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凡そ家中の困窮は、その将の過ちである

2021年12月20日 17:45

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/20(月) 15:28:15.13 ID:B2NNC59W
奥州会津の城主・松平(本姓蒲生)下野守忠郷の家人に、岡半兵衛重政という者があった。
彼は忠郷の母儀(正清院・家康公御娘)に対して度々違背する事があった。母儀はこの事を
内々大御所(家康)へ訴えたため、岡半兵衛の禄を放つべき御諚の旨、老臣より奉書を投じた。
岡半兵衛は大阪御陣の後、様々に弁じたが終に御赦免無く、駿府に於いて自害した)
そして岡半兵衛に同心していた池信濃以下数人が浪人した。

岡半兵衛の居城であった奥州津村の城には蒲生五郎兵衛を移し、また蒲生源左衛門尉郷成を呼び返し、
三春の城に差し置くべき旨仰せ出されるに依って、源左衛門尉を召し寄されたのだが、彼はその路中にて
病死した。このため郷成の嫡子である源三郎郷喜を、源左衛門と改名して三万石、二男・源兵衛郷舎に
一万五千石を賜って、この兄弟を返した。
蒲生家執権の事は、町野長門守、玉井数馬の両人が相勤めるべき旨、御下知あった。

また下野守の使者として北安達内匠という者が大御所に申し上げた所によると、
蒲生主計は年来武勇に達し、その上無欲にして、家中及び百姓等を撫育してきた為、家も貧しかった所に、
今度両御所(家康・秀忠)が大阪へ御発行(大阪冬の陣)に付き、下野守の人数も差し向けられるという
風聞があります。これについて、蒲生主計は訴えました、

『家貧しうして兵を動かし難し、願わくば黄金拝借仕り、忠郷様の名代として大阪へ馳せ向い、
討ち死にを遂げたいのです。』

そのように望んだのですが、下野守・中務大輔(忠知)兄弟共に幼少であり、殊更この主計は、先に
御改易を仰せ付けられた岡半兵衛の一族であります故に、その訴訟を取り次ぐ者も有りませんでした。
そこで主計はこれを恨み憤り、忽ち自害してしまいました。
この趣は先達て江戸の御留守である(松平)忠輝朝臣まで申し上げましたが、今又、直に言上仕ります。」

これを聞いた大御所は
「主計は武功有る者であった。彼のような者については、善悪に依らず訴訟の事が有れば取り上げるべきなのに
打ち捨てて置く事、蒲生家の老臣たちの怠慢甚だしい。主計の卒爾の自害、不憫の至である。
凡そ家中の困窮は、その将の過ちである。然しながら忠郷は未だ幼少である。よってこれらは臣下の罪である。」

そのように仰せに成りご立腹されたことで、安達内匠は戸惑いながら帰国した。

新東鑑

大阪冬の陣の頃も、氏郷死去以来の蒲生騒動が未だ治まっておらず家中が混乱したままだった蒲生家についてのお話
しかし本当に蒲生だらけですね。



248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/20(月) 16:04:04.81 ID:g3dHoHz9
名字を活躍した家臣に配る、やってもらった側は感無量だけど後から見る人間からは誰が誰やら

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/20(月) 16:10:51.18 ID:fHEcECu2
読み方を変えよう
がもう、かもう、がまお

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/20(月) 18:43:11.05 ID:yGHycAm/
かばなま

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/20(月) 19:02:54.51 ID:FmAYMNPX
夜悪いことするとがおーさんが来る、みたいな伝承が滋賀だかで残ってたっけ?

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/21(火) 02:04:50.43 ID:8asVSz2+
ナボナはお菓子のホームラン王です
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片目の頭は、我々が太刀の切っ先にかけて

2021年06月14日 18:59

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/14(月) 13:20:14.98 ID:gXgD925U
上杉弾正大弼定勝と、蒲生下総守忠郷は、無二の入魂にて、兄弟の契約をしていた。
忠郷は蒲生氏郷にとっては孫、秀行の嫡子にて。家康公の御外孫、会津六十万石の領主であった。
定勝は米沢三十二万石であり、互いにその領内の百姓まで、双方申し合わせ、境目も睦まじく往来した。
南部信濃守利直も、忠郷と殊の他に懇意であった。

仙台の伊達政宗とこの三人の衆は仲が悪かった。そのため何時でも政宗が出てくれば、
蒲生、上杉、南部の三家言い合わせ、「政宗を立ち挟んで討ち果たすべし」と、密々に堅く
言い合わせていた。

定勝、忠郷、利直の三人が同道して。上野の天海大僧正の元に夜咄に行った帰り、三人ながら
馬を乗り連ねられた。その途中にて南部殿の馬が荒々しく勇んだ。この時南部殿は大声で忠郷、定勝に
呼びかけた

「相公(忠郷宰相)、羽林(定勝左少将)、この馬の勇んでいるのをご覧候へ!
明日にも何事かあれば、この馬に乗り、ご両人と申し合わせ、彼奴(政宗)を立ち挟んで討ち果たすべし!」
と申された。これに忠郷、定勝もからからと笑われ

「仰せらるるにも及ばぬ事なり!片目の頭は、我々が太刀の切っ先にかけてご覧に入れ候はん!」
と宣われた。三家中の供の輩は皆、これを聞いたという。

蒲生忠郷は寛永三年(正確には寛永四年)正月に薨ぜられたが、定勝は大変に嘆き悲しみ、
三十五日精進され、上杉家中の士卒は申すに及ばず。米沢領内は十四日の間殺生禁断となり、
追善の法事が有った。

信州川中島合戰聞書并上杉家遺老談筆記

なんで政宗こんなに嫌われているのか



808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/14(月) 18:07:06.66 ID:gTgcpvPU
むしろ南部、蒲生、上杉から見て政宗を好きになれる要素があるのかと

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/14(月) 19:11:51.94 ID:jObLku2y
政宗がいじめっ子で南部蒲生上杉はいじめられっ子って感じか。
しかもいじめたほうは全然覚えてなかったり身に覚えがない態を装う。

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/14(月) 19:30:58.80 ID:gTgcpvPU
虐めっこっていうか迷惑な隣人というか…
現代的にいうなら騒音が煩いとかゴミ出しの時間守らないとか
人の家の庭に出入りしてくるとかそういう感じの厄介さじゃないかと

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/14(月) 19:46:49.68 ID:JsZl/HXh
蒲生と南部は姻戚関係の親族だから、普通仲の悪い隣接した領地の上杉と仲いいってのが
よっぽど伊達に問題があったような

蒲生忠郷の家臣、蒲生源左衛門と伊達政宗・悪い話

2009年05月15日 00:02

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/14(木) 00:14:56 ID:pMMSnyEC
会津60万石、蒲生忠郷の家臣に、蒲生源左衛門と言う者がいた。

ある時忠郷が
「仙台の伊達政宗が江戸への参勤の途中、我が若松の城下を本陣とするのは甚だ不快である。」
と、愚痴を言った事があった。これを聞いた源左衛門
「それを改めさせる事、簡単でございます。私の才覚で、二度と我が城下に泊まる事の
無いようにして見せましょう。」

さて、しばらくして政宗、また参勤の為、若松城下に本陣を張り、間もなく到着する、
と聞けば、源左衛門本陣となる旅館へ行き、着座の間に上がった。
これには宿の亭主慌てて、「間もなくここには、仙台公がお入りになります」と言うと、
源左衛門「御着の際は明け渡す。それまでここで休息させてくれ。」
と、床を枕にいびきをかき始めた。

宿の亭主も、藩の重職でもある源左衛門をどうにも出来ず、ただあたふたとしていると、
そこにとうとう伊達政宗がやってきた。いつもの部屋をみれば、中で寝ている男がいる。

政宗が座敷に入ると、この男ようやく起き出し、政宗に向かって畏まった。

「そなたは一体何者だ?余は仙台の伊達政宗である。」

と言うと、「私は蒲生下野守家来、蒲生源左衛門と申す者です。今日は鷹狩りをしてきまして、
くたびれ果てて、ここが政宗公のご本陣とも知らず、休息をしておりまして、ご無礼をいたしました。」

そう、不敵に言う。ははあ、この男、わしがここを本陣とすることに文句を言いに来たな。
政宗もこの頃には気がついている。

「ほう、お主の名はかねてより聞き知っておる。よき折だ、知人となった初めての面会の祝儀を
与えよう」

そう言って腰の脇差を取り出して

「これはそれほど名のある物ではないが、その方のような大男を切った折、頭から股の下まで
切り抜いたほどの物だ。」

と、渡した。『お前くらい脇差で一刀の元殺せるのだぞ。』言外にそう言っているのだ。
源左衛門はこれを頂戴すると

「しかしこれでは、政宗公の腰が空き申す。恐れながら、拙者の脇差を代わりにお指しになってください。」
と、今度は源左衛門が自分の脇差を政宗に差し上げ、

「この脇差は、私の領内の片目の大男を、頭のてっぺんから尻の割れ目まで真っ二つにした
業物でございます。」

そう申し上げてて退出した。
『うちの領内であんまりナメたことしてると真っ二つにしてぶっ殺すよ?脇差で。』そう言ったわけだ。

源左衛門が下がった後、政宗は

「蒲生家は氏郷以来、よい侍を持ってきたが、あの源左衛門こそ、確かな者だ。」

このように褒め、その後は若松城下に宿泊する事は、なくなったそうである。
この頃の武士の社会、表面上は平穏に社交していても、実は恐ろしい、と言うお話。




434 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/14(木) 04:38:15 ID:RX9FRA/w
>>433
しかも政宗と同じ論法で返してるしな、源左衛門

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/14(木) 10:15:33 ID:+Bf5T6Hh
3者とも昔の因縁あるだろうが、少し大人げないな。

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/14(木) 11:47:04 ID:N8Rk22G5
一般的に参勤交代が城下(首都)に泊まるのは防衛上危険極まりないので
参勤交代では他国の城下で宿泊しないのが礼儀とされている。
大名行列って一応軍隊の行進だしな。

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/14(木) 12:11:47 ID:PUcdBdBi
政宗ならよし!途上の全大名の城下で泊まっていこうぜwww

とやりかねないと思うのは俺の偏見か

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/14(木) 18:10:40 ID:+Bf5T6Hh
>>436

成る程、この時代まだまだ戦国の気風を残してたから
非常識を咎める勇気、いい話でもあるのかな。