尼子経久の三男・塩谷興久の反乱と亀井重綱

2009年07月13日 00:11

360 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 18:52:08 ID:VtKQ8qup
尼子経久の三男・塩谷興久がある日、経久に申し出た。
「家督を嫡孫の晴久に、新宮党を次兄の国久殿に賜わるなら、私にも意宇郡を下され。」
経久は、即座に却下した。
「バカな…意宇郡は本城・月山富田城のすぐ北部ではないか!他家へ養子に出た者が
領地にすべき土地ではないわ、下がれ!」

興久はこれを恨み、家老の亀井重綱に怒りをぶちまけた。
「これは、筆頭家老で晴久付きの亀井安綱の入れ知恵だろう。よかろう、ならば富田城を
襲って父を幽閉し、晴久を殺し、憎き安綱めを鋸挽きにしてくれようぞ!」

主君が謀反を企て、己自身の兄に憎しみを向けるのに驚いた重綱は、興久を諌めた。
「父が悪くとも子が孝行を尽くせば、父も顧みて元の絆を取り戻せるでしょう。
それでも殿が我が兄・安綱を憎むとあらば、拙者一人富田城に乗り込み、兄と刺し違えて
参りましょう。とにかく、謀反はお止めくだされ。」

しかし興久の怒りと野心は収まらず、享禄3年(1530)、ついに兵を挙げるに至った。
蜂起の前日、重綱は密かに月山冨田城に経久を訪ね、全てを打ち明けた。
経久は興久に対し激怒したが、重綱には事が済むまで富田城に留まるよう言い渡した。

これを聞いた重綱は答えた。

361 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 18:52:49 ID:VtKQ8qup
昔、経久様は拙者を興久様の付家老とする際、『興久を守り立て、末代まで中国地方に
名将たる名を残さしめよ』と言い、幼子をお預け下さいました。
よって拙者、興久様に武芸武略の全てをお教え致したる所、早くから人に勝り、この間まで
伯耆・出雲に肩を並べる者もあるまじ、これ我が手柄なり、と自負しておりました。

しかし今、このような悪事を企てるに及んだのは、実に我が補佐の届かざる罪。
自害して詫びるべきを、かつての恩の忘れ難さに、ついここまで来て余計なことまで
語ってしまいました。
さて、拙者はもはや興久様と君臣の契りを交わした身、経久様の仰せに従い、ここに
留まるわけには参りませぬ。これにてお暇いたす!」

重綱は言うが早いかサッと座を立ち、門のすぐ外につないでおいた馬に飛び乗り、
「止められる者あらば、止めてみよ!!」
と叫んで城を駆け抜け、城下に火を放って風のように去った。
経久の家臣が追撃しようとしたが、経久が「追うな!仔細あっての事だ、捨て置けい!」
と堅く止めるので、誰一人これを追う者はいなかった。

興久の乱は大乱となり、4年後にようやく終結した。亀井重綱はその間に尼子国久に
討たれた。重綱の死を聞いた経久は、
「重綱のごとき進退に勇あり、心に堪忍深き侍は稀だった。
彼が我ら親子の間に臣たらんとしてくれた行動の数々、思い知るべきである。」
と言って嘆いたという。

経久の長男・政久の戦死に始まり上月城に終わる、戦国のマクベス一族の悲劇に隠れた
wikiにその名すら無い忠臣のお話。




362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 19:26:34 ID:1ncb5WAo
尼子と毛利の差って、一族の結束の差なんだろうな。とか思った。


363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 19:38:56 ID:F8I7G7hQ
家督受け継いでも他家に奪われたら元も子もないのにな

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 19:55:42 ID:Kyx01zfS
内紛していれば消耗するのは分かりきってるが
かといって相手に持って行かれるのは嫌だし怖いから止める事も出来ない
囚人のジレンマって奴だな

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 20:35:20 ID:FM7poztH
経久と元就、どっちも嫡男がなくて孫に継がせたのに
甥を盛り立てる次男、三男
土地くれないから謀反する三男、一族もろとも粛清される次男

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 21:10:48 ID:V1ZIKrM4
TERU、良かったなぁ。

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 21:48:06 ID:0cE9Ag0b
経久って興久の首見て倒れちゃったんだっけ


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