745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/04/15(土) 14:51:50.33 ID:oiuiA72G
放し囚人(めしうど)を討ち取る時、家の内、或いは外であっても、これを討つ者たち各々がかかった所で、
誰であっても最初にかかって切り結び、かかりつつ引きつつ、乱れて勝負をする時、脇や後ろから別人が
寄ってきて、刀、又は長道具、弓などでその科人を殺した場合、定めてこの殺した者が、放し囚人を仕留めたのだ、
とされるのは大きな非議である。
何故かと言えば、討つ相手に対して打ち手の者たちが寄りかねる所を。抜き出てかかる心というものは
優れており、その上切り合ってるところであれば、横からでも後ろからでもかかるのはやりやすいものである。
であるので、始めに先ず切り合った人の手柄を一番とする。二番目は殺した者だが、これは始めに勝負いたした
者に続いての手柄である。
このことについて、人がかからぬ時に一人勝負を始める意地は、人に優れてやさしく、こういった人物は
合戦、競り合いの時でも、放し討ちでこのようである以上、定めて一番鑓をするであろう。
さて又、人に戦わせておいて自分はやりやすい場所に参るような者は、先の人物から、はるばると間のある
意識である。故にこれを「ほそ心ばせ」と呼んでいる。
これは昔から今に至るまで、武士の作法である。
そのように馬場美濃守馬場美濃守(信春)が申し定めた。
『甲陽軍鑑』
放し囚人(めしうど)を討ち取る時、家の内、或いは外であっても、これを討つ者たち各々がかかった所で、
誰であっても最初にかかって切り結び、かかりつつ引きつつ、乱れて勝負をする時、脇や後ろから別人が
寄ってきて、刀、又は長道具、弓などでその科人を殺した場合、定めてこの殺した者が、放し囚人を仕留めたのだ、
とされるのは大きな非議である。
何故かと言えば、討つ相手に対して打ち手の者たちが寄りかねる所を。抜き出てかかる心というものは
優れており、その上切り合ってるところであれば、横からでも後ろからでもかかるのはやりやすいものである。
であるので、始めに先ず切り合った人の手柄を一番とする。二番目は殺した者だが、これは始めに勝負いたした
者に続いての手柄である。
このことについて、人がかからぬ時に一人勝負を始める意地は、人に優れてやさしく、こういった人物は
合戦、競り合いの時でも、放し討ちでこのようである以上、定めて一番鑓をするであろう。
さて又、人に戦わせておいて自分はやりやすい場所に参るような者は、先の人物から、はるばると間のある
意識である。故にこれを「ほそ心ばせ」と呼んでいる。
これは昔から今に至るまで、武士の作法である。
そのように馬場美濃守馬場美濃守(信春)が申し定めた。
『甲陽軍鑑』
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