840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/13(水) 13:24:58.78 ID:2u+d5loY
関ヶ原の合戦で、筑前中納言(小早川秀秋)殿は少々高き所に陣を取られていた。
麓の方から怪しい鉄砲の音が聞こえたため、その日の使番である二宮與三右衛門を召して
「今の鉄砲の音、心許なし。急いで見てくるべし。」
と仰せに成り、「畏まって候」と馬を引かせ、徒立って麓に下りると、麓よりも武者が一騎上ってきて、
二宮に行き向かい
「貴殿は今の鉄砲の音について、麓の有様を見よとの御使いであろうか。私はその事についての、
中納言様への使いである。
今の鉄砲は薬が湿ったため、既に打ち捨てており、少しもお気遣いする事では有りません。
御心安く思し召されるように、との事ですので、もはや御出に及ぶべからず。
この旨を仰せ上げられるように。」
そう言った。二宮は聞いて、「其の方も使い、私も使いである。あれに平岡石見守(頼勝)が居られる。
石見守に仰せ入れて頂きたい。」と言った。
相手は、再三に及んで無用であると言って留まっていると、二宮は「互いに使いであれば、それぞれ埒が
明くのが良いではないか。」と、愛想無く言い捨てると立ち別れ、麓の様子を見聞きすると、あの使いが
言っていた事に変えて、彼は少し心得が有ったので、戦場の難しき体をよくよく見届けて立ち帰り、
この旨を詳しく申し上げると、中納言殿は聞き召され、「よくこそ見て参った。」と感じ入られ、
褒美などを給わった。
その時々の状況によるべきではあるが、使いたる者の心得はかくあるべきであると、
坂崎半兵衛は語った。
またこの二宮與三右衛門は、若い時には二宮千太郎と云った者である。彼は大坂の陣の時は、
天王寺口において御宿越前守と一所で討ち死にしたと、坂崎は又語った。
(備前老人物語)
このお話もしかして、問鉄砲の原型ですかね。
関ヶ原の合戦で、筑前中納言(小早川秀秋)殿は少々高き所に陣を取られていた。
麓の方から怪しい鉄砲の音が聞こえたため、その日の使番である二宮與三右衛門を召して
「今の鉄砲の音、心許なし。急いで見てくるべし。」
と仰せに成り、「畏まって候」と馬を引かせ、徒立って麓に下りると、麓よりも武者が一騎上ってきて、
二宮に行き向かい
「貴殿は今の鉄砲の音について、麓の有様を見よとの御使いであろうか。私はその事についての、
中納言様への使いである。
今の鉄砲は薬が湿ったため、既に打ち捨てており、少しもお気遣いする事では有りません。
御心安く思し召されるように、との事ですので、もはや御出に及ぶべからず。
この旨を仰せ上げられるように。」
そう言った。二宮は聞いて、「其の方も使い、私も使いである。あれに平岡石見守(頼勝)が居られる。
石見守に仰せ入れて頂きたい。」と言った。
相手は、再三に及んで無用であると言って留まっていると、二宮は「互いに使いであれば、それぞれ埒が
明くのが良いではないか。」と、愛想無く言い捨てると立ち別れ、麓の様子を見聞きすると、あの使いが
言っていた事に変えて、彼は少し心得が有ったので、戦場の難しき体をよくよく見届けて立ち帰り、
この旨を詳しく申し上げると、中納言殿は聞き召され、「よくこそ見て参った。」と感じ入られ、
褒美などを給わった。
その時々の状況によるべきではあるが、使いたる者の心得はかくあるべきであると、
坂崎半兵衛は語った。
またこの二宮與三右衛門は、若い時には二宮千太郎と云った者である。彼は大坂の陣の時は、
天王寺口において御宿越前守と一所で討ち死にしたと、坂崎は又語った。
(備前老人物語)
このお話もしかして、問鉄砲の原型ですかね。
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