久米の乱

2016年09月26日 16:10

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/26(月) 09:29:22.17 ID:Ro9cT0DI
徳雲院様(細川持隆)が切腹された時、柴原と申す在所に久米殿という武士が有った。
彼は三好実休の舅であり、細川持隆の家臣であった。
佐野河内という在所の野田義介という武士も、同じく細川持隆の家臣であった。
下八幡の二木日向殿という人は、持隆の一族だった。

彼らは持隆が切腹させられたことを口惜しく思い、必ず三好実休を討ち果たし本望を遂げようと
話し合った。久米殿は三好実休の舅であったのに、主君を殺したのは曲事であると、実休への
反乱を企てたため、これは後に久米の乱と言い伝えられた。

その頃、三好実休は勝端の町に在住していた。
久米たちに与する小倉佐介という者は、ここで実休の動向を探って来たが、帰る途中、
勝端の野辺において広言を吐いた
「実休を討果すのはいと容易いことである。」

仲間が聞いた「それはどういう事か?」

「彼の周囲には年若き小姓衆20人ばかり、あとは台所の人数だけで、いざという時
役に立つ人間が一人も居ないからだ。」

ところがこの会話を、そこで放牧していた牛飼いたちが聞いていた。
彼らは親方にこれを話し、この反乱計画が発覚する。勝端の町人たちは足具足を着けて
千人ばかりが雑兵姿となり実休の屋敷の警護を申し出、同時にこの小倉佐介の広言を申し上げた。

久米の在所である柴原とこの勝端との距離は一里ほどの近距離であり、また勝端は
久米側の人々の親類縁者も多かった。
そのため実休の所に町人たちが駆け付けたとの情報はすぐに久米側に伝わった。
これを聞いて久米たちは勝端を攻めることを諦め、実休の重臣である一宮長門守(成祐)を
夜討ちすることに方針を変更した。

一宮長門はこの時下屋敷に住んでおり、この四方は大竹藪であった、
夜討ち勢は大勢であったため、たやすく門を打ち破り屋敷に侵入した。
この時、一宮長門家臣に木村備前という人がいた。彼の宿所は一宮長門の屋敷から十町ばかり離れて
いたが、この夜討ち騒ぎを素早く聞きつけ、大竹藪の中をくぐり抜け長門の寝所にまっすぐに
駆け入ると、長門を引き出し藪の中に押し入れた。

夜討ちの軍勢が追い駆けてくるのも構わず、木村備前は長門を連れて逃げた。この時木村備前は背中を
二刀切られたが、藪の中であったので何とか逃げ切った。
一宮長門の妻は三好実休の妹であったので、夜討ちの衆はこれを生け捕り柴原へと連行した。

久米の反乱が発覚して三日の間に、実休の人数が上郡および淡路より、三千人ばかり駆け付けた。
久米方の人数は八百人ほどであり、方々の実休方に対処するため黒田原に軍勢を集結させていた。
そこで実休方は勝端より三千の軍勢で中富尾まで進出したところ、久米方八百人のうち、六百人ほどが裏崩れし逃亡した。
残ったニ百人は、破れかぶれに斬りかかったが、実休方は三千の人数でこれを包囲し、彼らを一人も残らず討ち果たした。

この戦いの中で、久米方の野田内蔵介という武士は普段から七十人力と呼ばれていた。
実休の三千人の人数のうち、五百人ほどが負傷したのだが、その大半はこの野田内蔵介によって
切られたのだと伝わる。

しかしこの野田蔵介も数多の敵に疲労した所に、淡路の住人である野口肥前という人が彼に挑戦した。
野口は二十人力と言われ、淡路においては一番の相撲取りであった。
野口は内蔵介と組み合い、大腰に投げつけた。しかし地力が違い、内蔵介はあっという間に
野口を押さえつけ上乗りとなった。
この時奥野右衛門(一説に左衛門)という者が駆け付け、内蔵介の首を打ち落とそうとして、
彼と組み合っていた野口肥前の手を切り落としてしまった。こうして野口は片手となったが、
死にはしなかった。

(三好記)

三好実休支配下の阿波における、久米の乱についての記述である。



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三好実休、良かれと思って

2016年09月25日 17:30

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/25(日) 17:22:56.44 ID:WSppQdy/
徳雲院様(細川持隆)の北の方は、周防の大内殿の娘であった。
彼女は、岡本美濃守の娘の小少将殿と申す人を小女房として奉公させていた。
ところが北の方には御子がなく、持隆は小少将殿に目をかけられ、やがて若君一人(細川真之)を産んだ。

三好実休細川持隆を切腹させた後、「主君に御腹召させたのは天道恐ろしき事であり、
この若君を置いて前々のように主君として崇めよう。」とし、そうして小少将殿を自身の
妻に据えた。やがて実休とこの小少将の間に子ができた。この子は幼名を千代松といい、
烏帽子名は彦次郎。御名乗を長治という。

(三好記)

三好実休、良かれと思って細川真之を擁立し小少将を妻にした、というお話。なお



120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/25(日) 19:39:11.35 ID:OjONIPR6
ワハハ奸婦め!

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/25(日) 21:01:41.34 ID:pd/6K8CZ
小少将はサゲマンという説が(元親の側室は単に同名のようだけど)

「小少将」の犠牲者の一覧
細川持隆 小少将の最初の夫。細川真之を設けたが、家臣の三好義賢に殺害された。
三好義賢 細川持隆謀殺後に小少将を嫁にして三好長治と十河存保を設けるも、久米田の戦いで戦死。
篠原長房 三好義賢戦死後に弟が小少将を嫁にしたが、弟の讒言により三好長治に攻められて敗死。
三好長治 小少将と三好義賢の子。小少将と細川持隆の子で異父兄の細川真之に討たれた。
細川真之 小少将と細川持隆の子。小少将と三好義賢の子で異父弟の十河存保に討たれた。
十河存保 小少将と三好義賢の子。小少将が側室になった長宗我部元親と共に参加した戦いで戦死。
長宗我部元親 小少将を側室にした四国の英雄。その後長男が九州で戦死し後を追うように病死。
長曾我部右近太夫アンド十河存英(存保の息子) 共に大坂の陣で大坂方について死亡

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/25(日) 21:41:39.15 ID:YOONVF6X
       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (・∀・∩< 嫌な奴に小少将を押し付ければ!
    (つ久秀丿 \_________
    ⊂_ ノ
      (_)

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/25(日) 21:46:31.79 ID:OjONIPR6
>>121
篠原長房じゃのーて一族の自遁な

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/25(日) 21:51:16.34 ID:OjONIPR6
サゲマンて言うなら通じた奴の名で十分やろ

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/26(月) 21:50:10.39 ID:baLYiMg9
篠原長房の弟が自遁だから、>>121も>>123も合ってるよね。
一宮長門守(成祐)は後に三好実休(義賢)と小少将の息子三好長治を殺す側に回ってる。
一宮長門守(成祐)の妻である三好実休の妹はこの後どうなったか三好記に記述はありますか?

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/26(月) 22:01:51.02 ID:8NuzwDHO
>>126
残念ながらサゲマンというのはエッチした男じゃないとその効果は発揮しないのだよ
だから篠原長房の死は小少将とは無関係であって自遁にとって長房の死は得なのでサゲマンじゃのーてアゲマンとなる

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/26(月) 22:34:56.02 ID:baLYiMg9
>>127 そっちの話ね。失礼しました。

ところで阿波の小少将については、息子たちを仲裁しようとして細川真之の元に
行く途中、真之の家臣たちに襲われて落命した話もあるようだけれど、
これも出典が分からない。

表裏して主君を果たした事は

2016年09月22日 21:29

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/22(木) 14:26:37.91 ID:Dv6EZXBZ
天文22年、阿波守護である徳雲院様(細川持隆)は腹立ちの事があり、奉行人の四宮与吉兵衛という者と
談合し、

三好実休を相撲があると知らせ呼び寄せ、討ち果たそう』

そう仰せに成った。この時、相談相手の四宮与吉兵衛が実休に返り忠をしているとは、持隆は夢にも
知らなかった。
持隆は用心もなく勝端の町の北の河端に、龍音寺という寺が在ったが、そこに遊山に出かけた所、
実休は上郡の人数二千を呼び寄せこの付近に集結させた。

これを知った持隆は肝を潰し、そこから堅昌寺という寺に移ったが、お供の者達は藪へ隠れ方々に
逃散して、最後には星相殿と蓮池清助という者の2人のみがお供をしているという有様であった。

ここで実休は持隆の無道を悪み、「たった今、お腹を召されよ」と申し付け、これにより
星相殿が介錯をして切腹された。蓮池清助という者は不肖者ではあったが、常々持隆の悪しき点を
申し上げ諫言していたため、御意に違い御扶持も枯れ枯れの状態であったにもかかわらず、
「お供申す」と立ち腹を切って果てた。この清助の最後を褒めぬ者は居なかった。

実休はこの後、返り忠をした四宮与吉兵衛に知行を与えたが、1年間召し使った後に成敗した。
この時実休はこう言った
「どんな身の上であっても、表裏して主君を果たした事は、悪きことである。」
この処分を人々は褒め称え、また四宮与吉兵衛を悪まぬ者はいなかった。

(三好記)




94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/22(木) 20:13:44.66 ID:5ZQAlpas
>「どんな身の上であっても、表裏して主君を果たした事は、悪きことである。」

爆弾正「果たしてそうでござろうか?」

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/22(木) 21:11:25.97 ID:aXC+X0IO
持隆の側室を妻にした下剋上男が何を言うか

むくいのつみやめぐいくるらん

2015年09月12日 15:20

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/11(金) 18:45:59.04 ID:G6QpP7XT
まず、阿波国に屋形があった。細川三周(讃州?)公(細川持隆)といい、彼を三好實休が
生害させ、実休が阿波の惣主となった。屋形には子が一人もなく、實休は屋形の御台を自分の妻とし(小少将)、
この腹に若君一人産まれた。後に長治と称する。この母が三周公の御台であったので、實休は長治を
屋形と号し籠め置いた。
實休は威勢おびただしく成り、天下に上り威を振るった。また實休には本腹の男子が多数あった。

年を経て、和泉の久米田を實休は本陣として、明日は一戦すべきという夜、實休が寝ていた
枕元に彼が殺した細川持隆が立ち、歌を詠んだ

『草からす 霜またけふの日に消て むくいのつみやめぐいくるらん』

實休は夢から醒め、あたりにいた人々に「明ければ討ち死に疑いない」と言い、案のごとく
敵に囲まれて實休は自害した(久米田の戦い)

三周公生害の日が三月二十一日、實休も三月二十一日に果てたのだという。

(十河物語)




細川持隆の謀殺

2010年05月09日 00:02

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 02:52:49 ID:uIMQc9Ye
有名な話だけど、まとめ見たらまだ乗ってなかったので……

室町時代、細川家には宗家たる京兆家以外にも数多くの連枝があり、
中でも阿波細川家は宗家の中央政界での軍事力を支える有力な家柄だった。
のちに京兆家にとって代わる三好家は、元はといえばこの阿波家の家臣に当たる。

その三好家の長慶の代、阿波守護家の当主は細川持隆である。
この持隆は長慶の父である元長への寵愛深く、元長が阿波勢の名代という形で京兆家の晴元に従い畿内に赴き、
やがて晴元に疎まれて自害に追い込まれる中でも常に元長を支持してくれた人物であった。
この持隆が元長亡き後に幼い彼の遺児たちを庇護してくれなければ、後の三好家隆盛はなかったかもしれない。

その持隆が、天文二十二年に阿波国見性寺にて殺害された。
下手人は他でもない、三好元長の次男であり持隆の近臣でもあった三好義賢だった。
当時、中央政界では三好長慶の圧迫により日に日に細川晴元の勢威が衰え、
山城や摂津からも駆逐されて六角義賢支援の下での近江坂本での亡命生活が常態化しているところである。
さすがの持隆といえど、その三好一族による細川宗家の零落は自ら招いた事として我慢ならなかったのだろう。

彼は義賢を除く家臣を集めて三好長慶討伐の密議を開いたともいい、
また単に平島公方足利義栄を新将軍として押し立てて上洛し、長慶を抑えようとしたともいう。

いずれにせよ、ことここにおいて細川持隆と三好義賢の利害は決定的に対立し、
義賢は命の恩人ですらある主君を殺害して兄を守る道を選んだのだった。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 02:54:24 ID:uIMQc9Ye
この主君弑逆の罪は、義賢を生涯苛んだらしい。
彼が辞世の句としてあらかじめ残しておいたのは、

 草枯らす 霜また今日の日に消えて
   報いのほどは ついに逃れず

という、自分はきっと罪から逃れられないという強迫観念めいた内容のもの。
永禄五年、彼は味方に倍する畠山勢を迎撃した久米田の合戦の直前、持隆に死に誘われる夢を見たという。
そして実際に彼はこの合戦で討ち死にを遂げ、人々は彼が予感した通り報いが来たのだと噂した。
事実かどうかはわからない話だが、それだけ彼が罪の意識に囚われていたことが周囲に伝わっていたのだろう。

阿波細川家と三好家の怨念の連鎖はこれに終わらず、次世代にも連続する。
それは、持隆の妻で彼の亡き後に義賢に再嫁していた小少将から生まれた持隆の子真之と、
義賢の子長治・存保という異父兄弟の間で争われる骨肉の争いだった。

さらに義賢の主殺しをきっかけにそれまで細川三好体制の中で団結していた阿波国人衆に亀裂が生じ、
土佐の長宗我部家の跳梁を許す足場を自ら提供することともなり、
阿波三好家は滅亡への坂を一気に転がり落ちていくのだが、それはまた後の話である。

いろいろと後味の悪いお話。




613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 07:33:49 ID:SAc77T0g
>>610-611
まさに後味悪いなぁ・・・まあいかにも戦国乱世って感じではあるけど

三好実休、戦国ピタゴラスイッチ・いい話?

2009年03月31日 00:06

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/30(月) 16:04:33 ID:A3kgTjOg
三好長慶の弟、三好実休。

彼は和泉久米田の戦いで戦死した。が、そこは名将実休、この戦いの前、自分達が敗北した場合
敵兵が押し寄せてくるのを知らせる手を打っておいたのだ。

実休、自分の元に出入りしていた染物屋を、あらかじめ屋根の上に上げておいた。
この染物屋、実休軍が敵の勢いにかなわないのを見ると、絶望のあまり屋根の上で切腹してしまった。
すると染物屋の体が屋根から転げ落ちてきたので、それを見た下の者たちは実休の軍の敗北を知り、
撤退を開始したのだとか。

戦国の世には、こんなピタゴラスイッチが存在したのだ。




318 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/30(月) 18:19:15 ID:GM96QvhS
>>317
いい話? あ、準備のいい話か。

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/30(月) 18:57:10 ID:YyoT+UA8
負けを知らせるために、わざわざ関係ない人を切腹させたのか。
それとも、戦に直接関係ないのにこれだけ義理堅い者がいるよという話なの?
物見1人で十分だと思うが。

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 01:32:02 ID:7WqgOoQD
>>319
変わり者かもしれんが、染め物屋の忠義な話だろう