536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/17(水) 14:03:22 ID:vKdMXfzQ
サツマイモ事始
琉球王国の官士に、野国総管(のぐにそうかん)という人がいた。
1605年の事。彼が明に進貢船で使節として派遣された折、ある地方で飢饉が起こったが、
「蕃藷」と言う、外国から来た芋のおかげで多くの命が助かった、と言う話を聞いた。
そこでこの芋の苗を三品種ほど分けてもらい、琉球へと持ち帰り、故郷の野国村で栽培を始めた。
やがてその事を、琉球王族でもある儀間真常と言う人が聞きつけ、野国から芋の苗を分けてもらい、
自分の領地である垣花村にてその栽培法の研究を始めた。
琉球におけるこの芋の栽培は、少しずつ広まっていった。
数年後、琉球に大飢饉が起こった。
多くの人々が飢えて死んだ。が、蕃藷を栽培していた村では、
一人の餓死者も出なかった。
このことから儀間真常は、琉球王に蕃藷栽培の重要性を説き、その進言は容れられ
琉球全土で蕃藷の栽培が行われるようになった。
それから100年後、1705年に、薩摩国揖宿郡の漁師である前田利右衛門は、この琉球の人々が
普段から食べている芋に興味を持ち、苗を分けてもらい栽培を開始。やがてこれが薩摩全土、
そして日本全体に広がり、「サツマイモ」の名称で呼ばれるようになった。
那覇市奥武山公園内にある世持神社では今も、琉球、そして日本のサツマイモの祖である
野国総管と儀間真常が、大切に祀られている。
サツマイモ事始
琉球王国の官士に、野国総管(のぐにそうかん)という人がいた。
1605年の事。彼が明に進貢船で使節として派遣された折、ある地方で飢饉が起こったが、
「蕃藷」と言う、外国から来た芋のおかげで多くの命が助かった、と言う話を聞いた。
そこでこの芋の苗を三品種ほど分けてもらい、琉球へと持ち帰り、故郷の野国村で栽培を始めた。
やがてその事を、琉球王族でもある儀間真常と言う人が聞きつけ、野国から芋の苗を分けてもらい、
自分の領地である垣花村にてその栽培法の研究を始めた。
琉球におけるこの芋の栽培は、少しずつ広まっていった。
数年後、琉球に大飢饉が起こった。
多くの人々が飢えて死んだ。が、蕃藷を栽培していた村では、
一人の餓死者も出なかった。
このことから儀間真常は、琉球王に蕃藷栽培の重要性を説き、その進言は容れられ
琉球全土で蕃藷の栽培が行われるようになった。
それから100年後、1705年に、薩摩国揖宿郡の漁師である前田利右衛門は、この琉球の人々が
普段から食べている芋に興味を持ち、苗を分けてもらい栽培を開始。やがてこれが薩摩全土、
そして日本全体に広がり、「サツマイモ」の名称で呼ばれるようになった。
那覇市奥武山公園内にある世持神社では今も、琉球、そして日本のサツマイモの祖である
野国総管と儀間真常が、大切に祀られている。
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