兼定にも歴史に残す人物に仕える娘が

2014年10月02日 18:52

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/02(木) 16:45:36.09 ID:aa7IVZBs
武将じゃないけど更にご長寿キャラを1名投下

何かとネタにされる一条兼定
そんな兼定にも歴史に残す人物に仕える娘がいた。

崇源院(江)に仕える按察使局であった。残念ながら正式な名前は不詳である。
一条兼定を父にもち、宇都宮豊綱の娘を母にもった女性である。
彼女は1603年に千姫の婚礼の際に上洛した崇源院に仕えた。
何故彼女がそんなところにいるのかと言うと、関ヶ原の戦いによる長宗我部氏による没落で甥・政親と共に京都あるいは大和国に随伴したためであった。

その後家光・家綱と仕えたという。
そして1669年に死去したとされる。

wikiでは『彼女が生まれた数年後に両親は離縁している。』としていながらも1565年生まれとしている。
しかし、上の一文が正しいのであれば生年が間違いとなる。何故なら両親が離婚したのは1564年である。
つまり、彼女が生まれたのは実際よりもその前となる。

元来同腹の兄とされている内政が1562年(1557年説あり)なのでもしかすると内政が同腹の弟となる可能性もある。
ま、もしかしたら1561年生まれとなる可能性もあるんだけどね。

でもよくよく考えたら仮に本当だったら化け物じゃね?




937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/02(木) 16:50:19.86 ID:bp8VYrNr
一条さん家柄は問題なく良いんだっけ。家柄のいい娘ならいいところに就職はできるわなw

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一条兼定の放蕩

2013年02月01日 19:51

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/01(金) 14:54:04.30 ID:lgQ/A4q5
一条従三位権中納言兼定卿はその頃、御諱を改められ康政と号せられた。

この卿は元来から性格が軽薄であり、常に放蕩を好まれ、人の嘲りも顧みず、日夜酒宴・遊興に耽り、
男色女色しへつらいを受け、又は山河に漁猟を事とし、軽業、相撲、異相の者に熱中し、
近習の輩とは主従の隔てがなく、まるで親友同士のように肩を押し膝を組む有様であった。

ある時は男女を集めて踊りを踊らせ、その中に立ち交ざり、祭礼の場や説法の道場にも、
深編笠をかぶり頬かむりをして人々に交ざり、男に触り女にもたれかかり、様々な戯れをされていたが、
人々がそのことを知らないとでも思われていたのだろうか、外様の人々に向かっては、立ち振舞・行儀重々しく、
目を見返すことすらセず、軽々しく言葉もかけなかった。

鷹狩、巻狩などの折に、往来の旅人がそのことを知らず、傘をかぶったまま、あるいは馬に乗ったままで通りすぎようとする
者があれば、奇怪であると鉄砲を撃ちかけ弓を射かけ、又は人を駆けさせその者を打擲させた。
無礼不義を許さぬと、僅かな罪であっても許すことがなく、大小上下、心を安んずる時がなかった。

老臣である、土居、安並、羽生、為松といった人々は、主君に不義があるのを見て諫言をしたものの、
これを受け入れることもなく、慢心のままに振舞われていた。
(土佐物語)

長宗我部の立場からの記事であるが、一条兼定の放蕩についての記録である。




380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/01(金) 15:17:23.05 ID:MNSsPeLy
康政って、まんま源康政と諱がかぶるじゃないかw

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/01(金) 18:18:19.65 ID:2RXaVO+b
>>379
一条兼定ってツンデレだったのか

天正二年、一条康政(たぶん兼定を勘違い)は

2012年06月05日 21:03

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/04(月) 23:06:32.87 ID:98g3iC7p
天正二年、一条康政(たぶん兼定を勘違い)は家臣たちによって追放されるこ
とになった。

館の門を出た康政は何を思ったか、門内に駆け戻った。
そして馬上のまま、日頃愛でていた藤のもとに向かい、鞭で藤の枝をすくい
上げながら、歌をささやきかけた。

植えおきし 池の藤なみ 心あらば 此の春ばかり 咲くな匂ふな



翌年、その藤は全く花を咲かせなかった。人々は奇怪なことだと騒いだ。
そこに蜷川新右衛門さんの子孫、道馮という者が、古今の例を引いて
「草木に心は無くとも、人が愛情をこめればそれに答えるものだ」
と解説した。
歌の通り、藤が花を咲かせなかったのはその年(此の春)だけで、次の年から
はまた美しい花を咲かせるようになった。

この藤は評判になり、のちにラスボスが掘り返して京に取り寄せ(一条に植え
られ)、天皇もご覧になったという。




632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/04(月) 23:25:02.52 ID:gg6hl+Nu
>>629
心あらば咲くな匂うなに対して心は無くとも答えるってなんだかもやもやする

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/04(月) 23:32:01.99 ID:/FGGKZf4
>>629
愛情込めて咲くなと言うのはどうなのよ

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/04(月) 23:34:02.85 ID:zsEaBLwX
>>632
本人がそー思うんだから仕方ねーよ
心ありと思うも、心なしと思うもさ

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/04(月) 23:35:03.63 ID:laKVpQs2
なにそのチューリングテスト

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/05(火) 00:12:24.40 ID:KNQuwp/P
>>629
最後の1行で悪い話に見えてきたwww

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/05(火) 00:15:32.52 ID:btliQDcR
じゃぁ愛情いっぱいにドクダミを育ててみることにする。
そして葉をすくい上げながら「臭いまくれ」と…

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/05(火) 00:54:34.39 ID:FpAXEG29
>>637
ラフレシアの方が効果的

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/05(火) 01:04:38.75 ID:a/zcz1vK
>>638
日本の気候で育つのか?

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/05(火) 08:00:21.45 ID:4lDpt7zb
人の手ではまだ栽培に成功してなかったと聞いた

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/05(火) 08:50:16.85 ID:IGkpAKhq
>>637
薬マニアの権現様がアップをはじめました

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/05(火) 17:40:11.93 ID:9AcVg/yD
>>641
最終的にはアレで天下取ったような物。

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/05(火) 19:01:24.94 ID:yqckujSM
>>629
当前のごとくラスボスって書くなw

蓮池城攻防の顛末。

2009年11月03日 00:08

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/02(月) 08:50:17 ID:UaqSJ1nA
>>746-747の続き

さて、蓮池城反乱の報を聞いた一条兼定、「穏便な手段をとろうとして失敗したか!」と、
弘治三年四月中ごろ、仲平兵庫、福井玄蕃を先鋒とさせ、三千余騎の討伐軍を発進させた。

これを知った蓮池城の大平山城守はその勢一千余騎を二手にわけ、鉄砲足軽二百を
ふんぎり橋へと差し向け、残りの八百は自身が率い、橋から十町ばかり離れたところに控えた。

さて、橋へとやってきた寄せ手、そこに構える蓮池勢を見て「あの城の連中なんてたかが知れている。
あそこにいるのが全軍であろう。かまわないからひと揉みに蹴散らせ!」

と、一斉に攻撃を仕掛ける。蓮池勢は少々鉄砲を撃ちかけたくらいですぐに撤退。
これに寄せ手は、追い討ちをかけようと陣形を乱して追いかける。
勿論罠である。

追撃戦で寄せ手の陣形の乱れたのを見て取った大平はそこに突入。備えの出来ていない
一条軍は散々に蹴散らされ、多くの者が討ち取られ、戸波の城へと撤退した。

一条軍はそこで四、五日人馬を休め、再度の蓮池攻めのための軍評定を行う。
仲平兵庫申すに

「古人の言葉に、大敵を欺き、小敵を侮らず、と言う言葉があります。しかし先の戦では
蓮池の大平勢を心底侮り、不覚を取りました。こんな事が世間に広まるかと考えると、
恥辱この上ありません。
再度の蓮池攻めでまた、先のように敗軍すれば、万人に嘲笑される事でしょう。
相構えて、おのおの身命を軽んじて、以前の恥をそそぐべし!」

今度は気を入れ油断なく攻め立てた一条軍、ついに蓮池城の防衛線を突破し、城下まで
攻め寄せた!攻城戦にかかる討伐軍は大勢であり、次々と新手を繰り出し、
九日の間昼夜にわたって攻め懸けた。
が、城の兵達も、小勢ながらもとより必死の者達である。攻め寄されれば追い払い、
攻め懸かられれば追い戻す。このように戦が膠着し始めた頃、空、にわかに曇り、
雷が鳴り響いたかと思えば、たちまち空の底が抜けたような大雨となった。

さて、蓮池という土地は水に弱く、東を流れる仁淀川で洪水が起これば、たちまち
水に浸かってしまうような所であった。

寄せ手の一条軍もこの事を知っており、「このままでは洪水の危険がある」と、軍を引いた。
これを見た蓮池城の者達、この上なく歓喜したわけだが、雨のほうは直一層降り続き、
案の定仁淀川は増水で決壊、蓮池を含めた一面、海のようになった。

この頃城兵たちも「元々この城は小城だし、兵糧弾薬ももう少ない。次に敵が押し寄せたときには
流石に持ちこたえられまい。今のうちに…」


さてさて、ついに雨が上がり、これを待ちかねた一条軍、鬨の声をあげ蓮池城に攻めかかる!
…が、城内からは何の反応も無い。皆不気味に思ったが、「とにかく、四方より攻め入ろう」
と、城内に突入してみると、そこには人一人として居ない。
皆、逃げ去っていたのだ。

これに一条軍の津野何某と言うものが

 『蓮池は 花はいつしか散りはてて みはとびぬけて行方知られず』

と詠むと、寄せ手の者達これが笑いのツボに入って、皆大爆笑した、とのことである。


蓮池城攻防の顛末。




930 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/02(月) 11:04:45 ID:mz3T43MV
>>929
まあ、どちらかというと一条側がしてやられたわけで、笑ってる場合じゃないと思うし、そんなんだから… と思っちゃうよな。


931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/03(火) 02:28:36 ID:O3PTh7qo
>>930
本山も長宗我部も一条御所の勢威を軽く上回ってしもたしなぁ..

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/03(火) 15:17:46 ID:Txou6633
一条側にとってこれでいいのかも。

最後までの殲滅戦をやらかせば、相当な損害出てただろう。

土佐、蓮池城謀反

2009年10月26日 00:06

746 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 15:15:03 ID:oICP9TT8
弘治三年(1557)四月の事である。

土佐の大平山城守は一条氏に属し、高岡郡高岡郷など、四千貫を領していた。
彼の居城、蓮池城は、一条氏に敵対する本山茂宗の所領、吾川郡との境にあったため、
一条氏よりの加勢も入れられていた。

大平たちとこの加勢の者達、最初の頃はよそよそしい風であったが、やがて馴れ合うようになり、
膝を交え思った事もずけずけと語り合うようになった。

そんなある時、大平がこんな事を言った

「おのおの方はどう思われる?

中村の御所の、一条教房卿、房家卿、房冬卿、房基卿は、何れも性質正直、温和にして慈悲深く、
万事倹約を守り、民の費えを嫌われていたものだが、
今の兼定殿は何事も我意に任せ、放逸無慚の御行跡であり、このままでは、行く末
おぼつかない。

どうやら一条家も末になったと思う。このままでは、やがて長宗我部か山本あたりに
その権を奪われてしまう事、疑いない。
皆もあらかじめ、覚悟をしておいたほうがいいぞ?」

これに加勢の番使たちも、「我等もそう思う」と同意した。

最後に大平は小声になって「これはあくまで、隔意の無い雑談であるから、構えて
他に漏らさないようにな。」と、囁いてこの話は終わった。

さて、内緒にするようにと言っても、そうは行かないのが世の常である。
番衆の中にいた船戸左衛門は、常に大平とはそりが合わず、何事にも対立していたのだが、
この雑談を聞いて『これこそ!』と喜んだ。

船戸はにわかに病と称して、町屋で治療をするといって城を出、中村御所へとこれを密告、
その後、さにあらぬ体で蓮池城に戻った。

さて中村御所においての評議では、蓮池の者ども逆心明らかであり、これを討伐すべきとの
声が上がった。これに土井宗三申し上げるは

「今討ち手を出せば、我らが番手に派遣している者達も、一緒に籠城してしまうでしょう。
ここは番手の交代をすると言って、城から出てきたところを皆首を刎ね、蓮池の兵を
少なくし、その上で討伐の軍を派遣すべきでしょう。」

評議の者達これに同意し、早速に偽の交代兵を派遣した。

747 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 15:15:53 ID:oICP9TT8
番兵の交代の事、蓮池城にも報告されたが、とたんに、不審の念が出た
「番兵の交代は通常十月のはずなのに、今はまだ四月。何か変更がある場合は
先だって理由の説明があるはずなのにそれも無い。なにか秘密があるのではないだろうか?」

城内でこのような議論になり、密告をした船戸左衛門は、事が発覚したときの
自分の身の危険を感じたか、にわかに逐電をした。

これに蓮池城の人々は驚き、「船戸はかねてから我らと仲が悪かったが、さては先日
病と称してしばらく城を出ていた事。あれは、あの雑談を中村に密告したのだな!
それでわかった!代兵はわれらを謀り殺すための者に違いない。」

そうはいくかと、皆集まり詮議した。

さて、それから程なく代兵たちが到着。蓮池城の者達は大いに歓迎し
「遠方よりご苦労でございました、暇乞いの杯が用意してあります。どうぞこれを。」
と、珍味を並べた膳を出し、酒を勧める。

そこは土佐である。代兵たちもその使命は言い聞かされてきたものの、酒を出されて
飲まぬわけには行かない。進めるほうもたいへんな大盃で出してくる。
これに皆、前後不覚になるまで酔っぱらった。

「頃は良し」

蓮池の者達、ここでにわかに刀を抜くと、代兵たちの首を残らず打ち落とした。
さらに別室に控えさせていた代兵の下人たちをもなで斬りにすると、城の周りの堀を深くし
逆茂木を並べ、籠城の構えを作ったと言う。


この後起こる一条の討伐軍と籠城衆との戦いも、相当の紆余曲折を経る事になるのだが、
それは又別の話。




続き
蓮池城攻防の顛末。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3095.html

一条兼定と、お雪

2009年06月25日 00:02

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 17:20:52 ID:tF5aaT40
元亀2年(1571年)頃、一条兼定は鬱々と過ごしていた。
長宗我部元親の排除に失敗し、日々一条氏の勢力を浸食されていたからだ。

あるとき彼はこの欝を晴らそうと鷹狩りに出た。その帰途、喉が渇き、
平田村(現宿毛市平田町)の百姓源右衛門の家に立ち寄り、茶を所望した。
しばらくして源右衛門の娘、お雪が茶を運んでくる。
兼定はこの娘の可憐さに、たちまち心を奪われた。

彼はこのお雪に、一首の歌を詠んで渡した。

 汲みてこそ水はやさしきものと知る 流れの末に逢はんとぞ思ふ

これを読んだお雪は、兼定の意を知り、歌を返した

 谷川の水はやさしきものなるに 君が情けをくみて知らるる

この日から、兼定はお雪の恋の虜となった。
彼は毎日のように鷹狩りと称して平田に行き、源右衛門の家に泊まった。
やがて平田にはお雪の為の立派な屋敷まで建てられ、人々はこれを「平田御所」と呼んだ。

「平田御所」に入り浸る兼定に、一条家の心ある家臣たちは眉をひそめ、家老、土居宗珊は
「せめてお雪を、政庁である中村御所にお召しになってください!」と諫言したが。兼定は
「政務はお前達がいいようにすればいい!」と、聞く耳を持たなかった。
他にも諫言する者たちがあったが、それらは皆、閉門を命ぜられた。

これに土居宗珊はついに、一命を賭す決意をする。中村御所にいた兼定の許に行き

「遊蕩を止められるか、この宗珊の頸を刎ねるか、いずれかを選んで頂きたい!」

この頃土佐に、『土居宗珊は長宗我部元親と謀り一条家への謀反を企んでいる』そんな噂が
流れていた。おそらく元親が故意に流したものだろう。無論兼定もこの噂を知っていた。

兼定は土居宗珊を手討ちにしたのだ。

これに一条家の家臣たちは衝撃を受けた、安並、羽生、為松の三家老は申し合わせ、
平田に向かう途中の兼定を捕らえ、中村御所に幽閉。その上で隠居を強要し、
当時僅か14歳の嫡男、内政を家督に据えた。クーデターが起こったのだ。

お雪は兼定が幽閉された事を知ると絶望し、

「再び見奉らんことも叶うまじ、生きて物思わんよりは」

と、平田の淵に身を投げたと言う。

後に水田となったお雪が身を投げた場所には、「南無阿弥陀仏」と書かれた供養塔が、
今も立っている。




648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 17:45:09 ID:Cwl0vrwS
コウモリさんの策だったのでは?

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 19:05:23 ID:mPf4hIIK
>>648半分はね。
硬骨漢で忠臣の土居さんと兼定がモメたら、どう転んでも損にはならないし

でも最初、平田御殿の件は単なる一条御所(国司家の通称)がやらかした放蕩浪費だっしょ

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 19:24:22 ID:l37p1mvK
百姓の娘って言っても歌が上手いなあ。


一条兼定、暗殺事件

2009年06月23日 00:05

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 18:37:13 ID:z9VOiktW
天正三年、渡川(四万十川)合戦で長宗我部元親に大敗をした一条兼定は、
その後宿毛にて抵抗するも長宗我部勢の猛攻の前についにこれを放棄、伊予国戸島へと
逃れた。

しかし、この戸島において兼定は、当地の領主、法華津氏の援助を受けながら一門や家臣団を
糾合。再起の体制構築を進めるとともに、宿毛、平田の反長宗我部勢力を扇動。
元親にとって、重大な脅威となりつつあった。

そこで元親は、かねてから内通していた一条兼定の側近、入江左近を呼んだ。

「兼定公を暗殺して欲しい。」

目的を果たせば莫大な恩賞を与える。入江はこれを承諾した。

数日後、入江は戸島の兼貞の許に現われた。
「御家再興の為、どうぞ私にも力添えをさせてください。」

兼定はこれに大いに喜び、自分に仕えた者たちの消息の話などしながら、
深夜まで歓談したと言う。

やがて寝所に下がる。深夜、入江は兼定の寝室に忍び入り、寝ている兼定に斬りつけた。

手応えはあった。四国軍記によるとこの時兼定は、入江の二の太刀で左肘を
断ち切られたとのことである。

それでも兼定は反撃をし、一太刀を浴びせかけたがかわされた。入江は逃げ出し
海岸に用意しておいた船に飛び乗ると、そのまま沖へと漕ぎ出した。
騒ぎに気づいた兼定の家臣たちが追いかけたが、他の船のとも綱が全て切られており、
どうすることも出来なかった。

そして入江は無事元親の許に帰り、一部始終を説明した。すると元親は

「主君を斬ったような大罪人は、生かしておけぬ。」

と、入江を即刻打ち首にした。

兼定は重症であったが一命は取りとめ、その後八年生き、天正十三年、秀吉による四国征伐のさなか、
「南方にある元親の居城を睨み、憤怒しながら」その生涯を閉じたと言う。

一条兼定、暗殺事件の顛末。





570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 18:40:40 ID:xUo2aow6
>>569
なんか長宗我部ってこんないつわばっかだな

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 19:16:47 ID:pz4U3QP5
むしろ兼定が意外と有能な事に驚いた。
いや、有能じゃなきゃ土佐帰還後に豪族を糾合出来ないんだけど、イメージがね。

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 19:21:38 ID:FhvLkG82
反長宗我部勢力が神輿として担いだだけとも考えられる

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 19:34:39 ID:Zv9qF4NA

>>569
何気に暗殺屋なんだよな元親

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 19:49:01 ID:PM3s1jvj
>>569
直家「まだまだだな・・・」

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 20:15:33 ID:WxOSnuhx
>>574
そうだよな、直家みたいにヒットマンを厚遇しなきゃあ
次のアタックの時、なり手がいなくんらるもんね

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 21:12:48 ID:lLdoTXdX
大事な暗殺は他人任せにしちゃ駄目なんだよ