思う事 一つ叶えば又二つ

2017年02月18日 10:19

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/18(土) 08:41:13.19 ID:ljycbWKM
寛文年中の事。紀伊大納言・徳川頼宣の乗る船が、遠江沖にて荒天に出会い、海上は
茶臼を回すごとく荒れた。

しかし頼宣は顔色も平生に変わらず、船に酔った近習の者達を自身で救うなどした。
この時常の心持ちなど、ふと口ずさまれていた。題知らず

 思う事 一つ叶えば又二つ 三つ四つ五つ 六つかしの世や

人生の願い、絶え間のない実情を詠まれていた、頼宣公は高貴公達の御身であったが、かくの如き
方であった。

(武野燭談)


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徳川頼宣「動いて見給え。忽ち刺し申すぞ!」

2017年02月05日 13:58

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/04(土) 19:46:57.69 ID:5MePCLra
紀伊は山国であり、深山には色々と怪しい事ども多かったが、徳川頼宣はまるで気にしていなかった。

ある時、友島に猟に出かけ、臥木(倒れている木)に腰を掛けると、その臥木にわかに動き出し
龍の形となった。
しかし頼宣は少しも驚かず、志津の長刀をその蛇頭と思わしきところに差し当て

「山神であるのなら、どうして腰掛けただろうか!臥木の姿であったからこそ、臥木であると思ったのだ。
なんと見苦しき振る舞いだろうか!動いて見給え。忽ち刺し申すぞ!」

そう怒って叫ぶと、本の臥木へ戻ったという。

(武野燭談)



頼もしき家来の事

2016年07月21日 17:16

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/21(木) 00:27:49.69 ID:uZgz+BuU
頼もしき家来の事

紀州南龍院(徳川頼宣)様は、ある日和歌山で御物見に入られ往来をご覧されたことがあった。
御出になられたとも知らずに御家中の者は大勢往来していた中で、
ある御家来が供侍、草履取り、挟み箱持ち、槍持ちを従えて通りかかった。
御側に居た者が

「あれがかの噂となっている男ですか。」

と笑ったのをお聴きになられた。

「どのような噂があるのか?」

と言われたので、御側の者共はやむを得ず話した。

「かの者は身の上が苦しいとのことです。そうなのですが他に取り計らい方もあるでしょうに
甚だ不束なことをしているのでございます。」

「どのようなことをしているのか?」

「かの者が召し連れています侍はかの者の次男でございます。
草履取り、挟み箱持ち、槍持ちはいずれも三男四男、あるいは世話をしています甥などです。」

「それは頼もしい家来である。予は大勢召し連れているが、かの家来に劣らぬ草履取り、槍持ちがいるかというと心もとない。
家計の苦しさは関係のない事だ。」

程なくかの者を御取り立てられて、子供も相応の役に付けられたそうだ。

(耳袋)



遅しとあるは、上意とも存じ奉らず

2016年01月02日 17:31

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 01:24:16.30 ID:7a9ptBXh
大坂陣の時、4月末に二条城へ徳川秀忠が入り、徳川家康と相談して大坂表での戦闘について
取り決めた。この時、14歳の徳川頼宣は御前へ出て、「御先手を仰せ付けてくださいませ」
と望んだ。これに家康は機嫌よく、

「もっともな望みだが、大坂表は将軍が先手を致されるので御気遣いなさるな。大和・紀伊・和泉・
河内の地侍どもは皆々秀頼へ一味し、攻め手の後ろより襲われるかもしれないので、後陣が
心許ない。義直と其の方と永井右近(直勝)や安西組は後陣に控えて、後ろからの敵を切り崩せ」

と、言ったので、頼宣はやむをえず退出した。

(中略)

頼宣が茶臼山へ上ったところ、家康は床机に腰をかけ、秀忠は敷皮にいた。そこへ出た頼宣を
見た家康は、「合戦があったのに今になって参ったのか。遅い!」と言った。

これに頼宣はこらえずに、「これを思っていたからこそ、二条の御城で御先手を望みましたのに、
それを御許容なされず後陣に御置きなされて遅いとは、仰せとも思えません」と恨み申し上げた。
これに家康は困って「わしの誤りであった。其の方が道理じゃ」と言った。

(遅しとあるは、上意とも存じ奉らずと、御恨仰上げられ候へば、権現様御困りなされ、
我等の誤り、其方が道理じやと上意遊ばされ候)

――『南竜言行録』



868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 12:18:22.01 ID:QoXbpbGz
家康 痴呆症だったかw

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 12:20:05.05 ID:vVBhAP4s
秀忠もこのくらい言い返してたら

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 17:49:30.88 ID:szi0CsCr
秀忠(…物覚えが悪い話しか……)

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 19:45:06.24 ID:HHIRukF0
後陣が後詰の役割ちゃんと果たしのに怒られるとは
家康マジでボケてんじゃん

八王子の大猪退治

2014年11月12日 19:10

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 19:55:04.33 ID:avI3smnt
徳川家光の御代、武州八王子村に巨大な猪が出て、田畑を荒らし、また人をも踏み倒し、農民たちは
難儀に及んだ。幕府は御先手に仰せ付け鉄砲でこれを討とうとしたが、その走ること至って速く、
終に討ち留めることが出来なかった。

そんな中、紀伊大納言頼宣卿は猪狩りが好きでその巧者である事、将軍家も聞き及んでおり、
彼が登城の時に、この八王子の大猪の話題が出、頼宣卿にこの退治を依頼された。
頼宣卿はこれを忝なくお請けし、退出するとそのまま直に八王子へと出掛け、所の名主年寄りたちに
支度を申し付け、それから帰館して、家中に触れを出して皆々に用意させた。

そしてこの事は尾張、水戸の両家にも聞こえ、両家よりそれぞれ優れた猟犬が進ぜられた。

さて、猪退治の当日となり、頼宣は夜明けから出立し八王子に至った。
頼宣卿は床几に座り、焼飯を盛った三方を前に置き、水戸殿より進ぜられた犬を召し出し焼飯を与え

「汝、得たる所であれば、隠れ居る猪を探しだすのだ。」

そう語りかけると、犬はしばらく頭をうなだれていたが、やがて頭を上げて山の方に向かい、
尾を巻き上げて一目散に走りだした。
暫くあって大猪が、山の方より荒れ狂って走り来た。かの犬は猪の前後左右を走り廻り、飛び付き
噛み付きながら共に走り来た。

列卒はこれを見ると他の犬10匹ばかりを猪にけしかけ、かの犬は傍に引き退かせて水を飲ませ
焼飯を食わせて休息させた。

しかし、大猪は大勢の犬を事ともせずあちこち暴れまわった。
ここで頼宣卿は下知を下し、尾張殿より進ぜられた犬を放すと、やがて猪の元へ走り行き、その喉元に
噛み付いた。
大猪はそのまま暴れ廻ったが、次第に弱り、人を踏み倒す勢いも見えなくなったため、
頼宣卿は下知して家士達に槍を持たせ猪に向かって駆けさせせ、終に大猪を仕留めた。

その時、あの犬を見ると、猪の喉に噛み付いたまま息絶えていた。

頼宣卿は「あたら犬を死なせてしまった!」と甚だしく嘆き惜しんだという。
この話は御鷹匠の長田清左衛門が、その時猪退治の人数の中にあって見たものだという。

(明良洪範)




749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:12:47.29 ID:vSxAZHEF
>>747
これなんてシートン動物記?
ブルテリアのスナップの話を思い出して目から汗が

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:18:32.86 ID:j6Gg43p2
>>747
いい話スレの影響で、どうしても焼飯に目が行ってしまう

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:58:20.71 ID:3V/B11q4
>>747
銀牙が頭の中から出てきた

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 01:13:53.00 ID:jojW1hFp
最近でもイノシシに殺された人居るし結構怖いよな

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 03:45:38.90 ID:49Pqado6
伯林の「ケモノシマ」でもイノシシの恐ろしさは描かれてるものね

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 05:37:51.64 ID:uuLfvMgq
ちょうど大腿の動脈あたりを牙にやられて逝くらしい

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 11:33:04.09 ID:F17jaxZE
猪スゴイよじゃがいも畑荒らすんだけど
畝の端から端までラッセル車みたいに一直線にむさぼり食って綺麗さっぱりw
ちょっと頼宣卿をおれも頼みたい

ていうか>>747ですごいのは犬じゃんw

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 12:12:52.39 ID:akETb3QX
最後に銃を使うと思ってたが犬を大量にけしかける戦法だった

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 12:27:04.93 ID:yZ9owJdf
大学時代、歴史好きの友人と城跡めぐりをしてるときに、あるところで、
「ここの、ちょっとした土塁と石積み、ちょうど猪垣くらいの感じだな」って言ったら、
都会育ちの友人に、「“ししがき”って何?」と真顔で聞かれた。

それからしばらく、猪垣について解説してやったら、「へぇ~っ」っとめっちゃ感心された
いや、今でも田舎の方に行ったら田畑の周りに残ってるところあるよ、って言ったんだけどね
うちの実家の周辺は今でも猪も猿も鹿もふつうに出没しますが何か?と言ったら宇宙人でも見るような目で見やがったw

そんな田舎者のオイラが通りますよっと

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 21:53:09.16 ID:PKvY1zNW
最近でもイノシシに殺された人居るし結構怖いよな

指物の大小

2014年09月18日 18:52

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 05:55:05.41 ID:t9HAUqx3
大阪の陣の時、徳川頼宣の家臣である矢部虎之助と言う者は大力であり、長さ二間(約3.6メートル)の
指物、三尺あまり(約1メートル)の大刀、立物は大位牌に一首の歌

『咲く頃は 花の数にも足らざれど 散るには漏れぬ 矢部虎之助

と記されていた。

この様相での出立に、諸人は目を驚かせたが、これらはあまりに重すぎて馬が進まず、
戦場でも人より遅れて功もなく、残念に思っていた所、家中からも武道不案内の者との評判に会い、
虎之助は心中これを恥じ憤り、食を絶って20日ばかりの内に死去した。
誠に惜しき士であった。

凡そ甲冑指物等には心得があるべきなのだ。目立つのはその大小には寄らない。小印だ大印だなどと
言われるが、小印であっても大いに目立つ指物もあるのだ。

(明良洪範)

関連
豊国祭礼図屏風」(伝・岩佐又兵衛作)について


287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 06:38:13.47 ID:21kY6S2M
ワロタw
見た目特化は男子の夢だから仕方ない

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 07:18:18.20 ID:FHW/AJiO
準備は大事だねー

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 08:23:24.61 ID:EsXIyVPY
指物が駄目だったかな

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 10:42:55.65 ID:EsXIyVPY
大坂方なら塙団右衛門みたいに持て囃されたかもしれないのに…
でも重すぎてろくに動けないのはやっぱり突っ込まれるなw

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:24:23.08 ID:NoFUxqT+
まぁ戦国武将は目立ってなんぼだからな
せっかく勲功上げても誰も見てないんじゃアレだし

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:41:03.05 ID:iCbg1FQ+
稲富祐直「鉄砲持てば鎧が重くても大丈夫よ」

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:44:49.85 ID:WzSeADYm
砲術書の図ではふんどししか装備してないじゃないですか…

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:55:09.46 ID:WTOzLdeR
可児才蔵「フッ…(ドヤ顔)」

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 13:42:03.33 ID:JttA5Pst
蒲生氏郷「カブトで目立つべき」

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:32:40.63 ID:vZ3cSi9X
橙武者が通りますよ・・・

>>286
有名すぎるくらいの話と思ってたが、このスレでは初めてだったんだ

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:46:01.59 ID:gWxu6Ktj
全身に鈴ってのは実に合理的な手段だったんだな

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:55:36.45 ID:M3qJal5E
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-979.html
矢部虎之助の「位牌」・悪い話
まあ既出ではあった

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 12:23:21.22 ID:FDoaW1L5
よく討ち取られる人「鎧をあげると何度でも討ち取られるよ!」

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 13:38:27.95 ID:rfjCCa7E
「いきすぎたりや、廿三、八まんひけはとるまい」

もう23歳だ。生きすぎたくらいだろう。
この喧嘩、八幡大菩薩に誓って、退かないぞ

訳するとこんな感じ?でいいのかな?
古文得意な方教えてください

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 22:19:56.78 ID:PrWfNCVT
>>302
全盛期の一条信龍伝説

・3出陣5討ち死には当たり前、3出陣8討ち死にも
・感状発給討ち死にを頻発
・一番槍討ち死にも日常茶飯
・甲州崩れ、三河勢1万に対し手勢3百から1人で討ち死に
・駿府城代も余裕で討ち死に
・一回の戦で討ち死にが三回起こる
・殿で討ち死にが特技
・討ち死にでも納得いかなければ三途の川を渡らないで帰ってきてた
・合戦の無い移動日でも2討ち死に
・刀を使わずに手で討ち死にしたことも
・自分の討ち死にを自分で捕縛して弓矢で射返す
・所領巡察で討ち死になんてザラ、2周することも
・三段撃ちしようとした射手と、それを受け止めようとした二番備、遊撃、中堅の武将ともども討ち死にした
・唐入りの朝鮮人のヤジに流暢な朝鮮語で反論しながら背面討ち死に
・グッと鬨の声を挙げただけで5回くらい討ち死にした
・討ち死にでハリケーンが起きたことは有名
・湾岸戦争が始まったきっかけは信龍の討ち死に
・甲斐の深い位置から木曽谷のウグイスも討ち死にしていた
・自分の討ち死にに飛び乗って涅槃まで行くという功徳積み
・信龍の討ち死にによる衝撃波で体が真っ二つになった武将がいた
・スカイフィッシュの正体は信龍の討ち死に
・討ち死にで全米が泣いた
・信龍の出陣のときだけ犯罪率が下がる
・討ち死にのおかげで信龍の出陣のときだけ地球の気温が2度下がった
・流れ星の正体は信龍の討ち死に
・実はノドンで一度討ち死にしてる
・数字の1は信龍の討ち死にした姿がモデル
・信龍の出陣のときの視聴率は200%。2~3台のテレビで見る公家もざら
・日本には討ち死にに乗って帰る
・信龍は、いつも店先のトランペットを物欲しそうに眺める家臣に自身の武具を贈ってあげたことがある

徳川頼宣、火事の話

2013年10月31日 19:18

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:20:40.17 ID:RaiMKiAr
紀州和歌山で失火があった時、家老久野和泉守は預かりの櫓へと人数を上せらせ
「一人でも降りるものは切り捨てにすべし、消防できずば皆焼死せよ」と下知して、
自分も家人もあちこちに怪我はしたが櫓は無事に残した。

この働きを和歌山中の者は貴賤ともに賞賛しないものは一人も無かった。
しかし頼宣卿は何とも仰せられず、その他にあちこちで火を防いだ者にも一言の
御意もなかったので、家老を始め下々の者まで不審に思っていた。

それより二、三年過ぎて御近習の士を集めてお話になられていた時、火事の話に
なり仰せられたのは

「失火の際に消防に身命を軽んじて働くのは血気の勇で、真の義勇にはあらず。
ただ智が足りないだけだ。

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:22:50.00 ID:RaiMKiAr
火は無情のもので天気が乾いて風が烈しい時はなかなか人力の及ばざるものだ。
ただし水がよく行き届く時は消防も行き届くが、もし水が行き届かない時は家屋は
もちろん人まで焼亡してしまう。

どうして家屋が燃えつきる事を厭って人を損ずるべきであろうか。これは無智の勇に
して、ただ血気の勇である

いかなる金殿玉楼であろうとも人には替えられない。家は幾度消失してもまた元の
通りに造れるが、家人一人を損じたらその家人はもう戻ってこない。

失火の為に我が大切な軍兵を失えば、それこそ不自由というものだ」と仰せられた。

久野和泉守はこれを聞いて感心していたと紀州家の三刀谷伴蔵が物語った。

(明良洪範)




456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:21:12.96 ID:loSbYA7v
久野和泉守が本当だとしたら1643年生まれなんですけど
スレタイわかってる?

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:35:35.20 ID:DhARhHe+
頼宣がスレの範疇だろ

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 12:58:30.02 ID:eqnLTJY5
忠勤を誉めてやったうえで
命には代えられないといってやればいいのに。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 13:04:41.64 ID:X2DSLFvN
他に何を言ってもお褒めの言葉があれば良い行いだと認定してしまったことになって家の名誉になるし
ダメだと思う

久世三左衛門の評言

2013年09月13日 20:23

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/13(金) 16:28:08.60 ID:QxYbf4H+
久世三左衛門の評言

江戸で紀伊頼宜卿が新参の士である村上彦右衛門通清に武者奉行を仰せ付けた。

これを譜代の面々が「かかる重役を新参者に仰せ付けられるとは、御家には
人が居ないと言っているようなものではないか」と憤っていた。

久世三左衛門(広宣)はこれに頭を振って「それがしはそうは思いません。御家
にはあなた方のような御譜代の士が居るのだから、人が居ないなどとは誰も
思いません。

このように仰せ付けられた事で紀州は古新に差別なく、ただ勇士を御賞玩に
なると噂になり天下の諸士を集める良き謀だと存じます」と申したので、
これを聞いた人は感心したと言う。

(翁草)

なんか譜代の連中がうまい事まるめこまれてる気がするお話





加納五郎左衛門(直恒)は紀州徳川家の長臣である

2013年08月04日 19:17

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 14:35:23.06 ID:ZzcTcTMI
加納五郎左衛門(直恒)は紀州徳川家の長臣である。

彼の平生の志は「主君に仕え奉るのに、一命を上へ差し上げていなければ、
いつも御手討にされると思っていなければ忠臣ではない」というものであったという。
これゆえに、彼はいつも妻子に暇乞いして出仕していた。

彼は御前に出る時には「いつだろうと顔を犯して争い諫め、御手討にされるつもりで」
と、志を定めていたという。ある時、徳川頼宣が何事かを言った時に、

彼は頼宣の腹を指して「今の御意と御腹中とは違いがあります。
よくよく御顧みになってください」と、苦々しく申し上げたということである。

――『責而者草(加納五郎左衛門行状)』




826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 14:47:17.57 ID:i8cdWFgq
生きる屍ですな(いい意味で)

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 12:57:16.76 ID:FBEQmZBK
暴れん坊将軍のは何代目五郎左衛門なんだ?

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 21:35:20.67 ID:C7EKiTsx
直恒から数えると3代目、というか孫
大名にまでなった

南龍公「やあ、十兵衛のタワケめが!」

2013年07月16日 19:55

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 20:31:53.28 ID:oWhbnNWM
ある時のこと、南龍公・徳川頼宣が岩手川にて川狩りを行い、鮎を炙らせ
酒樽を開くなど大いに興じていたが、若者たちに泳がせれば一段の興があると、
「水泳せよ」と命じた。

そうでなくても泳ぎたいと思っていた若侍達は一斉に川に入り、様々に手練を尽くして
泳いでいた中に、佐渡与助というものがあった。

しかしこの佐渡与助、水泳不調法にて沈むこと度々であった。
ちょうど水野十兵衛という侍が、小舟に乗って近くに在ったが、これを見て声をかけた

「与助よ!叶わずば船に取り付け!」

この時、頼宣は河原に床机を立てていたのであるが、この十兵衛の言葉を聞いて、
大音声で怒鳴った!

「やあ、十兵衛のタワケめが!士(サムライ)に対して『叶わずば船に取り付け』などと
言う者があるか!?そんな言われ方をすれば、士たる者、死んでも船に取り付くものか!
たわけた事を言って、惜しき侍一人を殺すな!

同じ意味であってもそう言う時には、『与助、船に取り付いて休め』と言えば、
与助も船に取り付くことが出来るものだ。この十兵衛の大たわけめ!!」

そう、叱りつけたという。
(徳川武士銘々伝)

武士って本当にめんどくさいですね




50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 20:38:43.89 ID:WBNfB4LV
>>49
ここに出てくる話の詳細版かな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2095.html

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 22:24:13.19 ID:RmD7XNEm
結局与助さんは船に取りついたのだろうか。

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 22:59:23.40 ID:+Kdi+tp7
>>49
いや現代にも通じるものがあるよ
部下にもそういう気遣いができればいい仕事ができる
現代も人への気遣いが必要なんだよ

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 23:01:11.81 ID:1C2ekzU+
>>49
悪い話しって言うより良い話しに見える逸話だね

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 09:51:11.15 ID:HWogeOzq
十兵衛さんが叱られてる間に沈んでいったというなら
このスレにピッタリの話なるな。

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 12:47:03.09 ID:Klx7VTID
古式泳法って、甲冑着たまま水濠渡れるくらいだし、
着込んでない状態で溺れるってかなりクリティカルな
失敗な気がするけど...

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 14:48:11.52 ID:+Kiq6xSd
マスターしてない人にとって水は凶器だろ

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 16:04:21.16 ID:Klx7VTID
頼宣の頃の紀州でなら良いけど、既に高級官僚化した幕府旗本に
水練を強要する暴れん坊将軍

金銀に針を立てたことはありませんので

2012年11月08日 20:00

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 16:52:32.06 ID:3IV3NXbr
紀州頼宣に仕えた儒臣に奈波(那波)道円という者がいた。
その甥の奈波加慶という針医師が御供して紀州にいた時に、

和歌山一番の富豪・島孫左衛門という町人が長年病気に悩んでいた。
ある人がこの度加慶が来たのを幸いとして島に彼を推挙した。
その人が療治を頼むと加慶は「心得た」と答えた。

「それは良かった。この孫左衛門という人は和歌山で一番の有得人ですから、
他の病人よりも精を出して治療してくださいね」

加慶はつくづくと聞いていたが、その人が座を立とうとした時に…

「只今御頼みの病家への見廻りは御断り申す」

「なんと!? たった今治療を承知されたではないですか!
何故手を返すようなことをなさるのです!」

「始めは病人とばかり承ったので承知いたしましたが、あなたは富家だから
精を入れて治療しろと仰った。私は今日まで病には針を立ててきましたが、
金銀に針を立てたことはありませんので御断り申す」

――『良将言行録』




南龍公徳川頼宣が船で沖に出た時のこと

2012年11月01日 19:51

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 20:27:32.70 ID:s/DXDplQ
南龍公徳川頼宣が船で沖に出た時のこと。
この日、大雨洪水となり船は海上三里まで漕ぎ戻され、さらに頼宣の乗る船に雷が落ちた!

と、頼宣の御座の近くに火の玉が転がってきた。コレを見た頼宣はすぐさま毛氈を取ってこれに打ちかけ

「それ!手取りにせよ!」

と下知する。近習の者たちも常の男ではない者ばかりであったので「心得た!」と、この火の玉を抱え取ろうとするが、
しかし火の玉はここかしこと動きまわり、ついに取り逃がした。

ちなみに、船の下の間に詰め居た水夫たち5,6人はその時、雷の直撃により全員炭となり、骨も砕けて死んでいたそうである。
(武野燭談)

徳川頼宣の、豪胆なんだか呑気なんだかよくわからないお話。




108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 20:50:58.34 ID:qvsXqcah
炭となって骨まで砕けるような雷が落ちたら
船もただじゃ済まないだろ

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 22:01:07.59 ID:XPWxlZzv
珍しい話だな
ひこにゃんよりも具体的だ

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 22:58:07.71 ID:nnQL2ncF
火の玉を追って左右に動く様は想像するとコミカルだけど、
実際は嵐の中で立ってるのも難しい状態だったんだろうなー

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 00:23:15.30 ID:7nBBXTNU
大槻教授「それはプラズマです」

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 10:27:19.84 ID:Ayjtu7cO
球電(ball lightning)ですな。

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 13:49:40.28 ID:ie5XhP57
道雪先生が斬りかかりたそうに見つめている!

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 15:07:29.79 ID:G6GR3wVv
道雪VS菅公の雷神対決と聞いて

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 15:25:15.31 ID:V46KQ4t9
そこへ乱入する独逸軍試作対空戦車

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 16:41:33.45 ID:97C/7Ksl
に乗って指揮するシュトゥンメ中将

南龍公のこんなこともあろうかと

2012年06月16日 21:04

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 18:33:08.88 ID:XOpMWTmP
紀伊大納言徳川頼宣は小堀遠州に頼み石灯籠を造らせて江戸屋敷に置いていた。
二十年を経てこの石灯籠が評判となり時の大老酒井忠勝が一見したい、と申し入れてきたため、
喜んだ頼宣は庭師に命じて庭の模様替えを開始、忠勝を招待する準備を進めていた。

ところが・・・・完成した庭を見ると石灯籠がおかしい。

庭師「当世風じゃないから石灯籠の火袋広げて直しておきました」

台無しである。
普通なら後の祭り、庭師は斬った上で恥を忍んで酒井忠勝にありのままを告げる、となるところだが頼宣は一味違った。

庭師を大いに叱責はしたがその後やおら家臣を呼び、

「小堀遠州に頼んだ時に物は二つあるのがよいと思い、同じものをもう一つ作らせていたのだ。
確か苔をつけた風情のものもよいと思い紀州の別邸で雨ざらしとしていたはずだ、あれを取り寄せればよかろう」

と言いつけ昼夜兼行で取り寄せさせた。

紀州で風雨に打たれていた石灯籠の古色蒼然たる風情は江戸にあった物をはるかに凌ぎ大老酒井忠勝も絶賛、
頼宣は面目を施し家中の者も主の深慮に感服した。


南龍公のこんなこともあろうかと、が20年後に活きたお話




902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 18:50:11.60 ID:edAxyqWQ
なお、その後の庭師の消息は杳として知れなかった…

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 18:52:28.35 ID:szB8cU31
忠興「こんなこともあろうかと庭師を二人雇っておいたのだ」

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 19:27:02.82 ID:uoqw/0Su
造ったものを勝手に手直しされたり雨さらしにされたり
小堀さんは悪く無いんだけど何故かそういうのが似合うイメージ

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 19:49:54.97 ID:ny/fqigN
美術品で今に合うよう手を加えるより最初の姿を維持しようって思想が優勢になるのはいつごろからなんだろうか

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 20:13:38.64 ID:Lkarqp1M
王政復古の大号令

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 21:24:10.88 ID:4u/Z/TAW
基本、中世にはオリジナリティなんて一顧だにされないからな。
説話も美術品もどんどんアップデートされてく。

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 22:58:16.83 ID:g6KWgoOd
庭師っていうからいつ血の雨が降るんだろうとハラハラしたw

これぞまさしくお家安泰の兆し

2010年12月16日 00:01

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 23:31:30 ID:i4+jp2j9
由比正雪事件の後の事である。
生前の正雪は徳川頼宣のもとに親しく出入りしており
その最期においても捕吏に「紀伊大納言家来」を名乗るなど繋がりを感じさせた。

正雪の遺書には
「紀伊大納言の名を騙ったのは人を集める為であり、扶持を受けたりはしていない」と書かれていたものの
幕閣の疑いは晴れず、頼宣を江戸城に召喚し正雪の遺書を示して釈明を求めた。
すると頼宣はおもむろにこれをみて
「まことにお家のために慶賀にたえぬ。もしこれが外様諸大名の名を騙りたれば安心し難いが
 お家の血脈たる某の名を騙るとは、これぞまさしくお家安泰の兆しである。」と答えたという。




徳川頼宣『主君の賢愚は家臣の善し悪しで』

2010年10月08日 00:01

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 20:22:39 ID:w9Iow6TQ
ある日、徳川頼宣が居城の馬場で乗馬を楽しんでいると、にわか雨が降ってきた。馬場に近い櫓で雨宿りをした
頼宣は近習とともに、何とはなしに櫓上から見える、城を出入りする家臣たちを観察していた。

特に目を引いたのは、小姓・青柳伝四郎だった。上は練り絹の羽織に羅紗の合羽、下は緞子の袴に数奇屋足袋、
塗りの高下駄という豪奢な姿の伝四郎は、同じく美々しい装束の中間に唐傘を差させ、悠々と城を退出して行った。

そこへ二千石取りの番頭・藪三左衛門がやって来て、伝四郎を追い抜いて行った。洗いざらしの木綿羽織を着た
三左衛門は、袴をたくし上げスネを丸出しにして、いかにもむさ苦しく男臭い供の者と一団になり、裸足で泥だらけに
なりながら、あっという間に駆け去った。

「三左衛門どののアレは何じゃ、上士たる者が見苦しい・・・」
「三左衛門を見よ、あれこそ武士よ。」思わず笑い出した近習たちに、頼宣は逆の事を言った。

「二千石取る侍が、身なりに構わず泥にまみれて、疾く家に馳せ帰る。それに屈強の郎党が、遅れず付き従う。
あれが戦場で真っ先を駆け、一番槍の手柄をも立てる者の心意気!さすが若年を細川三斎のもとで過ごし、
厳しく鍛えられた男はモノが違う。

それに比べて、伝四郎が様子の鈍いことよ。あの格好では今にも事が起きれば、家に帰り具足に着替えるも苦労で
人に後れを取り、当家の恥となろう!

・・・が、『主君の賢愚は家臣の善し悪しで分かる』というから、伝四郎の恥は、わしの恥でもある。」

そう言って頼宣は、ため息をついた。




542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 20:29:29 ID:WdcBnVuU
どうでもいいことで家臣を一刀両断し過ぎじゃないのか、南龍公w

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 21:11:33 ID:bLv1JCUq
厳しく鍛える=お前も歌仙にしてやろうか!

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 21:38:03 ID:jKy8ICjc
南龍公は器が大きいなぁ~


545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 22:05:10 ID:JwZchOY6
でも世の中が収まると、上の人間が贅沢しないと経済が停滞しちゃうんだよね。
どっかで「無駄」なことしないと、消費が行き詰って生産がとまっちゃう。

546 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/07(木) 22:32:57 ID:wKpsglzu
それは食料確保ができる時代の発想だろう?

脇差を献上された頼宣は

2010年07月24日 00:00

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/23(金) 19:44:12 ID:OP1BLCpe
徳川頼宣の家臣が壱分金を鞘に隠せる脇差を作り出した。
脇差を献上された頼宣は



  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・)< おお、これは素晴らしい脇差じゃ!
 ( 建前 )  \_______________
 | | |
__(__)_)______________
 ( _)_)
 | | |
 ( 本音 )  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( 。A。)< くだらないもん作ったなあ。大将に必要かコレ?
  ∨ ̄∨   \_______________

と心にもない事を言って脇差を褒めた。
これは発明をしようとしている者たちのヤル気を削ぐまいという
頼宣の想いからであったという。




278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/23(金) 19:50:49 ID:J7Ebgbq9
>>277
確かに財布に入れておけば住むことだしなあw
脇差に隠す必然性がわからん。

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/23(金) 19:58:05 ID:JI9GZyS4
発明ではないが水戸藩は幕末に旭日丸という洋式戦艦を建造していて、
IHI(旧 石川島播磨重工)の基礎になってるのは奇遇

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/23(金) 20:12:48 ID:J7Ebgbq9
>>279
そう言えばその石川島は、徳川水軍の石川八左衛門が拝領したことから
石川島の名前になったんだよな。その前の名前は「鎧(よろい)島」だったとか。
江戸初期の徳川水軍衆の島で幕末に軍艦が建造されたというのも、不思議な因縁だな。

あと後世、鬼平こと長谷川平蔵の提言で人足寄場が作られたが、
その頃世間では「監獄島」って呼ばれていたらしいw

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/23(金) 20:48:00 ID:4ydIuWer
いざという時の支払いに使えるからな。
ほら、敗走中に餅を食いたくなった時とか、金がないと馬より速く走る老婆に追いかけられるはめになるかもしれない。

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/23(金) 21:03:07 ID:Fov3xXUh
>>281
権現様なにしてはるんすか

和歌山、元寺町の土手

2010年02月27日 00:09

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/26(金) 00:13:00 ID:6YDDlcV7
紀州和歌山の元寺町には、かつて土手が築かれ、その上に生垣が植えられていた。
しかし、和歌山の町の発展に伴い、不便であるとして町人から訴えがあり、あるいは堤を崩し、
あるいは生垣を取り払って道を作った。

ところが、それを見て嘆息して嘆く老人がいたので理由を聞くと、老人は涙ながらに答えた。

「この土手は、浅野候がおられた頃は、松の並木しかなかった。それを藩祖・頼宣さまが
『要害として心許なし』と考え、みずから縄張りして堤を築くことにしたのじゃ。
しかし、なお不安に思った頼宣さまは、立花左近将監、真田伊豆守、両大将のもとに
当時の和歌山の絵図面を持参し、縄張りの教えを乞うた。

然るに、お二人から『元寺に土塁を築けば、言うこと無し』とのお答えを頂いた頼宣さまは、
『わが工夫、当たっておったか!』と喜び、いや高く堤を為し、竹垣を植えて犬猫もめったに
土手へ上がらぬよう築かれたのだ。

藩祖が縄張りし、名将二人が太鼓判を押した堤が消え行くこと、時の移ろいに涙せずには
おれぬわい・・・」




818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/26(金) 00:20:31 ID:76RikIN+
>>815
なぜか
子供の頃は仰ぐようにでかく見えたデパートが、
スス汚れたシャッター下ろして空き店舗になってたことを思い出した

833 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/26(金) 17:54:50 ID:64svUUIN
>>815
これって豪華だよな
いずれも篭城で名を馳せた実父、軍神ともいえる養父に勇猛な弟と鬼の如くの嫁を持つ
戦場で不覚無しの名将二人のお墨付きだから老人が嘆息するのもよくわかる

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/26(金) 20:46:18 ID:lBZNSwhI
>>833
嫁に思わず二度見してしまったw

紀州頼宣とお抱え力士尾之助の処分

2010年02月11日 00:09

391 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/10(水) 00:33:57 ID:692UdMW9

紀州におかかえ力士の尾之助という大力の角力取りがおり、何やら不始末を起こした(詳細は不明)
その不始末は当然頼宣公の耳にも入り尾之助は処刑される事となった

頼宣「尾之助の奴は処刑じゃ!」
と息巻く頼宣公
しかし
家臣「頼宣様、それはちょっとヤバいですよ、だって尾之助の出身は…」
頼宣「…そう言えば尾之助ってどこの出身だったっけ?」
家臣「お忘れになったのですか?福山藩の鞆ですよ」
頼宣「福山藩!?しまった…そう言えば奴は義父の日向殿に友好の印として同じく
角力好きのワシへ送って頂いたものだったんだ;どーしよ…;」


仲が良い水野勝成と嫁の関係もあり速攻で処刑は取り止めになり、その後の対応に困った紀州藩は
尾之助を藩から追放する事で解決
丁寧に福山藩に送り返されたそうな





徳川頼宣と「天下の名物」

2009年12月22日 01:31

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 01:27:20 ID:iX+oLkmP
徳川頼宣は早くから大名の地位を家康より授かったが、それとともに「天下の名物」と
呼ばれる茶入を譲られていた。
ある日、頼宣の蔵を預かる役人が蔵の道具の虫干しをしていると、家老安藤帯刀の息子、
彦四郎重能がやって来た。「ご重宝の茶入を拝見したい。コッソリ見せてはくれぬか?」

彦四郎は日頃から酒癖が悪く、この日もプンプンと酒臭い息を吐いていたので、役人は
断ったが、彦四郎は聞かない。
「・・・そこまで言うなら、どうぞ蔵に入られよ。ただし、他言は無用ぞ。」「分かっておるわ!」

二日酔いで薄暗い蔵に入った彦四郎は足元が定まらず、近くの箱の上に倒れこんだ。
驚いて箱を開けて見ると、中身は件の茶入だった。
さすがに黙っている訳にも行かず、彦四郎は父・帯刀に、斯くの如しと申し出た。
「これは、殿に申し上げねばなるまい。場合によっては、わしも責任を取る。お前も覚悟を
決めておけ。」「・・・・・・」

報告を受けた頼宣は、帯刀に言った。「して、その破片はあるか?」
「破片は、そのまま置いてあります。」「ならば、漆でも使って継いでおけ。」
「・・・彦四郎には、いかなるお咎めを仰せつけになりますか?」
頼宣は笑って答えた。
「茶入は『天下の名物なり』、と父上に授かった品ではあるが、戦場で弓鉄砲も撃たず、
槍刀も使えず、先頭に押し立てて『天下の名物なり』と呼ばわったとて敵が恐れ入るわけも
なし。彦四郎は酒癖は悪いが、ひとかどの者である。捨て置け。」
「ははーッ!有難き仰せ!」「・・・・・・」

その後、彦四郎は人が変わったように職務に打ち込むようになり、口癖が出来た。
「武士には『伊達』というものがあるが、存じたる者は少ない。そして、伊達の最たるものは
主君のために死ぬることよ。」
その言葉通り、大坂夏の陣で彦四郎は一番槍を果たして戦死した。
有言実行を遂げた彦四郎を賞賛せぬものは無かったが、その死は父親を悲しませた。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-684.html




377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 01:29:59 ID:3QHMS5cS
>>376
ああ、南龍公は名君だねえ。これは惚れる。

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 01:35:05 ID:W9E+adKX
罪を許された礼を自分の命で返したのか…(ノ_・。)

徳川頼宣「わーん!わーん!」

2009年12月21日 00:06

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:45:33 ID:HMPbJJK7

1615年5月夏の陣の事

戦争は終結、徳川軍にもかなりの痛手はあったものの遂に豊臣家を滅ぼす事が出来た
各大名は家康に挨拶と報告を済ませ、各々が帰国の途に就いた
だがこの時無事に帰れると言うのになぜか1人だけワーワーと泣きわめく若武者がいた

徳川頼宣「わーん!わーん!」

槍をあわせて怪我をした訳でも無し、仲間が死んだ訳でも無しなんで泣いているのだ?
と周りにいた家臣達も訳も分からず泣き出したこの子供に困ってしまったので

本多正信「一体どうされたのですか?」と話しかけた所

頼宣「私は今日が初陣だと言うのに結局なんの活躍も出来なかった、それが悔しくて悔しくて…」と
答えた

すると
正信「若君はまだお若いのだから、今後いつでもお手柄をたてる機会はございますよ」と慰めたが

頼宣「ワシに14歳が二度あるか!」と正信睨み付けたと言う

そこにたまたま居合わせた水野勝成は
( ´з`)oO(コイツ俺と似てできる!)と思ったかどうかは伝わっていないが大変感心し
一目置いたそうな

他にも細川忠興と家康もそこに居合わせて見ており後者は
家康「その言葉こそ槍なり!」と称賛したと伝わる




362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:50:20 ID:muOWrPoI
>>360
頼宣の場合大坂の陣以降戦自体が無くなるわけだから泣く気持ちもわからなくもないね。


363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:52:04 ID:HMPbJJK7
>>358-359
まぁ忠勝とか13歳の初陣で鬼強だったみたいだし、こんな奴等が周りに居たんじゃ
落ち込んじゃうのもしょうがないかもなw