家久(悪)に殺された伊集院忠棟の話

2009年05月24日 00:04

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/22(金) 23:36:04 ID:JCKNeRzZ
>>611
顕如と島津の話題ということで、家久(悪)に殺された伊集院忠棟の話

伊集院忠棟は夫婦共々熱心な一向宗信者であったという。
当時の薩摩は既に島津日新斎により一向宗は禁止とされていたにも関わらず、
取締りが緩かったのか不明であるが、何故か忠棟らは信仰を続けていた。

そんなある日、忠棟は石山本願寺に参詣に出かける機会に恵まれた。
忠棟がかねてから本願寺への奉納を十分に行っていた事、また島津家の
家老という身分からも本願寺内では丁重に扱われたという。

実は忠棟、このときある希望を抱いて本願寺を訪れていた。
忠棟は顕如に逢うと、長年の夢とも言うべきそれを口にする。
「本日は親鸞上人の御木像を是非とも御下付頂きたいと思いまして本日は
出向いて参りました」と切り出した。
しかし顕如はこれに困惑する。実は親鸞上人の木像を在家信者に渡すことは、
本願寺においては禁止事項だったのである。
それは幾ら沢山の寄進をしてくれる忠棟とて例外ではなかった。
顕如は心苦しそうに「その儀ばかりはどうぞ御勘弁ください」と丁重に断った。
しかし忠棟、どうやら生来の短気者らしく、この言葉に一瞬にして怒気を露わにし、
目尻を釣り上げていった。
「こんなに頭を下げても断られたとあっては武士の面目が立ちませぬ!
もはやこのようになった上は御真影の前で腹かっさばいて・・・!」と
当てつけに切腹すべく刀を鷲掴みにして立ちかけた。
これにはさすがの顕如も狼狽し、やむなく宝物庫から親鸞上人の自作と
伝えられる木像を取り出し忠棟に授けたという。

忠棟さん、大喜びでそれを薩摩に持って帰りましたとさ。




624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/22(金) 23:46:41 ID:KYDHRo2B
忠棟が手討ちにされた理由は
島津家を見下ろすような形で京都に屋敷を建てたり、
ラスボスの直臣のお誘いに乗ったり、
九州征伐のときにろくに抗戦もせず抜け駆けして三成に誼を通じた、
と色々言われてるけど、信教の問題も絡んでたのかな。
(まあ手討ちにした側の資料しか残ってないみたいだけど)

家久にしてみれば
「よっしゃー!手討ちにする口実がまた一つ増えたぜ!」
みたいな感覚だったのかもしれんが…

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 00:04:31 ID:Wb7k1QFf
Don't think
Just kill

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 00:25:03 ID:8NJrkFWj
>>624
>>125、>>126 、>>578、>>611、>>621を総合すると
島津領内での一向宗の影響って大きかったのかもしれんなと思う

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