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孫の名前の字面が悪い

2015年03月06日 18:57

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/05(木) 18:59:19.09 ID:e4mfSWKa
孫の名前の字面が悪い
 秋田実季が、孫・盛季に宛てた手紙より。

あなたの名乗る「盛」の字について、私は少しひっかかっているので、真照寺に相談いたしました。
そうしたところ、「あなたの父・俊季がつけた名前ですから、変えられるものではない」ということでした。
さらに私が、「『モリ』と読む別の字に変えたらどうか」、と相談すると、真照寺は『五行を考えると、『季』の字に合うのは『盛』だけだ」ということだそうです。
ですが、そもそも私の「実季」という名前も、五行からすると相性悪いのです。
占い師からそのように言われた我が父・愛季は、しかしこれを信用しませんでした。
近くにいた義田という禅僧も、「中国でも日本でも名前に五行は入れない。『季』の字と和すならば、問題ない」と言うので、私の名は「実季」となったのです。
その御蔭とは思いませんが、私はこうして八十三まで無事に生きています。
これも、名前と五行とが関係ない証拠でしょう。
名前の文字についてはきちんと相談してください。
くれぐれも、秋田の家を尊敬することが、あなたの長生きの秘訣でもあります。
それでは。

   (万治元年/1658年)十二月十七日   宗実 書判
 安房守殿 御館

実季死去一年前の書状。すでに子・俊季は十年前に死んでいる。
なぜ「盛季」が悪いのか、実季は語らない。あるいは、俊季の決めた名前が気に食わなかったのか。
死後七十年をへた愛季を、秋田家の「先例」として持ち出すあたり、実季の愛季の思いを感じられる気もする。






532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/05(木) 23:58:27.07 ID:EQU0gN8M
信之の改諱も長生きの秘訣だった・・・?

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/06(金) 10:20:12.15 ID:q9DulQzQ
長生きして自分のフィギュアに萌えてる爺さんに言われても説得力無いよな

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/06(金) 12:35:17.11 ID:dlSTxqbX
>>533
孫も返答に困ってそうやねw

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/06(金) 19:53:53.23 ID:c7kcpxv1
盛の字に何の恨みがあったかわかるお手紙は無いのか

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/06(金) 20:04:33.64 ID:6Bpx0oJ5
湊合戦の折に戸沢盛安が湊通季を支持して実季と戦ってるからな
盛は戸沢の通字だし多分これだろう

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/06(金) 20:48:34.01 ID:c7kcpxv1
なるほど敵さんの通字か
そりゃ少しひっかかるな

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/06(金) 21:12:14.32 ID:ayrLPiei
檜山安東初代が盛季であって、名前がかぶってることも気に食わないのかも。
十三湊を南部に攻め落とされて、安東が流浪することになった時の当主じゃなかったっけ。

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2つの安東氏~檜山と湊~ その4:安東愛季の悪い話

2010年06月05日 00:01

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 07:34:48 ID:xMVYQ+Sg
2つの安東氏~檜山と湊~ その4

米代川を中心とした肥沃な地帯を掌握した檜山安東氏と
湊安東氏は境界で度々衝突を始めるようになった。

鉄船庵の法名を持つ九代目湊安東氏・堯季はこの問題を解決しようと
忠季の孫に当たる檜山安東氏・舜季に娘を嫁がせた。
この堯季は官僚細川氏から謹上書衆にも遇されている。
一方で舜季も蝦夷の視察に繰り出し、統制を再び固めたのである。

しかし不幸にもまず名君と呼べる堯季には男子がいなかった。
為に娘婿である檜山安東・舜季の三男・茂季を養子に迎え入れたのである。
さらに舜季はこの茂季に蠣崎季広の六女を娶せ、檜山・湊・蠣崎の紐帯を太く固めたのである。

しかしその舜季も天文二十二年(1553)、死没する。
檜山安東氏を継いだのは若干十五才の愛ちゃん……安東愛季であった。


嫡子と定められていた時から胸に秘めたるものがあったのか、愛季は次々と政策を打ち出していった。
能代の湊を整備し、新しい町をつくり、それを起点に越前の朝倉氏と交易を結び日本海に自身の基盤を打ち立てた。
さらに関東管領に上杉輝虎が就任したとみるや直ぐさま使者を派遣して結びつきを強めた。
浅利氏を謀殺し比内を掌握、一度は鹿角郡を南部氏から奪うことにも成功した。

若さと才気に溢れる愛季は長年南部と結びつきの強かった浪岡氏(北畠氏)に自分の娘を輿入れさせた。
これは浪岡氏を南部氏から切り離す為だけの政略ではなかった。
浪岡氏は長年中央との結びつきが強く、その為に南部氏も併呑はせずにいた存在である。
これを味方に取り込むことで愛季は中央(信長)との結びつきを手に入れることができるのである。

中央工作は幕府との繋がりの深い湊家の領分であり、愛季の行為はいわば安東氏連合における越権行為であった。
蠣崎氏も茂季に嫁いでいるとはいえ、元々檜山安東氏と繋がりが深く
さらに浅利氏暗殺や浪岡氏との婚姻の功績と称して愛季は抜け目なく季広の息子達を手元に置いていた。
そもそも茂季自体、愛季の弟である。
ここに至って湊家家臣団の愛季への対立は必然であり、永禄十三年(1560)、畠山重村らが茂季に謀反を起こす。
予期しない愛季である筈がなく、謀反は瞬く間に鎮圧、さらにこれを口実に茂季を湊城から引き離し、自らが湊城に入ったのである。



安東愛季の悪い話




関連
2つの安東氏~檜山と湊~ その1:ほんのちょっとだけ義満の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その2:南部氏の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その3:安東政季の(諦めの)悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その5:檜山安東氏と湊安東氏の(仲が)悪い話

安東愛季と豊島重村の、いい(迷惑な)話

2009年03月09日 00:23

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 04:55:01 ID:lTDc1FCJ
東北勢でまだまとめにいない安東さんの話を




出羽・羽黒山の別当は国中の大名小名に武運長久の守札を例年送るのが慣わしだった。
ところが、羽後の大勢力である安東愛季の所には行かずに
配下の浅利、大平、豊島らばかりに向かわせたのである。


(`・ω・)<ウチと豊島とは親戚ッスから


などと羽黒山の使僧である智賢坊は語るが、当の豊島重村


(´Д`)<いや、そういうのマジでやめて。昔は確かに安東さんと戦したこともあったけど
     もう仲直りして何事もなく数年送ってるんだから。俺も野心とかないし、ホント


悪いことにこの羽黒の衆と重村が組んで安東家を攻めようとしているという噂があるとかないとか。


(`・ω・)<ほう、それは大変ですね。でも自分も別当の代理なんで初志貫徹させてもらうッス


智賢坊は、二、三人だけの供を連れて愛季の領地を見つからないように横断
浅利や大平を巡り、当然のごとく愛季はスルーして羽黒に戻ったのである。



ブチ切れたのは愛季である。
スルーするのはまだ先述の言い訳があるからいいとしても、こっそり自分の領土を
横切ったのが気にくわない。
なにか後ろめたいことでもあるか、いやあるんだろうと、思い当たる事が一つ


(♯゚Д゚) <重村ァァァァーーー!! 謀反かァァァァァーーー!!


(;´д`) <ちょ、ま、何考えてんのあの坊主!?


重村はここで争ってもしょうがないと、愛季が豊島の城を攻める前に
すでに縁戚をたよって仁賀保まで落ち延びたのだった。




で、これを聞いた羽黒山の智賢坊


(`・ω・)<ホラ、愛季ってこういう奴なんですって
      きっとウチの所にも攻めてきますよ。豊島と縁があるから
      なんつー逆恨みだ、あの野郎!


などと言いふらしていた。
これでヒートアップした羽黒山の坊主ども、安東が攻めてきても簡単にやられるもんかと
城郭を作り、近くの武家も呼んで防衛を固めた。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 04:56:50 ID:lTDc1FCJ
だが






シーーーーーン……






愛季は謀反は重村の主導だと思っているので、羽黒山を攻める気などトンと無かったである。



そして、年が明けた……



さすがに別当は冷静になっていたが、下々は更にヒートアップ


(`・ω・)<わざわざ安東を待つことはないですよ! 逆に攻めちゃいましょうぜ!

(・∀・;)<いや、待ってよ。もしかして安東は攻める気が無いn…

(`・ω・)<戦に勝ったら安東の領地五千町の領地はウチのものにして
       残りは今回駆けつけてくれた武家に分け与えるってことで!

Σ(・∀・;)<なんか勝った後の事まで言い始めた……!?


止めることが出来ずに、羽黒山連合は海陸より愛季の領地に進軍を開始した。





(♯゚Д゚) <坊主が船のって俺達に勝てるかボケェ!!


陸上の戦いが始まるまえに海上の羽黒勢は安東勢に負けてしまった。
この戦いは小野寺の仲介で和睦に終わったが
一番の被害者である豊島重村は愛季と和解するまで四、五年もかかったのであった。





愛季と重村のいい(迷惑な)話




678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 05:14:15 ID:Qbk18K1u
>>676
一大海洋王国安東氏の面目躍如ってとこですかね
・・・最後だけw

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 09:14:47 ID:v1LfuiR8
豊島のいい話でもあるな
愛季タンの少し格好悪い話でもある

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 09:38:15 ID:D1TCUgDw
マジに何がしたかったんだクソ坊主はw

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 15:22:53 ID:vckWRPd3
坊主坊主って、羽黒って修験じゃなかったっけ?

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 15:46:39 ID:Qbk18K1u
>>686
当時は神仏混淆で区別するのは意味無いが、東国の修験道のとりまとめとして
大宝寺があり、それを指して「坊主」というのは間違いじゃない。

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 16:53:07 ID:w05jYnTa
>>689
羽黒山のその当時の別当は大宝寺義興だったともいうから、
裏で大宝寺氏が糸引いてたんだろうかね