宗滴ラボ

2016年07月08日 16:34

917 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/07/08(金) 10:50:57.03 ID:EVmJZMdL
宗滴ラボ

戦国大名朝倉氏の初代・孝景(英林)は「朝倉英林壁書」の中でこう述べている。

【第六条】
侍の務めだからと言って、伊達・白川へ使者を派遣して良い馬・鷹を購入しては
ならない。余所から贈られたものであれば問題はない。しかし、贈られたもので
あっても三年経ったならば他家へやってしまうこと。
長い間、手元にとどめておくと必ず後悔することが起きるものだ。


この言い付けを忠実に守ったものがいた。孝景の末子、教景こと朝倉宗滴である。

名産地だからと言って、奥州から取り寄せるには手間暇も金がかかる。ならば、
自分の手で育ててみればいいではないか。早速、自宅の庭に鷹の巣を作らせて、
数年間努力した結果、卵を産ませることに成功。さらに孵った雛を手塩にかけて
育てて、大小二羽の優秀な鷹に成長させた。そして、大きな雌の方は主君である
四代・朝倉孝景(宗淳)へ、小さい雄の方は時の管領・細川高国へ献上した。
大永三年(1523年)のことであるという。ちょうどその頃、宗滴のもとに滞在して
いた連歌師の宗長は、このことにいたく感銘を受けたらしく、翌年上京した折に
建仁寺の月舟寿桂に依頼して、宗滴のために事の顛末を記した文章、その名も
『養鷹記』を著わしてもらっている。

鷹だけで終わらない。

『加越闘諍記』という書物によれば、宗滴は鮭の卵を取ると水槽に入れ、お湯を
入れるなどして水温を調節した結果、人工ふ化にも成功したらしい。


戦だけでなく、諸事全般にわたり興味を持ち工夫を重ねる人だったのですね。
脱帽です。



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武者に聞き逃れは苦しからず候

2015年07月23日 15:43

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/22(水) 19:41:08.81 ID:6FzOzcwY
>>430の耳臆病目剛胆つながりで


武者に聞き逃れは苦しからず候 見逃れは悪しき候 悉く討たれ候では叶わぬ物に候
聞き逃れは行にて候間更に逃げたるにてはあるまじき候
総じて大事の退口には込め懸かり候わでは逃れざる物に候
故に古今より申し伝え候「耳は臆病目は健気なるが本にて候」故に申し習わし候事

 『朝倉宗滴話記』より


情報で敵を避けるのは兵法、いざ目にしたら腹をくくれということですかね




朝倉宗滴の考える名将の条件

2013年01月16日 20:07

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 21:05:01.96 ID:cPvN4JSj
「金吾利口書・朝倉宗滴話記」から引用する、宗滴の考える名将の条件。

 ――巧者の大将と申は一度大事の負(おくれ)に合たるを可申哉
    吾々は一世の間勝合戦計にて終に負に不合候間年寄候へ共
    巧者にては有間敷事――

 (現代語訳:名将というのは一度でかい敗戦に遭って、それを乗り越えた奴を指して言うべきだ。
        そこ行くと、私はこれまでの生涯勝ち戦ばかりで、ついぞ大負けすることなく
        この年になってしまったから、とても名将なんて言えないな)

『大負けした事がないから名将じゃねえ』というのは自慢なのか謙遜なのか。
意外に口の悪い金吾宗滴殿であったw




168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 21:34:10.56 ID:3dp2Hi6v
天庵様に謝って下さい

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 22:02:47.72 ID:DRNd85Fx
家康「そうそう。そのためにわざと大敗したんだよ。」
仙石秀久「まったくそのとおり。」



170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 22:05:36.85 ID:cPvN4JSj
>>168
勝率が低すぎるのもいかがなものかと思います


上記の「金吾利口書」の名将論の少し後、具体的な人物例

――当代日本に国持の無器用人使下手の手本と可申仁は土岐殿、大内殿、細川晴元三人
   又、日本に国持人使の上手よき手本と可申仁は今川殿、甲斐武田殿、三好修理太夫殿、
   長尾殿、安芸毛利、織田上総介方、関東正木大膳亮方、此等の事――

(現代語訳:今日び日本でダメな大名の例に挙げるなら、土岐頼芸殿、大内義隆殿、細川晴元の3人。
       逆に、いい大名の例としては今川義元殿、甲斐の武田晴信殿、三好修理太夫長慶殿、
       長尾景虎殿、安芸の毛利元就、織田上総介信長、関東の正木大膳亮時茂たちだ)

ちなみに、宗滴が直接関わっているのは土岐頼芸・細川晴元・三好長慶。
大永7(1527)年に足利義晴・細川高国を支援して細川晴元・三好長慶とやり合っているし、
土岐家は朝倉本家と縁戚ということもあって何度か内乱に介入している。

ダメ大名3人のうち細川晴元だけ呼び捨てしているのは含むところがあったのか。
信長に目をつけていたのは、親父の信秀と組んで斎藤道三と合戦した縁からかも。

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 22:33:23.42 ID:cPvN4JSj
もうちっとだけ続けます「金吾利口書」、上記に一文挟んで(意味がよく分からんかったので割愛)主君評。

――義景様御器用は英林様已來有間敷候、其故は我等八十歳に及候を加州武者奉行に被遣候事
   大丈夫成御心中難計候、但自今以後御器用に候間如何可有旨常々被仰候事――

(現代語訳:義景様の手腕だが、親父(朝倉英林孝景)に比べたらまだまだダメだ。
       だいたい俺は八十も近いのに加賀方面の総大将に任命するなんて、何考えてんだか。
       まあ、『これから先上手にやって行くにはどうしたらいいか』ってよく聞いてくるから見込み無しではないな)

兄の曾孫とはいえ主君に堂々とダメ出しをする金吾入道殿、やはり口が悪い。


ちなみに朝倉家は、現代でいう背広組と制服組のトップを並立させている少し変わった体制を取っていた時期が長いです。
背広組としての当主が朝倉本家で、制服組の総大将は宗滴なんですが、
宗滴死後、この総司令官ポストが実質空席。

朝倉氏の一門衆って安居家(英林の次弟・経景流)・大野郡司家(義景の叔父・景高流)・
敦賀郡司家(宗滴の養子・景紀流)の3家が重臣格なんですが、この3家は仲が良くない。

序列争いが激しいので、出兵時の総大将なんかは3家の持ち回りになってる様子があります。
かの元亀元年の合戦の際は、最初の防衛指揮は敦賀郡司の朝倉景恒、
信長撤退後の追撃は大野郡司の朝倉景鏡、次の浅井救援(姉川の合戦)は安居家の朝倉景健という回し方。
……そりゃ、自分の当番は無難に済ませようとして中途半端な結果になりがちだよね。

そもそも、宗滴が自分のポストを若い世代に移譲していれば、80間際で総大将になる事も無かったわけで。
金吾宗滴殿は後継者人事の問題を考えていなかったらしいという、タチの悪い話でした。



178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 08:28:53.75 ID:qZF6u4Ag
>>171>金吾宗滴殿は後継者人事の問題を考えていなかったらしいという、タチの悪い話でした。

宗滴は朝倉家中や敦賀郡司家の事をかなり計画的に考えてるタイプだよ
宗滴自身が26歳で郡司職を引き継いでるので同様に養子の景紀が26歳、宗滴が54歳の時に郡司職を譲っている
その宗滴の教えに従って景紀も又54歳で郡司職を嫡男へと譲っている
自身が担った軍奉行の役職も晩年は譜代家臣の山崎吉家に任せる事もあった

光玖ー宗滴と続いた一族の重鎮ポジションに就くには景紀や景隆では経歴的にやや役不足な感もあったので宗滴頼みになるのもいたしかたない部分もある

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 09:14:17.75 ID:WbnAYkiJ
>>170
大内義隆が健在のころは毛利元就はまだ安芸の一国人に過ぎないんだが

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/17(木) 07:20:26.07 ID:I/8YvJiB
>>179
信長も家督をついでないころだしなぁ

大将は合戦の際、絶えず前方にいるべきだ

2012年08月16日 20:52

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 01:51:08.53 ID:gWlFiXHT
武者奉行である大将は合戦の際、絶えず前方にいるべきだ。
敵の首を取った者、怪我した者、そういう知らせが大将のもとに来る。大将が前におれば、それだけ
前面の備えは厚くなって強くなる。
もし大将が後方にいた場合、先陣の兵も知らぬ間に後方に集まり、ちょっと敵に攻められると、
おじけついて、我先にと逃げてしまうものだ。

朝倉宗滴話記』より


あなただからできるんだと思うんですが…





101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 06:27:26.90 ID:IOF/2KPf
レオン&ダミアン「ほら見ろ、やっぱり大将は前方にいるべきなんだよ!」

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 10:10:01.86 ID:EuixgF7S
レオン&ダミアンっていうと向こうの殺し屋か傭兵みたいになっちゃうなw
どんな二つ名がつくんだろうw

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 11:02:14.54 ID:0AEbxoW1
直情径行のダミアン
直進行軍のレオン

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 11:14:40.15 ID:MmqyQt1U
>>96
それを体現したのが道雪のお神輿です
大将がどんどん進めば家臣たちも前にいかざるをえない
能力のない大将がやると沖田畷みたいに大敗する諸刃の剣だが

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 13:50:27.74 ID:kf0LG2l8
「我が軍の大将は鉄砲より怖いので大将が本陣にいるとみんな前に出ますよw」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 14:16:46.28 ID:IOF/2KPf
>>104
>能力のない大将がやると

>>77の山県の話もそれなんだね
自分が進みたくても相手だって負けたくないわけだから
互いに押し合い圧し合いなかなか思うようにいかないもの
鍋島茂賢が初めて必死の槍働きをした際に感じた不思議な距離感
その中でもやはり名将は討ちかかるべき相手や場所や頃合を見定めていく
しかも家康相手に常に五~六間というのだから九州まで音に聞こえる訳だ

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 22:14:18.21 ID:ujcjoGNt
>>104
道雪の合戦での輿はともかく、普段はどうしてたのかね。
屋敷内での移動とか、勘を忘れないための鍛錬とか、下の世話とか、褥創防止とか


108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 00:09:22.62 ID:1W5Q48/b
じゃあ先方100人討ち取ればそのなかにいそうだな。工場長とか鮭様とかだと。真田パパンなら全員討ち取ってもいそうにないけどw

戦国初期 ある家中の叔父と甥の雑談。

2010年12月09日 00:00

703 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/07(火) 20:04:16 ID:Iijy3/f7
戦国初期 ある家中の叔父と甥の雑談。


叔父「小太郎、お主は弓道を好むか?」
甥 「ええ嗜みますが…何か?」
叔父「人の主になるものは弓道を好み自ら稽古すれば徳が多いものだぞ。
   何故かと言うと、主人が弓を好めば家来の者どもも主人の相手を
   しようと末端にいたるまで稽古をして、家中に優れた射手が多く
   生まれるからだ。そうしないとな、義務的に感じたり面倒臭いと
   感じたりして、一向に稽古しないものだからな」
甥 「なるほど」
叔父「大将が常平生稽古していれば、不慮の合戦が起き、敵味方双方が
   睨み合いになった時、弓矢は役立つ。ほら唐でも日本でも「弓取」
   とは言うけれど「鑓取」とは言わない。だから主人は弓道を好み
   自ら稽古すべきなのだよ」
甥 「馬上でも鑓・長刀より弓の方が有利ですね」
叔父「それからな、小太郎、天晴れな戦いぶりをする武者に対してな、
   あれ程の者は他にはおるまい、と誉めてはならんぞ。その場合は
   並ぶ者はいても優れたる者はいないだろう、と言って誉めるのだ」
甥 「言葉を選んで増長させないと言うことですか、なるほど」
叔父「合戦の時、武者奉行たる者は後方に陣取らず先頭に立つのが基本だ。
   その理由は、兵が討ち取った敵兵や功名の負傷を大将に見せようと
   旗本に集まるからだ。大将が虎口(陣の出入り口)に控えておれば、
   前面の人数が自然と厚くなり、陣の配りがより一層強くなるからだ。
   後方に陣取るとなるほど退却には都合がよい。だが、大将が健気に
   その場に踏み止まろうとしても、恐慌にかられた味方に踏み殺される
   場合もあるぞ」
甥 「自分は決して後ろに控えることは致しません!」
叔父「その心意気やよし!最後に言うておくが、たとえ武者奉行として
   軍権をまかされたとしても、御屋形様のことを軽々しく思っては
   いけない。あくまで大将は御屋形様なのだ。御屋形様は扇の要。
   そう思って日々ご奉公しようではないか、小太郎よ」



およそ半世紀後

甥 「わしは叔父さんのことばを胸に刻んでこの歳までご奉公してきたよ。
   陣では決して後ろに陣することもなかった(笑)
   叔父さんの子、私の従兄弟は御屋形様に弓引いて滅亡してしまったが…
   
   世間の老人は暇で暇で仕方ないというが、自分はこの歳になっても
   少しも暇ではない。御屋形様と二人でいかに諸国を切り取るか思案を
   めぐらせているといつの間にか夜が明けてしまう(笑)

   いや、わしは名将ではないよ。名将と呼ばれる者は一度ぐらいは大きな
   敗北を喫しているからね。敗北していないわしは名将じゃない(笑)」


叔父の名は朝倉景冬、甥の名はご存知朝倉宗滴。
以上「朝倉宗滴夜話」からの抜粋でした(意訳ありまくり)。




704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/07(火) 20:44:01 ID:VsYeLoGt
なんか「(笑)」がすごく目を引くんだがw

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/07(火) 21:46:28 ID:Iijy3/f7
余裕の表れとでも思ってくれい

宗滴先生のありがたいお言葉。家来との関係編

2010年05月12日 00:00

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 18:08:31 ID:y6Xh3eHR
「朝倉宗滴話記」より、宗滴先生のありがたいお言葉。家来との関係編

「主人には家来の罰が当たり、家来には主人の罰が当たるものだ。だから君臣の間には
油断があってはいけないんだよ。」

「家来から怖れられるようじゃいけないよ。涙を流されるくらい慕われるのが本当だ、って
昔から言うでしょ?そうじゃないと大事の時に、家臣は命をかけて働いてくれないしね。」

「主人であるのに、家来に侮られていると思い込んでいる人は、既に
ノイローゼに掛かっていると考えた方がいいよ?
何故かって言うと、人に主人と言われるほどの身の上なら、敵であってすら、その人を
侮りはしないものだ。いわんや家来が侮るようなことなんてあるだろうか?
そのようなあさましい心持は、家の乱の元にもなるんだよ。」

「人を使うときに二人候補があった場合、昔から仕えている方を選ぶべきだね。
なんでかって言うと、家来を使うと何か必ず不届きをするものだろ?で、主人であるあなたは
それをぐっと我慢する。でも家来の方も主人に対して申開きしたいことがあるのに、
それを我慢している。そんなふうにお互い我慢しあっているうちに、昔から使っている人間は
いろいろ経験を積んで大事のことも出来るようになってるものなんだ。
だから少々不出来でも、人はどんどん使うべきなんだ。」


君臣を「上使と部下」とすれば今でも通用しそうな、宗滴先生の人を使う際の心得。



883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 19:01:35 ID:bEYyf8WT
譜代を重用するそんな朝倉家に嫌気がさした光秀さんは・・・

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 20:50:13 ID:K1GFiU1c
織田家で謀反を起こしてましたとさ

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 20:50:53 ID:zYKR+qCR
道雪さんも含めておじいちゃんの言うことはためになるな~~

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 21:01:30 ID:V4f2Kqie
まあ爺ちゃんになるまで生きてこられた訳だしな。

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 21:06:37 ID:S7z6DFOa
一栗さんの若いころの話は無いのだろうか

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 21:38:23 ID:fJ9GtLeZ
>>885
老境の正宗や老境の慶次がためになることを言うだろうか

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/11(火) 21:41:48 ID:hfiiiXLK
>>888
まぁ、反面教師という言葉もあってだな

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/12(水) 04:06:54 ID:gR27E9kH
>>882
上の者は下の者を信じてやれ、仕事を委任する度量を持て、てことだよな
道雪も部下を大切にしたエピソードがあるし、彼らが理想の上司像にされてたのかなあ

894 名前:([sage] 投稿日:2010/05/12(水) 05:32:15 ID:qxep4UWJ
>>882
宗滴って自分自身が刀や矢で敵将を討ち取ってもとどめを部下にやらせて部下の手柄にしたり、
漂着した朝鮮か明の外国人達を外人部隊で編成してたり、なんか部下思いの武将だよな。
宗滴没後にすぐ外人部隊が失踪したりって話も宗滴の人徳で外人部隊を繋ぎ止めてたのかも。

朝倉宗滴、「大将たる者の仁」

2009年07月09日 00:11

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/08(水) 11:58:44 ID:XmK4lGux
朝倉宗滴が日ごろ言っていた事には、大将たる者の仁とは、第一に身内の者たちの家が
よくよく成り立つように、不断に心がける事なのだそうだ。

『久しく仕えてくれている者達はもちろん、新参、当参の者であっても、忠義あって死んだ場合は、
その子が幼少であってもこれを取り立て、一人前にしなければならない。

実子が無い場合でも、「親が生きている時に養子をもらいました。」と言う態にして、
その者の家が絶たない様にするべきである。

このようにすれば子の無い者でも安心して働け、また大将の恩恵に深く思い入るようになるのである。』


宗滴の軍は安心して働ける職場であったからこそ、強かったのだ。
そんな、なにやら今にも通じる、「大将の仁」のお話。




205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/08(水) 12:19:15 ID:1QQ6a3dM
>実子が無い場合でも、「親が生きている時に養子をもらいました。」と言う態にして、
>その者の家が絶たない様にするべきである。
>
>このようにすれば子の無い者でも安心して働け、また大将の恩恵に深く思い入るようになるのである。

大権現様にお聞かせしたいお話ですな
いや大権現様の孫でジジコンで乳母コンでアッーな人に聞かせた方がいいのかw

208 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/08(水) 12:53:09 ID:JQbSZ9bC
>>204
それが無い君主なんて、ほとんど居ないんじゃないか?
徳川家は終身雇用の典型だろ。

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/08(水) 13:39:00 ID:SrX84T/Q
>>205勢力拡大途上の戦国大名と、
日本全土を把握して今居る家臣大名に割り振らなきゃならないバクーフじゃ
対応も変わるのは仕方ないけどもね。

新しい領地が欲しかったら、どっかの太閤みたく唐入りとかムチャクチャせにゃならんし
労多く手に入る保証もない


朝倉宗滴の履歴

2009年06月26日 00:03

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 14:19:19 ID:dh19mHef
朝倉宗滴の話

三十歳の時のこと。
対する一揆側の兵を馬上から長刀で討ち取り、
その首を中村清右衛門にとらせる。

三十一歳の時のこと。
玄忍なる者(忍者?)を帝釈堂にて馬上から弓で討ち取り、
その首を吉井宗左衛門にとらせる。

五十一歳の時のこと。
京都は泉乗寺合戦で敵を三人射倒して、
その首をそれぞれ家来たちにとらせる。

宗滴には七人の男の兄弟がいたが、
敵の血を武器につけたのは宗滴だけだったという。
大将の身分ながら家来の者と同じように働いたので、
士卒足軽たちも宗滴の言うことを聞かないということがなかったと今に伝わっている。




762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 15:17:02 ID:LwPdU1EY
その武勇が朝倉の者たちに受け継がれていれば・・・・

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 19:03:15 ID:vOpuCoMu
受け継がれた人が約一名

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 19:11:39 ID:87GC/j2m
富○さんは蛮勇

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 19:18:32 ID:yn5n7FFn
太郎太刀の人は?

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 12:51:34 ID:s7KS0PHM
>>761
ベッキーさんこと立花道雪さんにも通じる大将の心得ですなあ。
戦場の艱難辛苦を逃げ隠れせず、兵卒と共に味わっているから、
兵も「この大将のためなら!」て抜群の槍働きするんだよね。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 13:05:25 ID:jkSISPqo
中国では呉起あたりが兵卒と同じ装備、同じ待遇で戦ったのが有名だな
兵卒の膿を吸ってやったり、多少やりすぎ感もあるが

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 13:06:33 ID:ETY/R24T
>>812
兵士の母さんは泣いてるぞ

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 18:16:45 ID:rrHqRqwM
膿吸い出す話は元就あたりにも残ってたっけ?
テンプレといえばテンプレなんだろうが、
元ネタが春秋だと普通に読んでる可能性も高いからねぇ

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 19:21:49 ID:SSL8HWcF
>>812
いかにも中国人が好きそうな逸話で。


819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 21:33:28 ID:3pI1ADdi
>>812-815
確かに両方「中国」の人だなw

一方、もっと東の方には膿よりイチモツを吸う方が大好きな大名も大勢居そうだがアッー!

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 23:23:51 ID:bCWAjAEd
>>819
こんなに白い膿を溜めおってからに
どれ、それがしがたっぷりと吸い出してやろう

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 23:25:42 ID:YTHUy/iE
そういや西国の大名で男色家ってあんまり聞かないな

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 23:31:47 ID:7gnuCeoJ
大内義隆を忘れるなんてどうかしてるよ!

824 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/26(金) 23:33:26 ID:7JZo+P9R
>>821
ちょ、そ、それわw


朝倉宗滴「宗滴話記」より・いい話

2009年05月08日 00:11

353 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/07(木) 12:27:20 ID:OjAvUrax
朝倉宗滴と言えば、「武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本である。」
の言葉が有名な歴然の武士。
七十九歳の齢に達した古強者が一生涯の経験を語ったものを家来の萩原某が
筆記したものが「宗滴話記」である。
その中で当時の国持ちと人を使うことの優秀な武将として、
今川義元、武田信玄、三好長慶、正木大膳亮を挙げている。
その他には、仁、不肖、上下に関係なく、
武者ずきの士には天道の冥加があって、多くの人に敬愛される徳があるが、
武者ぎらいの士は、仏神に見放され、人には憎まれ、貧乏するのが関の山である。
その理由は武者ぎらいは要は人々に対して不親切で、
身内や仲間のために戦うことすら出来ないから自然と没落してしまうのだという様に説いている。
そして最後には、自分はもはや命を惜しむ気はないのだが、あと三年は生き長らえたいと思っている。
なぜなら、織田信長の行く末を聞き届けたいからである、と結んでいる。

古強者の深いい話。




354 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/07(木) 12:47:55 ID:pqurwi+4
>>353
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%80%89%E5%AE%97%E6%BB%B4

信長の桶狭間デビューの三年前に死んでいるというのに、他国のうつけの行く末なんか
どうでもいいんじゃね?


355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 12:55:52 ID:WwHE/t5W
>354だから「あと三年は生きてみたかった」んじゃないか。
本当は義景の後見をあと三年やりたかったんだとおもうけどね。

平手の爺様は家臣だから割引くとして、
斎藤道三や朝倉教景と百戦錬磨の戦国武将に
なぜか気にいられるじじーずアイドル信長きゅんであった……

356 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/07(木) 13:08:59 ID:pqurwi+4
道三はともかく、のりかげって信長にあったことすらないんじゃなかったっけ。

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 13:17:06 ID:XQbIQECy
まあ、朝倉と織田はもともと重大の因縁があるといえば

358 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/07(木) 13:23:09 ID:pqurwi+4
しかし嗅覚はすごいな 第6感という奴か? それはともかく のりかげがいきていたらな 
まあ姉川のころまでいきても第一線じゃ無理だろうけど

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 13:50:15 ID:yyFm0AAN
どっちも斯波家の被官だったから信秀とうつけのことは知ってたんじゃない?
信長の奇抜な振る舞いも有名だったらしいし

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:09:53 ID:+fxmgt2P
>>353の文章を読むと、

信長は「武者ぎらいの士」であり、だから最後は没落するに決まっている。
信長は聞くところによるととんでもないうつけだそうだから、その末路が
どんな無様な死に様になるか拝見したいものよのう。

こんな風に言っているようにも読めるんだが。

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:13:07 ID:xfYmfLNA
まあ信長の部分に関しては、宗滴の死後に書き加えられたものだと言う説も有る。
うつけ時代の信長は、どうも本気でグレてたっぽいがなw

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:15:31 ID:+fxmgt2P
確認した。

宗滴話記で国、人を動かす手本の人物として挙げられているのは

今川義元、武田信玄、三好長慶、上杉謙信、毛利元就、織田信長、正木大膳

なんで>353はわざわざ信長を抜いて文章をつなげているんだ?

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:17:23 ID:yyFm0AAN
ところで正木大膳て誰?

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:19:52 ID:xaa/OyXp
里見氏家臣

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:23:52 ID:yyFm0AAN
因幡正木は関係ないのね
そんなに評価高いのか

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:24:08 ID:FxxTtDsU
里美家の猛将で槍の達人だよな。
弟は水軍担当だっけ。
ってか皆大名なのに正木だけ浮いてるな。

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:26:31 ID:xfYmfLNA
正木は里見の重臣だけど、実質的には独立勢力と言うか、同盟に近い関係だな。


368 名前:353[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:32:59 ID:OjAvUrax
>>362
申し訳ない。長尾景虎、毛利元就、織田信長も国持ち良く人を使うのが
上手い武将として書かれています。
単純な書き忘れであって、自分のミスです。もちろん他意はない。
正木大膳亮について調べていて、上の三者を書き忘れたのが実情です。

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 14:57:09 ID:ez26uD39
戦国ちょっといい話スレのちょっとかわいい話

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 15:47:59 ID:swGNB9dK
朝倉と織田は共同で道三を攻めてなかったっけか

あと正木大膳って、最近の研究だと息子の事績がかなりまじっててハッキリしない処がある


正木家の人間がかいたとかだったりして
紀州徳川家は正木の血を引いてるからなあ
なんてトンデモをいってみる

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 18:15:15 ID:XQbIQECy
成立年代的に親父の槍大膳ほうっぽいね

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 20:07:02 ID:Z6QMCmBq

>>362
本州の各地方から代表あげてるって感じなのかな
東国代表が正木大膳・・うーむ、何か裏がありそうだ

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 20:16:19 ID:1PVq8WKI
あと400年後ぐらいには俺もこのスレで語られたいものだ

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/07(木) 20:33:46 ID:ts0x9WQ2
氏康が挙げられていないのは編集者がアンチ北条だからか。

375 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/07(木) 20:42:36 ID:1c4eR7a2
>>365
山名禅高「幾多の旧臣を拾ってきたが、はてそのものは誰かね?」

朝倉宗滴話記に・いい話に付いてのいい話

2009年04月11日 00:07

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/10(金) 09:11:14 ID:4fwzdyX9
朝倉宗滴話記に、
「武者の雑談には軍功者の物語を信仰させ、それに耳を傾けさせることが肝心である。
ただし、若い時は、自然と自分から功者ぶるから、悪い評判を立てることが多い。」
とあるんだけど、一行目は正にこのスレのことだと思った。
やっぱり昔から語り継がれる話はためになる。