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岡野紅雪という人が有り

2021年05月06日 19:02

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/06(木) 15:12:03.47 ID:3pTNnCr4
岡野紅雪(板部岡江雪斎)という人が有り、彼は現在の、岡野孫九郎の先祖である。
この江雪斎は小田原北条家の旗下であり、小田原落城の時、彼は生け捕り縛められ、
秀吉公の御陣に連行された。

これを聞いて秀吉公は仰せになった、「真田御陣の時(名胡桃城事件の事か)、この岡野は
表裏第一の不届き者であった。磔にも致したい者である。様子、委細を尋ねよ。」

そこで使いを以て尋ねると、江雪斎は
「この事は人伝えではなかなか申し上げられる事ではない。直に申し上げる。」
と、縄を取って引き立てるよう要求した。
この事を秀吉公はお聞きに成り、「苦からず」と、彼を御前に召し出した。
そして一々にお尋ねになったが、江雪斎はそれら一々に申し訳を仕り、そのため一命は
お助けと成り、秀吉公の御咄衆と成った。

ある時、京都に於いて能の御興行の時、秀吉公に家康公が仰せに成った。
「小田原北条は、関八州の大将なれども、久しく城で堪える事が出来ず、わずか百日ばかりにて
落城し降参しました。本来ならこのような時の御物語の相手にも成るべき者であったのに、
籠城したにもかかわらず、不甲斐なく百日ばかりにて落城したのは、非常に残り多きことです。」

この時、かの江雪斎がその末座に有り、罷り出て申した
「天下の人数を引き受け、北条であればこそ、百日も持ちこたえたのです。その上あの時は、
北条が第一に頼みにしていた家康公にも見放されており、そうであった以上、仕様も無かったのです。」
と申した。

これに秀吉公からの返答もなく、家康公も言葉もなかった、という。

烈公間話



151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/06(木) 18:22:57.84 ID:e/D2hHJL
うわぁこいつくうきよめよ

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/06(木) 20:42:16.07 ID:K6sXGfC5
いかにも弁舌の人

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/07(金) 10:55:01.07 ID:a2A2XpA5
信長の野望でなんか名前長くて政治に使える人だ

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/07(金) 14:25:21.65 ID:s81hAZ4r
豊臣徳川側の史料ばかり残るから
家康は巻き込まれてはたまらんと必死に氏政・氏直上洛交渉してたように見えるけど
交渉の過程では北条(江雪)側に、家康は結構ムシのいいこといってのかもしれんな
「第一に頼みにしてたんだけど土壇場で見放された」とわざわざ一言言いたくなるぐらいには

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/07(金) 15:12:10.04 ID:C4fPMGID
これだけ骨のある人は口説の徒とは呼べないな

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/08(土) 01:05:46.45 ID:9hD7S84G
「秀吉に直接言うわ」って返答に対し、秀吉が激怒して江雪を詰問、
江雪はあくまで主君氏直を辱めない返答をして感心された
って流れの本もあるしな

「北条雑魚でしたね」って家康の話の振り方がまずい
こうなると江雪としては黙っちゃいられない

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/08(土) 15:07:58.15 ID:xqDxwrce
見放したって言うけど散々上洛を勧めたのに応ぜず面目を失わせた雑魚が悪い
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その時、秀吉公も返事は無く、家康公も御言葉は無かった

2019年08月21日 16:16

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/21(水) 15:08:53.88 ID:j7HsFu40
岡野紅雪(板部岡江雪斎)という人あり。これは現在の岡野孫九郎(貞明)の先祖である。こ
の紅雪は小田原北条の旗下であった。小田原落居の時に紅雪は生け捕りで縛められ、秀吉公の
御陣にいた。

秀吉公は仰せられて「そもそも真田御陣の時、この岡野は表裏第一にして不届き者であった!
磔にも致したい者である!(真田御陣の時の)様子委細を尋ねよ!」と、御使をもって尋ねな
さった。紅雪は曰く「この事は人伝では中々申されぬことです。直に申し上げたい」とのこと
で、縄を取って引き立てた。

これを秀吉公は聞こし召され、「苦しからず」と御前へ召し出されて一々を御尋ねなさると、
一々を申し開き仕ったので命を御助けなさり、御咄衆になっておられたという。

ある時に京都において能を御興行の時、家康公が秀吉公へ仰せられて、

「小田原の北条は関八州の大将ですが、長く城も持ち堪えられず幾百日ばかりで落城しました。
降参していればこのような時に御物語りの相手にもなるだろうに、不甲斐なく百日ばかりで落
城したのは心残りの多いことです」

と仰せであった。その時に紅雪は末座にいたのだが罷り出て申し、

「天下の人数を引き受けた北条なればこそ百日は持ち堪えたのです。そのうえで第一の頼みに
存じていた家康が見放し申し上げなさったのですから、やり様もないことです」

と申した。その時、秀吉公も返事は無く、家康公も御言葉は無かったのだという。

――『烈公間話』

太閤能『北条』の時の話だったりして



331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/21(水) 17:09:24.18 ID:Xyh7xlrF
>「天下の人数を引き受けた北条なればこそ百日は持ち堪えたのです。そのうえで第一の頼みに
>存じていた家康が見放し申し上げなさったのですから、やり様もないことです」

まったくの事実だが、家康も秀吉も黙らされた話って珍しいなw

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/21(水) 18:29:25.10 ID:Nl8+tmX0
どこまで名前かわからない人か

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/21(水) 19:18:26.99 ID:KUwKnP2Z
>>330
痛快だなw

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/22(木) 00:41:05.20 ID:aOfLDkKJ
えらい胆力のある人だね

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/22(木) 09:07:29.18 ID:sq2PUUTe
>>332
すぐ近くに別の雪斎がいたからなw

やもめ女とやもめ男

2016年09月02日 19:56

142 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/02(金) 04:57:31.31 ID:Esn9Ugfg
やもめ女とやもめ男

ある日、上野の国の吉村の男が女に頭を棒で殴られ血を流したと訴えてきた。

男は「それがしは男やもめであり、この女もやもめであります。私達二人は同じ里の近所に住んでいて、
この女の家に夜な夜な通って情を交わしておりましたが、この女は別の男ともつきあい、
それがしを嫌い始めて泥棒呼ばわりして棒で頭を叩いてきました。
しかしそれがしは決して泥棒ではありませんから、無実を訴えに来たのです」と言った

女は「男と会ったことは無く、この男が夜中に家の戸を破って入ったので泥棒に間違いありません」と言った。

男はこれを聞いてもさしたる変化も無く、目もすわっていて受け答えもよどみがない。

結局どちらが正しいのかはっきりしないでいた。

そこで奉行の板部岡江雪斎が「やもめの男女を裁くのは珍しい事だ。両人とも証拠を示せ」と言った

すると女が「私は三年前に夫を亡くして、その時から理由の分からない腫れ物が出来ています。
医者曰く、これは「開茸」と呼ぶそうでなかなか治りません。
これを他人に見せるのは恥ずかしいので、それ以来男と付き合うなどと思った事がありません」と答えた

男は「しかし、女に腫れ物があっても寝起きは容易にしています」と返すと女は大笑いして

「私の体には腫れ物なんてありません!わざと嘘を言ったのです」と言った。

そのとたんに男は顔色を変え返答できなくなってしまったので、男を縄にかけて女は家に帰した。

盗人もうまく嘘をついたが、女の知恵には敵わなかった。それにしても
「開茸」の嘘は良く思いついたものだと、ここに訴訟を記しておく。

「北条五代実記」

見た事あったような気がするけど、まとめ探しても無かったので




143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/02(金) 16:18:11.74 ID:aSA/depL
>>142
ありがちだけどそれだけに実際あってもおかしくなさそうで好き

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/02(金) 16:51:40.99 ID:2JRig5Tm
豆泥棒だったのか

大丈夫と言うべきである

2014年11月23日 18:58

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 14:13:46.03 ID:Pe986KLZ
北条氏滅亡の後、豊臣秀吉板部岡江雪斎に対し、

「お前は先年、北条の使いとして上京し、約束したのに、たちまち背いて
名胡桃の城を取った。それは氏直の姦計だろうか? あるいはお前の偽りか?」

と責め問うた。これに江雪は「じきに申しましょう」と答えたので、

秀吉は大いに怒り、手かせ足かせを並べて江雪を呼び出し、刀を奪い取って
左右の手を引っ張り、庭上に引きずった。そして罵って曰く、

「お前が約束に背いたことは、誠に憎むに余りある! その上、日本国の兵を
動かし、主君の国を滅ぼしたことは、お前にとって快いことなのか!」

と、江雪を責めた。これに江雪は顔色も変えず、

「氏直には、まったく約束に背く心はありませんでした。辺鄙の士が愚かだった
ために名胡桃を取り、ついに戦いに及んで北条の家は亡んでしまいました。

その事は、江雪の思慮では、どうにもなすべき手立てがありませんでした。
誠に家の亡ぶべき運命だったのではないでしょうか。

されども、日本国の兵を引き受けて戦ったことは、北条家にとって名誉でした。
この他に申すべきことはありません。早く首をお刎ねになってください」

と言った。すると秀吉の顔色は打ち解け、

「お前を京に引き上らせて磔にかけようと思ったが、大言を吐いて主君を辱め
なかった。大丈夫(立派な男子)と言うべきである。命を助けよう、我に仕えよ」

と言って、彼を許した。板部岡を改めて岡と称したのはこの時からのことである。

――『常山紀談』



235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 14:38:09.50 ID:VfEz0+kO
憲秀「…

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:48:24.26 ID:RIqtraW4
岡江雪斎になったのか

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 21:16:06.58 ID:jjCqT+TR
獏「岡江さん?」

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 01:54:49.33 ID:Axoil3Ue
>>236
岡野融成

板部岡江雪と「八丈島」

2010年03月14日 00:04

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 10:59:40 ID:QuR/9ctF
戦国時代、八丈島は延徳年間(15世紀末)に伊豆国賀茂の地頭、朝比奈知明が訪れ、
「この島は末代まで伊豆の領域である」と宣言して、北条氏の支配下に置かれた。

知明はこの功により、伊勢宗瑞から下田港を知行として授かったが、この下田出身の板部岡江雪が
北条氏政の命で伊豆七島等の差配を任され、八丈島に向かい、その風俗を報告した。

『離島のことであるから万事気にかけず、島民もさぞ卑しかろうと思っていましたが、そんな事はなく、
ことに女性は色白で黒髪を長く伸ばし、その艶やかさはたぐいまれでありました。
気立ても優しく、上等な絹織物を重ね着して着こなし、立ち居振る舞いも落ち着いておりました。

普通の女性は化粧を為し、まゆずみを施して男に媚びますが、八丈島の女は習慣で化粧をしません。
女性は絹を織ることを家業としており、一日中忙しく働いています。
本土からの土産として草紙などくれてやると、何よりもこれを大切にしていました。』(小田原北条記)


「北条五代記」によると、島民に招かれた江雪が、島で初めて能の舞を披露して大ウケしたり、同行した
江雪の家臣が現地の娘さんとデキちゃって、帰国の時泣きつかれたりと、わりと大変だったようです。

しかし、真言坊主のはずの江雪が、なぜ女の子の話題ばかり記録してるのか・・・



板部岡江雪斎、信玄の死を確かめに行って

2009年09月17日 00:12

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 19:45:42 ID:HgyYuww6
武田信玄の死は遺言で隠されたが、どこから漏れたのか
実は死んでいるという噂が広まっていた。隣国の北条も例外ではない。
そこで北条氏政は板部岡江雪斎を病気の見舞いとして甲府に
つかわし、真偽を確かめようとした。

勝頼はあせった。死んでる信玄に会わせられるはずがない。そこで…

勝頼「叔父さん、出番ですよ!」

叔父の信廉を偽信玄にしたのである。偽信玄は江雪斎に挨拶した。

偽信玄「やあ、こんばんわ」
江雪斎(暗くてよく見えないけど信玄だな。やっぱり噂だったのか)

すっかり騙された江雪斎は

江雪斎「信玄は生きてます」

と伝えてしまったという。






板部岡江雪、秀吉の前に突き出され

2009年07月01日 00:02

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 18:07:52 ID:J/85GHLO
小田原の陣の決着がついたころのこと。

秀吉は「板部岡江雪を呼んで来い!」と叫んだ。
開戦前に北条氏の外交官として、豊臣政権との折衝に当たり、氏政の上洛を
約束をした男である。

江雪は召し捕られ、秀吉の前に突き出された。
秀吉が怒鳴る

「お前ほど憎い奴はいない。先に北条氏規などと共にわしの元に来て、口先では
良い事ばかりを言っておったな。
それがどうだ、いまこのように合戦を行い、多くの人間を殺す羽目になったではないか!」

しかし江雪
「いやいや、わたくしは偽りなど申したことはありません。」
と、受け流す。

これに秀吉「お前はそれでも武士か!?
このように捕らわれて来て恐れ入りもせず、あまつさえわしに反論するなどと。
どんな成敗を申し付けようかと考えていたが、死罪にしてくれよう!
縛り首にする縄を、江雪に見せてやれ!」

と、縛り縄を出して見せた。

すると江雪、これを大げさに拝み始める。
「この縄をいただけると言うのは、大変ありがたいことです。
縄も神の前では注連縄となります。これこそ、我らの命綱でございます」

江雪、秀吉を暗に神と例えたのである。

秀吉はこの追従に素直に感心した。小田原陣の前に竜宮に手紙も出した秀吉である。
実際に自分を、半ば神みたいな物だと考えていたのかもしれない。

「なるほど、注連縄で縛り首をするわけにはいかぬな。」と、縄を解き、彼を許した。

そして「板部岡は言いにくい、”岡部”にせよ」と改姓を命じ、彼のお伽衆に加えたとのことである。


機転で命が助かったといえばいい話なんだけど、どうもこのあからさまな追従を、する方にも
まんまと乗る方にも、ムズ痒くなるような違和感を感じるのでこっちに。





820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 18:57:33 ID:1zbhDVjd
ラスボスがダメになり始めた兆候なんだろうか…

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 19:13:53 ID:PWvzF5cq
板部岡さん、もはや観念して潔く振る舞った。のかもしれんが……

>819
毛利元就「うちの家臣に阿諛追従する者は要らんよ」
黒田如水「ねェ」

同じ智者でもこちらは倅(や孫)を極悪に厳しく躾けて、家を残したね。
ラスボスは、お拾いを自ら躾けようもなかったから半ば仕方ないが、
やっぱり半分は豊臣家の体制が甘かったと

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 19:31:37 ID:n7m0IfVV
端から殺すつもりはなかったんだろうな。
「どんな成敗を…」ってことは死罪を申しつけるつもりじゃなかったんだろうし。
期待通り面白い事言ったから、当初の予定通り御伽衆にしたんじゃないか。

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 21:03:30 ID:mqoy2n98
>>819
とりあえず板部岡さんの名前は確かに分かりにくいw