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松阪城の歴代城主に服部一忠ってのが居た

2017年01月13日 11:31

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/12(木) 23:06:38.30 ID:hQcVxIgQ
この間行った松阪城の歴代城主に服部一忠ってのが居た
http://i.imgur.com/BvILZWf.jpg
BvILZWf.jpg


誰かと思って調べたら今川義元に槍をつけた服部小平太だった
すげー出世したんだなと思ってたが最期は秀次事件で連座切腹...



510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/13(金) 09:26:45.98 ID:79vl6XnC
その人信長の小説で桶狭間の場面で毎度出てくる有名人じゃん
最後そんなことになってたんだ

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/13(金) 12:21:26.02 ID:cnMSw6Qs
そして毛利新助は本能寺の変で信忠と一緒に討ち死に
三人まとめると赤穂浪士の毛利小平太元義になってしまうな

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/13(金) 18:25:00.95 ID:ALhyLUvV
吉良義央-吉良義冬-女-今川範以-今川氏真-今川義元
討ち入り前日に脱盟した毛利小平太が吉良義央を討ってたら
吉良義央は祖先同様、毛利と小平太に討たれた、と話題になったのに

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/14(土) 20:41:28.73 ID:AHLvRmkW
>>512
今川から吉良になったかのような印象をうける
西条だから今川との結び付きも強かったんだろうなあ

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/14(土) 20:53:20.45 ID:QLhwJ8hg
今川義元「わしを弔うためにわしの孫が和尚となって、わしの号(栴岳承芳)を元に『せんがく』と
名前をつけた寺なのに、なぜこの寺に来た者はわしの子孫を殺した奴らの墓に参拝しに来るのだ」
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服部小平太の墓?の悪い話

2012年04月21日 21:46

740 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/21(土) 00:46:57.42 ID:jfwySIXy
服部小平太の墓?の悪い話

静岡県浜松市細江町姫街道長坂付近に服部小平太の墓がある。
服部小平太といえば桶狭間の戦いで毛利新介と共に今川義元を討ち取った彼である。
後に徳川に仕えた小平太は勲功として刑部城周辺の地を治めることになったのだが、
天正十五年(一五八七)六月十八日に小平太は神ヶ谷の陣から馬で見回りをしていたところを
何者かに殺されたという。
このあたりは今川恩顧の者が少なくなかったことから服部小平太を恨んでいた人物が殺したのでは?と
地元では言われているらしい。
以上が桶狭間で戦功を上げた服部小平太が何者かに殺されたという悪い話…

だが待って欲しい。服部小平太は秀次事件に連座し上杉景勝に預けられた後に切腹を言い渡され
亡くなっているはずでは?

どうやらここで殺された服部小平太と言われてる人物は服部中保次という服部小平太こと
服部一忠とは別人の人物らしいのだ。
「寛政重修諸家譜」の服部中保次の説明で桶狭間で義元の本陣に対し戦功を上げたと書かれていたため
服部一忠と混合されたと考えられている。
以上が服部小平太の墓と伝えられていたものが実は別人の墓だったという悪い話である。




741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 08:17:17.87 ID:6LBdcNJp
毛利新介よりもというより大名まで出世してたんだな
要領の悪い一発屋で終わったんだと思ってた

いや連座させられたってことは要領が悪かったって事なのか

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 11:26:40.24 ID:gz9U3PWZ
あの時の連座は要領で回避できるかどうか・・・

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 15:05:57.33 ID:APuXXqtw
晩年のトチ狂った秀吉はもう天災みたいなもんだからな。
重税、意地になってやった対外侵略、粛清etc……。

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 19:38:19.27 ID:vTXnMZyM
個人的に秀次と仲が良かったらしい秀忠と真田兄弟などはお咎め無しだしね

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/21(土) 19:50:36.79 ID:hP0IehJ1
家康時代まで生き延びても、今度は改易や大久保長安事件のようなトンデモ連座事件があるからなあ……。

服部小平太のはばき・すさまじい話

2009年04月15日 00:01

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 03:18:25 ID:drNOKD2o

織田信長がまだ、尾張において内戦に明け暮れていた頃の話である。

信長の家臣に服部小平太と言う者がいた。そう、後に桶狭間で、あの今川義元を討ち取る男である。

ある合戦にて小平太は、織田春等と言う、これもまた剛の者として知られた男と一騎打ちし、
組打ちとなった。
この時小平太は肘を、春等は喉を突かれた。互いに重症であり、戦いの継続は無理だ。
そこで両人、同時に言った

「今日の合戦は引いて、明日決着をつけよう!」

そうして、互いの陣に帰って行った。

さて、小平太が陣に返ってみると、脇差のはばき(刀身を鞘に固定させる金具)が
なくなっていた。どこを探しても、ない。「もしや!」

小平太、さっきまで戦ってた春等に使いを出した

「俺の脇差のはばきが無くなったんだけど、知らない?」

それに春等「あ?ちょっとまって、喉の傷口にさっきから違和感があって…」ぐりぐり
「あ、やっぱり、傷口の中にあった!これだよな?」

と、傷の中から取り出して、返したそうである。そんな、なんともすさまじいお話。




640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 03:50:00 ID:cvAUFH9/
はばきが埋まるほど深い傷なのに平然と話しているって何つー化け物か
というかそんな傷を手当てしただけで翌日再び戦うつもりだったのかよ

641 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/14(火) 08:38:05 ID:VBQuIaFZ
肘はまだしも喉なんだろおい…

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 11:44:42 ID:bAUVHP1I
>>639-641
坂東に限らず、勇者というか脳筋な武士はいるものだね…

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 13:10:21 ID:TLrzZ5EO
服部小平太、桶狭間から31年後に蒲生氏郷が会津に転封された
後釜として伊勢松阪城に入って3万5千石を領することになるから
ただの軽輩じゃなさげなんだよね。
この戦闘力からいって、津島衆の宿敵服部党からはみ出た親織田派
とかじゃないだろうか。

でも城持ちにまでなったのに秀次失脚に連座してしまい切腹…
サクセスストーリーの幕を綺麗に下ろせなかった後味の悪い話。

645 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/14(火) 13:55:17 ID:tFS3GMou
>>644
毛利新介なんて本能寺の変の際に二条城で討ち死にするし。
本当についてないコンビだ。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 14:29:18 ID:WtJzRGbq
>>644
>>645
知らんかった。
ちょっとどころか最悪の話しだ。


647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 14:33:23 ID:Y7lsqjrx

>>639
以前、大仁田厚がデスマッチ終了後に飯を食ってたら、やたらネギが首に
つくからおかしいなと思って良く見てみたら、喉に穴が開いてて
そこからネギが漏れてたという話を思い出した。



648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 15:00:08 ID:/oilw2gy
大事な血管さえ避ければ結構大丈夫なもんなのか…
試したくないがw

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 20:39:31 ID:5Ez37hhR
秀次に連座リストって溜息出るほど豪華だよね