梶原又右衛門の忠節

2016年03月20日 18:59

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 21:32:52.43 ID:vEIBgH9Y
本能寺の変が起こった時、尾張の住人梶原左衛門尉の嫡子松千代丸は13歳になっていたが、
その折病に冒され、己の宿舎で養生していた。

しかし、織田信忠の在る二条城の様子を聞くと、すぐにそこに向かおうとした
「私は未だ幼稚ではあるが、一廉の弓取りの子であるのだから、どうにかして私を連れて
御所の中に入れよ。働くこと叶わずとも、ただ伏しながら敵の刃にかかり、君の御供をいたさん!」

これに同姓の家臣である又右衛門という者が、強いて諌めた
「らとえ御所の中に入ることが出来たといえども、この有様ではどうしようもありません!
君御父子(信長・信忠父子)は逆臣のために殺されたとしても、その後いかようにも、織田家
ご親族の人々によって逆徒討伐の儀がなされるでしょう。であれば、今は治療をして、
その折を得て忠節を成されるべきです。

であれば、私はこれより御所に駆け入り、この事を申し上げ、恐れながら御名代として
信忠卿のお供をいたします!」

そう言い捨てるとその場をづんと立ち、馬を引き寄せ打ち乗り。諸鐙を合わせて二条城に馳せ、
寄せての明智軍に紛れて御所の中に入り、広縁にて跪き、松千代丸の状況を信忠に委細に言上し、そして言った
「主の代官に、それがし、御敵を防ぎ奉らん!」

その至忠に信忠も感じ入り、自らの薙刀を又右衛門に与えると
「屍は戦場に晒すとも、まことに後世までの面目なり!」
そして庭上に躍り出て、蜻蛉返し水車と、八方透かさず斬って廻り、敵数十人を薙ぎ伏せ突き伏せ、
尽く防いだが、寄手は大勢であったので事ともせず次々と向かってきたため、終には討たれた。

その忠節を感じ、陪臣でありながら、彼の名は阿弥陀寺の過去帳にも書き載せられているという。

(甫庵信長記)




500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 21:44:12.47 ID:hslUDo2B
こないだから甫庵を出してくるのは
小説の「良い話」を紹介するのとおんなじなんだけどなぁ…

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 21:53:01.40 ID:ECqYoMqa
もっと後代の名将言行録からもいろいろ出てるし問題ないだろう
武功夜話でも出典書いてれば載せてOKだろうし

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 21:57:47.45 ID:Ile/5imJ
>>500
一応指摘しておくと、昨今は甫庵太閤記の史料性も再評価されてる。
徳川家の武田旧臣などから、独自ルートで取材したフシがあるらしい。
あと太田牛一信長記と甫庵信長記は、成立したのはほぼ一緒の時代の軍記。
逆に言えば太田牛一信長記を信用しすぎるのも危険。

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 21:57:53.86 ID:hq9GYHmV
軍鑑なら、甲陽軍鑑なら...

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 21:58:24.17 ID:Ile/5imJ
>>502
甫庵太閤記じゃない、甫庵信長記だw

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 23:55:07.93 ID:4DVvuEN+
武人百話も100年位前だね

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/20(日) 08:43:31.70 ID:jqPquz/P
>>502
史料として見直されてるのは、甲陽軍鑑と同様に風習が参考になるって話で
事件などの顛末については評価が低いよ。

甫庵信長記は一次史料とあからさまに食い違ってる話が多いからさ

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/20(日) 11:05:53.99 ID:Q9Nctl58
春日惣次郎の時代までは遡れそうなもので間違いないんだっけ?
まあおじいさんの回顧録とかには「時系列ぐちゃぐちゃだし話盛るし細かいところ適当過ぎ」ってのしばしばありそうなもんだが
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悪魔に対するその奉仕と報い

2015年01月03日 16:05

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/02(金) 18:08:40.62 ID:Gq+up1P0
彼(織田信長)の息子で城介殿と称する嗣子(信忠)は、その領地で司祭たちを援助し、教会を建てるために
地所を提供したり、彼の町である岐阜に、大いなる十字架を建てるために広場を提供するなど、従来
我らに対して深い関心と愛情を示してきたが、時勢に順応し、父を喜ばせるためか、あるいは同じく
悪魔に欺かれてしまったためか、父とともに甲斐国の(武田)信玄(原文ママ)を討伐して帰還した際、
彼の地で大いに尊崇されていた一つの偶像を持ち帰り、尾張国に安置して礼拝することを命じた。

そして都に着くと、同所から3里のところにある愛宕と称される山にある悪魔に二千五百クルザードを
献納した。さらにその悪魔への深い信心から、それに捧げる一種の犠牲の行として、自らの邸で裸と成って
全身に雪をかぶる苦行をした。

だが、(後述するように)その後3日以内に、悪魔に対するその奉仕の報いを受けるに至った。

ルイス・フロイス『日本史』)

ルイス・フロイスによると、織田信忠は愛宕信仰をしたせいで滅んだ、という一節である。



146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/03(土) 03:17:28.30 ID:mE4vCnu/
火伏せの神を信仰して焼かれるなんて・・・悪い話だ

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/03(土) 03:50:50.09 ID:mLMtRA7c
フロイスって世話になった人の死の評価がワンパターンすぎるわ

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/03(土) 04:17:47.76 ID:ICxvv49Y
本能寺の変の3日前に雪かぶるだと…!?
ちうか光秀も愛宕参りの後で謀反してんですけど

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/03(土) 05:48:53.65 ID:3fJmV1yx
>ちうか光秀も愛宕参りの後で謀反してんですけど

フロイス「それゆえに光秀殿も三日天下に終わったのである(キリッ)」

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/03(土) 09:17:29.95 ID:bhN1cEvu
織田が滅びたのは悪魔崇拝のせいじゃなく織田自体が悪魔だったからという視点が必要だったね

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/04(日) 13:44:54.34 ID:cZ8z38P+
フロイスって批判はあるけど
絶賛内戦中の外国に飛び込み
現地で言語習得して布教活動しつつ
各地の軍閥首領と渡をつけ、信者ネットワークを駆使して
歴史を記録したわけだよね。
逆の立場で日本の坊さんがフロイスの故国(ポルトガル)へ飛び込んで
王室貴族とコネを築きながら、ホトケの教えを広め
ついでにアヴィス王朝期の貴重な資料を残した
と考えると、凄さがわかるな。
恐ろしい程の行動力&人間力。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/04(日) 19:46:57.00 ID:WfjTn4b5
唯一の神を信じない蛮族を改宗するのが使命だと思い込んでるもの

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/04(日) 20:28:26.25 ID:xhdNdy6x
今後しばらくは無駄に行動力があるクソの国の人たちに
搾取される歴史が待ってる模様

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/04(日) 20:54:21.83 ID:RFWcf3wF
侵略の尖兵だもんな そんなことも見抜けない間抜けが謀反で死んだ

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/05(月) 01:03:30.16 ID:iHsdU/kN
鎖国下の日本に潜入したイタリア人宣教師シドッチは獄死したけど
バチカンは殉教者扱いしてなさそう

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/05(月) 09:43:21.85 ID:P/HlvxUu
>>154
さすがラスボス

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/05(月) 12:16:03.52 ID:kxfkaLKR
フロイス日本史から筆者のマメで真面目な仕事するけど、どこか偏った感じを受ける
その辺の頑固で努力家なところが武士の気質に似てて上手く馴染んだんじゃないかと思う

本能寺の変・証言

2014年04月21日 18:55

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 09:21:00.35 ID:6h/K3DlS
明智光秀の謀反の時、光秀は家老にはその謀反の意図を知らせたが、諸卒には知らせなかった。
そのため西国に出立するのだと皆心得ていた。亀山より樫木原まで出て、西国に向かうのだと思っていたところ
直に京に向けて武者を押した。故に人々はみな不審に思った。
桂川を渡って、初めて信長を攻めるという触れが出された。

未明に信長の居た本能寺に押し寄せると、信長は切腹し火をかけた。京中では何事があったのか
何も知らなかった。何故なら本能寺のあった新在家は他所とは違い、四方に掻き上げの堀があり、
土居を築き木戸もある構えの内であったためである。

土居に上がってこの騒動を見た者の中には、これは明智の謀反だと推量する者もあった。
里村紹巴は光秀の内意を知っていたが、「どうしてそんな事があるだろうか。」と、人がそのように言うのを
制した。里村昌叱は「思い当たることがある。」と言った。

さて、明智勢は本能寺に火をかけた後、城介殿(織田信忠)の宿所である妙覚寺へと押し寄せた。
当時、その辺りは京の中でも町家は所々にわずかにある程度で、視界の妨げにならなかったので、土居の上から
はっきりと、水色の旗の軍勢が妙覚寺に進んでいるのが見えた。そのため『さては明智が謀反したのか!』と、
たしかに皆が知ることになった。

妙覚寺は、現在の室町薬師町にあった。しかし構が無いため敵に対応することは出来ないと、信忠は
南都の陽光院殿(誠仁親王)が御座されていた小池の御所(二条御所)に移った。
誠仁親王は禁中に退去された。
親王は烏丸の方の門から出られたが、肩輿も無かったので人に背負われて行った。

また公家の正親町殿(正親町季秀)はこの騒ぎの中、誠仁親王への見舞いに参上し、室町の方から
小池の御所に入ったが、その時はすでに退出した後であった。そこに明智勢が急に攻めてきたので、
御所から出ることも出来ず信忠勢と共に中に籠もるはめになった。

正親町殿はこの時の様子をよく観察しており、後で人々に語った所によると、信忠の士卒は皆、大庭に
集合していた。正親町殿は菓子として昆布を持っていたのを出して、これを諸士に与えられた。
この時、顔色が変ってしおれていた者達は、皆家に功の有る歴々であり、意気揚々としていたのは
皆新参であった。
この後の明智勢との戦闘で、顔色の変わっていた者達は皆、勇敢に戦い討ち死にし、意気揚々の者達は皆、
狭間をくぐって逃げ出したとの事である。

さて、正親町殿には室町の町家に、知人である楽人の家があった。そこで御所の壁を乗り越えて
その楽人の家に入り、公家の正装を着て烏帽子をかぶってそこから出た。これにより、彼は公家であると
明智勢からも通行を許された。そのため、逃れることが出来たのだという。

(老人雑話)

老人雑話より、本能寺の変の時に、現場に居た人々の証言である。





織田信忠「その掟が緩和された暁には」

2014年03月14日 19:10

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/13(木) 19:40:20.15 ID:hD5GWrpH
信長とその息子たちの、キリシタンへの好意の与えた影響は小さくなかった。何故なら経験が示してきたように、
それにより異教徒たちの思考の中に我らの聖なる掟に対する信用が増し、その結果として大いに教えが広まり、
受け入れられるようになり、もし肉欲が物事の判断を狂わせなければ、すでに多くの武将が入信したことであろう。

だが、彼ら(日本人)にとって第六戒(汝、姦淫する事なかれ)を守るのは極めて困難であり、彼らの多くは、
もし伴天連達がこの掟に関して少しく寛大であれば、直ちにキリシタンになるであろうと公言していた。
その人たちの中には、信長の長男で後継者の殿様(織田信忠)もいた。

織田信忠はこの問題に特に関心を寄せ、3,4度我らの修道士と話し合っており、もし伴天連達が
この掟に対して便宜を計り、それほどまで厳密に考えることをやめるならば、キリシタンの数は間違いなく
倍加するであろうから、伴天連たちはそうするように、と、修道士を説得しようとした。

この禁によって人々に恐怖心を抱かせ、大いなる収穫を失うよりも、この掟を免除し、多くのキリシタンを
作る方がデウスへの奉仕になるであろうというのが、この若殿がこのように語った、岐阜の政庁において
もっぱら取り沙汰されている人々の見解であった。
そしてこの掟が、まるで人間によって作られ、デウスが命じ給うたものではないかのように、
彼は、その掟が緩和された暁には、彼自身率先してキリシタンになるであろうと言っていた。

だが一同に与えられる答えは、常にだれにでも容易に納得できる言葉で示された。すなわち、司祭の説く掟は
デウスによって啓示された真理であって、人間が案出したものではない。もしそれらが仏僧らの教えのように
人間が作り出したものであり、彼らがなすように我らも不正で不敬な方法で自分たちの利益を収めることだけを
望んでいるのなら、この掟に関しても人間が望むように語るであろう。だがそれはデウスの掟であり、その
不可謬の決定であるが故に、我らはそうした判断を生む人間の意志や淫蕩的欲望に順応することは出来ぬのである。

ルイス・フロイス『日本史』)


織田信忠が宣教師に対し、「姦淫禁止は何とかならないか?」と聞いたらしい記録である。




738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/13(木) 21:09:15.30 ID:KNQjcw/3
日本は宗教の戒律を自分たちの都合のいいように捻じ曲げて受け入れるんだよなあ

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/13(木) 21:14:39.91 ID:fl/qCXGo
なんか秀吉の逸話で似たようなのがあったが、この改変か?

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/13(木) 21:35:35.88 ID:7jSOMkF8
>>738
禅僧は寒い冬の日に仏像を燃やして暖をとり、念仏は戒律を守れない者も救う
日本仏教のこれはこれで良いと思う

最近日本でも流行りの南伝上座部が、
昔の日本と支那に普及しなかったのは気候の違いが大きかったんだと思うわ

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 00:30:38.98 ID:9vGE6A7s
>>738
日本に限らずどこでもそうだと思うがの
それに宗教そのものも確立されたときから不変というわけでもないし

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 01:42:30.77 ID:7GvGc+ge
>>737
この時代から約百年後の宣教師ブーヴェの著書『康煕帝伝』でも、「陛下まじ名君wwwwwwでも姦淫ヤ リすぎwwwwww」てな感じで書かれてたな

ただまぁ信仰篤い宣教師には、アジアのつーか非キリスト教圏の一夫多妻制がもはや個人の性欲の問題ではなく、社会保障にまで関わる制度だとは想像の埒外だろうけど

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 02:04:32.40 ID:OTPnSk+L
>>742
社会保障か。たしかにね

ヨーロッパだと、王が男子を残して死んだら、
「その子は庶子だから相続できません!」
で、おじやいとこが王位を継承する、なんてことがわりと普通にあったり

ひどいのになると、正当な王妃との間に生まれた嫡子がいたのに、
例の悪名高き「婚姻の無効」発動で、
「お前のカァチャン、遡ってもともと王妃じゃなかったことになるんで、
お前今日から庶子な!」とか

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 03:12:53.38 ID:9vGE6A7s
ああ、草原なんかだと親兄弟の嫁を囲って養うのは当主としての義務らしいしね

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 03:35:13.17 ID:s9UOx24A
旧約聖書のオナンの話も兄嫁に種を提供して死んだ兄の家名を残させるべきなのにそれを嫌がったのが一族繁栄のための義務に反するというのが本質
後世だと子供を作らない快楽のみの性交がいかんという風に解されがちだが

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 07:29:35.56 ID:neAFLMUb
もこみちの鎧姿が似合う。忠勝か宗茂で主役やってくんないかな。

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 08:11:44.11 ID:YrhG6nAC
料理シーンのある武将でお願いします

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 08:31:30.12 ID:Of3Hilaw
宇喜多直家の、簡単おもてなしクッキング!

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 10:32:49.94 ID:rgkagBle
材料は適当な食材と毒少々!カンタン!

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 11:43:32.15 ID:V38m6M7c
料理と言えば政宗だろう

751 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/14(金) 12:15:37.67 ID:KiR0CtCL
>>737>>742
日本の場合は姦淫というと衆道も含まれることをお忘れなくw

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 12:23:30.29 ID:LCy28+d5
>>748
宇喜多直家の怖さは忘れた頃に来る怖さ。
過去スレで備前茶を振る舞われた皆様
そろそろ効いてきたんじゃなーい?

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 14:26:31.70 ID:9D/eaQgf
>>738
どこの宗教もそんなもん
つか、国ごと時代ごとの大衆意識にある程度迎合できない宗教は大体衰退して消える
インド仏教の中でも密教なんかは、当時のインドの大衆に合わせてヒンズー教の諸々(マントラとか)取り入れた結果だし、
ヒンズー由来の神々が仏教に取り入れられてるのも大体そのせい
そのヒンズーにしてもキリスト教にしても、土着宗教や習俗を巧みに変化させ取り込みながら発展してきた

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 14:41:22.49 ID:vs9ZF4dj
人妻専門が晩年突如ロリコンに目覚めたのは平和になって社会保障の必要性が薄れたからか

755 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/14(金) 15:44:18.46 ID:KiR0CtCL
誰のことですか?

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 15:52:15.58 ID:1LAOtHzd
性的嗜好の流れとしては割と一般的らしいぞ
自分に無いもの、遠いものに憧れるというか

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 16:39:57.35 ID:UbrERJgb
日本の仏教だっていきなりそうなったわけではなく
衆生の求めに応じて何度も何度も改められ続けた結果が今なわけだからなあ

できなかった宗派は今どうなっている?って話

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/14(金) 16:53:06.81 ID:befumoTv
曹洞宗なんて宗祖の道元が只管打坐とか言ってひたすら座禅しか
しない教義だから、どんどん衰えていったけど、瑩山禅師が他宗派のテイスト
取り入れてなんとか没落を免れた。

曹洞宗の大本山が永平寺と総持寺の2つあるのはその関係。

織田信忠と「天下兵馬の権」

2013年08月15日 19:51

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/15(木) 16:25:46.94 ID:IjM0H9nU
天正十年、織田信忠は兵五万を率いて武田勝頼を攻め滅ぼし、
信濃、甲斐、駿河、上野等を尽く平定した。織田信長はたいへん喜んで、
福富平左衛門貞次を使いとし、信忠に父信秀の遺刀を授けて、

「お前が出陣することわずかに三十日で大敵を滅ぼし、数国を平定したことは、
先祖を辱めない活躍というべきである。今年の冬には必ず天下兵馬の権を譲ろう。
いま家伝の宝刀を授与してしるしとする」と、言った。(寛政重修諸家譜)

信忠は畏まってたいへん喜びながらも、天下を譲ることについては、
「いまだ若輩ですので思いも寄りません」と、返答した。(当代記)





織田信忠の任官

2013年08月08日 19:55

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/08(木) 16:18:28.26 ID:VhQuf07U
織田信忠は叛乱した松永久秀を攻めて焼殺し、十三日に兵をおさめて京に帰った。

朝廷は大納言実枝を信忠邸に遣わし、その功を賞して従三位中将に任命し、昇殿を許した。
しかし、これを信忠は「朝恩の厚いことはたとえようもありません。しかしながら父に告げずに
お受けすることは臣下の道ではありません」と言って固辞した。

信忠は実枝が再三すすめても勅命に応じなかったので、帝はその控え目で、
思いのままに振る舞わないことを叡感した。

しばらくして信忠は使いを父信長のもとへ送りこの事を告げた。信長は「久秀は鍛練の老将であったが、
お前は年若くしてわずかなうちにこれを誅滅した。この功は大きなものである。ぜひとも詔を奉じて
官爵をお受けせよ」と言った。ここにいたって信忠はかたじけなくも謹んで勅命を受けた。

――『寛政重修諸家譜』




842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/08(木) 17:36:40.21 ID:B1SH3gY7
義経のことが頭に浮かんだのだろうか

843 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/08/08(木) 20:04:03.44 ID:Y3e9JJQK
武田には勝手に手出してたけどな

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/09(金) 18:04:10.95 ID:QMvYkCoH
>>841
能楽に狂ったりイケイケの家臣に気に入られたりするけど信忠さんってやっぱし優等生なイメージ

織田信忠は能を好み

2013年06月26日 19:55

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/26(水) 18:47:29.40 ID:Ei9Qmz2B
天正九年の事。織田信忠は能を好み、自身もこれを行った。
身分の高い者も低い者もその腕前を見事と言った。

織田信長はこれを聞いて「武将たる者がむやみに能を好むものではない」
と言い、大変しらけた。

そこで信忠は能道具をすべて取り寄せ、丹波の猿楽師・梅若大夫に与えた。

弟の信雄・信孝もこの道を好んだが、信長はこれについては知らなかった。

――『当代記』




955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/26(水) 19:18:11.08 ID:90EL/F1K
幸若舞はええんですかそうですか

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/26(水) 19:28:49.30 ID:zZJOJp82
しかたないのう

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/26(水) 19:54:10.62 ID:efCxEmqq
「面白の乱舞や 其身を捨てぬ程に心掛け」
ほどほどにできず、やり過ぎるくらいなら捨ててしまえ!てことでは



共に16歳、織田信忠小姓。二人の少年のこと

2012年09月08日 20:30

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 21:57:18.15 ID:LvUM7Tln
織田信忠の小姓に、佐々清蔵山口小辨という二人の少年があった。
清蔵は佐々成政の甥で、武士の家系であったが、小辨は伏見あたりの賤しき者の子であった。
しかしこの二人は容貌殊の外優れ、また賢かったので、禿(かむろ)として常に信忠の元で使われていた。
さらに清蔵は観世流の能を、小辨は小歌の名人であったので、特にその寵愛を受けた。

天正10年(1582)び武田征伐における高遠城攻めの時、両人共に16歳にして抜群の働きがあり、
織田信長はこれを聞くと両人を呼び出し、先ず山口小辨

「この度高遠にての働き、稀代の至りである!城介(信忠)の眼鏡違わず、ひとしお満足の事である!」

そう褒め上げ、手づから国久の腰の物に感状を添えて下した。
次に佐々清蔵を召し

「高遠にての骨折り、天晴であった!ただし汝は手柄するのも当然である。何故ならあの大剛の
内蔵助(成政)の甥だからだ。」

と仰せられ長光の腰の物に感状を添えて下された。
これを見聞きした者たちは二人の名誉を羨むと同時に、

「信長公はさすが智勇兼備の大将である。あの褒められ様を見たか?
小辨は卑しい身分の出身なので、手柄高名誠に稀代なりと仰せられ、
清蔵は武士であるから伯父内蔵助の名まで出して賞せられたること、流石名将の一言一行、
感ずるに余りある。」と言いそやしたそうである

さて、このことがあって60日あまりにして、明智光秀の反逆により信長は弑せられた。
その時信忠は二条城にあったが、光秀の兵がそこにも襲い来て同じく討ち取られたその時に、
この清蔵、小辨の二人の小姓は互いにいい合わせて

「今は我々も討死すべき時である!されど素肌(鎧を着ていない状態)にて死ぬことは、屍の上に
恥を晒すことである。厳しく物具して死のう。そうであれば緊急の事態で何致し方ない。共にひとたび
敵軍に討ち入り、良き兵討ちてその物具を取って着よう!」

そう確認すると二人、勇んで突き出て、思った通りの敵を討ち取ると一度陣に帰り、その物具を二人共
厳しく装うと、互いに微笑み合い、再び切って出て敵勢と渡り合ったが、ついに二人共討ち取られた。

ただでさえ紅顔の美少年であった二人の思い切ったる働きに、この戦場の人々も彼らから目が離せなかったが、
その死んだ時、美しい顔に血が流れ、前髪も朱に染まっていたのを、敵も見方もこれを見て嘆くとこ、
ひとかたでは無かった。
そして多くの京童たちも二人の少年の首のもとに集まり、その健気さを惜しみあった、とのことである。


織田信忠寵愛の小姓、佐々清蔵山口小辨という二人の少年についての逸話である。
(武士道美譚)



関連
信州高遠城一番乗りの事
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5983.html


361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 22:07:30.29 ID:qOrIL3ku
え?悪い話!?

362 名前: 忍法帖【Lv=29,xxxPT】(1+0:8) [sage] 投稿日:2012/09/07(金) 22:36:40.12 ID:Wr0rj8gN
イイハナシダナー

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 00:30:43.38 ID:pq329bjA
というか眼鏡という単語が引っかかった。この頃にに入ってきたんだな

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 00:49:11.25 ID:TYKdc9uU
小和田哲男の本で
「秀吉」「天地人」の時代考証の時に
「眼鏡にかなう」という言葉が入れられそうになった時、小和田哲男は
フロイス「日本史」では

フランシスコ・カブラルがメガネをかけていたら庶民からバテレンは4つ目だと評判になって
岐阜に四、五千人もの観衆が集まってきた。

と書かれているように、戦国時代に眼鏡はほとんど普及していなかった、だから「眼鏡にかなう」
という言葉もなかったはず、と入れさせなかったそうだが

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 00:54:35.47 ID:K/FXAyga
久能山だかに家康の眼鏡が残ってたな

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 02:18:52.15 ID:NIxT/FZp
その眼鏡をモチーフにしためがね之碑があるのが、上野の東照宮下の不忍池

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 04:56:56.65 ID:aRY9MqBK
大御所様は4つ目だ

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 12:09:22.24 ID:hvtbgZHu
「お目にかなう」って表現はいつからあったんだろうか?
眼鏡にかなうより昔からあったのかなあ

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 12:25:04.96 ID:5edXjqzV
考証って言葉まで担当してたんだね
物だけかと思ってた
当時ないといえば四六時中とかも使えないんだろうなあw

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 13:56:54.09 ID:hvtbgZHu
>>374
「二六時中」という言葉はあったらしい

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 14:01:08.41 ID:pT9WL0m5
大河ドラマ毛利元就の脚本を担当した内館牧子は
「殿、チャンスですぞ」という台詞を考証に却下された、とぼやいていた

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 14:30:36.34 ID:K/FXAyga
今年のも「王家」がどうこう言うて釈明に追われてたっけ

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 14:53:47.69 ID:4S++orRw
チャンスwと思ったが日本語にするとなんだろか。好機?

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 14:55:34.21 ID:xRjFVdfj
殿チャンスですぞってどこぞのパチンコだよwww

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 15:00:30.39 ID:hvtbgZHu
白河法皇「なうげったちゃんす(ニン」

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 15:08:44.51 ID:6IIMnwwc
そこまで厳格にやらんでもいいけど、
チャンスとか雰囲気壊すのはやめて欲しい

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 17:27:04.08 ID:NIxT/FZp
サボる ってのも日本語になってるよね・・・

織田信忠「今生で恩賞を与えることはかなわぬが」

2010年10月25日 00:01

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 11:05:15 ID:6J7BOAn4
織田信忠の本能寺の変においての決断は、人によって賛否両論が激しいですよね。
否賛成派の人にとっては、別にいい話とは思えないかもしれないけど、気にせず投下してみる。

天正10年6月2日、本能寺の変が発生。
近くの妙覚寺に宿泊していた信忠は、異変に気付くとすぐさま父・信長のもとへ駆けつけようとしたのだが
間に合わなかった。
信忠は守りの薄い妙覚寺を移動し、五百名ほどの馬廻り衆と共に二条御所に立て籠り、
間もなくして明智勢の襲撃を受けた。

寡勢のうえ武器も不足しており、多くが「素膚に帷一重」という状態ながら信忠勢はよく戦ったという。
明智方の重臣である明智次右衛門に重傷を負わせ、明智孫十郎などを討死させた。
また寄せ手を三度までも撃退したと伝わっている。
信忠自身も具足を付けて戦っており、日頃鍛えた剣法で敵兵を十七、八人斬り倒したのだとか。
そんな感じで信忠が奮戦しているところへ、下方弥三郎という小姓が駆け付けてきた。
見ると弥三郎は左足を負傷していた。
脇腹もやられており、腸がはみ出している。
この傷ではもう奉公が出来ないため、最期に信忠に挨拶でもしようと思ったのかもしれない。
「勇鋭と言うべし。今生で恩賞を与えることはかなわぬが、願わくは来世において授けようぞ」
信忠はそう声をかけた。
その言葉に弥三郎は感激して、笑いながら再び敵中に駆け出して行き討死したという。

絶望的な状況で善戦した弥三郎の様な忠臣達もそうだし、それに対して恩賞を与えてやりたいと思う信忠にも
ジーンとくるお話でした。




897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 14:01:50 ID:4/v5N+Hv
>>893
信長は危なくなったらスタコラサッサと逃げるのが得意だし、
有楽斎も「織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて
われは安土へ逃げるは源五 むつき二日に大水出て おたの原なる名を流す」
と揶揄されたとはいえ、あの状態から逃げ延びたのに、嫡男の信忠は
有楽斎と一緒に逃げられる状態なのにわざわざ討ち死にだらかなぁ。

なにかというとすぐに切腹する切腹するといいつつも、スタコラサッサと
逃げる家康と違って、本当に切腹しちゃうタイプだったんだろうなぁ。

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 14:14:31 ID:7xZx+Ryf
アレって有楽が信忠に
「逃走に失敗して討ち取られたら恥だから逃げずに戦った方がいい」
って言って信忠を戦わせてそのスキに自分は逃げたんじゃなかったっけ?
当主であり甥っ子でもある信忠を捨て駒にしたから
「有楽は人でなし」って言われたんだと思っていたんだが違うのか?

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 14:39:57 ID:8IUDjsp2
>>893
ちくしょう、なんかモニタがぶっ壊れた・・・(;-;)

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 16:10:22 ID:t0rHsU4p
逃げられる状態かなんて当時の信忠には分からん罠
ましてスタコラサッサ逃げる父親が討ち死してんのに。
妙覚寺には信忠の配下ほか、村井貞勝ら本能寺で一緒に死ねなかった信長直臣も居たが
信忠配下の連中は士気が高く、村井らは意気消沈としていたそうだ
人間的魅力においては織田では代え難い若様だったな。あの鬼武蔵の上司だし

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 16:21:40 ID:K5smnxaS
有能かつ挫折を知らない若者
もう少し苦い経験があればな

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 16:39:29 ID:t0rHsU4p
776 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 01:26:01
そりゃオメー
あの策謀多き人と呼ばれた明智っちゃんが親父殺した後なんだぜ?
まさか細川や筒井ですら協力してなくてラクラク逃げ出せるとか思いもよるめーよ
「信長さまは戦って華々しく討ち死したのに息子ときたら逃げようとして捕まってやーねー」
「あのみすぼらしい格好、とても一軍の将には見えませんわね、奥様」
「渋柿くうかw渋柿ww」
なんて状態になったら涙目だろ

777 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 01:30:26
漢、と書いてオトコと読むタイプだったんだろうなw

778 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 02:19:18
逆に無事逃げていたら今頃
「息子さんはちゃんと脱出したのに、信長さんったら明智なんかに殺されてやーねー」
「ま、しょせん桶狭間とか運とかだったのよ運」
「ホントに人生五十年で死んでやんのwwwテラワロス」
なんて言われていたんだろうな

779 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/04/16(木) 10:37:49
わっはっは。
巷に多い信長ファンにみせてあげたいな。

780 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 19:48:26
>>776
>>778
つまり歴オタにろくな人間はいないと



これ思い出した
信忠生きていたら生きていたで(その後、信忠が政権とったら)、信長は今ほど神格視はされてないかも知れん
逆説的にいえば、結果的に息子の信忠が及第点の死に方したから、信長の死に様は武将としても
父親としても格を保ったみたいな

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 17:22:25 ID:6J7BOAn4
>>900
>人間的魅力においては織田では代え難い若様だったな。あの鬼武蔵の上司だし

一番鬼武蔵の迷惑を被ってそうなのは信忠だろうに、疎ましく思ってる様な話がないのが凄い。
むしろ、何しでかすか分からない鬼武蔵を先鋒に起用したり、
鬼武蔵は返り血を浴びてるだけなのにケガをしてるんじゃないかと心配したり、
各務元正が負傷した時には信忠自ら医者を派遣したりとか気に入ってる感がある。


905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 17:27:09 ID:57K5zd8g
漫画版ゲッターのようなブルブル目玉に悪人笑いをする信忠&鬼武蔵を想像して茶吹いた

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 18:14:58 ID:yjxctVYL
>>904
変な勘ぐりを入れて悪いが森さん家になんかあったら、親父殿に大目玉くらう可能性はない?
だから、過剰に心配をしているように見える

信忠の切腹と鎌田新介・悪い話

2009年02月16日 05:45

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/15(日) 11:44:20 ID:ibhPEGG/
往生際の悪い(?)話

本能寺の変において、織田信忠は二条御所に立て篭もって明智の大軍と戦った。
しかし、いかんせん多勢に無勢であったので、信忠は自害することにした。
信忠は、「切腹したら、縁の板を引きはがし、遺体を床下へ入れて隠せ」と言い、介錯は鎌田新介に命じた。
そして、信忠は切腹し、鎌田新介が首を打ち落とした。

ところが、信忠を介錯した鎌田新介は切腹せず、井戸の中に飛び込み約3メートルほど下の積み石が抜けた所に這い入って身を隠し、夜半になってから忍び出たという。
(明智軍記)




42 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/15(日) 18:54:16 ID:1P8lpUje
>>12
織田有楽「主君に殉じないとは不届きな輩め!」

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/15(日) 19:00:39 ID:mkIq+V1U
前田玄以・水野忠重「俺らって有楽さんが風除けになって話題にならないよね」

守護不入・笑い話

2009年02月16日 05:40

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/15(日) 20:51:48 ID:Eu0Q92Dn
当時の男色はノーマル。むしろ嗜まない方が変態。

そんな時代のお話

ある男が美しい若衆を見かけ、「キミは織田信忠公の小姓で、美貌で有名だった
佐治新太に良く似ている。」などと言って誘惑するが、若衆はこの男を嫌い
「私は守護不入だよ」とけんもほろろな態度。
それを憎らしく思った男は

「なあに守護不入の土地でも、時々ふひょう(歩兵、放屁とかけている)が出るであろうよ」

と、悪口を言ったとか。