浅利頼平毒殺疑惑と実季そして家康

2015年11月30日 07:20

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/29(日) 20:25:07.76 ID:EqQyOhlD
浅利頼平毒殺疑惑と実季そして家康

比内浅利独立騒動は秋田・石田VS浅利・浅野の構図だったがそこへ徳川家康が浅利・浅野の
肩を持つようになった
浅利有利になる可能性もあった中で浅利家当主・頼平は上洛中に急死する
タイミングから秋田実季による毒殺が疑われた
結果的に五大老筆頭のメンツを潰された格好になった家康がこのことに激怒したのか
その後実季はわざわざ家康家臣の永井直勝に弁明書を出している
この場は何とかしのいだものの、関ヶ原後に常陸宍戸に転封される
東軍で働きながら加増もなく実質の減封処分…
こうなったのは西軍加担疑惑に加え浅利頼平毒殺疑惑も響いた可能性もある
最も浅利毒殺がクロと判ったら実季は間違いなく切腹、秋田家は改易だったろう



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秋田実季、そのトラブルの連続

2015年11月29日 17:10

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/29(日) 15:23:37.20 ID:EqQyOhlD
前に秋田実季のネタが出たけど家督を親父から継いだ時からトラブルの連続だったんだなと思う

・家督相続後、戸沢や南部たちに支援された従兄の豊島通季と湊系家臣団に造反される
・由利十二頭や津軽の助力もあって一応豊島たちを撃退し秋田家当主の座を守る
・湊系家臣団を抑えこむことには一応成功するものの遺恨はずっと燻り続ける
・湊合戦のこともあり津軽為信独立を支援したことで南部信直にはさぞ恨まれたろう
・小田原参陣時には蠣崎氏にちゃっかり離反・独立される
・その後南部の調略で重臣・五十目兵庫に離反される
・比内浅利領をヒャッハーしたことで浅利独立騒動が勃発
・小田原仕置の時と同じく石田三成のおかげで浅利独立は何とか阻止
・しかし浅利側についていた浅野長政の顔を潰すことに
・ついでに小田原仕置後、秋田・浅利の和睦に尽力した津軽の顔も潰している
・南部信直が没しても後継が利直ではやっぱり分が悪い
・ちなみに強敵の一人・戸沢盛安は若くしてとっくに没してた
・関ヶ原役では一応東軍についたが最上義光の讒言もあり常陸に減封の上転封
・三成と親しかったことがここでアダになった(義光は大の豊臣・石田嫌い)
・義光が伊達政宗に当てた書状では馬鹿扱い
・それを見て政宗が実季をどう思ったかは想像に難くない
・内政はお世辞にも上手とは言えなかった
・嫡子・俊季と対立
・元々実季に遺恨持つ湊系家臣団はこぞって俊季に付く
・そんなこんなで遂に藩主の座を追われ伊勢朝熊に配流
・勝手に出家して幕府を怒らせ俊季が釈明に追われる
・このことを細川三斎が息子・忠利に当てた書状でdisっている
・最後は凍蚓と名付けた自身の木像を話し相手に生涯を過ごすことに

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/02(水) 22:39:09.32 ID:lsnV0mh3
桶狭間の戦いから丁度100年経った1660年
伊勢朝熊で蟄居中の秋田実季は83歳で没した
その2年前には真田信之が93歳で没している
大坂の陣を戦った人間で生き残っていた大物は徳川頼宣や松平忠輝(蟄居中)ぐらい
彼らでも生まれは秀吉の天下統一以降である
実季こそ秀吉の天下統一前の時代を知る最後の人間と言っても過言ではないだろう

ちなみに「秋田実季、そのトラブルの連続」 ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9635.htmlに登場した他の大名家の当主の移り変わりはこうなっている

秋田家:実季→俊季→盛季
戸沢家:盛安→光盛→政盛→正誠
南部家:信直→利直→重直
津軽家:為信→信枚→信義→信政
最上家:義光→家親→義俊(改易)→義智(寄合旗本)
仙台伊達家:政宗→忠宗→綱宗→綱村
芸州浅野家:長政→幸長→長晟→光晟
肥後細川家:忠興→忠利→光尚→綱利

由比正雪の乱ですらもう10年近く前の話
伊達騒動が勃発するのはこの11年後

上には上がいるとはいえいかに実季が長生きだったかがよくわかる

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/02(水) 23:06:37.84 ID:LgiqV54Z
泳いで参ったの人も長生きだぞ!って1655年没か。
どうでもいいけど、宇喜多秀家って活動範囲が広すぎ。
紀州征伐、四国征伐、九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役
関ヶ原、薩摩へ逃亡、駿河久能山へ幽閉、八丈島へ島流し等。
生涯に移動した距離は戦国一では?

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/02(水) 23:18:15.97 ID:TC7U/Vtp
支倉…

秋田実季の所業

2015年11月26日 16:44

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/25(水) 20:12:23.81 ID:OTpElVKD
古き人の語る所によると、秋田実季は子息・俊季に家を譲るという時、
俊季にはわずか1万石の地を与えてそこに5万石の賦役を勤めさせ、それ以外の領地は
全て自分が押し取って、郡中の民に重い租税を課した。

それだけではない。実季は家を作り、垣を結い、カマドを作り、窓を穿つ事にすらも一々に銭を賦し、
強制的に徴収した。
このため貧しき民は、家の軒が傾き壁が破れても、修理することが出来なくなった。
男は髷を結い、女はお歯黒をつけるべき年齢を遥かに過ぎても、ただ童のような姿のままであった。
民は親子兄弟、皆嘆き悲しんだ。
嫡男である俊季自身もその家来たちも苦しみ困窮したことは言うに及ばない。

それだけでも酷いというのに、実季は我が子俊季に対し、筋無き事を幕府に訴えるなどしたため、
終には伊勢朝熊へと流された。

その後、俊季が大阪城の守衛を命ぜられ上る時に、実季は道に出迎え、対面しようと伝えた。
実はこの時、実季は内心息子を殺害しようと考えており、俊季の家臣たちは素早くそれを察し
対面を決して許さなかった。

秋田実季の振る舞いは、こう伝えられるほど酷いものではなかったと考えられるが、
彼によって苦しめられた民衆が、その恨みを悪し様に語ったため、このように伝わったのであろう。
しかし大相国家(徳川秀忠)のお耳にも達し、実際に罪を被った事でもあるので、完全に
事実無根というわけでもないのだろう。

(藩翰譜)


これより秋田領は5万石とされたが

2015年11月22日 07:45

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/22(日) 07:37:26.48 ID:Ugx+z1MX
秋田実季は天正18年の秋、小田原征伐に下向した関白豊臣秀吉にはじめて見参した。
明けて19年、九戸の乱が起こると秀吉政権の催促に従い馳せ向かい、城を攻めた。
朝鮮の役が起こると、これもまた催促に従い、軍勢を率いて筑紫の陣に馳せ来た。

いずれの時であったか、秀吉は実季に「お主の所領はいかばかりか?」と尋ねた。
実季はどう思ったのか、僅かに「租入、4,5万石ほどでしょうか。」と答えた。
「であれば、軍の賦役はその額に従うべし。」秀吉はそう仰せ下した。
これより秋田領は5万石とされたが、実際には20余万石あったとのことである。

(藩翰譜)



673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/22(日) 08:47:13.95 ID:s76zDYMx
冷害込みじゃね?
貿易で儲けてるのかもしれんが

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/22(日) 09:26:37.97 ID:BeN7x4Xm
>>661
あったな
内灘海岸だっけ

675 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/11/22(日) 11:21:45.14 ID:z4uYDD4v
徳川家の半分は水野一族の狂気な血で出来てます
特に越前系とか

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/22(日) 11:27:17.70 ID:AAlTs53h
ラスボス「5万石?じゃあ残りは太閤蔵入地な」
実季「・・・・」
ちゅうことか

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/22(日) 17:54:10.25 ID:raQEjblr
>>672
こういうのもあるから

上杉景勝越後転封裏話・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1164.html

「御前落とし」

2014年04月01日 18:38

849 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/01(火) 15:07:32.53 ID:1KwSB2JV
北天の斗星こと安東愛季は戸沢氏との合戦で陣没した。
後を継いだのは若干12歳の安東実季。これに強い不満を抱いたのは叔父の豊島道季だった。
彼は小野寺氏や戸沢氏と同盟し、謀叛を計画した。
実季の湊城を攻めるには安倍千寿丸の双六城が邪魔である。そこで先ず、双六城を急襲した。
突然の攻撃に双六城は落城、安倍千寿丸は自害し、奥方は崖から身を投げた。

これを重く見た実季は自ら出陣するも敗れ、湊城も奪われるなど苦戦したが檜山城に籠り道季を撃退した。
徐々に盛り返した実季はついに道季を大破し、道季は討死したとも落ち延びたとも伝わる。
道季の奥方も落ち延びたが、双六城のあたりで囲まれ、もはやこれまでと崖から身を投げた。そこは奇しくも
安倍千寿丸の奥方が身投げした崖であった。

いつのころからか、二人の奥方が飛び込んだ場所は「御前落とし」と呼ばれるようになったという。

男鹿の昔話です。
結構、いろんなパターンがあって謀叛を起こしたのが腋本五郎だったり安東友季だったり、
道季さんが従兄弟だったり叔父だったりするんですが、多分3回あった湊騒動が混ざってるんだと思います。
余談ですが、道季さんは改名し南部に仕えたとか。





秋田実季老人、関ヶ原を振り返る

2010年08月22日 00:00

591 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/08/21(土) 19:20:32 ID:aRSQDJ+T
大岩祐夢「たとえ小さくとも家を残すことは武家にとって肝要である」

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 19:23:18 ID:suCFD1Sf
実季「関ヶ原の時の話を聞きたいってわざわざ朝熊まで来てくれた人が居るよ」
凍蚓「関ヶ原か……あの頃は実季ちゃんも24、5歳だったね」
実季「あの戦いの後に、最上義光さんに因縁つけられたんだよね」
凍蚓「そうそう。実季ちゃんから小野寺さんに出した手紙が西軍に付いていた証拠だって
    最上さんが本多佐渡守に訴えたんだよね」
実季「六月の日付の手紙がどうして証拠になるのか、理解できなかったよ、凍蚓くん」
凍蚓「そもそも、この手紙……『お互いよくよく相談して公儀の為に奉公しましょう』っていう内容だけど
    これが最上さんに渡ったのが十月の末だったか十一月の頭だったかな?
    まだ庄内地方が騒がしい時だったね。実季ちゃんは未だ西軍として城に籠もる小野寺さんに
    実季ちゃんが『天下は収まったんだから、降伏しにおいで。命は助かるよう運動してあげるから』
    って勧告したんだけど、小野寺さんは最上さんの方に降伏したんだよね」
実季「小野寺さんとはウチも最上さんも仲が悪かったけど、関ヶ原の時は最上さんには余裕がなかったからね。
    西軍の小野寺さんを攻めたのは私と六郷だったよ。だから小野寺さんは私に頭を下げたくはなかったんだろうね」
凍蚓「小野寺さんはそういう人だよね」
実季「でも最上さんまでそういう衝動的な行動を取るとは思わなかったね。
    小野寺さんが点数稼ぎに差し出した手紙を、日付も確かめずに幕府に提出するなんて」
凍蚓「上杉の攻撃を凌いで浮かれてたんだろうねぇ。甥っ子の政宗君に『羽後の連中みんなバカスwww』なんて手紙残しているもの」


実季「会津征伐の時は家康公から朱印状を貰って帰国していたんだよ。
    それでも先発隊は最上さんに助力できるよう山形に残しておいたんだけど、最上さんが『帰って、帰って』って
    何回も言うもんだから、先発隊も引き上げたのに、それを『西軍に応じたから』と言われたら困るよね」
凍蚓「それで上杉がやっぱり最上に攻め入ったって聞いたから、今度はちゃんと最上さんの了承を得て援軍に行こうとしたんだっけ?」
実季「そうだね。金山城主にその話を通してお墨付きを貰ったんだ。
    だけど由利郡の矢島で小野寺の息がかかった連中が一揆を起こしたせいで、兵力をそっちに回さなきゃならなくなった」
凍蚓「八月下旬、それから九月中旬の二回だったかな。一揆を鎮圧したら、今度は戸沢と小野寺が協力して
    実季ちゃんの領地との境になる淀川に城を再建したんだよね。太閤秀吉の天下の時に破棄した城を」
実季「戸沢には『小野寺を一緒に攻めよう、それがムリなら貴方の領内を通して欲しい』って、何度も言ったんだけどね
    早く最上さんの援軍に行かなきゃって私もその時は必死だった」
凍蚓「仕方ないから南部さんに『戸沢を牽制して』ってお願いしたら『一揆起きてるからムリ!』って言われた」
実季「その一揆って伊達の政m……」
凍蚓「最上さんを助けるための援軍が、最上さんの甥っ子のせいで足止めを食らってしまったんだね」


実季「結局、由利の方面から大回りして、小野寺の大森城を攻め落としたのが十月の十七日だった」
凍蚓「翌日の十六日に六郷くんが最上さんの手紙を持ってきたんだよね。最上さんの手紙は十月八日付けだった」
実季「その手紙の内容は『十月六日に家康公が関ヶ原で勝利した』っていう内容」
凍蚓「最上さんですら八日に知った家康公の勝利を、実季ちゃんはもっと早く知っていたの?」
実季「まさか。だってその日と言えば城攻めの真っ最中だよ?」
凍蚓「でも最上さんは実季ちゃんが家康公の勝利を知ってから城攻めを開始したって言いふらしていたよね」
実季「困ったものだね、あのお爺ちゃんは。あの手紙には『庄内へ援軍を出してくれると聞いて感謝感激』とか
    『上方の騒動も収まったから庄内は任せて仙北を平定してNE☆』とか書いていたのに」
凍蚓「人の心は移ろいやすいね、実季ちゃん」
実季「とは言え、ムリにでも庄内への出陣しておけば良かったとはあの時も、今も思ってるよ」




秋田実季老人、関ヶ原を振り返るの巻





598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 21:48:55 ID:D3o+eSMx
>>592
しかし実季の行動はあまりキレが無いなぁ
若いから仕方ないんだろうけど、
状況に完全に振り回されてる

家督継いだときもそうだし(年齢が年齢だけど)、
俊季との権力闘争にしてもそうだけど、
どうにも後手後手になるのは、
安東家の体質なんかねぇ



608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 23:30:29 ID:suCFD1Sf
>>598
実季自体は撫で斬り、暗殺(疑惑)と父親の血の片鱗を見せていると思いますよ
関ヶ原の時も、上杉を迎え撃つ為に戦力を集中させた為に空になる最上領に
同じ東軍の味方として居座わって領土化しようというのが実季の思惑だったのではないかな
その為にもこまめに榊原康政と連絡をとっていたわけだし
最終的に
「湯沢、増田で援助して貰いたい(湯沢、升田を被引助可給候)
 庄内の事はこちらで責任をもつので、仙北に攻め上ることを急いで貰いたい
 (庄内之事ハ此方より行等可申候間、仙登偽さりとてハ 可被相急候)」
という義光の手紙が届いた事で、実季は協定が成立したと考えたかと


しかし十一月八日付の伊達政宗宛の義光の手紙には
「さてまた仙北へ人衆越し申し候。その後とかく申すことも候わず候。
 由利秋田よりまかり出で候も、そこそこはひとつに談合候て、出たる体のよし申し候て
 なかなかに馬鹿けなることに候と、人々語り申し候。
 南部も二十四日に横手分に家の六つとか七つとやらん候を、代官にて焼き申し、その日に引き帰り候よし
 仙より申し越し候。いずれも上への儀を、以後の首尾口合わせまで科逃ればかりのことを仕り候」
とあり、この時点で羽後勢力の解体を義光が狙い始めたかと
羽後勢力を馬鹿と嘲笑う程に(アンタが仕掛けておいて)義光には徳川とのラインに自信があったのだろう

逆に実季は浅利氏との対立の過程で奉行衆との繋がりの方が強かったのがアダになった。
特に比内の浅利氏の独立を推していたのは対石田親徳川の浅野氏だったし



609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 23:30:30 ID:Pio0gt+Y
>>598
30にもならない実季と永禄年間から戦い続け、のし上がってきた義光では役者が違ったというか…

>>603
実季と凍蚓という誰もが絶対あり得ない組み合わせであるとすぐわかる>>592と
直江と景勝とか政宗と小十郎のような組み合わせを同列に語るのはナンセンスだと思う。


610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 23:54:00 ID:D3o+eSMx
>>608
なるほど
そうやってできた徳川との隙を義光に突かれたのか
肝心な所で上を行かれたのは、経験や環境の差かなぁ…
これが後に響いた事を思えば、実季にとっては痛恨事だったろうな

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/22(日) 00:16:11 ID:Vg/xQKqo
関ヶ原後の鮭様の有頂天とやりたい放題は
その後のお家騒動と最上氏改易を知っていると何とも言えんものがあるな
後世の人は因果応報と語ったが
しかし、遡って徳川とがっちり結び付くという勝ち組への一歩が
ラスボスに娘を殺された事と考えるとマジで人生の山と谷がはげしすぎる
塞翁が馬ってレベルじゃねーぞ

2つの安東氏~檜山と湊~ その5:檜山安東氏と湊安東氏の(仲が)悪い話

2010年06月05日 00:01

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 07:39:28 ID:xMVYQ+Sg
2つの安東氏~檜山と湊~ その5
乱世において最も優先されるのは事の善悪よりも実力であろう。
結局、愛季には実力があり、実季も湊合戦を生き抜いた以上、湊系家臣団は従うしかなかった。
しかし転機が訪れる。当事者達にとっては転機というよりは災厄に近い。
関ヶ原後の転封である。

湊系家臣団が実季のミスを非難し、彼に敵対する俊季に付くのは自然の流れであった。
俊季が藩政を掌握すると、実季が統合した湊家の菩提寺を復活させたことからも
俊季の背後に湊系の家臣団の姿が見える証拠といえるのである。


檜山安東氏と湊安東氏の(仲が)悪い話




……でも本当に悪いのは湊と檜山の対立が根深かすぎて
ここまで長く説明しなきゃならないことである。




202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 08:54:22 ID:gYH2PN56
ちょっとスレの範疇を超えてるwww

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 11:12:18 ID:huVLpLMA
お疲れw、北の歴史は詳しくないので興味深かったよ

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 12:10:20 ID:6IF+67Ax
非常に興味深く読ませてもらいました。



205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 12:39:00 ID:xMVYQ+Sg
コピペミスで>>200と>>201の間が抜けてることに今気付いたしw(消しちゃったのに)

掻い摘んで言うと
愛季が湊城を制圧したあと、湊の正統な主である茂季は湊城には入れなかった。
嫡男である業季を湊城に、その弟の実季を檜山に残して、自分は息子二人の城の間である脇本城で睨みを効かせたからだ。
ところがままならないもので、業季は16才の若さで死んでしまった(湊の連中はザマァwと思っただろう)
ついでにその一ヵ月後に愛季が強いパイプを持っていた信長も本能寺でアボン
しかし空いた湊に茂季や、茂季の息子である通季を戻す筈もなく
実季を湊城にいれて引き続き湊と檜山の両家を掌握し続けたのが愛季。

こういう背景があったので愛季が戸沢との対陣中で発病してそのままポックリいって
実季13才ともなれば華麗に湊が後ろから裏切って一騒動になるわけですな
北斗とかに例えられたり、名将あつかいされてるが
出自が由緒正しい(本当か?)だけで梟雄とか謀将の人だとつくづく思う>安東愛季
鮭の人とイメージ取り替えると丁度良いんじゃないかw



206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 13:25:31 ID:Mmjzwjs1
最初にフンを丸めたフンコロガシは
フンを横取りしてくるフンコロガシには絶対に勝てないって
昔ファーブル先生が言ってた

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 14:40:22 ID:e2eF1s3T
しかし、名君の安東堯季が舜季に娘を嫁がせた、か
都合よく堯舜が揃うとは思えないから、どちらかが改名したのかな
そして自らを堯舜になぞらえて、統治に励んだのだろうか

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:30:26 ID:zA0YRgQt
こんなにおもしろい東北勢なのに
ちょっとでかい図書館へ行っても
ろくに「資料」がないんだぜ

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:41:18 ID:pyrss1w3
まったく人の名前ってのは難しいのう…。
いつも愛の読みだけ忘れてしまう。

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:54:18 ID:CnynYTKf
めごでいいよもう


211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:56:48 ID:gYH2PN56
政宗さんまで絡めるなよw

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 19:15:57 ID:CgmUIh3W
同じ東北でも、近隣の資料とかないんだよな・・
仙臺(台)叢書見ようとしたら、ページ開けるか怪しいぼろぼろ本が出てきたり
和綴じ本出てきたこともあったし



関連
2つの安東氏~檜山と湊~ その1:ほんのちょっとだけ義満の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その2:南部氏の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その3:安東政季の(諦めの)悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その4:安東愛季の悪い話

秋田実季と木像

2010年03月12日 00:05

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:17:25 ID:9hZ3NfoB
ガイシュツのような気もするが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1559.htmlでパペットマスター、お人形遊びの実季ちゃんと
思いっきりキャラの立った秋田秋田城介実季(ややこしい)。しかし、この話は別バージョンもあって、


伊勢朝熊に配流となった実季は、「自分の木像を作っておきたい。」と言い出した。
「では、ここより程近い奈良から仏師を呼びましょうか?」
「いや、仏師などに作らせれば釈迦・地蔵・達磨に似た姿になろう。わしは、そんな偉い者ではない。」

そこで、わざわざ鎌倉から新六なる人形職人を呼び寄せ、新六が木像を刻む横で我が身を鏡で見つつ
作り方に注文をつけていった。
木像が完成すると、その背に『 秋田凍蚓、みずから奉行して之を作らしむ 』と書き付け、

善悪も 知らぬ翁に 刻みなす 吾が顔見てぞ 吾も知りける

と、歌を詠んで木像と向かい合い、これまでの人生を自問自答する晩年を送った。



・・・そうなのだが、この話でも実季ちゃんの遺言は、「凍蚓に茶を出してあげて・・・」
だったりするのでニンともカンとも(´・ω・`)

細川家史料見てたら三斎さんが忠利くんに
「実季ちゃんがキレて幕府に無断で出家したよ!息子の俊季くんがあちこちに謝ったおかげで
死罪は免れたよ!」って手紙出してて軽くショックだった記念。




173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:36:09 ID:rhT+UKEL
なんというか言葉に詰まる遺言だ・・・
こんなん言われたら一体どうしたらいいんだか

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:41:37 ID:trcItm3l
つまりは
死後もお人形を大事にしてあげてねと言うことか

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:46:02 ID:UFf8oxGQ
宇喜多直家「遺言しかと承知仕った」

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:50:20 ID:CRtaOmN8
>>172
実季の死後、結局お人形さんはどうなったんだろ…

>>175
おまえは弾正と仲良くお茶会でもやってろw

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 11:07:10 ID:WwONB+f/
えらくリアルさにこだわったんだな
家系図の編纂といい、なんか自分の存在を後世に残したかったのかもしれんね

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 12:03:00 ID:5UmBEYqb
ttp://www1.city.obama.fukui.jp/obm/sekai_isan/HP-Images/192-1.jpg
0311-192-1.jpg

この木造も妙にリアルで生々しいんだよね。

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 17:38:03 ID:1cnpPoJJ
>>175
そういや直家も木像がかつてあったんだよね
燃えちゃったらしいけど

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 17:40:42 ID:ic01yVVJ
初期の某SLGの直家は木造の姿を元に絵に起こしてたはず
いまはしらね

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 18:44:33 ID:TGIP7fwQ
木造を「こづくり」と読んでしまうのは俺だけじゃないはず

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 18:57:05 ID:wTgso2Px
え、こづくりじゃないの!?
木像って書いてないからてっきりこづくりと読んでしまったw

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 19:13:57 ID:r7gsBswp
木造住宅

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 19:25:09 ID:BGvawDjj
"もくぞう"を"こづくり"と読んでしまうという事だろう

秋田実季、比内浅利氏のサボタージュに

2009年11月26日 00:04

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 20:33:49 ID:+XDPRmZM
かわいそうなイメージばかりつけちゃったので、乱世っぽい秋田実季の話を。

数代にわたって秋田氏に圧迫されてきた比内浅利氏。
安東愛季には当主・浅利勝頼を謀殺され、嫡子の頼平は津軽為信を頼って浪々の身となる。
後、為信と実季の妥協によって比内へ帰還したが、身分は秋田氏配下になってしまった。
しかも、時は豊臣秀吉が奥羽まで従えた、ちょうどその頃。
中央に秋田氏配下と認められてしまい、独立の機会は遠のいた。

さて、全国の大名には豊臣への奉公義務があったが、秋田からは杉材や鉱物が納められていた。
頼平も当然負担していたのだが、ある日これが馬鹿らしくなった。
「せっせと太閤に貢納しても、全部実季の功績になるだけだ。
なんで仇敵の手柄を稼がなきゃならんのだ」
頼平、豊臣への負担分をごまかすようになった。サボタージュである。
当然、すぐに実季にばれた。
「ほう、津軽の顔を立てて戻してやったが、そういう態度なら容赦はいらんな」
実季は税金の「強制徴収」を始める。
比内へ進攻し、浅利軍を攻撃、ついでに村々から略奪を行ったのである。

浅利方は後に被害を訴えるため報告書を作るが、それにはこう書かれている。
「この村では家が七戸しかなくなった。以前は二十戸の村だった。秋田軍が撫斬、放火した」
「この村は十五戸あったが、今はもうない。荒れている。秋田軍が放火した」

秋田・浅利紛争は豊臣政権の法廷に持ち込まれるが、実季勝訴の判決とともに、頼平は急死した。




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:05:43 ID:xlxJDe4X
>>592
戦国大名の発生が遅れた、東北らしい話って感じですなー。
南北朝時代のようだ。

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:37:30 ID:Kc8dkWQe
南北朝時代ならもっとドロドロしているだろ

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:46:14 ID:hJKQ2rJ5
南北朝の東北は初代風林火山の人のおかげか結構話題になるな
すごい複雑で理解が追いつかないけど、東北から関東突き抜けて上洛とか
戦国時代でも考えられない


597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 22:56:31 ID:W5jADjNU
南北朝は戦国では蹂躙される一方の足利様、北畠さん、菊池さんや山名さんや
畠山さんが強者として戦う様は胸が熱くなるな

負けっぱなしの少弐さんも…少弐さんも…負けてるなぁ。

安東実季、敵を匿った者に

2009年06月22日 00:12

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 22:28:23 ID:2c7Svp4c
1587年、秋田で安東愛季が病死すると家中は大混乱となった
1589年には、周辺勢力を巻き込んだ内乱、湊合戦が勃発する

その後、なんとか内乱を鎮圧した実季方は、謀反人の追捕に全力をあげた
しかし、安東脩季という大物が一人だけ、身を隠し続けた
彼をかくまったのは、配下の豪族・森元祐禅である
結局は発覚し、脩季は自害、祐禅も罪を問われて捕らえられた
当然、家中は祐禅死罪という意見だった
が、祐禅助命を願う者がいた。いまだ15歳の実季、その人である
「自分の主君を敬愛し、かくまったことが罪科なのか?むしろ立派な行いじゃないか」
実季はそう言って死を免じ、追放に処した

祐禅は甲斐に隠れ住んでいたが、
やがて佐竹義宣が秋田に移る際、荷を運ぶ船の案内役を務めたため、
男鹿の肝煎として帰国できたという




617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 23:13:06 ID:c6j+a2WV
こういう人格者があんな悲惨な老後を迎えなきゃならんのか・・・

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 23:36:58 ID:CPxs4L7V
>>617のおかげで哀しいお話を思い出しました・・・(´;ω;`)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1983.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1559.html

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 23:54:24 ID:YYYv4NlW
                   /::::::::::: i::::::::: |:::::::: ヽ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ゝ 
                   イ:::::i:::::::ハ::::::::: ヾ:::: |:::\:::ハ::::| :::::::::::::::::::::::\ 
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     \ :'´⌒ヽ         |::ハ:::V:::| イ⌒゙`\:i リ \|ノ 弋_フノ /:::/: /
      |i   " )_,,, _     l:ゝ::.\::i〃⌒゙ヽ  〃⌒゙ヾ //::) | 'ハ::::: |
 実 や |i         ヽ   | ト/人7} 〃〃    〃〃´ ∠イr 'ちノ::::: |  ふ 家 
 季 っ  |i      / ・ i     イ:リ::::|    '、        |:::::rイ:::::::: |  え 族
 ち た  |i          t    / i:::::ハ    r‐--ー、     /ハi!:::::::::::::::: |  る が
 ゃ ね  |i         〃 ●   ハ::::::: \   .イ_ _,,ツ  イ/'/:::::::::::::. <  よ
 ん    |i   r一 ヽ      )  /i::ハi::::i:::::>,, ___ _,, ´ /,,ハ/|/:::ii:::::::: |  !!
 !    |i   |   i   ∀"    "  ̄ ̄     ト、  //ヽ  ̄" ̄  |
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       |i           |  /j\    _:ヘ:ニヽ,,,/_,,    , /:::j      j
  __ /          / ⌒`)⌒) i:::::ヽ::`r‐'___ `   ヽ ,,:_,,_,,/:::::ノ"ノシ    〃
      ,ノ フr フ   メ   / ノ  ゝ:::::: ゝ- 、 ヽ     |::::::::::::::::::::ソ /     ./


620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 00:11:07 ID:HLeF4R8Y
いやそりゃ人形とお話するけどさwww

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 00:36:00 ID:AZUb7Hje
そのAAは

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 00:45:50 ID:M8qq6HvM
たえちゃんをこのスレに張るなよ…

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 09:02:22 ID:IsR+UYg7
すっかり木造の人ってイメージが定着しちゃったな実季…

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 13:21:04 ID:xHJyXXrr
DQN四天王+テラ小物ス市松さんは言うに及ばず

鮭様
狂犬富田長繁
やるおテル
フリチン四郎勝頼
魔法使い義宣・ただしリア充
ヒャッハー坂東武者(鈴木大学はじめ全般)


らに続く、フィギュア遊び実李ちゃん

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 13:23:19 ID:h4SfDJxH
覚醒実季
ある条件を満たすと大名としての自覚を失い、真剣に木像を友人扱いするようになる

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 13:24:54 ID:wNw9+gzd
実李ちゃんはガチで可哀相なのでネタにしにくい

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 13:27:08 ID:IsR+UYg7
>>616自体は真面目にいい話だし他に出てる話もいい話なんだがなぁ
やっぱり初めに出された木像の逸話がインパクトありすぎるのか
終わりよければ全て良しと言うが晩年があれだとやっぱりなぁ…

628 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/21(日) 14:06:07 ID:+EW6hhmL
>>627
人格者であることと家庭的幸福とは無縁、ということだなw

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 14:12:08 ID:s0+dk/E5
真面目ないい人ほど精神を病みやすいとか言うしな。
秋田は鬱病とか自殺の発生日本一とか聞いたが
戦国時代からすでにその傾向があったのだろうか。

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 14:53:18 ID:z/yp6sgv
木像に話しかけたのは別に気が違ったわけじゃないと思ってたが違うの?
隠居中に系図作ってるし、おかしくなったわけじゃないと思うけどな。

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 14:56:31 ID:IsR+UYg7
現代でも人形やぬいぐるみに語りかける子供はいるし、
おばちゃんやおばあさんが草木に話しかけるなんて光景はみられるが
自分の像を造らせて自分の名前付けた木像に語りかけるってのはなぁ
気が触れて無くても寂しすぎる晩年だろう

634 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/21(日) 15:07:42 ID:Q+hQN6AY
おめぇらが冷遇するから、俺はこんなんになっちゃったよ!
っていうポーズかもな。

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 15:09:31 ID:ZeGjLTMX
寺に引きこもる謙信かよw

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 18:17:34 ID:OdCQNiHw
このスレにもいるんじゃないの?
リアルドールに話しかけている奴w

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 19:05:50 ID:T9IecYSO
まあ贔屓の女性キャラを嫁にしてる男なら大勢いそうだ。


642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 20:10:58 ID:gIo7aWyM
>>632
俺もなんか禅とか哲学?みたいなのの裏付けがある行動かと思ってた
俺には意味わからんけど

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 20:16:53 ID:x2F9R6t4
確かに現代人の価値観から見るとおかしいと思うかもしれないが
ものにも魂が宿ると広く信じられていた時代の話だし
おかしい話でもないと思う
アンネが日記に名前付けて話かけているようなもんだ
話かけても返ってこないことは
本人が一番よくわかっているだろうことを考えると涙が止まらんよ
俺男の子だけど

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 20:51:18 ID:hbK+R0sh
たとえ木造に魂が宿ったとしてもその魂は喋ってる自分のもので・・・あれ?

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 20:57:11 ID:IsR+UYg7
>>643
像が自分をかたどったもので無く自分の名前で呼んでいなければその通りだとは思うんだがなぁ…


秋田実季と小浜の羽賀寺・悪い話

2009年05月06日 00:15

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/05(火) 18:53:33 ID:pWNm91+1
秋田実季が大事にした寺に、小浜の羽賀寺がある
このお寺、戦国期には収入が途絶え、本堂の再建もままならなくなった
つてを通じて頼ったのが実季で、実季は秋田の木材を寄付して再興に尽くした

さて、実季は宍戸に移っても、毎年米五十石を贈り続けた
朝熊に流された後も、書状を交し合い、蟄居暮らしの慰めとしていたようだ

もちろん、仲の悪い跡継ぎ・俊季がその想いを引き継ぐわけがない
まず、俊季は米五十石を、五十石分の金子に替えて寄付した
そして三春へ転封となったのを機に、一気に金子十五両まで切り下げてしまった

実季の憤激ぶりは、羽賀寺に送った書状から読み取れる
「米を金子に替えたのは、俊季側近の秋田四郎兵衛らのたくらみだ。
 寺ではあくまで現物で受け取れるよう主張すべきである」
「寄進は一年でも中断すれば、そのまま断絶されるだろう。注意してもらいたい」
「十五両に定めたのは四郎兵衛の謀だ。
 年寄(重臣)どもはことごとく、我らの敵になっている」

実季の晩年は心安らかでなかったようだ




218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 16:30:52 ID:XjHuSPD/
>>209
主題とは全然関係のない話だけど、当時って現金よりお米の方が重く見られてたんかな?
金子でもらったほうが使い勝手良さそうな気がするけど…

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 16:46:44 ID:I3i/Dq9j
金子もらっても結局そのお金で米を買うんだろ?
しかも米持っている農家はそんな使い道のないものと物々交換に応じてくれない

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 17:52:12 ID:/ev1J0JT
>>218
当時は時期や地域によって、米価の差が大きかったらしいんで
米を売却したほうが利益出たのかもしらんね

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 20:06:42 ID:YuRpRtaC
>>218
ちょっと乱暴だけど現代人的には
お米→現金
金子→証券、株券、ポイントカード
とイメージすればよろし。
便利だが、いざという時に役に立つのは・・・。

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 20:33:00 ID:gu/2pR/R
「米三十石」は本来どこかの土地を寺領として与えるべきところを
米の現物支給にかえたものだった
(所領を持たない中下級武士の俸禄みたいな感じ)
だから簡単には削れない既得権益のようなもの

ところが「三十石相当の金子」だと米=土地と切り離されて、ただの寄付金の扱い
与える側の都合で削れるものになってしまった

……と思いながら読んでいたのだけど、違うのかしらん

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 20:35:18 ID:gu/2pR/R
三十じゃない五十石か

「高乾院」顛末・悪い話

2009年03月21日 00:17

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/19(木) 23:09:22 ID:IpoEQuKS
秋田実季と嫡子俊季の不仲は半端ではなかった

宍戸に移った実季は、自分の法号を冠した「高乾院」という寺を建立した
秋田家の新たな菩提寺として、意気込んで建てた寺である
だが、実季が藩主罷免となり、伊勢に配流されると、俊季は早速この寺に難癖をつけた
「親父の名前をつけたままじゃ、幕府の覚えも悪くなるよね♪」
ということで、勝手に「湊福寺」と替えてしまったのだ

これを伊勢で聞いた実季、激怒した
実は「湊福」とは、湊安東家の祖・鹿季の法号
湊家と内戦を繰り広げ、檜山であることにこだわった実季への露骨な嫌がらせだった

俊季は三春に国替えとなったため、菩提寺も移したが、あくまで湊福寺で押し通した
ようやく高乾院に戻るのは、俊季の死後のことである




秋田実季、残した家臣に・いい話

2009年03月12日 00:15

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 16:00:26 ID:de/esHF3
別スレでの万金丹が出たので

秋田実季が秋田から宍戸へ移る際、多くの家臣を残していかざるをえなくなった
その一人に、湊典膳重季という老臣がいた
一門で重臣だった典膳だが、八十四という老齢からリストラ候補とされてしまったのだ
長年忠勤したジイヤを置き去りにするのは、実季も辛かった
「何かこれからの生活の足しになるものでも…そうだ!」
思いついた実季、秘蔵していた医書二冊をせっせと書き写し、贈った
「小児五疳治法」という、小児科虎の巻っぽいものだったらしい

こうして、典膳家は町医者として身を立てることができた
子孫は、佐竹当主の子の治療に功あり、藩医として取り立てられたという




724 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/11(水) 19:51:02 ID:YyEW81Ag
>>720
すごくいい人じゃないか…それが木像にむかって…T_T

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 02:36:03 ID:ZOReC9ZI
>>720
贈り物のセンスがあるって何気に素晴らしい才能だと思うんだ


730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 02:45:57 ID:hcarDziN
政宗とかは現代の修学旅行で鹿苑寺にいったら絶対金ピカの金閣のキーホルダー買って来そうな気がする



しかも割りとデカいの

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 06:54:33 ID:FPVA4qhI
>>730
あんな奴でもいちおう教養人なんだぜ?w



参照
秋田実季と木像・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1559.html

秋田実季と木像・悪い話

2009年03月11日 00:15

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 20:59:11 ID:IvdkXVB8
出羽にて複雑な攻防を繰り広げ、領土を維持した秋田実季
しかし、関ヶ原後の仕置により、あっさりと国替えされ、常陸国宍戸へ移されてしまう

藩政確立にいそしむ実季だったが、長男・俊季と「和漢に比類なき」不仲となる
どうやら、後継問題、湊派・檜山派の抗争、財政問題などが昂じた結果らしい
目に余る親子喧嘩は幕府の知るところとなった
やがて、実季は藩主を罷免された挙句、何の縁もない伊勢国朝熊へと追放されてしまった

仏門に入った実季は「凍蚓」と名乗った
戦いの果てに落ちぶれた蟄居暮らし。そこで実季はおかしなことを始める
鎌倉から人形作りを呼び、等身大の自身の木像を作らせた
そして床の上に置いたその像に、
「凍蚓、お茶を飲むか?何か食べるか?(*^ω^)」
などと親しげに呼びかけ、友人のように扱っていたという…

俊季よりも長生きした実季は、万治二年、八十四歳で死去した




755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 21:10:54 ID:KSL8nbi0
おかしくなってしまったんだろうか

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 21:27:16 ID:o8Wlyn1Z
…その…どうコメントすればいいのやら…

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 21:37:36 ID:oQvj8ukG
あぁ…なんて言えばいいんだ…

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 21:38:39 ID:N4ZWAqDf
あはははは
笑っとけばいいねん。

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 21:49:57 ID:P9/KxRCV
逆に考えるんだ。木像には魂が宿っていたんだと。
…………何と言えばいいのか。

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 22:45:17 ID:giNrlv7Q
>>754
せっかくだから、その分身と肩でも組んでる様子を肖像画で残してくれると良かったのにね。

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/10(火) 23:40:15 ID:4uHRyrAb
>>754
聖☆実季さんてかんじだね…
洒落にならんけど…

764 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/10(火) 23:47:56 ID:6LsH6q+X
>>754
自分を自分で労わってたんだろうか…

765 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/11(水) 00:01:07 ID:FoTXIgYR
>>754
バーン・ガニアが認知症になって施設にいるのを思い出した。

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 02:06:03 ID:WyQ76570
>>754
太閤立志伝でおなじみ万金丹の開発者なのに、痴呆扱いカワイソス

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 09:06:54 ID:z/Vz0xcf
万金丹にはいつもお世話になっております

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 14:18:21 ID:wWIBejCT
>>765
確かバーン・ガニアって、老人ホームで隣の老人にボケて
プロレス技を掛けて殺しちゃったんだっけ。

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 00:17:05 ID:1GCT4oIW
>>754
地元の大名のこういう末路は厳しいな・・・・

秋田氏の転封顛末・悪い話

2008年12月09日 00:03

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 02:02:09 ID:rPz5o/KT
秋田は初代の「女の子な安東愛季」スレで触れられたが戦後処理で鮭様にハメられたんだよな。

スレがまとめも無くて●なしではサルベージ出来ないが。



138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 03:24:46 ID:kXxf3Sv8
一応言っておくが、佐竹は元々出羽では15~20万石を知行する予定だったのだ。

佐竹が転封されようとしていたとき、その噂を聞きつけた細川精神年齢三斎が、
本多上野介正純に意見した。
「佐竹は昔っからの武家だし、郎党も多いんだから、せめて出羽一国くらいは
あげたほうがいいんじゃないスか?(こう言えば俺の株もあがるかも知れねーぜ、フハハ)」
しかし正純は即反論した。
「アンタ出羽一国じゃ石高が常陸一国とかわらないじゃない、ばかなの?しぬの?」
「あ、やっぱりそうですよね。ホントはそう思ってたんス(´ω`)y─┛…おまえが死ね)」

時勢も変わり、知ってのとおり宇都宮釣天井トラップに引っかかった正純は
1622年に出羽国横手に流罪となり、捨扶持1000石を与えられた。
「こんなことになるんだったら佐竹に出羽一国あげとけばよかったス、馬鹿ス、死ぬス」
横手では日頃このように話していたという。
そして配流された15年後、正純は復帰することなく横手で死んだ。

いっぽう佐竹は、いつのまにか宇都宮に5800石を加増されていた。

つーわけで
秋田の所領である檜山郡(=近世の山本郡)と秋田郡(純粋な秋田郡のみと思われる)は、
佐竹の所領である秋田三郡(=檜山郡+豊島郡+秋田郡)と
仙北三郡(=中世の山本郡+雄勝郡+平鹿郡)とは違うのだ。
したがって、よく言われる秋田の所領「実質20万石」は全くの勘違いで、
佐竹の所領はもとの秋田、戸沢、小野寺等々所領を合わせたものなのだ。
よく佐竹は秋田の所領にそのまま国替えされたと思っている人がいるから注意な。



139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 05:57:38 ID:MbQyu129
精神年齢ワロタw



163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 22:24:01 ID:sRDzXhb5
>>136

慶長五年夏、会津討伐にそなえて奥羽諸侯が山形城に結集。
上杉攻めのため、最上義光を総大将とし誓詞血判を提出しました。
しかし急遽家康が反転し関西へ向かったと聞いた諸侯は、
血相をかえて自領へ反転、最上家はほぼ単独で二万の上杉勢を相手に
する羽目に。追いかけるぞと最上家臣たちは激怒しましたが、
義光は「いざとなったら逃げる奴らなんか当てにならん」と
追跡しませんでした。

秋田実季は「もう最上は駄目です」と徳川家臣榊原康政に書状を送信、
撤退の許可を得ました。
伊達政宗は「よーし独眼竜は日和見しちゃうぞー」と動かない。
それどころか味方の南部領で一揆をあおった。まあ、一応
伊達は援軍もちょっとは出したけれども。

だがしかし奇跡は起こった。最上家はなんとか上杉を退けたのです!

「あいつら…、よくも最上を見捨てたな。ゆるせねえ!」
やっと義光のターン、逆襲が始まります。まず義光は政宗が南部で一揆を
煽動していたかどうか聞かれたら「そうみたいですよ」
と幕府に返答! 政宗はなんだかんだで百万石のお墨付きをパーに。

そして秋田家反転を蒸し返し、さらに西軍・小野寺輝道との間に盟約があった
(最上と同盟して一緒に小野寺を攻めてるって)、
実季の手柄である城攻めは関ヶ原合戦以後(そんなこたーない)、
実季は上杉家臣の酒田城主・志駄義秀と密約があった(?)と密告したのです。

秋田家は焦って弁明につとめ、そりゃ嘘と誇張ばっかだからの最上家臣も
逆に質問されたとき答えにつまったりしてしまいます。
「一体どういうことなんですか?」
「こうなったら裁定で白黒つけようじゃありませんか」
そして江戸城での裁定の日を迎える…ところが!
当日家康と義光は鷹狩りに出かけていました。
こんなんで裁判もなんもあったもんじゃありません。
後日、秋田実季は常陸に転封が決定しました…。

まあしかし。最上家も関ヶ原合戦後一人勝ちしなければ、
あそこまで幕府に警戒されず、改易もなかったかもしれませんが…
歴史は皮肉です。




164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 23:23:49 ID:MbQyu129
政宗自重w

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 23:38:10 ID:8NBWkhFh
ちとやりすぎたな、最上