快事

2017年01月12日 08:36

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/11(水) 20:13:20.91 ID:Y4zAy542
転載元
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten2/1331kaiji.htm

某サイトからの転載だけどまとめになかったので

※元サイトにて御覧ください


504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/11(水) 21:50:43.36 ID:VqYVO9g7
>>503
誉めるだけで、蟄居の解除は無し?

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/12(木) 08:13:27.32 ID:eKKUJi9N
将軍との情事のときに便意とはな
切腹ものだろ

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/12(木) 12:37:56.52 ID:wsEOh0yg
尾籠なの?
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隠逸の気性の事

2016年07月19日 18:48

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/19(火) 00:52:27.28 ID:7WZz4ZTv
隠逸の気性の事

坂和田喜六(佐川田昌俊)は、大猷院様(家光)御代までには世にその名が広まっていた。
その頃諸家で文武両道の達人を吟味して、こちらには一人、あちらには二人等と調べることがあった。
そのころ公けでもその御評議があり、

「文武の達人といえば坂和田喜六であろう。」

との上意があり、永井家を召されて

「そちの家来の坂和田は文武の英才である。
眼をかけて遣う様に」

との御意があったので、永井も大いに面目を施して、立ち帰ってさっそく喜六を呼び出した。

「今日、かくかくの上意があった。誠にその方のおかげで家に光輝をなせた。」

と殊のほか喜ばれたので、喜六はこれを聞いて

「未熟な私めにそのように御褒めがあったことはありがたいことです。」

と厚く喜んだ気色であったが、その翌日にどこに行ったのか妻子にも言わず、
家宝を捨て置いて、遁世したという。

どのような所存があったのか、一時の英名があれば、偏執の誹りも出てきて、
かえって英名を落とすことになるとの心であろうか。

(耳袋)




899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/19(火) 12:40:58.35 ID:z7VvuQ5M
>>898
草だったのかな?

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/19(火) 13:27:09.16 ID:8lILfdzV
そのうち大猷院に召し出されるかもしれないのが嫌だったんでしょ

家光公は孫君ゆえ父君へ御沙汰が無いように

2015年12月09日 09:17

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/09(水) 01:25:51.65 ID:Zkj0mP/2
 『すべて孝心無くては物事は先行しない』、と申すこと天理の自然が尊く恐ろしいことである。

 家光公の代に本丸に東照宮を建立されたとき、大御所様(秀忠公)の御目障りにならぬように甚だ小さい祠になさったことは、
家光公の家督相続はひとえに権現様のおかげなので、格別に御崇敬なされたといえども、また父君へ御遠慮からのことであり、もっともな孝心であります。
勿論、秀忠公も至って孝心を持っているが、本丸に御宮を勧請なさることはなかったので、
家光公は孫君ゆえ父君へ御沙汰が無いようにとの配慮なされましたとのことであります。

その東照宮は後に紅葉山へ遷座されました。
(本阿弥行状記)



大井川の浮橋

2014年09月27日 18:44

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/27(土) 14:01:50.52 ID:KdeACkG4
寛永3年7月、徳川家光上洛の折、大井川を渡る時、

徳川忠長はその川に浮橋を渡した。その往来はやすらかで平地の
ようであったため、身分の高い者も低い者も、こぞって忠長の
巧智に感心した。

ところが、家光はその橋に臨むと、にわかに表情を変えて、

「箱根大井は、海道第一の険要にして、関東を隔てているのだと、
神祖(家康)も大御所(秀忠)も、常に仰せられた場所である。
それなのに、このような浮橋を設けて、往来を自由にさせるのは、
あってはならないことである!」

と、甚だ憤った。後年に至り、忠長が罪を蒙ったのも、この時の
事より起こったということである。

――『徳川実紀(坂上池院日記)』




382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/27(土) 15:22:29.29 ID:q9ICDCm3
いざとなりゃ焼いちゃえばええのよ。わたってるとこに大筒でもいいけど

草履を温めて

2014年09月13日 18:54

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/13(土) 02:00:46.84 ID:1PjHXP8J
徳川家光がまだ若干の頃は怖いもの知らずで、内々に微行(こっそり城の外にでること)も
多くあった。

その頃、寒夜に俄に出かけた時、いつも草履が温かいことに家光は気がついた。
家光はこれを怪しみ、何故なのか注意していた所、酒井讃岐守忠勝がいつも草履を懐中に入れて、
肌で温めていることを知った。
そこで家光は悟った

「これは讃岐守が私の微行を危ぶみ、密かに付き従って私のために心を尽くしているのだ。」

この事があって家光は反省し、絶えて夜行を行うことはなくなった。

(空印言行録)

草履を温めていたのは秀吉だけじゃなかったというお話。というかどっちが先に出来たお話なんでしょうね?



775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/13(土) 04:24:34.17 ID:hBVyp+A0
M宗「秀吉だろJK」

天下を治めるものに、我意はならぬものだ

2014年09月11日 18:51

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/10(水) 19:44:20.59 ID:I/gLwwtb
酒井雅楽頭忠世は、徳川家光のもとで大老を務め、補導第一の良臣であった。
彼はいつも正言を申すため、まだ歳若き家光には煩わしく思い、忠世に何か言われた時は、
いつも機嫌が悪かった。

ある日家光が大手前を通った時、「あの家は誰の家か」と尋ねると、「雅楽頭の家で御座います」と答えられた。
そのとたん、家光は顔をしかめた。それほど酒井忠世を嫌っていたのである。

ある年の事、八朔の賀に御三家はじめ諸大名江戸城に登城した時、家光は前夜より二の丸に在って、未だ
還御無かった。
酒井忠世は二の丸に渡り、「拝賀の者は皆集まりました。早くお還りあって賀儀を受けられますように。」
との言葉を伝えるよう家光の御傍の者達に言ったが、彼らは家光の事を憚って、誰も取り次ごうとしなかった。

そのため忠世は直接家光の御前に出て、その旨を言い聞かせた。この事に家光は激怒した
「忠世、取次なしに私の前に出るのは推参である!必ず咎めを与える!」

「それがしの事は後日、どのようなお咎めも蒙りましょう。今朝はとにかくお還りください。」
これに家光も拒否できず、やがて本丸へと還り諸大名の拝謁を受けた。
その後何の沙汰もなく数日が過ぎたが、忠世は西の丸の大御所秀忠の元を訪れ

「私は性質愚鈍であるのみならず、歳も取り、また殊に御前もよろしからねば、老職を
お許しありますように。」

そう、大老職の辞任を申し出、また八朔の日のことも申し上げた。秀忠はこれに何も言わなかった。

間もなく、家光が西の丸の秀忠のもとに渡ることがあり、忠世も召され左右に侍った。
そこで秀忠が
「忠世は年老いて、さぞ本丸での職務にも労しているだろう。今日は殊に冷気が強い。
これを取らせる。」
そうして自らかぶっていた頭巾を取ると、手ずから忠世に与え「直ぐにこれを被るように」と言ったが、
忠世は御前を憚り被ろうとしなかった。家光はこれを見て
「上意であるぞ。何故被らないのか」
と言ったため、終にこれを被ると「良く似合っている」と笑った。

その時、秀忠は家光に向かい
「将軍は雅楽頭を気に入らぬそうだな。彼は東照宮(家康)このかたの旧臣であり、天下大小の
政事に熟練しているので、私が将軍職を譲った時、それに添えて彼を遣わした。
それを気に入らぬというのは。御身の我意というものである。
よいか、天下を治めるものに、我意はならぬものだ。」

そう言い、また八朔の日のことも取り上げ強く教諭し、これを家光も畏まって聞いたが、何の答えも
しなかった。

忠世は、この後どんなお咎めを受けるかも解らないと思っていたが、家光は本丸に帰ると直ぐに
忠世を召して

「今日は御隠居様(秀忠)より殊の外お叱りを受けた。よく考えて見れば、お前が天下の政道を大事と思って
言う言葉を、私は悪しざまに聞いていた事は、今更悔いても甲斐のないことである。

雅楽頭よ、今後は尚更に、思うことを残さず言ってほしい。」

そう、さわやかな表情で言った。その後城構えの工事御覧のため出かけたが、この時家光が
「雅楽、先にいけ、先にいけ」と言うので忠世が先に回った所、さらに「頭巾!頭巾!」と
先に秀忠より頂いた頭巾を被るよう促した。しかし忠世が被りかねた様子だったので
「御免であるぞ!否むこと無かれ!」と言って、終に被らせたという。
(葛藤別紙)



764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 14:59:47.69 ID:Ma+XRQaQ
>>762
ダメだ、「頭巾!頭巾!」と言ってる家光の顔が、クマーのAAみたいになってるように考えちまうww

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 17:05:23.26 ID:IcA/rOD/
どんな頭巾だったのだろうか

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 18:46:40.63 ID:DAvsj1i8
赤い頭巾だと思う

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 19:42:44.00 ID:/aHn3j5H
悪代官風とか?

徳川家光の恐ろしさ

2012年11月17日 19:58

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 07:35:06.33 ID:TrRLS7Sn
徳川家光公は、老臣以下、江戸の事もしっかりと知られていたが、仰せ出されることは稀であり、
下から『この者の儀は斯くの如く候』と言って、その善悪について言上する時に

「その者については、このように聞いている。」

と、良いことについても悪いことについても、老臣よりなお委細にそれについてご存知の事を仰っていた。
例えばこのようなことがあった。

山中源左衛門といって、旗本第一の暴れ者があった。
よって老臣たちよりこの者の処分について言上があった。家光はこれを聞くと

「その者については聞いたことがある。良き男だそうだが、しかし向こう歯が欠けて銀にて入れ歯をしていることを、
かつて私に言った者があった。その通りか?」

老臣たちこの言葉に
「源左衛門の男ぶりについては、その通りでございます。入れ歯のことは細かくは存じません。」
そう申し上げた。

そして家光
「その男の行状の悪さについては8年ほど前に聞いたが、その時は、若気の事なら段々にやり直せば良いと思い、
その後お前たちの報告を待っていたのだ。」

と仰せになり、行状あらたまざるに付き、山中源左衛門は切腹を仰せ付けられた。
後で老中が尋ねさせた所、山中源左衛門には確かに銀の入れ歯があったそうである。


またある時、久世大和守広之にふと、お尋ねがあった。

「大和は今朝、大名共より進物を得たな?」

大和守謹んで
「はっ!上意の通りにて御座候」

すると家光重ねて
「誰が何を贈ったのか?」

このお尋ねに久世大和守、誰から何を受け取ったのか申し上げた所

「まだあるはずだ」

と仰った。

そこで大和守は懐中から書付を取り出し
「何某より何、誰よりは何々を贈り候」
と申し上げると

「それで合っている。」

と言われた。

これに久世大和守は、『恐し恐し』と、広之一代の戒めにしたそうである。
(武野燭談)




447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 09:57:37.57 ID:hq0o6bKe
うわあ、恐ろしいってレベルじゃねーよ。

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 10:14:18.58 ID:sqWsScV1
諜報は、どの程度まで情報を得ているかも隠すほうが有益だと思う

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 12:07:50.23 ID:M/PDtlNL
この情報は柳生を使って集めたものなのかな?

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 23:38:07.79 ID:r3654Xdx
>>449
逆にさらけ出すのも一手。
上手くいけば相手が邪推して勝手に恐れ入ってくれる。

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 23:51:51.99 ID:blCU6IGI
幕府隠密 間宮林蔵

454 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/18(日) 10:18:06.68 ID:5mA3daL2
>>446
家光を貶すつもりはないけど
もしかして家光はサヴァン症候群だった可能性があるんじゃないか?
結構変わった人だったみたいだし

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 15:06:44.40 ID:7x5nS06K
>>448
それは諜報で集めた情報をどう使うかによるな
同じ情報でもどういう事に使うかはその人の性格、思考、立場によって変わる

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 19:40:15.68 ID:FJYTT2Tx
一番上の人間に
「君の事は良い事も悪い事も全て知ってるよ(ニコッ」
とか言われたら恐怖しか感じないわ…

御前大食い大会

2012年03月30日 21:43

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/30(金) 11:50:19.53 ID:hAl8gyR1
徳川家光が、食欲不振が高じてついに病に臥せったことがあった。
この時幕閣たちは

『誰か家光公の前で大食いをすれば、それに釣られて公も食がお進みになるのではないか?』

と考えた。どうしてそう考えたのかわからないが、ともかく幕閣は大食いをする志願者を募った。

これに応じた御番衆の一人は、「枝柿を100食べます!」と言った。
御前に出して食べさせてみると、家光が見ているので畏まってしまい、柿を種ごと食べてしまった。
家光も驚き、「種を取って食べるが良い」と言うとそれに従って種を取ったが、取った種をまた、
実と一緒に食べてしまった。動顛していたのだろうか。ともかくそうやって柿を種ごと100個、
食べつくした。

次のものは「雉を一羽まるごと、焼き鳥にして食べます。」と言う。
そこで雉の丸焼きを出すと、瞬く間に残らす食べた。
家光はこの両名に褒美を下した。

さて次に御坊主の一人が「私は砂糖を一斤(600グラム)食べます」と言ってきた。
そこで砂糖一斤を出したが、この坊主は半分ほどで挫折してしまった。
これには『いい加減な、出来もしないことをお上に申し上げた』とのことで、改易か遠島の処罰を受けた、
という。

家光の頃の、御前大食い試合の話である。
(異説まちまち)





485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/30(金) 12:54:00.52 ID:ciK7M5+d
ちょっと信長っぽいエピソードだな

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/30(金) 14:53:04.96 ID:rD5g5vO6
砂糖600グラムなら頓挫ですむけど、
塩600グラムだと・・・

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/30(金) 17:29:30.36 ID:gSniPDE4
>>484
>『誰か家光公の前で大食いをすれば、それに釣られて公も食がお進みになるのではないか?』
まずこんなトンチキな事考えた奴を処分した方が…

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/30(金) 17:49:35.96 ID:X28Ao0Mz
この手のは、あまてらす何とかの時代からの伝統なのでしょうがない

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/30(金) 18:52:53.36 ID:/ZEYqYly
これは「大食い大会をやるから見てください」といって将軍を引っ張り出したんだろうか

徳川家光の寵童、梶左兵衛佐定良

2011年06月19日 00:04

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 10:08:51.18 ID:iCBXOsEE
徳川家光の寵童の1人に梶左兵衛佐定良がいる。
定良は伊勢長島の菅沼氏の一族であったが
寛永3年に徳川家光が後水尾天皇の二条行幸のために上洛した際
その列の中から見出され、嗣子のなかった旗本の養子となって家光に近侍した。

家光の死後4代将軍徳川家綱は当時600石であった定良を1000石に昇進させると共に
日光にある家光の廟を守ることを命じた。
以後47年定良は一日も欠かすことなく廟に詰め、後に寛文の五賢人のひとりに数えられたという。





目黒に置いて、将軍徳川家光による鷹狩が行われた時

2011年03月29日 00:01

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 22:03:41.86 ID:1VpqS5H/
江戸近郊の目黒に置いて、将軍徳川家光による鷹狩が行われた時のことである。

この目黒には、成就院という寺院があったのだが、そこに4,5人の武士が尋ねてきた。
住職が何事か聞けば
「我々は将軍家御鷹狩のお供の者なのだが、大変くたびれてしまってな。すまんが、少しここで
休ませてもらえないだろうか?」

住職は「ああお安いこと、どうぞどうぞ」と寺の内に入れた。
「将軍家様の御鷹狩で、このあたりは大変な騒ぎですよ」「そうであろうな」
などと言いながら寺の客殿に通した。と、そこの壁には菊が見事に、まるで絵画のように美しく飾ってあった。

一番身分の高いらしい、若い侍がこれに感心し
「失礼ながら、このような田舎でこんなに素晴しい生花を見るとは思わなかった。この寺は良い檀家を
持っておられるようだな。」

そう尋ねると住職
「いえいえ、ここは江戸より遠く、然るべき檀家というものも無いのですが、ただ保科幸松殿と申せし方の御母上が、
時々祈祷のことなどお頼みされるのですが、そちらもお台所苦しく、布施のものも、豊かではありません。」
「ふむ…、その他には?」
「ははは、その他はもう皆、物の数に入らぬような…。ああそうだ、こちらにいらっしゃる皆さんは
将軍家の御家人であられるそうなので、恐れ多いことなのですが…」

住職、内緒話と声を低くし、その武士に少し近づいて語り出す

「その保科幸松殿と申す方は実は、今の将軍家の正しき御弟君だと承っております。
であるのに僅かの領地しか無く、貧しくされているのはなんといたわしい事でしょうか!?
たとえ賤しき身分の者であっても、兄弟が親しみ深くするのは世の習いだというのに、
一体どうして、あのように身分の高い方が情けなく出来るものなのでしょうね?」

と、これを聞いてその侍、少し顔色を変えたが、他の者達の方に向き直り

「さて、もう出かけよう。そろそろ上様がお帰りの時間である。」そして住職に
「御僧のお情けで足を休めることが出来た。また参ることもあるだろう。」と声をかけ、寺を出て行った。

しばらくして

成就院に大勢の、将軍家に付き従う武士達が押し寄せた!
住職が挨拶もする間もなく、その者達叫ぶ

「上様は!?上様はいずこにおられる!?」

「う、上様?わ、我らは上様のことなど一向に知りません。ただ先ほど、鷹狩の
お供の方がこちらでお休みに…」

これを聞いて押しかけた者たち唖然
「ば、バカモーーーン!その御方が上様だ!!」

住職驚愕
「な、なんですってー!?」

「未だ遠くには行かれていないはずだ、追いかけるぞ!」「ははっ」
武士達は一斉に家光たちが向かったという方を追いかけた。
哀れなのは住職である。これを聞いてから「ああ何ということだ、私は上様になんて失礼なことを。
いかなる罪を仰せつかるのであろうか?」と恐怖し、それから一月程、門の外に足音高く
人が通り過ぎるのを聞くだけでも、魂が消えるような思いをしたという。

さて、一方保科幸松、改め保科正之、この事から程なく家光より多くの領地を与えられ、家光の信頼厚く
やがて山形を領する。正之はこれを成就院の恩として、かの寺に土地など多く寄進したという。

徳川家光、鷹狩の最中のお忍びで弟正之の存在を知る、という一席。
ビビりまくった住職さんがちょっと可愛そうだったのでこっちにw




361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 22:17:43.39 ID:KdZYUSkC
そりゃあ、焦るわな

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 23:10:23.89 ID:Rty+LYv9
やっぱり坊主は目黒に限る

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/27(日) 23:23:19.49 ID:OFPp8sjC
しかし保科正之自身は神道に傾倒していて会津では廃仏毀釈してたんだよね

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 00:12:59.73 ID:iJZYvXIS
保科正之は晩年神道にはまったけど、廃仏毀釈なんてあったか?

365 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/28(月) 00:18:19.44 ID:0pc7QKM6
しかし、その坊さんは若い侍の着物に葵の紋に気付かなかったのかな?時代劇とかだと着物に付いてるけど。

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 10:53:24.68 ID:UOMnrPhJ
>>と、そこの壁には菊が見事に、まるで絵画のように美しく飾ってあった。

家光…ゴクリッ

三代将軍家光はある時こんな夢を見た

2011年03月29日 00:00

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 03:47:06.99 ID:cILalDQr
三代将軍家光はある時こんな夢を見た。
その夢の中では今は亡き祖父家康が馬に乗っていたのだが、
どうも馬が暴れ出しそうだったので、それに気付いた家光は即座に馬を止め家康を助けた。
家康は家光のその功績を褒め称えお辞儀をすると、
家光はその家康からの労いに感謝し跪き、この恩に命を捧げると言った所、
家康は「おお」とほほ笑んだと言う。

家光はこの夢にえらく感動したようで、
家康への感謝とこの出来事を忘れないために自分のお守りまで作っている。

これだけだと良い話なのだけど、
家光は生前に似たような理由でお守りを八つほど作ったのだが、
その中に入っている直筆の書付で彼は自らのことを
「二世将くん(二世将軍)」もしくは「二せこんけん(二世権現)」などと書いており、
家康の二代目を自負している。

彼にとって秀忠とはなんだったのだろうか…




372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 08:13:09.68 ID:EJrOCVgE
>>369
この場合の「二世」は「二代目」ではなく、『家康の生まれ変わり』って意味だな。
徳川家康セカンド、第二次徳川家康、って事だ。

家光は武断政治を標榜していたから、武のイメージの殆ど無い秀忠より(といっても大坂の陣なんて
実際には秀忠主導っぽいが)、家康を自己に投影するのは、政策イメージを浸透させる手段として見れば
多少はしょうがないだろうね。幼名も同じ竹千代だしw

あと家康自身が、父松平広忠より、祖父清康の生まれ変わりと見なされることが多かったので、
そこも意識したのかもしれん。


374 名前: [―{}@{}@{}-] 人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 11:17:52.29 ID:AQw9B0xq
家光「父上は私の知る限り衆道はなさらなかった。
   権現様は若い頃より、寵童に親しんだ信長公らと親交厚かった。
   後は分かるな」

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/28(月) 11:29:09.98 ID:vvdJILlW
秀吉「つまりワシの子だったのだよ」

将軍宣下・家光の布告と伊達政宗

2010年11月13日 00:00

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/12(金) 16:54:26 ID:bFwZ6gEd
まとめサイトを見ても家光の馬鹿話は出ても
案外有名ないい話が出てなかったので。

家光が将軍宣下の時、全国の大名を江戸城内に呼び寄せ
その場にて家光は異例の宣戦布告を行った。

「祖父や父は貴兄等と同属や盟友となった時期があったかもしれぬ、
しかしながら余は生まれながらの将軍である
これに不服があれば今すぐ国許へ帰り弓矢を取るがよい
我が徳川800万石、自らお相手致そう」

これまでと違い、楯突いても都合が悪ければ容赦なく潰す。
それも圧倒的国力を背景に、そういう異例の文言であった。

その場にて貴台の名将伊達政宗が口を挟む
「あいや待たれよ、そのような輩は将軍家のお手を煩わす訳には参らぬ
伊達40万石が陣頭に立ち成敗してくれよう」
これを皮切りに全国の大名が我も我もと続いた。

これは伊達政宗の策略だとか、講談の話だとか色々と議論はつきないが
事実はどうにせよ、そういう話は今も残っている。

これより応仁の乱より150年に渡り続いた戦国時代は終わった。
幾多の犠牲や策略や戦争、それらが支配する時代は
江戸城内の一喝によって終焉した。

ただ現代でこのスレを生きる人間において困ったことが一つある
相対的に戦国時代が無ったことはこの板で語ることは何も無くなるのだから
結局いいんだか悪いんだかの話。




249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/12(金) 20:22:12 ID:Ef4tJDkb
>>246
まーくんの世渡り上手っぷりは老いても相変わらず健在ですなw

寛永飢饉と徳川家光

2010年11月01日 00:00

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:24:45 ID:yr9oKwel
寛永九年頃の初春より飢饉が始まり、江戸や大阪の米価は
慶長金一両で六斗から七斗ほどにまで上がった。
さらに田舎でも米不足が深刻化し、四斗から五斗と求めても
米自体がないために買えないありさまだった。
これに対応すべく老中以下が集まって議論した。

その席で意見を求められた将軍徳川家光
「町中では米が払底しておろうが田舎には貯えがあるはずだ。
 これは早速詮議して在所より米穀を送らせ民が飢えぬようにせねばならぬ」と言ったという。
飢饉とはどういうものなのか知らなかった徳川家光29歳の話。




167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:30:06 ID:/w10P4Bl
>>166
いや、飢饉と言っても普通は全国規模で起こるわけじゃないから、米の余っている地域から
足りない地域に送るというのは間違った認識じゃないぞ?

まあ寛永の大飢饉はこう言う認識の通用しない、本当に大規模な飢饉だったが。

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:31:40 ID:ugjAQWd7
家光は間違ってないよ。
実際最近の江戸時代の飢饉研究でも、飢饉は流通の問題が大きかったという研究成果が出てる。
例え飢饉でも、日本全国が一様に飢饉だったことの方が珍しい。
あるところにはあるってこと。

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:32:23 ID:9idapj1s
司馬衷「全く倭国の王は馬鹿じゃのう。米がなければ肉を食わせればよいではないか」

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:32:31 ID:ugjAQWd7
かぶったw

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:32:36 ID:fmfoavVw
>>166
お前の方が分かってない

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:36:27 ID:ugjAQWd7
>>171
言い過ぎだw
当時の人が、「公方様はこれだから分かってねーな」と判断したのは確かだろ

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:36:29 ID:+aRf0yXT
これはもう殿様を世間知らずと嘲るためテンプレだよなw

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:42:06 ID:ugjAQWd7
>>166
ところでさ、

>一両で六斗から七斗ほどにまで上がった。

これって一両=約一石(=10斗)から、
一両=6~7斗に上がったってことだよね?

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 00:55:45 ID:VGJLsiVI
六斗だったのが七斗に上がってお買い得になったのかと思った
そういうことねw

酒井重澄の仮病

2010年10月11日 00:00

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 18:26:29 ID:1ExIhoML
徳川家光の寵童に酒井重澄という者がいた。
家光の重澄への寵愛ぶりは凄まじく、飛騨の金森家の生まれである重澄を
酒井忠勝の養子分とすることで酒井を名乗らせたうえで
下総生実に2万5000石を与えて大名とするほどであった。

ある時重澄から病気を理由に出仕を取りやめるとの届け出が出た。
重澄自身も屋敷から出ず引きこもったようだったのだが…実はこの病は仮病だったらしい。
静養中に重澄は妻や側室との間に4人もの子をもうけていたのだから。

この事を知った家光の怒りは凄まじく、重澄を改易して水野勝成に預けてしまった。




631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 18:33:54 ID:Id8gIcTT
家光とやってる時に子供作っていいか聞くべきだったな。
出来たら許してもらえると思ったのか。
男なら拳(フィスト)で語り合えよ。

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 20:48:55 ID:cF8/S0V9
「私に子供ができたらきっと私以上の美少年になりますから^^」って
うまいこと家光を説得しろよ

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 20:50:51 ID:cMWsn+KB
そういえば金森長近って84になっても子作りしてたよね

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 00:00:26 ID:H6js92Aj
>>630
重澄の仮病使ってってのは大問題だけど、
やっぱり家光って、男女関係(この場合は男同士だがw)どこか
倒錯しているところが多い気がするな。夢に出た家康の肖像を
いくつも書かせたり、「二世権現」にしてもやっぱりどこか心が歪んでる
印象を受ける。

実際は病床からなかなか離れられない人物だったようだし、この人が
親父の秀忠以上に評価が高いのが正直納得いかないんだよなあ。

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 00:43:41 ID:W1e26Rzu
>>644
家光の幼少期の扱いに関する話って「○○公はこのような苦難を乗り越え(ry」的な話の
ようでもあるけれど
諸々の逸話からにじみ出る歪みっぷりを見るとマジだったのかな…


652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 07:56:34 ID:eLRUmTbp
>>647
まーくんにしてもそーりんにしても人格が歪んでいたから親から疎まれたのか親から疎まれたから
歪んだのかわからないよね
いえみっちゃんは鬱屈したものかかえてるよねえ。

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 18:58:39 ID:LQZcdGNo
>>630
江戸の二大少年様と呼ばれる酒井重澄の血縁は容姿の所為で人生無茶くちゃだよなぁ

重澄の生母もえらく美人で夫に監禁されて離縁してやっと金森家に側室で嫁いだら
寵愛され過ぎて正室と離縁しだすは嫡男追い出すは継室になっちゃうわで金森家に居辛くなって
重澄の伯父の名古屋山三郎も蒲生家に居辛くなって出家したと記録が残る程寵愛されてたと言うし
重澄の叔母さんも森忠政に嫁いだら旦那が側近(井戸)に警護任せたく無いと言いだして
井戸家のプライドズタズタで自分の所為で旦那と井戸家が不仲になる始末

重澄がその容姿と主君からの寵愛ぶりと引き換えに変な嫉妬と恨みもらって
不幸な末路を迎えるのは家系を見る限り仕方がなかったかも知れん

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 19:15:19 ID:ni07zcCJ
八百比丘尼の伝説は不老長寿の逸話の中でもなんか悲しくて怖い…

那古屋高久の一族は奥さんの家が織田家一の美男秀孝を殺した呪いで…
そうなったって言う話が皮肉ききまくりでワロタw

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 19:42:53 ID:AbmV9s5r
>>817
森蘭丸の弟と名古屋山三郎の妹が結婚していたんだ

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 22:48:55 ID:PEiW2cqP
>>817
名古屋山三郎の甥っ子ならさぞや美形だったろうな…
まさに呪われた一族って感じだ。
[ 続きを読む ]

雑談・徳川家光の日光参拝って…

2010年09月26日 00:00

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 02:51:07 ID:FDA9ccdO
家光の家康崇拝は有名な話で、日光参拝も10回ほど行っております。此処までならいい話なんですが、
将軍が行くとなると当然お供がいるわけでその人数が10万人とか、1回の参拝に20万両(400億円)ぐらい必要とか
聞いたんですが実際のところはどうだったんでしょうか?

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 03:15:22 ID:l5ICK/GH
>>280
そう聞いたならそれでいいんじゃないか?
まぁ徳川自らが10万も動員するわけないし
緒大名も歩役がわりに参拝させられてたんじゃないか?


282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 03:18:07 ID:tQuoDVLk
日光街道周辺に400億もお金が落ちるのか・・・

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 10:30:00 ID:fV2NeZz2
>>282
お供の人の日当や食費もかかるし、馬の餌や蹄鉄も居る。
日光街道周辺に大金が落ちるわけではないと思う。

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 10:49:29 ID:bzW3IP5f
江戸時代の日光街道周辺は、全体的に見ると経済的利益よりも負担の方がよほど大きかったらしい。
助郷や伝馬の負担が大きすぎて、江戸時代後期の下野南部は荒廃し、
百姓が逃げ出した結果、人口が2~3割減ったとの説がある。
関東地方では珍しく、栃木の人には今でもアンチ徳川が多いが、
この日光街道の整備による経済的負担が理由のひとつだね。


288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 12:43:35 ID:nCGanAs3
10万も動員するとなると、ほとんど軍事演習だな。
ヨーロッパ人が、徳川将軍を皇帝と呼んでいた理由がよくが分かる権力規模だ。

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 17:29:52 ID:WmydYN+J
>>285
だから江戸時代の日本に蹄鉄は無いと(ry

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 18:32:31 ID:U+tKme3s
馬用の草鞋を使ってたんだっけ?
耐久力はどんなもんなのか知らんが

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 18:41:40 ID:bzW3IP5f
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」に詳しいけど
やわらかい地面を歩けば二里、固い地面では一里しかもたない。
しかも結び目がすぐ解けて大層やっかいなもの、なんだそうだ。

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 20:00:46 ID:9dmu//xI
>>286
家光のころはいい小遣い稼ぎになったそうだけどね

その後は物価が上がっても支払われる金はほぼ同じだったとかとか

徳川家光の権現崇拝

2010年08月18日 00:00

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 15:15:30 ID:BZN0SrNq
家光の権現崇拝

其之一
同席している誰かが家康のことを話し始めると、家光は直ちに手で制した。
きちんと袴をつけ、座を正し、両手をついてから言った。
「さて、権現様は何と仰せられたか」


其之二
家光は度々家康を夢に見た。
自分の見た夢に基づく家康の姿を絵師狩野探幽に描かせていたりする。
現存する物は八幅。実際はもっと多かったと思われる。


其之三
寛永十四年、病を患ったとき、ひたすらお爺様、家康公、権現様、と念じ続けた。
ある朝、日光参拝の夢を見て目が覚めたところ、何でもなかったかのように綺麗に病が失せていたという。


其之四
家光は肌身離さずお守り袋を携えていた。
中に自筆の文書が入っているが、その一つには次のように書かれていた。
「いきるもしぬるもなに事もみな大こんけん(権現)さました(次第)に、
(中略)
しん(神)おありがたく存、あさゆふにおか(拝)み申ほかはなく候。   将くん家光(花押)」


499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 15:16:43 ID:BZN0SrNq
其之五
家康公を祀るために自分で社を造りたい、しかし天海僧正がいるうちは下手なことはできない。
そんな彼が思いついたのが、伊勢神宮のこと。
伊勢神宮は二十年ごとに社殿を造りかえる「式年遷宮」であり、おりしも寛永十一年はその二十年目にあたる。
それに便乗して造っちゃおうぜと、日光山に東照宮を造った。

しかし、幕末にいたるまで家光が造営させた建物は、どう考えても二十年ごとに建て替えさせることを念頭に置いて造られたものではない。
東照宮や陽明門の彫刻しかり、漆の胡粉をふんだんに使って建物の保護をしているところしかり。
そしてダメ押しとばかりに巨大な石造りの「以テ不朽ニ垂ル」と刻んだ奥社宝塔を奉納している。
伊勢神宮を引き合いに出したのは、自分で社を造るていのいい「口実」だったのでは……。


其の六
あるとき家光は瘧病(おこり)にみまわれた。色々と治療してみたが効果が出ない。
今回ばかりは権現様を念じてみてもいっこうによくならない。
すると御小姓頭が言上した。
「権現様にお供えした供物の残りをお召し上がりになられてはどうでしょう」
家光は大真面目に聞き入れ、その結果を使者を走らせてまでわざわざ紀伊と水戸の当主に知らせた。

――このたびのおこりにあらゆる治療を試みたが、はかばかしくなかった。
ところが日光東照宮お下がりの御供米をいただいたところ、見る間に回復した。
まことに深く感じ入った次第である――




501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 16:06:38 ID:VuEz5Q8T
天海「まったく、そのような権現様に死ぬ思いをさせた明智や」
春日局「その部下たちは、なんという罰当たり者でしょう」

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 16:33:07 ID:2eKvvBkX
秀忠「信長や秀吉は父上を苦しめ続けた大悪人、その血縁は全て滅ぼすべし。例えば信長の姪とか、
秀吉の側室の姉妹とか」
忠次「殿だけじゃなく、殿の血縁、例えば若殿とかを苦しめた者でも許してはなりません」
戸田家の皆さん「…」

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 18:46:47 ID:/EpC9mpn
>>499
家光の家康好きはガチで異常っぽい…家庭環境のせい?

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 19:35:44 ID:mFCYA4KR
うむ。自分こそが将軍にふさわしいと言うアイデンティティが、康の言葉の中にしか見つけられなかった
からだろう。

徳川家光の身代わり

2010年08月01日 00:01

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 19:03:26 ID:2tEzDoET
では徳川さんちの人柱というか身替わりの話

のちの三代将軍・徳川家光も色を知る歳になり、母であるお江(崇源院)の侍女に想いを寄せるようになった。

が、父・秀忠に全く浮気を許さない母や、ヘタな武士よりよほど肝の据わった乳母・お福(春日局)といった
目上の女性の眼を煙たく思った家光は深夜、般若の面をつけて侍女の部屋へ忍んで行った。

その後、江戸城内に妖怪が出るとの噂が立ったが、お江はおびえる侍女たちに、
「それは妖怪などではありませぬ。男が女のもとへ、夜這いに通っているのでしょう。」と言って笑った。
(やべ、バレたか?)
母の発言を聞いた家光は、侍女の所へ通うのを控えるようになったが、やがて侍女は妊娠が発覚して、
「相手は般若面の男に相違ない。御台様に仕える女が、みだらな!」他の侍女が、騒ぎ出した。

「ど、どうすれば良いのだ…」悩む家光に、近習の伊丹権六が名乗りを上げた。
「般若の面を私に下され。私がそれをつけて忍び込みます。捕らえられても、若様の名は絶対漏らしません。」
「そ、それではお前はどうなる!?」
「戦場で果てるも、ここで身替わりとなるも、若様のために死ぬ事に、違いはござらん。」

その夜、大奥に忍び込んだ権六は、警護の伊賀者に捕らえられ、不届き者として磔刑となった。
侍女の方も、最後まで家光の名を出さず、見せしめとして火あぶりに処された。


家光は二人の忠義を前に己の行為を深く後悔し、以後女性に手を出す事を恐れるようになったという。




257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 19:18:24 ID:ZsgDVnch
>>256
それ、葵徳川三代ネタやん…

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 20:41:19 ID:2tEzDoET
>>257
「明良洪範」にある元ネタのある話

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 20:49:30 ID:CZ5eLHoO
男色一筋かと思っていたが、家光も手を出す時は出すんだな

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 21:03:15 ID:oVv/k7Yv
一応、家綱と忘れられない誰かと綱吉が生まれてるしな

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 23:33:23 ID:09Agv1ts
>>256
家光へたれってレベルじゃねえぞ
人が死んでんねんで!

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 23:33:41 ID:qWnH/l3h
「家光の男色趣味に合わせて男装して近づいた」話が側室の誰かにあったな>家光
数え16歳の尼さんを見染めたりしているし。

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 23:43:25 ID:v22CEqx6
>>263
岡左内の孫の自証院だったような>男装して近づいた側室
一説によれば三成の曾孫

日光東照宮の『理想』

2010年06月12日 00:01

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 18:55:19 ID:OFIL91YB
徳川家康を祀る日光東照宮。ここには大量の彫刻が施されているが
これらは一つの統一されたテーマによって構成されている。

獏(バク)の彫刻は金属を食べている。金属とは「武器」の事である。
麒麟の彫刻は仁愛を表す。
白澤(はくたく、中国の伝説の聖獣)は徳の実践を表す。

子供たち(唐子)は人間としての生き方を
猿は人の育て方を
鳥や猫は泰平の世の中を表す。

つまり日光東照宮とは、ただ家康を祀った建物というだけではなく

『武器の必要の無い世の中にしよう。仁愛や徳にあふれた世の中にしよう。
子どもたちを大切に育て立派な大人に成長させられる、平和な世の中にしよう。』

と言う、幕府の政治の理想を表現した建物なのである。

徳川幕藩体制が確立したと言われる徳川家光の時代、為政者達は
こんな世の中を作ることを理想としていた、と言うお話。




738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 20:02:33 ID:nX26FWXG
まあ勝ち組の上から目線だよな


739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 20:09:51 ID:3GuS74T8
天ちゃん、そんなこと考えながら余生を送っていたのかあ

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 20:13:04 ID:IChcrZBA
天さんの晩年や余生は何歳からなんだ

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/12(土) 02:08:29 ID:nIIPzvO2
>>738
これが上から目線に見えるなら、どんな理想も上から目線だわな

青山忠俊、徳川家光のファッションに

2010年05月27日 00:06

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 01:20:55 ID:Y+IR63IN
あるとき徳川家光は外出しようとしておめかしをした。
その井出たちは短い羽織をつけ、茶せん髪を白紙を裂いた形にしたもので
結んだ当時流行のファッションだった。
その格好を養育係の青山忠俊が目撃した。忠俊はいきなり家光を後ろから抱きとめる。

「家光さま・・・。」
「えっ・・・?」
「なんですかその不埒な格好は!!」
忠俊は結んだ紙を引き抜いてしまった。
忠俊の遠慮ない諫止であったが、これが家光を怒らせる原因になったといわれている。




285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 01:24:12 ID:W6oLDPA7
忠俊はいきなり家光を後ろから抱きとめる。

「家光さま・・・。」
「えっ・・・?」

忠俊の遠慮ない諫止であったが、これが家光を衆道に走らせた原因になったといわれている。

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 02:33:23 ID:S4PPiNqc
>>285
何してんだ養育係w

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 09:46:15 ID:nFwP3WUT
>茶せん髪を白紙を裂いた形
どんな髪型なのか、想像も付かない

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 10:42:36 ID:Yb+K6L3A
茶せん髪を
白紙を裂いた形にしたもので結んだ

こうじゃね?

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 12:07:33 ID:dcJ4K1Nk
紐じゃなくボロっぽくした紙で結った、のか?

あれか、いわゆる「アンティーク風リボンでフワくしゅルーズな
まとめ髪! クラシカルな雰囲気が大人の女を演出☆」的な何かか

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 12:40:18 ID:0N2iuzAx
難解な例えよりダメージジーンズの方が近くね

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 13:56:11 ID:9tUMQQpk
>>290
甘味(笑)

徳川家光と住職と女

2010年04月16日 00:07

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/15(木) 20:43:26 ID:U5OSEXt1
サイトにある徳川家光、鷹狩りに出かけて・悪い話と似てるが


三代将軍家光が浅草への行楽の折、休息のために小寺に立ち寄り、茶を所望した。
部屋で待つ間、ふと見ると隣室と隔てる戸に桟が打ってあることに気づいた。
家光はこれを怪しんで、近侍の者に無理やり開けさせた。
すると中には十七、八の女が座っていて、ゆったりと煙草をふかしている。
「どうしたか」
と尋ねても、女はうなずいただけで何も答えない。
妻帯の許されない住職が内密に女性を囲っていたのである。
家光の一行は茶を飲むと早々に退散した。

その後、大分月日がたって浅草へ出かけたとき、家光は先だっての小寺を思い出して、
再び立ち寄ってみた。
すると、以前の住職がいない。
どうしたのかと尋ねると、前の住職は女を隠していたことを将軍に知られたので、
あの後すぐにどこかへ逃げてしまったという。
「馬鹿な者よ。このような小寺のことまで仕置きしていて、天下の政治ができるものか」
家光は苦笑したという。

裏を返せば、徳川幕府の威光は小寺の生臭坊主にまで届き、将軍は公正明大な政治を行うと
民に知られ、かつそれが信じられていたということである。




388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/15(木) 21:16:13 ID:F7wR2pfJ
住職が女を囲ってると厳密に言えば、それは罪になったの?

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/15(木) 21:43:24 ID:FzIA41Jx
明治維新の太政官令で僧侶の妻帯・肉食が許可されたが、それまでは犯罪だった。
しかし、別に見つかったら死刑になったというわけではなく、
「大っぴらにやるんじゃないよ」という江戸時代的なゆる~い法だったみたいだね。

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/15(木) 21:45:49 ID:iuCLBtMm
>>389
宗派によって違わね?