陥落

二の丸、本丸に殺到する諸軍を尻目に鬼武蔵は三の丸の屋根に鉄砲隊を上げる

目立った敵を釣瓶撃ち、仁科盛信自刃までの時間を稼ごうと決死の働きをする勇士たち。
その首取って手柄にせんと押し寄せる織田軍諸士
その目の前で銃弾の雨あられで蜂の巣にされる高遠城の勇士たち。
織田軍諸士( ゚д゚ )

そりゃ前に出てた屋根葺衆とかの悪名もたてられるってもんよw
皆見てるからそこで首とっても自分の手柄に出来ないし
必死こいて突撃してきたのに三の丸の屋根から撃ってるだけの連中に手柄かすめとられるんだもん。

まぁ鬼武蔵の目の付け所がよかったんだけどさ

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 13:39:50 ID:svDv+0+K
鬼武蔵、後ろから撃たれるタイプだな。

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 14:03:48 ID:iLtFsOR/
実際には真正面から撃たれました

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 14:38:01 ID:+UtbkUZd
>165
味方に後ろから撃たれたのはヒャッハー!!仲間の富田長繁(長秀)ですた。・

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 14:40:56 ID:+UtbkUZd
>159-160
シェイプアップ乱破乙

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 14:50:09 ID:+UtbkUZd
>162 >164これかー各務兵庫スゴス

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-940.html

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 17:26:41 ID:CBZu3P5m
>164
城の死命を制すような三の丸を“うっかり”で落としちゃった各務兵庫助と森家中……

織田信忠もさぞポ(゜Д゜)カーン だったろうな

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 17:36:05 ID:myaK4oSe
>>171
織田信忠軍団の制覇スピードが速いのもその辺だろうな。
戦争では信忠軍団かなり強力っすな。

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 18:32:46 ID:ayLw29dF
PHPの小説の森長可も面白いよ。

北条氏直「眼下の星」

2009年01月26日 00:02

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 17:10:54 ID:z8hGLN95
「眼下の星」

天正十八年(1590)、秀吉の小田原攻めの折の事、
ある夜、北条軍と豊臣軍との間に、鉄砲の撃ち比べが起こった。

両軍、激しく鉄砲を打ち合い、その轟音は天地を震倒させ、黒煙は天を覆った。

北条氏直がこの様子を高櫓に登って見下ろすと、鉄砲が発射されるときの火の光が、
まるで満天の星のように、限りなく台地を覆っていた。
この、浮世離れした情景に氏直は、

「地にくだる 星か濠への蛍かと みるや我うつ鉄炮の火を」

と、詠んだと言う。

その夜の有様は、人の目を驚かせる事、前代未聞の事であった。
古老軍物語にはそう、記録されている。




766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 17:54:40 ID:BuUtvSyw
花火の起源ですね、わかります。

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 18:58:21 ID:MZZ4zjbV
花火の起源は韓国ニダ!

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 19:03:42 ID:gQV9vM3U
宇宙飛行士の話で軌道上からベトナム戦争の戦火が見えたってのがあったな。

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 19:37:07 ID:klxoFu1Z
大河で>>765みたいな合戦演出してほしい

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 19:52:44 ID:bYtaLNlk
>>765
五代記にもあるな、その話。
ただしまさにその、鉄砲を放っていた奴が著者だという違いはあるけど。
ちなみに6月25日の夜半の話だね。


北条五代記の著者、三浦浄心は北条家臣山角上野守の指揮の下、篭城衆として戦った。
彼の担当地区の側、惣構の外に出曲輪(馬出し?)があったが、
今回はあっても意味がないと破棄して惣構えのうちで戦うことになった。
しかし昼間などは惣構えから出て、遺構の土塁を楯に戦うこともしばしばあった。
さて、その出曲輪を取らんと、6月25日夜半に井伊直政が攻めかかってきた。
埋め草(堀を埋めるための草)を大量に持ち込み、堀を埋めようとする。
浄心たちはさせじと激しく弓矢や鉄砲を討ちかけ、その轟音は天地が振動した様であった。
しかし流石に勇猛で鳴らす井伊勢はひるまず、堀を半ば埋め、逆茂木・乱杭を取り除き、ついに出曲輪に進入。
篭城衆は篝火を炊き、塀一枚を楯に迎え撃つ。
激しい戦いが半時続いたが、さすがにこらえきれなくなった井伊勢が撤退を開始。
それを山角以下北条勢が追撃、篝火のある城中とは違い場外は闇夜、
敵の刃だけではなく水堀に落ちてしぬものも多数、まったく生きた心地がしなかったとは浄心の言。
ややあって陽が昇り、井伊勢は撤退、北条勢も一定の戦果を上げて撤収した。

これが小田原篭城戦での唯一の槍戦であったという。


771 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/26(月) 00:04:22 ID:frjTGWeI
>>770
上野守という部分に引っかかった。
無論、勝手名乗りだろうけど。

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 01:41:26 ID:QQjvNN2w
>>771
いわれて気がついて、五代記みなおしたけどやっぱり上野守だった。
ちなみに山角上野介康定のことだと思う。

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 02:02:59 ID:HlWx216n
>>765
これって悪い話なの?

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 03:34:00 ID:Rk4Ke7jq
>>774
撃ち合いに関わってない者達にとって(寝付きの)悪い話。

と、勝手に脳内補完してるROMの俺w

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 04:23:39 ID:cEFyWTAh
>>774
俺は攻められてる最中に何を暢気な事を…と思った。

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 05:11:24 ID:3AaH0gaU
いい話スレの方にあったらあったで、「これいい話なの?」っていわれそうな逸話ではあるなw

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 09:14:49 ID:XrlDK27r
>>774
儚い話…かな

むしろいいスレ向きだったかもしれん
(たくさん人は死んでるけど)

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 10:03:00 ID:SVvoXQyJ
東京大空襲で燃える東京の街も、郊外から見ると幻想的でとても綺麗だったそうだよ
宮崎駿はじめ、有名無名の何人かの回想を読んだことがある

福島道酔と馬入川の怪物・悪い話

2008年12月18日 00:02

429 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/17(水) 20:29:56 ID:Pv7ERzlu
北条氏直の旗本の武者奉行の一人に福島伊賀守道酔という者がいた。
あるときこの者が、相模川の下流、馬入川において鵜飼をしようとすると
地元の漁師がやってきて忠告した

「この川には最近怪物が住み着き、多くの人命を奪っております。どうか気をつけてください。」

いかなる怪物でも、この伊賀守ほどの者に手を出すような事はないさ。そう思って
気にせず、船を出し鵜を操った。
するとたちまち、中間が川の底に引きずり込まれた!

「すわっ!?怪物か!」

福島は脇差を抜き水中に潜った。そこでは二つの巨大な目が光っている物が、中間を食らっている。
彼は食うのに夢中になっている怪物の背中から近づき、後ろから羽交い絞めにして、脇差で
続けざまに五度、刺し貫き、この怪物を殺した。

引き上げてみるとそれは、なんと、長さ一間(180センチ)ほどの鱸であったそうだ。
そして中間は既に、死に絶えていたという。

小田原北条記より、馬入川の怪物のお話。