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二番槍では詮なし!

2021年05月16日 16:37

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/16(日) 16:27:20.73 ID:3Js1RWNV
今川氏真公の士大将・小原肥前守(鎮実)が参州吉田の城を守っていたのを、権現様は御攻め
遊ばされ、御人数を二連木・加須塚などの要害へ遣わされた。すると小原肥前守はこれを見て
吉田川の辺り下地と申す所へ打ち出て防戦仕った。

その時、忠勝様(本多忠勝)は一番に御掛かりなされ、牧宗治郎と槍を御合わせなさり、比類
なき御働きであった。

時に蜂屋半之丞(貞次)が申されたのは、「毎度一番槍を突くところで、この度本多に越され
二番槍では詮なし!」と、槍を捨て刀を抜いてかけ入り、敵を幾人切り伏せなさった。

その時、敵方より河井正徳と申す剛の者が鉄砲を持って蜂屋を狙い撃った。あやまたず眉間に
当たり、蜂屋は討死致された。

――『忠勝公御武功其外聞書』



720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/16(日) 18:00:02.67 ID:P/x14cNk
美味しいとこだけ持っていくカスって昔から居たんだね

721 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/16(日) 21:55:48.69 ID:Qd68O4B2
>>720
>>719の話のことだったら何処にカスが居るのか?と。
騙し討ちならともかく、日本各地の戦場に弓矢どころか鉄砲が普及してるこの時代に、スナイパーにやられたことを卑怯だの力スだのなんて言ってたらシモヘイヘやベトナムゲリラ兵はどうなるのかと。

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/16(日) 23:11:54.09 ID:XILAtUGd
小原の悪いところはこれじゃないからなぁ

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/17(月) 00:02:52.81 ID:OeKrAtqm
>>721
第二次大戦以降も狙撃兵は敵からは憎悪されて
味方からも忌避される存在だったけどな

724 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/17(月) 04:56:39.66 ID:Ap+cpwvI
>>723
命と領土をガチで取り合ってる戦場でそんな甘っちょろいこと言われてもな。
寝言は地獄でどうぞとしか

725 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/17(月) 05:20:15.60 ID:Ap+cpwvI
もう一つ言わせて貰うと、射程距離短い火縄銃時代の狙撃と近現代の狙撃を一緒くたに語るのもどうかとは思う。遠くから攻撃してくる弓兵も卑怯なのか?って話にもなるし。

本多忠勝に負けたくないと更なる武功を求めて前に出て奮戦した蜂屋さん。
乱戦の中、前線で味方に仇なす敵の猛者を銃で討ち取った河井さん。
互いにやるべき事やった結果だし、出典元でも河井を剛の者と評価はすれど、卑怯者なんて評価はしてないのでは?

726 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/17(月) 09:03:33.43 ID:XQuYmwNe
>>719
常山紀談版だと、ほぼ同じ内容で本多忠勝と牧宗治郎に出遅れて一番槍を取られた蜂屋が他の士に遅れを指摘されたことに腹を立て、
本多忠勝に一番槍取られたなら一番太刀を取ると言って槍を捨て、敵前衛に斬り込んで2人を倒し、銃を構えた河井正徳を見つけてそこに向けて刀を持って突進された所を撃たれて立ち上がって退いたが亡くなったと言う風に描写されている。

で、蜂屋の母が息子の死に様を聞いて無様でない死に様に安堵したとある。

少なくともこの逸話に美味しいとこだけ持ってくカスは居ないと思うな。

727 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/17(月) 12:24:41.53 ID:DVsEXiw2
河井正徳も名前が残るだけあってなかなかの剛の者。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4308.html

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/17(月) 13:09:27.50 ID:YUH6x6+h
>>726
むしろ、みんなやるべき仕事やった感があって、悪い話ですらないかも
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智仁勇兼備の者

2014年11月04日 18:53

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/04(火) 15:34:58.32 ID:68eTn+ig
徳川家康家臣、蜂屋半之丞(貞次)は聞こえたる武辺者であったが、ある時の合戦で、
眼前の敵を見逃して退いたことがあった。

家康はこれを知ると、「どうして眼前の敵を見逃し退いたのか」と尋ねた。

蜂屋は答えた
「我々に向かってくる敵ならば、隙あらば我が身にもその矢が当たるでしょうから、その敵を討ち取らずに
退くことはしません。
ですが、戦いを好まぬ敵は、たとえ眼前に居たとしても、そのまま捨て置いて引き取るべきです。

敵であったとしても、今後我々に従えば味方になります。であれば、向かってこない者を殺すことを、
私は好みません。生かしておいて、我らに従わせる事こそ本意であると考えています。」

家康はこれに深く感心し、「お主は智仁勇兼備の者だ」と賞賛した。

(明良洪範)




蜂屋半之丞は音に聞こえた武辺者である

2013年08月15日 19:51

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/15(木) 10:02:21.42 ID:pR/+yBr7
蜂屋半之丞は音に聞こえた武辺者である。

ある時眼前の敵にかまわず退いた事があり、神君は「半之丞はどうして
眼前の敵にかまわず退いたのか」と尋ねられた。

半之丞はこれに答えて
「我らに立ち向かってくる敵でならば、この身に矢が当たろうともその
敵を討ち取らずに退く事はありませんが、戦いを好まぬ敵は眼前にあろう
とも捨て置き退きます。

敵であろうとも従えば味方になります。ならば手向かいしない者を殺す事
は好まず生かして従える事こそ本意かと存じます。」と申し上げた。

神君は「知仁勇兼備である」として、ことのほか褒められたと言う。

(明良洪範)






蜂屋半之丞、逃げる

2010年06月14日 00:00

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 22:12:32 ID:DB6KDsWx
永禄6年(1563)、三河一向一揆の時のこと

家康に背き一揆軍に参加したものの中でも、蜂屋半之丞貞次と言えば、当時の三河を代表する勇者として
有名であった。

蜂谷は背が高く力も強かったので、真ん中が太くなるように作らせた白樫の三間(約5.5メートル)槍に、
紙を投げつけるとサクっと貫くほど研ぎ澄ませた長吉の刃をはめこみ、、これを自在に振るった。

『半之丞の槍先に、誰が向かってこようか!』

蜂屋は常々、このように豪語していたそうだ。


さて、一揆とのある合戦で家康は攻勢をかけ、一揆軍は退却を始めた。この退却する軍勢の中に
蜂屋を見つけた家康は、その方に向かって駆け出した!当時家康21歳、血気にはやる若者なのだ

「蜂屋!戻れ!!わしと槍を合わせよ!!」

これに蜂屋半之丞、わしと戦おうなどとは何を生意気な、返り討ちにしてくれる!と、振り向くと、
そこにいたのは家康

「げぇッ!殿!?」

すぐさま回れ右、前かがみになって槍を引きずりながら、一目散に逃げ出した。
この、逃げる蜂屋に追いついたのが松平金助である。

「蜂屋半之丞!もどってわしと槍を合わせよ!」

「ぬ?家康様ではないな!?さっきは家康様であったから逃げたのだ。お主ならば容赦ない!」

と蜂屋、取って返すと槍を合わせ、たちまち鯨にモリを突き立てるように刺し貫いた。
この槍を引き抜いたところで、またもや家康が追いついてきた

「おのれ蜂屋め!勝負いたせ!!」

家康の声を聞いた途端蜂屋、勝利の余韻に浸る間もなく再び、槍を引きずりながら一目散に逃げ出した。


家康は陣に帰ってから
「蜂屋は自分から逃げ出すような侍ではないのに、私を見ると逃げて行ってしまったよ。」
と言った。この時家康、非常に愉快そうで、上機嫌だったそうである

有名な三河一向一揆、蜂屋半之丞逃げる、の一席。




391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 17:33:38 ID:kyUKQoup
>>386
忠義と信仰の板挟みの中で主君と戦う…といえばシリアスだけど、
こうして見るとやっぱ面倒くせぇな三河武士という感想になってしまうw

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 17:47:30 ID:YQ5+sPmY
それをしつこく追い掛け回す家康、どうみても面白がってわざとやってる様にしか見えない。

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 19:16:46 ID:mMptHekV
べ、別に殿とは戦いたくなかったんだから!
松平の長として、反省だけしてくれれば良かったんだから!!

ナニコノツンデレ。

徳川十六神将、蜂屋半之丞の母

2009年05月09日 03:15

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 00:20:38 ID:O+EPmnA0
永禄七年(1564)、徳川家康の三河吉田城攻めで、徳川十六神将の一人としても数えられる、
当時26歳の青年、蜂屋半之丞は、本多忠勝と先陣を争い、数多の敵を討つなど大きな活躍を見せた。
が、不運にも流れ弾に当たり、討ち死にした。

半之丞の屋敷では、彼の母が半之丞の帰りを待っていた。
蜂屋家の家来達が戦場より返ってきたので母は急いで門前に走り聞いた

「半之丞はどうなりました!?」

これに家来は沈痛な面持ちで、「討ち死になされました」と、報告をした。

ところが、母はこの家来にキッと顔を向け
「そんなことは知っています!討ち死にまでの首尾はどうだったかを聞いているのです!」

「そ、それでしたら、多くの敵を斃しました。」

にこりと笑い
「それを聞きたいと思っていたのです。」

そう言って、奥へと戻っていった。
そして家来たちに見えぬところまで下がると、そのまま打ち伏し、前後もわからなくなるほど
泣き、嘆いたとのことである。

当主である半之丞が死んだ以上、蜂屋家を守るのはこの母である。
息子の戦死とはいえ、家来達の前で嘆くわけにはいかなかったのだ。

そんな時代の、武士の母の、お話。