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松永星

2020年07月06日 16:21

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/05(日) 21:53:20.38 ID:IfAny+F9
天正五年、松永久秀が亡んだ後、彼の居城であった多聞山城の家屋を毀ち、信長はその建物を
京都二条に造作し、親王(誠仁親王)に奉った。

この秋、客星(彗星)が未申(西南)に表れた。時の人々はこれを「松永星」と呼んだ。

当代記



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万事、汝が計るべし

2020年06月22日 17:00

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/21(日) 19:24:35.03 ID:+C2Ng3sl
その時分より三好一家衆は身構えして、三好殿居城の河内飯盛城は殊の外騒ぐ。その由を伺って
河内国の故主・畠山高政はその頃浪人していたのだが、譜代の士の紀伊国湯川(直光)という者、
根来衆の土橋などという者が兵を催し、飯盛城へ押し寄せ向かう城を攻め取った。

三好物外軒実休はこれを聞き、飯盛の後詰として阿波国の軍勢、斎藤、福良などを引き連れ、馳
せ向かって合戦を始めたところ、根来衆の中に屈強の鉄砲の名人がおり、三好実休を狙って撃ち
落とした。これにより阿波衆は皆敗北する。

松永弾正は修理太輔(三好長慶)に申し「物外軒豊前守殿が御討死なされた上は、謀を巡らせて
士卒に力を付け申すべきです」との由を申す。三好は聞いて「万事、汝が計るべし」となかなか
出張する様子が無いため、松永は「この分では三好殿は出られまい」と、松永が城を出て方々の
一揆などを招き寄せ後詰の合戦を始めた。

松永は武勇第一の剛者で高政を攻め破り、追い討ちして良き者を討ち取った。高政は堺へ引き揚
げ、湯川は河内の誉田を落とした。これを松永衆は追い詰めて討ち取り、根来衆の大将・岩本坊
は大和信貴城のもとで討たれた。畠山は6千余騎を討たれ、三好は運を開きける。

――『松平記



300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/22(月) 02:49:50.34 ID:c5KoNoYa
筒井には散々な目に遭ってるのに、ここでは強いな
長慶生存中だから?

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/22(月) 12:25:43.36 ID:ZI+dnZf4
松永弾正の弟が生きてる間は強かった

天正五年十月、和州信貴山城攻め顛末

2020年04月16日 17:15

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/16(木) 00:12:26.93 ID:FJJW3kJb
天正五年十月、和州信貴山城攻めがあった。
この城主である松永弾正少弼久秀は、大阪の附城を守っていたのだが、信長公に恨みを含み、本願寺門跡、
雑賀の兵を語らい、大阪を退き信貴山城に立て籠もった。それにはこのような理由があった。

家康公御登城の時、久秀も参会したのだが、信長公が家康公に向かってこのように言った

「この翁は松永久秀である。彼については天下に及び難い事が多い。彼は公方足利義輝を弑し奉り、
主君三好義長(義興)を毒殺し、三好一家(三人衆)と戦い東大寺を焼いて大仏を滅ぼした。
また三好長慶次男義継(実際には養子)を欺いて永禄八年より同十一年まで天下を守り大いに奢り、
終に義継を離れこれを殺した。」

久秀は赤面し、額に汗し、頭より烟を立て、その憤りを以て謀反を企んだ。これによって十月、
城介(織田)信忠は大軍を率い和州に御発進され、佐久間信盛、明智光秀、筒井順慶らも大阪の
対城を出て河州より向かい、その通り道であり、久秀の従党である片岡城を攻め落とし、城主・森、海老名を
討ち捕らえ、十月五日に信忠と合流し信貴山城の久秀久通父子を攻めた。

しかし松永父子は激しく防戦し、味方が不利と成った時、佐久間信盛筒井順慶と相談し、雑賀の兵であると
謀って、信盛の兵を交えて城中に入れたいと告げた。そして雑賀の兵に扮した信盛の兵が、順慶の兵と
追いつ返しつつ挑み戦った所に、久秀は予てより雑賀の者と謀り合っていたので、城門を開いて彼らを
引き入れた。

十月十日、信盛、順慶は、先に入れた兵の手引きにより城に入ると火を放った。久秀は天守に上り、
「たとえ骨と成っても信長の最後を見届けようぞ!(タトヘ骨トナリテモ信長ヲ見ハテン物ヲ)」と
言って自殺した。右衛門佐久通は生け捕りと成って斬られた。久秀の悪逆積り、東大寺を焼き
大仏を滅ぼしたのも十月十日であり、その日に滅亡した事も、世に不思議を成すと云われた。

佐久間軍記



980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/16(木) 11:49:48.22 ID:O4ZY5yYd
義継を攻め滅ぼしたのは誰だったからしらw

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/16(木) 21:34:47.03 ID:SRx78Wxe
ノブさんの脳内ではそうなってるのかもしれん…

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/16(木) 22:01:43.47 ID:nEUH2pgM
ダンジョー多過ぎ問題

983 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/04/18(土) 17:35:20.90 ID:25IT3XhX
佐久間軍記だから当然かも知れんけど、信盛さんの活躍が記されてるね

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/18(土) 23:30:44.65 ID:tlLr7j1U
石田軍記には三成の活躍が?

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/19(日) 15:49:05.80 ID:/eXYOJJ0
ある意味「活躍」は描いているな

【ニュース】 発見!松永弾正の肖像画

2020年03月05日 17:59

887 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/03/05(木) 16:43:30.49 ID:vZLgY6tp
発見!松永弾正の肖像画

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200304-00000627-san-cul


画像
20200304-00000627-san-000-2-view.jpg



888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/05(木) 17:16:21.04 ID:Ws5BJgAn
>>887
すごいな、これ。平蜘蛛かつくもなすまで描いてあるとは…。本当に好きだったんだね。中身、爆薬じゃないよね。

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/05(木) 23:48:40.85 ID:zFSGFA/Q
>>887
頭が良さそうな雰囲気あるね

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 00:00:05.23 ID:gUAe5Rwe
なんで茶器の中身を描かないのか

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 00:18:40.15 ID:fRaitGr9
さすがに今から切腹しますって恰好でもそんな縁起でもない状況を描くわけもなく

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 10:48:00.99 ID:0RBe7trE
袋の形状からなんとなく平蜘蛛ではなく九十九茄子の雰囲気

松永久秀が楠正虎に送った書状

2020年02月09日 21:30

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/08(土) 12:00:46.21 ID:BWjBwiP7
松永久秀の取りなしで書家で有名な楠正虎が河内守に任じられた際、松永久秀が楠正虎に送った書状
「楠氏は正成以来十代に渡り朝敵となり無礼を働いていましたが、勅許により河内守に任じられたこと、喜ばしいですね、云々」

自称、楠正成の子孫だったのが正親町天皇の綸旨により正式に楠氏と認められたようだけど
戦前の人が見たら激怒しそうな内容

ところで三好氏関連の研究を読んでたら三好長慶の部下で摂津渡辺党の渡辺稙という人物が出てきたけど、
「稙」が偏諱だとしたら、一字名の嵯峨源氏の場合は偏諱がそのまま名前になるということだろうか



847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/10(月) 20:43:43.20 ID:cqjS9g5V
>>844
偏諱をもらえるような身分じゃなくね?世代も違うし
仮に偏諱なら肥前松浦党の弘定、興信、隆信、鎮信のように2文字にしてるんじゃないかな

850 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/02/12(水) 17:01:33.36 ID:ilfBcm73
>>844
>>847
波多親は元服したとき大友義鎮の偏諱を受け鎮と名乗っている
その後龍造寺に降り隆信の偏諱を受け信時と名乗った

1文字の名はある

その憤りによって謀叛を企て

2019年02月03日 21:24

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/03(日) 18:29:38.39 ID:Jzo4Auel
天正5年(1577)丁丑10月、和泉信貫山城を攻めた。松永弾正少弼久秀は大坂の付城を
守っていたが、信長公に恨みを含んで本願寺門跡の雑賀の兵と語らい、大坂を退いて信貫山城
に立て籠もった。

その故は、家康公が御登城の時に久秀は参会し奉ったのだが、信長公は家康公に向かって曰く、

「この翁は松永久秀である。この翁は、天下に及び難き事を多く行った。公方義輝を戮し奉り、
主君の三好義長(義興)を毒殺して三好一家と戦った。東大寺を焼いて大仏を滅し、三好長慶
の二男である左京大夫義継の間に入り、永禄8年(1565)から同11年まで天下を守って
大いに奢り、ついには義継を離れて殺害したのだ」

久秀は赤面して額に汗をかき、頭からは煙が立った(久秀赤面シ額ニ汗シ頭ヨリ烟ヲ立)。そ
の憤りによって謀叛を企てこの次第となった。

10月、城介信忠は大軍を引率して和泉を御進発され、佐久間信盛・明智光秀・筒井順慶など
は大坂の対城を出て河内より向かい、その途上で久秀の従党である片岡城を攻落し、城主の森
(正友)・海老名(友清)を討ち取った。

10月5日、信忠は信貫山城で会戦して久秀とその子の久通を攻めるが、父子は防戦して味方
に利せず。時に信盛は順慶と相談し、雑賀の兵を謀って信盛の兵を紛れさせ、城中に入ろうと
告げ、順慶の兵と追い掛けたり返したりして挑み戦った。

そのようなところで、久秀は予め雑賀の者と申し合わせていたので、城門を開いてこれを引き
入れ、信盛の兵も紛れて城中に入った。10月10日、その手引きで信盛と順慶は城へ入って
火を放った。

久秀は天守に登り「たとえ骨になろうとも信長の最期を見届けてやる!(タトヘ骨トナリテモ
信長ヲ見ハテン物ヲ)」と言って、自殺した。右衛門佐久通は生け捕りとなって切られた。

久秀の悪逆は積り、東大寺を焼いて大仏を滅したのも10月10日である。その日に至り滅亡
したことは「世にも不思議なことをなした」と言われたという。同年10月、播磨を羽柴秀吉
が賜った。

――『佐久間軍記』



720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/04(月) 08:29:26.29 ID:ab2WtWuB
だれが義継を殺したんだったか
と思ったら佐久間軍記か

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/04(月) 16:32:09.53 ID:xX5vEmhQ
久秀に誘われて信長包囲網に加わったのに久秀だけ先に降伏したから久秀に殺されたともいえる

平蜘蛛の釜と同様に微塵に砕けた

2019年01月15日 19:06

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/14(月) 23:01:14.76 ID:O4RpCBZN
後に人々は算段して「これ(明智秀満が吉広江の脇差を渡さなかったこと)は松永殿(久秀)が大和
信貴山の城で切腹した時、櫓の下へ付いた佐久間右衛門(信盛)の手勢より、城内へ呼ばわりかけた
のとちっとも違わない」と、申されたのだという。

その子細は、佐久間右衛門が所存を出されて、松永殿へ申し付けられた言葉だと聞いている。

「この度の事に及んでは、内々に御秘蔵の平蜘蛛の御釜を、上様(織田信長)も常々御望みに思し召
されておられる故、御出しになるのがもっともである! それで滅んでしまっては、あまりに本懐なき
次第と存じ奉る!」

以上の通りに松永殿へ告げ知らせたとおぼしく、ややあって城内からの返事があった。

「平蜘蛛の釜と九十九髪の茶入、これは来世まで持って行き、慰みにと存じていた。そんなところに、
安土の御城で信長殿は御自身で御茶を下され、その時に『いつまでも御手前の九十九髪の茶入で数寄
を致すがよい』と、仰せられたのである。

その時に私めは茶室を新しく建て、九十九髪で信長殿に一服申し上げようと存じていたのだ。しかし、
その頃の信長殿は私めを方々に御遣わしになられたので、その機会もなく打ち過ぎた故、九十九髪を
安土の御城で進上したのである。

しかしながら、平蜘蛛の釜と私めの首の二つは信長殿の御目には掛けまいぞ!」

このように返答すると、松永殿は平蜘蛛の釜を微塵粉灰に打ち割り、その言葉に少しも違わずに首は
鉄砲の薬で焼き割り、平蜘蛛の釜と同様に微塵に砕けたのである。(頸は鉄炮の薬にてやきわりみし
んにくたけけれはひらくもの釜と同前也)

この九十九髪は、古に九十九石の田地で買い取ったため、その名で呼ばれたと承っている。信長殿は
御秘蔵なされ、御最期の時に本能寺で焼き割れたと、相聞こえ申す事。

――『川角太閤記』



647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/15(火) 13:48:55.66 ID:0qpatG4+
>>644
九十九髪も同じ運命をたどる皮肉、悲しいなぁ

1563年頃の松永久秀

2017年06月22日 15:44

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/21(水) 21:50:29.42 ID:iv59Ojsk
既述のように、当時テンカ(=天下)の最高統治権を掌握し、専制的に支配していたのは松永霜台であった。
すなわち、彼はその点、偉大にして稀有の天稟の才能の持ち主であった。
彼は完全に自らに服従せしめていた大和国の、奈良の市街に近いタモンヤマ(=多聞山)という立派な一城に住んでいた。
そして五畿内においては、彼が命じた事以外は何も為されぬ有様であったから、位階や門閥においては彼を凌駕する多くの高貴な人たちが彼に奉仕していた。



フロイス日本史から、1563年頃の松永久秀の話


この根本を三好は推し量り

2017年01月25日 09:21

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 04:00:28.67 ID:CHjahkZO
佐々木承禎(六角義賢)は、三好のことを憎んで、「四国から異な者が
上り居て、威を振るうことかな」と、終いには三好追討のことを

公方に勧め、時に東山へ勢を出した。この根本を三好は推し量り、
松永(久秀)を大将として、公方を弑逆した。

承禎は家来の後藤という者の娘が、公方に近侍しているのを縁として、
公方に親しかった。

松永は三好の乳母に密通し、これを縁として三好は松永に親しかった。

――『武功雑記』



549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 11:53:48.33 ID:8SvKVSKd
さすがゴールドフィンガー霜台さんやで

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 18:09:13.59 ID:ivLwVkKw
黄素妙論(震え声

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/26(木) 19:09:47.99 ID:6U7WMmld
黄素妙論は道三が松永に渡した本だが
松永が書いた、という意味でなければスマソ

大事の談合は昼に行うべし

2016年12月26日 16:05

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/25(日) 13:57:01.93 ID:rz8P6Z61
松永霜台(久秀)曰く、

「人が談合分別をする時、夜に致すと合わずして悪しき
ものである。大事の談合は昼に行うべし」

と、言ったということである。予(山鹿素行)が案ずるに、
談合の事柄にもよるであろう。

――『山鹿素行先生精神訓』




刀で柱にざっくり傷を

2016年10月06日 17:32

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/05(水) 16:45:39.11 ID:c3gMfmgy
大河で呂宋助左衛門がでてたので

堺市の大安寺本堂は元、呂宋助左衛門の屋敷であったが、
呂宋助左衛門が秀吉にフィリピンの便所壺を高く売りつけたのがバレて
呂宋助左衛門がフィリピンに逃亡した際に移築したと言われている。
呂宋助左衛門が屋敷を建てた時のこと、松永久秀を招待したところ、あまりにも豪勢な屋敷に驚いた松永久秀
刀で柱にざっくり傷をつけてしまった。
呂宋助左衛門が「なにをする!」と怒ったところ、松永久秀
「盈つれば欠けるもの、完璧なのはかえっていかん」と言ったとか。
この柱の傷は今でも見られるらしい。



168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/06(木) 00:04:46.44 ID:DPpI50nX
>>163
>「盈つれば欠けるもの、完璧なのはかえっていかん」

家光「なるほど」
藺相如「せやろか」

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/06(木) 13:36:49.56 ID:JZZmnAdY
>>163
前田慶次にも同じ逸話があったような

松永久秀の会席料理

2015年05月12日 17:13

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/11(月) 18:31:18.92 ID:9yEUVtvr
永禄6年(1563年)正月11日、松永久秀は居城の多聞山城に新しく作った茶室で
その開庵の茶事を行った。
招かれた客人は成(西)福院の住職・真名瀬道三・若狭屋宗可・松屋久政・竹内下総守秀勝の5名。
このうち松屋久政は当時の茶会の様子を記録に残している。
九十九茄子の茶入、平蜘蛛の釜を使用した茶会は濃茶→薄茶→会席料理と進行し
会席料理の品揃えは以下のようなものであった。

「本膳 煮昆布 汁チサ 揉み瓜 牛蒡 飯 塩 山椒 箸の台に白い箸
 二之膳 蓮 独活 芹焼 汁、各々土器に 干瓢・漬け物 アツメ五黄 上に結び昆布
 ツクツクシ
 三之膳 絵を書きて金の桶 宇治梅漬けて 亀足に刺して蒟蒻 金箔にて飾り 煎麩
 菓子は七種 結び昆布に作り花二種刺して青芽 美濃柿 慈姑 銀杏 焼栗 亀足刺して胡桃 楊梅」
(松屋会記)

(補足)
チサ=チシャ、レタスの仲間
芹焼=芹の炒め煮
土器(かわらけ)=使い捨ての素焼きの器、当時最も清浄な器とされた
アツメ五黄=投稿者の知識では不明 「棗(ナツメ)・牛黄(漢方薬の一種)」の意?
ツクツクシ=土筆
亀足(きそく)=串焼き等の串の持ち手部分に紙を巻き、捻って留めたもの




悪魔は早速自分の仕事をやり始めた

2014年12月09日 18:53

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 06:59:52.34 ID:uKneZsTT
永禄十二年、将軍義輝を奉じて入洛した織田信長がフロイスと面会することになったときのこと

パーデレもキリシタン達も暢気にしていられないように、悪魔は早速自分の仕事をやり始めた。
それというのは、先ず第一に、まえに公方様を殺してパーデレを追放した松永霜台(久秀)は、信長やかの殿たちが皆パーデレに示した歓迎
を見たときに、
 
「パーデレが説くあの忌まわしい教えが伝わる所はどこであろうと、忽ち国も街も破壊されるということはこれまでにあれほ
明瞭に経験したことであるのに、どうして殿下が御命令になるのか、呆れるばかりである。」

と信長に言った。すると信長はそれに答えて、

「霜台、歳も長け、思慮もある其方が、かくも小心臆病であることを予は呆れておる。たった一人の異国の者が、この大きな国ではどんな
害悪をなすことができるというものか。それどころか、ここで自分の教えを説くために、かくも遠方から、またかくも遠い国から一人の男
がやって来ることは、かほどまでに多くの宗派が存するこの町にとって名誉なことだと思われるのだ。」

 信長に不機嫌な顔をされると、その者はもう一言も言えず、もう目も上げる勇気もなかった。それで、霜台は一言も答えず黙り込んでし
まった。
 こういう反対者達は仕返しをせずにはいられないものなので、信長は霜台から日本にある最良で最も価値の高い茶の湯の器を奪った後
で、彼と息子を彼らが強奪した大和国から追出して、河内国の山間、信貴山に移させた。そうして、そこでも彼らの悪意が止まらなかった
ので、信長は彼らを殺すことを命じた。しかし、襲撃を受ける前に、霜台は城に火を放ち、城中にあった全財産、婦女もろともに、生きな
がら焼け死んだ。しかし、息子は助かる途も見出すことを期待して窓から飛び降りたが、脚を折り、忽ち敵方がやって来て、彼を完全に殺
した。
(ルイス・フロイス『日本史』)


平蜘蛛は無事だったみたいですね




978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 07:07:39.75 ID:2V9S/OTD
ここで取り上げたってのは九十九髪茄子だろ

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 08:18:40.22 ID:lVwjUkjr
切支丹が一向宗と同一視(一揆という意味で)されるようになった後の世からすると霜台の危惧は当たっていたと考えるべきでしょうね
彼の家臣に切支丹に改宗した高山・結城などがいるのでその影響力は肌で感じていたと考えられます

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 18:25:37.33 ID:MIVD3f6y
いや、坊主から金もらって言ってただけで全く関係ないよ
この時点でのキリシタンの数からしても

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 22:50:24.09 ID:PpDqgtbf
将軍義輝を奉じて
まえに公方様を殺して

さすがフロイスさんやで

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 23:55:38.58 ID:lVwjUkjr
>>980
買収されていた証拠はあるのかい?
それに有識者の改宗は意味があると思います
領主なら尚更

ここに居る男は松永弾正久秀と言って、

2014年11月27日 18:39

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 01:44:44.44 ID:tMU/qxXI
徳川家康がある時、信長のもとに居た折、信長は家康に向かって言った

「ここに居る男は松永弾正久秀と言って、人の成し難きものを三度まで成し遂げた者である。
第一は己の主人である三好義長(義興)に勧めて、共に光源院将軍(足利義輝)を襲い殺した。
第二には将軍を弑せし上にて、主の三好をも滅ぼした。
第三には南都の大仏を消失させた。
これらは大胆不敵の所業であり、並々の者の及ぶところではない。良くお見知りあるように。」

そう事も無げに言い、これに久秀は赤面して何も言わず、全身から汗を流してひれ伏していた。

家康はやおら立ち上がると、久秀の側に寄り
「御邊の事はかねてから承っておりましたが、互いに遠路を隔てていたため、これまで面会する機会も
ありませんでした。今後は心やすく声をかけて頂けますように。」と挨拶をした。

帰殿の後、老臣達が御前に出てきた折、家康はこのことを話した
「その時の久秀の様子は大変気の毒であった。彼の悪行というのは確かに言うまでもない。
しかし先ごろ、信長が金崎を引き取る時、前後に大敵を受けていかにも危急ならば、近江の
朽木の領内を通って帰ろうとした。朽木は佐々木氏の領邑であり、同じく浅井の与党であるから、
如何せんと信長は心悩ませていた所に、久秀自ら朽木の方まで行き、種々説得して彼を味方につけた上に、
人質まで出させて立ち帰り、そのことを信長の申し上げれば、信長も懸念を散じ、朽木を通って
帰還することが出来たという。
もしこれが事実だとすれば…。」

家康はこれだけを言い、末の言葉はなかった。
(もし此事の実正ならばと仰せられしのみにて、末の御詞はなかりしとなり。)

(落穂集)

家康はこの後どのように考えていたのか、色々と想像をさせる逸話である。



906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 08:44:12.79 ID:/m4g7mHR
>>901
時系列がおかしくないかこれ

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 19:37:01.05 ID:iTneZW9J
何か変なところがあるのかな?

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 21:58:06.39 ID:uknHPjtM
昔から不思議に思っていたのだが
>>901は信長流の誉め言葉だと思うのだが
弾正は何故赤面するのか
所詮はその程度の器だったと言う事か

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 22:04:20.86 ID:DcS2Ndx3
過分の誉め言葉に照れてたんじゃない?

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 22:12:04.55 ID:OK7R2zc3
多分、前提としてこの話がある
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8515.html

913 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/11/28(金) 12:59:19.05 ID:He2d5W0A
>>911
人前で家康age弾正sageされてプルプルきちゃったって事か

霜台はたとえ首になったとしても

2014年04月03日 18:59

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/03(木) 04:49:33.39 ID:Col/hL4H
松永霜台(久秀)が織田信長に反逆し籠城した時、信長は討ち手に羽柴秀吉を遣わした。
秀吉は信長に報告する箇条書を右筆に書かせた。曰く

『この日に城の外側を破ります。この日には二の丸を破ります。この日には本丸を破り、
この日には霜台の頸を取ります。』

右筆は「これはどういうことでしょうか?」と尋ねると、秀吉はこう答えた

「こうしなければ、信長は私を生かさないだろう。もしこの通りにならなければ死ぬしか無い。」

そして、報告した期日に無理に撃ち破り、秀吉は報告とともに久秀の頸を函に入れて信長へと送った。

信長は届いたその函を見るとこのように言った

「これは偽首であろう。霜台はたとえ首になったとしても、私の前に来るような者ではない。
筑前(秀吉)は才気でこんな事をしたのだ。」
函を開いてみると、果たして信長の言ったとおりであった。
久秀は終に降伏することなく、鉄砲の薬に火をかけ、自ら焚死したという。

(老人雑話)





我は寺僧・空圓。実は

2013年06月29日 20:00

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 14:13:43.66 ID:wXEh7esj
天正5(1577)年、龍造寺隆信神代貴茂の手引きで島原に上陸し侵攻した。
有馬晴信も兵を出してこれを迎撃したが、龍造寺勢に破られた。
隆信は余勢を駆って千々石氏を攻めたが、これに有馬の援軍も加わり先手はおろか旗本まで崩されることとなった。
これはその時の話である。


隆信の陣には空圓という僧が陣中を見舞っていた。
この空圓は近年肥前に寄って与賀の蜜蔵寺に宿を取っていた際に、村中城へ招かれて法談をしたところ、
隆信夫妻が深く帰依して、蜜蔵寺を修造して光照寺と改め、住職に置かれたものであった。

さて、空圓は、龍造寺の軍が崩壊する様を目撃すると、長袖を結んで肩にかけ長刀を取ると、
「我は龍造寺興賀・光照寺が寺僧・空圓。実は松永弾正(久秀)が弟なるぞ。出家とて侮るなかれ!」と叫んで敵に斬りかかり、
四方八方へと敵を討ち払い、奮戦して遂には果てた。
この空圓は、これまで生国も俗姓も話すことはなかったが、ここに至って初めて名乗りを上げたのであった。




578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 14:56:08.81 ID:MqAbeISa
誰だよ・・・つか松永久秀の弟が何で今更

彼らの恥は松永の恥だ

2012年12月06日 19:52

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 23:45:34.05 ID:+E8g/w+O
五月三日、五月雨が晴れ間もなく朝から暮れまで降り続け、加茂川・貴布禰川が
一つになって万里小路へ一文字に押しかけ洪水が入り込んだ。洛中はさながら
河原のようになり、訴えがあったので検断人・伊澤新右衛門の同心・岡部忠兵衛が
奉行として普請を務めた。

人々は土俵を築き立てて井関を組み、雲霞の如く南北に馳せ群がって働いていたところ、
ある四十歳ほどの男が精根尽きて、堤の下の柳の陰で東を見渡して伏していた。
これを見つけた岡部は杖で男の背中をひどく突いて「こんなにも皆が隙なく相働き、
休む間もない普請だというのに伏せておるとは物臭き曲者め。とっとと立ち上がれ!」
と、男を睨んだ。

すると男は「今朝より人一倍働きましたので精根尽きて休んでおります。
それを泥杖で突っかかる方こそ曲者じゃ」と言い返した。それを聞いて岡部が
「何という狼藉を言うのだ!」と重ねて杖で打ったが、二打目に男は
腰の一尺と五、六寸の打刀を引き抜き、弓手の脇腹を彼方へ通れと突き刺したので
岡部は二言と言わずに死んでしまった。そして男もまた大肌を脱いで土俵の上に腰掛け、
腹を十文字に切った。

この一件が松永の耳に入り、松永は「日本一の不覚者め。物頭だからと下を侮る者が
必ずこのような怪我をするのは度々の習いだ。同心は自身のせいで、使用人は運が
尽きたためにまったくの犬死をしてしまった」と散々に立腹して伊澤を呼び
「重ねて起こりうることなれば、同心たちによくよく言い付けよ。彼らの恥は松永の恥だ」
と、怒った。

――『室町殿物語』

松永は平蜘蛛の人かな?




667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 10:02:17.05 ID:tphg29US
>>664
ふんどし一丁かと思ったら服着て腰に刀挿してたのか

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 21:35:51.97 ID:zpDC8OmD
>>667
俺も思った。身なりの悪そうな奴をなめてかかったのかと思ったら
服着て帯刀してる人間を杖でぶん殴って罵倒したんだな
ブラック企業の上司みたいな奴だな

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 21:48:28.74 ID:FWiPdoP8
当時は百姓町人でもみんな普通に帯刀してて外見の差異はあんまり無いんだよ。
時代劇では身分が分かりやすいように刀差してるのは武士だけになってるけど。

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 22:01:51.73 ID:HkcDNvVH
俺もほぼ裸のような格好想像したよ
身分より梅雨時に土木作業で疲れてぶっ倒れてる状況から

猿沢の池の魚が

2012年10月16日 20:11

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 19:30:34.77 ID:W0cyz0fV
慶長14年(1609)、
奈良の有名な猿沢の池において、10月15日から水換えを行い、11月4日5日と池の魚を一方の
水たまりに寄せ、主池を掃除して22日に再び水を入れそこに魚を離すと、魚が10匹ばかり
たちまちのうちに死んでしまった。

これを一乗院は夢のお告げによって、この事は不吉な兆しだと言っているそうである。
かつて、80年以上前にもこれと同じことがあり、天下は凶相の有様となった。
また、去る永禄10年(1567)にもこの池において同じことが起こった。
すると翌年より天下大乱となり(三好三人衆と松永久秀の争い)、これにより当時天下の主人であった
三好家が滅亡したのである。
(当代記)

大仏焼き討ちで有名な東大寺大仏殿の戦いのころ、こんな怪奇現象があったらしい、というお話




880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 19:34:45.65 ID:aZMW5iMW
水槽の水換えではカルキ抜きは大事(´・ω・`)

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 19:35:15.81 ID:LUpvVy8y
入れた水が汚染されていたりキレイ過ぎたりしてたんだろうなあ

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 20:48:43.84 ID:bRgAzFFN
元アクアショップ店員の俺が推測するに
pHショック、硬度ショック、水温ショックのいずれかが起きたと思われ.



お魚を別の水に移動させる時は「水合わせ」を忘れずに!!!

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 20:49:55.47 ID:UqMlIr4a
澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が生えず、魚七分に水三分

なんて謡われる不思議池ですし

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 20:50:21.33 ID:qQUoZR4D
掃除に失敗してる人が多いってことだなw

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 00:08:32.27 ID:phStM6dH
田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水

白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 00:18:52.96 ID:dSnOhPMA
そういう問題じゃねーから
魚飼ってる奴なら分かると思うが
池の水を全部交換とか論外にも程があるわボケ
自分のミスを不吉な兆しで誤魔化すなw

松永弾正の性ハウツー本について

2012年10月14日 19:30

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 15:48:46.09 ID:7uyBR+Z9
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-811.html
ところでここに出てくる松永弾正の性ハウツー本だが、
曲直瀬道三が弾正に送った「黄素妙論」に
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/mg5/image/mg5shf/mg5sh0002.html
夫女人の淫念いたらざる間は男子しゐてまじはるべからず女人に淫慾の情念のいたるしるし五つあり。
一には男女ひそかに対面し物語などするに俄に女のおもて赤くなるは心中淫事の念きざすしるし也。
其時男子の玉茎を女人の玉門にあてがふべし
ニには女人はなをすすらば慾念肺の臓にうごくと知るべし、即玉茎を少し入るべし
三には女人目をふさぎ口をあき舌をさましいき使ひあらく成は淫情脾の臓にいたるとしるべし。
其時ゆるゆると玉茎を出入すべしあまりにふかく入べからず
四には女の玉門の中あたたかにうるほひゆたかにして津液外にながれは腎気のいたると心得て
玉門の口へ玉茎をぬき出し左右をよこにつくべし
五には女の足にて男の腰をはさみ女の手にて男の背をいだきしめ口をすはんことをもとめば
肝の臓の気いたると心得て玉茎をふかく玉門の奥さしつめてしづかに左右につくべし

殆ど同じことが書かれてるんだが




847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:04:23.22 ID:fI6j+dl6
松永弾正の性ハウツー本が黄素妙論だろ?

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:14:53.19 ID:3qTu7GkG
弾正が性指南書書いたんだと思ってた

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:16:48.24 ID:nJktpLb6
エロの伝道師w

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 17:18:28.48 ID:kHMbetqx
ググったら弾正が書いたのは「五傷の法」ってやつらしい
内容的に道三のを参考にしたっぽいな

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 00:24:48.08 ID:FWcWnClT
>>851
「五傷之法」は「黄素妙論」の六章目のようだ
「一に、玉門ふくれず、うるほはざる間は、必ず玉茎を入べからず、しゐて入る時は肺をやぶる
ニに、女人の淫情既に動ずといへども、男子それをもしらず、漸女の心中に興つき、
時過て交合する時は、必帯下の病となる
三に、少壮之女に白髪之老男相対して、玉茎かたからず、なましゐに少しおゆるといつて、
しゐて交合し精汁をもらすことかさなれば必目をやみ、終には盲目となる也、
四に、女の月水いまだやまざるに、しゐて交合すれば互に腎をやぶる、
五に、男子沈酔して交合し、女人の美快なる事過おはありたるに、しゐて久しく出入をおこなふ時は、
必面黄之病を生ず。」

内容も前にこのスレに出たやつと同じっぽい
あと、「黄素妙論」全文および現代語訳は、新潮新書の山崎光夫「戦国武将の養生訓」に載っているな
上記以外は体位(9つ)とか精力剤の処方とか

老人はかつて松永久秀に仕えていた

2012年09月09日 20:33

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 23:04:17.56 ID:QI+KIRTd
1610年ぐらいの頃、山城の国に90歳近い老人が住んでいた。老人はかつて
大名の松永久秀に仕えていた侍だった。

老人が語る話によると、松永久秀はかつてキリシタン布教を取り締まるため、領内にいた2人の
宣教師を追放することにして配下の2人の侍にその追放令を宣教師たちに伝えるよう命じた。
(続く)

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 23:17:41.82 ID:QI+KIRTd
>>410の続き
2人の侍が宣教師たちに会ってみると、その教えが素晴らしかったので侍たちは感激してしまった。
松永久秀の所に戻った2人の侍は追放令を伝えたことと、宣教師の説く教えが
素晴らしかったことを報告した。報告を聞いた久秀は追放令を解除した。
その時の2人の侍の1人がこの老人であった。(耶蘇会年報集)




412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 18:02:23.93 ID:G/YDcRto
後のクリスマス休戦である

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 18:26:08.18 ID:9TP2VF3z
時は流れクリスマス商戦の現代である

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 06:56:25.65 ID:p7V+8Xg1
今は正月ですら休戦じゃないからなあ>商戦

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 07:35:16.01 ID:QAK14FIe
>>413-414
????「多々買え… 多々買え…」

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 11:41:31.41 ID:gDOTx3uD
越後商人「塩止めうまいれす」

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 18:56:42.51 ID:r9jGWneM
越後屋「多々買え、多々買うのだ現代のモノノフよ」

???「越後屋、オヌシもワルよのお」