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あすならふ侍

2023年04月12日 20:17

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/04/12(水) 19:39:00.99 ID:jFJFcP+c
放し囚人(めしうど)が家の中に籠もっている場合は、粗忽にその家に押し込むべきではない。
事前にその家の内に科人が何人居て、どんな武器を持っているのかを聞き定めるべきだし、その上
こちらの人数の中に慌て者がいれば、そういった者は敵も味方も見境なく切り突きするものなのだから、
慎重になるのは尤もな事なのである。

しかしながら、無案内なる人の沙汰に、名の高い武士がそういった場で、科人の居宅にすぐに押し込まない
事に対し、良き武士はその理由を説明しない故、これを幸いと思い、悪しき悪しきと非難するのは、
臆病な侍による女の批判というべきものであろう。そういった人を”あすならふ侍”という。

その仔細は、諸木の中に名の無い木が一本あった。この木が申すには
「杉より檜の方がまし、檜もこめなるは良し」などと沙汰した。
他の木々は問うた「ではそなたは何なのか}」
かの名のない木は「それがしは檜のぢゃう(定)にあすならふ」
と言ったが、ついに何者にもならなかった。

この木を”あすならふ”と名付けたように、良き武士を妬んで、手柄のない男は”あすならふ男”あすならふと
これを名付けたのだ。

そう、内藤修理(昌豊)は笑って言った。

甲陽軍鑑



741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/04/13(木) 10:12:26.79 ID:d35Cttq/
「こめなる」はどう言った意味なんだろう?
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造作も御座無き御宗旨かな

2023年03月12日 16:06

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/12(日) 15:33:30.91 ID:fYuFhMfr
内藤修理正(昌豊)の内方(奥方)の母が死去したが、この隠居は一向宗であったので、甲州の家の
とどろきと云う寺の一向坊主が尽くその葬儀に来た。

そのような中、他宗の葬儀の折のように、死者への膳wをいかにも見事にするよう内藤が申し付けたところ、
一向宗の出家たちが申すには
「我が宗の習いにて、御阿弥陀様へ能く食を進上申せば、他には要らぬことです。」
そのように申して亡者に食膳を向けなかった。

内藤修理は尋ねた、「それは一体どうして、阿弥陀に対してはそのように法外に立派にするのか」
上人はこれに
「阿弥陀こそ肝要なのです。他に食を備えるというのは迷いの心であり、一向宗から見れば他宗の方を
おかしく存じます。」と言われた

内藤修理は申した
「亡者が飢えればどうするのか」
上人答えて
「阿弥陀様にさえ食を備えれば、それが尽くの衆生への施しと成るのです。」

これを聞いた内藤は手を合わせて「さても殊勝である。他宗と違い造作も御座無き御宗旨かな。
一尊への施しが万人に渡るとは珍しき、先ず重宝なる一向宗かな」と褒めると、上人は悦んで
「去る程に、我が宗ほど殊勝なるものはありません。」と上人は自賛した。

すると内藤修理は、自身で上人の膳を据え、残り百人余りの坊主たちへは一切膳を据えなかった。
「これはどういう事か」と坊主たちは抗議して膳を乞うた所、そこで内藤修理は

「おや、御口の違う事ではないか。上人にさえ膳を参らせれば、脇々の坊主たちも腹一杯に
なるかと存じでこのようにしたのだが。」

そのように申すと、その後は坊主たち詫び言して亡者にも膳を据え、みなの坊主も他宗のように
執り行った。これは内藤修理の理屈のために、一向宗が恥をかいたのである。

甲陽軍鑑



710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/12(日) 16:53:43.99 ID:u4UaIy7F
イイハナシダナー

内藤修理は元来工藤なり

2019年06月10日 14:29

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/10(月) 02:24:57.23 ID:2hX+mQxB
内藤修理(昌豊)は元来工藤なり(工藤源左衛門)。これも信玄公御代に“内藤”になされた。

信虎公・信玄公両代で首数9つあり。人並みのしるし故、御証文は1つもなし。弓矢功者で、
思案・工夫の分別は馬場美濃(信春)に劣らぬ人であり、人数の扱いを良くする人なり。

――『甲陽軍鑑』



内藤昌豊の討死

2018年10月28日 17:57

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/27(土) 13:41:07.22 ID:NONzLHXT
(長篠の戦いの時)

山県昌景の進軍を契機に続々進軍した武田勢であったが、いずれも織田・徳川両勢に柵内から鉄砲を
撃ち掛けられ多くの死傷者を出し苦戦した。勝頼本陣中軍の先手・内藤修理昌豊の1千余騎は先駆け

し、逍遙軒信綱(武田信廉)らも続いたが皆鉄砲に当たって引き退いた。この勢いに乗じ柵外に出た
佐久間信盛と滝川一益だったが、佐久間は手勢を立て直した馬場信房によって柵内に追いやられた。

白地に黒い山道の旗を押し立てる内藤はその後へ引き返し、滝川の3千余騎の勢の中へ突いて入り、
滝川勢は散々に突き立てられて、柵内へ逃げ入った。この様子を御覧になった信長卿は柴田修理亮

(勝家)・丹羽五郎左衛門(長秀)・木下藤吉郎(羽柴秀吉)に命じられ、この3人が千5百余騎で
森長村の方から横に打って掛かった。内藤はこれを見て馬の鼻を立て直し、白地に胴赤の旗と御幣の
馬印を真っ先に進めて打って掛かった。

(中略。山県昌景が柴田らを撃退するも討死)

勝頼も歯噛みをなして命じ、勢を進めて掛かったが激しい戦闘となり、典厩(武田信豊)・逍遙軒を
始めとして原隼人(昌胤)・小幡上総・小山田兵衛・望月甚八郎・安中左近・甘利三郎五郎らが諸軍
を進めて打って掛かった。こちらでは織田方において佐々内蔵助(成政)が、「内藤修理の備は浮き
立って見えます。一攻めに攻めては如何でしょう?」と申した。信長卿は「もっともだ」と許し給う。

(中略。その時、早くも徳川勢と武田勢が激突し互いに死傷者を出す。武田信豊が切り立てられ引き
退くと、信長は総攻撃を命じて武田勢総敗軍となり勝頼は敗走、武田諸将討死)

内藤は「今や討死の時至れり」と残兵百余人を選りすぐって半途より引き返し、徳川家御本陣目掛け
打って掛かった。これは御大将(家康)と直の勝負を決せんとする心と察した本多平八郎忠勝が

蜻蛉切の槍を振るって内藤と御本陣を懸け隔てて戦えば、榊原小平太康政・大須賀五郎左衛門康高も
中を破られまいと弓鉄砲の足軽を先に立て、射立て撃ち立て決戦した。内藤は手勢を皆討たれ自身も

鎧に立つ矢は蓑毛の如く。「流石は信玄の家で随一の勇士」と呼ばれた内藤が死狂い獅子奮迅の怒り
をなせば近寄り難く見えたところに、流れ矢1つが飛んで来た。内藤はこれに当たり馬からたまらず

落ちたものの、また起き上がって槍を押っ取り敵を突こうとするところを、朝比奈弥太郎泰勝が槍を
付けてその首を取った。泰勝はこの高名により徳川家の御家来に召し加えられたという。

(原注:泰勝は今川氏真の臣で、氏真より御見舞いの使者に来たり御陣にいたともいい、または元は
今川の家人で、この頃は小田原の北条家に仕えており、北条氏政から御見舞いの使者に来たともいう。
また氏真もこの時、信長とともにここに来た事が手記に見えているともいう)

――『改正三河後風土記(四戦紀聞・東遷基業・武徳大成記・家忠日記・甲陽軍鑑・武家閑談)』



内藤修理の理屈

2014年10月20日 18:53

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/19(日) 23:06:08.20 ID:Tu4xNOcV
武田信玄家臣・内藤修理(昌豊)の、妻の母が死去した時のこと。
この母が一向宗であったため、甲州の内とどろきという寺の一行坊主が葬式のため尽く参った。

そこで、内藤は他の宗派と同じようにいかにも見事に死者の膳を申し付けたのだが、これに対し
一向宗の出家達はこのように申した
「我が宗の習いですので、御阿弥陀様に良く食を進上いたしますれば、他には要らぬことです。」

内藤は尋ねた
「それはどうして、そのような法外な立場を取るのでしょうか?」

これに一向宗の上人
「我々にとって、阿弥陀こそが肝要なのです。外に食を供えるというのは、迷いの心です。
一向宗から見れば、他の宗派のやり方こそおかしく見えるのです。」

「しかし、亡者が飢えたらどうするのですか?」

「阿弥陀様にさえ食を供えれば、それが衆生の施しとなるのです。」

これを聞くと内藤は手を合わせて
「さても殊勝なことです。他宗と違って面倒な事のないご宗旨ですね。一尊への施しが万人に渡るとは、
珍しくも重宝なる一向宗ですね。」

そう褒めると上人も喜び
「ええそうです。我が宗ほど殊勝なものはありません。」
などと自慢した。

すると、内藤はこの上人に膳を据えたが、残りの百人余りの坊主には、一切膳を据えなかった。
坊主たちがこの待遇に「これは一体どういうことですか!」と抗議ししてくると、内藤は答えた

「おや、言っていることが違うでは有りませんか。上人にさえ膳を参らせれば、その他の坊主たちも
腹一杯かと存じ、このようにしたのです。」

これには坊主たちも詫び言して、亡者にも膳を据え、皆の坊主たちにも他の宗派のように取り計らった。
これは内藤修理の理屈のため一向宗が恥をかいたのである。

(甲陽軍鑑)




67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/20(月) 00:25:28.99 ID:MZBhw6Ae
>>66
前田慶次郎が林泉寺の傲慢な和尚にデコピンしたのが動なら、昌豊の方は静か
理詰めで坊主共に恥をかかせたわけか

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/20(月) 00:36:48.52 ID:4DGxDwzt
実際の坊主もこの程度で黙るなら楽だったろうな

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/20(月) 07:09:42.26 ID:C5OS1VUk
内藤修理 一休さん説w

気遣いは分別の花

2014年10月13日 18:52

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/12(日) 20:33:42.27 ID:LUVDo2cI
武田信玄家臣、小山田弥三郎がある時、内藤修理亮(昌豊)に問うた

「心の至らぬ若者に、気遣いをするようにと教えたのですが、それからはどこにも出かけず、
物も言わず、なんでもかんでも気遣いばかりしています。武士道においても良くなっているようには見えません。
これはどうすればいいのでしょうか?」

内藤修理、これを聞くと
「侍がそういう様子であるのなら、その人に知恵が付いたということです。
気遣いとは分別というものの花です。この花はやがて実になります。それを分別と申すのですよ。」

そう小山田に述べたという。

(甲陽軍鑑)



33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/13(月) 05:20:16.17 ID:si0zCDjC
立派なニートの出来上がり

坊主、座頭とは付き合わないのが

2014年10月11日 19:02

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/10(金) 22:27:03.93 ID:s7oJc1BH
ある時、武田信繁の嫡男・典厩信豊が内藤修理亮(昌豊)に尋ねた

「奉公人が大小、上下に限らず付き合って悪しき者はあるでしょうか?願わくば
修理亮の意見を聞いて、私が召し使う者達の後学としたいのです。」

これに対し内藤修理亮は
「先ず二人の者達があります。それはいさかい好きの坊主と、同じくいさかいの好きな座頭です。

どう言う意味かといえば、男子たるもの、寄り合ってその場のはずみで雑言などあれば、殴り、殴られ、
斬り合う。その時死んだほうを負けと申します。然らば、人の口論と殴り合いは、坊主も座頭も雑人も侍も、
力次第、口次第、あるいは贔屓次第で勝負があります。成敗は何れの形であっても甲乙の無いものであり、
最期にはぶった斬る以外の方法はありません。(後はぶつきるより外の儀はなし)
しかし坊主、座頭達はこれに負けたとしても恥になりません。

男子たるもの、雑言の上で少し義理が違っても恥でありますから、ここを以って斬るに極まるのは
武士の技と申し定まっています。
斬って理を得るのはその人の普段のたしなみ、又は冥加です。そうして、その時の有り様で勝負に勝って、
それによってその人が世間から褒められる事は武士の行儀というものです。
ですが、坊主、座頭を斬ってしまうのは恥だとされています。

でありますから、いたずら坊主、座頭に付き合わないのが秘訣なのです。」

そう言って、さらに修理亮

「それにしても典厩様は、さすが信玄公の甥子であり、しかも故典厩信繁様の書かれた法に嗜みがありますから
このようなご詮索までなされるのでしょう。」

と、信豊を大変に褒めたという。


(甲陽軍鑑)

坊主座頭とケンカして斬り合いしても、勝っても負けても恥なんだからそもそもそういうことが起こらないよう
付き合うな、という内藤修理の忠告である。
しかし口論が即斬り合い殺し合いになると断定しているのが、いかにもこの時代の武士ですね。




516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/10(金) 22:35:59.66 ID:PzTpVacq
つまりスルースキルが大事と

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/10(金) 22:50:33.96 ID:ajTUXYlz
木村重成殿が深く首肯しておられまする

519 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/10/11(土) 07:19:30.70 ID:Ie0URXO+
前田利家「ホントね~、某も主君の弟の茶坊主を主君の目の前で斬ったら追い出されちゃったからね~、坊主には関わらん方がええよ」

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/11(土) 20:01:48.98 ID:sFkWLxP1
道雪先生「根性を叩き直せばなんとかなろう・・・何回目かのう」

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/11(土) 21:28:26.54 ID:0zPERdI5
>>519
そういやお前の弟は同僚を切ったっけな

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/11(土) 22:52:49.04 ID:FR3FHb+t
>>519
坊主なんか押し切ってしまえばええんじゃって御主君がゆってた

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/12(日) 14:25:31.14 ID:qvvYM4+0
敵対関係でもない異母弟を斬ったら普通切腹モノなのにな

ある時、曾根内匠が内藤昌豊に

2012年05月27日 21:10

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 15:33:58.57 ID:jt+ED01X
ある時、曾根内匠内藤昌豊に武田家がいかにすごいかを語ったことがあった。

「村上義清は信濃五郡の主で、当家は甲斐四郡とまことに小郡でした。しかも村上は
当家より人数も多かった。にもかかわらず何度も戦に負けてついには国を捨てて越後に
逃げていきました。

諏訪頼茂、小笠原長時、木曾義昌、上杉憲政らと幾度も戦いましたがいつも当家の旗風に
靡きました。北条氏康、上杉謙信とも何度も戦いましたが、当家の戦いぶりは凄まじく、
今や関東で当家の太刀風に並ぶ者はいません。まさに日本無双というべきです」

これを聞いていた昌豊は呆れてこう言った。

「あなたは本当に幼いことを言う人だ。いま中国には毛利元就という大将がいる。
その人物ははじめ七百貫より起こり、八ヶ国持ちの大内義隆、七ヶ国持ちの尼子晴久、
五ヶ国の主である大友義鎮と何度も戦って打ち勝ったのだ。村上諏訪小笠原と戦って勝つ
よりも遥かに勝っているではないか。

しかし案ずることはない。世間では当家の武勇ほど毛利の武辺は話題になっていないぞ。

国がどれだけ広くとも、どれだけ多くとも、戦の勝敗は志ひとつで決まるものだ。
村上の五郡は大内の八ヶ国には及ばずとも、戦士の数は八ヶ国よりも多かった。

当家の四郡は毛利の十三ヶ国に比べれば大海の一滴にすぎないが、死を惜しまぬ士は
十三ヶ国よりも盛んだ。つまり、当家は毛利よりも上に立っているのだ」


曾根を戒めるかと思ったらもっと大きく出たでござる。




552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 15:40:03.13 ID:qCyQnlv9
内藤さんは控え目なのか剛毅なのか混在してるかなり複雑な人だよなw
もとは剛毅だと思うがそれを抑えるだけの思慮分別があった苦労人だとは思うが

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 15:45:43.93 ID:KM0dIbUU

サンキュー内藤!武田軍なら1万5千で3万人に勝つくらい楽勝やな!!!

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 15:46:24.91 ID:5TNBSvzC
一方その頃、信玄はその毛利とガンガンやり合ってた雷神さんに会いたがっていた

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 15:51:22.92 ID:Dvvnf/Iq
甲斐は四郡しかないんだからしゃあない
たしか加賀も四郡だけだったはず

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 17:38:58.67 ID:3zvPZDOm
内藤さん大ぼら吹きやな~

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 17:41:36.93 ID:OVAcFybQ
安芸武田や大内が毛利に滅ぼされて甲斐に亡命した人がいたから西国のことに詳しかったんだろうね

そういや山本勘助なる人物も元就をかなり評価していたな

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 17:47:07.25 ID:HEoJz3+o
勘助は元大内家臣って説があるくらいだから

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/27(日) 17:51:11.57 ID:F2p2qJNE
萩藩閥閲録だな。
山本勘助は讃岐出身で山口に来て大内に仕え、その後甲斐に行ったという。
三河出身と「勘違い」されたのは、「讃州」を「三州」と間違われたからだ、とかw

内藤修理、喧嘩両成敗に

2010年03月08日 00:03

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/06(土) 22:42:37 ID:qspiyGHi
武田信玄は喧嘩の始末について喧嘩両成敗を採用しようと
重臣たちと相談した。この時、猛烈に反対したのが内藤修理だった。

「両成敗との事ですが、恥をかかされて我慢するような者は役立たずで
ありましょう。そのような法があっては家中に男道をもつ侍がいなくなる。

他家では弓矢の道を推奨しているのに、武田家だけ喧嘩防止のために
男道が失われてしまいます。あなた方はどうかわからないが、
私は自分の子に男道をくじいてまで我慢しろとは言えない。

なんでもかんでも我慢となれば臆病侍が増え、口論や打擲ともなろう。
口論に負けるくらいは我慢するかもしれない。たいした害はないのだから。
しかし、殴られでもしたならば、たとえ一族を串ざしにされようとも、
所構わず、すぐさま殴った相手を殺すほかはござらぬ!

それでも両成敗となって、自分の罪なき肉親が裁かれた時、武田家に忠誠を
尽くせるだろうか。あなた方はどうお考えか知らぬが、私は尽くす事はできない。

ゆえに恐れながら申し上げますが、私は喧嘩を仕掛けた者を罰するほうが、
家中の風紀も引き締まると考えております」




462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/06(土) 23:24:03 ID:3/dT73wN
職場にキチガイじみた団塊おっさんがいる俺には内藤さんの言葉が身にしみる・・

反応した時点で負けなレベルだからな・・基地外相手は

甲斐武田家「あすなろう」

2009年08月02日 00:34

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 23:20:23 ID:mbXfGqTQ
武田家に臆病な男がいた。その男はいつも手柄がなく
「今日は調子が悪かった。明日から本気出す。
絶対に手柄を立てるから見てろ」
と言うのが常だった。

その男に内藤昌豊は言った。
「林の中に名無しの木があった。杉や檜がその木に
「お前の名前は何だ」と尋ねた。その木は「あすなろう」と
名乗った。お前はその「あすなろう」だな」

それから武田家では口ばかりの者を「あすなろう」と
呼ぶようになったそうだ。




991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 23:47:15 ID:8xDYvm1D
>>989
第三野球部(涙)

見知られた者の首級の中に何か抜けてないか

2009年06月02日 00:04

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 11:35:36 ID:4KSkohJY
ワロタのでコピペ

修理といえば信長公記
討捕る頸、見知分、山形三郎兵衛・西上野小幡・横田備中・川窪備後・
さなだ源太左衛門・土屋宗蔵・甘利藤蔵・杉原日向・なわ無理介・仁科・
高坂又八郎・奥津・岡部・竹雲・恵光寺・根津甚平・土屋備前守・和気善兵衛・
馬場美濃守、中にも馬場美濃守手前の働比類なし。

見知られた者の首級の中に何か抜けてないか





946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 12:58:18 ID:ey5B6+ao
>>945
( ^ω^)おおもう…

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 14:46:42 ID:V58zjpeD
山形三郎兵衛は山県昌景だよな?
高坂は生き残ってるから…

泣いた・゚・(つД`)・゚・

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 15:01:18 ID:RCEit5EI
>947
そして内藤修理亮さんが見当たらないという


952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 18:03:49 ID:HhCBKIa+
>>945

これ書いたの絶対牛一だろ・・汚いなさすが牛一きたない
俺はこれで牛一きらいになったなあもりにもひきょう過ぎるでしょう?
俺は中立の立場で見てきたけどやはり甲陽軍鑑中心で語った方が良い事が判明した
牛一はウソついてまで三段目の柵突破を封印したいらしいが内藤に相手されてない事くらいいい加減気づけよ
内藤は牛一よりも主君に重用されているからお前らのイタズラにも笑顔だったがいい加減にしろよ
普通に血の通った人間なら、武将が槍働きを削除させられる絶望がどれほどのものかわかると思うんだが
特に修理亮の場合は、そこらの一般大名の雑魚い武将じゃなくて武田で一番の副将
想像を絶する悲しみが修理亮を襲った

953 名前:人間七七四年[ゃsage] 投稿日:2009/06/01(月) 18:12:34 ID:RCEit5EI
>952その……改変は些か……いかがなもんかいのー


954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 18:19:41 ID:RCEit5EI
>947
春日(香坂)弾正の息子は長篠設楽ヶ原で討ち死に


955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 18:52:56 ID:0LRiAB4t
>>952
さすがに内藤修理亮は格が違った

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 19:43:26 ID:lNRHHzFI
>>945
もしかして彼は生きてるんじゃ…

あれ?宅配便が来たみたry)

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 20:01:10 ID:RCEit5EI
>956
首なしの配達員さんが丸い玉を脇に抱えたまま、戸口を指差して去っていったよ・・・・・・


958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 00:17:25 ID:wCndpwAU
見知った者の名前をあげたらしいから、牛一が内藤さんの顔を知らなかっただけ
・・・・と思うことにしようじゃないか・・・・

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 02:13:49 ID:lgi5mKTB
>>954
次男以下の息子は生き残ってるぜ。

無残な事に武田滅亡後に森長可付きの家臣にされるという酷い罰ゲームを受けるが。

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 02:40:12 ID:YLQWcGaT
>>960
MINAGAOAROSHI♪

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 11:26:16 ID:586meSsn
本能寺の後に逆らって息子無骨の錆にされた上、本人は上杉家に誅殺、
一族は忠政の復讐で皆殺しだからな。

既出の話の春日周防だし…。

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 12:12:11 ID:HQx1oYfJ
内藤さんは>>677の人に討たれちゃったのが切ない


内藤昌秀 「こたち」・悪い話?

2009年03月04日 00:15

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 10:39:11 ID:tk2meGXO
内藤祭り便乗

小田原攻めの際、山縣昌景は
「いとけのくそくてきをきる」
と先手の内藤昌秀に使者を送った
これに内藤昌秀は
「こたち」
とのみ答えた
これを聞いた山縣昌景は
「さすがよ、それがしの心配するところではなかったわ」
と満足したという

これは‘糸毛の具足’すなわち大将首を狙うか否かの問いに
‘小太刀’すなわち小規模戦にとどめると返したのである

流れ的にこちらで

ちなみに
この謎かけに駆り出された使者だが鉄砲傷などで重傷を負ったという
謎かけをお互いに解したから良かったもののさらに往復していたら…
そんなお話




551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 10:46:25 ID:RBcCZQ7L
>>550
いい話スレの山県さんに謎かけした話といい、内藤さんは武田軍のナゾナゾキングだなw

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 13:21:37 ID:LPZ3zYPJ
勝頼「あいつらわけの分からんことばっか言ってニヤニヤしてて俺を馬鹿にしてるんだな!」

これが武田家の功臣たちとの亀裂の始まりだった

という電波を受信したぞw

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 13:37:19 ID:GHKKbsqz
電波を受信(笑)

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 18:08:20 ID:iO+eYDXw
内藤は信繁の後釜だから、
OYAKATAの陰に隠れる副将ってのは重々承知だったろう
俺たちがこうやって地味地味言ってるのもある意味それが嬉しかったりしてw

内藤修理より馬場美濃守への挑戦。これがわかるかな?

2009年03月03日 00:21

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 17:55:47 ID:TMf4bwM7
ある戦陣でのこと

武田信玄の小荷駄奉行、内藤修理、どうも暇だったらしく、
わざわざ寺尾豊後を使いにして、馬場美濃守の所に、なぞなそを送ってきた。

「 『待つ宵に 更け行くかねの声聞けば あかぬ別れの 鳥はものかは』

(あなたが来るのを心焦がれて待っている夜、夜更けを知らせる鐘の音を聞くと、
まだ夜の明ける前、鳥が囁いている時(朝チュン)、あなたが帰ってしまう事も思い、
心苦しくなってしまいます。)

さて、これが表す動物を答えよ。」


しかし流石は馬場美濃守、これをたちまち解いたと言う。


さて、この内藤修理からの挑戦、君には解けるかな!?m9(・∀・)ビシッ
ヒント:この詩の作られた平安時代らしい雅な答えです。




461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 20:23:23 ID:F0WPhIvi
>>459
うーん、「月」を待つ生き物ってことでフクロウとか松虫とか?
ムネン、アトハタノム・・・

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 20:42:18 ID:tErncjOz
夜が明けると帰る訳だから月が象徴する生き物で兎とか?

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:42:39 ID:c+VuL3tS
平家物語からの引用だから蛍とか

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:57:14 ID:TMf4bwM7
>>461-463

答えは「牛」
それも牛車を引く「車牛」と、逃げ出した「放れ牛」

「来る間(も)憂し、離れ(るのも)憂し」という事で。

※↑反転すると答えが出てきますよ!

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:03:33 ID:hFgTtTJI
ほう、雅だが現代人には難しいなw

内藤昌豊の扱いについての酷い話

2009年03月03日 00:10

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 20:41:19 ID:nJqkhNwS
【猫口将軍】山県昌景と愉快な仲間達 より転載を転載

888 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 13:46:03 ID:KI3rqqoU0
漫画センゴク    四名臣の他の三人は出るが内藤は秋山と差し換え
大河武田信玄   他の三人は出るが内藤だけ出ない
大河風林火山   他の三人は出るが内藤だけ出ない
ゲーム戦国ランス 他の三人は出るが内藤は真田と差し換え
ゲーム太閤立志伝 川中島イベントを起こすのに他の三人は必要だが内藤は必要ない



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519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 20:51:27 ID:TMf4bwM7
>>518
最近名前まで実は昌豊ではなく昌秀だったと言われている内藤さん( ´Д⊂

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:09:40 ID:hsdhyJ9G
これは現代人の悪い話だな。

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:23:43 ID:9mskVb/I
>>518
        統/勇/知/政
内藤 昌豊 82/70/82/79 騎馬B弓B計略B 内政A

山県 昌景 88/94/69/63 騎馬S
馬場 信房 86/77/76/77 騎馬A 内政A
高坂 昌信 91/75/85/71 足軽B騎馬A計略B
(「信長の野望 革新」より)

四名臣で唯一戦闘適性A以上がない内藤さん
四名臣で唯一パラ85以上が(ry

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:31:47 ID:gOEpq3/d
山県 赤備え
高坂 逃げ弾正
馬場 鬼美濃
内藤 …

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:37:25 ID:J+WXQk4z
山県 赤備え
高坂 受け弾正
馬場 鬼美濃
内藤 うはwwwwwwwwwwwwwwwおkwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:39:06 ID:HvFe1xzz
えーっと…
が、学研漫画の「長篠の戦い」では格好良い死に方だったよ内藤さん!

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:42:13 ID:hsdhyJ9G
何か内藤さんの面白い逸話が有れば打開出来るかもしれないが俺は知らない。

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:46:53 ID:TMf4bwM7
内藤さんと言えば、戦場でどんなに活躍しても
「内藤だからそのくらいの活躍当然だよねー」
って言われて、生涯一枚の感状ももらえなかった、って話かなあ、有名なのは。

まあ本人も逆にそれを誇りにしていたそうなので、悪い話でもないんだけどw


527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:52:19 ID:C4OIEYC2
温厚、公明正大、功を誇らず気配りの重要性を説く

こんな人にはなかなか面白い逸話はでんわな

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:54:56 ID:mQR64LF0
普通にいい人だがでもそれだけなのか…
でも逸話は聞いてみたいもんだ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 21:59:53 ID:/qBkS5qG
内藤さんはいぶし銀っぽい雰囲気があって好きだ

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:01:05 ID:TMf4bwM7
内藤さんは優秀なんだけど自分を殺せる、めちゃめちゃいい人なんだよね。

「合戦とは、大将の軍配によって勝ち得るものだ。
個人の手柄などにこだわるのは、枝葉のようなものである。」

戦国武将なのにこんなこと言っちゃう人だもの。

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:04:05 ID:HJG2IDF1
まぁ逆に絶大な自信がないといえないことだけどね。
自分は目先の功を漁らなければいけないほど無能じゃないし大将にも認められてる、という

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:04:51 ID:BFLz/6hR
趙雲みたいな感じだな

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:09:53 ID:HpJRb6oo
山県昌景「古典厩信繁、内藤昌豊こそは、毎事相整う真の副将なり」

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:16:23 ID:BIz4I5RZ
( ^ω^)「ちょwwwwおまwwwwそんな褒められると照れるおwwww」

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:18:24 ID:vltgrrO+
おまいら







話を聞いてみると
内藤さんはいい武将じゃないか!
・・・つまり・・・スレ違いだw

>>502 yes
>>506 執筆者乙

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:24:30 ID:rTARYMoL
内藤さんは近い将来悪い意味での秀長になる気がする

なんつうか史書に記述が少なくて有能っぽい人への過大評価ってやつ

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:31:59 ID:gXfFqswY
記述が少ない
武勇に大変優れている有能な武将であることが数少ない逸話から読み取れる

富田長繁:俺の時代クル━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:33:21 ID:TMf4bwM7
>>537
あんたくらい、わずかな資料からキャラクターが明確に読み取れる武将もいないぞw

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:37:33 ID:C0OlKT5V
>>526
「漏れ、余所の殿様に仕える気ないし感状なんていらないよね」

って言ったのは内藤昌秀とは違ったっけ

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:43:40 ID:TMf4bwM7
>>540
それは鳥居元忠。

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 23:32:20 ID:C0OlKT5V
>>541アガトウ
なるほど、三河のミスターまんどくさい人か……

内藤昌豊と一向宗の僧侶・悪い話?

2009年03月03日 00:07

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 22:35:15 ID:dcUe9HXc
内藤昌豊の義母が亡くなり、故人の宗派である一向宗の僧侶団を呼び、葬儀を執り行った。

昌豊が故人のお供えに盛大な膳を出すと、一行のうちの上人が口を出した。
「わが宗派では、阿弥陀様にさえお供えすれば、他へは要りませぬ。」
驚いた昌豊は、上人に質問した。
「それは立派な行ないでしょうが、なぜ他の宗派と違うことをするのです?」

「阿弥陀様こそ尊く奉るべきで、余計なことをすれば、かえって故人が迷います。
むしろ他宗派の方が間違っておるのでしょう。」
「・・・それでは故人が、冥土で飢え苦しみませぬかな?」
「阿弥陀様にさえお供えしておけば、それで万民をお救い下されましょう。」

ここまで聞いた昌豊は、手を合わせて拝んだ。
「なるほど、一尊への施しが万人に届くとは、すばらしい宗旨ですな。」
「いかにも。わが一向宗ほどすばらしい教えは、ござりませぬ。」上人は自画自賛した。

葬儀も終わり、僧たちに振る舞いの出される頃合いになったが、膳の出されたのは
上人だけで、昌豊は残りの弟子たちへは何も出さなかった。

僧たちが抗議すると、昌豊は呆れたように言った。
「はて、どうも話の違う方々じゃ。さっき上人に聞いた所では『一尊への施しが万人に届く』
という話だが。上人に膳を出せば、皆様へも出したことになるのでは?」

これには上人も弟子たちも言葉を返せず、さんざん昌豊に詫び、ようやく膳にありついた。
(名将言行録より)

こんなんしかなかったわ。あとはテンプレくさい信玄や後輩に説教たれる話ばっか。
期待に沿えずスマソ




543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 01:13:25 ID:4DQC4vg9
>>539
良い人から嫌味な人へ、一華麗な変身を遂げたなw

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 01:35:49 ID:YRY+lOzR
>>539
信長みたいな事しやがってw

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 02:18:02 ID:RBcCZQ7L
>>544
まあ、信長的な感覚はあの当時、信長に限ったものではなかったということがよく分かるじゃないですかw