391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 00:04:30 ID:wWPAy5Nu
大阪夏の陣で、井伊隊は木村重成と戦った。
若干二十三歳にして大阪七将に数えられた猛将は井伊の赤備ですら止め難い強敵であり、
井伊家の名のある武士も次々に討ち取られた。
井伊隊劣勢の中、侍大将の庵原助右衛門朝昌が立ち上がった。
彼は兵を励まして形勢を逆転させ、重成自身に迫り長槍一閃、これを泥田に突き倒した。
そこへ主君直孝の近習、安藤長三郎重勝が駆けつけて言った。
「拙者、本日まだ手柄を立てておりませぬ。その手柄、譲っていただけませぬか?」
虫の良い話に助右衛門の家臣は顔色を変えたが、助右衛門は
「わしは今さら、首一つ程度を手柄とは言わん。おまえさん、持って行け。」
と、これを許した。
大喜びして重成の首を獲り、駆け出した長三郎を、助右衛門は呼び止めた。
「待て待て、あわてるな!それだけでは誰の首か分からん、これを証拠にせい。」
そう言って重成の陣羽織で首を包み直し、重成の刀を添え、長三郎に持たせてやった。
長三郎は家康に賞賛され、その名は全軍に轟いた。助右衛門の一族郎党はこれを聞き、
大いに悔やみ惜しんだが、助右衛門自身は
「わしの武功は、殿が良く存じておるわい。これ以上、何を求める?」
と、意に介さなかった。
その後、恩賞に不満を持った長三郎は井伊家を出て叔父・安藤帯刀に一喝され、
(
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1679.html )
助右衛門は四千石の加増を受け、井伊家の次席家老として重きを成した。
ネット界隈じゃ遠縁の武者震いがする人が妙に有名だけど、本来は冷静沈着な武辺者の
庵原一族でした。
392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 00:14:37 ID:ra2gszBI
名字からすると今川時代からのご近所さんぽいな
ツーカーに近い仲ではあったのかね。
393 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/14(火) 00:29:19 ID:jFdZFfU0
>>391
「武者震いがするのぉぉぉぉ!」でNHKから有名になった庵原さんも
実在の人で今川家滅亡まで今川氏直のお供をしたのだとか。
この庵原助右衛門朝昌は↑の武者震い庵原さんの子か孫か?
394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 04:07:49 ID:txPf4sgs
遠駿の武士も結構精強だよなあ・・・
395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 12:36:34 ID:X2oG++AP
今川氏真
北条氏直
396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 13:51:10 ID:gFljU/XV
戦国大名としてはどうかと言う氏真公だけど塚原卜伝直伝の新当流の使い手なんだぜ