685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/03(金) 20:05:29.67 ID:OTZl9wjf
「武家閑談」から大坂の陣の時の熊野北山一揆
広島浪人所持覚書によれば、浅野但馬守長晟が大坂に在陣している最中に熊野北山一揆が起きた。
一揆の大将は、大嶽の前鬼津具および山室という者だったという。
長晟より熊沢兵庫を大将として討手を派遣した。
前鬼津具は熊沢が大軍だったため新宮から西の川へ逃れ、雪に降り込まれ凍え死にした。
和州川井村の一揆の大将山室は北山へ逃れたため、熊沢が追いかけると、山室は一揆勢に下知して二、三度防戦して退いた。
熊沢兵庫はそれでも追いかけ、大沼村・竹平村の間に迫った。
山室は川を渡り上り、岩の陰で隠れ、熊沢を待ち受け、太刀打ち、組み打ってるうちに兵庫が下となった。
そこに長田作兵衛が駆けつけ、山室を突き倒し、首を取った。
兵庫と作兵衛が山室の首をそれぞれ自分のものだと主張したため、溝口五右衛門は進み出て
「兵庫が初め太刀打ち、組み打ちしていたのだから作兵衛は援助したということになる。
高名は兵庫のものだ」と山室の首を兵庫に渡した。
溝口の裁判が良いと思ったため、書き留める。
686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/03(金) 20:19:36.10 ID:tsS3dxGo
「和歌山県史 近世史料三」の「七 一揆・騒動」に収録されている、慶長の時にまとめられた「北山一揆等取集書付」にも同じ話が見える
「熊沢兵庫川井村山室討候節ハ互ニ太刀打致、夫ゟ組合兵庫を組伏候所へ永井作兵衛出合山室を鑓にて突首を取、
其時兵庫と作兵衛論ニ成を溝口五右衛門と云者申候ハ、作兵衛手柄之程我等見申候、
首ハ兵庫組之旨兵庫へ首ハ渡候へと被申」
また後呂忠一「北山一揆について」という論文から孫引きとなるが
「自得公済美録」(浅野家の家史「済美録」の浅野長晟の代)に北山一揆についても記されていて
・河井村の山室、善鬼の津久、堀内将監、中村某、小中某は五鬼として知られていた
・熊沢兵庫が大沼村へ行こうとした所、五十才ばかりの夫婦を見つけ打ち取ろうとしたが、甲冑をつけていたために逆に組み敷かれ、女が持ち出した松割包丁で殺されそうになった。
そこへ新宮の住人永田五郎左衛門に助けられ相手の首を打ち取った。
首を調べるとそれは一揆の首謀者の一人、山室鬼助であった。
と書かれているとか。
687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 07:22:41.41 ID:QrIMP5Y9
2021年1月6日の朝日新聞デジタルの記事に五鬼について書かれていた
「私は鬼の末裔」記者に断言 熊野「五鬼」姓の謎を追え
>伝承の舞台は奈良県は下北山村の前鬼(ぜんき)集落。
>今から約1300年前、前鬼、後鬼(ごき)という鬼の夫婦がいた。この夫婦は山で修行する修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)の姿に心動かされ、仕えるようになった。
>そして「里へ下りて人として生活しなさい」との命を受けて暮らしはじめたのが前鬼集落だったという。
>前鬼と後鬼の5人の子は、修験者を世話する五つの宿坊を開いた。それぞれ「五鬼童(ごきどう)」「五鬼上(ごきじょう)」「五鬼継(ごきつぐ)」「五鬼助(ごきじょ)」そして「五鬼熊」と名乗った。
688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 09:48:16.36 ID:83OMXFqB
鬼といえば人喰い
689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 09:52:42.48 ID:CiDNdMPi
ここから戦国時代にどう繋げるのかなと思ったんだけど終わりなのかな?
690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 13:06:52.06 ID:7UlQfOc/
IDが変わっていて、わかりづらくてすいません
朝日新聞の五鬼の記事について書いたのは、熊野北山一揆の指導者とされる
「河合村の山室(五鬼助?)」と「善鬼の津久(前鬼継)」がともに「済美録」では五鬼とされていて
五鬼の由来が役行者にまつわるという話がおもしろいため、付け足しただけです
691 名前:690[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 13:09:53.89 ID:7UlQfOc/
またIDが変わってる。
>>685->>687は自分です
692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 13:15:22.69 ID:Gyvr4Std
でどうやって繋げるの?
693 名前:人間七七四年[] 投稿日:2023/03/04(土) 13:29:25.72 ID:HF8bfFEn
毛利のところにいた世鬼は子孫かしら
694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 13:53:57.64 ID:V+jxazcg
鬼小島が先祖です
697 名前:689[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 21:09:04.15 ID:/s1Ow7Jx
>>690
ああ、前の話への付記だったのね
こちらこそきちんと見てなくてごめん
698 名前:690[sage] 投稿日:2023/03/05(日) 01:02:03.61 ID:aoFtKw4a
いえいえ気になさらず
705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/06(月) 23:41:23.47 ID:h0QaWSzD
ついでにいい話スレに投稿した熊野北山一揆の話で
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13841.html
「武家閑談」から大坂の陣の時の熊野北山一揆
溝口五右衛門という人物が出ているが
>>507の「新東鑑」の話のように(「武家閑談」でも同じ話が上田宗箇の後にある)、同じく浅野家の亀田大隅守高綱も元は溝口半之丞と溝口姓
「木村又蔵」という講談では柴田勝家の元にいたときに産女(うぶめ)の妖怪に会って怪力を得たことになっている。
「武家閑談」から大坂の陣の時の熊野北山一揆
広島浪人所持覚書によれば、浅野但馬守長晟が大坂に在陣している最中に熊野北山一揆が起きた。
一揆の大将は、大嶽の前鬼津具および山室という者だったという。
長晟より熊沢兵庫を大将として討手を派遣した。
前鬼津具は熊沢が大軍だったため新宮から西の川へ逃れ、雪に降り込まれ凍え死にした。
和州川井村の一揆の大将山室は北山へ逃れたため、熊沢が追いかけると、山室は一揆勢に下知して二、三度防戦して退いた。
熊沢兵庫はそれでも追いかけ、大沼村・竹平村の間に迫った。
山室は川を渡り上り、岩の陰で隠れ、熊沢を待ち受け、太刀打ち、組み打ってるうちに兵庫が下となった。
そこに長田作兵衛が駆けつけ、山室を突き倒し、首を取った。
兵庫と作兵衛が山室の首をそれぞれ自分のものだと主張したため、溝口五右衛門は進み出て
「兵庫が初め太刀打ち、組み打ちしていたのだから作兵衛は援助したということになる。
高名は兵庫のものだ」と山室の首を兵庫に渡した。
溝口の裁判が良いと思ったため、書き留める。
686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/03(金) 20:19:36.10 ID:tsS3dxGo
「和歌山県史 近世史料三」の「七 一揆・騒動」に収録されている、慶長の時にまとめられた「北山一揆等取集書付」にも同じ話が見える
「熊沢兵庫川井村山室討候節ハ互ニ太刀打致、夫ゟ組合兵庫を組伏候所へ永井作兵衛出合山室を鑓にて突首を取、
其時兵庫と作兵衛論ニ成を溝口五右衛門と云者申候ハ、作兵衛手柄之程我等見申候、
首ハ兵庫組之旨兵庫へ首ハ渡候へと被申」
また後呂忠一「北山一揆について」という論文から孫引きとなるが
「自得公済美録」(浅野家の家史「済美録」の浅野長晟の代)に北山一揆についても記されていて
・河井村の山室、善鬼の津久、堀内将監、中村某、小中某は五鬼として知られていた
・熊沢兵庫が大沼村へ行こうとした所、五十才ばかりの夫婦を見つけ打ち取ろうとしたが、甲冑をつけていたために逆に組み敷かれ、女が持ち出した松割包丁で殺されそうになった。
そこへ新宮の住人永田五郎左衛門に助けられ相手の首を打ち取った。
首を調べるとそれは一揆の首謀者の一人、山室鬼助であった。
と書かれているとか。
687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 07:22:41.41 ID:QrIMP5Y9
2021年1月6日の朝日新聞デジタルの記事に五鬼について書かれていた
「私は鬼の末裔」記者に断言 熊野「五鬼」姓の謎を追え
>伝承の舞台は奈良県は下北山村の前鬼(ぜんき)集落。
>今から約1300年前、前鬼、後鬼(ごき)という鬼の夫婦がいた。この夫婦は山で修行する修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)の姿に心動かされ、仕えるようになった。
>そして「里へ下りて人として生活しなさい」との命を受けて暮らしはじめたのが前鬼集落だったという。
>前鬼と後鬼の5人の子は、修験者を世話する五つの宿坊を開いた。それぞれ「五鬼童(ごきどう)」「五鬼上(ごきじょう)」「五鬼継(ごきつぐ)」「五鬼助(ごきじょ)」そして「五鬼熊」と名乗った。
688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 09:48:16.36 ID:83OMXFqB
鬼といえば人喰い
689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 09:52:42.48 ID:CiDNdMPi
ここから戦国時代にどう繋げるのかなと思ったんだけど終わりなのかな?
690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 13:06:52.06 ID:7UlQfOc/
IDが変わっていて、わかりづらくてすいません
朝日新聞の五鬼の記事について書いたのは、熊野北山一揆の指導者とされる
「河合村の山室(五鬼助?)」と「善鬼の津久(前鬼継)」がともに「済美録」では五鬼とされていて
五鬼の由来が役行者にまつわるという話がおもしろいため、付け足しただけです
691 名前:690[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 13:09:53.89 ID:7UlQfOc/
またIDが変わってる。
>>685->>687は自分です
692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 13:15:22.69 ID:Gyvr4Std
でどうやって繋げるの?
693 名前:人間七七四年[] 投稿日:2023/03/04(土) 13:29:25.72 ID:HF8bfFEn
毛利のところにいた世鬼は子孫かしら
694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 13:53:57.64 ID:V+jxazcg
鬼小島が先祖です
697 名前:689[sage] 投稿日:2023/03/04(土) 21:09:04.15 ID:/s1Ow7Jx
>>690
ああ、前の話への付記だったのね
こちらこそきちんと見てなくてごめん
698 名前:690[sage] 投稿日:2023/03/05(日) 01:02:03.61 ID:aoFtKw4a
いえいえ気になさらず
705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/06(月) 23:41:23.47 ID:h0QaWSzD
ついでにいい話スレに投稿した熊野北山一揆の話で
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13841.html
「武家閑談」から大坂の陣の時の熊野北山一揆
溝口五右衛門という人物が出ているが
>>507の「新東鑑」の話のように(「武家閑談」でも同じ話が上田宗箇の後にある)、同じく浅野家の亀田大隅守高綱も元は溝口半之丞と溝口姓
「木村又蔵」という講談では柴田勝家の元にいたときに産女(うぶめ)の妖怪に会って怪力を得たことになっている。
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