肝付兼太さんについて、そして肝付兼三の顛末

2009年06月26日 00:14

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 15:59:03 ID:s9G3LJzz

「スネ夫」役だった肝付兼太さんの本名って兼正(かねまさ)なんだよな
通字を使ってるのもそうだが昔の武家みたいなお名前やね
鹿児島市生まれらしいが上京して出身校は帝京高校だそうだ

アーケードゲーム、クイズマジックアカデミー(QMA)のアニメ&ゲーム問題で
肝付兼太さん連想クイズの設問の一つとして「薩摩藩家老の子孫」って表示されてたり。

まぁこれが本当ならば肝付本宗ではなく庶流の兼光流
戦国期で言えば加治木を領していた兼演-兼盛-兼寛-(兼三)-兼篤の系統
後裔はかの小松帯刀を輩出した家格一所持の喜入領主

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 16:06:36 ID:s9G3LJzz
で、若干どころか大幅にスレ違いだから強引に上記の庶流肝付氏に話に戻すと

32歳で死去した兼寛の後の6代当主を相続したのは養子の兼三。伊集院忠棟の三男だった
兼寛の弟の兼篤はこの時まだ若年で、子のいなかった兼寛からの家督の継承は
スムーズにいったらしい
とは言っても兼三も5~7歳なので大概だが。
(ついでに忠棟は他にも五男も頴娃家へ送り込もうとしてたりする)

兼三は10歳のとき(1595)に加治木から転封で喜入郷を賜り、
5500石あまりを領し順風満帆の人生だった。
実を言うと1598年まで続いた慶長の役の間に父の忠棟らが薩摩大隅の太閤検地を主導して
朝鮮出兵中で主のいない各家を領内で転地・転封しまくっていたのだ

留守の間に先祖代々の土地から引き剥がされることとなった各地の領主はそりゃもう怒った怒った
1599年に伊集院忠棟が朝鮮から戻った島津忠恒に伏見で手討ちにされ、
その後伊集院一族が蜂起した庄内の乱が勃発するに及び兼三は肝付家を離れることとなる…
喜入肝付家は兼篤が継いだ

そして乱の収まった直後の1602年、すぐさま忠恒により暗殺。兼三17歳の若さであった。
肝付氏の話を書いたつもりだったが……忠恒が悪な話?でいいのか?




673 名前:641[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 18:16:55 ID:vZp2N3Kl
>>672
凄く詳しい話ですね、サンクス!
当時の常識だと、領内の揉め事の火種を消すってのも、当主の役目だから
一概に忠恒が悪いとは…
忠棟=意地が悪い
兼篤=運が悪い
忠恒=間が悪い

かな、個人的に。でも彼は色々暗殺しまくってるからな。
それに亀寿姫の件もねぇ…


674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 18:40:29 ID:x82uxB0C
直家「そうそう・・暗殺はよくないぞ!!」

675 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/25(木) 18:47:38 ID:UM73WblF
久秀「暗殺なんて酷すぎる!」

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 19:22:09 ID:tkYs3VGa
>>672
なんかドロドロだな薩摩藩('A`)

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 19:28:41 ID:45gTEMVr
>>676
まあそのドロドロなのを粛清しまくって力ずくで押さえ込んで、近世薩摩藩を作ったのが
忠恒さんなわけで。

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 19:32:24 ID:87GC/j2m
力づくでもやらなければいけない事をやりきって泥を被った・・・あれ、名君じゃね?




と、思ったが執拗な嫁いびりとか東郷さん襲撃事件とかどうしようもないので気のせいだった。

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 19:38:59 ID:rCSAwqB3
>>674
>直家「そうそう・・暗殺はよくないぞ!!」


>>675
>久秀「暗殺なんて酷すぎる!」

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   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (・∀・∩<そうだ!手討ちにしよう!
    (つ忠恒丿 \___________
    ⊂_ ノ
      (_)



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