447 名前:1/2[sage] 投稿日:2014/12/28(日) 14:04:17.50 ID:AJh1pVvj
この都の市内では、古来、神や仏に対する畏敬から盛大な祭りが行われていた。それらの幾つかは、人々が語るように
華麗さ、外面的な費用においては甚だしく以前に比べ劣るとはいえ、今なお行われていた。
第6月の15日には、ギオン(祇園)と称せられる偶像を敬う祭りが催されるが、それは都の郊外に、多数の人が訪れる
霊場を有し、次のようにして行われる。
祭りの数日前に、各町内とその職人たちに、祭りの当日持ちださなければならない出し物が割り当てられる。次いで
当日になると、朝方、無数の群衆がこの祭りを見物するため都に殺到してくる。また別の人達は祭りに参加することを
誓約したためにやって来る。
そして一同は行列のようにして繰り出す。その行列では、先ず上部に甚だ高い舞台が設けられた15台、もしくは
それ以上の車が行く。
それらの車は、絹の布で覆われているが、既に古く長く使用されたものである。そして舞台の真ん中には非常に高い一本の柱がある。
その車は二階、または三階で、その各階には高価な絹衣を纏った、都の市民の子供達である大勢の少年がいる。
彼らは楽器を携えており、そうした装いで演技をしたり大声で歌ったりする。その一台一台の後から自分の職業の
しるしを持った職人たちが進み、皆、槍、弓、矢、薙刀(すなわち甚だよく作られた鎌の形の半槍のようなもの)を持ち、
本当に兵士がそれに続いて行く。
これらの大きな舞台付きの車が通過すると、他のより小さな車が続く。その上には、立像によって日本の古い
歴史上の、幾多の故事や人物が表徴されている。(日本人はそれらを非常に上手に製作する。すなわち彼らは
万事において非常に器用であり、甚だ完全で精巧な仕事をする。彼らは自然の偉大な模倣者であって、そのような
仕事に携わるのである。)
かくて彼らはこれらの車を曳いて朝方、この祭りを奉納する祇園という偶像の所に行き、そこで午前を過ごすのである。
午後、彼らは非常に立派に飾られた大きな輿を持って神社から出る。多数の者がその輿を肩に担ぐが、その中にかの
偶像があると言われる。民衆は皆頭を下げつつ双手を上げてこの輿を拝む。そしてその時には、例え酷暑であっても、
誰も帽子をかぶったり扇子を使ったりすることは許されない。何故なら輿に先行している大勢の下賤の者がそうした人を
見つけると、その頭を棒で殴りつけるからである。
その後方から別の一台の輿が来るが、人が語る所によれば、それは祇園の妾の輿だと言われ、それから銃の一射程
ほど離れて一定の位置に、祇園の正妻の輿と言われるものが来る。ここにおいて、正妻の妾に対する嫉妬と悲哀なる
ものを表徴して、幾つかの滑稽な儀式が行われる。彼らはこのような盲目的な愚行を演じて、その午後を過ごす。
そして日本人は自負心が強く、また群衆の数が夥しいので、この行列の際にはごく些細な下らぬことから喧嘩や騒動が
起こり、その際、通常は多数の負傷者が出て、幾人かの死者もでる。
448 名前:2/2[sage] 投稿日:2014/12/28(日) 14:04:50.43 ID:AJh1pVvj
堺では7月29日に、住吉大明神という神を祀る別の祭りがある。人々の語る所によれば、住吉大明神は昔、
日本最高の国主である内裏の侍臣であったと言う。そして人々は彼をサント(聖人)とみなし敬慕していたので、
彼のために堺の郊外約半里の所で、現在堺市の人々の行楽地となっている広野に、大きく、かつ多数の社を建てた。
ただしこれら多くの社は、織田信長と大阪(本願寺)の僧侶たちとの間に戦争が行われていた時代に焼かれてしまった。
人々が住吉大明神を祀るのは次のようである。当日午後、人々は銃の位置射程半以上の長さがある堺の
一街路に赴く。
両側とも壁や門は全て小さい材木を互いに結んだ柵を一面に張り巡らせる。それはこのような祭りの際に、常に
起こりがちな騒動に備えるためである。その柵の内部で、人々は行列を眺めるのである。
そうした準備が済むと、半里離れたかの住吉の社から、両手にモンタンテ(刀)を携えた偶像が騎乗してくる。
その後から、弓と矢を入れた箙を携える小姓が続き、その後方を、手に鷹を持った別の者が続く。彼らの後から
徒歩や騎馬で偶像の伴をする大勢の人達がやってきて、この人達はみな武器や武具を携え「千歳楽、万歳楽」、
すなわち千年の喜び、幾千万の楽しみという意味の言葉を唱えながら歌い、かつ踊る。彼らがかくも喜悦して
これを唱えるのは驚くべきことである。
多数の馬が進むが、それらは相当離れており、それぞれの間隔は約三十人分の余地があるほどである。
驚くべき大群衆がそこに殺到したが、そのうち多くの人々は、この祭りに加わるのに誓いを立てていた。
馬が通過すると神主と称する白衣の多数の僧が、甚だ大きい広い袖の衣を纏い、紙か革で出来た非常に美しい黒の
僧帽を頭にかぶってやってくる。
この後に彼らの女妖術師(巫女)たちが馬で進むが、彼女たちは同様に白衣を纏い、非常に美しく飾り、おびただしい
数の婦人たちに付き添われ、歌いながら行く。
そのすぐ後に輿を担いだ大勢の武装した人達が来るが、彼らの証言によると、その輿の中にかの偶像が入っている
との事である。
この輿はそれを見るすべての人から礼拝され、人々は双手を挙げて大いに畏敬の念を示す。3,40人の者がこれを
肩に担いでいる。
そして人々の後から、いろいろな歌を歌い、「千歳楽、万歳楽」を繰り返す大勢の人がやって来る。彼らはそこから
住吉の社に帰り、かくてこの祭典と行列が終了する。
(
ルイス・フロイス『日本史』)
フロイスによる、祇園祭と堺の住吉祭に関する記録である。
452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/29(月) 02:59:13.40 ID:3X31JK6m
>>447
さいたま県民だが、秩父夜祭にも祇園とよく似た習わしがあるけど
祇園の牛頭さんにも正妻妾がいるのか
454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/29(月) 10:11:00.19 ID:GcCeaQvN
日本の伝統が綿々と続いてることを感じた
現代の祇園祭と比べて違いとかあるのかな?
458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/29(月) 20:22:46.20 ID:tDErROi2
>>454
河内将芳さんの本がめっさ詳しいで
459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/29(月) 22:35:00.21 ID:GcCeaQvN
>>458
㌧
「祇園祭の中世」って本かな
面白そうだけど少し値段が高いね