FC2ブログ

大久保彦左衛門が憤慨する人

2010年08月06日 00:00

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/05(木) 18:24:15 ID:Q4AQNEZb
大久保彦左衛門といえば
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4314.html
この逸話で立花宗茂の取立てに関する憤懣を述べているが、彼にはもっと憤懣を向けている
大名があった。それは

「なんなんだよあの、織田信雄って奴は!」

「信雄が秀吉に攻められたとき、信雄は『家康頼む』と言ってきたので、家康様は加勢にご出陣され
戦にお勝ちになったのに、信雄の方は秀吉にたぶらかされて、家康様に何の断りもなく
和議を結び、その上家康様を殺そうと秘密のうちに計画まで立てた!
しかし信雄は家康様をどうしても打ち滅ぼすことは出来ず、時もたって秀吉から

『信雄とは和議を結んだが家康はどうなされるのか?どうせなら同じように和議を結ばれよ。』

と言ってよこし、家康様も

『信雄に頼まれていたからこそ和議を結ばなかったのだが、そういう事なら和議を結ぼう。』

と、停戦なさった。

そのうち信雄は秀吉に国を取られて、越前の片隅に酷い境遇で居たが、
関ヶ原では石田三成の仲間となった。家康様はこの戦に勝っても、信雄をお許しなされて
お慈悲をかけられた。

そして今度の大阪の合戦では…
『手を出さなかった』と言うだけで!何の役にも立たなかったのに!
ごごご五万石をお与えになられた!

これを家康様のお慈悲といわねば、他にどんな言葉があるだろうか!!」


色々憤る対象の多い彦左衛門さんだが、確かに信雄に関してはわからんでもないw
そんな彦左衛門さんの憤懣のおはなし。




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/05(木) 18:27:23 ID:IMeSUMI0
ノブオ…

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/05(木) 19:10:24 ID:OkiycsXb
いや待て・・・もしかしたらノブオさんも、立花さんに匹敵する力量を有していたからこそ、権現様も厚遇したのでは
氏真と似たような晩年なのに、再評価されないね・・・常真殿は

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/05(木) 20:03:03 ID:uk9ccht2
フロイス「信長の子の御本所(=信雄)はふつうより知恵が劣っていた」

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/05(木) 20:06:40 ID:RaYRWdh+
織田は完全に保護対象だからな、徳川的に考えれば。
血統的に考えても、どうやっても押さえておきたい。
(元盟友の血筋で豊臣にも徳川にも一番近いの常真殿ですから)

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/05(木) 20:07:19 ID:pvZN4Yxb
フロイスは宗教で人の見方を変えるから信用できない
ノブヲがキリシタンだったら知恵の回る素晴らしい人だって言うだろ

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/05(木) 20:09:56 ID:RtfQhM4l
>>327
趣味人で生き残る技量が確かだった人としては、同族に有楽殿がいるからなあ。
ファンタジスタ氏真的な評価はあっちに持ってかれてるんじゃないかな?

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/05(木) 22:26:02 ID:qOJhapVp
流浪の旅でも付き添った奥さんとかの話も聞かないしな。

常眞殿の(´・ω・`)な話。

2010年05月22日 00:04

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 20:08:51 ID:JnSJYmQu
常眞殿の(´・ω・`)な話。
天正十八年某月某日の公家日記。
今日は火事があったよ!なんでも尾張内府殿のお家が全焼したらしいね。
なんでも主上の行幸を仰ぐために作った金の間も焼けちゃったんだってね。
翌日の多聞院日記
なんでも京で雷による火事があって内裏が焼けたんだとさ、くわばらくわばら
火事から三日後の多聞院日記
こないだの火事は御所じゃないらしいよ、ヨカッタよかった。

なお、この火事があったときには既に常眞殿は小田原で東海への国替えを拒否して
改易された後だったりする、という常眞殿にとって踏んだり蹴ったりなお話。
(この火事で焼けた家を特定してるのはこの日記のみで他の日記には火事があった、
としか無いので確実に常眞殿の家かどうかの裏付けは取れません)




三介殿名臣伝・土方彦三郎

2010年05月05日 00:07

726 名前:三介殿名臣伝 1/2[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 09:34:23 ID:/Lo3VfqZ
天正12年(1584)3月、織田信雄の家老・岡田重孝は主君に呼ばれ謁見の間に向かったが、そこに信雄の姿は無く
近習の土方彦三郎の姿があるのみ。用心して広間の柱に身を寄せ、重孝は彦三郎に声をかけた。

「何やら殿が、わしを成敗されるという噂が流れておる。もし本当なら、討っ手はお主だろうと思っておったわ。」
「そんな事がある訳はござらん。もし本当だとしても、拙者ごとき若輩者には荷が重い役目。
しかし、仰せ付かったとすれば、若輩と言えども仕損じませぬ。…殿は奥の間です。さあ、こちらへ……」

重孝が奥の間に行くと、いきなり信雄から鉄砲を渡された。「新式の鉄砲じゃ。まず家老のお前に見せてやろう。」
「なるほど、これは珍しき道具。彦三郎、お主もこっちへ来て拝見せよ。」

呼ばれた彦三郎は、重孝に近づくと背後から脇差で、突き刺した。「ぐわっ!…き、貴様やはり!」
重孝も脇差で応戦しようとしたが、彦三郎に固く背中から抱きとめられ、うまく斬りつけることが出来ない。
彦三郎も、重孝を抱え込むのが精一杯で、それ以上は攻撃を加えられない。

見かねた信雄が太刀を抜き、「彦三郎、放せ!」と呼びかけたが彦三郎は、
「構いませぬ、拙者ごと斬られよ!!」覚悟を決めた信雄は、重孝に突きかかった。
「お、おのれ!!」重孝が信雄に備えようと構えた次の瞬間、彦三郎は重孝を放して身を翻し、斬り捨てた。

彦三郎の振る舞いは「上意討ち前後の働き、言葉遣い等いかにも行き届いている。」と評判を呼んだ。
その後、土方雄久と名乗った彦三郎は、小田原の役後に信雄が改易された際、独立して大名となり、
秀吉の死後、政争に巻き込まれて一時期流罪になる等、苦労しつつも家を残し、慶長13年(1608)、世を去った。

その死について「当代記」は、「日来(日頃、毎日)たはこを用いける故、喉破相果」と書いている。
恐らく記録に残る、日本初の煙害による死者である。




三介殿名臣伝・二宮千太郎

2010年05月05日 00:06

727 名前:三介殿名臣伝 2/2[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 09:35:11 ID:/Lo3VfqZ
織田信雄に仕える若侍、二宮千太郎が褌一丁で主君の前にやって来た。当然、信雄は彼を叱った。
「明日にも戦になろうという時に、お前は何をフザけておるんじゃ!!」

「ううっ…仲間内のバクチで、身ぐるみ剥がされてしまいました…明日に備え、せめて馬・具足は返してくれと
さんざん詫びても許してもらえず、刺し違えて死のうと思いましたが、殿の御役に立つ者を戦の前に殺しては
不忠になります。かくなる上は、この恥さらしに切腹をお許し下されっ…!!」

「…言い訳に一分の理がないわけでもないか。」
そう考えた信雄は、千太郎に馬・具足と金二枚を与え、下がらせた。千太郎もこれに応え、翌日の戦では
組打ちまでして兜首を取り、信雄も彼を賞したという。


慶長5年9月15日正午過ぎ、関ヶ原。松尾山に陣取った小早川秀秋は、不審な鉄砲の音を聞き、使い番を呼んだ。
「今の鉄砲、当方に向けてのものとみた。何処が、何用あっての射撃か、急ぎ確かめて参れ!!」
「承って候。」
さっそく使い番が麓に向かうと、麓からも騎馬武者が登って来て、使い番に話しかけた。

「貴殿は、今の鉄砲についてのお使いであろう。わしは、その事についてお教えするために来た。
あれは朝からの霧で火薬が湿ったため、我らが空砲を撃ったのじゃ。安心されよと、殿に伝えてくれ。」
「いや、拙者は「麓を見て来い」と殿に言われた。伝えたければ、他の者に言ってくれ。
頂上まで行くのが面倒なら、すぐ上にご家老の平岡様(頼勝・東軍派)がおられる。ご家老に申せば良かろう。」

そっけなく騎馬武者と別れた使い番が麓で様子を見聞きすると、騎馬武者の伝言と全く違った事実が浮かび、
急いで戻った使い番は、見聞きした内容を秀秋に伝えた。

秀秋はただちに動き、関ヶ原の戦況は一変した。

大役を果たした使い番の名は、二宮与三右衛門。信雄改易後、小早川家に仕えた千太郎の、成長した姿だった。
バクチにうつつを抜かしていた若者は、信雄によって運命を変えられ、断固たる意思によって歴史を変えた。




729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 11:21:35 ID:hAG9N5s0
>>727
麓から上がってきた騎馬武者は東軍なんだろうか西軍なんだろうか
東軍だとすると事実を隠蔽しようとした理由がよくわからん

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 19:25:59 ID:tji1ikTc
>>729
山麓に展開していた小早川の兵

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 20:36:40 ID:AjBXtG6R
家中でも西軍にそのままつかせたい連中と東軍に、と思ってる連中といるだろしな

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 21:19:09 ID:KuNaqZ16
戦場でのことだし、単なる流言や思い込みで言ったのかもしれない

信雄へ、父より

2010年03月07日 00:01

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/06(土) 20:47:05 ID:0N26YKZI
芸達者ではあるものの、武将としては無能者。
そんな織田信雄さんの逸話でも特に有名な「伊賀攻め大失敗」
彼は家臣らにそそのかされて、信長に断りもなく伊賀へ出兵。
何一つ得る事無く、敗戦。副将柘植三郎左衛門以下、多くの兵を失った。
そんな信雄に信長から送られた手紙。

信長
「上方へ出兵したら伊勢の武士・民百姓の負担になると思って、遠征を免れるために伊賀へ兵を出したのか? 
ぶっちゃけ言って、お前が馬鹿だから軍役を免れようとする国侍どもに乗せられたんだろ?
三郎左衛門まで討死させやがって……お前の覚悟次第では勘当するからな」

戦国史上、最もかっこ悪い父からの手紙。




三井寺の会合

2010年02月19日 00:14

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 11:30:59 ID:VTzAUr8f
天正十二年の事。
この年の2月上旬には尾張の織田信雄の元に、徳川家康より酒井与四郎重忠が密かに派遣されるなど、
小牧長久手に向けての動きが活発化していた。

その頃信雄と秀吉は、近江の三井寺において会合を行った。
秀吉は信雄に向かい血相を変えて

「先年、あなたと信孝殿のご兄弟が不和になられましたが、私があなたにお味方仕り、
信孝、勝家を滅ぼし、あなたの憤りを散じたまいました。
これを見ても、あなたを尾張の太守とならしめたのは一重に、私の御奉公の賜物です。
去年あなたが受けた忠節は、尽く私一人の働きにあるのですから、あなたは私に対して
少しのご疎遠も有るべきでは無い。なのに此頃承るに、あなたは私を滅ぼそうとしているとのこと。
近頃このような情けない無体のことはありません!」

そう言い放った。信雄、大いに驚き
「其方が心配しているようなことは全く無い!」
と、即座に否定した。しかし秀吉

「それはご挨拶ですなあ。証拠が有るのですよ。」

「証拠!?」

「昔から私の身の上になにか災難がある時は、必ず夢の中で枕元に神が立ち、それを告げるのですが、
この度も長張装束を着た者が枕元に立ち、この事を告げたのです。
これには相違ござらん!!」

これに信雄は殊の外不快になり、会合の席を立って鐵鎚と言う良馬に乗り、伊勢の長島に
駆け帰った、とのことである。この時あまりに急いだためか、鐵鎚は元より老馬ではあったのだが、
城に到着するやいなや死んでしまった。

時に、信雄の家中には秀吉への内通者が多く有り、この事も信長時代から織田家に仕える
同朋衆の一人が密告したことを、夢の内容として語ったのだそうだ。

秀吉の腹芸とそれに手玉に取られる信雄、という構図がよく分かる話である。




624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 12:49:46 ID:08J2PReu
>>623
秀吉は神仏なんて全く信じてなかっただろうから
神のご加護とか持ち出したら、そりゃわざとらしいと言うしかないね。

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 13:04:54 ID:HO5IvSqs
その程度の挑発であっさりのるのがさすが三介殿としかいいようがないな

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 13:23:38 ID:4rBblq9m
信雄「私は誰の挑戦でもうける!」
義冬「…………」

こうした感想を抱いたのは秀吉だけではなく…

2009年12月15日 00:05

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 21:08:41 ID:nYduLWC7
豊臣秀吉が舞の上手い織田信雄と下手糞な徳川家康を見て、
家康を「下手だったから海道一の弓取りになれたのだ!」
信雄を「舞うのが上手な奴にろくな奴はおらん!」と評したという
逸話がある。(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3262.html
しかし、こうした感想を抱いたのは秀吉だけではなく…

加藤清正「まったく信雄は愚か者よな。上手く舞ったからなんだというのだ」
石田三成「対して家康は馬鹿のふりをしている。げに恐ろしき男よ」

清正、三成なども同意見だったという。どこまでも馬鹿にされる織田信雄であった。

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 21:17:06 ID:ouL5lA0h
でも、家康は実は能に対して造詣が深かったとされる
家康の諧謔だったのかな




67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 21:22:38 ID:4/bigeqD
芸を評価、評論する分には造詣が深かったけど、実際にやる分には上手くなかった、
って事かもね。

まあ家康も若い頃武田信玄から

「あいつは戦ばっかりやってて、歌が上手いとか茶の湯の上手とか、そう言う噂が
全く聞こえてこないのが偉い。」

って、へんなほめ方をされた人だしw

68 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/14(月) 21:22:51 ID:pzpPmolR
家康は何か芸術系が苦手ってのが多いな。
まあ、地味なイメージ強くてエンターテイナーって感じはしないけど。

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 21:40:42 ID:yWq5NRaS
秀吉は本人や秀次みたいに一族に芸術の素養がある人間が多いみたいだから対照的だね……
と、書こうとしたが木下勝俊は血がつながってなかったか、残念。

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 21:46:01 ID:G1R0fAg/
というより戦国時代って、能舞にせよ神楽にせよ、
舞踊全般が大衆化が進む代わりに文化サロンの主流から排斥されてるような気がする

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 21:48:05 ID:+44I9rOF
でも吉川元春などの名将という評価を得ているひとは、芸術に優れていても批判されない。
まあ武士である以上、まずは武技・戦で評価されるべきで、その上で
さらに文にも優れている場合は賞賛されるけど、
武士の基本、で業績を上げないで文芸に能力を発揮すると貶されると。

信雄もそうだが、今川氏真とかもエライ言われようだからな。

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:09:21 ID:x2ogB1xw
氏真は個人戦闘能力高いんだけどねぇ

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:15:46 ID:JP+ZEa7F
むしろ下手の横好きな武将の話のほうが聞きたいわ

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:18:41 ID:4/bigeqD
下手の横好き…
黒田さんちの長政…

ブワッ(;ω;)

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:20:25 ID:iqdrcdyl
黒田家の親父様や家臣から見たら戦自体下手の横好きだからな

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:22:01 ID:Qd3Ekm5Q
みんな手厳しいけどNGMSはくじけない

だが又兵衛、お前だけはダメだ。

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:23:41 ID:9SSSgNPj
バ…もとい若殿が川で一騎打ちすると聞いて飛んできますた!

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:27:31 ID:G1R0fAg/
>>71
三好長慶「まあ人の文芸活動にケチつけるような奴に限って、
     弓矢もまともに持てなかったりするんですけどねw」


81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:39:46 ID:ml9ZV601
増田長盛にも刀で敵将を一刀両断したっていう逸話があったよね?
今ぐぐっても見つからなかったんだけども

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:44:34 ID:ef5TPmCZ
農民目線なら「字書けるんだ、頭良い」
武士目線なら「あいつヤベ――よ」

になるんどろうからどうとでもとれそう

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:53:52 ID:YlKb9R9s
能の上手とされた下間仲孝を師匠とする宇喜多秀家も武将としての評価は今一だが、
能楽研究者の間では難度の高い能を演じている記録から、名手であったと思われているようね。

昔、都の上京辺りで火事があった。

2009年12月04日 00:12

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 00:35:12 ID:fbwh646n
「昔、都の上京辺りで火事があった。火の手はみるみるうちに広がり、内裏さえも危うくなって
宮中百官がどうしようか右往左往していると、皇弟の八条宮智仁親王が衣冠を正し、太刀を
携えてやって来た。
「すでに火は間近い。万一の延焼に備え、主上には不肖この身がお護りするゆえ、他へ行幸
していただきたく参上した。誰かある!このこと主上に奏上いたせ!」

親王の言葉と威に打たれた殿上人は、「実に頼もしき御装いかな」と感じ入り、落ち着いて
行動することが出来た。

そこへ、宿直を抜けて物見遊山に出かけていた公家衆が騒ぎを聞きつけ、あわてふためき
遊び着のまま汗を流して駆けつけたが、親王の凛々しいお姿を見て、肝を潰して逃げ出した。
その見苦しい有様には、宮中の百官も言葉もなかったそうな。

このように、人間の善し悪しは危急の時に現れるものだ。」





と、織田常真入道信雄は語った。




801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 00:38:15 ID:PMc2TvDu
台無しだよw

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 00:57:21 ID:sAJHXnp7
有楽「ほう、興味深い話ですな」

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 01:13:33 ID:K9HrDQes
>>800
お公家さんの頼りなさと「お前が言うな」、二重の意味で悪い話ですなw

織田信雄の不吉の舞

2009年12月03日 00:03

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 19:21:28 ID:MPRqHLz1
いい話スレで信雄が舞ったときの話が出たが、こういう話もある。

豊臣秀吉がついに小田原北条氏を降した戦勝祝いのとき、秀吉は織田信雄に
舞を求めた。しかし信雄は常々秀吉に怨みがあったのか、舞を舞うことは
舞ったのだが…

「秀吉め、わしを見くびりやがって…お前に不吉な舞を見せてやるぞ」

と思い、不吉な舞を披露したのである。これに気づかない秀吉ではない。
祝いの席でなんてことをするのかと不機嫌になった。

そしてその後、秀吉は徳川家康の代わりに信雄に三河などを任せようとしたが…

「今の領地でいい」

と信雄はきっぱり断った。秀吉は不吉な舞のこともあって信雄の態度に激怒し、

「信長公の子だから要所を任せようというのに拒否するとは、大名の器ではないな」

と、信雄を改易してしまった。これを見た世の人々は信雄は少しの意地で
領地を失ったと言い合ったという。




792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 19:38:13 ID:m4ZsGPg5
>>791
おかげで織田氏は危険視されず、皆から忘れ去られ政争に巻き込まれることなく
明治まで家を安泰に保てました。

良い話じゃね?

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 19:58:05 ID:kL0V0Lc9
まあ、信雄って一時は秀吉の上に立って、かつ秀吉に逆らったというか敵対した人物だからなあ。
有能なところを見せていたら、三河遠江駿河甲斐信濃五カ国の大名なんて地位も命も、
最後まて保てなかっただろうな。

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 20:21:42 ID:fKyYiL4q
有能だったら狙われるような立場にもならずに済んだのでは?

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 20:30:13 ID:JCVRdWQE
叔父さんから生き残る方法を教わって実践したんじゃない?

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 20:30:25 ID:V5PeWpW3
>>794 豊臣政権は逆

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 20:52:35 ID:tQS4sfBZ
>>796
>>794は有能なら信雄が天下取ったってことじゃね?

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 21:01:29 ID:8PSoMSZy
兄貴か親父のどっちかが生き残ってれば苦労しなかったけどな

土方雄氏、旧主織田信雄に娘を所望したところ

2009年11月07日 00:23

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 17:49:50 ID:ZTty1E4u
関が原の戦いで土方雄氏は戦功を上げめでたく大名として返り咲くことになった。
そこで雄氏は正室を迎えようと考え旧主織田信雄に娘を所望したところ…

信雄「堀もないような城しかない家に娘はやれんな」

日和見のせいで直後に改易されるのにこの余裕、さすが常真殿である。

雄氏「堀ありますよ、大丈夫です!」
信雄「じゃ、使者出して確認させるから」
雄氏「(|||゚д゚)」

結局使者が来るまでの二日間で堀を突貫工事で巡らせめでたく嫁取りしたそうな。

その正室は長寿に恵まれ内助の功で3代藩主までを助ける賢婦人となったとのこと。
雄氏の眼の付け所がよかった話か必死さがアレな話か
常真殿の相変わらずなクオリティが悪い話か微妙だったのでここで





信雄、関ヶ原で

2009年10月02日 04:11

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 00:14:01 ID:yvWv2Zfa
関ヶ原が始まった頃のこと。

石田三成は宇喜多秀家らに、東海道への戦略を相談した。

「福島正則が家康と一緒に関東に下っているから、あの地域にはさしたる敵はいないはず。
尾張の清洲城を攻略してしまえば、そこから三河の岡崎、吉田とすぐに侵攻できるな。
さて、問題はこの作戦を、誰に申し付けるかだが…」

この時増田長盛が発言した
「先の尾張内府、織田信雄様が良いだろう!
かつて北畠の家も継がれ、尾張、伊勢で、その下知を聴かないものはいないさ。
どうだろう、織田信雄様に任せてみては?」

三成、秀家はこれに同意。かつての信雄の家老、佐久間不閑斎を呼び出し、
信雄を説得するように言った。

「我らが勝った暁には信雄様に、尾張、三河の領主となっていただこう。」

が、不閑斎、
「現在、信雄様の手勢は、越前大野のご嫡男秀雄様の元にあり、しかも秀雄様は
東軍に属しております。このため軍を発動したいと思っても、信雄様は人手がなく、
また人数を集めるための資金も無いので、どうにもなりませぬ。」

そこで三成は、「われらの提案を聞き届けるなら、黄金千枚をお渡しする」との
証文を書いた。

これを持って不閑斎、信雄の下に赴き三成らからの提案を語ったが、信雄は聞いたとたん
はなはだしく機嫌を悪くし、即座に断った。

「俺は信長の子だぞ!何故に石田や益田なんて連中の下知を聞かねばならんのだ!?」

しかしここで、近習達が諌める

「何と口惜しい事をおっしゃいます、これは大チャンスですぞ!
信雄様が尾張に兵を出せば、国中の牢人、郷民はみな、殿を慕って集まるでしょう。
伊勢からも当然、多くの者達が集結します。それだけでおそらく、2,3万にもなりましょう。
その多勢に下知すれば、尾張、三河を攻め取るなど簡単なことでは無いですか。
信雄様、尾張、三河の大大名に、復帰できるのですよ!」

「そう言われればそうだ」

信雄、前言を撤回しあっさりとこれを引き受けた。そこで不閑斎は大阪にとって戻り、
三成に、信雄の同意の返答を伝えたのだが、ところがこの時三成が不閑斎に「軍資金である」
と言って渡したのは、約束の黄金千枚ではなく、銀千枚であった。

不閑斎は大いに訝しみ、「こんな風に約束を違える様では、尾張、三河を与えると言う言葉も、
信用できないぞ。」と、京の信雄の下に帰った。

ちょうどその頃、越前から嫡男秀雄の使者として、家老の村瀬左馬が上京してきた。
秀雄は信雄の決断を聞き大いに驚き、父を諌めるために派遣したのだ。
そこに不閑斎も戻ってきて、二人して信雄に諫言をする。

これにより結局、信雄が出馬する事はなかった。

ところで、これに最も馬鹿をみたのは、嫡男秀雄であった。
父信雄が、出馬をしないにもかかわらず、グズグズと西軍よりの立場を変えなかったため、
元々東軍派であったはずの秀雄も身動きが取れなくなり、このあいまいな態度のため、
戦後、越前大野五万石を改易された。

まあそんなこんなで、いかにも織田信雄らしいお話。




979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 00:50:57 ID:mxdyftUi
しかし大坂の陣で大名に返り咲くんだよな、信雄だけ
秀雄は28で死去したが、子はともかく正室もいなかったって本当かな

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 08:00:45 ID:Qy/DoHAR
大名なんてのは無能な方が徳川家にとっては都合がいいんだろうねえ

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 09:10:33 ID:ApmLdnnT
なにせ有能なら百姓でも恐れる男だからな>徳川

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 09:36:30 ID:HqDKjD66
つーか大阪の陣のときの大名復帰の理由も

豊臣家「徳川に対して反乱する事にしました」

信雄「はあ」

豊臣家「それについて、あなたが豊臣軍の総司令官をやってください。」

信雄「( ゚ Д゚)」

豊臣家「じゃあそう言うことで宜しく。」



信雄「徳川殿!豊臣軍の総司令官にされてしまいました、向こうの機密は何でも教えるから、
    助けて!」

幕府「そ、それは殊勝な事で…(どうしてこの人を総司令官にと考えるのだろう…?)」

この功績だからねw
つーか関が原のときといい、豊臣家筋からは異様に評価が高い気がする、常真殿。

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 09:47:58 ID:j7u1ONSX
うん?前に似たような話出てたようなと思ったらこれかな。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1246682726/84


984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 13:11:38 ID:9R7UHKqi
人選が悪すぎるぜw

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 13:13:26 ID:ks652aD4
神輿にすらならない信雄・・・・

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 13:51:30 ID:6zb6sHc6
秀吉が晩年ああなっちゃったのは、長年信長の近くにいてその様を見てきたからだ、
なんていう説もあるけど、
もっと身近にいたはずの実の子が性格を受け継がずこんなボンクラなのなら、
やっぱりあれは秀吉自身の性格なのか……。

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 14:20:44 ID:6Au2iI+T
信雄のこれも特殊だがかなり世間離れした個性だと思うぞ
あと豊臣家は信雄に関しては最後までその人格じゃなくて血筋しか問題にしてないと思う

[ 続きを読む ]

三介殿、天下を語る

2009年07月15日 00:13

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 23:21:41 ID:Cwxwg4PQ
三介殿、天下を語る


三介殿こと織田信雄。そのボンクラぶりは失敗しても、「まあ、三介殿のなさる事だから」で
片付けられてしまうほどだが、一点だけ信長から受け継いだ才能があった。
舞(能)の名手だったのだ。本人も自慢だったようで、清洲会議の後くらいに
家老と以下のような会話をしている。

信雄「わしは父上の後を継くぞ!」(‘∀‘ )
家老「それはよろしゅうございますな(棒読み)。で、上様の後を継いで何をなさるおつもりで?」(-_-)
信雄「うむ、父上の覇業を継ぎ、天下に号令をかけた暁には、都の公家どもに舞を披露してやろう! 
きっとわしを褒め称えるに違いない!!」(*‘∀‘*)
家老(だめだこいつ……。早く何とかしないと……) (lll゚Д゚)

時流を見る目が致命的になかった三介殿。
このときも周囲の状況にまったく気づいていないのでありました。





383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 23:44:19 ID:5t3mkDZt
氏真二号だったのか

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 00:05:30 ID:lvrc+P05
なんで茶筅(あえてこう呼ばせてもらう)だけ、こうもボンクラなんだろな

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 00:20:37 ID:ra2gszBI
>>383
氏真様は相手が悪かっただけですからっ……!
家臣団の中核がごっそりなくなっちゃった今川をしっかりまとめてましたからっ……!

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 00:23:20 ID:nA3qmc9H
まあでも、なんだかんだで家を残してるんだから
何が幸いするか分からないなぁ

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 00:26:39 ID:fCtfxxWV
三介殿芸事は達人だからなぁ

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 00:29:20 ID:2L0/0V65
>>385
信玄をブチ切れさせてなお生き残ったんだからそれだけで大したもんだよ

389 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/14(火) 00:55:49 ID:uci5KUvI
氏真も信雄も大領主の不向きはともかく、人間としては
裏がない、いい奴だから生き残ったんだろうな。


390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 01:42:40 ID:dfOH2yZh
武人とは全く種類の異なる生物だと本能的に皆理解したので、
別に滅ぼしたりしなくても問題ないか~という感じになったと思う>信雄・氏真

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 01:48:13 ID:82nompgT
バカだけど何だか憎めないタイプだよなw

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 01:58:09 ID:dfOH2yZh
ふと思ったんだが、世間でよく耳にするソウショクケイダンシって
信雄とか氏真みたいな奴かな?
鬼武蔵や水野を肉食とした時の対比として。

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 03:18:36 ID:sCq080+V
>>392
大内義隆や葦名盛隆、武田信玄はガチ肉食系ですかアッー

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 04:50:49 ID:IPEz2GAd
>>392
本願寺「むしろ拙僧どものことではないかな?」

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 04:54:04 ID:rYFGcroW
浄土真宗は奥さんおkじゃねぇか・・・

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 05:07:16 ID:2QuSIL4P
僧職系男子ですね

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 05:30:52 ID:txPf4sgs
だれうま

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 07:23:47 ID:CaNWLr0Q
大坂の陣のとき、大坂方の総指揮官だったんだよな。三介殿。
これはさすがに本人もやばいと思ったのか、はじまる前に逃げ出してるけど。

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 07:39:24 ID:fRNkbjNi
信雄と氏真を同列視するのもちょっとね。
氏真は武田に裏切られたりしてどうにもならない状況だったけど、信雄さんは
自分のミスで領土没収だからなあww

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 07:49:38 ID:sLuCKR65
氏真は内政では業績残しているから信雄と比べるのはかわいそうな気がする

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 09:23:59 ID:bskudrQW
やるべきことをしっかりやって、
それでもどうにもならなかったから、別の世界へ移り活躍した。
立派な人生じゃないか氏真。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 09:46:05 ID:rYFGcroW
氏真は剣術だって相当な腕前だしな。
義元死後の今川はいろいろ過小評価されてて悲しい。確かに滅んだけどさ・・・

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 10:46:55 ID:ITtK3zeh
滅んではいないから再評価されるチャンスはあるさ

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 10:52:32 ID:Prlc8XVo
信雄さんも群馬に、芸術的才能を生かしてこういうものを造って

名勝『楽山園』
http://www.town.kanra.gunma.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_oid=icityv2::Contents::1084&WIT_template=AC020000

一応、後世の人々の役にも立っていますよー。


405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 10:56:56 ID:r31G90XD
>>402
所謂詰みの状態から生き延びたってだけでも凄いのにねぇ

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 11:09:09 ID:KHWLU8dx
勝頼より凄いんだな氏真

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 11:12:04 ID:y0JcswZG
氏真が本当にどうしようもないアホなら
朝比奈さんたちが武田と徳川に挟まれてまで匿って篭城したりしないよな
おまけに先祖伝来の城を敵に明け渡した後は一緒について小田原まで行くんだから
駿州の武士ものほほんしてばっかりじゃないような気もする

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 12:20:14 ID:X2oG++AP
伊賀攻めの総大将だったんだよな、信雄
ここらへん経緯を見てると面白い


鬼頭内蔵助の報告と織田信雄、+おまけ

2009年07月14日 00:06

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 07:19:50 ID:qAsuzoTF
織田信雄の家臣、鬼頭内蔵助は主君の命で、京の信長のもとへ使いに出た。
山科まで来た所で、思わぬ人に出会った。
「伊藤殿ではないか!こんな所でどうされた?」信長のお伽衆、伊藤安仲だった。
「おお、鬼頭殿!大変じゃ、明智が謀反を起こし、信長公が本能寺で亡くなられた!
我ら軽輩は、もはや途方に暮れて右往左往しておるところじゃ…」
「な、なに!嘘ではあるまいな!」
「わし如き者がこんな話をしてウソだった日には、日本に身の置き所が無くなるわい。」
「よ、よし!ならば、オレはすぐに帰り、信雄様に変事を申し上げる!」
「されば、わしの話の証拠として。」

二人は脇差を交換し、内蔵助はその日の内に伊勢に帰り、信雄に変事を語った。
「父上が簡単に死ぬわけがない。内蔵助、狂ったか?」
「いや、しかし安仲がこの脇差を…」「くどい!」
重大な報告を信じてもらえず狂人呼ばわりされた内蔵助が自宅に帰ると、夜になって
知人が訪ねて来て、しきりに内蔵助の信雄への思いを聞きたがった。
(ははぁ、これは…)と察した内蔵助は知人に語った。

「殿はオレを狂人扱いしたあげく、叛意をお疑いになるか。もういっそウソの報告の罪で
切腹でも仰せつけ下され。その方が返って幸せじゃ。我はもはや、変事が本当であった
時のことを憂うるのみ。」
知人は言葉もなく帰り、その言葉を信雄に伝えたが、信雄は内蔵助を閉門とした。

その後、続々と変を告げる使者が来るに及び、信雄は内蔵助の閉門を解いた。
さっそく内蔵助は信雄に「この上は、一刻も早く弔い合戦の兵を挙げるべきです!」
と進言したが、信雄はこれも聞かず、十日以上経ってようやく近江まで出た時には、
羽柴秀吉がすでに光秀を討ち取っていた。

のちに内蔵助いわく、
「侍たる者、主人を良く選ばねば、幾百幾千の努力をしても生涯不遇で終わるのみ。
ウソだと思うなら、オレを見よ!」

…と言いつつ、信雄が秀吉に改易されて一万八千石の堪忍料で復帰した時、そこには
「ダメな子ほど(ry」なのか超M体質だったのか、鬼頭内蔵助の姿があったそうな。


355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 07:20:32 ID:qAsuzoTF
おまけの三介殿

信長の乳母の子である池田恒興は、秀吉と信雄が手切れになると信雄側についた。
これを信雄は、
「恒興は信用の置ける男である。そのような者から人質を取るのは、かえって他の者が
わしの心底を疑う元になる。」と言い、人質に取っていた恒興の次男・輝政を帰してやった。



これを喜んだ恒興は即座に秀吉側に回り、信雄軍の犬山城を制圧した。





357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 09:59:21 ID:TMghhu6T
>355
さすが鷹揚な風流人、常信どのは違いますなあ。

マッチョ池田家の力を頼みとせず秀吉と対決しようとは……!orz.
イッテテカナシクナッテキタ・・・サンスケドノッテバ・・・・・・

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 13:55:30 ID:vEpzqbbj
>>355
池田恒興も基本DQNでヒャッハーだからなぁ
鬼武蔵の岳父だけはある
長男で嫡子だった元助はどうだったんだろう


織田信雄と関ヶ原

2009年07月07日 00:02

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 20:34:55 ID:TtCROrHf
織田信雄と関ヶ原

関ヶ原の戦いの以前、東西両軍の総大将である石田三成と徳川家康は、
各地の諸大名に宛てて盛んに書状を発し、裏工作を行っていた。
その頃の織田信雄と言えば、伏見や大坂に住まいて暇な日々を送っていただけである。
そんな信雄に、是非味方になって欲しいと申し出た者がある。石田三成であった。
三成は、信雄に対し
「常真殿が御味方して頂けるなら、戦後、恩賞として尾張一国を差し上げよう」
と言って誘った。ついでとして、黄金千枚も献上するとも約束した。
「ならば、最初に黄金を寄越せ」
何か頼りにされている信雄は、味方する前金として、まずは黄金千枚を要求した。

さて、後日の事である。
西軍の大将、石田三成から黄金千枚――――ではなく、銀が千枚送られてきた。
金ではなく、銀である。見た目も価値も全然違う、銀である。
「治部少は嘘を吐いた。嘘を吐いて、金ではなく銀を送りつけてきやがった」
流石に信雄は失望し、
「この様子では、恩賞で尾張が貰えるという話もデタラメに相違あるまいて……」
と思い、信雄自身はちゃっかり銀一千枚を貰った癖に、出馬を取り止めた。

戦後の信雄は、長宗我部盛親や大谷吉治らと同じ、牢人の身分にまで零落れ、
その日の食事にすら困るようになったので、大至急大坂の淀殿に保護を求めたという。





85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 21:12:23 ID:3baYlXHc
黄金千枚に尾張一国か。分限は6万石程度だったよな。
将としては並以下、淀殿への影響力を考えても黄金千枚か。
三成もけっこう空手形っぽいのを切りまくってるけど、全部合わせたら恩賞は足りていたのだろうか。

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 22:44:32 ID:V4td9NEf
空手形すぎるだろ・・
本気で集める気あるのかw
無い袖が振れなかったにしろもうちょっと何かフォローしようぜ。
初任給40万ですよって言われて就職して実際に振り込まれたのが14万だったら
来月から出社する奴いないだろ。
金と銀の当時の価格差はよく分からんが。


87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 22:48:28 ID:32Jw2EMP
うーんでも、当時って新大陸発見のシルバーラッシュで、
中国なんかも馬蹄銀が通貨だったし、価値が極端に低かったとは
思えんのだがな~。くわしいことはわからんが

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 22:55:17 ID:f64YCn8L
>>86
「銀一枚」がどういう単位を表すのかが、いまひとつ良くわからないが、
銀一枚=銀一匁として考えると、

比較的時代の近い慶長14年(1609)で

    金1両=銀50匁

つまり、「銀千枚」は「金千枚」の、50分の1の価値ですな。


89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 23:03:26 ID:f64YCn8L
ついでに、この「金千枚」もどういう単位か解りにくいが、これも江戸期の「一両」と同じ程度として考えると、
まあ計算の仕方は色々あるけど、今の貨幣価値で言えば、だいたい「1両≒20万円」くらいなので、
ここから、信雄は

「二億円もらえるつもりだったのが、送られて来たら400万円だった」

って事になりますな。


90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 23:04:40 ID:UWnbD44p
じゃあ初任給40万のはずが8千円か。
無理、誰もついてこないわw


91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 23:19:47 ID:fiutYYv0
この時代で金一枚と言えば通常大判を表すはず。大判一枚はのちの小判十枚に相当した。
銀も一枚というからには豆銀ではなく丁銀と思われる。長銀も重量不定だが、およそ十匁以上は
あったと思われる。ま、どちらにしても安く見られたのは明らかだけどね。

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 23:25:48 ID:f64YCn8L
>>91
では単純に十倍して、

「20億円貰えると思ったら4000万円届けられたでござる」ってことか。

…こっちのほうが精神的にはダメージでかいですなw


93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 23:41:23 ID:fyuaF2RW
しかし夏らしく怪談が続いてたと思ったらエラい生々しい話が出てくるのが
悪い話スレらしいと言うかw