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多田満頼、久蔵、天下に名をはせた勇者の物語・いい話

2009年01月04日 00:06

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 16:19:28 ID:pCwaVxZQ
武田信玄の家臣に、美濃出身の多田満頼と言う武将がいた。
合戦に臨むこと二十九度、身に二十七の創を負い、感状を受けること二十九度という
紛れもない勇者であった。

信玄が上田方面に侵攻し、一帯の砦を次々と落とした際、満頼に虚空蔵山の守備を命じた。
ところがこの虚空蔵山に、夜な夜な火車鬼と言う妖怪が現れ、兵たちを悩ませ戸惑わせると言う
事態が起こった。
ある夜、満頼が見張っていると、この火車鬼が現れた。そこで満頼はすばやく抜刀しこの妖怪に
斬り付けると、悲鳴を上げたちまち闇に消え、それ以来火車鬼は姿を現さなくなった。

一説にはこの「火車鬼」とは、戦乱に乗じてその地域一帯で火付け強盗を働いていた夜盗の
頭目であった、とも言う。
ともかく、この武勇談とともに、多田満頼の名は天下に響き渡った。


さて、永禄六年(1563)、満頼は病死し、その後を子の久蔵が継いだ。
この久蔵もまた、父の名を辱めぬ勇者として高名を成したが、天正三年(1575)五月、
長篠の合戦の折、奮戦むなしく敵に生け捕られてしまった。
その折の姿が裸に緋緞子の下帯と言う異様なものであったため、それを見た信長は
「おぬしは何者か?」と尋ねた。
彼は傲然と胸を張り、「美濃国の住人、多田久蔵なり」と答えた。

信長は手をたたいてこれを喜び

「お主が火車鬼退治の多田満頼の息子か!よいか、縄目を受けたのは決して恥ではない。
悪源太義平の例もあるではないか。また、美濃の者と言えば我が織田家の身内も同然である。
これより後は、わしに奉公するがよい。」

そう言って近習の長谷川秀一に縄を解かせた。
すると久蔵は近くにあった槍を奪い取り、たちまち周りにいた4,5人を突き殺したが、取り押さえられ、
長谷川によって首を取られた。

差し出された首を見た信長はしかし、彼の死を深く惜しんだという。


親子二代、天下に名をはせた勇者の物語。



769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 17:46:10 ID:JtLJqG1F
>>764
信長ってガチムチ好きだから
良い待遇で召し抱えてくれそうなのに・・・
プライドの問題か

それよりも何で裸だったんだよw

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 18:32:37 ID:4I1FtkiC
>>769
戦意を挫くために、捕虜の鎧、軍服を剥ぐのは常套だが?

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 21:01:29 ID:TGeWBlgN
そこでほいほい信長に臣従しちゃったら値打ちが下がるな。

783 名前:バロン曽志崎[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 03:01:17 ID:gGqYPWD2
藤堂高虎の家来・桑名吉成の甥に善兵衛という者がいた。
大坂の陣では真田信繁の部隊にいて、真田丸では褌姿で下知していた。
諸人があまりにも注意するので、しかたなく兜だけを着ける事にした。


784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 03:24:53 ID:XVdAqA46
兜だけはらめぇえ


昔学校の近くで手拭いかぶったマッパのオッサンがでたの
思い出した。

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 10:22:51 ID:wwQuQyK4
>>784
裸にネクタイみたいなものか。
ある意味正装w

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 19:24:33 ID:HkIrpf2e
>>789まさに武士の正装w
「失敬な!士道のたしなみとして、褌に兜は身に付けておるわ!!」ドコノBBCコントディスカー


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