大久保の六股

2015年03月19日 18:42

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/18(水) 20:28:54.88 ID:ILNG2ltH
大久保の六股

小田原を領した大久保相模守家に、六股と称する名刀がある。
これは大久保忠世が帯びていた備前長義の刀であり、忠世はこれを『老の杖』と名付けていた。

ある時、忠世の屋敷に盗賊3人が忍び入ったことがあった。
これに気がついた忠世は、この長義の刀を抜いて、その3人の高股を斬って落とした。
これにより、六股と呼ばれるようになったのである。

その後この刀は、大久保家において無二の宝として伝えられ、藩士が誓言する際にも、
「長義の御刀もご照覧有れ。偽りは申さず!」
などと言うほどに、神霊ある重器として尊んだという。

(刀剣談)




スポンサーサイト

永禄7年(1564)正月13日、法師、やっちまう

2011年08月27日 22:39

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 17:48:30.58 ID:1ki89kUV
三河一向一揆の最中のこと。

永禄7年(1564)正月13日の早朝、上和田にあった家康方の大久保党は、その前日、
11,12日と一揆勢に押し寄せられたことに怒り、今度はこっちから押し寄せようと井内村まで下り
一揆の根拠地の一つ、針先の寺の近い浦地まで押し寄せると、一揆勢も同じようにそこまで
進出、双方鉄砲の打ち合いとなった。

この時大久保勢の大久保七郎右衛門忠世と一揆勢の本田彌三郎は正面で対峙し、互いに互いを鉄砲で狙う。
同時に発射!
と、彌三郎の弾は外れ、忠世の撃った弾は彌三郎の股をかすり、本田彌三郎、その場にうち倒れた。
が、浅手であったため味方に助け起こされ針崎の城内に引き入った。

こういった所に、針崎に籠っていた浄妙寺という一向宗の僧、これを見て進み出て、
重藤弓(全長170~180cmの世界最大級の長弓)を持ち、三河での説法で鍛えた声で

「しゃらくさく堀を越えて戦に来たお前たちに、我らが大軍の武者をこれ以上手負わせてなるものか!
私が相手をしてやる!」

と、片肌も脱がずに弓を引こうとした。

この姿がどうにも似合わず可笑しいもので、寄せ手の者たちこれを見て

「弓を射る作法も知らないとは、いらざる法師の腕立てかな!」

と声をかけるとこの浄妙寺

「法師だからといって、弓を射る作法を知らないということがあるか!」

と片肌脱ぎにした。『右肩』を。

はい。弓を射る時脱ぐのは左肩であるのが常識です。浄妙寺さん、やっちまったわけです。
これには敵だけでなく味方も、戦の手を止め声を上げてどっと笑ったそうである。

三河一向一揆の中の、ちょっと可笑しなエピソード
(三州一向宗乱記)




566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 19:38:16.34 ID:xtbQWOIP
はずかしいw
後で思い出して悶絶しそう

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 19:58:51.64 ID:GrrDZcSN
やっちまったな坊主!w

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 20:36:33.21 ID:QfdOZ6Cm
>重藤弓(全長170~180cmの世界最大級の長弓)

いやもっと長いよ、普通でも2メートル以上はあるはず。

この重藤弓というのは本来武将が持つような格式の高い弓のはずなんだが、
それを射方も知らない坊主が持ち出してきたところにおかしみがある。

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 20:38:47.56 ID:/uyGzAn+
ここまだ笑われていざ射てみればものすごい威力と精度とかだったら伝説だったなw

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 20:46:28.09 ID:eXZh1iW2
あれ相応の技術を要求されるから、それやったら天才どころの騒ぎじゃねぇよw

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 21:16:05.87 ID:6pTFi6De
天地を喰らうの張飛並みだったら面白かったんだけどね

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 03:19:31.67 ID:LqePyUMB
なんかもう太陽でも射れそうな弓だな

三河一向一揆、大久保忠世と本多九郎三郎

2011年01月22日 00:00

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 00:31:34 ID:K9+ECi2O
三河一向一揆での話である。
永祿6年(1563)11月25日、土呂と針崎の一揆勢は上和田へと押し出した。
これに岡崎の徳川家康は自ら出陣、両軍は激突したが、しばらくして一揆勢は敗勢となり
妙国寺の方面への逃げ出した。

これは一揆勢の罠であった。

彼らはわざと逃げ出し追い来た徳川勢を、針崎の森に置いた伏兵をもって討つ、
という作戦であったのだ。いわゆる捨て奸(すてがまり)である。

さて、この撤退する一揆軍の殿を務めていたのが、本多九郎三郎という侍であった。
これを徳川軍の大久保忠世が見つける。忠世と本多九郎三郎は、古くからの友人であった。
忠世、本多を追いかける。本多も忠世の姿を認めると引き返し、「勝負!」
互いに打ち戦った。しかし勝負がつかず

「寄れや!組もう!」
「心得た!」

互いに武器を投げ捨て、組み合いを始めた。
上に下にと揉み合っていたが、本多のほうが力優っていたか、忠世はついに組み伏せられた。
大久保忠世、絶体絶命!…と、忠世、本多に向かってこう言い放った

「いかに本多殿!忠義に背き、一揆に与するのみならず、昨日や今日までの朋友の
よしみを忘れ、私の首をとって、一体誰の見参に入れようというのか!?」

本多九郎三郎、これを聞くと

「確かになあ…。お前のような友人を討ち取っても、感状を得るような事ではないのだ…。」

と忠世を引き起こした。すると二人、

「くくく…」
「あっはっはっはっは!」

互いに大いにうち笑い、そしてまた、左右に別れた。


ちなみに一揆勢の捨て奸だが、家康がいち早く、一揆勢の逃げ方がおかしいと気づき
「追い打ち無用!深入りするべからず!」
と命令を出したためその計略も虚しくなり、妙国寺から土呂、針崎へと引き上げたそうである。
そんな、三河一向一揆でのヒトコマ。




330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 00:42:33 ID:xMtPNWWs
三河一向一揆が腰砕けになったのって、三河武士は一向門徒である以前に三河武士であったという
ただそれだけの理由だよな

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 00:43:37 ID:89GZHsF0
三川武士は一向宗以上にめんどくさい戒律があるからな

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 00:55:17 ID:snAnfnoR
大久保なんて名前を見ただけで面(ry

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/21(金) 03:23:17 ID:8lGyJpFP
確かに大久保一族は皆三河武士濃度高いよな

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 12:23:55 ID:8bWr5mnx
一向一揆に参加した本多衆は、大久保忠世の仲介で徳川家に復帰するんだよね
もちろん正信さんもこの中に入ってる
このときは仲良かったんだけどなあ

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 13:38:53 ID:JHn6gVjb
現代社会と同じだね
会社が小さい頃は力が弱いから生き残るために社員が一丸となって頑張るけど、
会社が大きくなって余裕が出てくると社員が増えたり派閥が出来たりして軋轢が生じ始める

大久保忠世の胃の痛くなるような出来事

2010年07月23日 00:00

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/22(木) 05:10:39 ID:liXG69OE
みんな大好き!面倒くさい三河者のお話だよー!

天正13年(1585)、徳川家重臣石川数正の出奔。この事件は徳川領国に甚大な衝撃を与えた。

この時大久保忠世は信州の小諸にあり、新たな領地となった信州の統治のための整備を行っていた。
が、そこにこの事件が起こり、国元からは忠世に対して早く帰国するようにとの飛脚が相次ぐ。

信州統治の機構整備は未だ途中であり、忠世は帰国を躊躇したが、帰国を促す使いが何度も来るため
ついに決断。その上で信州の押さえのため自分以外の者たちは残していくことにしたのだが…

「伯耆守(数正)が裏切った以上、本国は戦乱となっており、駆けつけたとしても討死することになるでしょう!
また一方本国がそのような状況なら、ここ信州もいずれ戦乱に巻き込まれ、我々は討死することに
なるでしょう!
そうであるなら、妻子の様子もわからない、本国から遠く離れたこんなところにとどまるなど、考えられない!」

忠世と共に派遣された同僚たち、このように言って、誰一人残るという者はいなかった。
困り果てた忠世は、懇願するような顔で弟である彦左衛門忠教の方を向き

「帰国しても討死、とどまっても討死という状況なら、どちらで討死しても奉公としては同じではないか。
…平助(彦左衛門)たのむ、ここで討死してくれ。」

忠世、気持ちのこもったまなざしで彦左衛門を見る。頼む、解ってくれ。

「はいわかりました」

などとここで言うような彦左衛門では、当然のことながら、無い。兄の気持ちを打ち砕くかのように、
猛然と反論を始めた。

「兄上はここで討死しても本国で討死しても、同じ奉公だとおっしゃる。
しかし同じ奉公であっても、本国に帰り家康様の前で討死すれば、私の働きもお眼に入るでしょう。
が、ここで討死をすれば、舞台の幕が開く前に討死するようなもので、私がどんな風に戦死したか
人も知るはずもなく、全く死にがいが無い。やはり本国に帰って、お旗近くで討死をしたいと思います。

また母と我が女房は当然本国におります。伯耆守が裏切り本国に戦乱が起こっているとすれば、
そのまま戦地にいるということになり、一体どうなったかもわかりません。
母の事は、私だけでなく兄上や、治右衛門尉(忠佐)兄上、権右衛門(忠為)兄上にとっても母親であり
私だけの心配ではありませんが、女房に関しては私のこと。とても、ここにいる場合ではありませぬ!」

「ああ、お前の言うとおりだ!」

忠世は、怒気を押し殺したような声を発した

「これ以上くどくど言うつもりはない!
いいか平助!?弟であるお前が留まらなかったら、私は他の者達もここに留まらせることが出来ない!
そのような事、良く解っているだろう!?
どの道ご主君に捧げる命である。それをひとまず、私に預けてくれ!」

すると彦左衛門、カラリとした顔をして

「最初からそう言っていただければ良いのに。
よくわかりました、私はここに留まります。どうぞ兄上は本国にお帰りください。
何グズグズしてるんですか、急がないとダメでしょう?」


『…こいつ、殴りてえ』
そう忠世が思ったかどうかは定かではないが、これを書いている私はそう思った。
ともかくこれで皆が残るということになったので、忠世は賢明にも彦左衛門をぶん殴ることはなく、
急ぎ本国に帰った。

以上、石川数正出奔事件で起こった、大久保忠世の胃の痛くなるような出来事についての逸話である。




65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/22(木) 08:44:01 ID:DKboXWe8
彦左衛門のツボが良く分からないんだけどw
どうして2回目の頼み方だと即座にOKしたんだろう?

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/22(木) 09:42:05 ID:2Y0SeeE3
奉公の道なんて言いくるめようとせずに俺のため、ひいては殿のためにここで死んでくれ

ってズバリ言えばいいんだよ、と

死期を悟った大久保忠世は

2010年04月25日 00:03

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 00:30:09 ID:NFIsZzQR
病が重くなり死期を悟った大久保忠世は
かつて一向一揆の際に徳川家康から賜った感状を取り出し
「これは後世に伝わるべきものにあらず。我これを持って黄泉への手形としよう。」といって
すべて破り裂き、家臣に命じて柩に入れさせた。

かつて一向一揆に参加し忠世の執り成しで復帰した者たちへの思いやりであった。




512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 00:39:54 ID:PF+Q56fy
三河一向一揆では一族あげて家康に味方、
本多正信や渡辺半蔵の帰参を助け、
三方原の敗戦時には犀ヶ崖の夜襲で武田軍を撃退し、
長篠では兄弟揃って信長に激賞され、
甲信平定では方面軍指令的な立場にあって、
関東移封後は最重要の関門小田原を任された彼が、
なぜ徳川四天王にも入らず平助がぼやく扱いになったのか?





それは三方原の時の焼き味噌発言が尾を引いてると思うんだよなあ…

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 01:05:27 ID:asefKMO5
>>512
大久保長安や忠隣の失脚のせいとか?

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 01:13:25 ID:Zg6SN95C
>>512
大久保一族は家康・正信の嫌いな日蓮宗信者だからね
本阿弥光悦らといっしょに排除されたのかも

その日蓮宗の忠世が、一向一揆では一向宗徒の帰参の手助けをしてる
これって結構すごいことだと思う

それにしても、正信も忠世に恩を受けているはずなのに、
息子に対して仇で返すなよなあ…

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 01:43:36 ID:ZFG7tOwp
忠世が徳川の世を見ず死んだのと、長安事件だろうな。

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 07:05:52 ID:MLw8Vm6y
忠輝かあ…

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 07:51:40 ID:OvRz8JGG
>>516

家康「本人と親の功は分けて見るのが徳川家クオリティーじゃ」

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 08:57:27 ID:f2WT7lnd
忠佐が死んだ時に、彦左衛門がその遺領を継ぐのを拒否したのもまずかったんじゃ?
それがなきゃ、箱根の峠の東西は大久保一族が押さえることになってたろうし

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 09:07:54 ID:vXXYACI0
>>519
夏目吉次「(((( ;゚Δ゚))))」

ある日大久保忠世の屋敷に

2010年04月25日 00:01

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 00:52:18 ID:NFIsZzQR
ある日大久保忠世の屋敷に徳川家康が馬で乗り付けた。
すると忠世の妻が馬前に湯漬けを捧げたので家康は喜んでこれを食べ
「うむ、焼き味噌の風味が利いていてとてもうまいぞ
 七郎右衛門の妻は所帯持ちがよさそうだの。」と大きく笑った。

『大久保家留書』



515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/24(土) 01:12:00 ID:R5zef0vk
スカトロの話はちょっと・・・

大久保忠世、士卒の躁乱を鎮むるのこと

2010年04月24日 00:06


507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/23(金) 18:43:24 ID:Huy6ZenZ
徳川家康が武田勝頼と対峙して遠州大井川下伊呂に滞陣していた時のこと。

2,3日雨が降り続いたために大井川が増水し、夜になって川岸が崩れ始めた。
俗に「蛇崩れ」と呼ばれる現象であるが、闇夜で根耳にこれを聞いた徳川勢は大騒ぎになった。
武田軍の夜襲と勘違いした先手が騒ぎ始め、やがて士卒や旗本にまで伝わっていく。
旗本たちは武田の夜襲で先手が崩れたものと考え
それを受けた家康も牧野半右衛門を伝令とし「全軍一騎掛けで浜松に撤退せよ」と下知した。
これにより徳川勢はますます混乱に陥り、まったく収拾がつかなくなった。・

この時大久保忠世はまず旗本に大提燈を掲げさせると
信頼のできる部下を付き添わせて「わしが戻るまでけっして離れるな」と言い含めた。
次に先手に馳せ付けると
「すでに旗本を持って敵の第二陣を討とうと既に備えを立ち固めたぞ。
 あの大提燈が動かぬのを見よ。あれがなによりの証拠じゃ。
 うっかり卑怯未練な真似をして旗本に笑われぬようにせよ。あとで面目が立たんぞ。」
と大音声に触れまわったので、全軍が次第に備えを立て直し、やがて騒ぎも収まった。

<是忠世が早速の奇策。智ありて且つ勇ある者にあらずこれを為ること能ず。>
『武将感状気記』「大久保忠世士卒の躁乱を鎮むるのこと」




508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/23(金) 22:59:15 ID:g7GQHIIX
兄は騒ぎを静め弟は騒ぎを起こす、と

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/23(金) 23:16:00 ID:Mxi7W6BY
一騎がけで撤退って、
とにかくめいめい勝手に逃げろってことだべ?
伊呂(現在島田市色尾)から浜松までは直線距離で50kmあるぞw
ひでー命令だw

何だか三河武士って攻撃すると強いが、守勢に回ると脆い気がする。

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/23(金) 23:19:13 ID:txQ1yqKD
忠世、忠佐の兄弟は優秀だな
長篠の戦でも一番槍だし、一向一揆のときもこの2人が仲介役を引き受けなかったら
家康も家臣の大半を失ってたかも知れない

上田合戦がなかったらもっと評価上がってたかも

大井城撤退戦の大久保忠世

2009年10月20日 00:09

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 15:44:10 ID:a4JG0ZnG
皆さんお待ちかね!ひさしぶり、めんどくさい三河者達ですよ~

天正二年四月、家康の大井城よりの撤退戦の折の事。
殿を務めたのは大久保忠世であったのだが、この時、忠世の同心である
杉浦久蔵が深手を負った。

これを見つけた忠世は馬から飛び降り、「この馬に乗って退け!」と久蔵に命じた。
当然のことながら、三河者にこれに感謝し素直に聞くような可愛げは、無い。

「何でそんなところで馬から降りるんですか!?あんたはアホか!?」

重症の久蔵、忠世を叱り付けた。

「よろしいか!?われ等のような連中がいくら討たれた所で、軍全体に大きな影響は
出ないものです。が、あんたはこの殿部隊の大将ですよ?
それが馬から降りるだけでも、指揮命令に影響が出るって事がわからんのですか!?
八幡大菩薩も御照覧あれ!私は絶対に何があってもその馬には乗りません!」

けんもほろろとはこの事か。
さて、忠世もこんな事で引き下がりはしない。何故なら彼も三河者だからなのです。

「そう言う道理や礼儀も場所によるだろうが!いいからこの馬に乗れ!」

「冗談じゃない!私がこの馬に乗って生きながらえて、大将を捨て殺したなんて言われたら
誰が責任取るんですか!?わしはそうなったら切腹するしかないですよ!殺す気か!?」

しまいには忠世、切れた

「あーーーーーーーーっ!そこまで言うなら、この馬、ここで捨てる!!
お前がこの馬に乗らないなら俺だって絶対乗らないからな!!」

もうむちゃくちゃである。

ここに、騒ぎを知った小玉甚内が駆けつけた!

「あんたらなに馬鹿なことやってるんだ!早く撤退しろ!!」

忠世・久蔵「だって~」

甚内「だって、じゃない!!」
そうして甚内、久蔵を無理やりに馬に乗せ、兎にも角にも引き下がらせた。


さて、撤退のさい細道に入ったところで、馬から降りて徒歩の忠世は、後ろから来た者に
突き飛ばされてしまった。

この時忠世は、兵藤弥惣、犬若と言う、二人の小者を引き連れていたのだが、この二人が
突き飛ばされた忠世に押されて、一緒にすっ転んだ。そのため犬若は、転んだ拍子に、
手に持っていた揚羽蝶の指物を放り投げてしまったのだが、運の悪いことにこれを敵が発見。
駆け寄って指物を奪い取ろうとした。

「指物を奪われてなるものか!」これを見た弥惣は敵に向かって走りより、なんと殴りかかろうとした。
敵は刀を抜き弥惣に斬りかかろうとした所に、忠世はとって返し、敵三人をたちまち討ち取った。

やがて無事帰還した忠世主従に、家康は、「剛将の下に弱兵はいないものだな」と、
大いに賞賛したそうである。




734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 18:23:21 ID:4omFPtZp
>>730
どう見てもコントです本当に(ry


738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 22:08:11 ID:Vdq3/1VL
>>730
久々のめんどくささ

実にいいなw


739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 22:50:08 ID:KPt7O7YN
>734江戸の町人長屋の花見噺かと思ったわw

三河武士みな、八っつぁん熊さん(=忠世&久蔵)与太(=犬若)に大家さん(=小玉甚内)の世界...

豊臣秀吉、大久保忠世に・いい話

2009年04月21日 00:12

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 00:48:42 ID:G/pIqLAE
小田原の役が終わり、家康が関東に入ったあとの話。
家康の家臣である大久保忠世は後北条氏の没落後、
小田原城主になったが、これは秀吉の勧めだという。
(ちなみに秀吉と忠世にはこんな逸話も
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1640.html
ある日、秀吉は忠世を招いてこう質問した。

「お前は徳川にとって重要な家臣だ。ゆえに家康殿に
勧めてお前を小田原城に据えたわけだ。わしはお前の
実力をとても高く評価しているのだよ。でだ、仮に豊臣と
徳川が争うようなことになったら、お前はどっちに味方
するのかな?」

この問いに対し、忠世はハッキリと自分の気持ちを伝えた。

「殿下には大変なご恩があると思っております。ですが
私は徳川譜代の家臣ゆえ、もしそのようなことになっても
義に従い、徳川のために戦います。そうなれば我らが
勝ちますから、殿下は関白の地位と天下の主導権を
失います。そして殿下のお命は私次第というわけです。」

忠世にキッパリと誘いを断られた秀吉は…

「ククク、なんとも血気盛んな御老体だ。まあ一杯飲め。」

と怒る様子もなく、笑って酒を勧めたという。




855 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/20(月) 01:20:09 ID:VrrjK8fs
>>854
さすがだぜ三河武士は

>>849
兄さん(豊数)が死んだのが痛い。
これがなかったらここまで過小評価されなかったかも。

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 02:30:28 ID:2GRPpkiy
>>854
こういう逸話を見るたびに
ラスボスの最大のコンプレックスを三河武士は毎度毎度刺激してるよなーと思うぜ
譜代の家臣がいないってのが豊臣政権の痛いところだしなあ

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 10:44:50 ID:JnT+FkDt
>>856
子飼いの七本槍でさえ、主家と運命を共にした人間がおらんからなぁ。
片桐さんは本当にギリギリまで頑張ってたし、他の人間も忠義の逸話は残ってはいるが。

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 10:45:50 ID:5ez8M7T/
>>856
逆じゃね?
こういう立派な家臣がいたから大御所は勝って、居なかったんから太閤は負けたんですよーっていう
結果からこういう逸話作ってる希ガス

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 10:58:41 ID:6Oen499j
お前の希ガス便利だな

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 10:59:08 ID:5oyY2TK7
>854-856
ちょっぴり残念な倅は北条氏康ゆかりの柱を捨てて鈴木アッー大学の弓をコレクトしちゃうんだけどね

その忠隣も大久保長安事件で改易されてなお幕府と徳川家への忠誠を失わなかった、
面倒くさいというか、よっぽど神君や秀忠が好きだったのね。


小田原陣の豊太閤、ちょっといい話

2009年03月21日 00:20

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 15:11:57 ID:o6+/yEzL
豊太閤ちょっといい話。

小田原陣の時の事である。
長い対陣で、秀吉も暇だったのだろう。その日は諸将の陣屋を見物して回っていた。
そこで、徳川家康の家臣、大久保忠世の陣屋が特に立派なのを見て取った秀吉、
ツカツカと忠世の陣屋に入っていった。

突然の御成りに驚く忠世に、秀吉「飯を食わせろ」と言う。
陪臣の陣屋に、関白が御成りするだけでも大変な名誉である。さらに食事を取っていただくなどとは、
ちょっと想像もつかない栄誉であっただろう。

が、大久保忠世。そんな一筋縄の武者ではない。三河者なのだ。

「だが断る」

「お前のその態度が気に入らないから、飯なんて出せねえ。」
まあぶっちゃけると、こんな事を言った。

当然秀吉の左右の者達は色めきたつ。しかし秀吉、長束正家に
「弁当をもってこい」
と命じ、そして持ってこさせた弁当を、忠世の陣屋で食べた。

そこに家康がやってきた。秀吉が忠世の陣屋に入ったと聞いて、嫌な予感がしたからだ。

案の定である。

ところが秀吉、家康に対し「陣屋を使わせてもらったぞ。この大久保忠世に褒美として、
加増してやるように。」と言い出した。これには忠世も含めて皆、ポカーンである。

そうして退出する時、秀吉は後ろから忠世の袖を引っ張って、
「どうだ?嬉しいであろう?」

と聞いてきた。これには忠世も
「今までは関白殿下に、どう盾をついてやろうかと考えておりましたが、
今後は殿下に、弓を引く事ができなくなってしまいました。」


後日、忠世は同僚の石川主馬に
「あの時は秀吉公を、心底かたじけなく思ってしまったよ。
秀吉という人は、確かに名誉な大将だ」

そのように語ったそうである。




17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 15:22:32 ID:G/9PvYGa
三河武士の面倒臭さすら逆手にとるとはさすがラスボスだな

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 15:23:27 ID:UFQGRECX
>>16
上司のそのまた上司だからって決して媚びないとことか、
秀吉がまた率直な態度に感じ入っちゃうとことか、なんかいいね。

秀吉に降伏したときのデ新納さんを思い出しちゃったよ。

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 15:44:58 ID:poCWa/P4

>>16
全盛期のラスボスのオーラは本当に凄そうだな

24 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/20(金) 16:10:46 ID:O4+/CkQo
>>16
重次「わしなら陣屋の周りに薪と藁を積み上げて置くが…」

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 18:25:49 ID:3gm+icXm
>>16
北条滅亡後、関東移封に決められた徳川家。
ラスボス「本拠はどこに置くの?」
家康公「小田原城にと」
ラスボス「あ、それ駄目」
家康公「へっ?」
ラスボス「最重要地点の小田原は軍略家の家臣に守らせて、アンタは・・・」
家康公「アンタは・・・?」
ラスボス「江戸に入るがいいよ」
家康公「・・・江戸???」
家康公「で、では小田原は」
ラスボス「大久保七郎右衛門忠世に委ねるべし」
家康公「・・・」

君臣離反を謀る、人たらしのラスボスであった。