640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/20(土) 21:19:51.03 ID:F/WYy8iT
洛東の高山を如意ヶ嶽という。ここには昔、如意輪堂があって美々しき盛りであったと云われる、
この山に瀧があり、急雨五月の頃、京よりこの山を望むと瀑布がありありと見えて、いみじき壮景であった。
昔、当寺繁盛の折から、この瀑布の傍らに楼門があった。これすなわち三井寺の境地にして、
西方の門であった。そのためこれを号して「楼門の瀧」と言った。
往古、三井寺に役する者は、この道を往還したと云い伝わる。京よりかの寺に行く時は外の街道より
険難であるのだが、非常に近道になるのでそうなったという。
この山に有った城郭は(足利義晴が築城した中尾城の事か)、去る頃公方がいみじく執し給ったのだが、
その後不吉の聞こえ有りと云って廃荒した。
また、このあたりに昔、平氏の世に、俊寛僧都、平判官康頼その他の人々が、後白河院にすすめ奉って
平氏を滅ぼすべしとの相談の有った山荘の跡地であるといって、その礎石がある。
総じてこの一山には古の様々な寺院山荘があって、軒を並べたいみじき場所では有るが、廃亡は
時の運命でも有るのでせんかたなし。
さて、去る頃、ここの城が盛んであった折から、不思議の化物があって、人を入り絶えさせたと云い伝う。
奥の矢倉の下に勤め守る侍共、雨天の物寂しい折から、碁、双六などを持ち出して遊び戯れている時、
明かり障子の破れた所より、面の広さ三尺(約九十センチ)ばかりにして、三目、両口の鬼形のもの、
内をきっと見入った。これに戯れていた人々は興を冷まし、身の毛も立てて恐怖した。
既に夜更けであったのに、虚空より、鏑矢、太刀の音など聞こえて、化生の者まなこに遮り、恐ろしい山であると
云々。
この事は、常徳院殿(足利義尚)御家来の某という者が、最近まで長命していて、修学院の傍に
牢浪として閑居していたのだが、彼が詳しく語られた。
(塵塚物語)
洛東の高山を如意ヶ嶽という。ここには昔、如意輪堂があって美々しき盛りであったと云われる、
この山に瀧があり、急雨五月の頃、京よりこの山を望むと瀑布がありありと見えて、いみじき壮景であった。
昔、当寺繁盛の折から、この瀑布の傍らに楼門があった。これすなわち三井寺の境地にして、
西方の門であった。そのためこれを号して「楼門の瀧」と言った。
往古、三井寺に役する者は、この道を往還したと云い伝わる。京よりかの寺に行く時は外の街道より
険難であるのだが、非常に近道になるのでそうなったという。
この山に有った城郭は(足利義晴が築城した中尾城の事か)、去る頃公方がいみじく執し給ったのだが、
その後不吉の聞こえ有りと云って廃荒した。
また、このあたりに昔、平氏の世に、俊寛僧都、平判官康頼その他の人々が、後白河院にすすめ奉って
平氏を滅ぼすべしとの相談の有った山荘の跡地であるといって、その礎石がある。
総じてこの一山には古の様々な寺院山荘があって、軒を並べたいみじき場所では有るが、廃亡は
時の運命でも有るのでせんかたなし。
さて、去る頃、ここの城が盛んであった折から、不思議の化物があって、人を入り絶えさせたと云い伝う。
奥の矢倉の下に勤め守る侍共、雨天の物寂しい折から、碁、双六などを持ち出して遊び戯れている時、
明かり障子の破れた所より、面の広さ三尺(約九十センチ)ばかりにして、三目、両口の鬼形のもの、
内をきっと見入った。これに戯れていた人々は興を冷まし、身の毛も立てて恐怖した。
既に夜更けであったのに、虚空より、鏑矢、太刀の音など聞こえて、化生の者まなこに遮り、恐ろしい山であると
云々。
この事は、常徳院殿(足利義尚)御家来の某という者が、最近まで長命していて、修学院の傍に
牢浪として閑居していたのだが、彼が詳しく語られた。
(塵塚物語)
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