仮名の注文書

2013年05月05日 19:10

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/04(土) 20:06:07.77 ID:FpbL+zkr
ある人が紺屋(染物屋)に着物の染付を頼むため、注文書にその内容を細かく、仮名で書いて持たせた。

『せなかにふとうを、いかにも手際よくありありと付けるへし』

紺屋はこれを見て、「これは一興なる事を好むものだろうか。しかし必要あるものだろう。」と考え、
絵の上手に頼んで型紙を彫り、背中に染め付けたものを見れば、
不動明王が巌に立ち、火炎凄まじく描かれ、剣を持たせていかにも厳しくありありと染め付けられていた。

これを見た注文主は大いに驚いた。何故なら彼が頼んだのは「不動」ではなく「葡萄」だったからである。

「これは何だ!?何と心得てこんなことになったのか?これはりょうけん違いである!!
早く染め直すのだ!」」

そう言われ突き返されてきた。紺屋は注文書を見なおして

「不動はどんなものを見ても、剣は片手に持っているものばかりである。両手に剣を持たせよとは、
馬鹿げた好みであるとは思うが、客の注文である以上仕方がない。」

そして今度は両手に剣をもたせ、さらに凄まじい染付を付けた。
実にナイスな”りょうけん違い”である

これを見た注文主はもはや呆れ果て、もう仕方がないと諦めこれを受け取り、そのまま
捨ててしまったそうである。

総じて文章を書くときに、仮名だけで書いたものは読みにくくて役に立たないことが多い。
また仮名で書いたとしても、にごり(濁点)をきちんと書いておくべきなのである。

万松院殿(足利義晴)の御治世の前後では、京においてすら文字を書けるものは千人に一人も無かった。
しかし書を成すと云われる程の人は、後の世にも見られないほど見事な書を書かれた。
(義殘後覺)




530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/04(土) 20:24:45.96 ID:bdi90EW+
その注文した人って誰ですか?

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/04(土) 20:35:21.87 ID:h9nKfsL2
私です

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/04(土) 20:52:22.00 ID:Q+WJvxjR
かぶいた人に高く売れただろうにw

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/04(土) 21:02:58.85 ID:i1SOR+Xn
悪い話というよりは面白い話だなw

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/04(土) 22:08:02.61 ID:Ir4DzAB2
濁点がきちんとつくようになるまでさらに300年以上かかるのか

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/04(土) 22:23:26.06 ID:AlGe84Sf
落語かよw

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 00:06:15.91 ID:fmTYy2Wi
何で昔は濁点付けなかったんだろうな

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 00:41:38.47 ID:wsoNoVcB
この中に1人、正純がいる!

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 07:19:24.10 ID:ueyNyR2P
>>536
濁点がなくても分かるのがまっとうな学のある者で、
濁点は学の浅い初学者などのためのものとかそういう感じだったんかねえ

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 08:19:48.56 ID:UdwvAnAs
つか、まともな学のある人は漢文でしょ?
かな書きは字の読めない人のための走り書きで

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 08:20:11.65 ID:6XnixMhK
>>539
句読点なんてまさにそうだったねい

542 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/05/05(日) 08:36:30.58 ID:5HShZpQM
そもそも句読点ないだろ当時は

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 21:13:31.59 ID:lxZ66NJN
>>529
「りょうけん違い」と言われて両手に剣を持たせちゃうほんとバカな紺屋じゃあ、
ちゃんと濁点つけて書いても「武道」だと思って剣道着着た人の絵を描いちゃうかもしれないな

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 21:48:54.76 ID:CP05TOK6
紺屋の白バカめ

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 22:00:28.09 ID:7Ky2t4g3
>>554
どこの完璧超人だよ

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 22:04:27.54 ID:7wlvYMVy
てんかいちのふへんもの

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 22:04:31.47 ID:z1SzEs6S
>>554
まだ武道とは言わないだろ

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室町幕府第12代将軍足利義晴誕生

2012年02月19日 21:50

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 17:22:03.32 ID:ab8T0jwT
室町幕府第12代将軍足利義晴誕生


赤松家落日の時(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5907.html)の後の話。
浦上村宗によって全てを奪われたかに見えた赤松義村であったが、彼はまだ復権を諦めたわけではなかった。
義村は京を追われた足利義澄の子である足利亀王丸を引き取って養育していたが、
この子どもの身柄はまだ村宗にはまだ掴まっていなかったのである。

永正17年(1520年)12月、義村は亀王丸を伴って置塩城を脱出し、海路で明石へと渡り衣笠範弘を頼る。
義村はそれから東播磨の諸将に呼びかけて村宗討伐の兵を結集させて最後の賭けに出のであった。

翌永正18年(1521年)2月義村方の先方の赤松村秀・弘岡左京らが室津まで進軍した村宗軍と対峙。
「いよいよ決戦」・・・そう思われた矢先になんと弘岡がそのまま村宗の陣へと駆け込み裏切ってしまった。
いきなりプランが崩壊した義村軍に早くも勝ち目が無くなり、義村は兵を一旦引くことを余儀なくされた。

しかし、ここで優勢である村宗の方から義村へと和議の申し込みが入る。
京都で足利義稙と細川高国の対立が激化しており、高国は新将軍擁立を目論み村宗に連絡して亀王丸の上洛を打診していたのである。
復権への欲が出たか、義村は村宗と誓紙を交わして和睦し、同年7月6日に亀王丸の身柄を高国へと引き渡した。

だが亀王丸の上洛が済んだ後、村宗は誓紙を一方的に破棄し義村の身柄を拘束して幽閉した。
そして9月17日、赤松義村は村宗の放った刺客に襲われ、刺客の一人の左手首を切り落とすなど抵抗したものの切り殺された。
同年12月25日、亀王丸は育ての親の死について知らぬまま上洛してついに征夷大将軍となり、「足利義晴」を名乗った。


余談だが後年、足利義晴浦上村宗が上洛した時に「将軍襲職の恩人である」としてその再開を喜んでいたと伝わる。




109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 18:43:29.34 ID:MvK+LWGf
養育されていたつもりもなかったのか

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 19:42:36.24 ID:o7VjYBPQ
赤松家ここで終わったな。二度と守護三国に影響力が及ば無くなった。

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 20:03:32.05 ID:da2LXFMF
足利義晴自体は影薄いけど、偏諱受けた大名は多いよな

武田晴信、伊達晴宗、尼子晴久、南部晴政

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 20:35:29.81 ID:2pVPU0wl
>>111
ちょうど黄金世代の親の代だからね

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/20(月) 03:29:16.54 ID:Qc+QZG8A
>>111
赤松晴政「赤松義村の子供なのに…」

まぁ大物崩れで晴政が浦上を背後から襲って殺すのも道理だな。
どうせ大物崩れが起こらなかったら晴政も用済みで始末されたはず。

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/20(月) 09:13:08.87 ID:x+0Yv8HS
>>108
この時代も面白いよなー
信長の野望はこの時代を舞台にしたゲームを出すべき
蒼天録なんて無かった


115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/20(月) 11:06:48.87 ID:bkyxPwdY
そうなるともう「信長」の野望じゃなくなるんだけどなw
昔、源平を扱った光栄のゲームあったな~

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/20(月) 12:56:53.14 ID:6iZObSRe
>>108
相手が優勢な場合に和議に応じるのは馬鹿。


117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/21(火) 22:58:03.98 ID:HvdNzsJ5
>>116
相手が優勢なら当然和議に応じるだろうさ。
むしろまずいのはその後。

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 07:37:29.17 ID:4CjbdSAD
上杉朝定「相手が劣勢なのに和議するとかありえんよねー」

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 11:18:16.97 ID:S5QUgtuu
真田パパン「それは時によりけりだ。くくく・・・」

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 16:02:49.32 ID:lke3g88j
信長から降伏勧告きたら100%罠だな
北畠とか伊勢長島とか遠山城とか...

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 17:16:15.91 ID:u2zSX/im
>>120
信長は、だいぶ経ってから追放したり処刑したりするから怖い。
家康辺りは、どうやって死亡フラグを回避したんだろう。


122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 17:45:05.07 ID:+4rptUCo
>>121
息子と嫁さんで華麗に回避

暗殺将軍の影・悪い話

2009年02月26日 00:12

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 14:31:31 ID:KX4ZeTJ1
暗殺将軍の影

天文十七年八月 三好長慶は叔父・政長の討伐を細川晴元に進言するが、晴元これを拒否。
         長慶は細川氏綱を担ぎ晴元・政長に叛旗をひるがえす。  
天文十八年六月 長慶、摂津江口城を攻撃し政長を討ち取る。
天文十八年七月 長慶入京。晴元、将軍義晴と共に朽木谷へ逃亡。
天文十九年七月 将軍・義輝軍、洛内にて三好方と戦うも京奪回ならず。
天文二十年三月 長慶、吉祥院にて政所執事伊勢貞孝と会談。
         挙動不審の稚児が屋敷の周りを徘徊していたため、警備方は稚児を捕獲し拷問
         稚児「公方の命令で屋敷に火を付けて長慶と貞孝殺すつもりでした。」
         稚児及び近くに潜んでいた稚児の仲間二人を処刑。
天文二十年三月 長慶、貞孝宅にて酒宴。貞孝邸内に紛れ込んだ進士賢光に襲撃され負傷。
         賢光を捕獲・拷問する。賢光「公方の命令で長慶を斬り殺すつもりでした。」
天文二十年五月 長慶の岳父・遊佐長教、目を掛けていた時宗の僧侶に刺殺される。
天文二十年六月 長教の婿・筒井順昭、二十八歳にて謎の死。




360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 15:01:24 ID:hP1oaepa
>>358
足利将軍家は暗殺術が伝統芸みたいなところがあるよねw

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 17:55:43 ID:/VK+c9Ln
約一名、悪人の所に堂々に乗り込んで大立ち回りして事件を解決しそうな将軍がいるけどな。