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臆病神は、いつの間に付いたのか

2022年06月11日 17:42

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/11(土) 17:12:12.32 ID:18Arr8un
久世三四郎(広宣)は、録五千石、鉄砲百挺、与力三十騎の頭であった。
元は榊原式部少輔康政の従者であったが(筆者注:実際には大須賀康高・忠政の与力)、
御旗本に召し出された。

大阪陣の時、「榊原遠江守康勝の攻め口の仕寄は如何ほど付けたか、向かいの土手は取るべきか、
見て帰れ」と命ぜられ、御使として遣わされた。

久世が行ってこれを見ると、榊原家の家臣武功の者共、三四郎が直参になったことを心に嫉み、
「その所は鉄砲厳しく候、疾く帰られよ。」と言った。
これに対して久世は、その場を馬でひろやかに乗り回して

「昔、榊原家は城と寄せ手の旗先が行き合うほどに仕寄せをしていた。ここはその間未だ遠いというのに
あなた方は危ぶんでいるのか。
昨日まで貴殿たちと肩を並べ膝を組んで親しんでいた時は、こんな事は無かったのに、
臆病神は、いつの間に付いたのか。御旗本の者共は。このような事をどう思うだろうか。」

と言った所、答える者も無かったという。

新東鑑



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臆病神がいつの間に憑いたのか

2019年03月12日 13:33

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/12(火) 08:03:24.12 ID:dhtldici
久世三四郎(広宣)は禄五千石、鉄砲百挺、与力三十騎の頭であった。
元は榊原式部大輔康政の従者であったが(実際には大須賀康高の組下)、旗本に召し出された。

大阪の陣の折、「榊原遠江守康勝は攻口の仕寄りはどのように付けているか、向かいの土手を
取れそうか見て参るように」との命を受け、御使として遣わされた。

久世が馳せ向ってこれを見た所、榊原家の家臣、武功の者共は、久世が今直参と成ったことを心に妬み、
「そこは敵からの鉄砲がきびしく射ち込まれており、危ない故、すぐに帰られよ。」
と言った。

久世は静かに乗り廻って
「昔は榊原家といえば、城方と寄せ手の旗先が行き逢うほど近くまで仕寄をしたものだ。
今のこれは、その間が未だ遠すぎないかと危ぶむ。私が昨今まで、貴殿などと肩を並べ膝を組んで
親しんでいた頃には、こんな事はなかったのに、臆病神がいつの間に憑いたのか。
旗本の者たちがこれを聞けばどう思うか。」

こう言ったところ、これに答える者はなかった。

(武将感状記)



715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/12(火) 10:21:29.40 ID:2UbgfmCZ
15年たてばこうなる

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/12(火) 18:22:28.97 ID:K/7K7qpL
榊原康政って秀忠の軍監だから、小田原征伐以降はまともに戦ってないんじゃない?

汝は知らぬのか!

2014年09月15日 18:51

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/15(月) 06:40:28.06 ID:y4jijLvH
大阪夏の陣の時のこと。

徳川家康久世広宣と坂部の両人に物見を仰せ付けた。
坂部は仰せを受けると直ぐ様物見へ向かったが、久世は出て行くまで御前を立ちかねるような様子が見えた。
これに近習の者達が笑ったのを、家康は咎めた。
この時、畠山入道(義春)が御側に居たが、彼が「久世の武者振りについて笑ったのですよ」
と申し上げると、家康は激怒した

「汝は知らぬのか!坂部は生来ああいう勇猛な性質だが、久世は仁義の勇を持った
忠臣であることを。彼を笑うのは推参至極である!

今に両人は帰ってくる。しかし、坂部より久世は敵の状況をより間近まで近づき偵察して
帰ってくるだろう。何故なら、久世は物事を大切に、前後を考え、また常に主君のためにと
決意しているからだ。それを知らぬか!?」

そう怒鳴っている所に坂部が戻ってきて家康に報告した。次に久世が戻ってきて報告を行った。
すると案の定、久世は坂部よりも二丁(約200メートル)ほど敵近くまで進んで偵察していた。

(明良洪範)



「広宣の挨拶は奇妙だ」

2012年10月30日 19:58

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 00:28:44.16 ID:xScnRV2g

徳川家の家臣である小栗又一は己の武功を誇り甚だ人を軽蔑し、
多少の誉れのある者なら「米数米数」と言って嘲っていた。

ある時、又一は勝れた武功があってもそれほどの増地がないのに、
久世広宣坂部広勝が知行を多く賜ったことに腹を立てていた。

そんな時に又一と広宣がばったり出くわした。又一は腹を立てた顔で、
「お前たちは何事をして、多分の御加増を取ったのだ」と言い咎めた。

これに広宣は笑って「この耳たぶが厚いので御加増を取りました」と、自分の耳を
引っ張って見せた。これには流石の又一も白けて笑いながら通り過ぎた。

人々は「広宣の挨拶は奇妙だ」と感じあったという。

――『名将言行録』




久世三四郎広宣、緊急の場合には

2011年03月05日 00:01

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/04(金) 01:06:12.88 ID:DaM4afsh
徳川家康の家臣で、横須賀衆の一人として活躍した久世三四郎広宣はある時、こんな事を言った。

「侍というものはな、緊急の場合は具足をつけずにいち早く戦場へと駆けつけるべきだ。

何故そうした方が良いかといえば、
もしそこで討ち死にした場合、その者は後々にまで

『さてさてなんと甲斐甲斐しい者であろうか!すはだ(これは具足をつけないという意味。裸ではない。
念のため)にて戦闘に参加し討ち死にするとは!』

と讃えられるであろう。
それに、逆にそれで武功を上げれば、なお一層のご褒美にあずかれるではないか。」

死んでも良し。生きても良し。命はあくまで賭けもの。
戦国時代の武士の価値観をよく表す逸話であろう。




97 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/04(金) 02:40:23.38 ID:9WfUWc3r
>>93 相変わらずマンドクセー家康家臣団

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/04(金) 02:59:33.56 ID:2WbwTsR7
討ち死には自分のためじゃなくて家のためだもんな

103 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/04(金) 20:30:17.39 ID:nEYEzGYP
>>93
徳川と聞いただけでめんどくさいと考えてしまう自分がいる・・・。
俗に言う鬼武蔵=わるいはなしの方程式である。

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/04(金) 21:50:52.32 ID:Gw7Z1YX3
三河武士は麻薬やってたんじゃないかってくらいにキチガイ

久世三四郎広宣、元同僚のねたみに

2009年08月28日 06:57

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/26(水) 23:46:55 ID:TJUy1lK2
久世三四郎広宣は榊原康政の家臣だったが、家康に見出され、直参旗本となった。

大阪冬の陣の際、広宣は家康に、物見に出て旧主の子・榊原康勝の陣に行き、どれほど
攻め寄せたか、その先は通れるのか見て来るよう命じられた。

榊原家の侍たちは、直参となった広宣と陪臣の身に甘んじている己を引き比べて
妬ましくなり、
「この陣の先は、鉄砲の弾が飛び交い危ないぞ。見に行かず早く帰ったほうが良いわ!」
と、意地悪を言った。

これに対し広宣は、
「榊原家の城攻めは、城方と自軍の旗先が当たるほどに攻め寄せるのが、軍法よ。
弾が飛んで来るということは、敵陣はまだまだ遠いということじゃ。
わしが貴殿らと肩を並べて戦っていた時は、こんな事は無かったはずだが、貴殿ら、
いつの間に臆病神を憑けおった?
わしら旗本衆は、この程度は何程も無いわ!」
と言い返して立ち去った。

榊原家の何者も、広宣に答えられる者はいなかったという。




774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/26(水) 23:56:33 ID:jAkoB+ZE
康勝「臆病神は憑いておらぬが、尻に疫病神が取り憑いてござる」

775 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/27(木) 00:14:51 ID:Rh+mWj8U
>>773
確か、この人の家臣だったよな
復興した大阪城の大砲の筒の中に入って遊んでたのw

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 00:18:54 ID:18y5Gpto
>>775
それは戸田氏鉄さんところだな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-745.html


777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 00:22:24 ID:lCTVkZ/p
>>773
筑後川氏の大阪の陣絵巻の逸話ほぼそのまんまだな


男は黙って…、久世三四郎広宣

2009年06月11日 00:06

357 名前:男は黙って…(三)[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 11:01:19 ID:unU+lH2q
徳川家康がある戦の時、坂部三十郎広勝と久世三四郎広宣に物見を命じた。

「お請けいたす!!」
坂部は叫ぶや、すぐに馬にまたがり、颯爽と飛び出して行った。
対する久世は、黙ってモゾモゾとしており、家康の御前を立ちかねているようにさえ見え、
やっとの事で出て行った。家康の近習は、二人について話し合った。
「坂部の武者振りは、見事!それに引き換え久世はなんじゃ、臆したのか?」

これを聞いた家康は、機嫌悪く吐き出した。
「汝ら、何も分かっておらぬな・・・!
坂部は生れつき胆が太く、敵を何とも思っておらんだけよ。対して久世は、努力して
武者働きしており、常に生きて帰らぬ覚悟である故、臆して見えるだけよ。

今に見よ、生れつきのカンで働く坂部より、久世の方が良い働きをして戻るであろう。」

はたして、久世の方が坂部より敵陣深く進み、詳しく調べ上げて戻って来た。



己の能力や武功を誇らず渋く光った彼らに習い、オレも口を閉じるとします。





358 名前:正純[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 12:48:06 ID:JUxDi5tR
して、彼らはその功にていかほどの褒美を頂いたのですか?

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 16:35:04 ID:kGLd0ODZ
>>358
だーかーらーアンタと違って出世とか評価とかかまわない人の話だってw

マジレスすると>>357の久世さんは子供の代で老中になったはず


(運の)いい話(三)・久世三四郎広宣

2009年02月20日 00:13

31 名前:(運の)いい話(三)[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 07:42:58 ID:ZGm+xrcN
幸運度:☆
実力度:☆☆☆

のちの老中・久世家の祖、久世三四郎広宣は三河武士の中にあって武功で知られた。

小田原攻めの時、三四郎は北条の侍・野中某と槍を合わせ、左手をひどく傷つけられた。
しかし三四郎はひるまず、左の脇に槍を抱え込み、なおも野中に突き掛かった。

「こしゃくな奴め、そんな持ち方で槍が突けるか!!」
野中が思い切り三四郎の槍をはね上げると、槍は宙へ飛ばされてしまった。

三四郎は、なんとかこれを右手で掴み取ったが、これを見逃す野中ではなく、掴んだ瞬間
野中の槍が三四郎の鼻先に殺到し、かろうじてかわした三四郎は尻餅をついた。

とどめ、とばかりに三四郎の胸先へ、野中の槍が突き出された。



三四郎はのけぞってこれをギリギリでかわすと、とっさに野中の槍を左脇に抱えて抑え、
右手で刀を抜き放ち、野中に斬りかかった。

再三に渡る三四郎の妙技(?)を見た野中は恐れをなしたか、
「こいつは、しぶとい奴だわい!!」
(原文:此処なるしぶとき奴哉) と、捨てゼリフを吐いて、さっさと逃げ出した。

三四郎自身は何事もなかったかのように戦場に戻り、別の敵の首を挙げたという。

以上、運も実力のうち?な話三連発でした。連投失礼。




32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 08:24:29 ID:mpsYxd9B
>>31
まんまカンフーアクションだなw

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 09:56:02 ID:/AryFGP+
>>31
殺陣描写が凄いな
かっこよすぎ

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 10:21:46 ID:CKiNnwIv
>>31
久世に執着しなかった野中もまた良い侍だな