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甲陽軍鑑に見える被差別民への扱い

2023年05月31日 19:16

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/05/30(火) 21:07:44.23 ID:cZchWjGY
甲州武田は新羅三郎(義光)公より法性院機山信玄まで二十七代なれば、その継承された大将衆は四十年、三十年、
二十年、或いは十年、五年にて変わることもあるだろうが、多少取り合わせて二十年づつとしても、
五百四、五十年ばかり、甲斐国へ他国から乱入されることは無かった。故に、神社、仏閣、町地毛、
そのほか非人までも他国よりは少々富貴である。

猿、馬、牛の皮を剥ぐ乞食が騎鞍馬(のりくらうま)に乗り、下人を連れて連雀小路の玉屋という酒屋にて
代物(代金を出して酒を飲む時、おりふし向山同心である功力左太夫と申す侍、また足軽大将の三枝善右衛門の
寄子である小宮山八左衛門という信玄公の御弓持の者、この両人がなにかの用があって、これもこの酒屋に参った。

所用が終わり酒坏が出て、暫く指しつ指されつ盃を巡らせていた所、かの皮剥も侍衆の中に混じり酒を飲んだ。
その後座を立つ時に、功力左太夫の仲間がこの皮剥を見知っていて、功力小宮山らの侍衆に
「この者は皮剥である!」と告げた

功力左太夫小宮山八左衛門はこれに大いに腹を立て、宿の主人である玉屋権右衛門に抗議した。
権右衛門は件の皮剥に抗議した。

然れども小宮山八左衛門功力左太夫は両人とも武道の心ばせ能き者共であった。
八左衛門は上州三ヶ尻合戦で鑓脇をよく射て信玄公の御証文一つを下されていた。
左太夫もさらに二つまで武辺場数の御証文を信玄公より給わっていた。
それ故理を以て町人などを、事を荒らげて脅すような事は聊かもなかった。しかしながら、皮剥のこつじきが、
侍の交わりに、富貴であるに任せてこのように交われば、貴賤、上下の隔たりも無く、さながら侍の作法も、
尽く皆要らざることになってしまうと、小宮山八左衛門功力左太夫両人は書付を以て奉行衆に申し上げた。

そして奉行衆は、御蔵の前にて侍衆の訴え、町人の申し分、非人の物の言う事を確認し、公事(裁判)の
沙汰が有った。
この時、武藤三河守、桜井安芸守、今福浄閑斎(長閑斎、友清)の三奉行の中でも、今福浄閑斎は物事の
良き功者であったので、この公事を沙汰いたした。

「先ず侍衆の訴えは道理至極である。また町人も、代物の限りに於いての酒商売の事である。
殊更、武田の御分国は富貴である故、かの非人までも宜しきなりをしているが、これらは万事逆ではなく、
順義の御仕置故、尽く安堵してあり、誠につたなき非人まで、侍のように騎鞍馬に乗る。
であれば、町人が(皮剥が非人である事を)見損なったのも道理である。

さて、しかし非人が代物限りであれば、へりくだるには及ばないと、至らぬ心より存ずる事は、大非義の仕形
である。ではあるが、今まで改めて、非人の装束などに定めが無い以上、いかに乞食であっても罪科には
なり難い。その理由を教えること無く殺すのは逆である、と云うときは、功力左太夫殿、小宮山八左衛門殿、
この三人の奉行の真似事に免じて堪えて頂きたい。

さて又町人には、いかに商売代物限りであるとしても、歴々の侍たちに非人を交らわせた事を見損なった科の
代償として、二人の侍衆に巻物を一つづつ持って、玉屋権右衛門は礼に参るべし。さもなくば入牢を申し付ける。
さらに又、非人の命は三奉行の詫び言を以て、両人の侍衆が助けられた。故にこれを有り難く存じて、
おのれが家の皮で艸履(草履)をしたため、功力左太夫殿、小宮山八左衛門殿に御礼に参り、これ以後
皮剥の道服、袖広、帷子にも牛と馬と両方に、中には艸履を付けて必ず着て歩くべし。さもなければ、
よき仕合にて己等は磔物とされるか、もしくは釜にて煎られると心得よ。」

そのように申し定めた事で、それ以降は皮剥も、どんなに良き馬に乗っても、上記のように着ている道服、
帷子の形で解るように、甲州、信濃、上野までも定められたのは、この今福浄閑斎の工夫の故である。

甲陽軍鑑

甲陽軍鑑に見える被差別民への扱いについてのお話



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彼はためし物の上手であったので

2023年03月29日 19:21

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/29(水) 18:59:41.95 ID:0AUyz2EU
甲州武田の普代衆、隨分の(立派な)侍である今福浄閑という人物が在ったが、彼は若い頃より
ためし物(試し斬り)を能く斬る人で、しかも上手であった。据物を斬ってその頸が落ちる瞬間、
脇差しを以て傷口を貫いて、下に落とさぬよう落下の途中で上に上げるほどの手練であった。

彼はためし物の上手であったので武田家の侍衆は大身・小身共にそれを浄閑に頼んだ。
そのようであったので、年齢が四十六、七歳の頃までには、千人に及ぶほど斬ったと評された。
しかし実際には百人から二百人ほどであっただろう。

この人はどういうわけか、自身の能き子供が幾人も病死した。しかし今福浄閑は禅の参学などして
心も出来た人であったので、下劣な批判には取り合わず、子供が死ぬのも所詮因果に過ぎないとして、
すこしも取り合わなかった。

ある時、信州岩村田の法興和尚が甲州に御座あったが、今福浄閑はこの和尚に見廻(見舞)に参った。
この折、法興和尚は今福入道への教化として言った
「その方は良い齢であるのに、ためしもので罪を作るのは勿体ない。」

今福入道は
「私が斬るのはどこぞの囚人であり、その科が斬り参らすのです。」と言われた。

知識(和尚)は「それは先ず尤もである。」としばらく間を置き、法興和尚は仰せに成った
「今福入道、このいろりへ炭を入れてくれないだろうか。」
「畏まって候」と炭を持って炉辺へ寄った所、和尚は宣われた
「大きな炭を火箸にてはいかがであろうか。定めて、さすが武田の幕下歴々の今福入道であれば、
指を以て炭を入れてくれないだろうか。」

今福浄閑はまた、物の興のある人物で諸芸に達し、既に能などする時も、古保庄太夫などの能楽の者が
立ち会っていても、結句今福の方が優れているほどであった。そういった人であったので、この時も
炭をいかにも面白く入れられた。

さて、立ち退く時、浄閑は手を拭った。このとき和尚は宣わった「今福入道はどうして手を拭うのか。」
「今持った炭のために汚れたのです。」
「この炭を焼いた炭焼の手も、定めて汚れていたのであろうな。」

今福入道は申した「炭焼はこれを製造して出すのですから当然ですが、今はその炭を取った私の手が
汚れたのです。」

「さてこそ、先刻その方がためし物について、相手に科があると言ったが、それを究めて頸斬る今福浄閑にも、
(炭を取った手が汚れたように)その罪がまとわりつくのだ。」

このような法興和尚のすすめにて、今福入道はその後、ためし物を斬らなくなったという。

甲陽軍鑑



それをくびきる今福浄閑にも

2018年11月23日 21:19

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/22(木) 23:56:06.49 ID:gS7QotLX
甲州武田家の譜代衆で高位の侍であった今福浄閑は、若い頃より試しものを良く斬る人で、しかも上手であり、
据え物を斬ってその頸が落ちる時、脇差で傷口を貫き、地面に落ちる途中ですくい上げるほどの手練であった。
ためし物の上手であったため、武田家中の侍衆は大身、小身共に浄閑にこれを頼まぬ者はなく、其のようであったので
47,8歳までに千人も斬ったと噂されが、実際にも百人から二百人は斬っただろう。

ところがこの人はどうしたわけか、その子供が幾人も病死していた。しかしながらこの今福浄閑は参学などして
心も才知勝れた人物であったので、下劣な批判に取り合わず、子供が死ぬのも不昧因果(因果をくらまさない)と申し
少しも取り合わなかった。

ある時、信州岩村の法興和尚が来られた時、今村浄閑も彼の元を訪問した。法興和尚は浄閑へこう言った
「そなたは良い歳であるのに、ためし物の罪作りをしているのは勿体無い。」
浄閑は申した
「私が斬っているのは、囚人の科が斬らせているのです。」

法興も「それは尤もである。」と答え、暫く間をおいてこのような事を頼んだ「今福入道よ、この囲炉裏へ
炭を入れてくれないだろうか?」

「畏まって候」そう浄閑が炭を持ってきて囲炉裏へ入れようとすると、和尚は言った
「大きな炭を火箸で入れるのはどうだろうか?名にし負う武田幕下歴々の今福入道なのだから、指で持って
炭を入れてほしい。」

この浄閑と言う人は又、興のある人物で諸芸に達し、能などする時、古保庄太夫などと立ち会っても浄閑の方が
上手であるという程の人であったため、炭をいかにも面白く囲炉裏へ入れた。

そうして彼が立ち退く時、その手を拭った。これを見た和尚が言った「今福入道は、どうして手を拭うのか?」

「今の炭にて汚れたのです。」

「その炭を焼いた炭焼の手も汚れていただろう。」

「炭焼は炭を作り取り出すのですから汚れるのは当然です。今は炭を取った手が汚れたのです。」

これを聞いて法興和尚は
「では先刻、その方のためし物となる人間には科があると言ったが、それをくびきる今福浄閑にも罪があるのではないか?」

この教えにより、今福浄閑はその後、ためし物を斬ることは無くなったという。

(甲陽軍鑑)



524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/23(金) 05:35:26.28 ID:Kw2DX8n0
家に帰ったらまず手洗いうがいの始まりか

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/23(金) 15:28:47.65 ID:cAkTgeNM
>>523
良い説法だ

今福友清の試し斬り好きと法興和尚・いい話

2009年06月13日 00:01

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/12(金) 20:37:46 ID:9J6GDoEl
武田家臣・今福友清、入道して浄閑斎は公事奉行を努めていたが、
ある悪癖で有名であった。それは三度の飯よりも、刀の試し切りが好きな事。
首切り役がいるにも関わらず、罪人を自らの手で処断しないと気がすまない性分。
裁可の済んだ者から、ばっさばっさと斬り殺し、五十前までに千人斬ったとまで噂された。
ある時期、浄閑の子供が立て続けに死に、祟りだとも噂されたが、本人はどこ吹く風。

「んなわきゃねーだろwwwガキが死ぬのなんて別にちゃんとした理由があるんだよw」

と、一向にそれを止める気配は無かった。

あるとき、信州岩田村竜雲寺の法興和尚が法事のため甲府にやってきた。
霊魂の祟りは信じずとも浄閑斎、腐っても出家、和尚を尊敬していたので
和尚が逗留していた屋敷に挨拶に出向いた。

さて、挨拶も済み、雑談を始めた二人。浄閑の噂は和尚も当然知っており、

「浄閑殿はいい年こいて、まだためしものなどやっておられるようですが、
 真にもって罪深い事とは思いませんか」

と切り出した。それに対して浄閑斎

「はぁ?いや和尚様、あれは俺が切りたくて斬ってるわけじゃなくて
 斬られる連中の罪科が切らせてるんすよwだから別に俺が悪い事
 してるわけじゃないでしょwww」

と言い返した。たしかに一利ある。和尚はそのまま黙ってしまった。
さてそのうち囲炉裏の火が弱まってきたので浄閑斎が炭を継ごうとしたが、
炭が大きく火箸で挟めない。浄閑斎、しかたがなくこれを素手で囲炉裏に放り込み、
汚れた手を手ぬぐいで拭いた。

これを見た和尚が言った。

「はて、どうして手を拭きなされた?」
「いや、手が汚れたかですが」
「なぜ手が汚れたのですかな?」
「そりゃ、炭を触ったかっしょwいったいなんなんすかw」
「さて、その事でござる!」

和尚が突然語気を強めた。

「炭を触ると手が汚れるのは炭がさせる事でござろう。
 同じようにいくら咎が人を斬らせるとは言え、斬れば
 貴殿の心が汚れ申す。ましてや、その貴殿はその汚れを
 一心に引き受けてくれる首斬り役という火箸がありながら、
 なぜ手を煤だらけにするような真似をなさるのか?」
「・・・・・・」

浄閑斎は顔を赤らめ返事もせずにそのまま帰宅してしまった。

以来、浄閑斎は試し斬りをぱったりしなくなった。
彼が奉行の職を辞し、久能山城代に転出するのは
それからしばらくの事である。

まとめの大谷千人斬り疑惑でちょっと触れられてたけど、全部じゃなかったので





423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/12(金) 21:32:12 ID:HlxjaT/8
昔の坊さんにはとんち技能必須だな

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/12(金) 22:03:06 ID:/CS76Wae
人斬りに説教する>>422とかDQN眼竜に鉄拳制裁かます虎哉さんとか
時代のせいか戦国の坊さんは肝の太さが違う気はする

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/12(金) 22:23:35 ID:TZhjTHfH
しかしどっちかというと仏教より神道の理屈ではないかこれ…・?