古観世大夫の堪能

2016年08月29日 17:08

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/28(日) 17:32:04.64 ID:1ZZownvI
観世大夫の堪能

ある宴の中である人が話した。

猷廟(家光)の御時の事である。
観世大夫は猿楽に堪能であった。
そこで、猷廟は柳生但馬守(宗矩)に仰せられた。

「観世の所作を見よ。もし彼が心に隙間があり、”斬るならここだ”と思ったら申せ」

但州はかしこまって所作を見届けた。上意で

「いかがであったか」

と問われると、但州が答えた。

「始めから心をこめていましたが少しも斬るべき瞬間はありませんでした。
しかし舞の中で、大臣が柱の方で方向を変えましたとき少し隙間がありました。
あの所でなら斬り遂げることができましょう。」


 観世が楽屋に入って

「今日見物の中に一人、我が所作をじっと見ていた男がいた。何者か」

と言う。傍らから、

「あれこそ名高い柳生殿よ、剣術の達人である。」

と言うのを聞いて観世は

「だから我が所作を目を離さずじっと観ておられたのか。
舞の中で方向を変えた所で少し気を抜いていると、にっこりと笑われので、
理解できないことだと思っていたが、やはり剣術の達人であられたか。」

と言った。

後に猷廟がこれを聞かれて、御感悦されたという。

(甲子夜話)

そういえば、宗矩は能が好きだという話でしたね



129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/28(日) 17:33:46.64 ID:d+dwh2jF
>>128
こういう逸話好きだ

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/28(日) 18:13:49.13 ID:5iFImsmR
似たような話が江戸時代にもあるな
渋川流柔術二代目の渋川胤親が初代市川團十郎の歌舞伎を見て
「團十郎の立ち回りの動きは素晴らしい、あの動きなら私でも組み伏せることはできないだろう」
と言ったため、市川團十郎の評判がますます高まった。
しかし元禄17年2月19日、市川團十郎は舞台の上で役者の生島半六により刺殺。
「市川團十郎の動きには隙がないのではなかったのか?」
と尋ねられた渋川胤親は
「役者が隙のない動きを見せると言ってもそれは立ち回りの際の一瞬のことにすぎない
われわれ武道家はそれを絶えず行わなければならないからわれわれの価値があるのだ」
と言ったとかなんとか




140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/01(木) 14:56:02.26 ID:CL0LzVRD
>>128
柳生一族の能好きは宗矩に限ったことではない
柳生一門で武術修業した兄弟弟子に能のプロ金春流宗家金春七郎氏勝がいる
おそらくはこの七郎が、柳生一門の宗矩と同世代の中では、エースだった
柳生兵庫助は、自分の門下で目を惹く才能を感じた逸材に対して「七郎の再来」と期待を寄せたほど

宗矩にとってはかつて身近に能のプロがいて(過去形なのは、七郎は早逝したため)、
なおかつそれが武術の達人であったため、
能の武術的な動きに対する評価は非常に辛いものだと考えられる
そんな宗矩から合格点を出されたと解釈できる
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柳生家門番の事

2016年06月15日 13:16

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/15(水) 00:08:01.21 ID:bTZypxN7
柳生家門番の事

あるとき但馬守(柳生宗矩)の方へ沢庵がきた時に、門番所に一首の偈が張ってあった。

『蒼海魚竜住、山林禽獣家、六十六国、無所入小身』

「おもしろい文句であるが、末の句に病がある。」
と沢庵は口ずさむと、門番が
「いささかも病はない。これはそれがしの句である。」
と答えた。
沢庵は驚いていかなる者か次々と尋ねると、朝鮮の人で本国を奔命して日本に渡り、
但馬守方門番をしているとのことであった。

但馬守は聞いて、
「どうして入る所が無い事があろうか」
と二百石与えて、侍に取り立てたという。
今でも柳生家に子孫がいるとか。
(耳袋)

一体どの家なんでしょうか



柳生但馬守の心得

2015年01月01日 17:18

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/01(木) 10:10:35.76 ID:5l+6ijwo
島原の乱、原城落城の時牧野伝蔵は一番に進み、二の丸と本丸の境で、右の方の城戸より本丸に入ろうとした。
しかし敵方から大石が激しく投げられたため、少し退いて堤の影に立って様子を見ていた。
ここで立花勢が堤の上に上がり敵方に激しく鉄砲を撃ちかけたため、敵が少し動揺した所を、伝蔵は十文字槍を取り直し
本丸の下まで突入した。ところがそこに、傍らの洞穴から敵兵が出てきて、鉄砲を向けて『近寄れば打たん』と構えた。

牧野伝蔵はかねてから柳生但馬守(宗矩)に聞き置いた心得があった。彼は鉄砲の筒口に、槍の穂先を向けて進んだ。
敵兵は伝蔵が近づくのを見て鉄砲を撃ちはなった。しかし銃弾は槍に当たり、伝蔵を逸れ肘をかすって外れ飛んでいった。
そしてそのまま敵を一槍に突き伏せた。
(明良洪範)




柳生宗矩の事

2014年10月12日 18:51

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/11(土) 19:30:35.77 ID:F+D6IqKH
柳生但馬守宗矩の柳生氏は、代々大和国柳生の庄を領する一族であり、徳川家に仕えたのは
関ヶ原の一乱の後であった。
徳川家光は若年よりこの柳生宗矩を師範とし、すこぶる尊敬し信頼していた。

宗矩は家光の師であり、また剣術の名人であるから家光も尊信しているのだと、人々はみな思っていたが、
実はそうではない。宗矩は常に家光の御前に在って治国平天下の道を年来教諭していた。それ故に
家光は彼を尊信していたのである。

柳生宗矩が老年に及び重病となった時、忝なくも将軍家光は自ら宗矩の屋敷に赴き枕元に座って
病の様子を尋ね、その後

「汝の教導のおかげで、私は平天下の道を知ることが出来た。」

そう語って聞かせた。

正保3年3月の終わりに、宗矩は死去した。この時家光は、従四位下に贈位を仰せ付けたそうである。
その後、事に触れては

「宗矩が存生していれば、この事を尋ねたいのだが。」

などと語り、宗矩の事を思い出していたという。

(明良洪範)




34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/13(月) 11:55:10.33 ID:MiYzqIo8
>>28
逸話に突っ込むのもなんだけど
宗矩が徳川に仕えたの関ヶ原の4年前だよ
関ヶ原の戦功で二千石もらってるし

柳生但馬守に聞いておいた心得

2014年09月10日 19:00

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/09(火) 17:40:38.76 ID:Uhlc6+Ql
島原落城の時、牧野伝蔵(成純)は一番に進み、二の丸と本丸との境の、
右の方の木戸から、本丸へ入ろうとした。しかし、敵方が大石を激しく
投げたので、少し退いて堤の陰に立ち、様子を見ていた。

そこへ、立花勢がその堤の上に上り、敵方へ激しく鉄砲を放った。
そのため、敵兵は少し猶予したので、

伝蔵は十文字槍を取り直して本丸の下まで突入した。その時、傍らの
洞穴から敵兵が出て鉄砲を差し向け、伝蔵が近寄れば撃とうと構えた。

伝蔵には前もって柳生但馬守(宗矩)に聞いておいた心得があったので、
彼は敵兵の鉄砲の筒口に、槍の穂先を向けて進んだ。敵兵は伝蔵が近付く
のを見て、鉄砲を撃ち放った。

その弾丸は槍に当たり、それて伝蔵の肘をかすり、外側へ飛んで行った。
そして、伝蔵はそのままその敵を一槍で突き伏せたということである。

――『明良洪範』




759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/10(水) 06:39:47.84 ID:c+C10CCG
漫画みたいな心得だ

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/10(水) 07:25:06.47 ID:xVOMU0vb
心得
「特に支障なし」
「腹据えて進むのみ

倅推参なり

2014年03月26日 19:19

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/26(水) 18:39:11.46 ID:8AIZ5yGq
徳川家光が品川御殿へ御成りになり、柳生但馬守(宗矩)が御供して剣術を上覧した。
御側の面々は何れの人も試合を行い、家光はとても上機嫌だった。

その時、家光は御馬方の諏訪部文九郎を呼んで御側の人々と試合するように命じた。
すると文九郎は「馬上での試合ならば負けない」と独り言を言ったので、家光は
これを聞いて「ならば彼の望み通り馬上の試合がしかるべし」と言った。

それから馬上の試合が始まり互いに馬に乗って術を尽くした。
文九郎は流石馬の達人の程はあって、一太刀も打たれないのみならず、
すれ違う時に名乗り掛けて相手を打った。

家光は感心して「文九郎は馬上達者だから側の者には一人も勝者がいない。
この上は但馬守が出て試合せよ」と言った。但馬守は「畏まり候」と馬上で立ち合い、

二人は両方から乗り出した。二人の距離が三間程になった時、但馬守は馬を止めて
文九郎が乗って来る馬の面に一打を打った。これに馬が驚いて背いたところを但馬守は
馬を寄せて文九郎をはたと打った。家光はこれを見て「誠に名人の所作。
時に臨んでの働き実に妙である」と、はなはだ感心した。

但馬守は馬術では文九郎に及ばないことを察しての業であった。
臨機応変とはこの類のことである。

この時、但馬守の子飛騨守(宗冬)も御供して父と試合したが一度も勝てなかった。飛騨守は、
「寸の延びた太刀ならば勝てる」と言ったので、家光は「ならば大太刀で試合せよ」と命じた。

飛騨守は寸延びの大太刀を持って父子が立ち合ったところ、但馬守が、
「倅推参なり(倅よ、出過ぎた振る舞いだぞ)」と言いながら、ただ一打を打って静まり、
飛騨守はしばらく気絶していた。

結局は寸の延びた太刀ならば勝てるなどということは、柳生家に生まれた者の本意ではない
ということで強く打ったのだということだ。剣術の試合はたとえ御慰みであるとしても、
たとえ試合をする者は父子兄弟であるとしても、覚悟するべきことである。

――『明良洪範』





はかりごとは兵法の根本である

2013年10月31日 19:20

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/30(水) 20:20:33.35 ID:j8lfx3zP
はかりごとは兵法の根本である。
このはかりごとは、相手がはかりごとだと思っていても、仕掛けていくと相手が乗ってくるものが本物である。
仕掛けておいて、こちらの術中にはまったところで勝つことだ。
はかりごとに相手が乗らなければ、次の手の仕掛け方が考えられてくる。
だから、こちらのはかりごとに敵が乗らないこともまた
こちらのはかりごとに乗ったということにもなるのである。

(柳生宗矩 兵法家伝書)   




452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/30(水) 20:22:37.27 ID:wfXyVMsk
四路五動を逆から見るとそうなるのか、なるほど

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 00:15:34.89 ID:GxSX+h7O
>>451
元就の調略じゃー!ってやつか

何を思って声を掛けたのか

2013年09月09日 19:53

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/09(月) 10:54:05.28 ID:j9AOOZfr
昔日、東武御能に諸侯が威儀を調えて着座し静まり返っていた所へ
その頃の観世太夫が幕から出てきたのを、列席のなかからイヤと声
を掛けた人があった。

おごそかな席で軽率な事をしでかしたのは誰であろうか、御不興を
蒙るのではないかと、各自が唾を飲み互いに顔を見合わせたが誰が
言ったのかは判らなかった。

案の定、御能が終わってから「先ほど列席のなかから声を聴いたが
誰であるか、何を思って声を掛けたのか」とのお尋ねであった。

その時、柳生但馬守が進み出て「先刻、観世太夫が切幕から出てきた
のを見た所、その気満ち満ちて一身の固めが隙もなく、中々容易には
立ち向かい難く見えましたので、御前を忘れ思わず声を掛けてしまい
ました」と申し上げると

「流石は但馬守、相応の褒めようだ」と言い、何の咎めも無かったと
言う。

(翁草)





無刀とは、其ノ二

2013年05月18日 19:55

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/18(土) 02:27:27.59 ID:cLZecNzm
無刀とは、よく間積もりを心得るためのものなり。
敵と我が身との間がどれ程あれば、敵の太刀が当たらぬか、を知ることなり。
当たらぬ間積もりをよく知れば、敵の打つ太刀は畏れるものではない。
我が身に当たる時は当たる分別の働きがあるものなり。

無刀とは、敵の太刀が我が身に当たらぬ距離では取る事が叶わぬものなり。
敵の太刀が我が身に当たる所において取るべきものなり。
斬られて取るべし。

無刀とは、当流における専一の秘事とすることなり。
身構え、太刀構え、場の位、遠近、動き、働き、つけ、かけ、表裏(かけひき)
これ等はことごとく無刀の間積もりからでるものなり。
ゆえにこれ、簡要の眼なり。

柳生宗矩【兵法家伝書】





無刀取りとは、

2013年05月17日 19:52

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 13:54:00.33 ID:kROGa/BJ
柳生流と言えば無刀取り。
近頃は町人たちもその様に言う。
しかし無刀と言っても必ずしも、
相手の刀を素手にて奪う技ということではない。
こちらが刀を使えない時にでも、
他人に斬られないということこそが本意である。
相手は刀を持ち、こちらは素手だから、
相手の刀を奪ってやろうとするということではない。
相手が、素手の者に刀を奪われないぞとするところを、
そのままにし、刀をあえて奪わないのも無刀の技である。
刀をけして奪われはしないぞ!と意識する者は、
刀を奪われないことに意識が集中するゆえに、
人を斬ることに意識がいかなくなる、そういうものである。
柳生流は斬られないことをこそ勝ちと定義する。
素手で刀を取るなどは芸人の道理だ。
無刀取りとは、ただ自分が刀を使えないときに、
他人に斬られないようにする工夫のことである

【兵法家伝書】




306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 14:54:10.96 ID:MD13DrHo
「あら?そうなの?じゃあちょっとあーた本物の無刀取り見せてくださる?」

古の言葉にこうある。

2013年05月06日 19:51

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 12:11:19.22 ID:rbk7QNbd
古の言葉にこうある。
兵は好ましくないことである、と。
間違いない。天もこれを憎む。
しかし、やむにやまれぬときこれを用いる。
これもまた天の道である。
これはどういうことかと言うならば、
弓矢、太刀、長刀、これを兵と言い、
これらは不吉で好ましくないと言うことだ。
それはなぜかと言えば、
天の道は万物を活かす道であるから、
殺すということは実に好ましくないことである。
だからこれは天の道に違うことであり憎むという。
然れども、やむにやまれず兵を用いて人を殺すことを、
これもまた天の道という。
その心は、と問われ答えるならば、
春には花が咲き、緑が溢れるものだが、
秋には霜が来て、葉は落ち、木はしぼむ。
これ、天の成敗なり。
天には完成(極点に至った)したものを、打つという道理がある。
人も運命のなかで仕方なく悪をなしてしまうこともある。
しかしその悪も極点にまで至れば、これを討つ。
ここをもって、兵法も天の道であるとわかる。
一人の悪によって万人が苦しむことがある。
して、一人の悪を殺して万人を活かす。
是のように、人を殺す刀は、人を活かす刀であるべきだろう

柳生宗矩 兵法家伝書序文より】




215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 22:05:08.64 ID:xw7xX6oa
>>201
「兵法家伝書」の柳生宗矩の言葉だとこれと
「目的が正しければ謀(はかりごと)も真となる」みたいなのが好き
他の剣豪の言葉と(良くも悪くも)一線を画してる感じだけど

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 22:07:42.56 ID:T9McTrWu
影武者徳川家康じゃないが、
柳生が幕府の隠密あつかいされる理由がわかった気がする

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/08(水) 11:44:46.31 ID:R4tdSUWV
宗りんは権の人じゃろ?

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/08(水) 12:33:58.42 ID:d39vHQ9f
>>217
柳生宗矩は創作だと「権」を強調されて「剣」はいまいち扱いされがちだけど
当時の評価は剣豪としてもぶっちぎりに高いよ

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/08(水) 12:46:39.42 ID:Wm0auKVY
独眼竜政宗で白刃取りした時は子供ながらにえっ?ってなったが

柳生宗矩と二匹の猿

2012年09月28日 20:59

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 17:33:15.77 ID:uLQrDdHx

柳生宗矩は常に猿を二匹飼っていて、打太刀の相手にしていた。
そのために猿は後には鍛練して未熟な弟子なら打ち負かすほどになった。

ある時、槍については自負のあった浪人が縁を求めて宗矩の門人になることを
請い、かつ手合わせを望んだ。

「易きことなり。しかし、まずはこの猿と立ち合ってみたまえ」
「なんと! 畜生の相手になれとは馬鹿にするにも程がある!」
「さぞ不思議に思っているだろうが、ともかくまずは立ち合いたまえ」

しかたなく浪人が立ち合うことにすると、竹具足と小さな面を身につけ、ふくろ竹を
持った猿が出て来た。そしていざ立ち合いが始まると、猿はつかつかと槍の柄を
潜って何の造作もなく浪人を撃った。

思いもよらないことに浪人はもう一度立ち合いを望んだ。宗矩はもう一匹の猿を
出したが、やはり浪人は撃たれて大いに面目を失うことになった。

宿に戻った浪人は四、五十日かけて工夫を懲らした。これならそう簡単には負けない
だろうと思った浪人は、再び猿に挑戦することを望んだ。

「その方は工夫を懲らして殊の外上達したと見える。今度は猿では相手にならなそうだ。
しかし、此度もまずは立ち合ってみたまえ」

再び浪人は猿と向かい合ったが、今度は槍も合わせないうちに猿は大いに鳴き叫び、
逃げ出した。それから浪人は宗矩の門人となり、ついには兵法の奥儀を究めたという。

――『名将言行録』




663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 18:04:33.26 ID:x4aSHy+j
後の猿叫である

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 23:16:15.21 ID:CKrEPPmd
「我、未だ木猿足りえず」

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 00:42:44.39 ID:ifWKWYyU
猿飼ってる大名多いな

足利義政
武田信虎
大友宗麟
豊臣秀吉
上杉謙信
加藤嘉明

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 00:47:42.14 ID:Ov745w5n
>>667
織田信長もw

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 00:50:05.78 ID:wE6cCju4
空前の猿ブーム
若者の猿離れ

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 01:10:13.58 ID:M4Xg57cz
>>662
ワンピに似たような話あったな

678 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/29(土) 18:13:17.67 ID:vhwZTDQl
>>662
剣豪が「四、五十日かけて工夫を懲らした」を上達したって言うのはなんか違う気がするわw
元々ちゃんと強かったからだろうけど

679 名前:人間七七四年[sage ] 投稿日:2012/09/29(土) 21:41:42.14 ID:NqHgBvMU
>>678
スポーツで伸び悩んだ時にささいな経験が原因で発想の転換できて急に壁を越えれる事もよくあるよ

680 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/29(土) 22:36:30.51 ID:vhwZTDQl
>>679
ああそういう風なことか
強くなったわけでは全然ないけど上手くなりましたみたいな
特殊な試験の傾向と対策的な印象受けちゃって

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 13:25:27.68 ID:3SCM63BP
>>680
それが"強くなった"ということなのよ。
フィジカル面の向上だけを"強くなる"とは言わない

柳生宗矩「兵法の極意」

2010年09月14日 00:01

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/13(月) 20:47:52 ID:kWNHI+30
戦国の遺風が色濃く残る開幕直後、将軍家指南役たる柳生宗矩のもとに剣術の訓練をしたことがないと称する
一人の入門志願者が現れた
しかし、その男の一挙手一投足を見ると、尋常の使い手ではないことが伺える。怪しんで追及すると
「武士は死を恐れてはならぬと父から強く教えされ、数年それを心がけ、今では死を恐れなくなりました」 と
宗矩は「それこそ兵法の極意にござる」として、即座に免許皆伝を許した




43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/13(月) 21:16:02 ID:rkiERr1p
>>42
>「武士は死を恐れてはならぬと父から強く教えされ、数年それを心がけ、今では死を恐れなくなりました」
もしこれが立花宗茂だとしたら・・・

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/13(月) 22:10:46 ID:W1nF5BK0
>>42
武田信繁が書いた九十九箇条のなかで戦場では、
「命を惜しむ者がかえって死ぬ羽目に至り、死をいとわぬ者がかえって生をまっとうするものだ」
という呉子の兵法を紹介してるね。
葉隠の「死ぬこととみつけたり」もそうだけど、武士の言葉は表裏どちらでも意味の通じるものが多いと思う

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/13(月) 22:54:02 ID:T4JGGBs9
>46
現代の歩兵の戦術を書いた本を読んだことあるんだが、その中で
「待ち伏せを喰らった場合は、撃ってくる奴の方へ即座に突撃せよ」
ってのがあったのを覚えてる。

何を馬鹿な、と思ってよく読むと
「逃げても弾より早く走れるわけじゃなし、何か仕掛けがしてあるかもしれん方に行くよりは、
撃ってる奴らの後ろに回り込んで、そいつらを始末した方が生き残る率は高くなる」
って言う理論なのな。(もちろん状況によって何パターンか対処法は違うんだけどね)

意味合いは違うかもしれんけど現代にも通じるものがあるんやね>死を恐れない奴の方が生き残る

柳生宗矩の死に様

2010年01月13日 00:04

648 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/12(火) 18:39:42 ID:PV+DdEUK
「柳生宗矩の死に様」

柳生宗矩の病死については奇怪な噂があったという。
ある日、走りまわる鼠を見つけた宗矩が竹刀で叩いた。
が、鼠はこの一撃をひらりとかわし、逆に竹刀に飛び移ってそのまま駆け上ってきた。
一気に間合いを詰めると、宗矩の指を噛んで逃げ去ったという。
雑菌が入ったせいだろうか。宗矩が痛みに苦しみ、ついには寝込んでしまった。
周囲の人々が治療しようとすると、宗矩が拒絶する。

宗矩「俺は剣の道に生涯を捧げ、その道を極めた。
   それなのに鼠を相手にこの様だ。天命だよ。
   だからいかなる治療をしても完治することはないだろうよ」

そのまま亡くなったのだという。
まあ、ただの噂話ではあるんだが、こういう逸話が作られてしまうってことは、
やっぱり同時代人からは好意的に見られてなかったのかなぁ……




649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 19:07:02 ID:zfewnccg
その鼠の正体、果心居士ちゃうか?

650 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2010/01/12(火) 20:45:15 ID:vq9OhzF0
賛同。

平蜘蛛異聞・柳生宗矩&沢庵のばつが悪い話

2009年10月11日 00:18

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/10(土) 13:06:51 ID:kLuovsI4
雰囲気かえるためには話を投稿すべし。

平蜘蛛異聞・柳生宗矩&沢庵のばつが悪い話

松永弾正久秀といえば、平蜘蛛を抱えて爆死。ボンバーマンとして有名である。
しかし柳生家に残る記録によれば…
この松永一族に柳生石舟斎、弟・松吟庵、嫡子・厳勝らが仕えていた。
さて爆死寸前、久秀は松吟庵を呼び出しこう告げた。
「なんかわし、もうあかんわ。せやかてこの平蜘蛛が信長の手に渡るのは
しゃくにさわるんや! おまえ密かにこれ、預かってくれへん?
爆弾つめるのはフェイクにしとくわ」
かくして松吟庵は平蜘蛛をあずかり秘蔵した。石舟斎は貧乏にあえいでいたころ、
「もうわし、だめかもしれんね。いざとなったら茶道具売って葬式だして」
と言っている。この茶道具とはつまり…?

さてその後、柳生一族からは宗矩が輩出され、見事徳川将軍家につかえ大名になった。
あるとき、家光は狩りを楽しみ帰りに品川にある東海寺に立ち寄り、茶を所望した。
住職である沢庵が茶をいれつつ、家光の傍らの宗矩を見てこう言った。
「そういえば柳生家には平蜘蛛という名器があるとか(ニヤニヤ)」
宗矩は突然こうふられて言いよどみ、( ゚д゚)こんなかんじになった。
すると沢庵、「あると思えばあるし、ないと思えばないわな。本心が一箇所に固まるのを
禅では妄心(もうじん)と申しますな。ふぉつふぉっ…」




415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/10(土) 14:24:57 ID:oJLpezVI
沢庵の話はなんかあんまり適当なごまかしかたとも思えないが・・・

柳生宗矩と村娘

2009年08月02日 00:38

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 00:15:32 ID:4xgutBK+
ある時、柳生庄から遠乗りに出かけた柳生宗矩が道端の井戸で洗濯をしている村娘を見かけた。
娘の美しさに目をとめた宗矩、馬上から声をかけて一言。
「そのタライの中に波は何本立っておるか?」
宗矩の謎かけのような問いに娘は笑って返した。
「お殿様の足下にはひづめの跡が続いていますが、それがいくつあるかご存知ですか?」
娘の機知に感心した宗矩は彼女を側室に迎え入れ、一子六丸をもうけた。
この時の井戸は「おふじの井戸」として現在まで残っている。

ところで六丸が生まれたのは1635年、宗矩64歳のことだ。
老いらくの恋もあったものだが、この時期宗矩は大目付の在職中で
江戸で多忙な日々を送っていたはずである。
元々直参旗本であった宗矩に領地へ赴く機会はほとんどないのだ。

僧侶となった六丸は列堂義仙を名乗り柳生の菩提寺、芳徳寺の住持に定められたが
(吉原と抗争したり公儀介錯人の地位を争ったりは別の話)
宗矩・十兵衛亡きあと家督を継いだ兄の宗冬は
「義仙の奴寺ほっぽって出奔するとかマジキチだから追放な。
 文句言ったら皆で相談して押し込めにしちまえ。斬ってもいいぞ」(大意)
……とえらく物騒な遺言を残している。
果たして義仙は本当に宗矩の子だったのだろうか?
本当のところは誰にもわからない。




972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 07:08:19 ID:+uxM4vY9
>>963
人の問い掛けに問い掛けで返すなんて…俺なら斬り捨ててるわ

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 11:20:26 ID:9v9Tooxa
>>963
「お前は今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」


柳生宗矩と指南を頼んできたある旗本・いい話

2009年05月07日 00:23

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 01:29:28 ID:ePCQLW6L
柳生宗矩が将軍家光の剣術指南役だった頃、ある旗本が指南を
頼んできた。すると宗矩は旗本に

「どうやら、あなたは剣道の師のようだが、いったい何流を
学ばれたのか」

と尋ねてきた。しかし、旗本は特に剣術を教わったことがない。
旗本はそのことを正直に伝えた。

「恥ずかしい話ですが、今まで剣術を教わったことがないのです」
「からかわないでもらいたい、私は将軍御指南役ですぞ。あなたが
ただ者ではないことぐらいわかっています」
「そのように仰られても、本当に教わったことがないのです」

宗矩は困った。旗本に剣術の心得がないのは本当らしい。しかし、
ただ者ではないという自分の見立てが誤りとも思えない。宗矩は
しばし考えてからこう言った。

「そこまで否定なさるならそうなのでしょう。しかし、何とは
言えないが、何かの師匠でいらっしゃったのは間違いない」
「・・・しいて言えば一つだけ会得したものがあります。拙者は
年少のときから武士は死を恐れてはならないと思い続け、長い間、
死の問題と格闘してきました。そしてある日、全くそのことに
思い煩わなくなったのです。先生が仰るのはこのことではありませんか」

旗本の死を恐れぬ心こそ宗矩の感じた何かだった。合点がいった
宗矩は「確かに!」と叫んで

「そう、それだ!私の見立てに狂いはなかった。剣道の極意とは
死を恐れない心です。私は多くの弟子を抱えていますが、誰一人、
あなたほどに免許皆伝に及んではいない。あなたが学ぶことは
何もない。あなたは立派に師範なのだから」

と言ったという。




311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 01:42:32 ID:RJpyBfp1
んん~??
宗矩引っ込みがつかなくなっちゃったからって

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/06(水) 02:01:28 ID:hUa+SROt
>>310
剣術より哲学を専攻したほうがよかったんじゃないのか、その旗本

柳生宗矩と島原の乱・悪い話

2009年03月26日 00:14

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 11:19:41 ID:0+Otfz3D
島原の乱を鎮圧するため、板倉重昌が幕府軍の指揮官として派遣された。
これを知った柳生宗矩は重昌を引き止めようと追いかけたが、結局間に合わなかった。
戻って来た宗矩はかんかんになって家光に諌言した。

「なんということをなされたのか、宗教一揆は手強い相手ですぞ!
重昌は確かに優れた男ですが、たかだか一万五千石の小身なので、
荷が重すぎます。奴は使命を果たそうとして死ぬことでしょう。」

宗矩の予想通り小身の重昌に従う諸候はおらず、責任を感じた重昌は
無茶な攻撃をして討ち死にしてしまうのだった。

別の話だが、この話を知った勝海舟は氷川清話で宗矩をこう評した。

「宗矩はただの剣客ではない。表向きは指南役などと言っているが、
家光公に意見できるほどの権力を持っていた。私はこの話からそれを
見抜いた。将軍が出兵させた者をたかが指南役が独断で止められるはずがないからだ。
歴史を見るときはこういうことに注意しなければならない。こういうことを
眼光紙背に徹する、というのである。」

もっともこのころの宗矩は大名で大目付だったので、ただの指南役ではなかったそうだ。

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 12:18:28 ID:LuffybI8
>>174
補足すると、この時宗矩は、

「重昌は優れた男だが、小身の身なので
 外様の諸大名も彼の命令に従わないでしょう。
 故に、幕府としては更に石高が上の指揮官を出さざるを得ず、
 そうなれば、重昌の面目は立たなくなるため、我攻めをし、討死してしまうでしょう。
 彼ほどの逸材を失うことはいかにも惜しいので、
 上様の命と言ってでも引き止めようとしたのです。
 ご命令頂ければ、再び、今すぐでも引き止めに向かいますが」

 と言ったが、既に幕命として正式に出してしまっている以上、
家光としても命令の差し止めは出来ず、結局・・・ということだそうな。
(ちなみに、追加で派遣されたのは松平”知恵伊豆”信綱)

戦前だと小学校の教科書にも載ってた話だったそうだが。




176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 12:37:49 ID:yztnWbrj
家光にとっては悪い話だけど、宗矩にとってはいい話だな。

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 13:09:51 ID:UXt/OLYM
大身とはいえない旗本でも政治力発言力ある者には、大封の大名も
気を使って下手に出てたもんだが。
こと合戦ともなると、畑が違うだろうから。。

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 13:59:09 ID:pgCDjsdD
>>177
実戦経験があれば違ったんじゃないか
まあ実戦経験のある奴なんてほとんど残っていなかったけど

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 14:29:43 ID:k3FJ0ixy
>>178
水野勝成「久々の戦で血が騒ぐわ!一番槍は頂く!」
鍋島勝茂「今の若い武士には足りない心がある、それは功名心」
立花宗茂「一揆相手に大げさな、俺だけで充分だろ常考」
山田有栄「関ヶ原に比べれば児戯でござるな」



真田信之「72歳だがまだ戦える!」
鈴木忠重(家老)「殿、我らに参戦要請は来ておりませぬ」
真田信之「(´・ω・`)」

安藤実季「一揆だって、やだね~」
木像「………」

180 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/25(水) 14:52:48 ID:2rIvOU1o
>>178-179
宇喜多秀家「さてと、久しぶりに遠泳するかな」

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 16:29:25 ID:UXt/OLYM
>>179

細川忠興  「乱の起こる2年前に予見していたわしのことを忘れておろうが、手討ちじゃ!」

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 18:13:29 ID:c0ybzDml
>>179
松平忠輝「今日も退屈だから、本でも読んでるかな」

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/25(水) 19:30:36 ID:wUWq1Obo
>>175
> 家光としても命令の差し止めは出来ず
すでに「将軍の幕府」じゃなく、「幕府の将軍」になってたんだな
だからこそ200年も続いたんだろうけど

>>179
どう見ても一人戦える状態にない人がいるだろw

柳生宗矩と沢庵和尚その2・いい話?

2009年03月24日 00:16

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 21:05:42 ID:OkBmIWtV
柳生大強化、便乗して。
「柳生宗矩と沢庵和尚」

フィクションでは沢庵と懇意である剣豪は宮本武蔵だが、史実ではふたりの間の関係を
しめす史料や逸話はない。
実際に沢庵と親しかったのは、柳生宗矩である。

そのためか、沢庵はこの剣術指南役に、いろいろと言いづらいことも指摘した。

宗矩は無類の愛煙家であったが、沢庵はいい加減にタバコは遠ざけろという。
すると宗矩は、おもむろに数メートルにもわたる長さの煙管を作らせた。
そして襖ごしにひかえた小姓にタバコをつめさせながら、スパスパと吸う。
宗矩は言ってのけた。
「ほれ、タバコを遠ざけたぞ」

また宗矩は、息子の十兵衛があまりに奔放不羈なことに手を焼いた。
すると沢庵は
「オヤジがおかしいから息子だってぐれたくなるんだよ」と逆にしかりとばし、
宗矩を落ち込ませた。
「だいたいあんたねえ、自分の立場を利用して大名屋敷に押しかけて能を舞うの、やめろよ。
迷惑だろ、相手も準備とか接待とか大変なんだよ!」
とさらに沢庵は宗矩を叱る。当時の能は今でいうところの接待ゴルフやカラオケのような娯楽の一種で、
それを職務権限を利用して大名屋敷で開催させ、あまつさえ宗矩自ら舞うなど、
あまりに図々しいことであった。

こんな関係だが宗矩は沢庵を大事にし、紫衣事件では沢庵を懸命にかばい赦免に尽力、
徳川家光に沢庵を紹介したのも宗矩である。
柳生一族の墓所がある芳徳寺には、沢庵像があり死後も仲良く宗矩像と並んでいる。

それにしてもこの宗矩、ノリノリである。




125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 21:19:07 ID:39LVfqMD
>>124
誰が・・・ま、いっか

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 22:22:17 ID:VtHmD1bh
柳生一族はおもしろいやつが多いな
しかし、
> 数メートルにもわたる長さの煙管
宗ノリどんだけ肺活量があったんだとw

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 22:54:40 ID:biAFirhM
政宗もだけど、人生エンジョイしてるなこいつらww



参考
柳生宗矩と沢庵和尚・いい話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1175.html

柳生宗矩と沢庵和尚・いい話?

2009年02月02日 00:20

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 04:03:33 ID:0nMLTMAD

柳生宗矩が屋敷の道場で剣術の稽古に励んでいると、托鉢に出ていた沢庵和尚が屋敷の門前を通りかかった

しばらく稽古の音を聞いていた沢庵和尚が一言

「この程度で御師範とは・・・(○′з`,);ププッ」

それを聞き咎めた宗矩、和尚を強引に屋敷に引き入れ今の言葉を撤回し詫びを入れるよう要求したが
「思った事を言ったまでの事、何故詫びる必要があるのか」と言い放ち平然としている
これにぶちギレた宗矩、和尚に立ち合いを要求
さすがにこれにはびびって詫びるだろうと思ったが和尚あっさり了承
和尚に木刀を渡そうとしたが「そんなもんいらん」と言われ無刀の和尚と立ち合う事に

しかし

宗矩、丸腰でつっ立っている和尚に全く打ち込むことができない。

油汗をたらし必死になっている宗矩とは裏腹に和尚はあくまで涼しい顔だ。

ついに宗矩は木刀をしたに起き降参、その場で沢庵の弟子となったそうな。




122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 05:36:16 ID:w/4FvC3O
音だけでわかるのか・・・
というかいい話?



参考
柳生宗矩と沢庵和尚その2・いい話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1661.html