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相良晴広の家臣、北崎与兵衛、首をすりかえる

2009年07月02日 00:12

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 13:29:59 ID:H5O8nS3g
相良晴広の家臣に、北崎与兵衛という者がいた。

ある時、人吉の大畑郷に島津軍が侵入してきたのであるが、相良軍はこれを撃退、
多くの首級を獲るに至った。
この頃、与兵衛は歳にして十六、これが初陣であったこともあり首級を
獲るには至らなかったのである。
与兵衛、落胆しながら陣へと引き上げていると、何と路傍の戦死者の中に
肥大化した陰嚢(キャン玉袋)を持つ者を見つけた。与兵衛、何を思ったか
この陰嚢を切り取って包み、あたかも首級を挙げたかの如くに帰途につく。
その途上、知己である横嶺なる者に出くわした。
見ると横嶺、首級を一つ上げているではないか。
そこで与兵衛、横嶺に「首を担ぐのは重いゆえ、両方の首を一緒に担ごう」と提案。
横嶺はそれに応じ、共に担いで陣へと戻るのだが与兵衛、これをまんまとすり替えた。

陣へと戻ると、まずは与兵衛が晴広に首級を献じ、与兵衛はその功を賞せられる。
次に横嶺が献じるべく包みを開く。そこには、首級の大きさの不思議な肉塊が
入っているだけであった。
横嶺、大いに驚き思わず「途中で化けおったか!?」と言った。
満座の者らはこれに大いに笑ったという。
晴広はこれを与兵衛の悪戯と察したが、敢えてこれを咎めなかった。


その与兵衛であるがそれからは武勇の士となり、天正15年の九州征伐で
秀吉軍が八代で暴れた際、皆が秀吉軍を恐れ抗わなかった中ひとり気を吐き、
「吾が居城は君の賜る所、何ぞ関白の威を懼れて、彼の兵の横暴を許そうか!」
と、薙刀をふるって89名を斬ったが、最後は家に火を放ち、切腹して火中に
没したという。




948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 13:36:29 ID:G6PLVQFh
西郷隆盛や桐野利秋が罹患してた象皮症か>キャン玉袋

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 13:54:35 ID:H5O8nS3g
>>948
おそらく、そうでしょうな。
世界にはこんな人もいるから不思議ではないのかも。

http://www.youtube.com/watch?v=4ZpPaauWsyw
↑ グロくはないけど、唖然としますので注意


954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 14:53:50 ID:Hxw3RBlm
>>947
横嶺さん心の広い人だったんだな
あるいはお人よしか

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:36:55 ID:DVsaYIEg

大友の家臣だった吉田一祐も、死ぬ前に
月山の長刀でそのくらい斬ったって逸話が
あったな。

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:49:06 ID:AczxU8fg
義輝さんはどれ位斬ったんだろ

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 22:10:47 ID:uvlPN6Ji
>>947
> 晴広はこれを与兵衛の悪戯と察した
横嶺の後ろで必死に笑いをこらえてる与兵衛が目に浮かぶw


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