699 名前:1/2[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 20:07:13.61 ID:yTRAgnE7
1568年のこと
この頃、天下の主君である三人のトノス(殿)(三好三人衆)が、交戦している松永久秀に対して、
大和国奈良において陣営を構えていた。ところが奈良の町では、その国の主な神である春日大明神に
奉納されている夥しい人に馴れた鹿が街路を彷徨する古来の風習が有る。そして、それらの鹿を殺したり
何らかの危害を加える事は、死罪を以って禁止されていた。ところがこのようなことが起こった。
かなり多くの兵士を有する三木判太夫というキリシタン武士は、それらの鹿の一頭が道に迷っているのに出くわし、
それを射殺させ自分の兵士たちに馳走した。だかこのことは秘密にしておけず、早速天下の三人の執政の
耳に達した。彼らの内最悪人で、とりわけ最も残忍なキリシタンの敵であった一人(三好政康)は、それは
自分に加えられた侮辱であるとみなした。彼は三木判太夫が神に加えたこの侮辱に極端な憤激ぶりを示し、
「あのように大胆な行為は、判太夫が、自発的にやったのでは決して無い。堺に住んでいる伴天連たちが、
彼に鹿を殺して食べるように勧告したのに違いない。それゆえ私は堺意外の場所でなら、どこで伴天連に
出会おうとも即座に殺すことを誓っている!」
そして彼は激昂して、それを幾度と無く繰り返し語ったので、それ以後キリシタンたちは、司祭が内密にか、
または十分な護衛を付けて出ないと堺意外の地へ説教や告白のため出かけることに同意しなかった。何故なら
その暴君は自分の反対意見には全く耳を傾けようとしなかったためである。
700 名前:2/2[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 20:07:55.98 ID:yTRAgnE7
次に、数日前、司祭は革島ジョアンという若い貴人に洗礼を授けた。彼は前記三人の執政たちの内、司祭と
キリシタンたちに好意を示した唯一の人である三好日向守(長逸)の甥であった。彼は当時18歳位の青年で、
父親から多額の封禄を相続することを目論んでいた。
ところで彼は、どこに行っても異教徒と、彼らの宗教が誤っていることについて論争した。彼らが皆、
摂津国のカカジマというところで協議した際、このジョアンは他の若い異教徒たちと一緒に立ち去って、
西宮という非常に大きな神社に赴いた。そこは多くに人が参詣し、異教徒たちから大いに尊崇されている
霊場であった。他の若い異教徒たちは、キリシタンになったジョアンを愚弄して、
「貴殿はあのような邪悪な宗教を信じ、また日本の神々を愚弄する言葉を吐いたのだから、きっと近いうちに
神々の懲罰を受けるであろう。」
ジョアンはそれに答えて言った
「私が、死んだ人間や、石木にすぎないそれらの立像に、いかなる恐れを抱けというのか。
ところで私がそれらをどれだけ恐れていないか、また悪魔の像を表徴しているに過ぎない彫像を拝むことが
どんなに笑止の沙汰であるかをお前たち皆が解るように、これから私がそれらをどのように敬うかを
見られるがいい!」
こう語ると彼は、非常に高く、全て塗金されている偶像に登りその頭上に立ち、そこで一同の前で
偶像に小便をかけ始めた。
これをあきれ果てた暴挙、また前代未聞の神聖冒涜と見なした他の連中は、この事件を彼の叔父である
日向殿に報告した。日向殿は極度に激昂したものの、自分の甥が、そのような行為を伴天連の同意なり
是認なしに行ったとは信じられなかった、他の二人の執政は、その若者を呼び出し、伴天連がお前に
そうするように命じたのか、それともキリシタンの間ではあのような習わしがあるのかと尋ねた。
なんの恐れも知らなかったその若者は
「伴天連様はあの事に全く関知されていない。伴天連様が自分に進めたのでもない。仲間共がひどく自分を
怒らせたので、自発的にやったまでのことだ。それが懲罰に値するというのなら、それを受ける覚悟がある。」
と答えた。
三人のうちで最もキリシタン宗門に敵意を持っていた下野殿(三好政康)は、先にキリシタンに鹿を殺された
事件でひどく感情を損ねており、今度の事件について
「あの若者が自分及び他の執政たちの親類のものでなかったら、疑いなく即刻磔刑にするところだ。命だけは
助けてやるが、あの若者は今後、親族から除外され、申すまでもなく相続請求できる封禄も没収されるものと
心得るが良い」と言い渡した。そこで若者は下の地方(九州)に赴こうと早速堺に向かって乗船した。
こうしてひとまず事件は落着したが、以後、かの殿たちは皆司祭や教会のことには全く耳を貸さなくなり、
彼らのもとで司祭の帰京問題に解決の道を見出すことはもはや不可能となった。
けれども1年と立たぬ内に、この下野殿は奇禍に合い哀れな死を遂げたし、二人目の岩成友通殿は
織田信長が殺させ、彼の城も奪われた。そして老人であった日向殿も同じく財産を失い、追放されて死んだ。
かくしてそれら三人は、皆それぞれに相応しい最後を遂げたのである。
(ルイス・フロイス『日本史』)
1568年の、キリシタンがらみの冒涜事件に関する記録である。
701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 20:16:09.93 ID:q6Zwvdl7
三好清海入道「あれ、わしが大坂の陣で活躍したってのは」
702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 21:31:00.01 ID:vYwalrHz
所詮フロイスw
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 22:15:58.27 ID:AWtOK8wl
>>701
あんたフィクションだし
705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 11:12:48.51 ID:c8Oqgbsm
キリシタン「踏絵?全然問題ないぜ!」
706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 14:38:32.61 ID:afL4KWIZ
イスラム教徒ならなw
707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 15:28:56.21 ID:WQkcJ18+
プロテスタントは躊躇なく踏んだとか聞いた
ガリバーは踏まなかったが
1568年のこと
この頃、天下の主君である三人のトノス(殿)(三好三人衆)が、交戦している松永久秀に対して、
大和国奈良において陣営を構えていた。ところが奈良の町では、その国の主な神である春日大明神に
奉納されている夥しい人に馴れた鹿が街路を彷徨する古来の風習が有る。そして、それらの鹿を殺したり
何らかの危害を加える事は、死罪を以って禁止されていた。ところがこのようなことが起こった。
かなり多くの兵士を有する三木判太夫というキリシタン武士は、それらの鹿の一頭が道に迷っているのに出くわし、
それを射殺させ自分の兵士たちに馳走した。だかこのことは秘密にしておけず、早速天下の三人の執政の
耳に達した。彼らの内最悪人で、とりわけ最も残忍なキリシタンの敵であった一人(三好政康)は、それは
自分に加えられた侮辱であるとみなした。彼は三木判太夫が神に加えたこの侮辱に極端な憤激ぶりを示し、
「あのように大胆な行為は、判太夫が、自発的にやったのでは決して無い。堺に住んでいる伴天連たちが、
彼に鹿を殺して食べるように勧告したのに違いない。それゆえ私は堺意外の場所でなら、どこで伴天連に
出会おうとも即座に殺すことを誓っている!」
そして彼は激昂して、それを幾度と無く繰り返し語ったので、それ以後キリシタンたちは、司祭が内密にか、
または十分な護衛を付けて出ないと堺意外の地へ説教や告白のため出かけることに同意しなかった。何故なら
その暴君は自分の反対意見には全く耳を傾けようとしなかったためである。
700 名前:2/2[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 20:07:55.98 ID:yTRAgnE7
次に、数日前、司祭は革島ジョアンという若い貴人に洗礼を授けた。彼は前記三人の執政たちの内、司祭と
キリシタンたちに好意を示した唯一の人である三好日向守(長逸)の甥であった。彼は当時18歳位の青年で、
父親から多額の封禄を相続することを目論んでいた。
ところで彼は、どこに行っても異教徒と、彼らの宗教が誤っていることについて論争した。彼らが皆、
摂津国のカカジマというところで協議した際、このジョアンは他の若い異教徒たちと一緒に立ち去って、
西宮という非常に大きな神社に赴いた。そこは多くに人が参詣し、異教徒たちから大いに尊崇されている
霊場であった。他の若い異教徒たちは、キリシタンになったジョアンを愚弄して、
「貴殿はあのような邪悪な宗教を信じ、また日本の神々を愚弄する言葉を吐いたのだから、きっと近いうちに
神々の懲罰を受けるであろう。」
ジョアンはそれに答えて言った
「私が、死んだ人間や、石木にすぎないそれらの立像に、いかなる恐れを抱けというのか。
ところで私がそれらをどれだけ恐れていないか、また悪魔の像を表徴しているに過ぎない彫像を拝むことが
どんなに笑止の沙汰であるかをお前たち皆が解るように、これから私がそれらをどのように敬うかを
見られるがいい!」
こう語ると彼は、非常に高く、全て塗金されている偶像に登りその頭上に立ち、そこで一同の前で
偶像に小便をかけ始めた。
これをあきれ果てた暴挙、また前代未聞の神聖冒涜と見なした他の連中は、この事件を彼の叔父である
日向殿に報告した。日向殿は極度に激昂したものの、自分の甥が、そのような行為を伴天連の同意なり
是認なしに行ったとは信じられなかった、他の二人の執政は、その若者を呼び出し、伴天連がお前に
そうするように命じたのか、それともキリシタンの間ではあのような習わしがあるのかと尋ねた。
なんの恐れも知らなかったその若者は
「伴天連様はあの事に全く関知されていない。伴天連様が自分に進めたのでもない。仲間共がひどく自分を
怒らせたので、自発的にやったまでのことだ。それが懲罰に値するというのなら、それを受ける覚悟がある。」
と答えた。
三人のうちで最もキリシタン宗門に敵意を持っていた下野殿(三好政康)は、先にキリシタンに鹿を殺された
事件でひどく感情を損ねており、今度の事件について
「あの若者が自分及び他の執政たちの親類のものでなかったら、疑いなく即刻磔刑にするところだ。命だけは
助けてやるが、あの若者は今後、親族から除外され、申すまでもなく相続請求できる封禄も没収されるものと
心得るが良い」と言い渡した。そこで若者は下の地方(九州)に赴こうと早速堺に向かって乗船した。
こうしてひとまず事件は落着したが、以後、かの殿たちは皆司祭や教会のことには全く耳を貸さなくなり、
彼らのもとで司祭の帰京問題に解決の道を見出すことはもはや不可能となった。
けれども1年と立たぬ内に、この下野殿は奇禍に合い哀れな死を遂げたし、二人目の岩成友通殿は
織田信長が殺させ、彼の城も奪われた。そして老人であった日向殿も同じく財産を失い、追放されて死んだ。
かくしてそれら三人は、皆それぞれに相応しい最後を遂げたのである。
(ルイス・フロイス『日本史』)
1568年の、キリシタンがらみの冒涜事件に関する記録である。
701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 20:16:09.93 ID:q6Zwvdl7
三好清海入道「あれ、わしが大坂の陣で活躍したってのは」
702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 21:31:00.01 ID:vYwalrHz
所詮フロイスw
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 22:15:58.27 ID:AWtOK8wl
>>701
あんたフィクションだし
705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 11:12:48.51 ID:c8Oqgbsm
キリシタン「踏絵?全然問題ないぜ!」
706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 14:38:32.61 ID:afL4KWIZ
イスラム教徒ならなw
707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 15:28:56.21 ID:WQkcJ18+
プロテスタントは躊躇なく踏んだとか聞いた
ガリバーは踏まなかったが
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