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忍城の戦い

2019年11月28日 18:45

624 名前:1/2[sage] 投稿日:2019/11/28(木) 14:18:17.20 ID:oSsDNnzT
小田原の役の折

武州忍城の城主である成田下総守氏永は、舎弟左衛門佐泰喬(泰親)、及び田山豊後守、奈良、玉井、
以下五百余騎にて小田原城に籠もり、忍城には留守を置いていた。(中略)

忍城では豊臣軍が迫ると、近隣のすべての地下の農民、商人、社家、山伏、さらに15歳以上の
小冠者(元服して間もない若者)までもかき集めて、彼らを堀裏に置いて旗を差させ、敵方に
多勢が城に籠っているように見せかけ、また鉦や太鼓を用意しておき、敵が不意に攻めてきた場合は
これを打ち鳴らして他の手より救援させるようにと重々に仕組みを手配して、忍城には都合
二千六百二十七人が立て籠もった。

城将の成田氏長の正室は太田美濃守入道三楽斎の娘で、息女が一人有あったが、この娘とともに
この城に籠城した。彼女らは母娘共に容貌麗しく、優れて甲斐甲斐しく操ある女性であった。
「私達は女の身であると雖も、父祖も夫も、数代の弓矢の家に生まれ、たとえ氏長が留守であろうとも
このような時に至って武名を貶めること有るべからず。」
そう言うと、城代の成田肥前守をはじめ、一族家臣等に下知し、士卒の心を一つにして、城を枕に
すべき旨を、心から申し渡した。すると城兵たちは恥の有る者も無い者も、女性にてさえかくの如き
なのだと、感じ入らぬ者は居なかった。

寄せ手は、石田三成大谷吉継長束正家を大将として二万余騎にて館林城を落とすと、一両日
人馬の息を休めて、六月四日に忍城へ押し寄せた。生田口と下忍口は石田治部少輔、早見甲斐守、
北条左衛門太夫、並びに佐竹・宇都宮の衆七千余人、人丸墓山を本陣として大宮口までを打ち囲んだ。

佐間口は長束大蔵少輔、伊東丹後守、結城左衛門督晴朝、水谷伊勢守勝隆、岩上但馬守らが加わり
四千六百余人、

長野口は大谷形部少輔、松浦安太夫、鈴木孫三郎以下六千五百余人、これは北谷口までを受け持ち
陣を張った。

これらの攻め口は全て水田の池地であったため近づくことが出来ず、遠巻きに構えていた。皿尾口は
中江式部少輔、野々村伊予守、および江戸川越の五千余人、ここもまた僅かに細道が有る程度で、
左右は深い沼であり、足を踏み入れれば進むことも退くことも自由にならない有様であった。
それでも寄せ手は砦をひとつ乗っ取りそこに陣を付けた。そして持田口の一方をわざと開けておいたが、
これは城兵を放心させて城を攻め落とそうという術であった。

そもそもこの忍城のあるこの地は全体が大沼であったのを、成田氏長の祖父である中務少輔親泰が
多年多くの人力を用いて築かせた城塁であり、さりながら今なお四面深田であり人馬の駆け引きも出来ず、
故に今度の豊臣軍も、寄せ手は攻めあぐね暫くは攻めるのを見合わせたものの、だからといって
攻めねば城の落ちることはないと諸隊は相談し、鬨の声を挙げて矢鉄砲を打ち込み戦うものの、
足場が悪いため死傷者は数しれぬ有様であった。

そのような中、城方では下忍口にて別府小太郎、野澤金十郎の二人、共にこの時二十歳であったが、
先駆けして奮戦し、小太郎は深手を負って倒れ、これに寄せ手の武者が駆け寄り首を取ろうとした所に、
小金井善忠の郎党・橋爪孫兵衛という者が馳せ合わせ、かの武者を討ち取り別府を城内に引き入れた。

また皿尾口にては寄せ手は馬より下りて徒士となって攻めかかったが、城兵の松橋内匠助という
鉄砲の手練が、大筒で試しに撃ち出した所。進軍してきた寄せ手の兵七、八人がたちまち命を落とし、
これによってこの方面の軍勢は裏崩れを起こして引き上げた。中江、野々村はこの体たらくを怒り、
「この口は足場が悪いので力攻めは無理だ、策を以て攻めるべきである、」と、井楼を二ヵ所に作り
そこに大筒を仕掛けて城に向かって撃ち込んだ所、暫くは城方からの攻撃が止まったという。

625 名前:2/2[sage] 投稿日:2019/11/28(木) 14:19:06.84 ID:oSsDNnzT
ここで石田治部少輔が提案した
「この城は要害の地であり、また兵糧、矢弾も多く籠め置いてあると聞く。であれば、早期に陥落させる
事は難しいだろう。そこで城郭の四方に堤を築き、そこに利根川荒川より水を引いて水攻めにすべきだ。」
そういう訳で、近隣にこの工事のことを触れ、過分の米銭を与えて人足をかき集め、昼夜を問わず
土石を山のように運ばせ四面に堤を築かせた。

ところが、この時忍城内に籠もっていた農夫、商人らも、夜中に密かに抜け出て土石を運び賃銭を取り
それにて米穀を買い求めまた城中に入った。工事を担当する奉行の者達はこの事を聞きつけて

「この城に糧を入れるのは木の根に水を与えるようなもので、こんな事ではいつまで経っても
城が落ちることは有りません。城内より出てくる人夫は搦め捕って首を刎ねるべきです!」
と訴えたが、石田治部少輔はこれを聞くと頭を振って

「いやいや、そのような事をすべきではない。堤さえ出来れば城兵は片端から溺れ死ぬのだから、
たとえ米穀が城内に充満していても何の意味もない。また、もし彼らを誅殺した事で、これに関係のない
外の人夫たちが恐れて逃げ去ってしまっては、堤はますます完成しなくなる。何も知らぬ体にて
堤の完成を急ぐのだ。」

そう言って、日夜下知を励ますと、幾程もなく堤は完成した。
「それでは」と、利根川を防ぎ留めて江原堤に水を流したが、この時、五月雨の時期が終わると
炎天が続いていたため水の流れも乏しかった。そこで荒川を防いで水を流した所、水は滔々と流れ
溢れた。これに城兵たちは高地へ集まったが、それほど困った様子もなかった。

そのような中、同月十六日の申の刻(午後四時頃)より空曇り雷鳴轟き、夜間には豪雨と成った。
ところがこれによって、寄せ手の築いた堤が、川西という所より五、六間も切れたかと思うと、
新しく築いた堤だったためあちらこちらが押し破られ、逆水となって寄せ手の陣所に押し寄せ、浸水に
よって若干ながら人馬が溺死に及んだ。その後水は引いたが、道は深泥の如くと成り、馬の蹄も
立たない有様で、寄せ手も遠巻きにして徒に時を過ごすしか無かった。

(関八州古戦録)

「忍城の戦い」について

続き
彼らを謀ったのである


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成田氏のこと

2016年12月29日 16:21

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/28(水) 19:53:58.91 ID:eJwcuXjh
 成田下総守藤原顕泰入道は清岳成安と名乗った時代に武州成田郷に来て居住した。
その子の親泰入道宗蓮の代に武州忍の大極氏国という者を討ち取って忍に来て住んだ。
その子の太郎五郎長泰は後に中務大輔と号した。
旗下に酒巻・中条・別府・玉井・渡柳・箱田・小河原・上中条がおり、
須賀入道も成田の旗下であった。

 成田親泰は公方足利成氏に軍配団扇を献上することがあった。
その団扇は上州利根川の辺りに張良の社というところの宝殿に張良の唐団扇といわれるものがあり、
明応四年乙卯(1495年)に親泰はかの団扇を模したものであった。
成氏公も同六年(1497年)九月に遺物として京都将軍足利義澄公へ献上された。

 成田は上杉輝虎に初め属していた。
しかし鶴岡で「成田は頭が高い!!」と輝虎は咎められたが、
成田は「私の家は将軍にも下馬の礼が無くてもよい家である。
これは嘉例なのでその礼に任すところを、故実を聞かずにいかつい仕方である!!」
と輝虎の属を離れて北条と入魂になった。

 輝虎方の木戸源介は忍の近所の皿尾に籠った。そこを成田長泰と子の下総守氏長は父子で攻めた。
その時、氏長は臣の豊島美作に父の長泰を駆り出した。これは永禄九年(1566年)八月十五日のことで、父を押し込んで隠居させた。
氏長の弟に長繁という者がいた。
彼は太田道灌の婿となっていて、小田氏を継いでいた長泰の弟(つまり氏長・長繁の叔父)を継いで介三郎、後に伊賀守と号した。
武州山の根の城(私市という)に住んでいて、そこは忍からは二里余りあった。

 忍の城は成田氏長が天正十八年(1590年)に没して後、文禄元年に松平下野守忠吉が領した。
元禄十二卯年(1699年)まで九十八年の慶長七寅年(1602年)に尾州へ下野守は所替となった。
慶長五年以後に御番城となっていて、高木筑後守(広正)が与力同心勤が守備についていた。
元禄十二年まで六十年程の寛永十年(1633年)に松平伊豆守信綱が領して、
同十六年(1639年)に阿部豊後守(忠秋)が領した。この年は元禄十二年まで六十一年である。

 下野烏山は成田左衛門尉(泰親)が領していた。
元和九年(1623年)から松平(松下?)石見守(重綱)が領した。


『武士としては』



永禄9年、成田家の親子不和

2012年11月28日 19:48

509 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:02:32.43 ID:/gAGb3HT
永禄9年(1566)の事

成田長泰は71歳の老年と成り、子息氏長が成人したというのに、彼に家督を譲らず、常々色を好み酒に長じ、
城外に別荘を建てて、小筑という女を上方から呼び寄せ寵愛した。
家老や一門の者達、これを諌めたものの聞き入れようとしなかった。まさに老醜である。
このような状況の中

成田長泰に見捨てられた家老
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7055.html
↑これで危うく見殺しにされかけた豊島美作守は長泰への恨みを忘れておらず、氏長、及びその母に
申し上げることには

「長泰様は老体の御身でありながらあのような無行儀の作法、御一門も他家も、嘲り疎み果てております。
この時に、私は皆々と相談し、大殿を無理に隠居させられるように才覚いたし、若殿を世に立てたいと
考えているのです!」
これに母親も氏長も同意し、豊島の計画に参画した。

そんな陰謀が起こっているとは知らず、成田長泰は梅阿弥という同朋衆一人を共とし、妾の小筑の元へ
出て酒宴していた所、成田一門家中、豊島に賛同し、重臣である小田伊賀守を始め、豊島左馬助、
別府兄弟といった人々は忍城に集結し、成田長泰を城に入れないために門などを皆閉じた。
恐るべき嫌われっぷりである。
帰ってきた成田長泰が見たものは、完全に閉じられ自分を拒絶する忍城であった。

が、この成田長泰は只者ではなかった。

彼は水落の桶が城内に繋がっていることを知っており、特殊部隊のごとくそこに潜りこんだ。
長泰に続いて梅阿弥も桶を潜った。

「大殿が桶をくぐられた!」

510 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:03:08.44 ID:/gAGb3HT
物見の通報によりこれを知った城内の者達は桶の口を固め、三友十兵衛というものが、桶の口で
槍を構え待ち構えた。と、潜ってくる長泰の姿が!十兵衛は一気にこれを突いた!

が!成田長泰は塚原卜伝の第一の弟子であった。彼は兵法の達者であり、桶の口から突かれた槍の刃を、
口で噛み止め受け止めたのだ!
奇妙な手応えに十兵衛、槍を引きぬく。すると

『ズザザザザザザザザ!!! スポッ!』

槍の穂先を咥えて成田長泰が、桶口から引っ張りだされた!槍で大殿を釣ってしまったのだ!
藁で穴の中の土蜘蛛釣り上げたような、あの感じである。まあこっちは釣りたくて釣ったわけではないが。
三友十兵衛はこれに当然ながら驚愕し、さらにその後から梅阿弥も出てくるとその場から逃げ出してしまった。
しかしそれを誰が攻められるだろうか?

成田長泰は、あまりのことに硬直したその場の者達を蹴散らし本丸に入り、息子長氏を発見すると
たちまちに捕らえたちどころに殺そうとする!城内の者達はこの猛獣か悪鬼のような老人(71歳)に
どう対処していいか解らず右往左往し、捕縛された氏長も死ぬ覚悟を決めた。

と、ここで長泰、何故か述懐を始めた

「しかし、氏長がこのように歳たくるまで、家督を渡さないことについて腹立するのは仕方のない事だ。
されども私は、かつて城攻めに失敗した盃尾を攻め落として後に隠居すると心に決めていたのだ。
それがあれこれと引き伸ばしに成り、このような親子の不和になったこと、口惜しき次第である…」

などと嘆きながらやっぱり氏長を殺そうとした、その時!

「まてまてまてー!!!!!」

現れたのは成田家の菩提寺・立圓寺の長老!彼はこの親子の紛争への扱いを入れに来たのである。
長老は先ず(実に賢明なことに)長泰を無理やり引き立て、立圓寺に入れた。そのお供に何故か
今回の陰謀の主犯・豊島美作守まで付き合わされた。お供の者達が「氏長様が御父君に向かって
このような例の少ない反逆を為されるなど、天道に背く行為です!」とさめざめと泣いている中、
長泰は豊島美作守に対し「美作守、お前は嘘泣きしなくていいぞ。この逆心、お前の仕業であろう!」
と言ったとか。

そうしている内に氏長が、やっぱりあんな邪悪な父親は討ち滅ぼさねばならないと軍勢を立圓寺に向けたが、
この時は立圓寺の僧侶たちが皆鉄砲・槍・刀で武装し迎撃の体制をとったため攻めこむことが出来ず、
親子の紛争は降着。ここに小田原の北条氏が介入する動きを見せたことで、成田長泰もここでようやく、
このままでは北条に成田家は併呑されると危機感を覚え、氏長に家督を譲り自らは出家した。
(關侍傳記)

成田家の親子不和、についての逸話である。




511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:18:29.37 ID:eahOQBlN
なるほど、これは落城しない

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:19:03.07 ID:LWIGGGqm
成田記の姫武者の話もそうだが、成田関連はどうしてこうネジの飛んだ話が多いんだ

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:20:17.46 ID:7A9ljxOf
なんと言うハッスル爺ちゃん…

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 00:36:57.71 ID:FIiRvD43
>>509
素敵な坂東武者ですねえw

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 08:32:18.16 ID:XcCkf9pN
>>509
結局、北条が動きを見せたことで隠居したのか
道徳心がとか武士の道がとかそんなのカンケーねぇ!って話だなw
しかも坊主が出てきても話がややこしくなってるだけだし神も仏もねー

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 11:30:28.26 ID:A7PgpirE
関東は力が全てよ

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 18:55:08.62 ID:sbemlcRK
無刀取りどころか槍を口で受け止める新当流の奥深さに驚嘆したw

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:34:11.21 ID:EAL7b8Oc
>>520

真剣白歯取り
なんちゃって

成田長泰に見捨てられた家老

2012年11月24日 19:51

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 22:18:50.69 ID:X2nhYk3I
永禄3年(1560)、長尾景虎(上杉謙信)が小田原城を包囲した、最初の越山のあった年だが、
小田原攻略に失敗し退いた景虎に対し、成田長泰が反旗を翻した。

ところがこの時厩橋城には、成田長泰の次男の小児と、成田家家老・豊島美作守の二名が、
景虎への人質として置かれたままであった。

景虎が厩橋に帰城する前日、城の夜番を勤めているかせ者(名字を持つ下級の侍)が一人やってきて、
豊島を物陰に呼び出して囁いた

「豊島殿、あなたは成田長泰の御別心のために、明日には切腹させられるともっぱらの噂です。
そういうことですが、私はあなたの御命をお助けしてもいい。
あなたは忍に帰れば、五千貫程の大名だと聞いています。
…私に三十貫の所領を与える気はありますか?」

この言葉に豊島は大いに驚き

「それは何よりも易き事なり!」

と、この夜番の者と深く語らい、三十貫の所領を与える書状を書き与え、「ひとえに頼む」と
協力を依頼した。
夜番の者大いに喜び、馳せめぐって川船などを置き様々な準備をし、帰ってくると
豊島を夫男に変装させ、熊手などを背負わせて、城から出そうとした。
この時豊島は

「成田の御子息もどうにかして一緒に落ち延びさせたい。」

と言ったが、夜番の男は

「美作守殿一人を落とすのさえ大変なことです!その上御子息のことは、父である屋形(成田長泰
ですら捨てて反旗を翻したのです。そうである以上是非に及ばず。御子息はここに残して、我々は
退きましょう。」

そう言われたため、成田の次男が寝入った隙に、豊島は夜番の者に付いて番所を忍び出て、
船に乗り早々に忍へ帰った。

成田の次男は豊島がいなくなったことに気が付き、後を追って外に出て探したものの見つからず、
そうしている内に追手が迫ったため川に飛び入り、そのまま空しく亡くなられたという。


さて、豊島美作守は忍へ帰ると自分の家にも入らず、先ず息子の左馬助を呼び出し、城に使いを
立てさせた。その言上はこうである

『私は数度の忠孝を立て、更に一度の不忠もありませんでした!それなのに何故、私を捨て殺しに
為されようとしたのか!?甚だ以て口惜しい!
この上は小田原へ参り、氏康殿に奉公仕ります!御暇を申し上げる!』

そうしてまさに打立とうとしている所を、成田長泰の息子の五郎が城から駆けてきて豊島を呼び止め

「誠に代々の家老である事と言い忠節といい、お主の言うことは全て、道理至極である」

と謝罪したので、仕方なく豊島も忍に帰り、元にように家老に復帰した。
そしてあの夜番も取り立て、約束通り三十貫の所領を与えた。

しかし、この時の恨みにより、後に豊島美作守成田長泰の子息・氏長と一味して、長泰を
追放したのだという。
(關侍傳記)

成田長泰に見捨てられた家老、についての逸話である。




488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/23(金) 23:17:17.02 ID:LnXJOezq
戦国の習いとは言え、頼みの家老がいなくなって、
慌てて逃げ戸惑っているうちに堀に落ちて死んだ次男が憐れだなー

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 07:46:09.28 ID:Nv1NUoo1
夜番も見る目があるなw
戦国の立身出世は無法地帯だ

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 08:15:52.70 ID:fOzuw8R1
まあ、夜の番なら夜の闇も、戦国の世の一寸先も見る眼がないとね

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 09:03:26.74 ID:n6A74ZEw
よし、ちょっと眼力を養うために橋の番やってくる

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 09:21:23.34 ID:2Sp792xX
眼力養ったら、北斗七星の柄の先から二番目の星が二重になってるのがわかるらしい

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 09:37:47.42 ID:u6/4nlA+
むう あの星は死兆星!
しっておるのか半兵衛!

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 10:01:50.61 ID:iTkx5WcK
ウルトラ七つの誓いを何故だか思い出した・・・

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 10:02:21.20 ID:iTkx5WcK
五つだったわwwww

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 03:07:57.31 ID:JRdbPDlr
これかな?
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3382.html

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 06:24:09.31 ID:39PHEawU
>>490
夜の閨に見えたので細川邸に忍び込んでくる

「太美が来たぞ~~~っ!!」

2010年02月07日 00:05

313 名前:sage[] 投稿日:2010/02/06(土) 13:28:42 ID:QNXcl/8S
まとめサイトに成田長泰が城から締め出された話があったのでもう一つ。

ある時、上杉謙信に攻められた武蔵忍城。
何とか持ちこたえたモノの、城の目の前に皿尾城という付城を築かれてしまう。

皿尾城との間には川や沼があるとは言え、すぐ目の前に敵城があるのはやはり面白くない。
謙信が越後に引き上げると、すぐに皿尾城攻略を画策し始めた。

長泰「謙信さえ居なくなれば怖いものなんてないモンね!すぐに攻め落としちゃうよ!」

と、朝も早よから攻撃を始める。
しかし皿尾城主の木戸父子も粘る。中々城を落とせないまま、あっという間に時刻は夕方。
冷たくなってきた風に頭が冷えたのか長泰、謙信以外にももう一つ、「怖いもの」があった事を思い出した。

「太美が来たぞ~~~っ!!」

敵味方に伝令の声が響き渡る。そう、戦が長引いてしまったせいで、長泰のもう一人の天敵、
太田美濃守(後の三楽斎)が岩槻城から援軍を連れてやってきたのだ。

慌てて逃げ出す成田軍……だったのだが……

長泰「えっ?何?何で城門が閉まってんのっ!? 開けてよっ!!ねぇってば!あ~け~~てぇ~~~!!」

突然の天敵の襲来にパニくった城兵が、長泰の部隊が引き上げる前に忍城の城門を閉めてしまったのだ。
このままでは自分の城の門前で討ち死にしてしまう。慌てて忍城から逃げ出す長泰。
その晩は仕方なく荒川のほとりで野営をし、翌日、改めて軍勢を建て直し、忍城に入城を果たしたのである。

氏長「……ご無事で何よりです、父上(美濃守の役立たずめっ)」
長泰「そ、そんなにパパの事、キライ?」

家督相続がこじれる数年前の話。門を閉めたのは氏長の陰謀だったのでしょうか?
何はともあれ生涯で2度も居城から締め出されちゃった成田さんinのぼうの城 のお話。
(出典「成田記」「成田系図」)

ちなみにその後、皿尾城は無事、長泰によって落とされるのですが、まとめにあった家督相続がこじれた末に長泰が締め出されちゃった話、
側室を住まわせていたのが「皿尾の館」となっていたから、落とした皿尾城を側室用の別荘としてリフォームして使ってたようです。
……アンタ、皿尾は鬼門だからもう近寄んな。




成田長泰、忍城の怪異

2010年02月07日 00:03

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 13:36:43 ID:QNXcl/8S
名前とメールの欄を間違えた……
お詫びがてらに成田さんもいっちょ!

氏長に家督を譲った後の長泰は出家して蘆伯斎を号し、以前と変わらず忍城に暮らしていた。
そろそろ年を感じてきた蘆伯斎だったが、その頃夜になると部屋の梁が揺れ、身体に重く圧し掛かるモノがある。
あまりの重さに息も絶え絶えになり、声も出ない。おかしな様子を感じた宿直の者が助けに入るまでそれは続き、
やがて失神するかのように眠りにつく、そんな日々が続いた。

仲が悪いとは言え父の身に起きた怪異、城内での出来事でもある為、氏長や重臣らも頭を悩ませていたが、僧の祈祷も効き目がない。
僧がダメならと、家臣の弓の名人に怪異の退治を命じてみる。命じられた三沢七郎左衛門は「自分には荷が重いが父なら……」と老父を推挙。
この老父、御年85歳になる三沢浄斎、若い時は京都に上り弓術の奥義を授かった程の名人であったのだ。

その夜、蘆伯斎の寝室を警固する浄斎他数名。
しかし真夜中になり、警固の者たちが船を漕ぎ始める……と、共に部屋の明かりは消え、家鳴りが響き、
蘆伯斎のうめき声が聞こえ始める。

浄斎「さては現れたな物の怪!」

と弓を一鳴らし。途端に警固の者たちも蘆伯斎も眠気は覚め、意識を取り戻す。
そして警固の一人、矢沢玄蕃允は自分の足元を何かが擦り抜けようとしているのに気付いた。

矢沢「さてはこれが物の怪!」

真っ暗な中、矢沢と何かが取っ組み合いをする音だけが聞こえる。
やがて物音が止んだ頃、明かりをつけて見ると矢沢の身体中には獣の爪痕が何ヶ所もついており、血塗れの状態。

矢沢「組み伏せたと思った途端、雲のように消えてしまいました」

その晩は夜通し城内を捜索したのだが、何も見つからない。
「天狗の仕業か」と皆で話し合っていた所に、朝になってある廓の番兵が上役に申し出てきた。

番兵「今朝方、私の夢に犬ほどの大きさで全身真っ赤、両目は鏡のように光り、口から火炎を吐く狐が出てきました」

夢の中の狐が言うには、
「ワシは貴方の受け持つ廓に住む古狐が化けたモノじゃ。昔、若い頃の蘆伯斎めに妻子を殺されたのじゃが、
当時長泰と名乗っていた彼の威勢は強く、仕返しが出来なかった。今、老人となり衰えてきた故に妻子の仇を
取ろうと狙っていたのじゃ。後三日もあれば蘆伯斎の命を取れたのに、弓に撃たれ、大力の士に組み伏せられ、
通力を失ってしまった。ワシはこの城を去るが、貴方は長年、餌を恵んでくれた恩があるのでこの宝玉をあげ
よう」
男の枕元には確かに石で出来た桃くらいの大きさの玉があったのだと言う。

この話が氏長、蘆伯斎に伝わると、
蘆伯斎「確かに昔、あの廓で面白半分に狐に弓を射掛けた。母狐が子狐を腹の下に隠すので、まず母を殺した。
そしたら子狐が這い出してきたのでそれも殺した。その時の父狐がワシに復讐に来たのか……」

その後、蘆伯斎は狐の親子をねんごろに弔い、廓に祠を建てて稲荷として祭ったという。(出典「成田記」)

お隣の館林は狐を助けて城を建ててもらたってのに、アンタと来たら……
つか蘆伯斎って……アシハクサイって……クレヨンしんちゃんじゃねぇんだからさ……





315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 15:01:49 ID:v4cIsvHS
>>314のせいで「アシハクサイ」としか読めなくなった。
謝罪と賠償ry

316 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/06(土) 15:11:17 ID:TwxDEkXa
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| |   !     `ニニ´      .!      天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!
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E⊂////WWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E////         ヽヽヽヽヽヽヽ
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317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 16:25:02 ID:s0KGK69J
動物ネタ面白いね。
つか小田の猫ネタってなんだっけ?

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 17:23:00 ID:nNvA9jU2
忍の少し北の方に狸に助けられた城もあったよーなw
なんにせよ、無意味な殺生はいかんという事ですね。

手島美作の逃亡

2009年12月26日 00:01

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 06:57:37 ID:TtScnEBK
武州忍の領主成田長泰の家臣に、手島美作と言う者がいた。

この手島、永禄3年(1560)上杉輝虎の小田原攻めの際、人質として謙信に出された長泰の
幼い二男に付けられ厩橋城にいたのだが、成田長泰はご存知のように、この小田原攻めの最中
上杉陣営から離脱し忍に帰った。
俗説では鶴岡八幡宮における輝虎の関東管領への任官の儀式で、輝虎から打擲されたためだという。

さて、明日はこの輝虎が厩橋に帰城すると言う夜、この城の宿直のものが手島を、
密かに物影へと呼んだ。

「手島殿、あなたの御主君長泰様が別心をいだき、忍に帰られたことご存知か?
明日輝虎様が帰城されるとあなたも、人質ともども殺されることになっているそうだ。」

手島、これに大いに驚いた。主君長泰からは、何の連絡も来てはいないのだ。
なんたることかと愕然としていると、宿直の男

「…ところであなたは、国に帰れば五千貫の大身だと聞き及びます。どうでしょう、私に
三十貫の知行をいただければ、あなたをここから脱出させ命を助けますが…?」

「そんなもの容易いことだ!」

すぐに約束状を書き与えた。そこで宿直の男は小舟を用意し、手島を人夫の姿にさせて
城を出ようとした。この時手島は「若君も連れて行きたい。」と言ったが、
「子供をつれていくのは無理ですよ。だいたい父親である長泰でさえ捨てたんですよ?
他人である我々が気に掛ける必要があるでしょうか。是非に及びません。」

と、若君がまだ寝入っている間に、城を出た。

翌朝、この二男は目を覚ましてから、自分が殺されると言うことを知った。
慌てて手島のもとに駆けつけたが、そこは既にもぬけの殻であった。
そうしているうちに二男を探しに来た追っ手が現れ、これから逃げようとし、最後には
川に飛び込んでそのまま死んだ、と言う。

手島美作は無事脱出に成功したが、長泰に対し「今まで一度も不忠の事は無かったのに、
棄て殺しにしようとしたのはあまりに酷い」とこれを恨みとし、後、長泰の嫡男氏長と共に、
長泰の追放に働いた、との事である。





352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 12:39:56 ID:jqpCh1IM
成田長泰次男って確か謙信が厩橋に帰ったあとも普通に厩橋に元気でやってて
謙信がおんぶして遊んであげてたとかいう話も残ってるんだが…。
成田の家臣が危険を冒して救出して連れ帰ったバージョンの話も見た覚えがある。

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 14:18:59 ID:VtI7ZOi6
というか、一般的に長泰の次男とされる長忠(当時九歳)にはそもそも上杉の人質に出された
形跡がない。
成田長泰が人質を見棄てたのは事実だが、本当は誰が人質に出されたものやら。

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 17:27:36 ID:eT+d0tKE
>>350
友誼とか同情じゃなくて知行目当てかよ!>宿直

のぼうの城 in 1566・悪い話

2009年04月13日 00:04

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 16:04:05 ID:TiM/yMnL
成田長泰は嫡子・氏長が成人し、自身年老いても家督を譲ろうとはせず、
そのクセ少女を忍城郊外に作った別荘に囲い、夜な夜な通って遊んでいた。

これを見て、家老ながら日ごろ長泰に粗略に扱われ、恨みを持っていた手島美作守が、
氏長とその母に言った。
「長泰様のご乱行は他家にも知れ渡り、みな呆れ果てております。
なにとぞ、お二人で相談され、氏長様が当主の座に着くよう、策を練るべきです。」

その夜も長泰は別荘の愛人の所へ行き、酒盛りなどして、さんざん遊び呆けた。
深夜になり、忍城へ戻ったが城門は城主の前に、固く閉ざされていた。
手島に説得された氏長の、「父はもはや城へは入れない」という構えである。

しかし勝手知ったる自分の城のこと、長泰は堀端の配水管に潜り込み、潜入を開始した。
驚いた氏長は、家臣の三友十兵衛を配水管の出口に派遣した。
槍を持って待ち構えた十兵衛、長泰の頭が見えたところで、配水管に槍を突っ込んだ。

ところが、塚原卜伝の弟子でもある長泰は、槍先を見切るとガキンとこれを口で受け、
十兵衛が槍を戻すと、そのまま一緒にズルズルと引きずられ、城内に出た。
あまりの事に仰天した十兵衛は、槍を捨てて逃げ出した。

長泰はそのまま本丸へ駆け出した。兵たちも低レベルな裏事情を知ってはいたが、
主君である長泰に手を出せず、ついに長泰は氏長のもとにたどり着いた。
ここで長泰、頭が冷えたか
「これもワシがいい年になっても隠居しなかったせいだろう。このまま話がこじれて、
小田原あたりの介入を受け、滅びるよりは・・・」

と思いなおし、菩提寺である龍淵寺の和尚を仲介して氏長と話し合いの末、
手島を追放して、みずからは出家・隠居した。
ただし、その後三年の間、親子に交流はなかったという。


意外に弱い、のぼうの城 in 1566の話。氏長が城に残ってたら、三成も(城攻めしても)
案外あっさり落とせてたかもね。




607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 16:08:55 ID:WBbW/yw3
成田さんも随分な化け物だな

関東武士ってw

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 18:54:17 ID:F1U7gbqz
>>606
三友「釣れた!はじめてなのに釣れちゃったあ!」