高家今川氏先祖祝ひ之事付表高家品川氏之事

2017年01月15日 16:56

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/15(日) 02:18:30.66 ID:NkP02+Hg
高家今川氏先祖祝ひ之事付表高家品川氏之事

 十月二十四日は高家今川氏の先祖祝いとして、今川の親戚が寄り合う祝儀がある。
予も招かれて会いに行った。
(注:当時の今川家の当主義用の嫡男・義順の正室は甲子夜話の作者の松浦静山の娘の機)

 その祝儀でとある話をした。
松浦静山「その先祖とは義元君ですか?」、
今川関係者「いやそうではありません。中頃の祖の某〔その名は忘れた〕です。」

 以下にその中興の祖の話として聞いたことを記す。
その祖は刑部大輔と称していたとか。
日光山の神号が初めは東照社と宣下あったので、
すぐに御使を奉じて上京し、朝廷と争議して遂に宮号を申し下したことがあった。
これに付き添いの林春斎〔林氏二代〕と一緒に遣わされていったという。
典故を引いた廷議は彼にとってはなはだ難しいことであったとか。
その勲賞として三河数ヶ所の地を賜り、春斎も禄が加えられたという。
これからこの人を今も中興の祖として祝うこととなった。
いずれにしても、今川衰微の時に労が有った祖先なので、
このように親族を招くのも理である。

 また今の表高家の中に品川氏がある。
〔この家は、元禄の頃は歴々たる高家であり、豊前守四位侍従であった。〕
かの日にも予は彼らと面会した。
この家は元々今川氏次男の家であった。
今川の祖は上の逸話のように寵遇があり、芝品川御殿山の地一円はかの屋敷であった。
その頃に品川氏の先祖がかの屋敷で出生したので上意で品川と称したのだとか。
ならば本氏は全くもって今川である。
よって家紋は、円の内に今川の家紋五七の花桐をつく。これも上意によるとか。
品川氏は先日も、この紋の小袖に肩衣は今川氏の紋である円に二引両をつけていた。


(甲子夜話続編)

これ、氏真の話ですよね。
中興の祖として子孫から敬われていたのですね。
しかし、ものすごく博学なのに氏真の名をしらない静山さん…

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/15(日) 02:41:07.06 ID:NkP02+Hg
と、思ったら>>458でちゃんと名前を知っているね。ごめんなさい。



513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/15(日) 03:23:47.53 ID:k/jsDdax
武将としては下の下だからな。偉大な義元の名を出すのが礼儀。
スポンサーサイト

氏真の蹴鞠

2016年07月31日 19:30

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/31(日) 19:14:33.69 ID:dTisZ1jN
天正三年2月下旬、織田信長は岐阜を立ち、3月2日に上洛して、相国寺に滞在した。
同月16日、今川氏真が駿河より上洛して信長のもとに出仕し、千鳥の香炉、宗祇香炉などを進上した。

その後信長は、氏真が蹴鞠の上手であると聞き、蹴鞠の興行を行ってそれを見物した。
氏真に対し、三条大納言父子、烏丸殿、藤の宰相殿、飛鳥井殿父子、広橋殿、五辻殿、庭田殿といった
蹴鞠において名のある錚々たる人々が入れ替わり立ち変わり挑戦したが、氏真の足さばきは、
どこで区切りがあるのかすらわからないものであった。

(甫庵信長記)

今川氏真、信長の前で想像を絶する蹴鞠の実力を見せつけたらしい、というお話。



22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/31(日) 19:21:00.54 ID:Jt9IzM1X
この話読むたび、親の仇の前でよくやるなと思うが

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/31(日) 20:57:28.09 ID:yzm9L0zP
>>21 甫庵信長記ということは、信長公記にも原文の記載があるはず。ぐぐってみた。

3月16日、信長公のもとへ珍客が出仕した。
それは今川氏真殿であった。氏真殿は百端帆(香炉または何らかの宝物)
を持ってあらわれ、これを信長公へ進上した。なお氏真殿は以前にも
千鳥の香炉と宗祇の香炉を信長公へ進上しており、そのとき信長公は
千鳥の香炉のみ受け取って宗祇の香炉は返却してやっていた。
 会見の中で信長公は氏真殿が蹴鞠をよくすると聞き、見物を望んだ。
かくして3月20日相国寺内において蹴鞠が催され、信長公の見物するなか
氏真殿ほか三条殿父子・藤宰相殿父子・飛鳥井殿父子・広橋殿五辻殿・
庭田殿・烏丸殿が技芸を披露した。

甫庵やっぱり加筆してやがる。

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 11:05:42.86 ID:as7OLeEf
>>23の中で、「会見の中で信長公は氏真殿が蹴鞠をよくすると聞き」とあるので、
氏真が自分から蹴鞠のことを宣伝したようだ。
だから、親の仇の前でやらされたのではなく、親の仇の前でパフォーマンスか
「戦では負けたが、信長よ、これがお前にできるか?。できまいて。本当は俺の勝ちだ」
ってか。

今川氏真の楽市令

2016年05月13日 18:03

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/13(金) 14:31:29.91 ID:c/w+KYiQ
今川氏真の楽市令
「富士大宮で毎月6度開かれている六斎市において、
既得権益層(座)の押し買いや狼藉等の問題行動が横行し
市の運営に差し障りがあるとの申し出があったので、
今後は諸役を停止して楽市(誰でも商売しやすく)とすることを申し付ける。
また、近くの神田橋の通行料も停止させて、商人の通行もしやすくする。
もし違反する者がいたら訴え出なさい。」富士文書他

永禄九年に今川氏真が富士信忠(富士山本宮浅間大社の富士大宮司)宛に出した
この楽市令は、織田信長よりおよそ一年早く、信長も参考にしたと言われている。
さらに早く六角定頼が楽市を布いたという話もあるけれど、
ともかく今川氏真は義元ゆずりの名政治家だったのかもしれない。



619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/13(金) 15:25:50.57 ID:kt7LzU2e
並以上の器量だったとしても、家康と信玄が同時に攻めて来たらな・・・
まあ、相手が悪かったよな氏真は

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/13(金) 16:46:25.06 ID:oqTRUCOe
家を潰した、領地を失った=無能
という評価方法もそろそろ見直される頃合いかもしれんね

『今川の赤薬』

2015年05月12日 17:13

6 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/05/11(月) 19:23:16.44 ID:C/newK1P
こっちか

『今川家の赤薬』と言えば、世の中では急病に用いた場合効能の在る薬だと言われている。
この薬はそもそも、足利将軍光源院(足利義輝)の馬が患った時、乞食斎の僧が三条河原で
この馬を見て「たやすく治せる病なのに」と言っているのを、義輝が聞いて治療を望んだ所、
乞食が薬を用いると、たちまち患いは癒えた。

この時、義輝は一宮随巴という弓の師に言って、その薬法を学ばせ書き留めさせた。
そののち義輝が。永禄の変で斃れると、一宮随巴は駿河に下った。
駿河において、今川氏真は薬法などを面白がる人であったので、一宮は氏真にこれを教え、
そうして今川家の薬として世に広まったのである。

(明良洪範)



7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/12(火) 06:26:14.78 ID:VtUQjXB1
なぜ専門の医者ではなく、弓の師範の武士に学ばせたのか謎だ

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/12(火) 06:53:31.95 ID:5z1PL6WJ
すでに出家してるかもしれんじゃろ

猿のような侍を氏真公は崇め敬ったので

2015年03月14日 16:13

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/14(土) 05:19:06.27 ID:iuG8ON4R
 駿河の義元公は、過度に増長して信長に負け、討たれなさった後、
良き家臣衆は脇へ押しやられ、猿のような侍を氏真公は崇め敬ったので、諸侍は良い作法を失ってしまった。
厩別当の小身である三田村が、茶碗一つを三千貫で買ったのを、氏真公の側近衆がこれを観たがり、三田村茶碗と名づけた。
これを買うのは七度の槍働きより手柄であると褒めた。
これ皆作法の知らない猿のような侍が、身の程も知らず、大身衆や富裕者のような真似をして、堺の紹鴎が茶の湯を好んだためである。
(甲陽軍鑑)



今川氏真、不信爆発

2013年11月01日 19:00

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 20:02:56.32 ID:NiG3gLLp
永禄11年(1568)5月初め、武田信玄は駿河の今川氏真に使者を出し伝えた

『今川殿が所領されている、東三河を私に下されよ。
東三河は信州伊那より続いている地である。そこを私が持てば、氏真殿が以前から念願している
義元殿の弔い合戦をなされる場合でも、この信玄が加勢に出陣するのに活動しやすいからである。

ところで、昨今松平元康という興味深い人物が勢力を広げ、今川殿への恩を忘れ、
元康の元という字も投げ打って、そのかわり全く別な、徳川三河守家康となり、
三河国の大半を支配していると聞く。

その家康に取られるよりも、この信玄に進呈してはどうか?』

この書状の内容に、氏真は返答した

「信玄殿のお言葉、かたじけない。
しかしながら父義元の弔い合戦については、信玄殿をお頼み申すには及ばない。
良い時期を見てこの氏真自身で目的を達するつもりである。ことさら、氏真の敵である
織田信長と、信玄殿が縁者に成られた(永禄8年の武田勝頼と信長養女との婚姻)と聞いては、
信玄殿ももはや、半ば敵であると考えるものである。
そのため、東三河が例え家康に取られたとしても、信玄殿に進呈する気はない!

それに、家康など小身の者故、今年でも来年でも思うままに退治することが出来る。
しかし信玄殿に東三河を渡しては、その後遠州までも取られることに成るだろう。
その証拠に、あなたは我が今川家の所蔵である藤原定家の伊勢物語を、酒に酔ったふりをして
お取りになった。
我が父義元も、『信玄は謀略の才覚において恐るべき者だ』と仰っていた。

信玄殿は、この氏真との叔父甥の関係などもはや無視されよ。今後は書状の取り交わしも不要である!
あなたはこの頃も、家康の伯父である水野弥平大夫と親密であったそうではないか。
また、我が配下であった梶水彦介を甲府まで呼び、鉄砲10丁に甲府名物を添え、さらに木綿の布200反まで
与えて、『信玄が三河に進出すれば手を引くように』と言ったそうではないか!私はそれを
詳しく聞いている!」

実は去年の冬、氏真は水野弥平大夫を成敗した。その時、信玄が水野弥平大夫に出した多くの書状を
押収したのであった。

氏真はこの返書に、水野弥平大夫から押収した書状を添えて信玄に返した。
このため、今川と武田の関係は更に悪化した。

(甲陽軍鑑)

今川氏真、信玄への不信を爆発させる、というお話である。




626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 22:32:37.58 ID:DhARhHe+
甲府名物がちょっと気になる

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 00:17:39.23 ID:JFcFpmTh
まあ領土割譲しろなんて要求に対しちゃ、本人の置かれてた状況はともかく当然の反応だわな
甲府名物は多分あれだよ、黒川とか湯之奥からの産地直送の材料を使った山吹色のお菓子なんじゃないかな

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 13:25:19.27 ID:cSGgquSp
>あなたは我が今川家の所蔵である藤原定家の伊勢物語を、酒に酔ったふりをして
お取りになった。

信玄が自らパクったって読めるんですが…え?

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/01(金) 18:40:16.19 ID:5XK1ent5
いや、普通に信用しちゃあかんだろう。あの真田パパンの師匠だぞ。信用するほうがどうかしてるw

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 10:05:06.86 ID:XrwX/CnJ
ところで武田家って今川・北条・織田・徳川と同盟相手を裏切ってるけど
同盟相手から裏切られた事ってあるのかな?

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 10:17:47.28 ID:O1BToJTb
>>630
武田側から見ると今川も北条も織田も徳川も、先に相手が武田に対して裏切り行為をしていることに成ってる

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 10:25:24.32 ID:Av2fqQ3E
アホの氏真にも五分の魂があったかw お屋形さまに攻められて一瞬で今川が瓦解した時どんな顔してたんだろうな

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 20:14:04.80 ID:1B/uX1D2
>>630
対織田の時は、両属状態の遠山を取り込んだ信長が原因じゃないかなぁ
対北条は原因作ったのは信玄だけど、手切れにしたのは北条だし

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 20:54:22.97 ID:JzdkwTEZ
>>632
氏真の記録はそこそこ残ってるけど一般の人のイメージはバカ殿で気の毒だと思う
軍事はともかく内政関連は優秀なほうなのにね

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 21:01:23.78 ID:7g70p10d
信長の対信玄イメージもちょっと気の毒だな
同盟破棄して攻め込んできたので迎え撃つ準備して待ち構えてたら信玄病死で撤退
後の流れが「信玄が生きてるときは手も足も出なかったくせに…」になってしまった

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 22:19:45.60 ID:h0b2577Z
待ち構えるも何も、あの頃の信長って周りじゅう敵だらけの上、内応者も相当いただろう。
そんな状況の中、三方原直後に信長と信玄が野戦してたら、
まず間違いなく信玄が勝ったと思うがw

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/02(土) 22:58:59.92 ID:1B/uX1D2
信長の所へたどり着くまで1年以上かかりそうだがなぁ

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/03(日) 01:40:00.94 ID:YVkFNXzE
徳川から人質とって東美濃で信長と信玄が戦に及ぶ
織田軍が敗北すれば反信長軍が勢いを増しさらに各地で蜂起するから早々に瓦解するね

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/03(日) 01:58:29.59 ID:J/fD+e5Z
信長が本気だしたら最低でも6万は兵力集められるし
万に一つも信玄に勝ち目ないだろ

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/03(日) 02:07:11.05 ID:qmOoGxEd
史実の信玄上洛でももちろん本気でしたが

今川氏真「だまされ仕まじ」

2013年04月22日 19:50

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:24:45.22 ID:cte9qme1
永禄12年(1569)、今川氏真は掛川城を逃れ、小田原の北条氏の元に亡命した。
武田信玄は小田原に氏真がいることは自らの行動にとって邪魔だと考え、彼を追い出す策略を立てた。

小田原の氏真の元に、とある町人が訪れ密かに申し上げた
「今度甲州から原隼人が信玄の使者として小田原を訪れ、氏真様に腹を斬らせることについて、
北条側と内談を行い、その後内藤修理が派遣され、氏真様に腹を斬らせる、という事が決まったそうです。」

この言葉を氏真は恐れた。するとその話を聞いてからまもなく、甲州より原隼人が使いとして小田原を訪れ、
これに心もとなく思っていたが、重ねて内藤修理が訪れるとの情報を聞いた。

これは町人の言うことに間違いはないと考え、氏真は小田原から船で逃亡した。
無論、町人も含めて信玄の謀略である。氏真はまんまと騙されたわけである。

さて、船で逃亡する途中、風が悪かったために遠江国浜松に吹き留まり、下十連時にて10日ばかり
逗留した。困り果て仕方なく、徳川家康に使いを出し

『私は伊勢まで所要によって参る所に、風向きが悪いため船で進むことが困難になりました。
そこで陸路を使いたいので、伝馬や人足を使わして頂きたい。』

と申し込んだ。家康は「昔のよしみである。仕方がない」と、望みどおりに人馬を遣わし、その上で
「暫くご逗留あるように」と、様々に饗した。
氏真は小田原出奔以来、たいへん心許なく思っていたのだが、この様子に安堵し、遠州にゆるゆると
逗留した。

そのうちに家康から信長へもこの事の報告があり、信長からも
「どうかいつまでも御逗留あるように。後々には駿河に帰参と言うこともあるでしょう。」
と、懇ろな言葉をかけられ、これは幸いなことであると考えて、さらに緩々と逗留を続けた。

ある時上方の方へ参ったが、ここでは相国寺に滞在し、公家衆などと歌会などを行い、また
蹴鞠などをして過ごしていた所、信長がこのことを聞いて、こちらに来て蹴鞠をして欲しいと
所望された。信長は氏真の蹴鞠の様子を緩々と見物され、その上で振る舞いの用意があり、
信長自身の出で馳走もされた。

長篠の合戦の時も信長に同道し、誰かの手に居たそうである。
その後、武田勝頼が滅亡したため、氏真は信長に対し

『初めに言われたように、駿河を氏真に遣わして頂きたい。』

と申し遣わした所、

「あの頃とは違い、今や何の役にも立たない氏真に、どうして駿河を与えなければならないのか!?
要らぬ人間を生かして置いておくなど無駄な事だ!あいつに腹を斬らせろ!」

と、激怒して命じた。氏真はこれを聞いて驚き、直ぐ様どこかに逃亡した。

そうしている内に、信長が切腹したという話が伝わってきた。本能寺の変である。
しかしこれを聞いた氏真は

「信長が私に腹を斬らせるために、このような虚報を流したのだ。騙されはしないぞ!
こんな真似をしなくても腹を斬れというのなら、私は尋常に斬る!」

と言ったそうである。
(内々信長より腹を切せらるべき気遣の所に是を聞て、だまされ仕まじ、腹をきれとの
事ならば尋常にきるべしと被申よし)
(紀伊國物語)




332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:29:40.27 ID:buMIUTJM
氏真のゆるキャラぶり

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:34:17.69 ID:8ZPr5FF9
甲相駿三国同盟による政略結婚で唯一最期まで夫婦連れ添った氏真と早川殿

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:38:27.81 ID:86cNlbDF
親の敵の前で蹴鞠とか
誰か止めてやれよ、といつも思う

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:39:59.82 ID:x/ofBZEZ
生き恥さらせば長生きだけはできるってことか

武士じゃねぇわw

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:46:23.49 ID:xVTYET0X
泥水啜ってでもきのこる!ってのもそれもまた武士だと思うがここまでくればあかんわなw・・・開き直って戦場で槍働きでもすれば一国は無理でも村一個はいけるんじゃないか?とりあえず1対1なら負けないとは思うし

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:51:01.94 ID:q0Uxl8Mt
TERU「これ以上こっち来るな。こっちだって逃げ出したいんだから。」

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 21:23:13.29 ID:7GMytiRI
ピンチはあったものの、楽しげに長生きできたんならいいじゃないか

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 21:27:58.02 ID:spFTitzx
>>334
まあ親父は自分から攻め込んで討ち取られたから仕方ない
これで恨んでたら、とんだ逆恨み野郎だ

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 21:54:26.77 ID:spFTitzx
あ、なんか的外れなこと言ってしまったな
敵に反応してしまったが、恨んでるとかそんな話じゃないなスマン

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 21:58:52.12 ID:PZe0+X17
慈善事業で戦国やってんじゃないってことだ
手柄もないやつに国をやるわきゃない まして国を滅ぼして生き恥さらすぼんくらを

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 22:03:49.29 ID:pzslSECG
言われてみると氏真は、武田は結構恨んでそうだけど織田や徳川はたいして恨んでないよな

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 22:11:01.22 ID:PZe0+X17
親父のこと一番恨んでそうw

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 22:19:21.97 ID:8ZPr5FF9
>>343
テル「親父が若死にするから叔父さんに折檻されたお」

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 22:46:48.69 ID:pOlXsqRu
相手が悪かっただけで氏真は頑張ってたほうだと思うんだよなあ

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 22:53:01.21 ID:PZe0+X17
裏切り者家康め!滅ぼしてやるぅ! 

数年後 
蹴鞠蹴るから雇ってください… 

なぜなのか?

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 23:07:37.57 ID:pzslSECG
氏真は周囲からカモだと思われたせいで寄ってたかって潰された印象

しかしいざ戦国時代が終わってみれば、武田は味方裏切りまくり一族死にまくりで滅亡、
一方信玄がカモってた氏真は家が潰れた後も人望あったうえに夫婦円満で
さらに高家になったあげく孫が出世しまくるのを見ながら畳の上で天寿全うしたとか
信玄に教えたらどういう顔をするだろうか

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 23:13:05.29 ID:pzslSECG
ああ、氏真は孫が出世しまくってる頃にはもうあの世か・・・
正しくは「順調に成長していくのを見ながら」だな

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 23:15:29.32 ID:0GbOcKHp
後世にバカとして語り継がれる今川を笑うだろう

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 23:18:39.13 ID:Q4fmg1Fn
捨扶持で生きながらえて羨ましがられるかねぇ

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 23:23:05.77 ID:0GbOcKHp
今川の子孫とかいてもバカにされるだろうし
詐称する価値もないか

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 23:45:43.97 ID:QzCm68ap
幕府滅んで早々に断絶してたような

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/22(月) 02:21:02.65 ID:Q9n2j4T6
武田を追い出したら駿河に復帰ってのは、氏真が掛川城を開城したときの条件だっけか

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/22(月) 12:24:32.14 ID:RtZQFnNI
子孫って年末に討ち取られてるアレだっけ?

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/22(月) 17:32:05.35 ID:VGnTz/Tr
武田の子孫だって高家だろ

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 16:09:29.49 ID:WvFxLpzM
>>354
年末に打ち取られる吉良って今川の本家筋だっけ

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 16:17:18.23 ID:TtJMyvBm
本家筋で今川義元の子孫>吉良義央
しかしなぜか浅野内匠頭や義士たちは
今川義元の供養のために建てられた泉岳寺に埋葬されている

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 20:46:13.96 ID:mQIJTpyV
権現様も結構いい人なんだな、
桜田門の目と鼻の先に義元公の供養の寺を立てるなんて・・。
三河物語なんかではボロクソだが案外、竹千代&岡崎衆は優遇されていたのじゃまいか?

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 22:10:07.79 ID:iT1uOT/c
>>369
人間は幼少の頃に嫌な思い出があった地には近づきたがらないんだってさ
駿府は家康の自由意志で終の棲家に選んだくらいだから、
苦労はしてても辛い思いはしてなかったんじゃないかな

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 22:23:23.81 ID:7RO21V+k
>>369
時代的には彦左が物心つく前の話だし、三河物語のあの辺は一次史料とも
食い違ってる事が多いから、創作程度におもっといた方が良いのかも

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 22:49:21.77 ID:3mSfHB9G
そもそも面倒くさい人だから事実を知っていたとしてもそれを素直に解釈している保証は無い

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 22:56:38.87 ID:TC7QpK/b
まあ史実と言うよりも、当時未だ名誉回復がなされていなかった大久保家の正当性を訴えるのが目的の著作だからなあ>三河物語

今川義元は子息氏真に書を贈り諌めて曰く

2012年10月01日 20:29

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 18:53:40.26 ID:gR1Zw0A2

今川義元は子息氏真に書を贈り諌めて曰く、

「お前はすでに成長したというのに未だに童心を失わず、
鶏を闘わせたり狗を走らせるばかりで、第一になすべき文武を疎かにしている。
今これを改めなければ、必ずや国は覆り、家を滅ぼすことになるぞ」

しかし、氏真は父の言葉を意に介さず、ついには滅亡するに至った。

――『名将言行録』




661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 19:00:23.42 ID:kzckAfJY
氏真も一応やる事はやってるんだけどね。敵が強すぎただけで。

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 19:23:02.65 ID:+FJ8prk4
たぬきにお屋形様に北条か・・・ノブヤボなら引っ越し考えるな

雑談・氏真があと500年遅く産まれていれば

2011年10月18日 22:00

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/16(日) 23:48:09.85 ID:/nyUmFVb
氏真があと500年遅く産まれていれば

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/17(月) 01:01:57.65 ID:LAOI+sVd
>>372
日本初のバロンドーラーとか胸暑


ttp://up3.viploader.net/sports/src/vlsports004120.jpg
氏真


378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/17(月) 07:51:17.72 ID:s+Jv0U+0
>>375
残り10人どうすんだよw

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/17(月) 11:57:03.23 ID:Dw9739au
>>378
島津さんとこから2人ぐらいスカウトできね?

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/18(火) 16:59:00.33 ID:GByzT84u
>>378
飛鳥井雅綱、飛鳥井雅春、飛鳥井雅敦、飛鳥井雅庸、飛鳥井雅敦、飛鳥井雅宣、飛鳥井雅賢、飛鳥井曽衣、
山科言継、今川氏真、津野定勝、細川昭元、細川幽斎、細川忠興、大友宗麟、島津歳久、島津悪久、島津義虎、
伊集院忠棟、上井覚兼、樺山善久、八木正信

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/18(火) 18:27:34.18 ID:/GQuhK4S
さらっと悪久とか書くなw

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/18(火) 21:43:27.76 ID:SUdMXtLt
>>396
蹴鞠最強となると公家ゲーになるから困る
しょくほう(笑)とくせん(笑)

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/18(火) 23:33:51.32 ID:Spcj5zQP
>>400
一応定かではないが、飛鳥井曽衣は戸次川で信親と共に戦死したと伝わるから、
結構な武人だったのかも。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/19(水) 07:12:56.65 ID:YwX2bGwl
>>401
戦乱を避けて土佐に下向、一条の賓客だからそれはないと思う
てか戸次川では爺さんになってたろうによく信親に付いていったなあ

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/19(水) 12:18:20.64 ID:kRoMtUgJ
>>402
通訳…いや、何でもない

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/19(水) 13:23:45.82 ID:4EPaDQyY
球蹴りは今も昔も軟弱なイメージが抜けないなあ

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/19(水) 15:10:18.56 ID:A3zMbfON
でもリフティングを軟弱という奴はおるまいに

甲州征伐の論功行賞で

2010年12月31日 00:00

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 02:02:19 ID:n7pNbJxD

織田家の甲州征伐によって武田家が滅ぼされると、信長の手によって論考恩賞がな
された。
中でも徳川家康は「長年武田家の圧迫を支え続け、この度も駿河&甲斐南部を素早
く平定した事は大きな手柄である」として、駿河一国を与えられた。また、甲斐国
巨摩郡を与えられた穴山梅雪も徳川の旗下として添えられた。

しかし家康は、
「私の元には前の駿河国主・今川氏真殿が身を寄せております。彼に駿河を与えれ
ば、国人衆もなびき、駿河は安定するのではないでしょうか?」
と提案。
信長はそれを聞いて、
「お前には功があるから駿河を与えると言っているのだ。氏真に何の功がある?何
の能がある?お前がいらないと言うなら、駿河は俺に返上せよ。それが筋だろう」


氏真も徳川の客将としてちょっとばかり働いておけば、信長の扱いも違っただろう
にね。
ちなみにこの武田攻めのちょっと前までは、家康の下で城主などを務めていたよう
ですね、氏真さん。
が、武田攻めの際には何をやっていたのかまったく不明。手柄どころか消息すら良
く判らないという状態のようです。




217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 02:15:52 ID:sfNRkI8a
>>216
ええとね、氏真さんは長篠のあと信長から、対武田の調略を任されたの。
でもその調略は武田家中の旧今川家臣からすら

「こんな調略受けるわけないっていうwwww
俺らは勝頼様に忠誠を誓うっていうwwwww」

と馬鹿にされる始末。そこで信長は氏真を担当から解任。(このとき氏真にくっついてた
今川旧家臣団も遂に解散した)
新たに対武田調略を、遠江の回復に集中していた家康に任せると、家康は
武田の駿河支配のトップである穴山梅雪の一本釣りという離れ業を成功させたわけですな。

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 08:35:28 ID:RNPfTcUl
おお・・・もう・・・

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 08:51:24 ID:D85i/KHf
おお、さすが海道一の弓取りの二つ名を継ぐ物…

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 09:50:07 ID:j4Pe7d33
氏真様だって海道一の鞠取りなのに・・・

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 10:27:04 ID:sfNRkI8a
氏真の本当に凄いのは、対武田調略担当を解任されて牧野城を追い出されると、
その足で家臣連れて浜松の家康のところに行って

「しばらく世話になるよ!」

って平然と世話させたところだなw
まああっさり世話しちゃう家康も家康なんだけど。
居心地が良かったのか、京に出るまで10年くらい家康の下で居候暮らしていたらしい。

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 10:37:12 ID:kCfFoEQZ
人望無い!節操も無い!wwww

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 10:57:29 ID:L/i8jI2D
氏真は不感症

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 11:16:37 ID:BsCUdzL3
なにげに氏真と家康はウマが合ってたのかもね。
後の小説とかでおもしろおかしく描かれただけで。

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 11:28:26 ID:gMbimw+n
氏真さん、きっと人質とか興味もなかったから竹千代さんは悪い印象がなかったんじゃないかな~

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 12:16:58 ID:eaRzKf7j
かつての主君の息子で、全部を失った氏真をいまさら討っても評判落とすだけだし
無能だから策謀も出来んだろうし
人望も無いから担ぎ上げる奴もいないし…

…とりあえず無害だから世話しておいていいんでね?
もしかしたら超運良く役に立つ可能性もごくわずかに残ってるし

と家康が考えても否定できない

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 12:19:47 ID:KP/qTS7c
全く使い道がないと思ったらそりゃ放り出すよ。
ま、結局役に立てる機会は来なかったわけだがw

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 12:42:52 ID:6Z5Nby31
>>227
今川家というか品川家を高家にしてまあ権威付けにはなったんじゃないか?

氏真が見事な働きで駿河を回復&穴山梅雪をゲット
本能寺後には梅雪の手引きで甲斐や信濃に進出し、対家康・対北条の睨みとなって秀吉に厚遇される。
北条滅亡後は早川殿の縁から北条の旧領を得て六大老の一人に収まり
ついには東軍総大将となって天下への道を…みたいな架空戦記ってないかな。

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:01:01 ID:eaRzKf7j
氏真がそこまで有能だったら今川家は滅んでねーよ

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:08:06 ID:jeyKGsMa
家康の家臣の中には、氏真に恩義を感じてる人も恨みを持ってる人も両方いるからね
家臣団に加えずに、適当に養護するってのが微妙な線だったのかも知れない

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:20:39 ID:7LyAThY4
家康は今川家人質時代はけっこうよくしてもらったみたい。

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:32:18 ID:wd+btQio
氏真公胆力はともかく個人的武技は達人級だったらしいから
幼い竹千代に手ほどきしてやったと妄想する。

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 13:45:31 ID:jeyKGsMa
幼い竹千代に手ほどき…(*´Д`)ハァハァ

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/30(木) 15:09:06 ID:8747H0z5
>>232
信長における斯波家みたいなもんなのかなあ?

忍者の城攻め

2010年08月08日 00:05

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/07(土) 17:49:45 ID:vglXdCsi
忍者の城攻め

永禄三年(1560)のこと。桶狭間のあと織田信長への寝返りの姿勢のみえた刈谷城の
水野信近に対し、今川氏真は家臣岡部元信にこれを征伐することを命令、
岡部はこの作戦のため伊賀衆を呼び寄せた。

時に水野信近は、熊村という所に妾を置いていた。
そこに通うため、城の海岸に近い方は防衛のための人数が少ない、
その事を伊賀者たちは察知、彼らはその方面から城にやすやすと忍び入ると、たちまち
水野信近を討ち取った。

さらに城の中の者たちも皆殺しにし、岡部率いる二の手の軍勢を待つ。
ところが何があったのか、二の手の到着が遅れた。

この間に城の異変を知った刈谷衆は、家老の牛田玄蕃近長の元に
「ここは大丈夫か!?」とかけつけた。これに玄蕃、
「見れば解ることを大丈夫か?とは、お主達慌てふためいておるぞ!」
と一括、気を落ち着かせた上で刈谷城に攻め寄せた。

味方を待っていた伊賀衆は突然の敵の軍勢に慌てた。
玄蕃たちは伊賀衆を80余人も討ち取り、城を奪還。床に置いてあった水野近長の首も取り戻した。

この頃岡部の軍勢もようやく到着したが、刈谷城は既に取り戻され攻める手がかりもなく、
そのうち信近の兄、水野信元の軍勢も駆けつけたので、岡部たちはばらばらになって退却したという。


戦国期でも珍しい、忍者を使った城攻めの記録である。




河井正徳命名秘話

2010年06月16日 00:00

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 16:59:27 ID:ivFbuZ0T
今川家の侍に、河井正徳という男がいた。
彼は生まれながらにして足が悪く歩行に難があったが、鉄砲の名人であり、他家にも名を知られた
勇者であった。

ところでこの『正徳』と言う名、今川氏真がつけたのだそうだ。それにはこんな話が残っている。

ある合戦のさなか、河井を見た敵兵が言った
「あそこに手負いの者がいるぞ!押し囲んでその手負いを打ちとれ!」

これを聞いた河井はわざわざ敵の方に駆け戻って叫んだ

「勘違いするな!わしは絶対に手負いなどではない、生得のチンバである!!」

合戦の後この豪胆な行動は話題となり、今川氏真もそれを知った。そこで河井を呼び

「敵の方に戻って生得(せいとく)のチンバであると言ったこと、あっぱれである。
よって今後そなたは、『正徳』と名のるが良い!
生得だから正徳。もう勘違いされることも無いぞ!」

「は…、はあ…。」

ダジャレである。河井がこれを喜んだのかどうか、定かではない。
今川氏真、河井に「正徳」の名を与える、と言うお話。




399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:11:52 ID:MRXjF5UN
>>397
正徳ってイミナっぽい響きだけど、この場合は通称なんだよね?

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:19:34 ID:yRGuSfsU
諱っぽいというより戒名っぽい

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:26:17 ID:oTjVQrBW
「これからそなたはわしの一字を与え、佐久間信信と名乗るが良い」
に通じるものがあるな。

名前もらっても本人は必ずしも嬉しいわけでもないんだね。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:26:37 ID:hVO8xgBh
諱で音読みは無さそうだから「正徳斎」とか「正徳軒」とか道号・法号と思われ
(「三斎」や「惟新」と同じ)

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 18:43:56 ID:0TxIl2Z4
おい、人の息子の名を戒名にするなwww

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 23:40:10 ID:tDhj2OPp
>>401
「あんたの名の時連って、金を連ねるみたいで下品だから改名した方が良いと思うよ」

とか言われた北条時房(旧:時連)さんって・・・源頼朝につけてもらった名前なのに
[ 続きを読む ]

遠州錯乱と今川氏真

2009年09月27日 00:48

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 00:10:30 ID:DfgjsB5V
いい話スレで遠州錯乱の話題が出たので

父義元が死んだ後今川氏真は徳川家康と三河を巡って争っていたのだがちょうどその時
西三河で一向一揆が起こり、松平家は家臣が二手に分かれて争う事態になっていた。
それを聞いた氏真、それに乗じて松平家を滅ぼせ…なかった。
駿河と三河の間の国遠江で家臣の反乱が相次いだのだ。

まず井伊谷の井伊直親が松平家に通じた疑いで朝比奈泰朝に殺されたのを初めとして
見附端城の堀越氏延、二股城の松井氏、犬居城の天野氏、引馬城の飯尾連竜が
相次いで反乱を起こしたのだ。
後に遠州忩劇とも呼ばれるこの事件は永禄五年(1562)から永禄八年まで続き、
最終的に飯尾連竜が再度家康に通じたとして駿府城で誅殺されるまで続いたのである。

この乱によって今川家は西三河に侵攻するどころか東三河を家康に完全に掌握され
残った遠江の諸将からも反感を買い、国力の弱体化を内外に示すこととなったのである。

その後氏真は領国の立て直しを図るべく検地や楽市などを実施するのであるが時すでに遅し、
信玄に完全に目をつけられており武田・徳川連合軍に攻められた挙げ句遠州掛川城から
小田原へと落ち延びるのはそのわずか3年後のことである。






今川氏真、祀られる

2009年09月22日 00:04

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 19:45:41 ID:g2aF+R3G
今川氏真は、水に恵まれぬ棚草地方(菊川市)へ溜め池と用水路を築いたことから
棚草城跡の山上の今川氏宮という祠に土木・用水の神として祀られており、
毎年四月十三日に祭典が行われている。





今川氏真、大名復帰頓挫の顛末

2009年08月18日 00:02

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 09:23:24 ID:vAxVDjDC
今川氏真、大名復帰頓挫の顛末

1575年5月、今川氏真は織田、徳川とともに、今川の遺臣軍を率いて長篠の戦に参加、
その後徳川軍とともに駿河国内へと攻め込んだ。
この時

「月日へて みし跡も無し故郷に その神垣そかたばかりなる」
(ここを出て年月もたち、もう見る影もなく変わってしまった故郷だが、この神垣の形だけは昔のままだ)

と、詠む。

同年年6月、織田信長は上杉謙信への書状に「駿河は今川氏真に与える。」と、書く。
この頃は信長も、氏真の駿河復帰が規定路線だったようだ。


1576年3月、氏真、対駿河の拠点である遠江国の牧野城(現静岡県島田市菊川)を与えられる。
この時氏真、大喜びで、北条に亡命していた家臣たちを呼び戻す。

この年、これ以上のことは表面的には特に何も無し。


1577年2月、今川家の旧臣であり、遠江国内にある武田方の小山城を守る岡部元信に対し、
武田勝頼から、氏真の調略を拒絶したことへの感状が出る。
氏真、武田家内にいる旧家臣への働きかけに、ほぼ失敗した模様。

同年3月、信長、氏真を牧野城城主から解任。これにより氏真の大名復帰の可能性は、
完全に無くなる。

まあぶっちゃけた話氏真さん、やっぱり無能だったらしい。





482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 14:50:38 ID:aFl9u9Nx
氏真使えるかと思ったら全然つかえねーからそっこーで放逐されたんだなw

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 15:06:06 ID:uWQ6FKw0
あのボロボロの武田相手に調略しくじるようでは駿河なんかもらえんわw

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 15:24:07 ID:+8s/O0mz
そんな奴に肩入れした氏康って相当のアホですな


487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 17:56:25 ID:yYRxpyZP
武田配下になってたってことは、なってるうちに 武田>徳川 な心情になってるだろうし、
まして織田の配下はなあ……ってことなんじゃないかな。


488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 18:24:52 ID:UX22v2Hn
>>485
アホっていうか親バカなんだよ
長女の早川殿が逃げる時徒歩で逃げたって聞いて
「うちのかわいい娘が徒歩で長距離歩かされるとか有り得ない!
なんでそんな屈辱的で可哀想なことになったの!
マジで武田信玄許さん!絶対許さんからなあ!」
的な手紙書いてたしなあ。

まあ武田とは同盟組んでる状態なのに上州の領土を巡って何度も一触即発になってたし
武田が駿河に進出してバランス崩れたらどう考えても割を食うの北条だからなあ
駿河侵攻も二度目まではほぼ北条が武田を完封してるし
アホって訳じゃないと思う


490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 20:28:44 ID:qZDtFFQr
>>478
一応、その当時は家康配下だった気が
まぁ、家康と信長だから吉良で鷹狩りしながら決めた事だろうけど


492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 20:51:36 ID:xRhvI38n
>>478
仮に氏真が何らかの働きが出来て、駿河一国を与えられたら…と考えても
本能寺のゴタゴタで失いそうだなw

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 21:03:32 ID:tBa0s+7w
家康がじっと氏真を見つめてるよ…

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 21:08:11 ID:vAxVDjDC
まあ、氏真が牧野城主を解任された後、駿河への調略は家康に一任されて、
家康は武田の超大物で、駿河総督とも言うべき穴山梅雪を一本釣りしちゃうんだけどね。

この功で家康の駿河領有が決まったようなもの。


高家 品川家の誕生

2009年08月16日 20:54

437 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/15(土) 21:58:43 ID:foycD49l
高家 品川家の誕生

関が原の戦い後の話である。
江戸城にいた徳川家康の下に、毎日話をしに来る老人がいた。
今川氏真その人である。
「ひまなんで昔話しよーよ。」

恩人の息子なので、丁寧に対応していた家康。
しかしながら、毎日毎日応対しなくてはならないは、
子供のころの話を蒸し返され、部下にもカッコつかないは、
氏真に頭が上がらないころの、家康にしてみれば面白くない話もあるはで
いい加減うんざりしてしまった。

「なにか、毎日これないようにする方法ないかな・・・・」

翌日、氏真に品川の屋敷に引っ越すよう幕府からの命令があった。
さすがに品川から江戸城まで毎日通うことはできない。
家康の真意を悟った氏真は隠居し、長男の息子に本家の今川家を継がせ、
次男は分家させ、屋敷のある地名を取って品川家を興させた。
これが高家 品川家の由来である。



氏真が空気を読める性格だったら、品川家ではなく、千代田家や文京家ができていたかもしれない。




438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/15(土) 22:30:55 ID:Xijdt1B4
忙しいだろうにある程度はつきあってあげたんだな家康
そういうところが辛抱強いのか何なのか

439 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/15(土) 23:08:17 ID:v+PI9lm0
親の仇の信長の前で蹴鞠ったり
これまた自家の衰退に一役買った裏切り者にホイホイ会いにいったり
氏真はある意味凄いw

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/15(土) 23:15:28 ID:2kYUUGMP
崇伝みたいな悪坊主より解脱の境地に近づいていそうだな。
浮世離れとも言うが。


今川氏真の逃亡

2009年06月16日 00:03

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 17:56:49 ID:sXjvexJv
今川氏真の逃亡
武田に駿河を追われ徳川に掛川から放り出された今川氏真は、妻の兄である
北条氏政を頼っていた。
小田原で割と平和に過ごしていた氏真の耳にある日こんな噂が飛び込んだ。
「甲州から原隼人が使いに来て氏真殿に腹を切らせる相談があるそうだ。
いずれ切腹の検死のために内藤修理もいらっしゃるとか
今川殿も遂に年貢の納め時かね(笑)」
北条と仲良くしたいが氏真が邪魔な武田信玄は、小田原から氏真を追い出すために
小田原にそんな噂を流したのだ。
かくしてチキンハートな氏真はその流言を聞いて縮みあがる。
しかもそのうち本当に原隼人が小田原に来てしまった。
おまけに氏真を訪ねると「じきに内藤修理もいらっしゃいます」などと言う。
信玄の目論見通り、
氏真は速やかに妻を連れて船で逃亡した。

うまいこと小田原から船で逃げ出した氏真だったが運の悪いことにそれが難破して
遠州浜松に漂着してしまった。
困ったので三河の家康に
「伊勢に行こうとしたら風が悪くて船ではゆけません。馬と人足とその他色々プリーズ」
と手紙を出した。
手紙を見た家康は馬を送り、更に逗留を勧めてご馳走などし丁重にもてなしたので、
氏真はそのまま居ついた。
家康は一応信長に氏真が来ていることを知らせた。信長からは
「今川は敵だ。だが今の氏真は流浪のものだ。ぶっちゃけどうでもいい。
氏真が降参するならそれでよし、駿河に帰してやることも考えてやるか。好きに面倒見てもいいぞ」
と返事が来た。
そこで家康は、とりあえず氏真が「あ、京都行こう」と言い出すまで面倒を見た。

風流の風に誘われ氏真は京都と妻を連れ旅立った。
京都では信長に蹴鞠を見せたり茶会に出たり歌会に出たりしていた。
そして余計なこと(駿河返してよとか)言って信長の逆鱗に触れたりもした。
氏真は妻を連れて速やかに姿をくらました。

信長が本能寺で明智光秀に討たれた知らせを氏真も聞いた。
この時の氏真は信長からいつ死を命じられるかと戦々恐々としていたので、
信長が死んだと聞いて
「騙されて腹は切らぬぞ!いよいよ腹を切れというなら尋常に切るぞ!」
と怒鳴った。
そして妻を連れて姿をくらました。

以降は浜松や京都を行ったり来たりしていた氏真だが、
晩年は妻の早川殿と共に江戸の品川今川屋敷で暮らし、
妻を看取った後七十余年の天寿を全うした。
往生際の悪い氏真の話。





297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 18:00:55 ID:v69C9F1M
>>296
信雄といい風流であきらめの早い奴は長生きできるな
運命に従順というか

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 18:07:41 ID:dHSkLOCR
さんざん二人で観光して死んだんだろうか。
ハネムーンの先駆けが坂本竜馬なら、フルムーンの先駆けは氏真だな。

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 18:42:15 ID:LdrGeJbT
>>296
そして駿河遠江三河をファンタジスタの住まう地にしたんですね!蹴鞠王国静岡マンセー

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 18:44:18 ID:N0Ffl34w
随分とゆったり過ごしてるじゃないかw

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 19:05:56 ID:knlGif0F
なんと言うか可愛いげがあったんだろーな。


302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 20:28:36 ID:cplSsHn9
生まれてくるのが400年遅ければ世界を征し得た逸材なのにな
生まれる時代を間違ったな

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 20:44:02 ID:c+n1ZgJd
実家を後にしてまで夫についていった早川殿もいい嫁さんだよな。
三国同盟で結婚した中で唯一幸福そうな夫婦だし。

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/16(火) 00:29:42 ID:FP6qw5eI
>>296
北条家出のお嫁さんは基本良妻が多いな。
お嫁さんマニュアルを嫁ぐ前に渡されるからだろうか。

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/16(火) 01:37:41 ID:UU1gkVkc
>>320
それって「幻庵おほへ書き」のことだろ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-213.html

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/16(火) 10:09:29 ID:eLTYyzHc
>>320
さすが伊勢流の一族だね。
これはむしろ、ほっこりいい話かも。

乱世の儚さを示す悪い話でもあるけど




夫婦話リンク
武田勝頼の妻、北条夫人の願文
北条氏政とその妻黄梅院・いい話
夫婦、島津家久と亀寿・悪い話
徳川家康養女、「満天姫」・悲しい話

今川氏真と徳川家康、和歌に付いて・いい話

2009年06月03日 00:01

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 21:39:19 ID:NpT3qFmn
和歌が出たので氏真の話でも。



ある時、徳川家康と今川氏真が和歌について論じ合っていた。


氏真公曰わく、

「和歌というものは奥深いものです。しかし言葉選びが難しく、なかなかいい物はできません」

と、和歌の難しさを語る。
さて、それに応えて家康公曰わく、

「いや、技法に拘るよりものびのびと思うままに詠むのが良いのではないかな」

と言ったそうな。



一口に歌と言っても、それぞれ見方が違うというお話。


(見方によっては『悪い話』だけど、私は嘗て戦った二人がのんびりと話してる図を想像したので、
一応こちらにw)




173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 21:52:12 ID:1C4a6Y8L
氏真と家康は別に仲が悪いわけでもなかったみたいなんで悪い話でもないような。


174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 22:12:50 ID:NpT3qFmn
>>173
個人的には二人が仲良く話してていいな、とも思ったんですけども、
見方によっては悪くなるのかな、と思いましたんでw

時期と位置が合うか怪しい話ですが、『あまりに頻繁に氏真が会いに来るから、家康は辟易した』
という話もありますし。
ただ、こちらは『なんだかんだで会ってる』みたいな書き方なんで、それはそれで
微笑ましいんですけどね。

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 23:41:36 ID:GUiGxxFV
氏真は信長の前で蹴鞠を披露したりも出来るからな
もはや武門の意地とかを超越して悟りの境地にいると思うね

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 23:47:14 ID:lgi5mKTB
ときどき氏真という人間が何を考えていたのかよく分からなくなる。

心境を綴った日記でも残しといてくれれば良かったのに。

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 23:53:19 ID:QKjZcQc9
氏真は父を討った信長よりも、同盟を裏切った武田に一番の恨みを持っていたみたいね。
武田が滅びるとそれまで組織してた今川旧家臣団を解散して、家康なんかに後を託して
京に隠棲してる。その時点で武士としての自分の人生は、一区切りつけたんだろうね。

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 23:56:04 ID:eSRASkSq
歌と蹴鞠の事を考えてたんだろ
六角みたいに積極的に行動してないし

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/02(火) 23:59:30 ID:lgi5mKTB
>>177
長篠で内藤さんを討ったのが今川衆から戦闘に参加した朝比奈泰勝なんだってね。

ある意味では一矢報いたのかもしれない。

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 00:18:52 ID:84gYW3LI
氏真は織田や徳川にはあまり遺恨感じてなかったみたいだしなあ
織田信長が後小町天皇に遊びにおいでよ、プリン(当時は婦凛という当て字)出すからさとやられたとき
喰い方が分からないんだけどと悩んでいたら、俺が教えやるよとやったらしいし(後今川記)

ある意味人なつっこい奴なのかもしれない

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 00:29:28 ID:GfdJJfXc
>>157
総合歌力演習で自衛官が富士の裾野で歌を詠みあう姿を想像してしまった。

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 00:34:59 ID:84gYW3LI
今川氏真で面白そうな話ひっかかったから181書いたが、よく調べたら嘘話のようなので、スルーで

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 00:40:43 ID:CWXHfcge
家康自身は今川流の教育を受けて歌会も事前勉強無しに出席する程だったけど、
詠む歌は下手だったらしい。

でも自分に芸術的才能が無くても割とへっちゃらなのがマゾ体質・・・もとい、
身の程を知る男、家康。

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 00:48:21 ID:q3YkIQph
確かに氏真は日記の類は残してないが
「なかなかに世にも人をも恨むまじ 時にあはぬをを身の咎にして」とか
「悔しともうら山し共思はねど 我世にかはる世の姿かな」
とか歌には結構感情こもってないかな
諦めとか悔しさとか羨望とか達観とか
なんか色々感じる歌だと思う

某氏真小説だと晩年家康にやたら会いにくる氏真にイライラしてるのは本多正純だったな
まあ小説の話なんだけど想像するとちょっと笑えるw


189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 01:09:10 ID:tBD3+h5o
ガチバトルしてたライバルより
裏切った元味方のほうが憎い
ってのはわかる気がするなあ。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 05:25:38 ID:svbWbhsw
家康も裏切った元親族

191 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/06/03(水) 06:38:08 ID:SaG6srkl
もとちかぞく。

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 07:49:44 ID:l/s6CEW5
悪い話スレの「和歌などは公家のやること」発言は
氏真が和歌の話ばかりしてうざかったからキレちゃったのだろうか。

196 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/03(水) 10:18:40 ID:ryv+r5OQ
>>192
誰だって虫の居所が悪いことはあるわな
それが史料に残っちゃうような人は大変だ

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 10:46:35 ID:o2zoQE2o
>>186
天汝ですね?w>某小説あれは面白いw


でも、鬱陶しいと思いつつも結局会ってしまう家康がかわいいw

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 12:12:45 ID:naZl3JzA
>>174家康は元祖「海道一の弓取り」今川義元公を尊敬してたっていうからね。
大名としては氏真は頼りないが、逆にいえばギリギリ生きるか殺すかって決着を待たずに済んだ。

旧今川系の家臣も大勢抱えているし、粗末にはできなかったんだろね。
……氏真がチンタラ遊びに来たのを追い返しもならず、お茶したり歌を詠んだりw

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 13:41:27 ID:t/ynzK92
旧今川に旧武田
小田原征伐後は旧北条の家臣も抱えてるね>家康
うち、さいたまの見沼区だが
近所の寺に初鹿野伝右衛門の墓があるのを知ってちょっとびっくり
この辺りに所領を貰ってたのか

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 19:34:39 ID:kFZH30at
氏真は、徳川配下で城主になったり、晩年は家康の外交官として、京都の公家と交流してたらしいね。
乞食ではなく、家康の保護があったみたい。

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/03(水) 15:02:40 ID:evrM4c0M
>>199
船橋には成瀬正成と之成の墓所宝成寺があるなあ
前をけっこう通るけど入ったことはない

正成はあるらしい、だったかな?


忠臣は一度くらいなら・いい話

2009年03月23日 00:16

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/22(日) 21:51:18 ID:QR2X7MQX
1568年末、今川氏真が武田信玄に駿河を追われ、遠江に逃れた時のことである。
追撃する武田軍から氏真やその近習、女房衆を庇い奮戦する老武者の姿があった。
老武者は追いすがる武田軍に対し単独突撃を繰り返し、最後には壮絶な切腹を遂げたという。
その武者の名は、朝比奈泰能(没年1557年)という。

忠臣は一度くらいなら蘇るのだ。




100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/22(日) 22:50:44 ID:D/uJZUiX
>>99
スタンドバイ氏真、てゆーか、鬼?<幽霊的な意味で

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 00:44:13 ID:G5XJXZ6e
>>99
泰能は桶狭間の時にも蘇ってるから、それは二回目だな

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 01:04:21 ID:ChdIJYXP
ラピュタかあんたはw>朝比奈

110 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/23(月) 04:07:00 ID:D3O/83NB
そんなバケモノだから平成時代に彼の子孫が隠密奉行に抜擢されたんだろうなぁw

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 07:25:19 ID:VhG8xVKa
旧陸軍の某軍曹の前世か

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 09:07:44 ID:4B9quDCJ
>108 >110
「隠密奉行朝比奈は滅びぬ。何度でも蘇るサ!」
>111船坂アンデルセン扱いですか。