FC2ブログ

北畠具教の滅亡

2020年03月07日 16:31

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 11:03:05.01 ID:4mIamn/1
天正四年には、織田信長公は近江国安土山に城を拵え給いて、岐阜は御子信忠へ譲られた。
同五月に大阪を攻め勝利を得られた。
またその年、伊勢国司北畠権中納言具教卿をも討った。

この北畠具教卿と申すは、心剛にして力も強く、塚原卜伝の一の弟子であり、兵法は一の太刀をも極められていた。
そのような人物であったので、信長の次男・信雄を養子にされたと雖も、自分の孫婿として田丸に置かれ、
主城である大河内には自らが居し、多気には子息の左中将信意(具房)を置いた。

信長はこの状況を然るべからずと思われたのか、去々年より、長島城に北伊勢四郡を副えて置いていた
滝川左近将監一益に、「国司(具教)並びに一味の大名共を謀り討て」と宣うた。
そこで一益は信雄と申し合わせ、鐘を合図として、ある朝国司の御所に押し寄せ、また同時に、北畠、大河内、坂、
名井、三瀬、羽瀬、長野などという一族を始めとして大名十三人を、味方の大名十三人の方へ呼び寄せて討った。

こうして北畠具教卿には味方が一人も無くなり、居合わせていた下臈たちも皆落ちていった。
しかし彼は究竟の強弓であったので、只一人門外に進み出て、差しつめ引きつめ、散々に射られると、矢庭に
鎧武者を多く射倒した。
そして殿中につつと入ると、大長刀を振るい斬って出て、また大勢の敵を薙ぎ伏せ、或いは十文字の鑓をかついで出、
或いは太刀を打ち振り斬って出、このように道具を持ち替え持ち替え兵法の秘術を尽くし給いし有様は、実に
雄々しく見えた。

卯の刻(午前六時ころ)から巳の刻(午前十時頃)まで戦い、遂に四十九歳にして討たれた。

こうして信雄は大河内城へ移った。国司の嫡男である北畠左中将信意については、「本より村上源氏の公家であるから」
として、京都に置かれた。次男は出家して奈良の東門院の御院家と申していたが、この事を聞いて、「如何様恨みを
散らさん」と、還俗して北畠具親と名乗り潜伏したが、恨みを遂げる力があるとも思われなかった。(この北畠具親に
ついては実在を確認できない)

氏鄕記



897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 11:24:49.62 ID:D3fNQvLL
人間50年か
まるでドラマでのノブさんの最後のようだ

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 12:04:51.91 ID:oyNgTpDB
>>896
北畠信意は信雄ではないんだ

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 12:27:33.61 ID:4mIamn/1
>>898
どうもこの『氏郷記』は具房と信意(信雄)の諱を混同していると思われます。

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 13:08:04.80 ID:3FlUNxOP
https://i.imgur.com/RM8snGg.jpg
「信長の忍び」の具教暗殺場面
ドラマチックではない「刀も抜けずに殺された」
の方が真実な気がする

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 22:22:51.38 ID:z5ApWnH5
>>896
剣豪将軍らしい最後でこっちのが夢がある

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 22:34:24.41 ID:R5CMkxWC
>>901
剣豪将軍の話じゃないんだが?

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 23:35:06.84 ID:jDbW28ko
ロマンと実際どうだったかって別やしなぁ

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 08:46:07.12 ID:A/2T+4ly
>>902
将軍じゃなくて大名でした、失礼
スポンサーサイト



藤方入道慶田の「武士の義」

2009年12月29日 00:41

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 15:05:03 ID:XvFNtzYV
天正4年(1576)11月25日、織田信長の命による北畠具教の謀殺。
後世に言う「三瀬の変」が起こる。

元の国司、北畠具教に対し、北畠譜代の士である藤方刑部少輔朝成、滝川三郎兵衛、長野左京亮らが
刺客として向かうことを命ぜられ、彼らは元の主君を殺した。
藤方は自らは出向かず、家臣の加留左京を名代として行かせた。

この頃、藤方朝成の父、入道慶田は、北畠家に送り込まれた織田信雄の居城、田丸城に
人質としてとられていた。
具教謀殺を聞いた慶田は悲嘆にくれ、それに参加した息子朝成を口を極めて批判した。
曰く、人倫に非らず。

朝成これに
「私も本意ではありませんでした。が、父上が人質として田丸におられたのです!
その為仕方なく、この企てに参加したのです!」

「それが間違っておる!」

慶田は言う
「この企てを聞いたとき、お前は速やかに具教様にご報告し、共に織田と戦い命を捨てるべきであった。
そのうえでわしが磔になれば、それこそ当家の面目と言うべきではないか!
お主は武士の義を知らぬ!」

入道慶田はその後、自ら命を絶った。切腹だとも、入水したのだとも言われる。

信長の北畠一族謀殺の中で起こった、悲劇の一つである。




399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 15:38:49 ID:XQTJGUPJ
信長の命令なら仕方ない

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 15:53:59 ID:lBsAIquP
え?進撃止めの命令が殿から?
そんなんしらね。信濃甲斐の城は全部攻め落としてやるぜえええええええええええ

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 16:44:20 ID:0HUrnFpJ
>>398

しかも自分の手は汚さない小狡さ。
だが、こういうこすい奴が結局は生き残って家名を残してゆくんだな。

平成の世にまで汚名が伝わる羽目にはなっているが。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 17:03:08 ID:8DnLaP79
しかし、北畠は南朝が完膚なきまでに打ちのめされた時、滅亡しておかしくなかった
ここまで、よくも伊勢の雄として存続したよ…

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 17:24:07 ID:AuUBKWNH
後南朝の時もやられてるしな
戦国に入るころから六角、細川と急接近した辺りが奏功した感じ

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 18:09:24 ID:4iMd+H3r
北畠って、公衆便所みたいな所の便槽に吊るされて
死んだんじゃなかったっけ?

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 21:05:09 ID:G9mHKhgu
足利義輝みたいな感じの最期じゃね?

北畠具房の哀れ・悪い話

2009年03月02日 00:11

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 22:18:36 ID:PnLNiH/e
伊勢の北畠具教には三人の子供がいた。
そのうち長男で、伊勢国司を継いのは北畠具房だが、
この男、大変太っており、普段の運動すら自由ではなかったそうだ。

そのため伊勢の国人たちは、具房を「太りの御所」と呼んで馬鹿にしていた。
しかもうつけ者で、麦と豆の違いも分からないような有様で、何の役にも立たない男だと思われていた。


のち、信長の手による、北畠一族の粛清が行われた。


北畠の者は、幼児まで惨殺されたにも拘らず、この具房だけが、命を助けられた。

惨たらしく殺された者より、生かされた者の方に、はるかに哀れを感じる。
そんなお話。




492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 22:21:12 ID:48NJ01jb
根切りする価値すらない、と

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 22:59:12 ID:k4ahZr4k
醜ければ生かせ。同情をさそう者ならば殺せ。

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 23:07:54 ID:R1ctJEs0
六韜三略の教えに似たようなのがあったな
「切れ者の使者には何も持たせず返せ 馬鹿の使者には盛大に褒美を与えて返せ」
だったか。
コレをやられたのが大蔵卿局(淀の方の乳母→側近)。

北畠老臣、信長を疑惑す

2009年02月18日 04:39

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 11:30:43 ID:HZEj7cyK
天正四年の正月の事である。北畠具教、具房親子は、年頭の挨拶のため、譜代の老臣
鳥屋尾石見守を使者として、岐阜城へと遣わした。

ところが信長はこの使者を待たせたまま対面しようとしない。鳥屋尾は怒って帰ろうとしたが
それを聞いた信長は人を遣わして鳥屋尾を連れ戻した。

しかし信長は戻ってきた鳥屋尾に対し、庭の白洲に進物の品を置かせたまま、
自分は縁側に立って刀を抜き放ち、それを振るいながら鳥屋尾を睨み付けた。

鳥屋尾はこの信長の態度を見て、信長が北畠を滅ぼそうとしていると確信した、と言う。


信長、信雄による北畠一族の粛清が行われるのは、この年の11月25日の事であった。




117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 12:44:06 ID:LNa3HgZO
いや、超ヒントじゃん。
何やすやすと潰されてんの北畠w

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 13:50:48 ID:K2EfIuT3
>>115
よくわからんのだが信長のこの行動は何を目的にしてやってんだろう?

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 14:38:27 ID:X3jsr7qd
>自分は縁側に立って刀を抜き放ち、それを振るいながら鳥屋尾を睨み付けた。

想像したらちょっと笑える絵図だ
客の前でぶんぶん刀を振って睨んでるってw
きっと信長は刀を振ってる自分に鳥屋尾さんのコメントが欲しかったんだよ





続き
北畠遺臣、光秀に味方す
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1378.html


北畠遺臣、光秀に味方す

2009年02月18日 04:38

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 17:39:44 ID:FqmpF4K2
北畠氏落城後、残党の中に明智光秀に味方をした一団がいた。

三瀬の変の生き残りである、北畠具教の弟具親と大宮多気丸の一党である。
彼らは、山中に隠れ住み機会をねらっていたのだが、織田信長が本能寺へ入るという情報を得た
大宮多気丸、鳥屋尾内蔵助ら残党は、主君北畠具教を汚い謀略で暗殺した信長に怨みを晴らさん
と本能寺の近くに潜んでいた。

そこへ早馬が飛んできた。「信長、本能寺にて明智光秀に討たる!」
なんと、一足先に明智光秀によって信長親子は殺されたのである。
「一足遅かったか」と嘆いてはみたが、怨敵信長が討たれたことはめでたいことだと祝宴をあげた。
今後は明智光秀にお味方しようと、安土城にいる光秀の傘下に入ったという。

彼らはそれから11日後に、京都山崎の合戦にて全員討死した。
鳥屋尾内蔵助は鳥屋尾石見守の遺児であったという。




122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 17:44:56 ID:HZEj7cyK
>>121
続きがあったのか!このスレはすごいな。

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 20:24:01 ID:YLkg7Z7z
>>121
内蔵助って名乗ると、平穏には死ねないのかね

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 21:54:30 ID:F3TkaB/Q
微妙にいいはなしじゃね?w

125 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/17(火) 22:48:13 ID:R5jxE0dE
>>124
南朝遺臣としての武家の北畠家本流としてはその後も再興できなかった…

まったくの無駄死にw

128 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/18(水) 01:28:38 ID:PG/rVQKn
北畠家は武家か?

130 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/18(水) 02:21:05 ID:tWfEE0Ud
>>128
公家だけど、滅亡直前には武家といっても通用すると思ってそういう書き方をしてみた




参考
北畠老臣、信長を疑惑す
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1379.html