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初鹿伝右衛門がふと、同僚の名和無理之介に

2010年01月14日 00:05

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 22:08:59 ID:tcZElVhz
永禄十三年(1570)、武田信玄による、駿河花澤城攻めの折のことである。

城攻めの真っ最中に寄せ手の武田軍、初鹿伝右衛門がふと、同僚の名和無理之介に
こんなことを言い出した。

初鹿「なあ、あそこの城の上げ戸、閉まってるだろ?」
名和「ああ?閉まっているな。」
初鹿「アレ上げてこいよ。」
名和「俺が!?」

しかしその上げ戸のある場所には、城方より激しく矢弾が降り注いでいた。

名和「…ムリムリ。あんな攻撃の激しいところで戸を上げられるものかよ。」
初鹿「ほう…、無理…だと!?」

とたんに初鹿立ち上がり、ものすごい勢いで城の縁まで駆け寄るとその上げ戸を押し上げた!
さらに諏訪越中も初鹿の後に続き、手に持つ鎌槍にて上げ戸をさらに高く押し上げた!
もちろん矢弾の雨あられの中を、である。

そうして陣に帰って来ると、「お前無理って言ったのに、俺達上げちゃったよ~」と、
初鹿と諏訪、無理之介が具足の上に着ていた、高名な縄の羽織りを無理矢理はぎ取り、

「お主は無理を通すから無理之介と名乗っているはずなのに、
今回”無理”だと言って断ったよな?
よって以後、無理之介と名乗らないように!」

と言って捨てた。

この事、この後四郎勝頼の扱いにより、無理之介に縄の羽織りは返還されたが、
甲府では

『無理之介 道理之介に名はなれや 無理なることをする身でも無し』

と言った落書が出るなど、無理之介さん、もう散々だったそうである。


「あのバカどもは平気で嫌がらせに命を賭けるから大嫌いだ。」
名和無理之介、そう言ったとか言わないとか。





656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 22:13:47 ID:qjJTbErB
「嫌がらせに命を賭ける」を比喩でなくホントに命かけてる話は初めてだw

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 00:46:24 ID:kfhcBDAa
>>655
諏訪さんまで何やってんだw

一応タグがわりに
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-352.html

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初鹿野伝右衛門、無礼をする・いい話

2009年02月13日 01:15

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 12:01:58 ID:XSPPWjW5
伝右衛門の無礼

武田氏が天目山で滅亡し本能寺で信長が倒れるや、徳川家康は甲信支配に乗り出し、
武田旧臣を多数召し抱えた。
家康は、「武田家での俸禄を安堵するから、それぞれ俸禄を申告せよ。」といったが、
初鹿野伝右衛門は俸禄を申告したにも拘わらず家康への仕官を断った。

伝右衛門はもともと加藤駿河守の六男で、川中島の合戦で戦死した初鹿野氏の養子となり、
かつ実兄の源五郎は天目山で戦死していたので、
申告書に「養父の禄400貫(初鹿野家の相続分)と、実家の禄250貫(加藤家の相続分)を
合わせた650貫を頂戴したい。」と記載したが、
実家・加藤家の縁者が「養子に出た伝右衛門が実家の禄を相続するのは許せない。」と家康
に抗議して、家康が「伝右衛門には初鹿野家の400貫のみを与える。」と裁定したからである。
伝右衛門は、
「他人は皆親兄弟の禄を申告して認められているのに、オレだけ認めないのは不公平だ!」
と激怒して家康の朱印状を墨で塗りつぶし、
さらに「こんな朱印状はくそ食らえじゃ。オレは殿にへつらってまで仕官したいと思わねぇ!!」
と暴言を吐いた。
それを聞いた家康も「伝右衛門の無礼は許さぬ!!」と激怒して俸禄を没収して伝右衛門を追放した。

浪人となった伝右衛門は、翌年の小牧長久手の合戦に徳川家の友人の陣借りとして参加し、一番に敵
の首をとって手柄を挙げた。
目ざとく伝右衛門を見つけた家康は「伝右衛門を連れて参れ。」と言い、伝右衛門は家康の元に跪いた。

「貴様の無礼は許せなかったが、今日の一番首の手柄に免じて仕官を許してやろう。今後もあのようなめざ
ましい働きをするならば、貴様の申告通りの俸禄を与えてやろう。どうじゃ伝右衛門。」
それを聞いた伝右衛門は涙をながして喜んだという。
(常山紀談)





653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 12:15:23 ID:db7T+5Jl
>>652
初鹿野←なんて読むのか教えてください

はつしかの?

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 12:18:45 ID:XSPPWjW5
「はじかの」

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 12:23:54 ID:db7T+5Jl
>>654
ありがとうございます

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 12:37:20 ID:yCfC2gMO
>>652
行動はめんどくさい三河武士と一緒だが、武田の旧臣には強気だな家康w

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 12:55:00 ID:rc4pYzl2
>>657
今川の人質時代からの旧臣には頭が上がらんかと
子供のころ自分を世話したり叱ったりした爺さん達に、今さら強く出られんだろうなw

659 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/12(木) 14:36:16 ID:fYsyQ5M7
真田信之「>>656まったくもって!まったくもって!まったくもって!」

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 15:01:24 ID:EbN8CUil
            _,;-"      ゛'‐-;,
           /            ヽ
           ./     ◎ ◎ ◎   ヽ
    __    ./     ◎ ◎ ◎    .ヽ   / ̄\
  ./ ○ ヽ、 /                 ヽ/  ○  \
/      \,,,--―――''''''''''''''''''''――-/         ヽ
..⌒‐-,,,,_  /:/ヽー―――-、,,__,,,,-―――:||  _,,;-‐''"⌒~~~
     .ヽ/::||::::::::::   (●)    (●)   ||/ヽ
      く ::||:::::::::::::::::   \___/    ||:::::::::ヽ  >>659
       ヽヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ_/  帰ろうか…


662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 15:29:04 ID:A1VEoGiS
 ̄ `丶.  
      \ 
    ,人,ノヽ    、′     、 ’、  ′     ’      ;  、
  人ノ  ,.   !        . ’      ’、   ′ ’   . ・ 
,ノ'   / |  (|        ’、′・  ’、.・”;  ”  ’、
  ,/,/l ! ム|      ’、′  ’、  (;;ノ;; (′‘ ・. ’、′”;
/,/ / | (_,|    ’、′・  ( (´;^`⌒)∴⌒`.・   ” ;  ’、′・
/゚ / / /|     、 ’、 ’・ 、´⌒,;y'⌒((´;;;;;ノ、"'人      ヽ
´三:"/  フ|          、(⌒ ;;;:;´'从 ;'   ;:;;) ;⌒ ;; :) )、   ヽ
 ̄ ̄  <, |          ( ´;`ヾ,;⌒)´  从⌒ ;) `⌒ )⌒:`.・ ヽ    ,(_人_)
へ(⌒ヽ厂 |   ′‘: ;゜+° ′、:::::. ::: ´⌒(,ゞ、⌒) ;;:::)::ノ    ヽ/´
         /          `:::、 ノ  ...;:;_)  ...::ノ  ソ ...::ノ
:::.       /|                   ↑
:::::    / |                  >>659
  .//   |    他のスレに乗り込んでまで嫁の愚痴を言うな!
_/ /    |\  

663 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/12(木) 16:12:29 ID:30R2Ri0Z
>>659
伊達輝宗「お前何贅沢言ってんの?」

初鹿野伝右衛門、堪忍する・いい話

2009年02月13日 01:13

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 15:15:11 ID:KQaKQIpc
伝右衛門と堪忍

ある時、伝右衛門は誤ってお茶坊主の腰の物を踏んでしまい、怒ったお茶坊主に扇子で額を「ぱしっ」と叩かれた。
武辺で鳴る伝右衛門はなぜか茶坊主風情に畳にひれ伏し「ゴメンナサイ。」と謝り、何事もなく済んだ。
これを見た朋輩らは、「初鹿野は武勇の者というのは偽りよ。」と笑い合った。

これを聞いた伝右衛門は、
「我が命は、主君のご用に立てるが命。茶坊主と差し違えても手柄にならず、切り捨てても誉れにならない。
もし油断して討たれた時は損恥よ。
戦場での敵には堪忍できぬが、普段のでき事はできるだけ堪忍なることが肝要よ」と笑ったという。
(甲越信戦録)




664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 16:16:57 ID:db7T+5Jl
>>661
偉いなあ
大抵逆切れして茶坊主を切り捨てるんだろうな

665 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/12(木) 16:22:49 ID:4xXosNMZ
>>661
>>664
前田利家「まったくもってそのとおりじゃ」

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 17:01:15 ID:ILZz/GaT
>>664-665
織田信長「茶坊主ごときにムキになるとかないわー」

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 17:16:01 ID:8s9Ick+6
信長さん、スイカたべた後の後片付けしなかった茶坊主さんをぶった切ったのは、
ムキを通り越した不埒なことなんですね。

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 17:20:06 ID:ObyhzRZa
信長「右手が勝手にやった」

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 22:02:19 ID:n6PHj+0i
ん~?初鹿根伝右衛門って村上義清に討たれたんじゃなかったっけ?別人?

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/12(木) 22:06:15 ID:w0+IRdAh
上田原で死んだのも伝右衛門だが
川中島で直系絶えた後養子に来たのも伝右衛門名乗ったから

徳川家康、使番の勤め・悪い話

2009年02月11日 00:05

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 17:29:56 ID:esH+wXpP
大阪冬の陣は始まったばかりの、慶長十九年(1614)11月18日の夕刻、
徳川家康が念仏を唱えていると、御使番の初鹿野信昌が駆け込んできた。
そう

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-634.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-573.html

この辺の仕込み芸で人気の甲州武士、初鹿野伝衛門の息子さんである。

彼は家康にこう報告した
「今突然、城から後藤又兵衛が大軍を率いて討って出てきました!
どうかお味方に、軍勢に備えるように言ってください!」

それを聞いた家康は、うんざりしたように言った

「今大阪城にいる兵が残らず討って出ても7万ほどだ。
実際には城の防衛のため、大半は城に残る。何が大軍なものか。

大軍などと言う言葉は、軽々に使うものではない。そう言う言葉は味方に無用の恐怖心を
与えるだけだ。

お前の父は甲州で使番を勤めていたな。その父から色々と、大切な事を教わったのだろう。
だがな、甲州では1万以上の軍を大軍と呼んだそうだが、今は日本中の兵を集めた
戦争をしているのだ。戦争の規模の大小により、大軍の定義も、相対的に変わってくる。

使番と言う仕事は、情報を伝える役目だ。
その一言一句が、味方を勇敢にも、臆病にもしてしまう。
言葉はきちんと吟味してから使わないと、今後いろんな所で失敗をするぞ。
この事、良く考ろ。」


実戦経験者の少なくなる中、こんな事まで教えてやらなければならない、大御所様なのであった。




809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 04:02:18 ID:Ww6J/iIJ
>>775

そして夏の陣で真田信繁に三度も本陣を突かれ
馬印を倒されてしまう家康であった

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 09:16:27 ID:YZ9a97kB
>>809
あれは危なくなったらとっとと逃げる家康
奮起して撃退する秀忠
この辺がまさに実戦経験の差

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 09:39:31 ID:i2ZrLl9v
幕府軍の側から言えば乾坤一擲でもなんでもない戦いで、決死隊の突入に
わざわざ付き合って戦う必要は無いからね。
逃げて大丈夫な所で逃げるのは、名将の条件ですよ。

それに実際に家康本陣に突入したのは毛利勝永隊じゃなかったっけ?

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 10:25:46 ID:16GBUpps
そのへんの華々しい場面を全部真田の活躍ということにされて世間一般ではマイナー武将扱いな毛利勝永
まさに悪い話

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 13:02:04 ID:Zb/J+do3
>>813,814
ただ小規模な部隊で構成された前線があっさりと崩され、
あまりに凄い勢いで毛利たちが突っ込んできたから、
若い兵士の多くなっていた家康旗本は、実際泡食って
潰走し始めたのだとと思う。
あと、慌てた左翼後方の浅野隊が右にフォローしょうと動いたのも
家康本隊の混乱に輪をかけた。

誰いなくなった空間に、気がつけば毛利隊は孤立していた・・・
大阪城への引き際も毛利勝永の指揮は水際立っていたと
巷間伝えられてますが。

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 13:31:57 ID:mX/H0/e7
最初は並んで突撃したが、
本多忠朝らの恩賞首を取るために速度が鈍ったがゆえに撤退できた毛利
末将の首など目もくれず本陣めがけて突進したが
老練な家康の采配のために力尽き包囲殲滅された真田隊
だから真田ばかり賞賛されたと解釈してる本もあったな

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 14:09:25 ID:YZ9a97kB
当時の大坂勢は特攻隊みたいなもんですから

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 16:06:35 ID:1RRZK7UK
大野治房の事もたまには思い出して下さいね。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 22:14:43 ID:Ek/IxoRx
>>816
そうだな。本陣が逃走した場合ふつうその軍は敗北濃厚となる
周囲に連鎖して壊走状態になってもおかしくない
前田、藤堂といった右翼が健在だったのと、3倍の兵力差だったのが幸いしたんだろう

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 22:22:02 ID:YZ9a97kB
>>836
後退はしたが、四分五裂ではなかったんでしょう
家康の切腹云々はほれ、あの人ピンチだとすぐそういう人だし

桶狭間後の大樹寺で住職に止められ
三方ヶ原で夏目に止められ
本能寺で本多に止められ

あんたは、江戸中期の浪人か
(仕官してくれなきゃ切腹するといって、多少の路銀をせしめる奴が
多かったが、ある時「是非やってくれ、したら仕官させる」と言われ
窮して、本当に切腹して死んで以降、パッタリなくなったとか)

839 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/11(水) 23:00:45 ID:K8EyDbuM
>>837
その辺は今川義元の最期を知ってるから、
首級獲られるくらいなら自刃してやる、って思考かな?

初鹿野昌次、信玄に怒られる・いい話?

2009年01月06日 00:07

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/05(月) 01:48:50 ID:S726T8jt
初鹿野昌次 武田家臣。

武田家の伝令役「百足隊」に属す。
百足隊は読んで字の如く、旗に大きく「ムカデ」をあしらった軍旗を使用していたのだが
彼はその中でも目立つ為に、旗を白一色の無地にし、旗のすみっこに小さくムカデを描いた旗を用いた。

バレて信玄に怒られた。



812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/05(月) 01:55:48 ID:YyFAI448
>>811
信玄「何故軍法を侵してまでそのような旗をしておる」
初鹿野「ちっちゃく書いてるから別に軍法に背いてないし、
皆と同じ旗だったら俺の手柄がまぎれちゃうと思ったから」
信玄爆笑

って、俺の知っている本には書いてあるぜ。

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/05(月) 01:59:36 ID:YyFAI448
俺のやつまとめに載ってたわw

天正十年の初鹿野伝右衛門さん・いい話

2008年11月23日 00:07

670 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/21(金) 23:18:11 ID:+l5NO4zd
いい話なのか、悪い話なのか迷ったが…

天正十年の初鹿野伝右衛門さん


織田徳川の甲州攻めが始まり、武田家がついに崩壊する、と言う頃。
初鹿野伝右衛門は自分の領地の村人達に、こう言った。

「わしは勝頼様に合流し、運命を共にする。お前達は自由にせよ。」

これに村人達は驚いた。伝右衛門様は我々を見捨てるのか!伝右衛門様がいなくては、
我々はどうしていいか解らないでは無いか!もう武田の家は終わりだ。どうか武田を離反してください。
村人の多くが集合し、大騒ぎとなった。

しかし伝右衛門は考えを変えない。

「武田家への忠義のためだ。…ゆるせ、皆の衆。」

村人達は落胆した。「そこまで言われるのなら…

我らにも考えがあります。」


「え?」


「行け!皆の衆!」村人達は伝右衛門の屋敷に乱入した!そしてなんと、伝右衛門の
妻女を人質に取った!

村人「フフフ、伝右衛門様?あくまで勝頼様の元にいくというのなら、この人質がどうなるか、
わかっておいででしょうな!」

伝右衛門さん「工エエェェ(´д`)ェェエエ工」


これによって伝右衛門さん、勝頼の下に駆けつけることが出来なかったとか。




671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 23:23:16 ID:CLwR1n/B
これはまた、なんというか・・・

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 23:32:16 ID:wVJOSfbX
>>670
確かにいい話かどうか分からんねw
領民も強引な手段に出たものだ

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/21(金) 23:52:28 ID:u1QbGKTe
>>670
勝頼の元へ向かわなかった言い訳(作り話)っぽいな
滅亡目前の武田と命運を共にするなら
妻子も生き残れないだろうし、構っていられない筈
中には妻子を刺殺した後、勝頼に従って討死にした家臣も居たんじゃないか?
例えば大熊とか

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/22(土) 00:08:43 ID:TaY7+cgv
小宮山もわざわざ駆けつけて討ち死にしたよな
天正の地震加藤だ

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/22(土) 05:31:35 ID:FzrjT/CB
>>670
これは確かに迷うなw
村人w

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/22(土) 11:15:19 ID:DiEZmPYQ
>>670
まさか村人達を煽動したのは伝右衛門の手の者 …じゃないよね?
ここ良い話スレだしそんなオチは無いよ…ね。。。

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/22(土) 12:56:16 ID:W/c8/+US
>>670
一揆に阻まれて勝頼に合流できなかったのは知っていたがそんな裏話があったのか。

伝右衛門が刀を踏んでしまって、ペコペコ頭を下げた逸話しらないか?

初鹿野伝右衛門の旗指物・いい話

2008年11月21日 00:08

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 12:20:20 ID:FKf0dJI2
初鹿野伝右衛門の旗指物

武田信玄の12人の使番は「白地に黒のムカデ」を旗指物とするきまりで、彼らは
「ムカデ衆」と呼ばれた。
しかし、ムカデ衆の1人・初鹿野伝右衛門だけは白地の旗指物を用いていた。
それを見た信玄は、
「ムカデ衆の中で白地の旗を指している奴は誰じゃ?なに、初鹿野伝右衛門じゃ
と。またアイツか。伝右衛門を呼び出せ!」とご立腹の様子。
「貴様は、ムカデ衆は「ムカデの旗指物」とする武田家の軍法は知っておろう。
なぜ、軍法違反したのじゃ!!」
それを聞いた伝右衛門は、
「ちっとも軍法には違反してません。」と言い旗指物を信玄に見せた。なるほど
、旗指物の隅っこに小さなムカデが描いてある。
これを見た信玄は、
「…。でもずいぶん小さいな。なぜ、他のムカデ衆みたく大きなムカデを描かな
いのだ?」
伝右衛門は、
「他の人と同じムカデを描いたのでは、戦場において、それがしの手柄が他の人
とまぎれてしまいます。ゆえに、わざと小さなムカデを描きました。」と平然と
答えた。
信玄は、それを聞いて大笑いしたという。
(武者物語)




634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 13:00:51 ID:HpHnuvhx
香車成香といいユーモアセンスありすぎだろうw

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 16:25:33 ID:VpPbkZI6
主君が物わかりが悪いと打ち首になりそうで怖い。

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 17:53:03 ID:Nc3xkYx3
四天王でも長可以外はいけるな

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 19:33:40 ID:ZclFbCvS
初鹿野伝右衛門の仕込みは異常

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 20:31:47 ID:1gwDTbIl
>>640
伝右衛門全身これネタなり

初鹿野伝衛門の陣羽織 ・いい話

2008年11月18日 00:02

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 12:04:52 ID:lHB0fodC
初鹿野伝衛門の陣羽織

武田信玄の使い番に初鹿野伝衛門という勇者がいて、背に「香車」と書いた陣羽織
で有名であった。
信玄は「自ら「香車」と名乗る伝衛門は思い上がった男だ。」と彼を叱ったことも
あるが、猪突猛進する伝衛門の働きは正にその異名に恥じないものであった。
しかし信玄は「前ばかり行って戻らないのでは真の勇者とは言えまい。戻ってきて
こそ真の勇者であろう。」となお渋いことを言う。
それを聞いた伝衛門はさっと陣羽織を裏返してみせ、
「金になって戻って参ります。」と返答した。

伝衛門の陣羽織の裏には「金」の文字が書かれていたのだ。
これを見た信玄は満足そうにうなずき、周りの武将もドッと笑いましたとさ。
(関八州古戦録)




525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 14:16:42 ID:woz2JHzJ
誰が上手いこと(ry

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 17:38:01 ID:7YCcNIqn
>>524
うめぇwwwwwww
どんだけ仕込んで来てるんだwwwwwwwww