『高木は風にあい、勇士は妬みにあう』

2014年01月01日 18:58

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/01(水) 16:33:42.31 ID:grFRENw+
織田有楽軒の息子左門(頼長)の家士に、常に武を心がけ、万事につけて埒が明く小身の者がいた。

傍輩たちはこの事を憎んだ。ある時、四、五人が申し合わせて銭湯の風呂に入った。
多くの人の中で、かの者は面を打たれて鼻血が流れ出た。風呂の中は暗かったので
相手が誰とも分からず、かの者は外に出て身体を拭い衣を着て、帯を締めて刀をさしはさむと、

「士の意趣は刀をもって勝負をするものぞ! 只今、拳をあげて我が面を打ったのは
女童のやり方のようである! 臆病者はまったく士の行為ではない! 志があるならば名乗れ!
名乗らなければ男とは言えないぞ!」

と、罵ったが、返答する者はいなかった。亭主が手をすってこれを止めたので、
かの者は裸者をことごとく撫で斬りにすることもなく、怒りを抑えて宿へ帰った。

それゆえに人々は口々に悪く取り沙汰した。これを聞いた左門は「かの者は平生の覚悟が良くないので、
我にまで恥辱を与えた」と言い、かの者が追放されそうなところを、

有楽軒は「『高木は風にあい、勇士は妬みにあう』と言われている。これはきっと傍輩どもの
仕業だろう。面を打つ程度の心で、名をも名乗らず黙っているのは、人知れず恥辱を与えたことを
勝ちとした臆病者だ。決してかの者が気後れしたわけではない」と言って、かの者を扶持して残した。

その後、かの者は合戦の場に赴き、大剛の働きあって名を揚げたのである。

――『武将感状記』





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大野治長と織田有楽斎が茶臼山にやってきて

2012年05月24日 21:00

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 00:30:52.68 ID:3WQ2Cwt1
大坂冬の陣の和議がなった後、大野治長織田有楽斎が
茶臼山にやってきて祝賀を述べた折、徳川家康は本多正純を呼び、

「わしは修理のことを只の若造だと思っていたが、こたび
主将として諸軍を指揮する様は、武勇はもちろん、秀頼に対する
忠節も見事なものであった。正純よ、お前も修理にあやかるのだ」

と言って治長の肩衣を所望し、それを正純に着させた。
治長はこの時「冥加にかないました」と感じ入り、涙を流して退出した。

そして、有楽は御次の間にて衆人に向かい

「このたび御和議がととのったのは本当にめでたいことです。
これよりは入道も太平の恩化に浴し、生涯を楽しんで送りたいと
思います」と言って、茶を点てる真似をして帰っていった。




315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 00:43:15.24 ID:fsKXrfLp
深そうな逸話だな。
有楽が構われず世代交代を察して退いたのか、豊臣の明日はないと思って保身に走ったのか。


316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 00:53:33.47 ID:L1gtvlb6
茶を点てる……真似?

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 01:05:59.39 ID:CgcdmOmV
織田有楽斎は信忠を見捨てて(彼が余計な進言しなければ信忠は死なず
に済んで織田家の没落もなかったかもしれんし)、その後は秀吉の家臣
として屈辱を受ける事もありつつも大阪の陣以降まで生きているけど
豊臣家の滅亡をどう思ったんだろう。
織田家を蔑ろにした報いで「ザマー」と思ったか、それとも諸行無常というか、
姪の茶々と秀頼を哀れに思ったか。。。。

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 07:52:25.55 ID:Cr0urHIm
有楽だし、我が身の無事以外は何も考えてなさそう

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 11:19:38.54 ID:/zOIRHeb
有楽「良かった、今回も生き残ったぞ」

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 11:59:40.13 ID:SexZ0GL/
有楽みたいに実際の行動じゃなくていつの間にか立った無責任な噂で人間決められてたら、趣味の世界に
逃げたがるのもわかる。

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 12:13:59.61 ID:MAQBFCeU
有楽殿は評判悪いなw
自分の能力をわきまえてうまく立ちまわってるだけなのに

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 12:20:14.71 ID:CgcdmOmV
>>320
あの例の有名な歌は嘘なんだ。

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 12:25:10.38 ID:J9GtnOfy
>>322
あー、フランク永井のやつね

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 12:26:36.80 ID:CnsFi+EX
うらく町で逢いましょう

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 12:45:34.52 ID:SexZ0GL/
>>322
後世の編纂物にしか存在しないし、他の脱出組は叩かれて無いからねえ。

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 15:25:52.56 ID:CgcdmOmV
へえ~そうだったんだ。

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 19:33:55.69 ID:0QPsSeJ7
すごいな、フランク永井

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:09:27.81 ID:fPnXHy8x
有楽殿好きだけどな、俺
あの立ち回りはただの凡人に出来る芸ではないと思う

この様子を笑って見ていたという有楽斎は

2011年12月12日 22:00

343 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/12(月) 03:35:48.58 ID:3doaVf8q
ある時、織田有楽斎は千利休亡き後に茶の第一人者となっていた古田織部と共に、
秀吉の遺児である秀頼のいた大阪城での茶の湯に招かれた。茶会では、豊臣家重臣であった
加藤清正が秀吉に献上した茶器が使われ、出席者は秀吉や清正に敬意を表すようにこの茶器を押し頂くのが
決まり事になっていたのだが、織部はそれに従わなかった。この様子を笑って見ていたという有楽斎は
茶会が終わった後、織部に

「くつろぎなされ。」

と枕を差し出して二人で座敷に寝転がり、側仕えの者に点てさせた茶を寝ながらに飲むという
無礼講を行ったという。 以上、微妙ですけど織部を注意しなかった有楽斎の悪い話。




344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 09:26:42.72 ID:z2fdKoS5
有楽さんは信長の弟だからな
秀吉が生きてた頃はともかく、秀吉死後なら「秀吉や清正に敬意を表すようにこの茶器を押し頂く」とかアホらしかったんだろ

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 11:52:42.60 ID:W2D1de8V
誰が主催したのか知らんけど、主人に対して失礼な話だな
織部の弟子の誰かによるものだったのかな。
有楽斎が招いた茶会というのなら笑い話だけど

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 12:37:24.13 ID:JLg7dFG3
織部だけだと「あいつマジ感じわりーわー(怒)」ってなるけど
「そのあと有楽さんも一緒に寝転んでお茶飲んだんだってさ」ってなると
「ほんとマジあの二人子供だわーやんちゃで困るわー(笑)」ってなるじゃん?
ちょっとトンガリすぎた織部をフォローした有楽さんナイスじゃん?

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 14:05:58.79 ID:W2D1de8V
でも招いたほうの主人は救われてないよね?w


348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 14:35:51.90 ID:HZh4fW9F
だから悪い話なんだろうなw

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 15:01:05.75 ID:Tb798F9g
そもそも、織部が家康・秀忠に切腹させられた理由は何?

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 16:10:37.32 ID:HZh4fW9F
秀頼の子、かくまったから?

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 19:06:19.58 ID:UwRNiIUM
織部の豊臣家に対する心情的には別に他にならえで構わんかった気がするんだよな。
単純に、茶にそういう無粋を持ち込むなよってことだったのだろうか?
間違いなく奇人変人に分類される人だけにやる事が意味分からん。

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 22:25:05.00 ID:a1kIEFNx
>>343
この逸話は何年に起きたものという事になってるのかね?
関が原前なのか後なのかで見方が違ってくる気がする

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 22:34:33.69 ID:eBOElI7u
>>353
関が原後

というかガイシュツの話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4303.html

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 23:05:40.32 ID:nKoG+jpl
ちょっと話の流れが違うと思うんだが。
出典が違うのかね?

まとめに在る方だと織部がパニクってどんがらした話だし、
今度のはわざと秀吉や清正に敬意を払わなかった話だよね?

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 23:14:28.64 ID:a1kIEFNx
>>354
thx、1607年の事か

つったらもう(表向きは秀頼が主君だが)徳川の天下状態
それもこれも自分も含めた皆が東軍についた結果
今更「秀吉の忠臣清正の~」とか何か薄ら寒くね?
とか感じた結果だったりとか

まぁ勝手な想像だが

大坂の陣と織田有楽・長政親子

2011年05月11日 00:00

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 09:48:25.57 ID:h7GnXY96
大阪冬の陣で和議の機運が起こると、徳川方に対し先ず最初に人質を出したのは、
事もあろうに大阪方総大将たる織田有楽斎であった。

大阪城の人々はこの有楽の行動に大いに疑念を持った。が、ともかくも和議は成り
戦争は終わった。
すると有楽は駿府の本多正純に使者を出し

『今回、入道(有楽)は思いもかけず大阪の城に籠ることになりました。
そこで私は大阪を脱出してそちらの御陣に馳せ参じようとしたところで、東西御和睦の事が
成りました。
この上はどうか(家康の)お許しをいただいて、京堺の間で隠居をし、余命を送りたいと思います。』

と言う表明をした。

さて、和睦は続かず大阪方は再び挙兵。夏の陣、起こる。
ところがこの時、未だ大阪城内にあった有楽の4男、織田長政が、「今度は自分が総大将になる!」
と言い出した。

大阪城内の人々は父の有楽の行動、特に和睦前後のことに強い不信感をもっており、長政の言葉を
誰も認めようとしなかった。
これに長政は激怒し

「私は織田信長の甥であり、淀殿の従兄弟である!大将を承れない理由がどこにあるのか!?
この上はこの城に籠っても意味が無い!!」
(我れ信長の甥にして淀殿の従弟なり、大将軍を承らんに何條かあるべき、この上は城に籠って栓なし)

と言い捨て大阪城を退去、京に向かった。

大坂の陣における織田有楽・長政親子についての逸話である。
(藩翰譜)




115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 09:54:25.26 ID:je+WCWhH
大阪はすでに淀に乗っ取られ織田の城になっていたということか
徳川も織田へのリベンジに燃えていたんだろうね 織田を滅ぼし戦国が終わった

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 10:25:44.94 ID:AFo/KJlI
アカデミー賞モノ…なんじゃないのかな?

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 10:55:40.55 ID:1iSoXTnu
大名の妻が当主代行を務めてその一族が後押しするのは、戦国時代じゃよくある事

ただ本来は正室の役目なんだが高台院様も木下一族も…な
すごい勢いで身を引いていってるから、結果淀殿に乗っ取られたというか押し付けたというか

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 11:30:20.88 ID:P/dCe96P
木下一族からしたら秀吉の無茶な立身は逆に迷惑だったぽいからな
大政所や朝日姫なんか悲劇もいいとこだぜ

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 12:22:35.08 ID:PL68Hs9m
関ヶ原のときといい、なんでこんなに統率がとれないかね
こういうエピソードが多いから秀頼名君説ってのがウソくさいんだよな

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 14:32:13.49 ID:yPFubTf1
>>114
織田頼長 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E9%A0%BC%E9%95%B7
のエピソードのような気が。

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 19:51:35.28 ID:sN7ju7Ad
>>117
上州だか信州で大名の妻が当主代行を務めて
その一族を押し出しかました事もあったな

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 20:13:17.47 ID:jYNI/f62
>>121
この人かな?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-531.html

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 20:16:01.20 ID:h7GnXY96
>>120
藩翰譜では織田長政の話だったので出典の通りにしました。


124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/11(水) 06:09:07.35 ID:1QWZDUmh
もう”長政”多すぎ

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/12(木) 01:10:17.42 ID:po1iGnjT
信長の諞諱は>>114と浅野だっけ?

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/12(木) 07:40:08.30 ID:DdGZk4hB
佐久間信信殿が…

有楽斎の武功

2011年01月10日 00:02

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 17:02:52 ID:f+qXzV9m
有楽斎の武功


関ヶ原の戦いもほぼ東軍の勝利が確定的な情勢となった時のこと。
石田家家臣、蒲生真令(頼郷、かつての横山喜内)は武士として最期の意地を見せんとして
残った味方を集めて東軍の部隊に突撃したが、
護衛も次々と倒され、いつしか真令の周りには護衛が一人もおらず、馬も失い徒歩で戦場を彷徨っていた。
そうしている内に頼郷は東軍方の織田有楽斎の姿を目にする。

真令「そこに居るのは織田有楽様ではございませぬか。それがし、元蒲生家の家臣で横内喜内でございます。」

有楽斎にも分かるようにあえて昔の名乗りで語りかける真令。
有楽斎も横内喜内とは旧知の間柄である。馬にも乗らず護衛も付けずに現れた真令の様子を見て
有楽斎は油断してしまっていた。

有楽斎「おお、存じておるぞ。わしに会ったのが汝の幸せ。わしが内府に命乞いやろう。付いて参れ。」

戦場慣れしていない有楽斎には敗色濃厚な西軍の武将がここまで単騎で突貫してきたという発想は
全くなかったらしい。
勝手に真令が投降するものと勘違いして家康への助命を頼んでやろうと言ったのだ。
真令はすとっぼけた事を言う有楽斎に笑いながらこう言葉を返した。

真令「ハハハ、信長公の弟君とは思えぬお言葉。命乞いする喜内とでも思ったか!」

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 17:04:52 ID:f+qXzV9m
そう言うとただちに抜刀して馬に乗る有楽斎に横合いから斬りかかる真令。
まさかの不意打ちを受けた有楽斎であったがここで幸運だったのはこの状況で「体がスムーズに動いた」事であった。

有楽斎「うわああああああああああああああああああああああ!?」

仰天しとっさに体を真令の向かってる方の反対側へ倒した有楽斎であったが今は乗馬中である。
無理な体勢になった有楽斎はバランスを崩して落馬したのである。

ブンッ・・・
真令(なん・・・だと・・・)


還暦前の老人とは思えぬ反応で馬から滑り落ちた有楽斎の前に真令の刀は有楽斎の高股の部分を
かすめただけに終わった。
しかも落馬した有楽斎に次の太刀を食らわせようにも有楽斎の馬が邪魔で斬れない。すぐさま真令は
有楽斎の家臣たちに囲まれてしまった。
もはやこまれでと覚悟を決めた真令。寄ってきた有楽斎の家臣二人を斬り殺すが、多勢に無勢。
有楽斎家臣の千賀兄弟に取り押さえられてしまった。

千賀「今です、有楽斎様!首をお取り下さい!」
有楽斎「う、うむ・・・」(超腰痛い・・・)


こうして織田有楽斎は「負傷(主に落馬時)しながらも自らの手で(千賀兄弟の取り押さえた)蒲生真令
首を挙げる」という武功を立てたのである。
この武功は他の東軍の将に「有楽の武辺末の初物」とからかわれたが有楽斎もほとんど家臣のおかげで
首を取ったようなものなので「老の似合わぬ事」と謙遜しきりであった。




332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 17:17:46 ID:p43BD3p4
本能寺の変で信忠に切腹を勧めておきながら自分は逃走したというのは本当だろうか。大阪の陣とかでも
直前で大坂城脱出してるし。

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 17:41:10 ID:a81FPY1A
切腹云々の話になった時は流石にもう完全包囲されてて逃げれないとおもわれ
婦女子を逃がした時に一緒に逃がされたんじゃないかな
(戦力的に女子供と同等に考えられてたと言いたいわけじゃない、たぶんきっと。)

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 17:53:34 ID:uzW1yDlb
これで3万2千石貰えちゃうんだからほんと運のいい爺さんだよw

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 17:53:43 ID:LskCFhbs
>>333
()内でいいなら、伏見城から逃亡した木下さんも許されるだろうね

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 17:58:47 ID:jgM4TFce
信長の弟としては
老犬斎>>>>>>>>>>>>有楽斎なのに
老犬斎の空気ぷりが半端ない。
有楽斎は茶の湯やってて文化人枠だからしょうがないか

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 18:02:18 ID:+ThPPn5R
生かしておいても全く怖くないから3万石ももらえたんだろう
無能ゆえに戦国の世を生き残れた武将って結構いるよね・・・

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 21:57:36 ID:jJ4xZMNM
>>336
有楽は茶人として大成したし、大名家としても存続しているからね。

無楽斎

2010年09月04日 00:00

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 18:37:44 ID:78+dxaM6
無楽斎

織田信長の弟で、利休十哲の一人・東京都千代田区にその名を残す武将と言えば、誰の名を
思い浮かべるだろうか。

本能寺から奇跡の脱出を果たした織田源五長益は甥の織田内大臣信雄に仕えた。
しかし、天正18年に東海への移封を拒絶した信雄は太閤秀吉の逆鱗に触れて改易され、長益
も失領した。
この時、世をすねたのか長益は「織田無楽斎」と名乗って出家した。

小田原征伐からの帰陣の途上に、そんな織田無楽斎とばったり出会った秀吉はこう言った。
「源五殿。ワシのお伽衆として召抱えるゆえ、貴殿は今は楽有る人なり。無楽を止めて楽しく
有る人になられよ。」
無楽斎改め「有楽斎」に対して、摂津国嶋下郡味舌2000石を与えたという。
織田有楽斎」誕生の秘話である。




850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 19:41:02 ID:McBjOuYs
こういうとんちっぽい秀吉は講談的だな

織田有楽の槍

2010年05月14日 00:02

702 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/13(木) 11:30:34 ID:KNduEBrv
「こたびの高名、いまにはじめぬ事なれども比類なき働きであった」
という家康の言葉に、有楽はかしこまって
「ありがたき上意にて候、老人に似合わざる任侠、さぞおかしく思召けんと存じ候へども、老後の思い出に
少々敵中へ打ちまじり候」


そこへ同席の井伊直政と本多忠勝が皮肉な笑いをうかべて囁いた

「ときに有楽殿が子孫長孝殿、敵将戸田武蔵守が兜を左の方より右の方へ突き抜れたるに、その際少しも損せず、高名といい、槍を申せ、まことに比類なき事にて候」

これは当然家康の耳にも入り、ただちに件の槍が運ばれた。

有楽から御側衆にわたされ、家康の手に移った瞬間。

鞘を外して持ちそこね、指に血がほとばしった。



家康は一向にかまわず鑑賞をつづけ

「じつに見事なる道具なり、大業しけるも理りなり、千子村正か」

と、何事もなかったかのように問うた。

もちろん有楽は家康の傷に気づいていて
「いかにも村正にて候、今日只今よりこの槍は指せまじ」
と憚るも、家康は「少しも苦しゅうないぞ」とむしろ上機嫌で村正の名槍に目を凝らした。

続く

704 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/13(木) 11:35:55 ID:KNduEBrv
702のつづき

家康が退出したのち、直政と忠勝が座興に乗じてこんな話をしはじめた。

「徳川次郎三郎清康公、天文四年十二月織田信秀を討ち取らるべきとて守山へ出張るの折、
御家人安倍大蔵大輔が息子弥七郎なる者、卒怱の間違いにて清康公を討奉る、
御嫡子徳川次郎三郎広忠公、これも御譜代の御家人岩松八弥なる者、
酒狂にて広忠公を突奉りしか、突損じて御股を突て逃げ行く所を、植松新六郎追いかけて八弥を討留めたり、

右両人の刀も村正なり」

と。

「さればこの村正、御三代不吉の作刀なり、われらが所持仕るべき筈にあらず」
と言って、有楽は槍をへし折ったという。


有楽の複雑な心境が伺える話。

705 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/13(木) 11:48:46 ID:KNduEBrv
>>702
>>704
の補足。

関ヶ原での話です、
規制が入って書いたり消したり書いたり消したりしてたら書き忘れてしまった…申し訳ないっ><




703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/13(木) 11:33:29 ID:tSZ9c/c7
幕末維新の志士はこぞって村正を佩刀したんだよね

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/13(木) 11:51:35 ID:25VSY0sm
有楽さんは色々周囲に気を遣う立場だからなあ……。
やっぱり織部と「この茶碗パネェ!」とかゲラゲラ笑ってる時が、
一番リラックスできたんじゃなかろうか。

織田有楽斎の述懐・いい話?

2009年05月02日 00:08

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/01(金) 11:14:07 ID:4bOhHmy1
織田有楽斎の述懐

あれは忘れもしない天正10年のこと。
6月2日未明、妙覚寺の外が騒々しい。
小者の喧嘩かと思うと、やがて木がはぜる音が地を這うように響いてきた。
何事かと外に出ると、本能寺の方角が火の海である。
仰天しておると、村井定勝からの知らせ。
惟当日向守謀反、攻め寄せられた兄信長は火の中で自刀したと。
本能寺に向かおうにも大軍にはなす術もない。
茫然とする間もなく手狭な妙覚寺では適わぬと、二条御所に慌てて逃げ込んだ。
10歳年下の主君で甥でもある信忠、その一党は、評定となる。
逃げ出そうにもすっかり囲まれている。信忠から尋ねられたが、
腹を切るとしか言いようもない。
寄せ手の光秀軍に手向かいながら、信忠は切腹、側近旗本、弟の長利までも皆後を追った。
遺体は御殿と共にすぐに火に呑み込まれていった。
自分も腹を切るつもりであった。遺体は燃やすつもりで薪を寄せ集めた。
ところがそこに敵兵がなだれ込んできた。
腹を切るいとまもない。とっさに薪の中に身を隠した。
誰も気づかない。助かってしまった。

薪の中で考えたのであるが、織田一族、皆が死に絶えてどうなろうか。
それこそ光秀の思うつぼである。
一人でも生き残れば、また運はめぐってくるというものである。

それにわしは兄からそれ程目をかけてもらった、というわけではないからな。
生き残ったおかげで陰口も散々叩かれたが、茶という瑞々しい世界が
わしには開けつつあったし、現に今花開いておる。
今思えば死に損なって良かったぞ。





174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/01(金) 19:03:40 ID:LFOC5tRy
>>153
ダメだ、どうしても介錯人蹴倒して颯爽と逃走する長益さんしか思い浮かばない

織田有楽斎作の茶杓

2009年02月27日 00:13

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 11:41:09 ID:OxOI4mKB
茶杓という茶器がある
茶杓とは茶粉を計る匙の事で茶筅と並び茶道では消耗品とされる
さて、織田有楽斎作の茶杓が現存している
その名も、

‘玉ぶりぶり’

消耗品が400年後に美術館に展示されるなど思いもしなかったであろうが他に良い名は無かったのか?
何ともネーミングセンスの悪い話




399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 13:22:35 ID:sGX5aRd2
>>394
つ http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/07b16c50cd3f9b303bccdc93b9abc433

400 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 13:56:22 ID:1XHn6GGJ
>>394


                      、_f^ヽ
                  ミ三ニ彡ゞ=ニ'、
                 / ̄ ,イリハi})ヾ丶、
                /   /ィノリ川l.i.l.i.l.i.ヽ、
                  /   く彡彡ノノノj⊥、l.i.l.ヽ_,ノ
              /     `ゞッ=ミソ(ィ'ぅ丶l.i.l.iV_,' _,_
              l  , '  ,、 '´  `ヾj,ニ、 )ヽミッゞくラ丶、
              '、/  ,イツ        、゙_,ノ  ,! l/:.:.:.:.丶、
ヾ 川川川川川川川,ノ  '、'、,li},イ   _、    ヽ'、 i,  /:.:.:.:.:.:.:./l
三           三.   ヾミ'゚'゙ー _,ィf トミ、   ヾ!l! /:.:.:.:.:.:.:.:/:.l
三 ゲ 良 こ 俺 三      ', ::... '゙//::::ヽ    lリ/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.l
三 ヒ  い の .の 三      l '´ /ノヘ::::::l   ,' /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.l
三 ヒ. 物 茶 作. 三     `⌒ '゙´  `tヲノ  /, /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:l
三 ヒ  で 杓 っ 三          _,.ン介-イl'/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,'
三 ヒ  ご と  た. 三         /:.:.:.:l:.:/l::ll/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,':.
三    ざ て    三         l:.:.:.:.l:./ l::l':.:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.,':.:
三    る      .三       (^ヾ:.:.:l:./ ,l:/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:,:':.:':.
三    よ      .三       ,/`ト,∨:/ l/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.l⌒l:.:.:
三           三     /: : l{∧∨ ,/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:l'^'l:.:.:
ノ 川川川川川川川ヾ    ,イ_ ,ィ'l:しヘ.∨:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:.:.'(ソ:.:.:
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             /´: : ノ/_,_ 、__ 〉、 `ヽ丶、   'i,:.:.:.:.:.:.:.:.:.: