日頃お叱りを受けていた相撲も

2013年11月13日 19:03

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/13(水) 16:13:02.41 ID:RU7Jpa/t
小笠原秀政の家臣小笠原主水(政信)は相撲が大好きであった。
しかし主君小笠原秀政は、度々
「相撲など卑しい業であるから、そのようなものを好むでない」
と小笠原主水に訓戒した。

そうしたところ、大坂夏の陣の時、秀政の御前で
主水は相撲技を駆使して、敵兵2~3人を取っては投げて倒し、
秀政に向かい
「日頃お叱りを受けていた相撲もこのように役に立ちますぞ!」
と二三度言上すると、敵が鑓衾を作り待ち受けているところに駆け込み、
自身の鑓を横たえ敵の鑓をすくい上げたところを、四方から鑓九本に突き上げられ
首を獲られて討死したという。

犬甘代々古老夜話集より
大坂夏の陣で小笠原勢が毛利勝永(吉政)隊に撃破された際に起きていた一コマ
元々秀政に対して主水は含むところがあったらしいのですが
なんとも後味の悪い話と云うことで





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領土を半減されたのに

2013年04月18日 19:53

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/18(木) 00:13:05.52 ID:MED5YaXE
長めの前置き注意

信州の名族小笠原氏は、長時のとき武田信玄に追われ一族流浪の身となったが、
武田家滅亡、本能寺の変、天正壬午の乱を経て、度重なる苦難の末長時の子貞慶が
徳川家康の後援を受け旧領復帰に成功した。

しかし、その後、家康と対立した豊臣秀吉が飛騨を制圧すると、越後に上杉景勝、越中に前田利家、
飛騨に金森長近、木曽に木曽義昌と周囲を豊臣方に包囲された小笠原貞慶は、圧迫に耐えかね
家康の重臣石川数正の出奔に従い豊臣秀吉に転属した。
ところが、まもなく家康は秀吉に臣従、その条件として信濃は徳川家の傘下に入るものとされ、
小笠原貞慶も家康の与力大名となった。

家康と、かつて謀叛をおこした貞慶(及び家康の下に人質としてあったにも関わらず
石川教正に従って脱走した貞慶の嫡子小笠原秀政)との関係には微妙なものがあったらしく
それを慮った秀吉が、秀政と家康の孫娘の婚姻を命じたほどであった。

天正17年貞慶の跡を継ぎ信濃筑摩・安雲両郡『8万石』の領主となっていた小笠原秀政は
家康の麾下に入り、小田原の役に参陣、徳川家が関東に移封されると
秀政は小田原の役での戦功を賞され、下総古河に領土を与えられた。


で、本題の逸話

或る時、徳川家康に豊臣秀吉がこう問うた。
「小笠原信濃守(秀政)には、本領(信濃の旧領のこと)に見合う分の知行を出したか?」
徳川家康はこれにこう答えた。
「この度小笠原信濃守には、一倍を加えて『3万石』を宛行いました。」

これより以前に、小笠原秀政は、聚楽第において豊臣秀吉に朝夕勤仕していたので
小笠原家の領地が筑摩・安雲両郡で『8万石』あることを、秀吉はよく知っていたのであるが、
今般下総国で小笠原秀政の領地が3万石しか与えられていなかったので、
秀吉は、前述のように家康に問うたのだった。

なぜこのようなことになったかというと、小田原に小笠原秀政が出陣した際、
わずか1万5000石分の軍役しか勤めていなかったため
家康はこれを心中に留めていて、前述のとおり(倍の3万石を与えたと)
秀吉に答えたのだということである。

小笠原秀政年譜より。
領土を半減されたのに、何故か倍に加増されたことになっていた話。




319 名前:309[sage] 投稿日:2013/04/18(木) 21:57:36.63 ID:MED5YaXE
ちょっと誤解を招いたかもしれないので>>309の逸話の背景について3点ほど補足を

1.旧領の「8万石」という数字について小笠原秀政年譜でも
秀政が貞慶から所領を受け継いだ天正16年の条に
「筑摩・安雲両郡往古より貫文見積もりの地方であったのを、後に米高に直し、
両郡にて都合8万石」と記載してあるので、
上の逸話の石高も、便宜上、米高換算で8万石相当の領土といった意味合いで使われているようです。

で、8万石という数字の根拠は、後に小笠原秀政が慶長18年に2度目の加増を受けて、
旧領信濃松本筑摩・安雲両郡に復帰した際の石高が8万石だからだと思われます。

2.あと、小笠原秀政年譜には、関東移封の際、領地が「按外に減じ」たため、
大勢の家臣を信濃に残さざるを得なかったが
関ヶ原後の慶長2年に信濃飯田で5万石に加増された際、浪人となっていた元家臣145騎を
召し返した旨の記載があります。

3.そもそもなぜ小田原の役で秀政が1万5000石分の軍役しか務めなかったかについては
小笠原秀政年譜には「この節、公(秀政)一万五千石の格にて家康公に従って彼の表に出陣し」
としか書かれていないので、この史料からは細かな事情は分かりません。

逸話スレなので事の真偽はともかくとして、
この辺のくだりの書きっぷりから醸し出される恨みがましさからすると、関東移封は小笠原氏にとって
本領を離れるということだけでは収まらない結構な危機だったと捉えられていたようです。

ややスレ違い長文失礼しました。



313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/18(木) 07:19:58.06 ID:BiwbsjNG
実際の話、移封の時点では信濃は検地してないから
8万石なんて石高は確定してなかったりする。

そもそも当時の小笠原、木曽は位置づけがあいまい。
元々は真田も含めて家康の与力大名っぽいのに、関東移封時には
真田はそのままで、小笠原、木曽は家康から所領を与えられる立場
に転落してる。

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/18(木) 10:29:03.16 ID:iQFRMxWP
真田が徳川家臣化に抵抗しなければ同じ境遇になったのでは?

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/18(木) 10:34:31.33 ID:4Ny/bL+r
真田は上田と沼田が別家扱いなんじゃないかな
上田は関東移封に付き合ってないし
上田城が豊臣政権所属の地方中枢拠点の可能性も出てきてるんだろう?

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/18(木) 11:41:51.91 ID:iMZRx233
義昌も一度徳川から離反してるけどな
1万石なのはこれが原因だとは思うが、森林資源は石高に反映されないのもあるんじゃないかな?

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/18(木) 12:06:14.81 ID:4Ny/bL+r
この問題は一言で言えば徳川が諸豪族を味方につけるために
安堵状出しまくり領地重複しまくりが原因
良くあることなのでその後に調整が入って普通は収まるのだが
豊臣という巨大な傘があったから重複して過大に領地のまま豊臣に逃げ込む
その後徳川に戻されて適正地を宛がわれると格段に減封されたように見える

鹿島宗全矢倉の捕物・戦国のジャーマンスープレックス

2012年10月13日 20:02

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/12(金) 20:07:27.39 ID:vTG4OOsZ
小笠原秀政の居城に、彼が時々出向く矢倉があったのだが、そこの掃除を担当している侍に罪過があるとして、
秀政は家臣の鹿島宗全に、この者の召し捕りを命じた。

と、ここで宗全は思った。「あの侍は器量優れた者である。これは容易ならぬ捕物である。」
そして深く考えた。

宗全は矢倉に走ってゆくと、その侍を呼び出し急いでいる様子で言った

「間もなく兵部大輔殿(秀政)がこちらに御出である!掃除はできているか!?私はそれを確かめるため
こちらに参ったのだ!」

そして矢倉の中を見回しつつ、ふと上を見上げると

「あっ!あそこに蜘蛛の巣が!」

小笠原秀政は何故だか知らないが蜘蛛の巣が大嫌いであったのだ。その事はこの侍もよく知っていたので、
「なんだと!?」り言って上の方をじっと見る。

と、すかさず宗全、彼を後ろからむずと抱き上げ目の高さより上まで持ち上げると、板敷の上に、どうと
思いっきり投げつけた!そしてそのまま押さえつけ縄をかけた。

この侍
「さてさて無念のことかな!蜘蛛の巣と言われたのに打ち驚き、空を見上げたところを細腰を抱かれては
もうどうしようもない!」と口惜しがったという。

鹿島宗全矢倉の捕物、というお話
(武士道美譚)




810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/12(金) 20:42:52.12 ID:NHOoK4PP
なんで器量優れた容易でない奴が清掃員やってるんだ。

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/12(金) 21:30:25.72 ID:/aoxo595
スープレックスかましてる光景が脳内再生された

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/12(金) 21:34:03.25 ID:6KZn9KQW
>>810
この場合清掃員ではなく、その矢倉の清掃員を統括する清掃責任者というようなポジションなのだろう

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/12(金) 22:44:08.00 ID:8tjL621S
クモの巣が嫌いとかちょっとかわいいな

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/12(金) 23:37:02.30 ID:6Yz0wme5
あっ、UFO!!みたいなネタは昔からあるんだな。

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 00:05:49.03 ID:WROXocue
この後どうなったか気になる。

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 02:32:12.23 ID:O/mAbsd+
細腰…
帯を締めるあたりの事を細腰というが一瞬何事かと吃驚しちまったぜ

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 08:21:36.65 ID:aSy1wE8R
>>809
>すかさず宗全、彼を後ろからむずと抱き上げ目の高さより
>上まで持ち上げると、板敷の上に、どうと 思いっきり投げつけた!

当然この時の宗全の姿勢はきれいなブリッジですよねわかります。


818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 10:48:51.90 ID:L7i5fm+Z
強奪されることに定評のある自慢の弓に蜘蛛がいて掴んじゃったとか?

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 12:25:02.60 ID:rWaEozQZ
>>817
ジャーマンスープレックスじゃねーかw

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 12:48:07.25 ID:y8cm8NdD
カウント2.99で返そうとするも敢え無く捕縛

821 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/13(土) 12:52:52.17 ID:9Vn2I3qQ
>>809
何かやらかした自覚もなさそうな捕まり方だなw

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 13:15:40.31 ID:SbcHpIHH
後の裏投げである

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 14:11:31.41 ID:WD37+byV
>>809
>そしてそのまま押さえつけ縄をかけた。

きれいなフォール勝ちですねわかります

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 15:41:31.66 ID:o0IUkIam
日本最古のジャーマンスープレックスホールドの記録か。感慨深いな。

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 15:55:44.47 ID:WROXocue
鹿島宗全が青いタイツに虎の覆面姿でしか思い浮かばん。

二木勘右衛門の返報

2012年10月07日 19:18

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 11:04:27.91 ID:jYy4TFp5
小笠原秀政の家臣に、鹿島宗全と二木勘右衛門という剛の者があった。

ある時、秀政の屋敷に曲者が入った事があり、秀政はこの鹿島宗全と二木勘右衛門に追わせた。
勘右衛門は秀政秘蔵の布引という馬に乗って追ったが、宗全は徒歩であった。

二木は自分がいち早く曲者を打ちとってくれようと、青麦の畑を真一文字に乗り切ろうとしたが
畑のあぜ道を駆け抜けた宗全のほうが先に曲者に追いつき、たちまちに討ち取った。

そして両名、事の次第を秀政に申し上げる。
まず勘右衛門が出て、

「今度の曲者は、必ず私が討ち取ろうと思っていましたが、宗全に駆け抜けられてしまいました。
彼は馬よりも足が速い。」

これに宗全は

「いやいや、そうではありません。二木殿は青麦の畑を急いで越えられようとして、却って馬の足が
麦にからんで遅くなったのです。どうして私の足が馬に及びましょうか。」

と申し上げた。これに小笠原秀政は「いずれも隠し事のない申し立て、感心である。」と大いに褒めた。
この時二木勘右衛門は鹿島宗全に向かって

「この度のこと、いかにも口惜しい。この返報は戦場で争おう!」

と云った。

さて、この事から程なくして大阪夏の陣となった。
5月17日、鹿島騒然はまっさきに攻めかかり足軽に鉄砲など撃たせていた。ここに二木勘右衛門が現れ

「かねての約束、この場にて争い申すべし!」

そう叫ぶと敵の中に一騎駆け入り、討ち死にした。
これは大阪夏の陣における幕府方最初の討ち死にであったという。

二木勘右衛門の返報、という逸話である。
(武士道美譚)





745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 21:29:56.82 ID:RHAQpMf4
畑って結構足取られるよね。
ていうかいつも思うんだけど、何で手柄立ててどやぁ!じゃなくて
討ち死にしてどやぁ!なんだろか。一騎駆けとか普通に死にに行ってないかい?

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 22:04:13.91 ID:dIDunZJl
一番槍も生きて帰ってナンボだが、大坂の役では両軍死にたがり大量発生だな

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 22:05:32.03 ID:XFHCdlP+
小規模な小競り合いが頻発してた時代じゃないから、気合入りすぎてたんだよ

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 23:02:06.03 ID:IpaxRQmO
武士道とは死ぬことと見つけたり、だもんなぁ
死ぬことが身近な戦国武士から見れば「何を普通な事言ってんの?普通じゃない働きが手柄ってもんだろ?」って感じ?

鳩館弥右衛門、残されて・いい話?

2009年05月29日 00:11

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 19:56:17 ID:lrYBDX8b
大阪の陣において、信州松本藩初代、小笠原秀政が、長男・忠脩と討ち死にした時、
彼の近習10人のうち、9人は皆、秀政と同じ場所で討ち死にした。
ただ、鳩館弥右衛門一人が、その時他の場所にいたため、生き残った。

戦後、その領地松本において、秀政親子の死から百日目に、追善が行われることとなった。
その九十九日目にあたる日、弥右衛門は妻に、「明日は舅の所で、精進落ちをするといい。
お前は今から、子を連れて舅の所に行きなさい。」そう言って、家を出した。

実家に帰った妻は、夫の言う事を不審に思い父に相談した。するとその父は、あわてて
弥右衛門宅に向かった。

「娘から話は聞きました。弥右衛門殿、あなたは悪しき覚悟をなさっているのではないですか?
十人の内一人生き残ったからといって、それは卑怯な振る舞いをしてそうなったわけではない。
その事でもし、何か至らぬことを考えているのであれば、それは返って不覚悟と申すものだと
拙者は考える。それをあなたに言いに来たのです。」

弥右衛門はこれを聞き、さにあらぬ体で
「なにをおっしゃるかと思えば、私はそのような事、一向に考えておりませんよ。
妻はそちらで、どうしてそんな事を申し上げたのやら。
そのような心にもない事、世間に聞こえれば、返って我々の
大きな恥とも傷ともなってしまうじゃないですか?」

そんな風に言うし、また、主君の死から百日もたって、その後を追う事もあるまいと思ったので、
舅も安心して帰宅した。

翌日、弥右衛門は寺において、主君、秀政の追い腹を切って、死んだ。

そこには書置きが残っていた。

『このたび大阪で、殿様に御昵懇に召し使われた十人の内、九人まで、乱戦の中
殿の御前で討ち死にされました。

私は他所で働いていたため、一人生き残りました。
この口惜しさ、これに過ぎるものはありません。
早速にも追い腹を斬ろう、そう思いました。

しかしよく考えてみると、行きがかりの討ち死になれば、それで良いのでしょうが、
生き残った私には、殿より仰せ付かった役儀上の仕事が残っています。
これを残して逝くことは忠義ではない、残らず終えてから殿の後を追おう。そう考えました。

そうして今、全ての仕事を終えました。思い残す事何も無くなった故、今日、殿のお供をいたします。』

秀政の近習がみな、高い忠誠心を持っていたのは、若い頃、小姓として使えていた彼らを、
容貌ではなく、その心根が正しい事を持って寵愛したからだ、と言われる。

余談だが、残された弥右衛門の子は成人すると、小笠原家の家老となり、後、病死。
その子もまた、小笠原家に仕えた。


一人残された男のお話。





53 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/28(木) 23:30:25 ID:2pIxbxyn
切ない…(;_;)

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:05:24 ID:yFj16U4l
>>52
しかし本当に皆良く、死にたがるのな・・・
それが武士の潔さと言っちゃえばそうなんだろうがこのメンタリティーは何処から来たんだろう
正直今の日本人と同じ民族とは思えないよ

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:18:35 ID:/54IwGke
成人するまでに半分以上が死ぬ時代だからねえ
それでなくても野良犬よりも死体の方が街中では珍しくないような社会情勢なんだろうし

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 00:33:15 ID:pPHza6ze
戦乱の世といっても戦場以外は結構平和なんだけどな
戦国時代100年余で人口も2.3割増えてるくらい平和

60 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/29(金) 00:44:56 ID:P9E6QVrV
戦では100人くらい死んだら大敗北だし…。
一部の撫で斬りなんかを除けばそんな民衆に被害が出てるとも思わない。
民衆殺せば後が圧倒的に恐ろしい。
忠義忠義って騒ぐのは旗本か一部の階級のみ。
戦場でも雇われや農民は決死で戦うかと言えばそうでもないし。
戦傷で死ぬ人は多かったかもね。


61 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/29(金) 01:03:39 ID:wEDAU3qA
落ち武者狩りで農民が兵隊をぶっ殺してたりもしたしな。

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 01:14:56 ID:dlvqFiEj
まあ殿と近習が自分以外みんな死んだらおめおめ一人生きてられないだろう
自分一人生き残って幸せだったのか未だにわからないってのは太平洋戦争の生存者も言う言葉だしな

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 02:36:14 ID:phY7wZRX
生き残った、じゃなくって
生き残ってしまった、なんだよな…


64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 05:01:13 ID:7ciZBH5z
牟田口廉也の名前は出すなよ荒れるから

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 07:20:32 ID:ecvKJIfN
>>62
震災やこないだのJRの事故とかの災害後でも少なからずそういう人が出るから
どうも周りが死んでいく中生き残った事が辛いってのは人間として珍しくないメンタリティーらしい
武士があっさり死にたがるのもそこら辺があるのかもしれない

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 07:43:43 ID:0sc77biG
後、子孫や一族のためもあるな
戦で討ち死にしたり追い腹切ったりしたら
その子供は目をかけられるから

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 08:10:41 ID:7zt0vvW8
>>64
牟田口は別に荒れないだろ。
思想を問わず全会一致でダメ将校なんだから。
本当に荒れるのは外国に直接関わる話。

むしろスレに関係無いから自粛すべきというのが言うべきこと。

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 10:56:28 ID:/54IwGke
>>58-59
戦場で死なないからって平和に生きていられる時代じゃないでしょ

普通に生きていても、飢えて死ぬし怪我したら衛生状態の悪さで
簡単に悪化して死ぬ、ただの風邪でもコロリと死ぬ。
まして戦国時代は社会基盤も脆いし、自然環境も室町以来ずっと
寒冷に傾いてるから食料生産力も落ちてる。
勿論小児死亡率の高さは言うまでもない。江戸時代ですら半分が生き残れるレベルじゃなかったか。
現代の成人年齢の20になる頃には顔見知りの同世代は半分死んでるわけだ。
20くらいとなると親も40近くとか過ぎとかだからこれも普通に死んでる可能性が高い。

戦国でなくても近代以前の人類はこんな環境で生きてきたんだ、
人命に価値があるという思想が個人に生まれるのは
難しいだろう。


69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 11:53:39 ID:qvpqMlVG
コロコロ死ぬから長生きしたお祝いとかあるとも言えるんじゃね

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 13:42:37 ID:JgECr1ri
道元とか法然とかもそうなんだけど
若年にして自ら発心して仏道に入る人が多いのも
人があっさり死ぬからなんだよな


71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 14:22:20 ID:i45g/QnM
というか、仏教教祖の釈迦の発心理由がそれだしな

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 14:50:14 ID:zWzKERkw
生き残るのが難しかったからこそ優秀な人材が尊ばれ
生きることに価値が見いだされた側面もあったと思う。
ただ死は日常に溢れていて、覚悟するのはさほど難しくなかったろう。

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 17:56:16 ID:ROEE8q/Y
(身内の)肉体は滅んでも、その心、魂だけは残り続けて欲しいという願望もあったから、
信心深い人が多かったのかも知れない。

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 18:12:25 ID:JgECr1ri
そういえば茶道の一期一会の考え方とか
「この度の出会いの後は再び会うこともないかもしれない
だから一席の茶会に心を尽くしもてなしをしよう」
っていう非常に死を意識した思想なんだよな
茶道が武士の間に流行したのもいつ死ぬともしれない生活の中で
習慣的に「末期の水」ならぬ「末期の茶」をやっておいて
ある日来る死を儀式化する側面があったんジャマイカとどっかで聞いた
メメント・モリってやつかね

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 18:27:16 ID:v7sCyWaG
高虎「朝起きたら、今日が死ぬ日だと思っておくもんだよ」