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親実派の怨霊

2014年04月26日 18:49

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/26(土) 04:25:13.55 ID:iOXbuZnl
親実派の怨霊

天正16年10月、長宗我部元親の怒りを受けて吉良親実が小高坂で切腹をした

この夜親実は小高坂の下村某という侍の家で碁を打っていた
すると元親の使いという者が現われ「殿(元親)の命である。今宵腹を召されよ。我等が検分と報告を承った」
と親実に主命である事を告げた

親実は打ちかけの碁石を置くと
「私は殿(元親)が過っている時には諫め正すのが務めであった。だが心無き者らが殿を誤らせ、
この私を殺そうとしている。長宗我部家もこれまでか」と腹を切り、腸を掴み出した処で首を落とされた

しかし元親の怒りは親実の切腹だけでは収まらなかった

数日の間に親実と親交深かった者や親実の旧臣ら七人が主命の下に続けて弑された



それからしばらくの事
小高坂や親実の墓の辺りに夜毎に人霊が現われるようになった

また小高坂では首のない侍が白馬に乗る様や、僧形の巨人が闇夜を歩き回る姿が目撃された

物の怪を見た者は日を置かずに高熱に犯され、いたるところで大病人や変死者が続出した

親実の処刑を元親に讒言したとされる久武親信の家にも変事が続き
八人の子が次つぎに発狂して七人までが死に、親信の妻も悲嘆のあまりに自害をして果てた

人々はこれを罪なく命を奪われた親実派の怨霊の業だと囁きあった

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/26(土) 04:45:48.00 ID:iOXbuZnl
まとめの

吉良親実と「七人ミサキ」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2288.html

久武親直の讒言と吉良左京進親実の祟り
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2370.html

とは微妙に異なる話

他に怨霊を恐れた元親が親実の葬儀を行ったところ
親実と家臣らの位牌が踊り出したり宙を舞ったり、
空から親実らの笑い声が聞こえてきたりする逸話などが複数ある模様




96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/26(土) 07:13:02.49 ID:pYbjAHw+
久武が悪く書かれ過ぎだな
実際は元親の更年期障害が原因だというのに
悪者は主君ではなくいつもお側にいる忠臣

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/26(土) 10:06:08.32 ID:AFZuOKes
えっ、親直じゃ無くって親信なのか?

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/26(土) 11:12:52.59 ID:iOXbuZnl
>>97
うん。大高坂←→小高坂とか、讒言の内容も甥・姪の婚姻は不吉だとか盛親への家督相続は
長幼の序に逆らうだとか、久武と吉良の善悪の扱いが異なったり、吉良が掃討されなきゃいけない程
家中で強い権力をもってたとか、
吉良の墓は土まんじゅうに塔婆を立てた粗末なもので柵で隔離されてたとか、位牌が7~8並んで行進したとか、
関連人物名が違うとか

派生型がそこそこ出てくる

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まだまだ祟るよ!!吉良左京進親実の怨霊

2009年07月05日 00:03

991 名前:続・久武親直と八人みさき[sage] 投稿日:2009/07/04(土) 16:23:47 ID:0RBfpCEO
では埋めついでにもう一件、八人みさき関連を。
まだまだ祟るよ!!吉良左京進親実の怨霊のお話。

吉良親実他八人の怨霊話が噂になっていた頃、久武内蔵助親直の従兄弟にあたる
五月新三郎はある晩、用があって小高坂へと向かい…吉良親実の屋敷の傍を
通っていった。月が朧に煙る、静かな晩だった。

ふと路傍を見ると、歳の頃十六~十七ほどの若い娘が立っている。
こんな暗闇夜の寂しい道に、若い娘が一人居るなど尋常ではない。

新三郎>>『よもや物の怪の類ではあるまいな。』

だが、娘の身なりを見れば良い着物を着ており、色白く綺麗な娘である。
何か困っているようにも見えたので、声を掛けたところ…娘はぽつぽつと
自分の身の上を話し始めた。
聞けば、娘は秦泉寺縁の者で、先年に国沢へ嫁いだが、夫に愛人が出来て捨てられたという。
思い切って身投げでもして死んでしまおうかと考えたが、秦泉寺に残された
母の事を思えば思い切ったことも出来ず、最後に母と一目会ってからと
国沢を抜け出してきたとのことで…今は足をくじいて動けず、追っ手も来るだろうと
おびえていたという。その事を話している娘の顔の妖艶さに、新三郎は情をかけてしまい

新三郎>>『ならば拙者が秦泉寺まで送ろう。足をくじいたと言ったな。
     拙者が背中に負ぶっていくから、乗るが良い。』

さて、遠慮がちな娘を背負っていざ秦泉寺に向かおうとしたが…どれだけも
しないうちに背中が重くて動けなくなった。不思議に思い、振り返ってみると…。

そこには鬼の形相をした化け物が乗っていた。頭から生えた二本の角が月光で煌いている。

新三郎>>『おのれ妖怪ッ!!』

豪胆な新三郎は鬼を振り落とし、腰の刀を抜いたが…次の瞬間、首根っこを引っ掴まれて
宙空高く放り投げられてしまった。そのまま、ちかくの田圃の畦へと墜落。

新三郎が意識を戻したころには鬼の姿はなく、夜空は明けかけていた。
不気味な体験だったと背中を震わせた新三郎、立ち上がって刀を拾い
元の道に戻ろうとしたが…運悪く、道の向こうから駕籠が来るのが見える。
田圃に落ちたおかげで泥だらけになった格好、こんな姿を見られるのも、と思ったが
細い一本道のため交錯も出来ず、隠れる場所もない。そのまま田圃の畦で
駕籠をやり過ごそうとしたが…駕籠の簾は上がっており、すれ違った瞬間に乗っていた者と
目が合ってしまった。新三郎は乗客の顔を見て、魂を失った。

吉良親実>>『おぉ、五月新三郎殿ではないか。ご 健 勝 そ う で 何 よ り だ な ? (il゚Д゚)』

その声を聞いた途端、五月新三郎はバッタリと田圃に倒れ伏せ、死んでしまった。

久武親直に謀殺されたのに、祟ったのは親直の子とか嫁とか従兄弟とか。
そんな吉良親実の(恨みの晴らし方とおどろおどろしさが)悪い話。





993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/04(土) 16:31:31 ID:/4ICdIY/
なんつーか…
直接呪い殺さずに、周りの人間を呪い殺してじわじわ追い込むとか、
マジ吉良さんシリアルきらー

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/04(土) 16:38:11 ID:XPjETLdV
当人を殺すのは簡単で、苦しみはその時限り
周りを殺した方がより苦しむと思ったからだろう
相当な恨みだな…

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/04(土) 16:41:36 ID:Jyl6ADk0
こう言っては何だが武士の怨霊らしい知略と猛々しさを感じるわ

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/04(土) 16:54:52 ID:oa6W4vIF
>>991
新三郎、死んだはずなのに話が伝わる・・・
これも祟りか!? ((;゚д゚))ガクガクブルブル



関連
吉良親実と「七人ミサキ」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2288.html

久武親直の讒言と吉良左京進親実の祟り
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2370.html


吉良親実と「七人ミサキ」

2009年06月24日 00:01

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 00:10:12 ID:1JqUPshB
親徳川派だった津野親忠(盛親庶兄)が家督を奪おうとしている、と
讒言したとか。その前にも、吉良親実謀殺の首謀者とも。
この呪いで有名なのが七人みさき。
兄の親信は元親への遺言、
「弟を取り立てれば、必ず御家に災いをもたらすので跡目にしないで下さい」

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 00:59:53 ID:an6pn6dX
七人みさきって関係あるの?




596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 11:59:21 ID:1JqUPshB
>>586
まとめにも載ってなかったようなので

吉良親実は従弟の長宗我部信親の死後、長宗我部家督に元親の次男・香川親和を推し、
四男盛親を推す元親と対立し、切腹を命ぜられた。そのときに家臣たち7人も殉死したが、
それ以来親実の墓所に様々な怪異があり、日を経るごとに大高坂城下にまで現れるようになった。
人々はこの怪異を「七人ミサキ」と呼び恐れた。「七人ミサキ」とは、親実に殉死した吉良彦太夫、
勝賀次郎兵衛、宗安寺真西堂、永吉飛騨、城内太守坊、日和田与左衛門、小島甚四郎の
七人を指すという。
親実自身が入っていないのは、その名前を口にすることを禁忌としたためらしい。(親実を入れると八人)

兎も角、親実らの怨霊は生前の敵を祟り始める。この仇敵こそ吉良親実と比江山親興を
死に追いやった黒幕、久武内蔵助親直である。なんと親直の子供達八人中、七人が
亡くなったのである(末子一人が生き残っている)。
さらにこの多重死を目の当たりにして、親直の妻も精神に異常をきたし自害。

これらの怪異の報告が毎日のように届けられる状況を憂慮した元親は、
国分寺において法要を執り行ったが
効果はなく、最終手段として吉良親実を神として祀ることに決め、
木塚明神を建立、現在の吉良神社の縁起となった。
この後は「七人ミサキ」の怪異は現れなくなったという。




597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 17:33:14 ID:C15+a5zO
四国も九州みたいに海外貿易出来てたら
ちょっとは違ったかもしれないなぁ

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 17:42:23 ID:WodkEIv0
七人ミサキと聞いて『孔雀王』を思い出した俺はもうおっさん

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 17:53:16 ID:4NZO5LSn
「七人ミサキ」は少し前の「宗像教授~」でも扱ってましたねw

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 18:19:40 ID:V0zlt9yd
八丈島には七人ぼうずって話があるんだっけ
大体似た話らしいが……



久武親直の讒言と吉良左京進親実の祟り
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まだまだ祟るよ!!吉良左京進親実の怨霊
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