知恵伊豆のユーモア

2016年02月10日 18:51

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/09(火) 22:36:23.52 ID:eFlTnkWy
知恵伊豆のユーモア

承応から万治年間(1652-1659)にかけて長崎奉行を勤めた甲斐庄正述の妻は松平信綱の従姉妹(姪とも)であった。

そんな関係で、信綱と正述は親しかったので、二人はよく会っていたのだが、ある日の信綱邸での饗応で正述はふと思った。

「今出てきた芹焼き(芹を酢に煎じたもの)は焼いていないのに『焼き』というのはおかしくないか?『芹煎』とか言うべきだろう。」

それを聞いた信綱、
「焼いていないものを『焼き』というのが不審と言うが、あなた自身にもそんな不審なものがあるではないか。」

「??」

「あなたの頭の月代(さかやき)は誰が焼いているのですか?」

ここで正述、
「なるほど、自分にも焼かないのに焼くというところがあるのに、そこには思いが至りませんでした。」と納得。一同大笑い。

(御役人代々記)

いい話でも悪い話でもなさそうだけど、とりあえずこっちに。


ちなみに正述の孫の大森時長も長崎奉行として赴任し、享保の飢饉時に長崎の住民を飢餓から守ったということで非常に人気があるらしい。

(鈴木康子「長崎奉行 等身大の官僚群像」)



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松平信綱はこう言っていた

2015年11月09日 09:20

松平信綱

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/09(月) 07:49:45.05 ID:xI4lJMJz
松平伊豆守信綱はこう言っていた

「悪日なんて物は無い。思い立ったことは、いつであっても行うべきだ。
風雪の日こそ悪しきものだ。」

(武功雑記)



969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/09(月) 08:42:53.26 ID:LfncsuBW
現実的だな
まあ、平和な日常ではこれが正しいよな

知恵伊豆の死に様

2015年07月03日 18:05

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/02(木) 21:49:03.92 ID:+AGasWoa
松平伊豆守信綱が発病した時、このように言った
「私は病人に成ってしまったが、隠居など仰せ付けられるように、などとは微塵も願わない。
何時までも職務を努め、御城にて倒れて死ぬ事こそ本望である!」

そういって毎日登城して出仕し、自身の家老たちには
「今日御城において私が病死すればこのようにしろ」
そう委細を申し付けてあった。

しかし病気は日を追って重くなり、小便も出なくなった。この事を伊豆守は嘆いた。
「私の病気の事を、上様はお尋ねなさっているそうだが、小便のことまで上聞に達してしまったらどうするのだ。
このような事をお耳に入れるのはなんとも恐れ多いことである。」

その後も病気は重くなり、伊豆守の養母が彼の枕元に付き添った。
その時養母は言った
「病気がこのように重くなった以上申しておく。今までは後世のことなど一向に構わずにいたのであろうが、
この時であれば、万事を打ち捨て、後世のために念仏をするように。」

そう進めたが、これを聞いた伊豆守は
「御尤もの事です。ですが、私は幼年より召しだされ、格別の御恩を蒙った者ですから、せめてその
万分の一も御恩を報じたく、常に心がけてきましたが、行き届かず、このような大病であれば尚更
御恩を報じることが出来ません。ですから少しでも御奉公のことを心がけ、『御奉公、御奉公』と唱えたいと
思います。なかなか、念仏を唱える暇はありません。」

そしてその後には
「もはや死も近い。この上の願いは、何卒お上の御精進日に病死致さぬように、との事であり、出来れば
七日に死にたい」と語った。
これは七日が彼の妻の命日であり、息子たちの精進日が多くならないようにとの思いからであった。

十六日になると、
「明日は権現様御命日である。どうか、今日か明後日に死にたい。」と望んだ。
そのため、その日は薬を用いず死をのみ待っていたため、その本意のごとく、十六日に死去した。

(明良洪範)

知恵伊豆の死に様、である



18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/03(金) 08:44:31.81 ID:bR4qvxSR
こんな遺言うっかり脳筋に残したら逆に家滅ぼしかねない

随分狙うように申し聞かせなさい

2014年06月24日 18:54

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 17:40:20.00 ID:+iFynjsM
伊達陸奥守忠宗が通行の途中、江戸城本丸の台所に詰めている新組の某
という者が伊達の先供の中を通り抜けようとした。供の士は某を取り押さえて
日比谷へ連れ帰り、成敗した。

新組頭はこれを聞いて大いに立腹し、老中の松平伊豆守(信綱)へ訴えると、
伊豆守が言うには「小家でも大名の通行は分かるものである。ましてや、
大家の伊達の通行は二、三町先からも分かるものなのに、先供の中を通り抜け
ようとするのは一つ目のたわけである。

また、連れて行かれるからといって、伊達の屋敷までのさのさと行ったのは
二つ目のたわけである。また、結局は逃げられないことと察知して切り死に
するべきなのに、むざむざと打ち首にされたのは三つ目のたわけである。

こんなたわけ者が御家人にいても御用に立つ者ではない。だから生きていても
益は無く、死んでも損は無い者である。申し立てるには及ばない」とのことで、
訴え書を差し戻し、併せて、

「その者に倅どもがいて伊達陸奥守を父の敵として討ったなら大至孝といえよう。
随分(できる限り。または大いに)狙うように申し聞かせなさい」と言ったそうだ。

――『明良洪範続編』





577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 17:44:51.14 ID:r/sLCjDk
この流れでも狙って良いんだ…

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 18:11:33.18 ID:RgdOU5YQ
「おう、やられたらやり返さんかい」て事だな

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 18:51:10.11 ID:EoDDTEDU
言外に、殺すなと
伊達家の顔を立てつつほのめかしてるのでは

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 19:18:48.52 ID:XUet17Db
>>576
この話まだ出ていなかったのかな
武士の美意識がわかる話だから印象深い
たしかに伊達家の行列前を横切ったのはこの侍の過失。
斬られても仕方ない過失ではあるけど、黙って連行されても最悪首斬られるのだから、
それならその場で刀抜いて斬り死にする最期を選ぶべきだってことだろうな
討ち死、切腹〉〉(越えられない壁)〉〉斬首 の世界観だし

この話が作中に出てくる五味康祐の短編小説『国戸弾左衛門の切腹』オススメ
映画にしてほしい深い話だけど、映画にされることはないであろう名作

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/24(火) 21:41:46.87 ID:6ybX+yXy
伊達にビビッてるのかと思ったけど知恵伊豆かっけー

知恵伊豆の忍

2014年03月01日 18:45

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/01(土) 17:20:59.48 ID:7GCf6foH
島原の陣の二月中に、松平信綱は連れてきた江州甲賀の者を呼んで、

「これまで諸将は敵城の様子を探らせようと忍びの者を遣わしたが、
敵城の守衛は堅固で忍びの者が城中へ忍び入ることができない。
御身らは忍び入って、様子を見届けて来てくれ」と言った。

甲賀の者たちはかねがね内々の願いの筋でもあれば功を立てようと思っており、
「畏まり候」と速やかに承知し、仲間の中から菅川七郎兵衛望月与左衛門
夏目角助吉田五兵衛鳥飼勘右衛門ら五人の者が暗夜に紛れて

塀下までは忍び寄ったものの守衛は堅く、城中へいまだ入らずに見合わせて
いたところ、城中より猿火を渡して塀下廻りを調べたので、その火を引き入れる時に、
引き続いて菅川と望月の両人が城中へ紛れ入った。あとの三人の者は入り遅れて
塀下で躊躇していた。

さて、忍び入った両人のうち望月は塀を越えて城内へ入ったところ、
塀裏の落とし穴へ落ちた。菅川は引き上げようとするが、穴が深いので上げられない。
とやかくする間に城兵たちは気付いたのか、「寄手が忍び入ったぞ、討ち取れ!」と
立ち騒いだけれども暗夜なので見分けがつかず、その間に菅川はどうにか望月を引き上げ、

闇夜に紛れて城内のあちらこちらを忍び廻り様子を見届け、やがて塀を越して
城外へ飛び出た。この両人は甲賀忍び組の中でも取り分けて忍びの名人であるとか
いうことだ。

――『明良洪範』




494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/01(土) 19:05:08.26 ID:Us+HUH3X
城兵は明かり持ってこいよw

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/01(土) 19:05:10.23 ID:cxkJyzHN
落とし穴をもっと沢山掘ろう!

知恵伊豆のわかりやすい吉報の伝え方

2013年12月11日 20:12

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/11(水) 11:28:42.04 ID:JLb88KpB
島原の一揆は寛永十五年二月二十七日に落城した。

これにより早飛脚を江戸へ遣わしたが、その文箱の表書には「二月二十七日落城」
と記してあった為、到着後は開けるよりも前に落城だと解り上様は非常にご機嫌であった。

豆州の才知を人は皆賞賛したと言う。

(翁草)

知恵伊豆のわかりやすい吉報の伝え方




860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/12(木) 21:23:54.46 ID:kGo+PvsQ
その旨書いた旗持たせて走らせれば宣伝効果あったかもな

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/12(木) 21:26:23.30 ID:0Dqn7Mo8
【朗報】落城

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/12(木) 23:07:01.39 ID:m2JjHdAW
【朗報】敵は本能寺にあり

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 00:39:10.43 ID:10YkNS0b
【朗報】鬼武蔵が撤退

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 00:47:10.26 ID:i/S2zPc2
【朗報】政宗

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/13(金) 01:37:28.99 ID:UJw9Q4/o
【朗報】妙林尼殿ご同行

知恵伊豆と鯉の運上金

2012年12月04日 20:00

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 21:09:09.62 ID:jz2XSlVk
武蔵国入間郡の箕和田と云う所は鯉の産地であり、その地の町人たちは四百領の運上金を幕府に収めて
鯉を捕り、それを江戸に送って商売をしていた。

ある時、老中の知恵伊豆こと松平信綱に、箕和田の、鯉を獲っている者たちとは別の町人の一団が、
六百両の運上金を差し出しますので自分たちに鯉を捕る権利を与えてほしい、と申し出た。

幕府にとって今までよりも運上金が二百両多く収まることになるので、その一団の者たちは、必ず許可に
なるものと考えていた。ところが信綱は

「よく考えてみよ。今まで四百量だった運上金を、わざわざ二百両増やして六百両にしてくれという者があるか。
それは、今までよりも鯉の値段を二百両上げてくれ、というのと同じ事だ。

その二百両は結局、江戸の武家や町人に売る鯉の値段を吊り上げることによって生み出そうとするであろう。
それは江戸の住人に難儀を与えることになる。
逆に、今までの運上金四百領を、二百両にしてくれと申し出たのなら、許すことにしたであろうに。

幕府が二百両の運上金を多くもらったからといって、その分、江戸の住人が高値に苦しまなければならないというのでは
不義が生まれ、訴訟が増えるばかりである。」

そう言って、前々から四百両の運上金を収めている町人たちに、鯉を捕る権利をそのまま与えたという。
(名将言行録)




661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 21:30:54.39 ID:zk6K1qku
さすが知恵伊豆

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 22:00:39.98 ID:HKzcnOmV
鯉なら高くても別に良いじゃないかとちょっと思ったけど食用か

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 23:40:27.87 ID:gXfRvWke
タダより高いものは無いという教えである

青山忠俊と知恵伊豆、記憶力について

2012年11月26日 19:58

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 18:41:29.94 ID:VSIyx/om
聞いたこと見たこと、何であってもよく覚えて忘れないというのは、その身の徳であり、第一の宝である。
見ても覚えず、学問・講習の筋を習っても、忘れ果てては何の役に立つだろうか?
人と近付きになっても、一度ばかりではその名前も顔も覚えられない、という例は多い。
記憶力が強いというのは、人の羨むことである。

青山伯耆守忠俊は記憶力に非常に優れ、旗本・小身の輩まで、一度その名を聞きその顔を見れば
能く覚えて、再び会った時には、必ずその名を呼んで挨拶をした。
その様であったので青山も自分の物覚えの良さを自慢していたが、ある会合において、
一座のものから青山に
「真似ようとしても出来ないことだ。有り体に言って中々及ばないことです。」
と声をかけられると、青山これに対し

「だいたい物覚えなどというものは、努力次第でどうにか成る事ですよ。」
と言い出した。これを聞いて同席・末座の人々、口をそろえて
「稽古によって出来る事なら、是非習いたい!」と、その答えを所望すると、青山は笑いながら

「意地がキレイか、意地が汚いかという事です。」
という。一座の人々困惑し、「そう言われても、全く理解できない。」と言えば青山

「されば、である。あなた達も、御三家・国持大名などの顔名前はきっと覚えているでしょう?
しかし小身の者たちに対しては侮っているから、その名も知りません。
私は末々まで、人であることに替わりはないと、平等に考えているので、能く覚えるのです。」

この言葉に一座のもの、皆感じ入った様子であった。

と、この場の遙か末座に、未だ無官の、若き日の知恵伊豆、松平伊豆守信綱があった。
彼は一人、青山の答えに感心した様子も見せずに嘯いていた。

青山はこの信綱の様子をいち早く見て取り、彼の方を見て声をかけた
「どうした!そこに居る小癪仁はどう思うのか!?」

これに信綱、冷然と
「…私の考えとは違う了見です。感じ入る所までは行きませんね。」と言う。
青山「では、お主の考えを聞きたい!」と、信綱の話を聞く姿勢を見せる。
すると信綱、少し進み出て

「太陽・月の事はきっと知っておられるでしょう。では、その他の星の名、星座の名など、
それをすべて覚えていらっしゃいますか?」

青山はこれを聞くと「どうやってすべての星の名を究め知ることが出来るだろうか?
天文の家であっても、細かな星は粟三斗分の数ほどもあると言っているが、それでも尚
具体的な数はわからないのだ。そうであるものを、どうしてその名を知ることが出来るだろうか?

この答えに信綱

「さて、あなたもそうお考えになりますね。
例えば、私のような愚かなものであっても、御三家は勿論、国取り大名も数が少ないので、
日月・五星・二十八宿と同じように、覚えるのが楽です。

しかし小身の衆は天の星の数よりも多いほどですので、どうして覚えられるでしょうか?
伯耆守殿のように、生まれつき記憶力の良い人には、そういったものも覚えられるのでしょう。
あなたがどう申されても、自分の意地の清濁とは関係ないことです。」

これには流石の青山伯耆守忠俊も閉口してしまったそうである。

ちなみに、物覚えには少しはコツがあるらしいよ!(物を覚ゆるは少しは傅も有る事とか)
(武野燭談)

青山忠俊と知恵伊豆の、記憶力についてのお話。





499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 20:55:34.56 ID:luN+5ubm
伊豆守に聞いた青山が悪かったなw

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:16:46.67 ID:A9QZagF9
>私は末々まで、人であることに替わりはないと、平等に考えているので

江戸時代にこんな奴いる訳ないだろうが

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:21:01.19 ID:VSIyx/om
>>500
ちなみに原文

『我等は末々までも人に替りなき處を考へて、平等に存ずる故に能く覚え候』

武野燭談は宝永6年(1709)成立

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:25:32.97 ID:T7w6fXkL
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772575/21
の53p見たらそのまんま書いてある

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:33:57.24 ID:Z47zLL3B
人類皆平等的なのは実際にはともかく宗教ではよくある表現だし
表現としてはそうおかしくないんでないの

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:54:09.00 ID:luN+5ubm
平等とか公平観は江戸時代にあった。最近読んだ東遊雑記にも出てきてた

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 21:59:08.26 ID:MtgoaPV4
差別は許さん 大名、小名、旗本を、俺は見下さん!すべて…平等に価値がない!
口で焼き味噌垂れる前と後に権現様と言え!

こうですか?

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 22:34:59.64 ID:fv8Yc8Y/
家光乙

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/26(月) 23:33:23.45 ID:/sxQ+pTx
※但しイケメンはのぞく

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 00:54:18.38 ID:/cGhAlBG
本音と建前を忘れちゃいかんよ
人類平等という思想と社会秩序のための階級格差は別なのだ

念を入れすぎて害になる

2012年09月08日 20:31

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 10:42:32.28 ID:xlZ/MM+g
ある年の暮れのことである。松平伊豆守(信綱)が将軍家に献上の鱈を仕立てさせ、先ず自身の前に
取り寄せて品物を改めて見ると、なんとその鱈に、ほんの少しだが塵がついていた。伊豆守これを見咎め

「上に捧げるものに、このような粗相をするとはなんと不都合なことか!」
そう担当者をしたたかに叱りつけた。
と、この時たまたま、旗本の井上新左衛門が傍におり、

「伊豆殿、そんなにお叱りなさるな。そもそも鱈というのは、塵のついているものですぞ?」

「井上殿?それはいかなる理由ですか?」

すると井上新左衛門、大真面目な顔をして
「式三番(能の演目)にあるではありませんか、『塵や鱈り鱈り鱈』と謡いるので、
これにより鱈に塵が付いているのは当然のことであります」
(式三番の翁の謡、『とふ くたら里々々ら々りら々里とふ ちりやたら 里々々ら、里ら々り、ら々里とふ 、のもじり)

伊豆守これを聞いて、「また例の、新左衛門殿の滑稽よ」と打笑いつつ
「しかしそうであっても、物には念を入れるに若くはありません。」
と言えば新左衛門

「それは貴殿が御大役を勤められているので、その様にお考えになるのでしょうが、拙者のような
軽い者は余り念を入れすぎると、却って害になることもあるのですよ。」

「ほう?念を入れすぎて害になった例があるのですか?」

これに新左衛門
「大いにあります!昔、唐の玄宗皇帝が楊貴妃との死別を悲しみ、方士に命じてその魂のある所を
尋ねさせました。方士は方々を探し、ついに蓬莱宮で貴妃に会い勅命を伝えれば、貴妃もこれに悲嘆して
私の居る証拠にと、玉の簪を方士に与えました。方士はこれを得てそのまま帰ればその身の害も
なかったというのに、つい念を入れて

『この簪は世に似たものも多くある物ですから、この証拠になり難いかと思います。
貴方様と君との、人知れぬ睦言などがあればお聞かせ下さい。それを証拠として復命したいと
思います。』

これに楊貴妃、それもそうだと思い

『天にあらば願わくば比翼の鳥とならむ、地にあらば願わくば連理の枝とならむ』

との、玄宗皇帝との誓いの言葉を方士に伝えられました。方士はこれを承って立ち返り、
その旨を皇帝に奏上すると、これを聞いた皇帝は

『確かにこの密語は誰も知らないはずだ。これを伝えるからには貴妃に会ったに相違ない。
しかし、これほど他に漏らしたことのない密語を聞いて帰るからには、こいつめ!
貴妃と密通したに相違ない!!」

とて、是非も言わせず忽ちに方士を殺されたとのことです。これぞ念を入れすぎて却って身の害となった
という事ではないでしょうか?」

これに伊豆守、いよいよ大笑いして

「いや実に、その通りです。」

と笑いながら言われたとのことである。
(武士道美譚)




402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 10:49:54.68 ID:vpJjED7R
伊豆守笑い杉w

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 11:40:16.66 ID:nDwjHDGO
長恨歌では方士は殺されてなかったような
むしろ玄宗から褒美をもらってなかったか

知恵伊豆「世の中にはもっと不思議なことがいくらでもあるのに、例えば」

2011年05月17日 00:00

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 23:02:19.67 ID:B9BSK99t
江戸に大火があったとき(おそらはく明暦3年の明暦の大火)、大災害の時にありがちだが
色々と怪異な事の噂が流れ、人々はこれを大変怪しんだという。

そんな時、知恵伊豆こと松平信綱はこんな事を語った

「世の中にはそんな怪異よりもっと不思議なことがいくらでもあるのに、
人々はそれを怪しもうとはしないものだ。
例えば故太閤が草刈りの身分から21年で天下をお取りになったことなど、
これより不思議なことがあるだろうか?」
(武功雑記)




196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 00:20:58.52 ID:OM5dLkfG
平清盛の出世には天皇落胤説で説明するむきもあるが
秀吉落胤説は鼻で笑われただけであった。

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 01:08:41.17 ID:fDAvZDkj
そもそも関白に任官されるための方便で考え出したものだし>秀吉落胤説
鼻で笑われるどころか目論見通り関白に就任し、
豊臣氏まで賜わってるんだから大成功と言って良い
天下人になった後は更にスケールがでかくなって日輪の子を自称してる

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 01:28:43.87 ID:Q+sQ76WD
「知恵伊豆が家光の死に殉死しなかったことを江戸市民は非難した」
とWikipediaにあるが、初期江戸民は三河のめんどくささにすっかり毒されていたのだなぁ

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 01:36:31.02 ID:iOijdq8N
殉死って当時どういう風に思われてたんだ?
するべきものだったのか、でも禁止してた人もいるよな

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 04:58:36.01 ID:3DTVaTzo
戦がなくなって討ち死にする事もなくなり
その代償行為みたいなものだからな

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 06:10:53.49 ID:gP9bdqDA
スケール(笑)
土人じゃあるまいし、大名がそんなもの真剣に拝んじゃいないだろw

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 07:42:33.48 ID:0RmVhPhF
>>201
毛利元就が毎朝日の出を拝んで、念仏唱えてたのは有名。
神道なのか仏教なのかはっきりしろと言いたい。

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 08:10:28.64 ID:3DTVaTzo
>>206
神仏分離令より前の時代だぜ

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 08:17:45.21 ID:wE047Atd
月を拝んで「我に七難八苦を与えたまえ」と言った武将もいたな、なんで月なんだろ

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 08:20:13.42 ID:CES5O28m
武士ってロマンチックな奴多いよな。生き方そのものが詩的というか

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 11:10:31.06 ID:OM5dLkfG
>>208
出雲は月信仰が盛んだったらしい。都久豆美命(つくづみのみこと→月読命と同じか?)というらしい。

昔の山陰は海上交易で盛えてた。夜の星は方位を知るのに重宝。星々の代表として月なんじゃないかな

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 17:54:50.21 ID:tK+5Qme5
上月城で敗れて、その後殺されたから
後から話が作られた、ってわけではないのか

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 18:26:22.83 ID:DWOx75mk
尼子の本城のある山が月山つーくらいだし

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 18:51:37.71 ID:bzKIgrCF
つ…つきやまとみたじょう?

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 19:14:58.21 ID:XO/iSYnJ
月山の麓には最後の富田城主だった堀尾さんの墓があるんだよな。
心血注いで完成も間近の松江じゃなくそっちに葬るようわざわざ遺言してまで。

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 21:53:11.79 ID:57I/M++b
>>208
やっぱ昼やるとはずかしいじゃん

岩上角左衛門、松平輝綱を

2011年03月12日 00:01

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:00:03.75 ID:jh9Javie
いいはなし

寛永15年2月(1638)島原の乱、幕府軍の総攻撃により、原城に籠ったキリシタンたちも
遂にその終焉を迎えようとしていた。
と、その時

知恵伊豆こと、幕府軍の総指揮を取る松平信綱の嫡男、当時19歳の甲斐守輝綱は、
戦闘に参加するためただ一騎馬を走らせ城へと向かった。
これを知り信綱は激怒し、家臣の岩上角左衛門を呼んで「輝綱をすぐに止めてくるように!」
と命ずる。
岩上は直ぐ様馬に飛び乗り輝綱の後を追い、遂に追いつくと彼の馬の前に立ちふさがり
輝綱に向かって叫んだ

「伊豆守様よりのお言葉を伝え申す!

『伊豆守は将軍家の御代官としてこの地に来たのであって、諸軍と功を争ってはならないと、
家中の者たちにも固く命じていたところである!ましてその長男がその様に抜け駆けし、
先陣を争うなどあり得べきことではない!
その行為をすぐに辞めるように!!』

以上でござる!」

と、輝綱の馬の頭を取って本陣に帰らせようとした。
しかし輝綱19歳、血気盛んでありまた、幼少より武芸に秀で、後に武士の手本とまで
呼ばれた人物である。岩上の言うことも聞かず再び戦場に向けて馬を走らせようとした。

ここで岩上角左衛門、兜を脱ぎ捨て輝綱の前に自分の首を差し出した!そして

「それがしの首を取らねば、戦に出ることかないませぬぞ!
さあ、速やかにこの首を刎ね、その後で思い通りになされませい!!」

睨み合う輝綱と岩上角左衛門。が、輝綱遂に馬の首を返し、一鞭当てて本陣へと戻っていった。


後々、松平輝綱は事あるごとに

「私に戦の高名がないのは、全部岩上のせいだ!」

と恨み言を言ったという。そしてその上で必ずこう付け加えた。

「でもな、主人を諌めるって言うのは、あのくらいじゃないと駄目なんだ。」


島原の乱での、伊豆守家主従のヒトコマである。




194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:06:54.52 ID:IO5tgaC4
命をかけて主君を戒める家臣とそんな戒めを聞きいれる度量を持つ主君
美しいよな

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:14:49.75 ID:EUrCXwPG
森家某家臣『殿、深入りはなりませぬ、どうしてもというならそれがしの首を討ってからいきなされ』

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:17:39.11 ID:NjN3kGqd
>>195
森家の家臣にそんなの居ないw
甲州入りの時も、信長からも信忠からも「深入りするな」って命じられてたのに
「命令?知るか!」
とどんどん戦線を拡大しちゃったわけでw

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:28:53.35 ID:bhxQwN9w
池田家家臣 「若、ここはお家のために退いて下され!」

輝政 「親父の仇は厚遇するけど、仇討ち邪魔したアイツは冷遇する」

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:29:36.12 ID:EUrCXwPG
ならば
森家某家臣『殿、抜け駆けをしなければなりませぬ、どうしてもしないというならそれがしの首を討ってくだされ』


199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:51:26.51 ID:yMicKBbw
そんなこと言う間に走ってるよ、主従ともなw

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:56:34.46 ID:/qGWaj0J
止める係の存在がまず無い

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 23:58:19.03 ID:EUrCXwPG
くそwならば


森家某家臣『殿、これは抜け駆けではござらん、奇襲でござるよ、某が良い働きをできなければ首を討ってくだされ』


もはや原文台無しwww

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/11(金) 00:26:43.95 ID:/YietsRZ
森家某家臣『とっ…………』

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/11(金) 00:48:40.40 ID:7ObqDUCr
森家家臣「ヒャッハー!」
森家主君「ヒャッハー?」
森家家臣「ヒャッハー!!」
森家主君「ヒャッハー!!!」

瀬川嘉右衛門の「虫食い」

2010年11月11日 00:00

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 09:12:24 ID:iF8657Ub

江戸時代初期。「知恵伊豆」こと松平信綱が治める武州川越(現・埼玉県川越市)
瀬川嘉右衛門という男が居た。
中々の武勇の持ち主で、川越藩では槍持ちを任されていたと言う。

しかしこの嘉右衛門、武勇以上に名を馳せている事があった。
それは「酒飲み」。

とにかく酒が大好きな男で、毎日浴びるように酒を飲んでいたという。
そんな生活をしていたら勿論、金は貯まらない。
少ない貯えを全て酒に注ぎ込み、酒の肴を買う金すらなかったのだが、嘉右衛門は
悪食としても知られ、肉だろうが魚だろうが、酒と一緒なら何でも頓着せずに食し
ていた。
そして挙句の果てに、手持ちの無い彼が食すようになったのが『虫』。

蝗の佃煮とか、蜂の子だとか、そう言った食用の虫ではない。
とにかく眼についた生物は全て口の中に放り込み、酒で流し込んでしまったらしい。

槍持ちに任じられた侍の事を「槍持ち奴」と言った事から、嘉右衛門は「虫食い奴」
(むしくいやっこ)と綽名されたという。

そんな嘉右衛門は、普段から人と変わった事をするのを好み、「傾き者」として知
られていた。
「虫食い」もあるいは人と違う事をやって見せようというパフォーマンスの一つだ
ったのかも知れない。

嘉右衛門のパフォーマンスは、遂には自らの死後の事にまで及ぶ。
自分の墓石を自ら作成し、「オレが死んだ後はこれを墓石にしてくれ!」と寺に収
めたのだ。
しかもこの墓石、普通の墓石ではない。
嘉右衛門自身の姿を写し彫った肖像の墓石だったのである。

彼の墓に参る人々は、嘉右衛門自身の姿に手を合わせ、墓前に酒を供える。ちょっ
と気の利いた人なら、そこらを這っている蟻でもつまんで酒の中に落としてあげた
かもしれない。

現在、川越の法善寺には嘉右衛門が作った墓は無く、後に作り直した二代目の肖像
墓が鎮座している。
羽織袴姿で酒樽に腰をかけ、酒杯を手にする彼の『墓』。
本人の死後、数百年にも渡り、大好きだった酒盃を傾ける自分の分身があるという
のは彼にとって、最高の幸せだったのかもしれない。




まさか、仙台のじいちゃんと鼠汁で勝負したの、コイツじゃなかろうな?www
(>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-580.html)


207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 09:15:50 ID:FznAY+r8
虫か・・・この時代には有効なタンパク源だったのかもな。
アル中は怖いよ・・・

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 12:23:29 ID:mXnv+oOj
もし嘉右衛門が戦国期の人で馬場美濃守と信玄がその話を知っていたら
芋虫握りつぶしの逸話が芋虫食いに変わっていたかも知れないな
いや惜しかった

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 20:18:30 ID:FznAY+r8
>>209
いや、あの話は信玄は芋虫つかんだだけで潰してはいない。
素手で潰したら青くなるどころじゃ済まないとおもうよw

「神様のイタズラ」

2010年08月10日 00:01

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/09(月) 14:12:33 ID:lopCCUCs
「神様のイタズラ」

1620年代、江戸時代初期の話である。
筑後柳川藩立花家と肥前佐賀藩鍋島家は、領地の境界をめぐって激しく対立していた。
筑後川が両家の境界だったのだが、その河口あたりに二つの島(中洲)が出現してしまったのである。

m9(・∀・)ビシッ!!「どう見ても筑後側に寄ってるから、柳川藩領だね!」
ハァ?(゚Д゚)y─┛~~ 「とっくに肥前の百姓が住んでるだろ?佐賀藩領だよ!」
(・A・)「慶長6年(1601)には筑後の百姓が干拓を開始してるんだぞ!?」
( ゚Д゚)「文禄年中(1592~1595)には勝茂公が八大龍王の祠を建立して先占してるんだぜ!?」
(#・∀・)「うちが関ヶ原で領地没収されてる間に既成事実を重ねやがって!!」
(#゚Д゚)「20年ぶりに帰ってきてイチャモンかよ!?何を今さら!!」

両家は一歩も引かない。もはや話し合いでは決着はつきそうに無かった。
かと言って、このご時世に武力衝突も出来ない。
この問題が解決するのは1640年代後半、幕府の老中「知恵伊豆」こと松平伊豆守の登場によって、であった。

知恵伊豆「ここまでこじれたら、神様にまかせるしかないよ!筑後川の上流から御幣を流してさ、
その行き先で境界線を決めようよ!」

ちなみに「御幣」とはこんなのである。
http://www.shinsen-dou.com/gohei.html
両家とも他に解決法が浮かばず、この提案に乗った。
肥前の千栗八幡宮(佐賀県北茂安町)と、筑後の高良大社(久留米市)から御幣をいただき、その御幣を柴に括くくる。
そして上流から流すのだ。
二つの島の筑後側を流れれば、そこが国境となるので、島は佐賀藩領。
逆に肥前側を流れれば、そこが国境となって、島は柳川藩領である。
両藩の重役が見守る中、御幣は肥前側に・・・・・・

(・∀・)イイ!!
(lll゚Д゚)ヒィィィィ

しかし、ここで有明海から潮が逆流!!

(*ノ∀ノ)イヤン
(屮゜Д゜)屮 カモーン!

御幣は複雑な潮の流れに翻弄され、ついに肥前側に流れたかた思うと、
途中で方向転換して二つの島の中間を横切って、筑後側に流れてきたのである。

(・∀・)「これはつまり、上流の雄島が柳川藩領になって・・・・・・」
 (゚Д゚) 「下流の雌島が佐賀藩領ってことか・・・・・・」
知恵伊豆「これにて一件落着!(いや本人は江戸から指示出してるんだけどね)」

そもそも領地争いになったのも、いきなり中州が出現したからだし、
最初から最後まで、天というか、神様の気まぐれに振り回されてる気がしないでもない。
ちなみに、その中州はその後も土砂の堆積と干拓が進み、現在では一つの島になっている。
現在の大野島(福岡県大川市)と大詫間島(佐賀県川副町)のことだ。
・・・・・・そう。21世紀の現代でも、この島はこの時の境界のままだ。
それだけではない。
誰がどう見ても一つの島なのに、未だに「総称」がなく、半分づつ名前がついているのだ。
アホみたいな話だが実話である。




382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/09(月) 14:26:01 ID:hc/yTi4E
同じ島の中で方言が違ったりするのかな?

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/09(月) 14:29:40 ID:IuAdMNVs
なんでわかれとるんかなって思ったら、そういう理由があったのか

>>382
隣同士の場所でそうそう変わらんだろ

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/09(月) 18:00:13 ID:L+cRJLQe
>>383
ああ、あの島ね。なるほど
しかし、瓜生島の逆パターンの島なんだな

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/09(月) 19:32:22 ID:7QSOGVfc
しかしまあ、上手に解決したもんだなあ
俺なら贔屓にしてる方に二つの島あげちゃうもん

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/09(月) 20:07:20 ID:owUdPt/6
「争いごとは元から絶たなきゃいけないよね、この中州は天領でいいよね!」ってな感じの豪腕ブリは・・・

391 名前:382[sage] 投稿日:2010/08/09(月) 21:34:49 ID:hc/yTi4E
ちょっと調べてみたら、いまだに、方言も風習も全然違うみたいだな

ttp://akikoy.at.webry.info/200709/article_49.html

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/09(月) 22:28:15 ID:2h4BqSTH
>>385
殿中でござる殿中でござるくらうぞw

味のおかしな羹と知恵伊豆

2010年08月04日 00:00

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/03(火) 12:16:53 ID:wp/FFOXq
徳川家光が食事を取っていた時のこと、ふと知恵伊豆こと松平信綱を呼んで、
食事の中にあったあつものを分けて、これを食べて感想を話すよう言った。

信綱これを頂き味を見、しばらく案じてから

「これは古くなって味の悪くなったものを、あつものにしてしまったようです。」

と、申し上げた。「これは担当の奉行の失態であるな。応分の処分をするように。」
と家光は命じ、信綱はかしこまって退出した。

翌日の夜、家光は重ねて信綱を召しだし、昨日のこと、どのように処分したかを尋ねた。
信綱は謹んで

「昨日のあつものですが、あれは料理をした者が少々うっかりして古く味の悪くなったものを
御膳に出してしまった、というだけのことであり、担当の奉行にはよくよく注意しておきました。

何故そう解るかといえば、私は昨日あのあつものを頂いてから今まで、湯水の他に何も
口に入れませんでした。これは、もしや毒でも入れたか、と案じたためですが、
現在にいたるまで体調は些かも変わることはありません。

しかればこれは、ただうっかりと不注意なままに、あのように味の変わったものを
使ってしまった、と言うことです。それ故その処分も、相応のものと致しました。」

家光これを聞き、信綱の所為実にかなえりと深く思し召した、とのことである。


知恵伊豆の、実に実証主義的な判断の仕方についてのお話。




484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/03(火) 14:10:02 ID:1EDvIrVE
偉大な家系は三代目が一番気を付けなきゃいけない時期だけど
春日局といい保科正之といいこの人といい
家光はいい部下に恵まれたから乗り切れたんだな

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/03(火) 14:26:19 ID:nwCiZHUk
これが権現様の時代なら
知恵伊豆並みの部下がいても三河武士のめんどくささが先に立って
応分の処分=切腹なんだろうな

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/03(火) 15:29:29 ID:wp/FFOXq
>>485
いや権現様の若い頃なら

・味の悪くなった食べ物→家康激怒「おのれ主君に腐ったものを出すとは手打ちにいたす!」

→ここで作左さんあたり登場「味の悪くなった食べ物くらいで手打ちにするなら我らは
自分の女房を皆斬り殺さねばなりません何故なら我らの若い頃はろくに食うものもなく
少々腐っていようがかまわず…」とかなんとかクドクド

→家康、いたたまれなくなって奥に引っ込む。→反省して許す。


こんな感じだろうな。これから考えれば家光の反応も知恵伊豆の対応も
非常に文明化しておるw

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/03(火) 18:22:48 ID:pAnFdpKz
膾を吹く話にいつなるのかと思いつつ最後まで読んだwwww

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/03(火) 18:29:29 ID:O81+5Sdf
>>486
ワロタ

松平信綱『大刀と小刀』

2010年07月21日 00:01

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 19:48:08 ID:+6dcuBFi
ある旗本が松平信綱に言うには
「諸侯は大国を賜り、参勤の際には上使を派遣され、帰国の折には下贈品もあって、
とても厚遇されておりますね。対してわれら旗本は、大事の際に将軍のもとに参上し、
まっさきにご奉公いたしますのに、こうしたおもてなしがないのは理解に苦しむところですな」
とのことであった。

これに信綱が答えるには
「諸侯の厚遇には理由がある。諸侯は合戦では要所の守備を命じられ、平時も普請などで
金を使っているであろう。こうした時に頼みやすいよう普段から心を通じているわけだ。
例えれば、腰の刀はいざという時のためにあるが10人に9人は一生使わないにもかかわらず、
いつも大切に扱っておる。小刀はいつも使うが、それほど大事にしているわけでもない。
そういうことだ」ということであった。




262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 20:02:57 ID:8+svO9rb
>>261
それってつまり「おまえらは便利だからいつも使うけど別に大切じゃない」ってことじゃね?

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 20:16:56 ID:gIG/NoYJ
>>262
将軍に取って本当に近しいのは旗本だ、ってことだよ。

若き知恵伊豆、幼い家光のピンチを

2010年07月02日 00:00

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 20:01:15 ID:yB0Yjulm
知恵伊豆シリーズ

慶長16年(1611)の事

当時7歳の徳川竹千代、後の徳川家光は、早くも鉄砲の稽古を始めていた。
病気より回復し再び出仕し始めたばかりの、この時16歳の知恵伊豆、松平長四郎信綱も、
病後の体ながらそれを見学に行った。

さてこの時、竹千代が引き金を引いたにもかかわらず、弾丸が発射されないことがあった。
火縄が途中で消えていたのだ。
竹千代は「火薬の詰め方が悪かったか?」と、鉄砲をそのかたわらに置いた。

少しして竹千代はその鉄砲のことを忘れ、その銃口の前に体を動かした。その時である

「危ない!!」

信綱は猛然と駆け出し、その鉄砲を蹴り飛ばした!
飛ばされた鉄砲はしばらくすると、轟音を立てて暴発した。これは火縄が火皿に触れたままになっており、
火縄が再び燃え出したため弾丸が発射してしまったのだ。
信綱はとっさにその事に気が付き、鉄砲を蹴り飛ばしたのである。

この時家光の守役、青山忠俊は涙を流し、「只今の振る舞い、形容する言葉も無いほどの忠節である」と、
信綱を褒めたたえたという。

「信綱記」に出てくる、若き知恵伊豆、幼い家光のピンチを救う、と言うお話。




22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 20:33:33 ID:5RWbyUtF
>>21
知恵伊豆GJ!
銃口の前に出てはいけないなんて、近代軍隊では一番最初に叩き込まれることだけど
当時はそんな思想もあまりなかったんだろうなあ

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 20:51:33 ID:nOfhpEkm
火縄銃って危ないんだな。

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 21:13:25 ID:nYL0t1S3
そりゃ火器だから危ないにきまってるだろうに~

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 21:55:43 ID:7h5JwanT
>>22
平和ボケの可能性もあるんじゃね?
竹束の持ち方も知らない世代のさらに下(?)だし。

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 22:24:42 ID:nOfhpEkm
>>24
そういうことじゃなく暴発とかで亡くなった人多いらしいし。
そういう危ないものをよく将軍に使わせるよなと。
ちなみに火縄銃ってすごい轟音なんだな。
ttp://www.youtube.com/watch?v=AddG3JunxLU

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 23:37:59 ID:wUqcRg1n
家康はかなり老年まで自分で鉄砲撃つようにしてたようだし
馬術や兵法と同じで、ひと通りの訓練は武家の棟梁としての義務だったんじゃないかな。
従兄弟には武家らしく育てられず、名誉の働きもせずに死んだ人もいるし。

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 23:51:51 ID:sE/Lg7wP
遅発は現代の薬莢式の銃でも起こる事があって
これもかなり危険な事故を起こすのよね
何しろ人間のコントロールできないタイミングで発火しちゃうから

この場合は指南役がちゃんと見てないといけない
知恵伊豆GJ
ただ・・・知恵伊豆が蹴っ飛ばした衝撃で発火状態になった可能性もあるのだがw

知恵伊豆、拷問への見解と気遣い

2010年07月01日 00:00

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 12:45:41 ID:nBwo0y8g
江戸南町奉行、神尾備前守元勝が、上司である老中松平信綱の屋敷を訪ねた時に、こんな事を聞いた
「罪人に対して、取調べに拷問を行うべきでしょうか?」

しかし信綱、これに直接答えようとせず
「いよいよ詮議を煮詰めるように」

とだけ言った。

このやりとりを聞いていた他の人が奇妙に思い、別の機会に信綱に問いただした
「備前守殿が拷問の良し悪しを聞いてきたのに、『いよいよ詮議を煮詰めるように』とだけおっしゃったことは、
どうにも心得難いものがあります。あれは一体どういう事なのでしょうか?」

信綱、これに
「取調べのさい、詮議が不十分で吟味が行き届かないからこそ拷問などに頼ることになるのです。
よく詮議をしてその案件の全てがはっきりとすれば、どうして拷問などを行う必要があるでしょうか?
すなわち、拷問を行うのは奉行に才能が無く詮議が不十分だと告白しているようなものです。
拷問とは、奉行の恥というべきです!」

「では否と答えておけば…」

「いいえ、私は備前守が奉行所で拷問を行っているのかどうかを知りません。
仮に拷問を行っているのであれば、あの時多くの同席の人がいる前で、彼に恥をかかせる事になってしまいます。
そのような事があってはならないと考え、あのように答えたのです。」

今の世の中でも通用しそうな、知恵伊豆の気遣いのおはなし。




15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 13:07:25 ID:zammfWff
鳥居「いよいよ詮議を煮詰めるように」

ざわ……ざわ……

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 16:09:12 ID:0ujWVFEh
信長「炙ってみよう」

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 19:59:15 ID:imJ+AmEF
詮議って、足利義詮の息子辺りにいそうな漢字の名前にしか思えなかったんで・・・煮詰めろとか、ぱっと見では怖すぎた

知恵伊豆と安松金右衛門、川越野火止灌水計画

2010年06月04日 00:00

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 18:44:00 ID:WqjTepqU
最近は知恵伊豆が話題なようなので便乗する。


松平信綱は領地の川越野火止の灌水計画を実行に移した。
三千両もの費用がかかる予定だったが、
信綱は「土地のためになるならこれもご奉公だ」と考えた。

計画の発案者は野火止代官の安松金右衛門。
まず多摩川から十六里ほどの溝を掘り、新川岸という所までひいたが、
水は流れないまま一年が過ぎた。

伊豆「開発はどうなっておる」
安松「はい、まだ水は流れません。しかし必ず流れます」

力強く答える安松だったが、二年目になっても水は流れなかった。

伊豆「水はまだ流れぬそうだな、金右衛門?」
安松「必ず流れるはずです。というのもあの一帯は乾燥して風も強いのですが、
   今年は何故か塵や埃が少なく、作物もよく育ちました。
   こんな珍しい事が起こるのは多摩川の水が地下一帯を湿らせているのです。
   必ず水は流れます」

しかし三年目になっても水は流れない。呼び出された安松は昨年と同じ説明をした。

伊豆「それは去年も聞いたぞ。そちは土地の高低を分かっておるのか?
   川の面より開拓地の方が高いから水が流れないのではないのか?違うのか?」
安松「それがしにすべてお任せください。必ず水は流れます」

金右衛門は信綱に問い詰められてもどうじる事なく、自信満々であった。

その秋に大雨が降った。このため溝には水が通じて開拓地を潤した。
元々、二百石だった土地は一気に二千石にまでなり、住民たちは歓喜した。

伊豆「いやあ、この間は無闇に責めたりしてすまなかったなあ。
   責められても自信を貫き通すなんて、そちはたいしたものだ!」

そう言って、信綱は金右衛門の俸禄を倍にしてやったのだという。




464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 19:57:11 ID:0yO92qOf
ホントに金右衛門は自信があったのかなぁ…

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 20:06:39 ID:Atmx4rV1
>>464
おそらく金右衛門には過去に大雨の経験があって、
「こんなこともあろうかと」的に腹案を実現させたのかもね。

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 20:06:59 ID:7knymvTF
失敗しましたと認めたら切腹

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 20:08:30 ID:6Kb+/kFW
なんで、一旦大雨が降ると水が通じるんだ?
その原理が分からない。
伏越で雨水が呼び水になったとかなら分かるが。

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 20:28:23 ID:0AZf/ofu
高低差が少なければ水量でゴリ押しできるんでしょ

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 21:08:42 ID:WqjTepqU
>>467
「大雨が降り、溝に水があふれ多摩川から溝に水が通じた」とのことで

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 21:58:31 ID:5Tdz97mv
3年経っても平然と信じた知恵伊豆すごいな。普通なら首を切るとこだ。
現代だったら大騒ぎだろう。

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:12:29 ID:0yO92qOf
洪水待ちってことかよ…遊水池を造ったようなものか?
なんかのんびりした話にも聞こえるなあ。

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:14:33 ID:BSjQyE5s
>>471
ぽっぽ辞任の翌日のためか、
「3年経っても平然と信じた」てところにあらぬ作為を感じてしまう

474 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/03(木) 22:15:55 ID:IRP8QQMP
トンネルみたいに上流まで掘って行って
最後に貫通させるだけで良くね?

よく意味が分からん。

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:21:23 ID:6Kb+/kFW
>>470
だから、そうなる原理はなにかな、と。
伏越って知ってる?

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:27:28 ID:WqjTepqU
そう言われてもそう書いてるんだもん・・・。
wikiの安松金右衛門とかのほうが詳しいと思う。

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:36:58 ID:BSjQyE5s
なんとなく、サイフォンの原理っぽい気もしないでもない
溝を掘るだけ→高低差のため流れない
地面が湿ってきた→地面による毛細管現象で高いところでもそれなりに湿る
洪水→いったん水が連続して通じたため、川の終点が上流よりも低いところであれば
サイフォンの原理で途中の高いところでも、それ以後川は流れ続ける

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:42:46 ID:57z5U14z
つまり2年目の段階で既に水は、地下水流としては流れ込んでいて、地表上に水流が流れるのも
きっかけを待つだけだった、と言う状況だったってことか。

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:44:04 ID:jU6RVhz4
あくまで知恵伊豆の大度と、安松の自負心を称える逸話
信頼関係のある主従だったんだろね

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 23:39:19 ID:gDb1M3Jk
http://up3.viploader.net/jiko/src/vljiko021181.jpg

ちなみに今の野火止用水に流れてる水は100%下水処理水

481 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/06/03(木) 23:45:13 ID:9Z9pSSt9
>>477
なんとなくだが、多摩川から16里(64Km)で終点が乾燥した土地の開拓地だから、
1年目;溝を掘る。→乾燥した土地のため、多摩川の水は途中で土中にしみこむだけ。
2年目;まだ、多摩川の水は溝の途中で土地にしみこむが、土中水分量が飽和状態に近くなったので、
    作物が育つ程度の水分量は土中に存在する。
3年目秋まで;夏の渇水期があるので、2年目と同様

ここまでは、砂漠で川が途中でなくなると言うのと同じ事。

3年目の秋;大雨が降り、開拓地の土中の水分量は飽和状態になるため、水が土中へ浸透しなくなると
      同時に多摩川の増水期が起きるので、用水路が完成する。

まぁ、結論から言えば、大雨が降らなくても土中水分量が多摩川の水だけで飽和状態になれば
溝に水が流れるということでしょうな。
[ 続きを読む ]

知恵伊豆のターンだ!

2010年05月24日 00:01

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 01:18:41 ID:gJPj5ugN
元和九年(1623)4月のこと。
老中酒井忠勝は、途方にくれていた。

この13日に将軍世子徳川家光は日光東照宮への参拝を予定していたのだが、その家光からの番割(参拝における
行列の計画表)の提出が、遅れに遅れていたのだ。参拝とは言え将軍世子の行列である。当然規模も大きく
その移動には多くの準備が必要である。が、その計画表が上がってこないことにはどうにも出来ない。

焦る忠勝の元に、ギリギリになって番割は提出された。しかしホッとしたのもつかの間、忠勝はそれを見て驚いた。
それはごく細かいことまでありとあらゆることが指定された長大なもので、何と一巻の巻物になっていたのだ。

「そりゃあ時間がかかるわけだ」

と半ば呆れ半ば感心したが、忠勝に取ってはそう感心するだけでは事は済まない。この家光から出された計画表を
きちんと実行しなければ、自分の不手際になるのである。しかし…

「これを滞りなく実行するには、現場に最低でも数部をコピーして渡し、周知徹底させねばならない。
だが右筆たちに写させても。この長大な文章では、期限までに間に合わない!」

当時、写筆は一人が丸々書くのが常識だった。なのでどう考えても、期日までに必要な数の写しを用意するのは無理である。
そういうわけで途方にくれていたのだ。
と、

そこに通りかかったのが知恵伊豆、松平信綱である!

「たすけてー!知恵伊豆えもん~!!」

知恵伊豆なら何とかしてくれる!酒井忠勝は信綱に泣きついた。

「しょうがないなあ忠勝くんは。ボクが何とかしてみるよ!」

信綱は番割の巻物を借り受けると、江戸城中の右筆数十人を呼び集めた!
そして彼らの前で

「ここからは知恵伊豆のターンだ!先ずこの番割の巻物、これを半紙一枚ごとの長さでカットする!」

「ええ!?切り刻む!?」

「そうだ!後で順番を間違えないよう印をつけた上でな!そして右筆一人当たり2,3枚を割り当てる!
お前たちはその自分に任されたものだけを写せ!そして書き上がったものを後で張り合わせる!」

「分業体制!!」

「それぞれの筆跡の違いを気にすることはないぞ?実務に使うテキストだ。そんなことはどうでもいい。
さあお前たち、一斉に書き上げろ!」

「ははーっ!」

こうして信綱はたちまち、数部の写しを作り上げた。
酒井忠勝は大喜びでこれを受け取り、家光の日光参拝は無事、滞り無く行われた。

当時の常識を持ち前の合理主義で軽々と飛び越え見事に目的を果たした、
知恵伊豆の名の面目躍如たるお話。




209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 01:25:15 ID:dzH6RIJS
>>208
>「分業体制!!」
ワロタwww
こういう気の利いた(?)文章好きだわ乙

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 01:26:33 ID:dz5Tt2V+
>>208
「知恵伊豆」と聞いて志村伊豆守光安がそわそわしております。

島原の乱、芦塚忠右衛門の策と松平信綱

2009年11月25日 00:13

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 17:47:32 ID:WOMkoNTq
島原の乱の討伐に、知恵伊豆こと松平信綱が派遣された頃の話。

すでに、籠城する一揆軍は兵糧不足に陥り、困窮していた。
一揆の大将に、芦塚忠右衛門という者がいて、彼は様々に考え、一計を案じた。
城門の外で戦い、引き上げる際に兵糧をわざと残していく。
そうすれば、敵は籠城方の食糧潤沢と見て、兵糧攻めをとらないだろう。
彼はそう読み、三十ばかりも腰兵糧を置いていった。

さて、この報告を受けた幕府軍の本陣。
首脳達はさぞ動揺し……なかった。
「一揆衆って勇猛かと思ってたけど全然たいしたことないなw
さすが百姓、撤退戦で 狼 狽 し て 兵糧捨てて逃げやがったw」
なんの疑問もなく、一揆衆が総崩れしたと思い込む首脳陣。
知恵伊豆も「兵糧捨てるとかありえないねw」と一緒に笑う始末だった。

後からこれを聞いた人々は、
知恵伊豆は、世事には長けているが戦はてんで疎い、
芦塚という者も、通じもしない相手に策を練って、兵糧だけ失うとは、
と双方をあげつらったそうである。




572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/24(火) 20:45:51 ID:n8CGIwPv
>>569
芦塚さんも考えた時はノリノリだったんだろうなw

横山三国志で「策とは相手の知能を見て立てるものです」みたいなことを孔明さんが言ってたな。

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 00:40:57 ID:76ZWb+9K
>>572
 「知恵伊豆」の知恵は殆ど政治専門で軍略は糞だったでござる。
 ってことか。

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 00:45:25 ID:xlxJDe4X
正直、芦塚忠右衛門のやったこと自体が、江戸期の、しかも中期以降の軍学の臭いが強くて、
とてもじゃないが実戦的じゃないけどね。

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 03:49:07 ID:PiIPO0i3
戦談議は漏らしてでも聞けという時代でもないからな、仕方ないでしょ。

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 07:34:59 ID:KhORnkew
古い戦術だろうと使い方では役立つし
むしろ一揆軍の中にこうして知恵を働かせた人物がいた方が驚いた

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 07:53:44 ID:DTispAUH
一揆軍と言ってもも中核は元武士の浪人達だからね

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 08:32:24 ID:QAxoFcp1
でもしっかり兵糧攻めは続けているわな

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 09:08:34 ID:WItJaofx
>569の逸話の知恵伊豆は、「兵糧を捨てていくということがまずあり得ない」という点から、
城側の混乱や、軍事知識のなさを悟って笑ったってことじゃないのか?

知恵伊豆の揶揄されっぷりといい、かなり創作臭い。

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