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このような御吟味に遭い、面目無き仕合に候

2022年06月23日 18:40

堀直寄   
524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/23(木) 15:10:43.30 ID:HyJAyFnJ
上條又八は織田常真公(信雄)の譜代の士であったが、大坂の陣で大阪城に籠城して高名をなした。
後に浪人して、森右近太夫(忠政)に仕えた。その後、浅野但馬守(長晟)の家来となり、
朋輩の和田庄兵衛という者と喧嘩して、双方暇を出されたが、江戸西福寺において千部の
法華経転読の砌、和田を討って其の身も手を負い、曽我丹後守宅に引き籠もった。

時に堀丹後守直寄は西福寺の近所であったので、人を以て和田の死骸を見させた所、彼は
鎖帷子を着けていた。また誰言うともなく、上條は素肌(防具を着ていない状態)であったと言われていたのを
丹後守聞いて、又八の元へ浪人を遣わしてこのように伝えた

「首尾よく本望を遂げられ、珍重に存ずる。承れば其方の敵・庄兵衛が鎖帷子を着していたと伝え聞くが、
其方は素肌であったという。彼を弱敵と思い鎖を着なかったというのはその意を得ない。
どうして大事の討ち物ををするのに、素肌であったのか。武士が軍陣において鎧を着るのと同じである。
御心底を聞き届けたい。」

又八はかの浪人に向かって

「丹州公の御目通りにも罷り出でていない所に、御懇ろの御意、過分に存じ奉ります。
着込みを着さなかった事を御吟味されましたが、あれはたまたま行き当たっての事なのです。
さりながら私も和田庄兵衛のように鎖を着て路中を踏み仰ていれば、いかばかり見事であったでしょうか。
素肌にて渡り合い、着込みをしている敵を思うままに討ち果たし存命仕り、このような御吟味に遭い、
面目無き仕合に候。」
と返答したという。

新東鑑

なんというかちょっと面倒くさい話だな



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その胆力を惜しんだという

2021年12月12日 16:33

堀直寄   
233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/12(日) 14:17:03.91 ID:IsRXlB3n
越後村上の城主である堀丹後守直寄は、堀監物直政の二男で、幼名を三十郎と言った。彼は豊臣秀吉公の
児小姓であり、後に丹後守と改めた。
直寄は自身の九万石の領地の内、一万石の禄を与えて能勢右近を招いたほどの人材好きであった。

彼の家中に梅田佐五右衛門という武士が有り、大坂の陣でも武功があり、それ以前からも名のある者であった。
彼は勇荘大力であり、口径が三、四寸ばかり(10~12センチほど)の大丈夫筒(大筒)を持ち上げるほどであった。

ある時、丹後守が制札を出した。これに『小唄・尺八・男色等禁制』とあったのだが、佐五右衛門は
この部分に墨を引いて塗りつぶした。丹後守はこの行為に激怒し、二名の討ち手を遣わして彼を殺させた。
佐五右衛門が城の端に何気なく立っている所に、一人が近寄って短刀で刺した。佐五右衛門は騒がず
この者を捕って引き寄せたが、その時もう一人も彼を刺した。しかし佐五右衛門は両人を左右の脇に挟み、
二十間あまり(約36メートル)の縁を走り出たが、その間に再び突かれて殺された。

彼のこの死に様を聞いた丹後守は、その胆力を惜しんだという。

志士清談

自分で殺させておいて惜しむというのも何というか。



234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/12(日) 15:10:40.45 ID:6rYzIKm+
やっちゃいけない事する以上仕留めないといけないけど、それはそれとしてこんだけの豪の者を仕留めるのは惜しいってのは矛盾しないと思う

235 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/12/12(日) 15:23:50.95 ID:UcxeYvzn
太田道灌を殺った扇谷定正にはこんな気分はあったろうか…。

前代未聞の所業なり!

2015年07月17日 12:05

堀直寄   
408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/16(木) 20:28:50.29 ID:TdQT5SGj
文禄の頃、伏見が栄えていた時分、豊臣秀吉の近習である早川源蔵というのは、早川主馬(長政)の息子で
勤仕していた。

ある日この源蔵が常番にて伏見城に出仕しているその留守に、彼の屋敷に武士が一人駆け込んできて
「何卒かくまってくだされ!」
と頼み込んだ。屋敷の者達、主人の留守ではあったが、武家屋敷を見込んで駆け込んだ者を
追い出すべきではないので、まず匿うと、この者は小出大和守の家来で、後から同家の者達
2,300人が、弓鉄砲を取り揃えて追ってきて、早川の屋敷を取り巻いた。

この屋敷は奥行き13間ばかりある、細長い屋敷で、留守居の者達14,5人はなんとか内を防いでいたが、
追手は大勢のため町並の表門がとうとう打ち破られそうに成った。内からは破られてはならぬと
双方打ち合いとなった。

この時、この屋敷の近所に堀丹後守直寄という人があった。これは堀久太郎家老の同名監物の子であり、
去る天正18年、小田原の陣の後に、丹後守が未だ若年であるのを、秀吉の眼力にて、兄弟3人の中から
この丹後を選び側にて召し使っていたのである。

そしてこの日の騒動、堀丹後にとって屋敷の近所のことであり、そのうえ早川源蔵は、同僚21人の中でも
常に心安い関係だったので、見捨てることは出来ぬと追取刀にて鑓を取って駆け行った。その時、
家来もたまたま居合わせなかったので、ただ一人が弓を持って従った。

堀が源蔵宅の裏の小門より入って13間の細小路を槍一本弓一張にて、主従二人が駆け出てみると、
もはや表門は打ち破られ、追手たち2,3百人がどっと入ってきた。
堀主従は表門と屋敷の間の4間ばかりの所で、これに出合い頭に対峙したのである。

「不慮なる所に入り込んでしまった。討ち死にするにはどういう時節だろうか」

そう思いながらも是非無く名乗った

「私は堀丹波守である!弓取りは我が家来なり。この家主は御城の御番にて留守である!
諸士の家に押し込み、そのうえ亭主の留守をかかる狼藉に及ぶこと前代未聞の所業なり!」

こう大音に叫ぶと「弓を引いたまま射つな!」と下知し、鑓を5つ6つ振り回すと地を叩いて
押しかかってきた。この時の様子は夢幻のように見えたという。

ここで、追手の中に年寄の者2名ほどいたのだが、この言葉を聞いて尤もだと思ったのか、
もしくは堀丹後の必死の有り様に恐れたのか、左右の者達を制して門外に引き退いた。
そこを堀が走りより門を閉め貫抜の木を挿して一息ついた所に、堀丹後の父監物を始め、
寺尾筑後、稲葉兵庫、山岡石見、早多帯刀、富田左近といった人々が追々に駆けつけてきて、
双方の間に入り、この衆の扱いによって漸く無事と成った。

この日の騒動は堀丹後守一人の働きによって、早川源蔵、父主馬をはじめ、一類に至るまで
外聞を失わなかったと、諸人賛美したとのことである。

(明良洪範)



447 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/07/26(日) 04:04:07.27 ID:b54Whb5k
>>408
早川源蔵・・・早川九右衛門、のち細川氏家臣
早川主馬・・・早川長政
堀丹後・・・堀直寄。直政次男。
父監物・・・奥田直政
寺尾筑後・・・?
稲葉兵庫・・・稲葉重通
山岡石見・・・?
早多帯刀・・・?
富田左近・・・富田一白

わからない人がいっぱいいる。

堀丹後守は今後

2013年09月19日 19:52

堀直寄   
150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/19(木) 18:45:35.59 ID:uXBRmXpQ
大坂夏の陣五月六日の合戦で、堀丹後守直寄は粉骨を尽くし、大和口において
横槍を入れて大いに戦功をあげた。

同七日には水野日向守勝成と共に先駆けし、余すところなく相働いたので、
徳川家康は大いに感心し、

「藤堂和泉守と井伊掃部頭は天下の先手なり。堀丹後守は今後、横槍の備をすべし」
と、命じたのだという。

――『新東鑑』




151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/19(木) 21:24:31.63 ID:21IkK7OE
時は流れて鳥羽伏見の戦いで彦根藩と津藩は薩長方に

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/19(木) 22:18:43.01 ID:aT20A93i
彦根藩に関しては
直弼横死後の処遇とか一橋派と政敵関係にあったこととか考えると
割と当然な流れという気も

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/20(金) 01:43:53.91 ID:aXfFsYKg
津藩も勅使きてからの流れだしなぁ
東照宮への攻撃命令は拒否したりと筋はそれなりに通してるわけだし

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/20(金) 10:31:33.60 ID:xtcm4lv7
天下の先手なんだから時代の趨勢に従って先手を務めました、でおk

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/20(金) 18:23:52.63 ID:Yx7K9cVm
御三家筆頭の尾張が裏切るんだから何でもありだ

堀直寄殿は人を遣う事が巧みで

2013年05月17日 19:51

堀直寄   
308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 18:20:42.76 ID:rAUJwgWy
堀直寄殿は人を遣う事が巧みで、人を取り立て慈しむことは世に超えていた。
このために好士が多く、この人に奉公した侍は諸大名が好んだので、大半は立身した。

ある老人が昔直寄に奉公していたので、さる者がその仕方を質問した。老人によれば、

「特別に人の遣い方が変わっていた覚えはない。ただし、直寄は万事につけて従者に
言い勝つことをよしとせず、下の言うことを立てる事をもっぱら好まれていた。
これが世上の人と違うところでありましょうか」とのことであった。

そのような心得なので、従う者も智を増して励んだというのは、もっともである。
主人が強いて位を増し恐れさせる時に、下々がどうして奉公を励むことだろうか。

――『責而者草』





309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 20:57:21.33 ID:Dj61ghSa
なんだか面倒くさい家臣を量産しそうでもあるが、そうはならなかったところが天下の名家老たる所以か

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 20:59:28.32 ID:Dj61ghSa
いかん直寄は名家老の直政の息子の方か・・・

松明と堀直寄と水野勝成

2013年05月03日 19:50

堀直寄   
504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 12:59:12.21 ID:clAJYcFx
堀直寄は大坂夏の陣にて、水野勝成に大和口先陣の大将を命じられた。
直寄は松倉重政とともに大和口に向かった。

五月五日の夜更け、勝成は「敵が寄せて来るらしく、松明がたくさん見える。
警戒を怠らないように」と諸将に伝えた。

直寄はこれを聞いて「日向守は物馴れしていると聞いたが、功者とも思えないな。
寄せて来る敵がどうして松明を照らすだろうか。敵にあらず」と言った。

そこへ勝成が使いを遣して「松明がすべて消えた。敵ではない」と告げてきた。
これを聞いて直寄は「いいや、敵だ。何事もないので火を照らしていたが、
功者がいて消させたのだろう」と言ったが、確かに後藤又兵衛がいたという。

――『責而者草』




505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 14:24:10.84 ID:G7qRRhOZ
戦のお約束を知らない将は敵でも味方でも恐そうだな

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 14:32:08.22 ID:EhqI/3Wk
結局どっちなんだ

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 16:01:55.88 ID:OvJz/j0O
勝成は、たくさんの松明が消えたことをどう思ったんだろう

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 16:39:16.62 ID:gebgZCnY
省エネとか

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 17:00:12.19 ID:9qUZIJ0D
「堀直政の息子ってもこんなもんかーいw越後の田舎の戦は出来ても天下の戦はダメだなw」
とやろうとしたとか
まあ流石に無いな

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 17:18:38.39 ID:AlDhoViu
いい話なのか悪い話なのか、微妙に分からんw
まあ、さすが直寄!そこにしびれる!あこがれるゥ!なんだろうけど

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:04:24.42 ID:e5gA7wHn
話と全く関係ないけど日向守なんだね
謀反人の官位とか普通の人なら避けそうなのに

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:14:41.16 ID:fR/sZd5t
普通の人じゃないし。

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:16:09.94 ID:bzRKkpzn
むしろ光秀の官位とわかって、あえて日向守を望んだのが勝成だからなあ。

堀直寄と蝶を追いかけた小姓

2009年09月24日 00:09

堀直寄   
704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 12:19:39 ID:dBR9xyWK
後に堀氏村上藩10万石を興す、越後堀家家老堀直政の三男堀直寄。
この直寄の小姓に何某と言う者がいた。この小姓、かねてより元服を望んでいたのだが、
直寄は

「まだ幼い」

と、それを許さず、彼は仕方なく小姓を続けていた。

さてある時のこと、この小姓、終日の勤番を勤めていたが、それに飽き、番所を出て
書院のほうへ行ってみた。
すると、書院の障子に蝶が止まっているのを見つけ、それを捕まえようとしたが、蝶が飛んで
逃げたので、ついつい、それを追いかけた。

なるほど、子供である。

ところが蝶を追い掛け回していたこの小姓、上の座敷のところで、何と主君、堀直寄に
ばったりと出くわした。

これに、我に返った小姓は赤面し、慌てて直寄の前を退いたが、心中
「勤番の役儀を解かれるのはもちろん、あんな子供のような真似をしたのだから、
処罰されても仕方が無い」と、思いつめていた。

そんな所に小姓頭から、「直寄様から、参るようにとの事だ」と、早速の召し出しを受け、
覚悟を決めて御前へと向かった。

まかり出た小姓に、直寄は叱責をはじめた

「お前より齢若い者すら、法令を守って番所を去るようなことは無いのに、その法度を
破っただけではなく、障子にいた蝶を追いかけそれを捕らえようとするなどと、児戯を行うとは
これは沙汰の限りである!これは罪を与えるべきであろう!」

小姓、やはりそうかと身を堅くする。

「…が、

お前が蝶を捕ろうとした時、小声で何度も、このように言っていたな、
『丹後守(直寄)家中ほどの者が、お前を逃してすむべきか』と。

戯言というものも、普段の考えが現れる物だという。
わが家中を頼もしいものだと思い、武勇を励む心が無くては、このような戯言は
出てこないものだ。これは賞賛すべきことであろう。

よってその褒美として、お前がかねてから望んでいたよう元服させ、少知であるが、
二百石を与える。」

罰せられるとばかり考えていた小姓は、あまりに意外なことに、目に感涙を浮かべて、
御前を退いた。
これを聞いた直寄家中の者達もまた、直寄の、家臣へのやさしさと家中の武勇を思う心を知り、
深く感激した、とのことである。


そんな、堀直寄のちょっといい話。





705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 12:44:10 ID:hAwZJZFK
蝶を追いかけてただけで二百石とは羨ましい
十万石の家中で二百石と言ったら結構なもんですよ

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 12:58:34 ID:yheDTVVP
元服させて責任感を持たせたほうが伸びる子、と見たのかもな
今の成人年齢引き下げ論のような

707 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/23(水) 13:22:55 ID:HbqaBFBE
堀直寄は渦中にはやさしかったかもしれんが、実兄と主君には厳しかったよなw
穏便に解決する様子を見せもせず、大御所に讒訴して改易に持ち込んだw

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 18:00:29 ID:1q4BA16g
家康から100万石もらう予定だから、200石なんてたいしたことない。


堀直寄、迷信を解く・いい話

2009年02月20日 00:17

堀直寄   
23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 00:23:23 ID:hYoOSLg2
大坂夏の陣の最中、1615年5月5日。
徳川方の水野勝成は堀直寄(堀秀政の従兄弟違い)に

「大和の諸侯とともに河内に入りますので、
直寄殿も五月五日に大和から河内に入って頂きたい。」

と連絡した。

「急にそんなこと言われても…。
参ったな、これでは到底間に合わないぞ。」

焦った直寄は近道がしたかったので
地元の人間に近道できる場所がないかと尋ねると、
亀瀬峠が近道らしいのだが…。

「実は大昔にあそこを通った物部守屋は
河内で蘇我馬子に負けて死んだのです。
それ以来、戦であそこを通ることは禁忌なので
やめたほうがいいと思います。」

これを聞いた直寄は

「なるほど、ということは私が亀瀬峠を通って敵に勝てば
先駆けて千年の馬鹿げた迷信を解けるというわけだ。
守屋は死んだかもしれないが、私は生き残ってみせよう。
それで禁忌の真偽もわかる。もし、私が討ち死したら
後世の侍たちに禁忌は本当だったと伝えてくれたまえ。」

と言って臆せずに亀瀬峠を通っていった。
やがて合戦は幕府軍の勝利となったので
誰もが直寄のこの行動を賞賛したという。




24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 01:52:11 ID:zvBs3vTT
>>23これは豪胆だね。大将以下一兵卒まで、生死に関わる迷信をあえて破らず、むしろ避けて通る人間が少なくなかった

…駿府かどこか火事のときにえらく肝の座った態度で褒められたという堀家の家老さんかな?