動物に対しても

2014年08月31日 18:57

642 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/08/31(日) 10:45:12.88 ID:ROZLsEFt
動物に対しても、よく手入れをして、可愛がることを忘れてはならぬ。
『論語』にも、
「犬はよく見張り役をつとめ、馬は労働を尽くしてくれる。
犬馬といえども人の仲間である」
とある

武田信繁
(信玄家法より)

動物にも優しい誠の武士な弟さん



643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 11:13:27.87 ID:wWZHwm8F
猫苦手なのに役に立つからって猫飼い始めたりするしな

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 11:23:25.62 ID:bNfl38y/
論語にそんなのあったっけ
「今の奴らは親を養えば孝行だと思っていやがるが、犬や馬だって養ってるじゃねえか、どう違うんだおい」
てのなら為政第二であるけど

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 11:24:52.53 ID:4+Xin9oD
武田信繁家訓は小学校で教えてもいいレベル

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 11:55:34.44 ID:ROZLsEFt
>>644
立派な人ってのはそういうもんなんだろ
論語本場の王陽明もかなり改造して読んでるし

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武士として大切な勇

2013年04月21日 19:00

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 17:05:43.99 ID:0fEREdcl
武田の風林火山の旗を見れば、
腰抜け武士はそれだけで逃げ出す。
そんな武田家全盛の時代のこと。
武田信繁は重臣にこの思いを書き残した。
「たとえ自分の立場が時勢に適応して、
地位、力のある者が親類、周囲にあったとしても、
そのことに安心して、軟弱な趣味を持ったり、
あるいはことさら派手な振舞いなどと、
そういったことをしてはいけない。
なぜなら、それは武士として大切な勇を失いがちになるからだ。
三略にも上の者に勇がなければ、
役人、武士もこれを軽く見るとある通りだ」

《信玄家法》



90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:03:19.48 ID:KSMvLDiY
信繁堅いなー。背中叩くとカーンて音が鳴るかも

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:51:59.51 ID:MOMKxQKX
超義理堅い堅物と思われてた方が安全ではあっただろうな
謀略に長けた兄を持ってしまうと

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 20:54:40.71 ID:d651/HJ0
信繁には、本当に兄貴に取って代わるつもりは無かったのか聞きたいw

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/22(月) 09:40:43.28 ID:fiL1TWLm
信繁「兄貴に取って代わって家訓を199条まで伸ばしたいなー」

雑談・武田信繁のこと

2012年11月08日 19:59

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 12:39:36.10 ID:O+mufkDX
まとめ見てたんだけど、武田信繁っていい話しか無いんだな
悪い話は討ち取られた位のもんかな?
信繁の悪い話無い?できが良すぎだろ
どっかの信繁と違って

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:50:36.21 ID:bTp14Zmb
武田信繁は江戸初期から武士の鑑って神格化されてっから基本いい話しかない

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 16:22:24.33 ID:qZT1KT+F
長野県長野市にある典厩寺は真田信之が武田信繁の菩提を弔うため、
それまでの瑠璃光山鶴巣寺の名を改めたもの。
本堂より左には自然石を用いた信繁の墓があると同時に、
武田上杉両家の討ち死にした者たちの弔魂碑がある。
なお境内には川中島合戦記念館があり寺宝を収蔵展示している

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 20:31:58.92 ID:VQLJNFGf
この前小諸から東御市に向かう道を通った時にで信繁の墓があった

なんであそこなんだろう

331 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/07(水) 20:51:17.81 ID:FwEHAAEt
>>330
何の史料も確認していないから、極めていい加減な私見ではあるが、息子の武田信豊が
小諸城主だからじゃないか?

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 21:28:01.04 ID:eN+Vkod4
死んだ川中島にあるんじゃないの?

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 23:26:14.04 ID:0jZUtu4Y
胴体が川中島の典厩寺で、首だけ息子のいる小諸まで運んだみたいね。
行った事ないけど写真で見る限り首の方がかなーりひっそりと祭られているような。
川中島で死んだしあっちの方が有名だししょうがないか。

信繁の説諭

2012年10月29日 19:57

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 13:19:44.63 ID:tsfL8j/u
あるとき、武田の者たちが敵方を見下す悪口で盛り上がっていた。
そこに偶然通りかかった武田信繁は、
「敵方に屈辱を与えることは、敵を奮起させることと同じである」
と深くこれを戒めた。

またあるとき戦場で武田兵が苦戦を強いられ劣勢となることがあった。
武田陣には、今回は勝てないだろうといち早く撤退することしか頭にない者、
あるいは、ここを死に場所と決め、捨て身の突撃を直訴する者と、
ふた通りの考えが溢れ、いずれの策も状況に対しての良策とはいえず、
武田の陣には暗い空気のみが漂っていた。
そこで武田信繁は、
「負け戦になりそうな時こそ慌てうろたえてはならぬ。
劣勢のときこそ、敵に対して侮蔑の思いを抱くべきであろう。
『穀梁伝』にある、
善陣はむやみに戦わず、善戦はやたらに死なず
という言葉をよくよく考えてみるべきである」

と諭したという




128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 13:51:08.25 ID:2PVkJ/7y
武田信繁が長生きしてたら武田家の未来は変わってたな

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 14:12:07.78 ID:38HGUZFm
弟が優秀だと躍進してる大名多いもんな

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 14:40:44.53 ID:MfZcRhng
弟を追い落として躍進してる大名も多けどな
政宗とか、最上義光とか、大友宗麟とか、毛利元就とか、織田信長とか

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 14:43:01.13 ID:mxWEqU8G
弟が優秀かつ仲がいいのが条件だね
弟が優秀で仲が悪いと…

132 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/29(月) 14:55:00.79 ID:V2+EHM7S
信玄じゃなくて信繁が家督を継いでいたら武田家は滅びなかったかもな。

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 15:53:35.99 ID:ts+9MPcb
有楽斎「そんなに褒めるなよ」

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 15:57:46.86 ID:mCiLTF6I
三成と正澄は逆のパターン?

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 16:08:37.61 ID:UPwYGmX+
>>127
一方、信繁(真田)は前田隊に罵詈雑言を浴びせて大勝利を
得たのでした。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 16:54:35.09 ID:PBrR4TrQ
武田信繁も戦のこととなると荒々しい逸話あるからな
信玄名代として実際の軍事指揮権は信繁にあったなんて説もあるし
ただの善人文弱武将ではない

武田信繁「武士として歌道への嗜みも」

2012年09月28日 20:59

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 19:49:08.31 ID:mGc7KhXh
武田信繁
「武士として歌道への嗜みも持つようにしたいものだ。
昔の歌に、

『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

というものがあり、古来より歌の心を重んじていることがわかる」

【信玄家法下巻九十九箇条】




649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 20:39:13.37 ID:cCQcAYXm
さすが古典究さま

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 01:32:38.38 ID:9KUwjgBH
〉 『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

誰か現代訳お願いします
わたしには難しすぎる

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 02:57:11.16 ID:pu0XdAN6
西行法師の歌をもじってるのか?
まぁ西行も元北面武士だけど

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 15:07:57.49 ID:9KUwjgBH
『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

『とるに足らない心がゆったり落ち着つくようになった。
落ち着くことを知ったからこそ身をうらめしくも思うのであろうが』

古語辞典片手に訳してみたけどイマイチ理解できないw
だれか古典得意な方ご教示を

664 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/28(金) 22:38:18.17 ID:LISgt9za
>>656
風雅の心得のないつまらないものは
物事に心が動かされることもなくのほほんとしている
歌道というものを知ってこそ
身を焦がすような思いもするものだ

てな感じではないかと。

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 23:19:59.50 ID:V9pkD7nS
>>656
ちょっと高貴な女に告って玉砕してくるわ

武田信繁の教育論および指導論

2012年02月02日 22:00

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/02(木) 00:43:42.05 ID:1y8j49HQ
武田信繁
「下の者に対して教育する場合、
小さな過失は単に訓戒にとどめておき、
大事の過失、許すべきでない罪を犯した時には、
その者の一命をも取り上げざるをえないこともある。
『大公』に、双葉のうちに断たねば斧を用いるようになる、
とあるように、物事は初期に処置しなくては、
ついに増長して後に困難するようになると樹木にたとえ戒めている。
ここで気をつけなければいけないのは、
小さな過ちを取り上げて何回も折檻していたのでは、
ついには折檻に慣れてしまって平気になってしまうものだ。
『呂氏春秋』に、命令が過酷すぎれば聴かれず、
禁事が多すぎれば正常な生活も行われなくなる、とあり、
教育や指導における手加減の難しさが書かれている」

東のパーフェクトの教育論および指導論です




武田信繁、兄への礼儀

2011年12月27日 22:01

158 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/27(火) 13:12:26.91 ID:4VVXyXjS
武田信繁が子供の頃の話。
父親信虎はなぜか長男晴信(信玄)を疎んじ、
信繁を殊の外可愛がり、家督は信繁に譲りたい、とまで言いだすようになる。
こうなると家臣団も晴信派、信繁派に分かれ武田家の行く末も危ういものと思われた。
しかしこんな中、信繁は信虎から珍しい玩具をプレゼントされた時でも、
「これは兄上様のものです」
と、晴信に届けていたという。
長幼の序を守ると同時に、父に疎んじられる兄を哀れむ仁の心情も多いにあったと思われる。
仁なき忠義は心なき礼儀作法であるが、
信繁には形式化したところはなく真心からの礼儀作法であった。
後、信繁が成人した後、自ら直属の家臣たちに言った。
「信玄様は兄ではない。甲斐武田家当主だ。
間違っても我ら信繁家臣団の者たちは、
信玄様の弟直属の家臣団などと誇ってはならぬ。」
と諭し、
有名な99箇条の家訓の第一にも兄信玄への忠義をあげていることは今に伝わる通りである




160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 14:02:26.74 ID:3dub6oDn
なぜかっていうか、ここまで信繁の出来がいいと後継がせたくなるよなあ。
信繁が家督を継いでいたら武田家の滅亡は無かったような気がする。

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 16:13:58.02 ID:tYipOkiR
可能性だけならどうとでも言える

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 17:21:39.00 ID:7SKW+ANu
>>160
甲斐の国の貧困を考えたら、誰か家督を継いでも同じ。
というか、信玄だから家康ボコボコにして、信長に本気出させようとする事も出来た。

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 18:02:03.20 ID:+XVPbf3Y
てか、幼い頃の晴信は信繁より劣ってたのかね。そういう逸話があるの?

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 18:23:51.73 ID:aHtAteDc
貝の逸話とか賢明とする逸話が多いな>信玄

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 19:30:11.01 ID:7SzPRQKk
生意気な子<素直な子だったわけですね

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 19:48:42.10 ID:2Phlz4nt
どっちも出来のいい子なら、性格もいい方が可愛いわな

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 20:03:56.25 ID:4VVXyXjS
信繁本人は、
「能力的に兄上にはかなわない」
と言っていたと童門冬二の本にあったよ。
ただ歴史にifはないけど、信玄亡き後に信繁いたら、
武田家の分裂をどうにか対処していた気もするな。
信濃は信繁亡き後、反乱が発生するようになった話もあるし

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 20:18:02.37 ID:3j7hy7ZC
ただの優等生だと国人衆を抑えられないんじゃないのか
親父だって追い出されたわけだし、兄も苦労した

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 20:36:29.48 ID:4VVXyXjS
>>168
どう考えてもただの優等生ではないでしょ
信濃はうまく統治していたようだし、
戦場でも勇敢な話が伝わってる

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 21:05:36.07 ID:JblkKiXt
戦場での勇敢さも蛮勇って感じではないよね?
優等生って言い方が悪ければアクの強さがないって感じかなw
有能であることは確かだと思う
まぁ、敢えて目立たないようにしてたのかもしれないけどね~

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 23:25:32.17 ID:VVj4cljf
左衛門佐「照れるやん」

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 23:32:15.95 ID:AGDGBLr/
信繁のテンキューてどんな意味だったっけ?

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 23:39:43.03 ID:Axa0Gn+0
典厩

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 00:47:07.68 ID:slXoE7q/
左馬頭・右馬頭の唐名

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 07:07:43.02 ID:wlwSe0TW
イモトとか出てるよな

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 07:15:34.50 ID:G5ztUR24
たとえ信玄→勝頼でも、信繁がいれば
敵国諏訪の姫との子だった勝頼にも家中従順だったんじゃないだろうか。

てか信玄は優秀だけどなんだかなぁ。
村上義清や謙信に板垣甘利テンキュー勘助と多くの将失いすぎだろ・・。
駿府に執着するあまり後継者として認知されてた義信と飫富を失ってるし。
信玄だからこそ武田が滅亡したとも言える。


177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 07:55:19.14 ID:uWhTuyD7
まあ信虎信玄の親子で武田家を潰した感は否めないよなあ。

優秀でしかも特殊な性格じゃないと戦国で台頭するのは難しいのかなあ。
信長や信玄や謙信や政宗とか。

北条みたいに優秀でしかもまともな人間って結局パッとしないし。

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 09:01:47.40 ID:qFyiZKB8
>北条みたいに優秀でしかもまともな人間

ギャグ?

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 09:30:50.47 ID:uWhTuyD7
北条は領国経営も安定していたし領民にも慕われていた。
法や町の整備、検地もしっかりしていたし、一族や家臣もまとまっていた。
加えて城は難攻不落だし、他国との外交においても下手を打つ事もなく
関東一円では最大の勢力を誇っていた。
優秀でまともと言えるのではないだろうか。

180 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/28(水) 09:52:16.94 ID:lC5apNjG
勝頼が長篠の後に織田が持ちかけた和議に乗っていたら、とか
北条がもうちょっと粘って一族助命、相模伊豆の条件で和議結んでいたら、とかは
想像するのが面白い。

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 11:48:55.04 ID:w54SnRVL
>>179
一行目から四行目までは、優秀であることの根拠にはなるけど
人格がまともかどうかの証明にはならんだろ?

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 12:05:06.69 ID:pfUGMORd
後世の創作でなしに、まともでない話とかあったっけ?

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 12:15:20.88 ID:hCXeXDtp
キ○ガイは隠しようが無いから、
そういう逸話がない=まともである
と言えない事もない

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 12:21:57.15 ID:OiC/YMMG
一般的な風潮にとりあえず疑問を感じて俺かっこいいって思うタイプの人間なだけじゃね


204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/30(金) 23:44:40.97 ID:71Ld9viu
>>158
戦国だからかもしれんけど晴信と信繁って
単なる仲のいい兄弟には戻れないさびしい関係だ

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/31(土) 00:36:58.28 ID:H7yZ3Oub
三好某「それが」
毛利某「大人に」
北条某「なるって」
島津某「ことさ」

武田信繁「酒と快楽は」

2011年05月26日 00:00

779 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/24(火) 22:20:03.54 ID:a97M207m
『人生において風流は大切なことだ。
しかし、それを快楽を貪ることと勘違いしている人は多い。
史記に、
「酒を飲み過ぎれば心が乱れる。
快楽をつくすと哀しみと虚しさがやってくる。」
とあって、左伝には、
「酒色に溺れ快楽を貪るのは毒を好んで食べるようなもので、
我が身の人生を損なう原因になるのだから、気をつけるべきだ。」
とあり、論語にも、
「善を好むことが酒色を好むほどならば、誠の人物だと言える。」
と書かれている。』

武田信繁さんの言葉です。
皆さん、酒と快楽はホドホドにw




781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 22:52:43.57 ID:yVbgsIcw
>>779
皆さん、酒と快楽はドボドボにw に見えた。


782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 22:53:53.54 ID:lWbIsX1z
>>779
いいこと言うね

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 03:53:25.18 ID:Akb3OK/B
酒と女はほどほどにしとる
でも札束のベッドで寝たいお

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 04:14:52.56 ID:ZJ1xku1n
氏康の「酒は朝飲め」を実践するのは難しい…

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 04:36:06.83 ID:ILXWweoq
>>784
夜8時に寝て、5時起きで酒飲むんだよ

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 10:22:53.03 ID:z0vnVX80
信繁公は儒書でも仏書でも出典を明かして教訓するんだよな。
自分の言葉として言っても誰も責めないだけの人物なのに。
こういうとこからも生真面目さが伝わってくる

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 10:43:18.88 ID:5tjllLM0
本当にできる弟君だな 武田家は武張った一族なはずだけどこの三兄弟はみんな文人気質がある
大井夫人の影響なのか知らないけど

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 15:29:38.70 ID:sJIc8+44
出来る弟が早死にして、家の行く末に影響を与えた・・・だろうという点では
三好実休に通じるものがある

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 15:38:59.02 ID:gMyBJFCF
豊太閤のとこも弟が死んで誰も暴走を止められなくなった

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 17:40:06.20 ID:IJfIFFY5
>>785
そうなんだよな。
連中は空が白み始めたらもう起きてて、暗くなったら速攻で寝てるんだよな。

人間が集中力が高まる7時くらいにはもう起きて2~3時間経ってて、しっかり仕事に取りかかってるし、
10時くらいに集中力が最高潮になるころには仕事は佳境を迎えてるわけだ。

理にかなってる。現代の出勤に1~2時間かかるから始業が9時とかは本来ナンセンスなんだよな。

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 20:45:05.34 ID:LFcpA/Wn
>>787
一条信龍「……。」
その他弟「……。」

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 21:23:52.16 ID:TS+tDwYL
>>788
信之「ええ、うちも弟が早死にして実に大きな影響がありました…本当に大変でした」

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 21:33:47.03 ID:e9USBClu
お金をせびるニートが居なくなったいい話って訳ですね

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 23:20:21.33 ID:sKuw/ubV
>>788
信長「できる弟でも有害なら殺しておかんと。但し甥はかわいがってやった」
直家「できる弟だからかわいがってやったのに、勝手にビクビクしよる」

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 00:22:30.75 ID:wD+HKWbM
>>788
義光「よかった、死んだ弟は存在しなかったんだ…」

武田信繁「たとえ親しい者同士でも」

2011年03月16日 00:01

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 09:27:35.25 ID:KQmMeH9O
武田信繁
「たとえ親しい者同士でも、淫乱にわたるような雑談をしてはならぬ。
もしも、他の者からそんな話をしかけられたなら、
こっそりとその場から立ち去るがよい。
古語に、『思ったことを全て口に出しては笑いの種となる』、というのもある。」



332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 10:16:55.62 ID:PYhkBdz1
それいいな 確かにそんな話題ふってくる奴はろくでもない

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 10:21:27.43 ID:9J8J0rU/
こっそりと立ち去るってあたりが信繁らしいね

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 11:02:35.04 ID:M1BeSJH2
猥談好きですけど控えまする・・・

室鳩巣先生、武田信繁を熱く語る

2010年11月24日 00:00

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:58:42 ID:1C21UKU1
武田家の話に便乗してこんなのを投稿してみる

江戸中期の儒学者で、徳川吉宗の享保の改革にも参画した室鳩巣による、テンションの高い
武田信繁評がある。
どうもこれが武田信繁再評価の走りだったらしい。
それを抜粋してみよう。


『足利時代の末期、天文、永禄の頃で、真に『賢明』と呼ぶべき人は、甲州武田信玄の弟、
左典厩武田信繁なのである!!!

なのに近頃の世間ときたら武功のことばかり尚んで、徳行というものとに関心を示さないから
信玄の名は高く知られているのに、信繁の賢明さは兄の名前に隠れて世の中に知る人すらいない!
今わしが彼について書き表さねば、一体誰がこれを言い出すというのか!!

そもそも信玄は父信虎と不和で、群臣何れも信玄が武芸に長じているのを見て信虎を捨て
何のかんのあって信虎を追放した。

信虎は信繁を愛しており信玄を廃して信繁を家督に立てようとしたこと、これは信玄も含めて
皆知っていることだった。
そんな彼は間違い無く信玄から憎まれ、警戒されており、にもかかわらす国に残って信玄に仕えるとは、
自ら危難の場に身を置いたと言うことなのである。

武田信玄という人は父親を追い出すような人間であり、肉親への友愛の気持ちなど欠片も持っていない。
そうであるのに信繁が信玄に仕えて、兄弟の間に摩擦があったという話を聞いたことがない。

昔後漢の東海王強は光武帝の太子であったが廃され、光武帝に母が寵愛されたことにより新たに立太子された
明帝に仕え名臣として全うしたがそれは、そもそも明帝が考友厚い性格を持っていた事が大きいのであって、
信繁はそれとは違い、あの残忍至極な兄に仕えたのである。

それでも日々国家の重責を任され、人臣の節を失うこと無く、あの信玄から常に信任され、嫌疑を受けることもなく
最後まで兄弟一体のようであった。これは信繁の忠信、誠実さが信玄を始めとした武田家の人々を
感化したのでなければ、どうしてこうなるだろうか!?

(このあと長々と川中島での討ち死にを讃えたり普段の言動を誉めそやしているが略)

仮に信玄に社稷をおもんばかる心があって、早いうちにこの信繁を世子として立て、監国の任を
任せておけば、甲州武田家は長く滅ぼされることはなかっただろう。
それなのに昏昧剛腹の武田勝頼に跡を継がせたばかりに、信玄が死んで程なく織田氏のために滅ぼされた。
何と嘆かわしいことだろうか。』


以上、室鳩巣先生、武田信繁を熱く語る。




727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:07:07 ID:WJzUmZ63
>>725
何というか
すごく儒者っぽいですw

武田信繁「合戦が近い時には」・いい話

2009年05月26日 00:08

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/25(月) 21:17:05 ID:h6bLH/ia
近く合戦を控えた甲斐武田家でのこと。

「おいそこのオマエ!!何回言えばわかるんだ!!
合戦でそんな動きをしてみろ!!オマエが死ぬだけならいいが味方の足を引っ張ることになるんだぞ!!
この大うつけがっ!!」

バイト先にこんな店長がいたら1日でバックれたくなるような怒声を部下にぶつけるのは、
人格者、まことの武士として名高い武田信繁である。
普段は部下どころか領民たちにもその人柄を慕われていた信繁だが、
なぜか合戦が近づくと横暴な態度で部下に接するのだ。
ある時、不思議に思った者がその理由を信繁に問うと、

「合戦が近い時には部下に横暴な態度を取って、その不満を敵にぶつけさせているんだよ。」

相手の大将を恐れるより、仲間である自分の大将を恐れるような軍隊は強いという話もあるが、
信繁もそんなことを考えていたのかもしれない。

君主の弟という立場を利用すれば最前線に立たないように身を処することも出来ただろう。
だが精鋭ぞろいの武田家臣団にあっても信繁隊の勇猛さは他の勇将率いる隊にも
引けをとることはなかった。
信繁自身も部下を口先で叱咤激励していただけではない。
武田信玄が一番苦戦したとされる四回目の川中島、
劣勢に立たされた武田軍の士気は落ちるばかり。
これではいけないと信繁は手勢八百の先頭をきって上杉三千の軍勢に突っ込んでいった。
この信繁の奮闘を見て武田軍の士気は上がり態勢を立て直すことが出来たのだ。
しかし信繁が敵方から生きて帰ることもなかったのである。






武田信繁について・いい話

2009年04月06日 00:08

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 12:33:18 ID:TxOwsyww
戦国時代に興味のない人間にもその名は知られている武田信玄。
しかし、その弟、武田信繁について知っている人は今では残念ながら少数派だろう。
この弟、江戸時代には「まことの武将」として広く称えられていた本物の侍である。
日本が世界に誇れる文化「武士道」が思想哲学としても確立された江戸時代において、
武士たちに、本物の武士の心得として読み継がれてきた「武田信繁家訓」の作者でもある。
その武将としての行いは在世の時から、敵味方問わず賞賛されていたという。
永禄四年九月十日第四次川中島合戦で討死したときには、兄信玄はその遺体に抱きつき号泣し、
敵方の上杉謙信も「惜しい男を亡くした…」と残念がったという。

その他にも今に伝わる話として、
・豊臣秀長が兄秀吉に仕えるにあたって参考にしてのが信繁だと言われている。
・江戸時代の儒学者、室鳩巣に、聖賢(儒学、儒教の理想的な人物)として称えられている。
・その著書「武田信繁家訓」は現代でも現代訳が入手でき読み継がれている。
・在世時代に信濃統治に能力を発揮していたことから、信濃国人衆にも信頼されていたようである。
その証拠として信繁討死後には信濃国人衆の反乱が頻発するようになったという。
信濃でも認められていた話として、真田幸村の本名信繁は、武田信繁にあやかろうとつけたと言われている。




505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 12:43:43 ID:EJFJcow2
>>504
信繁「テンキュー…いや、Thank You!」

武田信繁の教訓その2・いい話

2009年02月05日 00:18

264 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/04(水) 09:33:25 ID:zfhpoU0U
武田信繁は言う

武士として戦場にのぞんだならば、少しの卑怯未練の振る舞いがあってはならぬ。
呉子という書物にも、
「命を惜しむ者はかえって死ぬ羽目に至り、死をいとわぬ者はかえって生を全うするもの」
という教えがある。

いつも決して嘘を言ってはならぬ。
神託の言葉に、
「正直で少しの不公平のない者でなくとも、日月の憐れみをこうむる場合がある。
それは武略を用いる時のはかりごとであって、正直も時と場合によるものだ。」
というのがあり、また孫子にも、「備えあるを避け、備えなきを攻める」とある。
武士にあっては、敵の虚を突くことは許されていることである。



参考
武田信繁の教訓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-820.html

武田信繁の教訓・いい話

2008年12月24日 00:08

483 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/23(火) 00:23:26 ID:atfTI7kG
徳川家康の背中に大きな瘍が出来て死にかけたときの事である。
医者にもどうにも出来ず、徳川家康本人も諦めてしまい生きる気力も消え失せていた。
そんなとき、灸の名人という者が訪ねてきたのだか、
徳川家康は投げやりになって、治療を受けようとしない。
それを聞き、鬼作左こと本多作左衛門がかけつけた。
「自分は幾多の戦で受けた傷で満身創痍。
歳も六十を越えた老身です。
だから恩顧ある徳川家におればこそ、人に立てられもしますが、
他の家中にいけば誰も相手にしてくれないでしょう。
殿のために苦労してきたからこそ今の地位が得られたのです。
もし殿が死んでしまえば、自分は見捨てられたようなもの。
それならば、いっそのこと、殿が死ぬまえに腹を切る。」
と言った。
これを聞いた徳川家康は考えを改めて灸をすえたところ、
瘍はつぶれて、すんでのところで命拾いしたという。



484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 00:27:51 ID:Q4FgYx3e
>>483
家康が駄目人間モードになったら鬼作左登場してryてのはお約束であり様式美だなw

485 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/23(火) 00:46:28 ID:OdS4V/cN
>>483
これは既出かな?
まとめの11月11日に出てる

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 00:59:33 ID:Y9cJnLX0
既出にもほどがある



487 名前:483[] 投稿日:2008/12/23(火) 02:03:28 ID:atfTI7kG
申し訳ない。
以後気をつけます。

武田信繁が残した良い話
「過失を犯さないようにせねばならぬ。
もし過失を犯したならば、その後はとくに注意して、
けして二度と過失を繰り返してならない。
論語にも、過失ある時はすみやかに改めよ。
恐れて躊躇する必要はない。とある。
過ちは皆にありがちなことで、やむを得ないが、
過ちを知って改めないのは、真の過ちであるという言葉もある。」



488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 03:00:40 ID:BjjHW7WY
>>487
逸話に結び付けてただでは転ばぬあたり、お主もひとかどの者よw


489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 05:11:48 ID:KLT30YcP
>>465
イケメンでエロだから福山雅治扱いで崇拝されるやもしれん

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 17:37:44 ID:YYQ+Y1er
>>487
忠興、ゴーン「2回までなら許すよ。その次は・・・」

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 21:01:03 ID:yMYKzxYP
加藤清正は、家臣の失敗を二度目までは許したが、三度目は
切腹を申しつけたと。

でも信長なら1度目でも手討ちだったろうね。

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 21:12:04 ID:z6VBwSOK
>>492
時代遅れの物凄い偏見だな。

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 21:14:43 ID:Q9vXw7xF
まあ信長の我慢する、しないは、時期とタイミングによるw

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 21:15:18 ID:LWJTKB4i
信長って実際はけっこう失敗許してないか
佐久間信盛の折檻状や秀吉の柴田援軍無断撤退に対する仕置き
なんか見るに失敗してもそれを挽回すればよしってスタンスに感じるが

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 21:41:10 ID:Q9vXw7xF
>>495
うん。信長はむしろ人使いに関しては気が長い。ただ、後年と言うか、晩年のほうは
相当短期になっているのも確か。

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 21:49:48 ID:k43xPVKZ
使えない奴はあっさり切るだけでしょ
佐久間とか林は人材が集まってきたんで適当に理由つけておっぱらっただけじゃね

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 21:54:11 ID:O45JibaE
信長は怒りっぽいけど、メリットある時に怒るようにしているような、
ある程度の抑制を感じる。
そこがDQNとの分かれ道か。

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 21:58:18 ID:ejR/8B0O
それなりに筋は通ってるからね

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 22:16:56 ID:mopF56Ks
でも、気まぐれ
部下にとっては、それが一番キツイ
付き合い方が解らんのだから

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 22:20:00 ID:xd541bKO
林はともかく、佐久間は相当有能だったから、晩年は判断力にも陰りが見えていたな。
いくら邪魔になったからといって、いきなり追放じゃ家臣が不安を感じるのも当然。

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 23:01:10 ID:yMYKzxYP
佐久間親子を追放したのは、信長が長年希求していた
石山本願寺を一晩で焼失させてしまったからだろう。
日本中の金銀財宝がそこにあったとか。建物にも執着してたらしい。

その他諸々は、とってつけたもの。

二条城での普請で工事人足を、安土城内で西瓜の後始末をさぼった
茶坊主を、各々かっとなって手打ちにしたとか。
いずれもフロイスが目撃してたんじゃなかったかな。