「軍兵どもはかがむな!当たらぬものぞ!」

2016年06月16日 12:26

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 04:22:34.61 ID:qyrPuhLC
大納言様(前田利家)も折々御話になり、戸田武蔵殿(勝成)や猪子内匠殿(一時)
なども御話になったことである。

信長公の御時代、柴田修理殿(勝家)、森三左衛門殿(可成)、坂井右近殿(政尚)は
各々が意気盛んな言葉を申した武辺者であった。

鉄砲の玉が撃たれ来る時、柴田は立ちながらおられて、「軍兵どもはかがむな!
当たらぬものぞ!」と、御申しになった。

一方では、三左衛門殿と右近殿などは、「柴田じゃというても絶対に当たらないなんて
ことはない。武者というものはかがむ時はかがんで、鉄砲や弓矢に当たらぬようにし、
攻め掛かる時は押し開き、何にも構わず掛かるものである」と、申された。

これに大納言様は、三左衛門殿や右近殿などの言い分は功者であると仰せられた。

――『亜相公御夜話』



851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 06:55:04.08 ID:t3AlYHdJ
>>850
柴田は脳筋だから付き合いきれなかった、というお話しですね

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 07:01:00.39 ID:t8BHoxnC
勝頼は脳筋じゃねえだろ

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 07:01:32.26 ID:t8BHoxnC
あ、勝家だった。富田さんのところいってくる。

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 08:11:20.86 ID:FrL4idmq
狂犬の話かと思った

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 15:00:01.08 ID:krlDiNlY
戸田勝成に猪子一時って織田家の古株なんだな
知らなんだ

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 21:35:19.91 ID:H0UyalCR
>>850
鬼武蔵は親父の言葉どおりしゃがんでたのかな
それで撃たれて死んだならかなり恥ずかしいな
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死せるエムベロルの妻の弟なる柴田殿

2016年02月18日 18:02

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/18(木) 16:53:07.51 ID:gfgaEMBE
死せるエムベロル(織田信長)の妻の弟なる柴田殿(Xibatodono)は、信長の遺族中、最も近い
親類であったが、羽柴藤吉郎の行為を快からず思い、力を極めて彼に抵抗した。ここにおいて、
藤吉郎は柴田殿を滅ぼさんとその居城を囲んだ。

柴田殿は突然攻撃を受け、免れる事ができないのを知り、将士を尽く集めて言った
「卿等は予の窮境をしらん。予は残虐なる暴王に屈せんよりは、むしろ自殺せんとす。
予の願う所は、予が死したる後は卿等が予を火葬するにあたり、不人情なる叛乱者をして
誇らしめるべき何者をも残さざるように成してほしいという事である。
卿等は生命を保たんがために如何なる談合を成すも可なり。」

しかし万座の者達は、柴田殿の決心を賞賛し、みな柴田殿の例に倣わんと決心した。

柴田殿は彼らの忠義に感じ、この世の別れとして宴をおこない、食卓上には様々な肴を具え、
ある限りの楽器を鳴らし、彼らの好む茶、および酒を飲み交わし、かくて饗応も静まるころ、
彼らは起きて各種の燃焼物を部屋に満たし、これに火を放つと、焔煙は屋を貫いた。

ここにおいて、残酷なる饗宴が始まり、柴田殿は先ず妻子、僕婢を刺殺し、あるいは重傷を負わせると、
彼の諸将もこれに倣って同様に親族従者を殺した。次に彼らはこれらの死骸を火中に投じ、その上に立ちながら
切腹して果てた。

時に藤吉郎は、城中に火災が起こったのを見て、偶然の失火だと思い好機を逸してはならないと
総攻撃を命じたが、門といい城壁といい何らの戦備も抵抗もなく、ただ未だ焼け終わらない
数個の死骸を見たのみであった。

藤吉郎は柴田殿の城を陥れて都に帰るや、最初の名の藤吉郎のみならず羽柴の名も改めて、
関白殿、すなわち日本の最上卿と称し、1594年以降は太閤様と名乗った。すなわち大エムベロルの事である。

(モンタヌス日本誌)

モンタヌス日本史より、柴田勝家の最期についての記述である。



フロイス書簡から、柴田勝家の最期

2015年01月20日 18:43

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/20(火) 15:42:47.78 ID:0TlXsLFW
もうすぐセンゴクの勝家が死にそうなのでフロイス書簡から勝家の最期

六月三日、羽柴は勝利を保ちつつ全軍をもって越前国に侵入し、
柴田がわずかな手勢と共に逃げ込んだ北庄の城を包囲するに至った。

彼はすでに六十歳になるが、はなはだ勇猛な武将であり、また一生を軍事に費やした人である故、
広間に現れると彼に侍していた武士たちに向かって、
「予がここに入るまで逃れてきたのは武運によるものであって、予が臆病なためではないが、もし予の首が敵に斬られ、
 予と汝らの妻子や親戚が侮辱を受けるならば、我が柴田の名と家を永久に汚すことになる故、
 予はただちに切腹し、この身は敵に発見されぬよう焼かせるであろう。
 もし汝らに敵の赦しを得る術があるならば、その生命を永らえさせることを予は喜ぶであろう」
と簡明に語った。

一同、
「武士のみならず、その妻子までがことごとく必ずや彼に倣い、来世まで随従するであろう」
と答え、柴田はこれに対し、
「汝らが速やかに決心し、予と同じ意志であることを大いに喜ぶが、
 ただ心苦しく思うのは汝ら一同の予に対する愛情に報いる術がもはや今生においては得られぬことである」
と言った。

そして彼は数多くの馳走を運ばせて彼らに振る舞い、酒を飲んでは楽器を奏して歌い、
大いに笑い楽しむ様はあたかも戦勝祝いか、夜を徹しての宴のようであった。
城の各部屋と広間にはすでにたくさんの藁を積み、戸も窓もことごとく堅く閉じ、
城を包囲する敵に向けて城内から銃を一発も撃たなかった。
城外の兵士らは内からまったく武器の音がせず、陽気な歌声が盛んに聞こえてくることに驚いた。
事ここに至って柴田は藁に火薬を撒き、家屋が燃え始めると誰よりも早く、信長の姉妹で数ヵ月前にめとった妻と
その他一族の婦人たちを殺し、続いて短刀で己の腹を十字に切り、その場で息絶えた。
他の武士および彼と共に内にいた残る人々も皆、同様にまず己の愛する妻子を殺した。
すぐさま前述の歌に代わって、はなはだ大きな悲鳴と鳴き声が聞こえ、燃え広がる炎が生ずる音よりも高く恐ろしげであった。
彼らは幼い子供たちの年齢や涙を少しも顧みず、全員を殺した後、ある者は自らの手で、またある者は互いに差し違えた。
そして、この痕跡を消すべくただちに火の手が回り、同署にあった憐れむべき亡骸を焼き尽くした。
羽柴やその他の敵に城内で起こったことを完全に知らせるため、柴田は死ぬ前に諸人から意見を徴した上で、
話術に長けた身分ある老女を選び、右の出来事の一切を目撃させた後、城の裏門から出して敵に事の次第を詳しく語らせた。
こうして、信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人がこの地で滅び灰に帰した。




柴田勝家の肖像画

2014年01月25日 18:39

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/25(土) 06:29:53.95 ID:iQ6lVeQj
柴田勝家の肖像画

賎ヶ岳の戦いに敗れた柴田勝家は北ノ庄に落ちると、城下の僧を呼び寄せ敗残の将の姿を描かせ城を枕に自害を果たした

現在、柴田勝次郎氏の所有する柴田勝家の画像は有名だが保存状態が悪く、あちこち欠損しているために胴や袖の細部が判らない部分が多かった

しかし同じ絵の写本とされるものが江戸時代に纏められた『本朝名将百図』に残されている

図版の「柴田勝家図」はちぢれ毛(天パ調?)に破れ袖、膝の脇には前立付きの兜も描かれている他に
腕や臑、足は剛毛で被われ
注釈には「面赤メ」等といった書き入れも見受けられる

写しのために原本と景色が幾分変わるかも知れないが
当時の人名の判る武将像を伝える貴重な史料と思える

※絵の兜の前立は有名な連鳥の家紋に脇立の着いた物ではなく、三つ柏葉?の様なもの

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/25(土) 06:35:36.13 ID:iQ6lVeQj
『本朝名将百図』の肖像画は「柴田勝家」で画像検索をすると
陣羽織無し・龍の絵の描かれた鎧の像として出てきます





柴田殿の分別類いなし

2013年04月07日 19:03

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 20:23:19.27 ID:uiONzrgf
柴田修理亮勝家が越前を領した年の事である。

その城下に、美々しいなりをした60ばかりの老婆が、人を数多召し連れ宿を取った。
この老婆は城下の者達に

「人の妻女を押し取って都に登らせる、その邪魔をする者あれば処罰いたす!」

と言い、実際に5,6人のものがこの老婆のもとに拉致された。これは下々の者では解決できないこであると、
領主である勝家に訴えが上がり、勝家は

「なんという奇妙な事件だ。急ぎこの者たちを連れて寄越せ!」

直ぐに家臣たちが老婆の元に行き「殿よりの仰せである!すぐに来るのだ!」と言ったが、老婆は

「修理殿は慮外なことを言うものかな。我に来いなどと言うのはおこがましいが、行ってこそ
知ることもあるだろう。」

そう言って乗り物で城へと向かった。
勝家は老婆と対面すると

「お前は私の町中に入って、人の妻女を理不尽に取って行くと言うのは、一体どういう理由からか?」

老婆が申すことに
「御身は事の様をご存じない。私は信長公に召し置かれたものである!
信長公の御意に入りそうな女房があれば、この国に限らず、どこの国であっても見立て次第に
連れてまいれ、との仰せによって私はここに来ているのだ。
これを偽りであるとお考えになるなら、人をやって信長公に訴えなされ!」

勝家はこれを聞くと暫く考えた
『この老婆の言うことはきっと真実なのだ。であるが、信長公はなんと前代未聞の無道を
なされることか。尋常のことではないが、ここで何とかせねば。』

そして

「老婆よ!お前は何と恣に振舞っているのか!?そもそも信長公は世の政法を正しくされ、
無道の輩を罰されるのが常である。
人の妻女を拐かすのは、その咎至極であること、前代よりの定法である!

信長公ほどの賢君を無道の犯罪者の如く語ったこと、その罪軽からず!」

そうして老婆とその配下十余人を召し捕ると縛り付けて船に載せ、大海に漕ぎ出し、
そこで穴を開けて沈めた。
その後、勝家はこの事を包み隠さず信長に報告した。

信長は勝家からの報告を見てたちまち興を覚まし、何も語らず、

『柴田の忠節の仕置、神妙である。今後そういった者があれば、私の方に知らせるように。』

と返事を返した。
これ以後、信長はこのような行為を思いとどまり、人々は、柴田殿の分別類いなしと喜ぶこと限りなかった。
日頃”鬼柴田”と武勇と呼ばれているが、それだけの事はあると、褒めぬ人は居なかったという。
(義殘後覺)


参考
柴田勝家と信長の女狩り・いい話


942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 22:06:48.08 ID:s8JE6rh5
織田が無道…すまん

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 22:28:36.59 ID:3fiOjRyy
何で人妻…

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 22:44:08.38 ID:DOwNY/e1
何で婆さんに頼む…

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 23:34:30.74 ID:I4IGnLHk
穴を開けて沈めたって船に穴開けたってこと?

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 23:39:19.05 ID:Ccjgq9sW
太平洋でやれば補陀落渡海できたのに

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 00:07:06.68 ID:aXA4HYNI
>この老婆の言うことはきっと真実なのだ。

勝家の中でのノブ酷いな

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 00:27:09.55 ID:RglCw+fd
ソマリア沖で海賊をボート1艘に押し込めて漂流の刑にした某ロシアを思い出した。

>>947
信長に取り立てられて恩義を感じる奴は多いだろうけど、
信長の人柄に心服している人間なんていなかったんじゃない?w

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 01:01:47.91 ID:vtfZ77yE
>>947
まあ信長の蛮行に呆れて敵対してた時期ありますしwww

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 02:10:18.91 ID:27qIEd/T
わざわざ船に押し込めて沈めるて、フランス革命のヴァンデ反乱みたいだな

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 04:57:16.95 ID:5cbBzom4
この話は既出だね。

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 09:55:54.39 ID:3z5WgOEd
信長の有力家臣でずっと忠誠していたのは丹羽と池田ぐらいじゃないの。

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 10:10:30.94 ID:lWQzATh/
佐久間信盛「…」

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 12:42:37.53 ID:oUb71fmX
既出の話にしては記憶になかったから調べたら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-42.html
なるほど、随分前の話だったか

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 13:36:37.25 ID:MAND/M52
>>952
池田が有力なら川尻も有力でいいんじゃね

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 15:17:15.47 ID:27qIEd/T
安心と信頼の森家

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 15:40:09.72 ID:56uDSA8a
池田が有力家臣とか(笑)

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 18:34:07.20 ID:aeCUbO6X
有力じゃないの?

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 19:18:41.81 ID:nlHdZ48x
有力ってのがどの程度のレベル指すか次第じゃない?
池田家は姉川の恩賞で2万石の城持ちになってるから有力幹部であることは間違いない
でもこのレベルの幹部は織田家中に数十人居るわけで幹部中の幹部の丹羽と並べて語るほどではない

天正十年十月、堀秀政宛、柴田勝家書状

2012年03月07日 21:50

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 05:04:23.05 ID:L0jQzyS1
天正十年十月、堀秀政宛、柴田勝家書状

『覚

一・羽柴筑前守(秀吉)、約定違反のこと

一・清須において誓い、それぞれに印も押した置目について、秀吉は全く守っていない。
  政治の形が今までと全く変わったことに、庶人は不信を申し立てている。諸国の下々がそのように言っているのは
  当然のことである。政治が分明に、決まった通りに行われていればどうしてこんな事になるだろうか?

  羽柴筑前とこの勝家の間は、、元々は疎遠でなかったはずなのに、この頃では人々も不和だといっている。
  天下の織田家御分国を静謐にするという評定は当然のものなのに、清洲会議以来の秀吉の裁許は、言葉にもならない
  有様である。諸人がこれを不審に思うのも尤もである。
  
一・この勝家自身のことを言わせてもらえば、私は長浜を分配していただいた以外、米一粒、一銭足りとも私していない。
  申次の諸侍から、この事に対して私に嘆いてくるものが聊かあるが、そういった者たちにもその理由を申し使わして、
  道理のあるところをよくよく説明しているので、私の方では知行にも諸侍にも手心を加える事は一切無いのだ。

一・若子様(三法師)の事だが、惟住五郎左(丹羽長秀)より、岐阜に申し上げるべきだとの意見により、各一同の
  兼ねてからの約束通りに、岐阜から安土への御動座をされるようにと、岐阜へも、五郎左へも返事をした。
  その墨付は双方に存在している。

一・今度の上様(信長)のご不慮によって、天下は混乱し治め難き様相となった。未だ四方に敵があるのだから、
  内輪は対立を自重し、上様の行いを引き継ぎ四方に馳せ走る。上様がおられなくてもそのようにするのが
  本来で有るべきなのに、全くそのようになっていない。

  一方で家康の行動を見てみろ。彼は度々の上様の御動座によって、武田一類を尽く討ち果たし、その後の平定を
  仰せつかった。ところが北条が、彼らは上様御在世中は上様の御意に従っていたというのに、状況が変わると
  その態度を一変させ織田の軍を攻め家康と対陣に及んだ。事ここに極まって、天が味方もしてくれたのだろう、
  徳川家の者共は皆で一致してこれに立ち向かい、即座に追い崩し討ち果たした。誠に上様の時より続く軍忠、
  これは上様へのお弔いにもなるもので、かつ天下の誉れ、これに過ぎるものはないではないか!

  しかるにそんな事を考えもせず、御分国の内に私的に新城(山崎城)を建設するなど、様々な我意を通している
  秀吉は一体、誰を敵としているのか!?
  政治を担当するものがそのような事をするのは許されないものである。私と彼との関係が悪いといっても、
  今は心をあわせて、上様のご苦労によって治められた織田家御分国をあい治め、御分国の政治を、たとえ
  上様には及ばなくても、相守るべきなのである。
  このままでは結局共食いをして双方果て、織田家の領国も他人の国になってしまうだろう。
  これは我々一同の本位ではないだけではなく、天道にも背いた行いであろう。
  しかし今、情勢はそのような方向に向かっていることが、無念至極なのである。


                   柴修 勝家(花押)
天正十年十月六日
  堀久太郎殿』
  

清洲会議の約束を守らず独自行動を拡大する秀吉に対する、柴田勝家の危機感が溢れる書状である。
(南行雑録)







272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 06:59:47.53 ID:1pP/TvnR
>>270
平山優が「天正壬午の乱」で一部を紹介してた手紙だね。

秀吉と勝家が争い始めたせいで、予定されてた織田政権
からの援軍が貰えなくなったとあった。

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 07:43:57.22 ID:9YCq36jo
>>270
火事場泥棒的に甲斐、信濃掠め取ってる家康褒めてるwww
そこも織田領だから

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 07:50:37.32 ID:1pP/TvnR
>>273
それは事実誤認。
家康は、ちゃんと織田政権の許可を貰って侵攻してる。


275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 07:56:52.37 ID:4UlnHobY
「援軍を送れないのは~だからだよ」という勝家の書状か、なるほど

>>274
織田政権っていったい誰?

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 08:15:35.47 ID:1pP/TvnR
>>275
具体的に侵攻を認める書状を出したのは秀吉。

勝家の手紙でも判るように信長亡き後の織田家は、清須会議の
結果を受けて重臣の合議制で進めることになってた。
だから、織田政権扱いにしてる。

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 08:23:26.73 ID:2yGOlGLa
あと織田信雄からも織田信孝からも、家康に対して充分な援助ができないことを詫びる書状が出てたりするね。
織田家中では争っていても、対北条に関しては意識が統一されていた。
家康の甲斐信濃侵攻は、織田家の完全な支持のもとの行動だったわけだ。

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 08:28:48.98 ID:VeIse7g4
うーん、時代に置いていかれた感が漂う文面

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 08:43:37.32 ID:bmHT1+x3
>>273から漂う家康アンチの臭い

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 09:45:53.50 ID:iaQ7qK/H
ていうか、上杉や北条が攻めてきてるのに切り取られるがままにしておく方が問題だろ。
「織田から許可取ってないから黙って見てました」じゃ済まん。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 10:22:28.35 ID:O9eygUz0
>>277
織田の援軍が、信雄からの三千で終わっちゃったからね。
北条との和睦の時には、ちゃんと信雄、信孝が仲介したけど。


282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 10:41:32.15 ID:N92JjHc1
埋められたり北条にボコられて逃げたりしたからしょうがない

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 12:16:21.79 ID:iCWn/gbD
肝心の織田家が内部で争いを始めていたから、家康がおいしくいただいてももしょうがない

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 12:27:57.43 ID:a20rsPRR
鬼武蔵さんが無責任に帰っちゃったのがいかんかったよね、河尻さん滝川さんが惨いめにあったの

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 13:12:49.90 ID:ouTTO3FR
滝川一益はともかく、
川尻も鬼武蔵も在地武士たちから恨み買いまくりだったからな…
逃げるか殺されるか二つに一つだったと思うよ

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 13:16:29.11 ID:Wc6mNpzP
鬼武蔵さんならそこは返り討ちにして欲しいところだが、足場が固まってない・
多勢に無勢・自陣は浮き足立ってるってのじゃ逃げるしかないわな。

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 13:18:32.88 ID:cXUR8w+6
いや、でも家康の甲斐・信濃獲りは、火事場泥棒とかおいしく頂いたとか、そんな
生易しいもんじゃなかったと思うぜ。確かにあの時しかチャンスはなかったとは
いえ、中身を見ると、けっこうムチャしてるから。ここぞとばかりに甲・信に大兵
力を送り込む余力があったわけでもないし。家康にとっても大きな賭けだったんじ
ゃないかと。
失敗して逆に徳川がぶっ潰れてた可能性も十分あったと思う。北条が出てきた後
なんか特にね。完全に数的不利の状況でぶつかったわけで。
当時の徳川にとってある意味、身の丈以上の冒険。

家康って、後に天下とっちゃったからイメージ的にちょっと大物感あるかもしれ
ないけど、独立後は対今川でも対武田でも対北条でも、基本的に相手の方が兵力的
にずっと有利な状況で、辛抱強く戦ってきた立場だったんだから。


288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 13:34:23.20 ID:ouTTO3FR
家康が秀吉に臣従するまでに戦った格下って真田くらいだよな・・・

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 14:41:17.84 ID:O9eygUz0
>>288
木曾義昌とかもいるよ。

本人が出馬してるケースだと、三河や遠江辺りの
国衆を相手にしてる時くらいかな。

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 19:55:30.71 ID:2TvwxyNL
その国衆だって今川や武田のついていたような連中だしなあ

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 20:19:43.49 ID:TTvOZGf5
三河一向一揆

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 20:20:27.93 ID:TTvOZGf5
真田だって当時は上杉配下だ

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/08(木) 09:15:48.51 ID:yyCUGesD
>>287
まぁそれだけのことができるからこそ織田も同盟という関係を続けわけだわね。

使えないならどこより先に信長が潰して自分の手駒置いてただろしうな。

わしは何者が出頭したとしても恐ろしくないぞ!

2011年04月15日 00:00

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/14(木) 21:33:12.17 ID:I0Q0kNCW
柴田勝家が織田信長より越前を与えられた頃のこと。
勝家はある夜、その配下の武将を集めて振る舞いをした。この時勝家、酒も入って大変に機嫌よく、
前田利家にこう話しかける

「又左殿(利家)聞き候え、最近はあの表裏者である菅屋(長頼)や明智(光秀)が信長公のお側で出頭しておる。
又左殿!指を折って考えてみよ!今まで26回、この柴田の手柄故に勝利を得た!
そして信長公直々のお礼も承った。わしは何者が出頭したとしても恐ろしくないぞ!
さあ又左殿も指を折って数えるのだ!」

これに利家

「おやじ(勝家)は人持ちでもあるから、先陣をされて度々手柄もし、また槍を入れることも半鐘を鳴らすように
度々であって、その武勇は今の世には並びなき人です!
では私も言わせていただきましょう!」

と、指を折りつつ利家がこれまで、所々でなした18度の手柄について語った。
これに柴田勝家は一層機嫌良くなり、

「細々としたことを期限に間に合わせ、どうということもない内容を格式張って話す、そんなことをいくら
嗜んだとしても、合戦での働きがなければまるで意味のないことだ!
今の時代は武勇を仕ろうとするなら、いくらでも機会がある世の中である!
又左やこの柴田は、信長公へも傍輩衆へも、その前に出て恥ずかしくないぞ!」

と言い、大いに笑ったそうである。
(利家夜話)

ただ逆に見ればここまで意識している以上、この時期菅谷や明智といった人々が、信長の傍で
一種の文官的権能により権力を拡大させている事に、内心何らかの驚異や圧迫を感じていたと
見るべきで、そんな状況を勝家も酒の席でこのように、憂さを晴らしていたのだろう。

そんなことを想像させる、柴田勝家の越前での酒宴のお話。




665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/14(木) 21:55:26.12 ID:ULTcU9KJ
特に菅屋の存在は面白くなかっただろうな。北陸方面軍にとっちゃ目の上のたんこぶ。

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/14(木) 23:40:57.36 ID:AjXCYMNe
悪い話と言うか、色々切ない話だな・・・

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 01:21:26.48 ID:D7KaAIKS
しかし光秀だって結構戦場で手柄立ててる気がするけどな

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 02:25:33.81 ID:vWJu+lLU
奉行衆のエリートで片手で数えれるくらいしか実戦に出てない菅屋と一括りにされるのはちょっとなw

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 02:53:53.64 ID:aE+5u85H
>>667
つか光秀といえば戦上手で有名やん。

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 02:55:09.46 ID:gppu6zFr
>>668
菅屋の武功ってそこまで少なかったっけ?

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 06:38:16.51 ID:iqyJ7Ytf
ノブヤボに出てこない武将はわからない

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 06:45:24.11 ID:LrOYMMgE
戦働きしかできない古いタイプの武将が抱える鬱憤みたいなもんか

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 07:32:55.32 ID:vY6f+QCc
越前の織田神社が、利家や成政、光冶に信長の朱印状を握りつぶされて荒れ放題だった時、
実情を知った信長の意を汲んで、
「ちゃんと仕事しろよ。下手な弁解したらどうなるかわかんねえからな」
と書状を送ったのが菅屋なんだよね

でもさ、菅屋くらいの世代になると堀秀政みたいな例外を除いて近習ってほとんど前線に立たなくなるよね
やっぱり信長自身が前線に出ることが少なくなったからなんだろうね

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 09:07:06.68 ID:OieZABso
例えば万見重元なんかは有岡城攻めに軍監として参加したのだけど、
血気にはやったのか総攻撃に参加して戦死している

記録はないけれど、もしかしたら信長から「参加するな」という厳命が出たのかもね

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 09:31:15.64 ID:c1ulH4TY
軍監が我先にってのは役目が違うだろうからなぁ・・・

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 09:31:19.06 ID:vY6f+QCc
万見が戦死した時の有岡攻めは信長自身が出向いてるよね
桶狭間や朝倉追撃戦みたいに、こういうときは馬廻りや小姓連中が手勢を率いて相手に向かったりしたそうだよ
ちなみにこのときは菅屋・堀・万見の3人が鉄砲隊を指揮していたそうな
で、城内の内応者の合図で突撃したら最愛の万見があっけなく討ち死にしちゃったと


677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 09:35:20.60 ID:/fOP8BgW
最愛はお蘭でねーの

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 10:18:11.91 ID:SGA9LXth
万見と長谷川には及ばない

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 12:06:05.43 ID:h2rv/tG2
万見が死んだから蘭丸に移行したんじゃね?

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 18:37:21.72 ID:vWJu+lLU
>>670
ほぼない。

行政関係では抜群だが。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 21:30:37.62 ID:Z1dZtoP9
菅屋は野望に出たら政治90とかそんな感じかしら

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 21:34:42.59 ID:cheFDZ1M
蘭丸は大して活躍してないのに、なんで兄が信濃に移った後の兼山5万石をもらえたんだろうか?
堀秀政の長浜2万5千石より多いじゃないか。

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 21:51:06.57 ID:67xD98a9
わかってるくせにw

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 22:29:10.75 ID:5uJs87VM
でも森家は死亡フラグ立ってるしな

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 23:27:21.44 ID:J8zIrcwP
菅屋さんの先代は森可成みたいな立場だったんかねえ>信長直属軍部隊長みたいなの

690 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/16(土) 07:28:20.36 ID:LElC96TQ
>>686
親父さんなら、小豆坂で活躍したひとかどの武将だっはず

小姓・馬廻りという意味でなら、利家や成政たちのあとの連中かな
古株の信長近習にいびられて、耐えかね切り捨てて出奔
徳川からの誘いをけって織田家への帰参を願っていたけど、三方原のときに佐久間隊に属し討ち死にしてる

詳細がわかればひとつの逸話にできるんだけどなあ

若武者と手植えの松『死なば墓場のしるしとやせん』

2011年01月08日 00:00

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/06(木) 23:37:14 ID:iq9DhIn8
何年か前に地元紙に載ってた話。うろ覚えなので色々おかしいかもです。

時は天文の頃。尾張の国に初陣を迎えようとしている若武者がいた。
戦支度で忙しい中、城主の息子である若武者の姿が見当たらない。
はてどこへ行ったかと家中の者が探したところ、城の裏手で見つかった。
初々しい具足姿で泥だらけの両手を合わせ、一心に何かを祈っている様子だった。

「若、何をしておられるのです」
「ああお前か。すまぬな、すぐ行く」

若武者はその場を離れ、声をかけた家中の者と連れ立った。
その者は不思議に思い若武者のいた場所を振り返って見たが、
それこそ木立ちがあるばかりだ。

「何をあのように祈っておられたのです?」
「いや、大したことではない。気にするな」

このとき若武者は、城の裏手に一本の松を植えた。そして次の歌を詠んだ。

 『初陣に松一本を手植えして死なば墓場のしるしとやせん』

残念ながら、この戦については資料が残っていない。
相手は誰だったのか、規模はどのくらいだったのか、勝算は高かったのか低かったのか。
それらは推測するしかないが、彼の根城はそれほど大きなものではなく、
あるいは城を枕に討ち死にすることを考えていたのだろうか。

結果的に彼はこの戦では死なず、その後も幾度もの戦を潜り抜け手柄を上げ、
長じては天下布武を掲げる男の下、織田家の筆頭家老にまでなった。
主君を失った後、かつての同僚に敗れ越前は北ノ庄城で自害、その生涯を終えた。

松を植えた故郷から遠く離れてはいるが、やはり自らの居城が墓場となったのである。
彼の戦に臨む覚悟は、その初陣の頃から変わらなかった、と言えるかもしれない。


柴田権六勝家の生誕地、明徳寺に伝わる逸話でした。




丹羽長秀宛・柴田勝家書状より、濃美国境問題

2010年11月10日 00:02

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 21:45:53 ID:A4Tw86r4
天正10年、本能寺の後秀吉によって明智光秀が討たれ、清洲会議によって
当面の体制が決まった。その頃出された、丹羽長秀宛、柴田勝家書状より


『尾張と美濃の国境のことですが、私の方にも御兄弟様(織田信孝・信雄兄弟)双方より
同時に言ってこられています。

この両国が御兄弟様に渡された以上、国境を決めて分けるのは当然のことではありますが、
三七郎殿(美濃を領有した信孝)は

「大河(大川)を国境にしないのなら、自分の家臣たちからは勿論、百姓たちからまでも
不満の声が出るのは間違いなく、領主としてそういうことは出来ない。」

とおっしゃっています。

三七郎様は前々から大河を国境とするよう主張されていますが、これを国境とすれば東部において
尾張の三郡が美濃に編入する事になり、これを目論んでそう言っておられるのでしょう。

三介殿(尾張を領有した信雄)は旧来の古木曽川(足近川)による国境線を主張し、
当然ですがご同心ありません。』


この、濃美国境線問題における対立は羽柴秀吉が漬け込む絶好の隙となり、
間もなく賤ヶ岳を引き起こし、織田体制を完全崩壊させることとなるのである。


織田家体制崩壊の端緒となった、信孝と信雄の国境問題についてのお話。




474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 23:34:31 ID:7t9ra+0k
これは信孝が悪いのかな?

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 23:41:20 ID:A4Tw86r4
>>474
おそらくこの頃川の流れが変わって、古木曽川が衰退しこの大河というのが現在の木曽川の
流れを形成し、尾張三郡が岐阜側から見て川の内側に入ってきたと考えられるわけです。

なので信孝の立場から言えば、行政の一体化から言っても川を国境とする慣習から言っても
国境の変更が正しく、信雄からすれば当然受け入れられない、という対立ですな。

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 00:09:39 ID:oqSRgyQZ
>>475

詳しくありがとう。
これは勝家も困っただろうね。

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 00:13:43 ID:y7kThAtc
江戸時代初期にも利根川の付け替え工事で
武蔵=下総の国境が大きく変わってるからなぁ

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 00:14:29 ID:usvRIPA2
>>476
ついでに言うと信長・信忠が濃尾両国を支配していたときはどうも、その尾張の三郡は
美濃側の行政区域の中に入ってたっぽいのね。

なので信孝としても現地の領民としても、当然それが踏襲されるべきだと考えていて、
それに対して信雄が旧来の国境線を主張した、という感じみたい。

「柴田の首なし行列」

2010年08月19日 00:00

531 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/08/18(水) 15:50:17 ID:h2vnL9Ia
この時期だからこそていう怖い逸話とかある?




533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/18(水) 16:40:33 ID:ej0vL+to
>>531
まとめスレにはなかったと思うので

「柴田の首なし行列」
賤ヶ岳の戦いでの敗戦の後、見事切腹し、お市とともに北ノ庄城
に果てた柴田勝家であったが、
以来毎年、北ノ庄城落城の四月二十四日になると首なしの武者行列が
城下を徘徊するようになった。
「首なし行列を見たら死ぬ」という噂までいつの間にかついたため、
その日になると城下の人々は雨戸を深く閉め、覗かないよう注意したという。

実はこの行列、柴田勝家の旧臣が主人を偲ぶために行っていたそうで、
素顔がわからないよう黒い覆面をつけたため、遠目には首なしに見えたらしい。
・・・しかし、この「首なし行列」目撃の噂、昭和以降も存在したそうだ




534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/18(水) 22:47:27 ID:rqh+rgzW
ハロウィンみたいに恒例行事になっちゃったんじゃ

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/19(木) 01:16:51 ID:xrOOwz1A
>>533
「何者か」と聞かれて「勝家公の家臣である」って答えれば助かるって伝承もあるな

柴田勝家の人材募集広告

2010年08月03日 00:00

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 15:03:51 ID:ba7KRD68
天正5年(1577)の能登、七尾城の戦いにおいて、約1年の籠城の末、上杉謙信に内応した
遊佐続光、温井景隆、三宅長盛らの手により、大将の長続連をはじめとした長一族は
悉く殺され、残ったのは、織田信長のもとに援軍要請に行っていた長連龍だけとなった。

長連龍は柴田勝家の軍に属し、裏切り者に対する弔い合戦を望んだが、
一族悉く滅ぼされたため、いかんせん兵が無い。
そこで勝家は越前の大橋に、こんな札を立てた。

『長九郎左衛門(連龍)は、近々能登に発向する!
立身を望む者は、たとえ我が被官であっても構わないので、これに属し参じるべし。
能州一国、平均あることは必定である!』

これを見て元長家の牢人など、80騎ほどが駆けつけたそうである。

今風に直せば
「長連龍さんが新しいプロジェクトチームを立ちあげられました。
この新しいチャンスにチャレンジしたい方は、私の部署の人であっても構いません、
これに参加してみませんか?
このプロジェクトはきっと、成功すると思いますよ!」

という感じか。
そんな、柴田勝家の人材募集広告のお話。




473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 16:18:46 ID:pKAgmYz3
長「能登かわいいよ能登」

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 20:29:04 ID:p+sImrVV
>>473
昨日の夕方に見た某アニメで、お市の方の声優が能登だったせいで、
柴田「これから能登を攻めるぞ!」
を卑猥な意味に捉えてしまったじゃねーか

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 21:38:44 ID:lkx5hE07
>>472
結果的に加賀百万石のトップ、加賀八家の一角で3万3千石になったんだから勝ち組なんだよな長連龍。

「木下藤吉郎が大名になれたのは自分のおかげだ」

2009年12月18日 00:03

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 18:40:09 ID:sHDYFo7/
 天下統一を進める織田信長が浅井長政を滅ぼした後、木下藤吉郎(後の秀吉)を
旧浅井領の大名にさせたい意向をもらすと、木下藤吉郎に反感を抱いていた重臣の柴田勝家は
強く反対した。
しかし、信長はその反対を押し切ったので、木下藤吉郎は無事に大名になることができた。
その後、木下藤吉郎の耳に、柴田勝家が「木下藤吉郎が大名になれたのは自分のおかげだ」と
吹聴しているという噂が飛び込んできた。
 木下藤吉郎は「あれほど反対していたのになぜそんなことを言うのか?」と不審に思っていると、
同僚の丹羽長秀が「柴田は最初反対していたが、信長様がどうしても秀吉を大名にしたいと
言われると、そこまでおっしゃられるならば、と賛成に回った。もし柴田が最後まで反対していた
のであれば お前の大名就任は実現されていなかった」と解説した。
木下藤吉郎は丹羽の言いたいことを察すると、すぐに柴田勝家のところへお礼の挨拶に行った。

後に木下藤吉郎が改名する際、丹羽の「羽」と柴田の「柴」を取って「羽柴秀吉」と名乗ったのである。




271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 23:06:04 ID:8g/VNueN
>>238
羽柴の名字は大坂の陣が終わるまで池田福島細川家が使ってたな。
徳川の天下普請の時代に使ってた石切場で羽柴越中守石場と刻まれてるとか。

柴田勝家、進言す

2009年12月17日 00:12

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 23:13:35 ID:QoDS5Hvn
朝倉・浅井勢の先陣が比叡山に陣どったことに驚いた織田信長はすぐさま
比叡山に向かおうとしたため、市井の人々は大騒ぎになった。
その時、茶室で家臣が集まるのを待っていた信長に柴田勝家が進言した。

「都の大衆が不安がっております。一刻も早く将軍様のお供をして心配ない
ということを示すべきでしょう」
「そんなことは後回しだ。今はすぐにでも敵を攻撃しなければならん」
「ほほう、急ぐと仰りながら茶をすすっているのは過失ではないのですか」
「なんだと?」

信長は勝家を睨んだが、同時に勝家の言葉は道理だとも思った。
そして信長は勝家の進言を受け入れ、将軍義昭が健在であること、自分の
軍勢がいる限り心配はいらないということを人々に知らしめた。




154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 23:17:41 ID:vACryQaW
勝家って信勝から寝返った後はイエスマンのイメージだったけど
諫言した逸話なんてあったんだな~

聞き入れる信長もいい上司だ

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 23:50:19 ID:AgVk0zAH
勝家の場合は、本能寺後の秀吉との対立からか、織田家の忠臣ってイメージは
つけられているんだよね

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 23:58:50 ID:N4iI0syq
柴田勝家程度でイエスマンと言われてしまうとは、イエスマンもインフレ起こしているのなw

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 00:42:39 ID:uB+fAssq
めんどくさい三河武士の逸話読みすぎて、食傷ぎみなんだよw

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 00:51:11 ID:f6nbz+Gk
真の忠臣は主人の耳に痛い諫言をする人でしょ

姥口の釜

2009年12月11日 00:12

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 21:59:23 ID:DpvEVayF
混乱を極めた越前をようやく平定した柴田勝家は、織田信長に拝謁した。

「権六、良うやった。褒美は何が良い?」
「されば、殿ご秘蔵の『姥口(うばぐち)の茶釜』を頂戴いたしたく…」
「あれは余が父・信秀より相伝せし逸品。それを求めるならば、さらに励むべし。」
「…………」

数年後、加賀・越中をも攻略した勝家は、信長に拝謁した。
「権六、良うやった。余みずから茶を点てて進ぜるゆえ、しばし待て。」

茶室でしばらく待っていると、信長が茶釜を持参して現れた。炉にかけられた釜を見て、
勝家は驚いた。
「そ、それは『姥口の釜』!!」

♪馴れ馴れて 飽かぬ馴染みの 姥口を 人に吸はさん こと惜しぞ思ふ
(もうつきあい馴れて飽きたババアの口でも、他人がkissすると思うと惜しいモンだな)

そう口ずさみながら、みずから茶を点てた後、信長は約束通り『姥口の釜』を勝家に譲った。




21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 22:00:58 ID:RtwNTLR/
信長の歌が面白いw

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 22:20:20 ID:6dNSJ+LJ
どっかの狂犬が荒らしに荒らしまくった越前を鎮圧しても
信長にとっちゃ大手柄じゃないのか…

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 22:58:34 ID:tsk97om3
越前平定は勝家だけの手柄じゃなかったからでは?

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 23:24:31 ID:4o/mIX8J
風流な話だよな

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 23:52:14 ID:LHy9HE0x
なんかエロい歌だ

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 13:42:03 ID:KqiEQmN9
>>20
ガンガン炊いてアッツアツの釜を「このまま持って帰れ」とか言わない大殿で助かりました。

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 12:52:16 ID:asQJ5kpi
>>20

飽かぬ馴染みのってことは
馴れて飽きたじゃなくてまだまだ飽きてないんじゃないの?


64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 13:28:16 ID:PN8rP6xA
>>62
なんか和歌だか俳句だかでなかったっけか、ぬ の使い方のやつ
完了形だかなんだかの ぬ なので 飽きた でいいんだと思う
間違っている可能性大なので日本語のプロに任せるけどw

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 13:36:36 ID:asQJ5kpi
>>64

おお解説感謝、短歌俳句どころか古文にさっぱり疎いんでスレ汚しスマンです

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 15:18:42 ID:5qxNsQAK
完了形のぬだと、飽きぬ(連用形)、否定のぬだと飽かぬ(未然形)、じゃない?

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 17:56:36 ID:Hhyl5ILg
完了の「ぬ」は連用にかかるんで、未然の「飽か」にかかるんだったら
やっぱり否定の「ぬ」じゃないのかえ

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 17:58:00 ID:Hhyl5ILg
2時間遅れて被るとは迂闊w
失敬致した

柴田勝家の自害・痛い話

2009年07月30日 00:06

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 11:05:12 ID:dIFHwpcf
柴田勝家の自害・痛い話

賤ヶ岳の合戦で秀吉に敗れた柴田勝家は、
北ノ庄城で別れの宴を張り、近親の者たちと共に自害することになった。

勝家はまず正室・お市の方を初めとした女性たちを手にかけ、
そののちに「勝家の腹の切り様を見よ」と叫んで
刀を左脇腹に突き立てて右脇腹まで裂いた。

さらに返す刀で胸から臍の下に至るまで切り裂いて
五臓六腑を掻き出し、ここで介錯のものを読んで首を打たせた。

柴田の一類ことごとく滅び、城が燃え上がるのを見て
侍は言うに及ばず、野の人々、山賊にいたるまで皆涙したという。






869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 11:07:52 ID:otplQOcp
>そののちに「勝家の腹の切り様を見よ」と叫んで
>刀を左脇腹に突き立てて右脇腹まで裂いた。

切腹してすぐに死ねる人だから言える台詞だな

870 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/29(水) 11:26:57 ID:xDP6RS59
南北朝あたりじゃ切腹後に腸取り出して床に叩き付けるのが勇ましいとされてたようだ


871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 12:10:44 ID:CTZVzSOa
昔の人はすげえよな
幕末に外人が日本人の切腹を見てびびる話とかもあったなぁ

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 12:56:19 ID:uwW59LmL
北条氏照や仁科盛信、織田信孝、高橋紹運
なんかにも切腹の時腸を掴んで投げたって話あるよね
本当かどうかはわからないけど、
それくらい勇猛で怒り猛々しく死んだんだって
印象が残る人たちだったってことかな

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:03:41 ID:wEYPc/aA
首落とさずに腹掻っ捌いただけじゃ苦しくて死ねないから
早く死にたいが為に腸を引き摺り出すことがあるとか無いとか

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:05:51 ID:NdJjwAp6
そう考えると腹切りって異常だよな
中国みたいに自分で自分の首を切り落とすほうが苦しまないのにわざわざ苦しむ事をしてるわけだから


880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:09:29 ID:iYegqEgj
楽に死ぬのは現代の自殺と同じただの逃げ
あえて苦しい死に方して覚悟を云々かんぬん

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:10:44 ID:oujJWih1
ハラキリとかマジ勘弁wwww
有楽斎の気持ちがよく分かる

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:13:21 ID:17IujXw1
昔に「切腹の正式な作法は腹を十文字に切って自分で腸取り出して並べる事」
とかなんとか聞いたよーな
ちゃんと臓器ごとに分けて置くらしい
どこで聞いたんだか忘れたけど、それで外国公使が切腹に立ち会った時
どうせなら一番由緒正しい立派な死にざまを見せつけてやるわ!的に
本式のを見せられて大変だったんだよ、みたいな話題の流れで

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:28:38 ID:NdJjwAp6
幕末の堺事件のことなら切腹を不満に思った武士が大使に内蔵投げつけるって事が起こってる
(この人自分の血で辞世の句まで書いてる)
この件が切腹が西洋に喧伝されるきっかけになったと言われているな

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:46:51 ID:8ozdiK/i
腹切ってんのに辞世の句まで書くとは凄いよな。

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 13:53:16 ID:kaZ+FpGO
>>884
日根野さんが、何か言いたげにこちらに臓物を投げつけてきてますよ。

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 15:36:31 ID:pPR7UE5V
>>878
中国では春秋代に
「ある男が使者として他国に赴いている最中に主君が殺された。
 男が帰ってきたとき主君の遺体はバラバラにされ、肝だけが残っていた。
 肝に成果を報告したあと男は腹を切り、自分の内臓を取り出したあと主君の肝を納めて絶命」
という故事があったり。

887 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/29(水) 16:17:28 ID:J3n4Zxpq
>>876
丹羽長秀「いつまでも一緒にいたいと思ったので、はらわた送りつけちゃいました。てへっ♪」


柴田勝家と先鋒大将の心得・いい話

2008年11月16日 00:13

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 15:52:37 ID:sEUc/AFw
先鋒大将の心得

ある戦で、信長は柴田勝家を先鋒大将にしようとした。
勝家はしきりに固辞するも、信長があまりにしつこいので、
「それでは先鋒大将を仰せつかります」と答えた。
数日後、安土の城下で勝家と肩がぶつかった信長の家来の無礼を咎め、勝家は
その侍を斬り捨てた。
信長はその報告を聞いて激怒して、勝家を呼びつけた。
勝家は、
「だからこそ、先鋒大将の申しつけを強く辞退したのです。理由もなく辞退した
わけではありません。先鋒大将たるもの相応の威厳がないと、命令することもでき
ません。いかがでしょうか。」と答えた。
これには信長も返す言葉がなかったという。(名将言行録)




455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 15:58:41 ID:ZNYSnTuU
>>454
権六は先鋒大将じゃなかったら駄々をこねるタイプだと思ってたのにw

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 16:09:07 ID:E9ZWOYum
織田家中で俺に先鋒させないなら行かねーよなのは
佐久間佐々池田と蒲生かな

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 16:40:24 ID:uFO3SteK

あてつけに切捨てられた侍カワイソス

瓶割り柴田勝家・いい話

2008年10月21日 00:13

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 08:04:11 ID:g5Djx7e+
柴田勝家の(かっこ)いい話

1570年のこと
六角義賢は長光寺城の柴田勝家を攻撃した
柴田勢は400人程度だったが、なかなかしぶとい
義賢は城内に井戸がないことを知ったので水の手を断ち兵糧攻めにした

しばらくして義賢は講和の使者を送り、様子を調べさせた
勝家は降伏するかどうか相談するので明日まで待ってほしいと言う
さて、使者が手を洗いたいと頼むと勝家は惜しげもなく水を使わせ余りは捨ててしまった
そのため義賢はこの戦いは長くなるだろうと考えた

だが実際はほぼ水は残っていなかった
勝家は全ての水を兵士たちに分け

「皆の者、水の蓄えはこれまでだ!」

と言って水瓶を叩き割った
明朝、打って出た柴田勢は見事に油断していた六角軍を敗るのだった

これを聞いた信長は感心したので、
勝家に与えた感状の宛名を「瓶割り柴田殿へ」と記した



628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 10:03:39 ID:aNnfOL8V
>>626
脳筋のイメージがある武将でもたまにそういう機転を利かせた話が残っているよね。
三国志の張飛とかもそんな感じだ。

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 13:39:36 ID:Dg8jXN5s
>>626
お市様が「瓶を頭突きで割れる人が好き」と言うのを平手の爺様に聞いて
特訓して、瓶を割れるようなったからじゃないのか

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 13:43:48 ID:u5h8gvzF
瓶を頭突きで割れる人が好きって変な好みだな

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 13:50:09 ID:ayVQonBJ
そうやって勝家を操ってニヤニヤしていたんだよ。
お市恐ろしい子・・・!

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 15:31:00 ID:WQNbWWvY
>>630
『殿といっしょ』のネタじゃないかw

柴田勝家と利家、成政・いい話

2008年10月16日 00:35

407 名前:冬広[sage] 投稿日:2008/06/25(水) 13:07:41 ID:zaTUmH0H
男のきずなの話

ある戦で前田利家佐々成政が、二人がかりで稲葉某って豪傑を倒した。
曲がったことの嫌いな二人は、「稲葉に致命傷を与えたのはおめーだろ」って首の譲り合い
を始めるもお互い譲らず、果ては取っ組み合いの喧嘩になりそうになった。

そこに通りかかった柴田勝家が、「この首いらないの?じゃ、おれが貰う」って言って、唖然
とする二人を尻目に稲葉の首を勝手にもっていってしまった。
そして、二人は不承不承、主君・織田信長の城に帰還した。

すると、柴田が来て「利家・成政、殿がお呼びだぞ」って二人を呼んだ。
二人は「殿が何の用事だろ?」って不審に思いながら拝謁すると、上座に信長・そばには勝家が
ニコニコして座っている。
「そちたち、豪傑稲葉を打ち取ったそうだな。これは手柄である。しかも、その首を譲りあうとは
近年ない奥ゆかしいことだ。これも手柄である。いきさつはすべて勝家から聞いた。そちたちの手柄は
2つあることになるから、2人共に褒美を遣わす」って二人とも褒められた。

以後、2人は信長に一層の忠誠を誓い、粋なはからいをした勝家を兄貴と慕ったという。




408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/06/25(水) 13:46:19 ID:Fwrhh91j
権六になら掘られてもいい

柴田勝家と信長の女狩り・いい話

2008年10月16日 00:21

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/04/13(日) 23:06:10 ID:M5rKbxS9
うろ覚えなんで細部は違うかも。
寓話的だし、信長らしくないので信憑性は低そう。

朝倉氏が滅亡し柴田勝家が越前に入ったころの話。
越前国内で女狩りをする者がおり、勝家の手の者が捕らえ尋問すると
主君信長から越前の美女を集めて連れて来るように命令を受けたという。
越前はまだ平定したばかりで民心もまだ織田家になついておらず、
ここで主君の評判を落とすようなことはまずいと考えた勝家はその者を処刑、
信長には「殿の名を騙り無道を働いた者を処刑しました」とそらとぼけて報告した。
これに信長はぐうの音も出なかったという。




331 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/04/14(月) 00:02:00 ID:kyYFtFzN
>>330
一銭斬りの信長がやるかなぁ……?

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/04/14(月) 02:03:51 ID:H4CDA6lw
一銭斬りは政治的意図が大きいから越前なら別にやってもそれほど変ではないと思うな
むしろ、北陸での織田軍の動きを見ると勝家の言動の方が疑問

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/04/14(月) 05:08:16 ID:sPRE/2bv
性病が心配だし、素性の分からない女狩りはそうそう
しない気がするがな。

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/04/14(月) 05:55:19 ID:VkCeGrOK
信長は女にだらしないというイメージがないから違和感あるな。

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/04/14(月) 10:42:23 ID:0x/v80tJ
作り話にしても信長を踏み台にした勝家褒め話って珍しいね

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/04/16(水) 23:51:17 ID:7E1xM/5V
秀吉と三成や勘兵衛だったらありそうなんだけどね。