694 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/01(土) 22:34:39.93 ID:IR0t3pqK
大隅守殿(九鬼嘉隆)、左馬之助殿(加藤嘉明)、のお二人は中書(脇坂安治)が戦功を立てたことを聞き
同じく六日(文禄元年七月)に釜山浦から例の瀬戸口(見乃梁海峡)に行き八日には安高麗(安骨浦)烏島
という港に入った。ところが九日の辰の刻から敵の大船五十八隻と小船五十隻ばかりが攻めてきた。
大船のうち三隻はめくら船で鉄で覆われており石火矢・棒火矢・大狩俣などを放って酉の刻まで入れ代わり立ち代わり
攻撃をかけてきて、櫓から廊下、足隠しの要害などまですっかり打ち破られてしまった。石火矢というのは
長さ五尺六寸の堅木で筈元を鉄張りにし矢羽根も三方を鉄で取り付け、先には大狩俣がついており、手は
一尺二、三寸にも及ぶ広さであった。また棒火矢は先を鉄で丸く頑丈に貼ってある。この矢で五間、三間という
近い距離まで近づいて攻めかけるのである。日本丸の櫓で大隅守殿が鉄砲を撃っていたが石火矢が一つも
当たらなかったのは不思議である。
『高麗船戦記』(著者・年代不明)
695 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/01(土) 22:36:59.06 ID:IR0t3pqK
その日、軍大将は渡辺数馬、越後隼人、浜島豊後、和貝豊前であった。これらを先頭に日本丸を飾り、三階に櫓を
上げさせ錦の幕を三重に垂れさせ、上に蓬莱山(三方に縁起物を盛った飾り)を飾り、山の上に伊勢神宮のお祓いを納め
木々の梢に縄網を三重に張り手ごろな小船を多数繰り出し貝を吹いて唐人の方に押し寄せた。
その有様は蓬莱山もかくものかと思わせるほど。唐人方もこれを見て残らず打ち取れとばかりに石火矢、鉄砲などを
遠くから撃ちかけてくる。ところが棒火矢が飛んでくれば用意の綱で海中にはたき落とすので船に当たらない。
近くから半弓で射ても三重の幕の二重までは通るが最後の一枚で受け止めてしまう。近距離まで迫って石火矢を
放った時は日本丸の中柵三尺四方を打ち破ったが、かねて用意の大工たちにいいつけ即座に修理して海水を止め
日本丸は揺るぎもしなかった。
『志摩軍記』(著者不明・江戸中期)
以上は『日本の戦記 朝鮮の役』(参謀本部編・徳間文庫抄本版)逸話集より
国会図書館ウェブサイトデジタルアーカイブでも戦前版を閲覧可能
まとめサイトの関連する過去記事としては「「閑山島海戦」の敗戦」
こちらは脇坂家の視点での海戦記録ですね
699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/02(日) 11:12:55.17 ID:BfgWGv2P
>>694-695
韓国時代劇や映画では、日本船をボコボコに撃破した無敵の亀甲船の主砲は、
金属弾丸式の大砲というのが定番
でも実際のところの「火砲」はロケット花火式というところですかね?
宇田川武久の「東アジア兵器交流史の研究」では、朝鮮に中国から金属弾丸式
火砲が伝来したのが16世紀半ばとあった
701 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/03(月) 18:04:44.22 ID:qeDnAVp8
>>694
高麗船戦記は不明な点もありますが、当時その場で参戦していた
外岡甚左衛門の晩年の回想録というものです
大隅守殿(九鬼嘉隆)、左馬之助殿(加藤嘉明)、のお二人は中書(脇坂安治)が戦功を立てたことを聞き
同じく六日(文禄元年七月)に釜山浦から例の瀬戸口(見乃梁海峡)に行き八日には安高麗(安骨浦)烏島
という港に入った。ところが九日の辰の刻から敵の大船五十八隻と小船五十隻ばかりが攻めてきた。
大船のうち三隻はめくら船で鉄で覆われており石火矢・棒火矢・大狩俣などを放って酉の刻まで入れ代わり立ち代わり
攻撃をかけてきて、櫓から廊下、足隠しの要害などまですっかり打ち破られてしまった。石火矢というのは
長さ五尺六寸の堅木で筈元を鉄張りにし矢羽根も三方を鉄で取り付け、先には大狩俣がついており、手は
一尺二、三寸にも及ぶ広さであった。また棒火矢は先を鉄で丸く頑丈に貼ってある。この矢で五間、三間という
近い距離まで近づいて攻めかけるのである。日本丸の櫓で大隅守殿が鉄砲を撃っていたが石火矢が一つも
当たらなかったのは不思議である。
『高麗船戦記』(著者・年代不明)
695 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/01(土) 22:36:59.06 ID:IR0t3pqK
その日、軍大将は渡辺数馬、越後隼人、浜島豊後、和貝豊前であった。これらを先頭に日本丸を飾り、三階に櫓を
上げさせ錦の幕を三重に垂れさせ、上に蓬莱山(三方に縁起物を盛った飾り)を飾り、山の上に伊勢神宮のお祓いを納め
木々の梢に縄網を三重に張り手ごろな小船を多数繰り出し貝を吹いて唐人の方に押し寄せた。
その有様は蓬莱山もかくものかと思わせるほど。唐人方もこれを見て残らず打ち取れとばかりに石火矢、鉄砲などを
遠くから撃ちかけてくる。ところが棒火矢が飛んでくれば用意の綱で海中にはたき落とすので船に当たらない。
近くから半弓で射ても三重の幕の二重までは通るが最後の一枚で受け止めてしまう。近距離まで迫って石火矢を
放った時は日本丸の中柵三尺四方を打ち破ったが、かねて用意の大工たちにいいつけ即座に修理して海水を止め
日本丸は揺るぎもしなかった。
『志摩軍記』(著者不明・江戸中期)
以上は『日本の戦記 朝鮮の役』(参謀本部編・徳間文庫抄本版)逸話集より
国会図書館ウェブサイトデジタルアーカイブでも戦前版を閲覧可能
まとめサイトの関連する過去記事としては「「閑山島海戦」の敗戦」
こちらは脇坂家の視点での海戦記録ですね
699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/02(日) 11:12:55.17 ID:BfgWGv2P
>>694-695
韓国時代劇や映画では、日本船をボコボコに撃破した無敵の亀甲船の主砲は、
金属弾丸式の大砲というのが定番
でも実際のところの「火砲」はロケット花火式というところですかね?
宇田川武久の「東アジア兵器交流史の研究」では、朝鮮に中国から金属弾丸式
火砲が伝来したのが16世紀半ばとあった
701 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/03(月) 18:04:44.22 ID:qeDnAVp8
>>694
高麗船戦記は不明な点もありますが、当時その場で参戦していた
外岡甚左衛門の晩年の回想録というものです
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