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茶の湯の歴史について

2018年09月24日 17:40

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/23(日) 22:22:50.64 ID:hsEHnj/y
東山の相公(足利義政)は茶を以って楽とし、数寄の標式を定め、名画墨跡を壁に掛け、珍器宝壺を
座右に陳ね、専ら閑静を以って本とした。これが数寄の会として世の中でもてはやされ、世代を超えて
これを楽とした。

信長秀吉の時代になると、幕下の武将それぞれ数寄を学び、軍旅の仮初の暇にこれを以て風流とした。
珠光(村田珠光)は南京(奈良)の僧にて茶の湯に名誉を得た。当時の人は皆珠光の茶の湯に
参加することを以て栄誉とした。その門人である、宗悟、宗珠、善法と言った人々は、それぞれ数寄に
長じた。

武野紹鴎、初名は仲材といい和泉堺の産まれであった。武田信光の後胤である。祖父仲清は応仁の乱で
討ち死にし、父信久四方に流浪し、ついに和泉堺に居住した。紹鴎は三条右府(三条西実隆)に侍り、
因幡守となり、後に堺に隠居して数寄を以って楽とした。大徳寺の右岳に参して一閑居士と号し、大黒庵と
言った。

千宗易は元は田中氏にて室町殿の同朋千阿弥の筋故に、千を以て名字とした。数寄の道が世に専らのこと
彼の時代に盛んとなった。信長秀吉は彼を恩遇した。天正の行幸において、秀吉は数寄の名人に官位を
与えた。しかし宗易はこれを辞して受けず、居士号を受け、大徳寺の右渓に命じられて利休居士と号した。
また自ら抛筌斎と名乗った。この頃の諸侯、幕下の近士は居士を以て師として数寄道を嗜み、家々に数寄屋を
立て、座布を囲んで茶立所とし、宇治の園を盛んにして芳茗の可否を争うこと、この頃より専らであった。
浅井亮政(原文ママ)は居士に就いてこの道を聞き、居士を招請して床の内に秘蔵の妾を飾り、
明智光秀は居士を招いて床の内に片輪車という刀を置き、各々その道を信じてその誠を顕し、
己が家の秘物を以て数寄屋に飾った。

居士は大徳寺の山門を修造して、己の像にあしだを履かせ山門の上に安置した。しかし秀吉はその不義を憎んで
ついに傷害し、山門に置かれた像は一条の戻り橋に磔にして天下に示した。

その後古田織部正重然、元美濃の生まれで秀吉に仕え武勇の功も有ったが、利休に従って数寄道を得、
世の中は以て彼が伝える事を学んだ。

本来数寄道は東山相公が老いて東山に隠居し、義満の北山の風流を慕い写した故に、法服を着て法味を
静かにした、隠居放言の趣味であり、風流なことは風流であるが、大丈夫にとって必ずしも必要な道ではない。
況や古画名筆を求めて名のある器を欲せるなど、その数寄の道の中でも即座に卑しいこととされる。
しかし現在の風流であり、これをむやみに嫌うのも風俗にすたるという物であり、良く用いればまた
底から得るものも有る。そういう事であるから、現代まで廃らず続いているのだ。

(士談)

茶の湯の歴史について


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義政は公儀を知らず

2017年05月08日 18:03

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/08(月) 15:17:48.18 ID:VE6BqW0b
天下の兵乱は天地の運に拠ると云えども、まさしく政道の正邪に帰する。
天地開闢以来、洛中での闘争で応仁の乱ほどのものはなかった。これはすべて、将軍・足利義政の心より
起こったのだ。

義政は公儀を知らず、知識昏く、勇武の道更に無く、悉く佞奸邪知の輩に偽られて、一事と雖も
道に当たる事無し。これによって天下は皆、将軍を尊重せず、一心に利益を得ることを専らとし、
欲を盛んにし、父子兄弟君臣の礼は乱れ、互いに奪い合って利を逞しくした。
これは上を下が学んだ故である。

要らぬ風流を好み、器物古書に心を尽くして、これら東山殿好みという物は後世まで規範となったが、
どうしてこれが真の道と言えるだろうか。

子息義尚も文を好み歌を詠んだが、これもまた将軍の器ではなかった。江州の陣中において
孝経を聴き、左氏伝の講義をさせていた。これもまた、書を学ぶべき時を知らぬ故である。

(武家事紀)

江戸期における足利義政についての評価である。



766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/08(月) 20:49:40.77 ID:R7OKl++z
吉川元春「陣中で太平記を全巻書写してみた」

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/08(月) 20:57:16.77 ID:qo04Eyf+
吉川が書いたのが私本太平記か

「隠れもない、熟柿臭いわ」

2016年07月22日 21:15

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/21(木) 22:10:30.51 ID:uZgz+BuU
尊氏将軍五世の孫義政公の御時、洛中洛外で酒を禁じられた事があった。

万阿弥という同朋衆が仕えていたが、いかがして飲んだのだろうか、
面もどこも赤漆で塗ったようなありさまで御前に跪いた。
大樹は彼をご覧になられて、

「お前は酒を飲んだ顔だなあ」

と仰られると、万阿弥

「いや、あまりの寒さで参上するときに焚き火にあたったのでございます。」

と言い訳した。

「そうであるならここへ来い。かいでみよう。」

とのことから、是非なく参ると

「隠れもない、熟柿臭いわ」

と仰せられる。それに万阿弥

「そのような事もございましょう。柿の木の焚き火にあたっていましたので。」

(醒睡笑)



961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/22(金) 01:28:31.57 ID:+EHNhqgx
>>959
柿の果実酒ってあったのか

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/22(金) 02:30:57.86 ID:eZAHWWpd
バニラユニコーン

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/22(金) 10:44:01.25 ID:wfYA40BD
>>961
酔っぱの呼気に含まれるアセトアルデヒドは熟柿臭いのだ

青磁香炉『大千鳥、小千鳥』

2016年02月20日 12:54

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/20(土) 00:35:10.96 ID:HpJTYx46
青磁香炉『大千鳥、小千鳥』

 昔東山殿が鴨川の千鳥を聞きに出られなさった時、
千本の道貞と申す者が蘭奢待を持って参って焚いている、
ということを聞きなされ公も名香をお焚きになられて、お取り替えなされたという。
古雅な事々である。
(本阿弥行状記)



春日局という女がいた

2015年11月24日 07:29

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/24(火) 00:38:23.21 ID:YOyn+TIR
慈照院殿(足利義政)の時代、春日局という女がいた。
彼女のために応仁の乱は起こり、天下は騒動した。

最近の春日局の号は、これを考えずに号したのか。

――『老人雑話』



寛正大飢饉と足利義政

2009年10月01日 00:02

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 23:47:43 ID:2rlZL4tz
寛正二年からの大飢饉はおびただしい餓死者を生んだ。
しかし、将軍義政のやることといえば、花の御所作りや
さらなる寝殿造営という有様で、飢饉の対策を怠っていた。
そんな時、後花園院が義政に一首を詠んだ。

「民はぜんまいを奪い合い、家々の扉は固く閉ざされている。
詩に興じるにはあまりにも痛ましい二月に、都に満ちている
花紅や新緑は誰のためなのか」

これを見た幕府は大いに恥じて寝殿の造営を中止したという。
院にまで呆れられる義政…




960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/30(水) 00:15:41 ID:2HG1FXWG
ξ←ぜんまい?

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/30(水) 00:20:13 ID:OCBB9Ev5
>>959
実は中止していない。
確かにその句を詠まれて、建設工事は停止したが、その後
1年もたたずに工事を再開し、見事完成させている。

「休止」が正しいw


962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/30(水) 01:40:08 ID:kRDeYUyg
>>959
それはもちろん、自分と飢えた民衆のためです。
「花の御所作りやさらなる寝殿造営」は飢饉対策の一環なんですよ。

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/30(水) 11:24:47 ID:VnMhiQou
で、寝殿に「偉大なる公方ばんざい」と落書きされてるのがみつかると。w

964 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/30(水) 12:35:45 ID:daNfFgIF
まぁ財政出動で公共事業やるのは景気対策として正しいっちゃ正しい。

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/30(水) 12:41:06 ID:Rjl4vuR0
建てたものが趣味丸出しだがw

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/30(水) 13:06:34 ID:ho5lJDS3
高速道路とかと違って、立てた後あんま役に立たないからな…

967 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/30(水) 16:14:26 ID:A8lmWorL
まぁ、後世で歴史建造物・文化財・観光資源としておおいに役に立ってはいるじゃないか

アニメの殿堂も10万年後には偉大な歴史建造物に…ry


足利義政は紅葉狩りに出かけたときに

2009年09月20日 00:11

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/18(金) 23:47:17 ID:R/fFjXMl
足利義政は紅葉狩りに出かけたとき側近に

「紅葉は輝くほど美しいのに人々の生活が悲惨なのは
なぜだろう。税を課しすぎたのだろうか」

と言ったという。義政の以外な一面を示す逸話。




605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 00:09:18 ID:OAVaETaA
義政「よし、人々の暮らしを良くするために一念発起するぞ!
銀閣寺を作って信仰心を深めるのだ。これで生活が良くなるに違いない。」

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 00:35:52 ID:/DKJxTdF
義政って日本で一番最初に公文書に
フェラチオされた人って記載されたんだっけ
小姓に。

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 00:47:56 ID:l9ProbwW
>>605
それが正解だから

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 01:10:01 ID:bnVe2B4m
>>607
マジで!?
足利将軍家て変人揃いだね

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 01:17:23 ID:iAylXPkg
義政って愛される暗君だよなぁ

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 01:18:32 ID:ZNzTh+tz
愛される暗君ワロタw
なんだこのかつてない矛盾を孕んだ存在はww

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 01:21:49 ID:bnVe2B4m
蹴鞠王 今川氏真様とか

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 01:23:49 ID:+fryNzjJ
ほら、あれだよ、ダメな子ほど可愛いって言う…

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/19(土) 01:24:52 ID:OAVaETaA
>>609
うむ
義政には心から同情するよ
俺だって、今から将軍やれとか言われたら絶対ヤダw


足利義政、不思議な夢を見る・いい話?

2009年06月11日 00:05

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 19:34:32 ID:KhZPRoc1
ある時、足利義政は不思議な夢を見た。何者かが義政の前に現れたのだ。
なんと義政の前に現れたのは父義教であった。

義教は束帯姿で、義政に「義政よ。今、私は生前に犯した数多の罪によって
苦しんでおる。だが私は善行だってやってきた。きっと生まれ変わっても
また将軍となるであろう。どうか飢饉に苦しむ民に施してやってほしい。
そうしてくれれば、地獄にいる私の苦しむも少しは和らぐことだろう・・・」
とお願いした。

やがて目を覚ました義政はすぐに家臣を呼び出して、父の願い通り
人々に施すよう指示したという。




365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 21:33:49 ID:E3senSL1
ばんにん☆きょーふ♪

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 22:16:54 ID:gX1B4/Ov
>>362
それって源氏物語にも同じエピソードがあった気がする
あっちは皇族だけど



367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 22:45:04 ID:nX9652oZ
>>362

ちょっと補足


義政は100貫文を寄進して六角堂で施行させたんだがうまく行かず
その月の内に鴨河原・油小路への死体処理作業に変更されたそうな。
ちなみにこの期間中も花御所の移転作業は中断されてないな。
建物の移転だけで軽く2000貫文以上かかったといわれてる・・・・




368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:02:23 ID:fHLG/uhQ
>>366
アレは源氏の兄=朱雀帝が弟を須磨流しにしたのをくよくよ悩んでいたら、
兄弟のおとんが夢に出てきて兄貴がノイローゼになり、弟を呼び戻したっつう話だな。
でもあれはそもそも弟が兄貴の彼女とヤッちゃって失脚したから…
兄貴カワイソス

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:31:16 ID:qqPw39EI
源氏物語って…詳しく読んだ事無いけど色々とアレだな…

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:33:37 ID:QmBjbvXs
日本最古の腐女子の書き下ろした伝説の作品だからね。

371 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/10(水) 23:39:48 ID:uCUthbzH
平安の腐女子ぱねえ
まともなのは更級日記くらいだな

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:47:52 ID:fHLG/uhQ
そんなこと言うけど、
信長は謙信に源氏物語屏風をプレゼント。
秀吉は身辺が落ち着くと源氏の勉強を開始し、書写。
家康は大坂城から脱出した女房に源氏を語らせる。

とまあ、三傑だって教養として学んでいたわけだから。
上杉謙信、細川幽斎、豊臣秀次、最上義光あたりも源氏マニア。
義光は嫁さんのために、源氏絵巻をオーダーした記録がある。

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:47:53 ID:ODRGedSr
紫式部=ハーレクイン系腐女子
和泉式部=女流エロポエム作家
清少納言=バブリー系辛口エッセイスト
菅原タカスエの娘=文科系女子エッセイ

こんな感じ?

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:50:41 ID:FCXAL6Fj
き、紀貫之は?

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:54:03 ID:fHLG/uhQ
  .ト│|、                                |
. {、l 、ト! \            /     ,ヘ                 |
  i. ゙、 iヽ          /  /  / ヽ            │
.  lヽミ ゝ`‐、_   __,. ‐´  /  ,.イ   \ ヽ            |
  `‐、ヽ.ゝ、_    _,,.. ‐'´  //l , ‐'´, ‐'`‐、\        |
  ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ       /ヽ
        ,.‐'´ `''‐- 、._ヽ   /.i ∠,. -─;==:- 、ゝ‐;----// ヾ.、
       [ |、!  /' ̄r'bゝ}二. {`´ '´__ (_Y_),. |.r-'‐┬‐l l⌒ | }
        ゙l |`} ..:ヽ--゙‐´リ ̄ヽd、 ''''   ̄ ̄  |l   !ニ! !⌒ //
.         i.! l .:::::     ソ;;:..  ヽ、._     _,ノ'     ゞ)ノ./
         ` ー==--‐'´(__,.   ..、  ̄ ̄ ̄      i/‐'/
          i       .:::ト、  ̄ ´            l、_/::|
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             ヽ     ー‐==:ニニニ⊃          !::   ト、
            ヽ     、__,,..             /:;;:   .!; \
             ヽ      :::::::::::           /:::;;::  /  


ちなみに戦国一番の文化人武将、細川幽斎は
「おまえらは源氏や伊勢をエロだなんだいうけど間違っている…
あれは理想の政治論を説いているんだよ!」
「な、なんだってー」
という解釈を残した。
応仁の乱以降の乱世では、王朝文学は平和の象徴として尊ばれたという。
おまえらもエロだのハーレクインだの言わないで、幽斎先生を見習うんだw

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 00:00:54 ID:kuVrewpV
アマテラスは引きこもり、紫式部は腐女子、清少納言はブログ女、紀貫之はネカマ、
乙姫はツンデレ、七福神はスーパーロボット大戦、聖武天皇は収集ヲタで正倉院はヲタ部屋、
病草紙はふたなり、後白河法皇は最新流行の追っかけ、古今和歌集はまとめサイト、
とりかへばや物語はエロゲ、秀吉はコスプレじじぃ、狂言は第一次お笑いブーム、
鎌倉末期は新興宗教ブーム、戦国の茶道は萌え喫茶ブーム。
江戸期に入るとエロパロ二次創作がこれでもかってぐらい溢れかえっている。

事の良し悪しは置いといて、日本人は伝統的に変態遺伝子を受け継いでいるのは事実だ。
外国人から指摘されたとしても悪びれる必要はない。堂々と千年変態だと答えればいい。

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 00:00:56 ID:rftit2wc
女の振りして日記書いてたのがいたけど
あれはネカマの走りなのかな。

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 05:23:14 ID:R044yyAy
>>378
紀貫之「土佐日記」

冒頭いきなり「男のすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」
        (男がしているという日記とかいうのを、女の私もやってみようと思ってしてみた)

文の確認がてらwikipediaみたら、
女になって書く、というよりも仮名遣いで書くというのが主体だったという説が載っていた。
(当時仮名遣いは女性が文章を書く時に使用し、男性は漢文体だったらしい)

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 08:58:16 ID:bmYWLVkH
漢字が苦手じゃったのじゃな

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 09:08:35 ID:vm07Zbyo
>>380
みんなわかっててTSモノとか言ってるのかと思ってた
わかってなかったのか

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 10:39:27 ID:sQyzlCeU
やっと国風が見直されてきた時期だから、仮名っておもしろいよね、和歌っていいよね
と主張したかったんかな

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 14:01:51 ID:Fnx+0oNk
朝おんスレかと思ったじゃまいかお前ら


足利義政と義尚の親子仲・悪い話

2009年05月10日 00:06

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/09(土) 01:52:15 ID:j9oHZBRn
晩年の足利義政は隠居を考えていた。既に将軍職は息子の義尚に
譲っている。義政は延暦寺の末寺、浄土寺の所有地に隠居所を
建てることにした。

だがそこには天台僧が設けた墓地があった。彼らは当然抗議したが、
義政は素知らぬ顔で土地を取り上げた。芸術にかける義政の情熱は
不屈なのだ。

そこで僧たちは将軍義尚を頼って、東山殿の気まぐれで墓地を
壊すなんてことをすれば、必ずや仏罰をうけることだろう、と
義尚に訴えた。

義政と義尚の関係は、義尚が父の愛人を寝取るなど、いろいろ
あって険悪だった。しかし、義尚は義政側に立って僧たちを
なだめた。仲直りしたのかな?

義尚の応答
「まあまあ、落ち着けって。お前たちも親父の年齢は知ってるだろ?
どうせ、もうすぐ天に召されるから。親父が死んだら悪いように
しないからさ、今はじっと我慢してくれや」

この親子の対立は相当根深いようだ。






足利義政と相国寺炎上・悪い話

2009年05月09日 03:13

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 00:36:41 ID:fqPkV/En
応仁の乱のさなか、山名勢のために相国寺が炎上した。この寺は
将軍御殿に隣接していたため、人々は皆恐怖した。しかしながら、
当の将軍義政は焦りを一切見せず、酒宴を楽しんでいた。

そんな中、義政のある家臣が「俺はこの戦いで死ぬだろう」と
覚悟した。彼は義政の前に参上して言った。

「公方様、某の生涯の奉公の褒美として盃を頂けないでしょうか。
あの世の形見にしとうございます」

「うむ、よかろう!」

気をよくした義政は揚々と盃を与えた。家臣はうやうやしく盃を
頂戴した。

「この百年の命、主君の恩に報いるために捧げよう」

そう言って家臣は立ち去り、間もなく討ち死にした。

こうして彼は本懐を遂げたが、この騒動で義政は終始動揺しなかった
という。家臣の心は義政には伝わらなかったのだろうか・・・。





256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:02:37 ID:O+EPmnA0
>>254
この時日野富子も「危険だから避難しましょう!」って言うのに、無視して酒宴続けていたんだよね。
肝が据わっているというか、虚無的というか。

まあ東西両軍とも将軍御所は攻められないって事をきちんと把握していた、って説もあるけど。

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:27:50 ID:DqmN4pWf
義政ぐらい厭世的で、ある意味非人間的なタフさがないと
あの当時トップ務まらんよ・・
おれなら一週間で胃腸がぼろぼろになる

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:58:22 ID:IN80dGfX
義政はうつけなのか再評価すべき人間なのか

子供のころから日野家をはじめとした大人たちが好き勝手にやっていたからどうでもよかったか

260 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/08(金) 02:21:30 ID:yu+hMv+T
>>259
評価は出来ないでしょ。
公家なら風流人で済むけど、征夷大将軍なんだし。

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 03:20:23 ID:O+EPmnA0
足利義政について

評価される点
・応仁の乱で直轄軍である奉公衆を温存させ、乱で疲弊した諸侯に対して相対的に、
 幕府の武威を上げた。
・鎌倉公方、足利成氏の反乱(享徳の乱)を、幕府(関東管領)主導で収束させた。
・応仁の乱での京の被害を最低限に抑え、その復興も意外なほど早く成し遂げた。
・三管領のうち畠山、斯波の二家まで、実質的に幕府権力に屈服する存在にし、細川京超家も
 しばらくは分裂含みの不安定な状況にさせた。
・上の事もあり、幕府権力を管領を中心とした大諸侯による合議体制から、将軍とその側近集団による
 権力機構への変化を促した。
・東山文化


評価出来ない点
・定見性の無い諸侯分裂工作が応仁の乱を引き起こした。
・弟の義視を後継者にすることを貫徹できず、明応の政変以後の将軍家の分裂の種をまいた。
・また、義視を西軍に追いやった事により、西軍の側にも奉行衆、奉公衆といった将軍側近機構を
 構築させてしまい、特に明応の政変での、奉公衆分解への種を撒いた。
・応仁の乱より始まった地方の混乱により、諸侯の在京義務が殆ど有名無実化した。
 (幕府の求心力の低下)
・関東の混乱収集に対し堀越公方と言う中に浮いた存在を作ってしまい、これが後に幕府および
 東国の混乱の元となった。
・将軍権力の独裁化方針が、細川京超家を初めとした大諸侯の警戒と反発を招いた。
・畠山氏、斯波氏の弱体化による、既存秩序の流動化(下克上)


義政は政治の方向性としては間違ってないんだけど、定見が無く場当たり的な対応が多くて、
結果混乱を増幅しちゃっている感じがする。


262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 08:34:32 ID:d+/+6AR/
評価出来ない点は全部結果論な気が…

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 10:14:28 ID:hH1IrBll
>>261thks
まとまりよくて判りやすかった
細川京超家?京兆家?どっちだろ

264 名前:261[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 11:25:08 ID:O+EPmnA0
うわ恥ずかしい

×京超
○京兆

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 17:02:14 ID:eI6uCziq
>>262
方針がふらふらしてる面はそうでもなくないか
あとある程度は先見性の問題もあるしさ